第二十一話 茶番
倒壊する魔導図書館から命辛々の体で逃げおおせたユフィンは、まず最初に自分自身よりもシルヴィアと嵐雪の身を案じた。
慈悲の心というよりは執着心や自己愛の顕れに近い。
家臣も財産に含まれるとするならば、彼女の所有する財産はその二人だけだからだ。
ユフィンが生まれ育ったテンベルクサンドリア城でさえも、まだ彼女の所有物では無い。
何より、石動嵐雪はユフィン・ヨハナ・テンベルクサンドリアの剣。正しく所有物だ。
そうであるなら、無事な姿に安堵するのは当然のことと言えた。
何より、それ以外の理由と感情で嵐雪を案じてはならないと自身に言い聞かせなくてはならなかった。
「ランセツ……ッ! よくぞ無事でいてくれた!」
瓦礫の隙間から勢いよく飛び出す嵐雪にかけた咄嗟の声が喜色に満ちていた理由は、それ以外にあってはならない、と。
「まだスタートラインに立っただけだ。何もしていない。何も成していない。これからというときに、来て早々に墓の下で眠ってなどいられん。それはあまりにも勿体ない」
肩甲骨の骨折と背中からの流血など取るに足らないと言わんばかりの態度で、事実、既に出血は止まっていた。
落下した瓦礫等による物理的な損傷ならば、そうはいかなかった。
しかし、霊的な原因で付いた損傷は、同じく、霊的な手法で修復が出来る。
裂傷も、骨折も、物理的な肉体の損傷だが、その原因は霊的な干渉に因るものだ。
傷を受けた霊体に引っ張られる形で肉体も同じように損傷した。霊的な傷は科学的医術で癒すことが出来ない。
霊的な治癒を施すことで、傷を受けた時と同様に、肉体が霊体に引っ張られて脅威的な自己再生能力を発揮するのだ。
嵐雪は、それを呼吸のみで実行することができる。
この男に限らず、同じ郷で生まれ育ち、鍛えられた退魔士ならば誰にでも出来ることで、脅威的な能力だが、驚嘆すべきことではない。
寧ろ、魔術図書館の倒壊に驚き戸惑い、呼吸を乱したことによって土蜘蛛の、よりにもよって眷属の小蜘蛛如きに傷を負った嵐雪の未熟である。
世が世ならば、郷長や親は怒り、嘆いていたに違いない。
尤も、役割を失った現代の退魔士の内、嵐雪の未熟を叱責出来る者など指折りで数えるほどもいない。
それが失業した現代の退魔士の現実だ。現実を突き付けられた嵐雪の心で渦巻くのは恥と怒りだった。
『何たる未熟。何たる無様。念願叶って剣となれた。ただの剣ではない。邪を打ち払う外敵降伏の剣となったのだ。それに浮かれてこの体たらく……! 許してなどおけるものか!』
小蜘蛛如きの低級妖怪に傷を付けられたこと。傷付いてしまったこと。
最早、土蜘蛛の血でなければ、この身に受けた恥辱を晴らすことなど到底できるものではなかった。
余裕からくる雑念と、怒り、身体は熱く、冷たく、心は激昂し、冷徹であった。
「来い……!」
「何事だ!!」
嵐雪の言葉に反応を示し、来たのは土蜘蛛では無く、人間の軍集団であった。気勢を削がれ、嵐雪は歯噛みする。
「テンベルクサンドリア騎士団……!」
風に乗って「今頃になってからのご登場か」と苛立ち混じりのユフィンの声が嵐雪の耳朶を叩いた。
しかしユフィンの感情は別にしても、この国の軍集団だ。
このままでは手柄も見せ場も無く、土蜘蛛が討ち取られてしまうかも知れないという焦りが嵐雪の心に生まれなかったと言えば嘘になる。
「そこの貴様! 何者だ!」
騎士団の戦闘に立つ男が鋭く声を放つ。
成る程、確かにユフィンの傍らに見知らぬ男がいれば警戒するのも当然のことであった。
「王妃殿下の乱心は貴様が原因か!」
ユフィンのように魔法に長けた者ならば、嵐雪の身体から放たれる退魔の気や、鎌倉一文字天神に宿る凄まじい魔力に目を奪われるのはある意味、当然のことと言える。
ならば魔法といった神秘が当たり前に存在する世界の軍集団が嵐雪を見れば、どう思うか?
