ギアを上げて煽っていく子息とやっぱり地雷を踏む令嬢
親愛なる君へ…
目が醒めるたびに君がいない寂しさに胸が張り裂けそうになる。
君は雨のように絶え間無く愛を注いでくれていたのに、僕は何故気づかなかったのだろう。
心の中ではもう愛は芽生えていたんだ。
もう多くは望まない。
君さえいればいい。
待っている。
独り寂しい僕を救えるのは君だけだ。
僕たちを引き裂いた悪魔は遠くへと去ってしまった。
君が気にすることはない。
僕が本当に愛しているのは君だけだ。
できることならば今すぐにでも君の元へ飛んでいきたい…
けれど、傷付き、羽をもがれた僕はもう飛ぶことさえ許されない。
君だけが僕の輝く希望の星。
マイエンジェル、君が迎えに来てくれるのを今日も独り待っている。
「すっ…素晴らしいわ!」
二つしかない観客席の一つに座っていたクラリスが立ち上がって割れんばかりの拍手を送った後、演奏を終えた身綺麗な格好の吟遊詩人に近づいて彼の手を握り締めた。
「よかったでしょ?クラリスは戯曲のお披露目会来れないから聞かせてあげたかったんだ。」
「フランクもありがとう!」
今日の場を設けてくれたフランクがニッコリとクラリスに微笑みかけると、クラリスもそのままの勢いでフランクの手を握った。
「どういたしまして。お披露目会の時に丁度お見合いなんて運が悪いね。」
「そう!そうなのよ!」
フランクが手がけていた曲も出来上がり、それを元にしたお芝居付きの戯曲も着々と出来上がっていると言うのに、クラリスはその戯曲のお披露目会であるお茶会、その日にお見合いの話が来てしまったのだ。
そこで公爵子息であり幼馴染のフランクが残念がるクラリスのために、今日、吟遊詩人を招き演奏会を開いてくれた。
「戯曲は残念だけれど、こっちの方も庶民にも伝わりやすいからいいと思うんだ。こんなに素晴らしい芸術は貴賤問わず老若男女、沢山の人に触れてほしいからね。」
そう言うフランクは少年のように目を輝かせながらも、凛々しい横顔は責任感に溢れていた。
「そうね、それこそが持つべき者の義務だわ。でもフランクが芸術に興味があったなんて意外ね。」
芸術的というよりも現実主義だと思っていたフランクがこうも変わるとはとクラリスも不思議に感じていたが、基本的に物事を冷めた目で見ているフランクの変化は幼馴染として嬉しくも思う。
「こんな素晴らしい詩を前に何も感じない人間なんてないよ。きっと僕のようにこの詩で芸術の才能に目覚める人もいるかも知れない。」
「そうよね!幼い頃から芸術に触れることはいいことよね!」
結局は出会い、なのだ。
芸術も、そして恋や愛も。
クラリスは熱い想いとともにこの歌の元になった手紙を書いた元婚約者であるルーズベルトとその恋人のマーガレットに想いを馳せた。
ルーズベルトからクラリスへの手紙は二通ほど間違えて届いてしまったが、きっと三通目からはマーガレット本人に直接届いていることだろう。
クラリスはルーズベルトの情熱的な手紙に二人の恋の様子を覗き見たい気持ちはあったが、今はただ上手く行っていることを願うのみだ。
「この後、詩人には今日から町々を転々としながらルーズベルト公爵様の居る領地まで旅をしてもらうつもりなんだ。ルーズベルト公爵様に聞いてほしいのももちろん、国中に広まってほしいからね。」
「そのことなんだけれど、マーガレット様の居る場所に一番に向かってもらいたいの。あの詩はマーガレット様に向けたものでしょう?ルーズベルト様もきっとそう思っていらっしゃる筈よ。」
マーガレットはその後他の人と結婚してしまったと聞いてはいたものの、ルーズベルトは未だにマーガレットを情熱的に恋い慕っている。
かつては愛し合ったもの同士、運命のいたずらですれ違ってはいるが、いつかは二人結ばれて欲しい、幸か不幸かその恋のキューピッド役に選ばれたと思っているクラリスはとても張り切っていた。
「それはいい考えだね。」
フランクはニッコリと笑う。
その笑顔に曇りのないことくらいは幼馴染のクラリスにも分かる。
本当にルーズベルト様の詩がフランクを変えたのだわ、とクラリスは物語の大円満エンドの予感に心を躍らせた。
クラリスはフランクにエスコートされ、全国各地を行脚のために用意した馬車に乗り込んだ詩人を見送る。
「是非とも宜しくお願いします!」
クラリスはハンカチを手に持ち、馬車が見えなくなるまで手を振る。
「ロマンスというものはどうしてこんなにも胸が熱くなるものなのかしら…」
詩人を見送った後、掲げていた手を胸元まで下げてクラリスがポツリと呟いた。
「他人事だからでしょ。もう少し自分のことに気を配ったら?」
さっきまでの好青年ぶりは何処へやら、フランクはいつもの様に少し意地悪な性格に戻っている。
クラリスはその言葉で現実に引き戻され、少しがっかりした気持ちになってしまった。
「次はきちんと面倒くさがらずに興味を持って接するわ!」
「うん、興味を持ってね。」
「ええ…え?」
フランクのその言葉に感じた違和感の正体を、お見合い当日、クラリスは知ることとなる。
「なんで…なんでフランクが…」
「なんでって、お見合いしに来たんだよ。」
フランクの隣には数度しか顔を合わせたことのない彼の父と、母が立っている。
今更になってクラリスは両親からお見合い相手を知らされること無かったことに気づくが、まさかフランクがお見合い相手なんて思っても見