――かつてユフィンは嵐雪を外国の将だと判断した。
戦う者たちは、嵐雪の力をユフィン以上に正確に、具体的に確信させた。
凄まじい力の持ち主。即ち、脅威であると。
十年前、王が倒れたことで霊的防御を失ったテンベルクサンドリアに土蜘蛛が入り込み、王妃に憑りついてその力を蓄え、ユフィンの挑発が原因で王妃の身体に残る僅かな感情が爆発。
土蜘蛛ですら、その極めて攻撃的な闘争本能に支配され、結果的に憑りついた土蜘蛛と、憑りつかれた王妃の双方が暴走し、今回の争乱に至った。
そんな話よりも、かつてのテンベルクサンドリアの王と騎士団長の双方をいいとこ取りしたような男が、王妃を狂わせ、ユフィンを襲わせたと考えた方が現実的だし、何よりも分かりやすい。
騎士団は嵐雪をユフィンから遠ざけるようにして包囲しようとにじり寄る。
『ある意味、当然のことだな』
苛立ちは無い。釈明する意思も見せなかった。それが彼等の疑念を強くするものだとしても。
石動嵐雪は剣だ。ユフィン・ヨハナ・テンベルクサンドリアの剣だ。所有物だ。
己が何者で、何なのかは主が決めれば良い。己が弁解する必要など何一つしてありはしない。
何者に恥じることも無い。疚しいことも何一つとして無い。
石動嵐雪はテンベルクサンドリアの姫――否。
テンベルクサンドリアの女王の剣なのだと堂々たる振る舞いを見せる。
「……チッ」
一触即発の空気の中、荒々しい舌打ちが響き渡る。
「状況の見えぬ馬鹿共が」
舌打ちをしたのも、剣呑な言葉を放ったのもユフィンであった。
そして、状況の見えぬ馬鹿共――、おっとり刀で現れた騎士団達は、たった13歳の、孤立無援の無力なお姫様の威圧感に気圧されていた。
「退け」
「え……」
「退けと言っているのだ。貴様は何のつもりで、誰と誰の間を塞いでおるのだ」
恐ろしい狼藉者と、この国の姫を、未来の女王の間に立ち、盾となっている筈だった。
だが、麗しくも不幸である筈の姫君は、それまでの不遇など無かったかのように、王者であるかの如く風格で、騎士たちの行動を否定した。
「退け」
再三に渡って告げられる命令に、騎士たちは戸惑いながらも道を開ける。
「ひ、姫殿下はあの狼藉者に操られている! 姫様を守れ! 道を開けるな!」
嵐雪に鋭い声を投げかけた男が命じるが、それに従おうとする者はいなかった。
人が変わったかのような振る舞いだが、明らかに正気であることは疑いようもない事実だ。
「そこの貴様」
「は、は……」
「貴様は誰に仕える?」
男は何も言えなかった。
誰に仕えると言うよりはテンベルクサンドリアという国に仕えている。
それ以前に質問の意図が理解出来なかった。
「王妃に仕えるか、貴族に仕えるか、ギルテリッジに仕えるか、プロヴィルに仕えるか、怪異に仕えるか、それとも妾に仕えるか、数ある選択肢の中からどれを選ぶのかと問うておる」
「そ、それは……」
矢張り答えられなかった。
選択肢の中に敵国や同盟国が含まれていること、国や王が含まれていないこと、不備のある選択肢に彼は決定をくだすことが出来なかった。
「愚鈍だな。状況の見えぬ愚か者が妾と、妾の剣の道を阻むでないわ。愚鈍は愚鈍なりに、その程度の役割は果たせと言うのだ。戯けが」
それだけで騎士の男は意気を消沈させて後退り、ユフィンは嵐雪の傍に歩み出る。
「そなたは誰に仕える」
答えるまでも無い問いに、嵐雪は即座に跪いて応える。
「我は剣だ。ユフィン・ヨハナ・テンベルクサンドリアの所有物だ。我が全身全霊、血肉の一欠片まで、我が生涯の最後の日まで、我の全てを主に捧げることをここに誓う」
「その忠節、確かに受け取った」
『茶番だ』
ユフィンは思った。ユフィンは嵐雪を欲し、嵐雪はユフィンに捧げると夢の世界で誓い合ったのだ。
このようなデモンストレーションでは英雄譚を好む酔っ払いを喜ばせるだけで、かつての誓いを乏しめているような錯覚すらあった。
「王の亡骸を辱め、王妃を狂わせ、忠臣を喰らった土蜘蛛を殺せ。テンベルクサンドリアの栄光を取り戻すのだ」
茶番だが、必要な儀式であることも理解していた。




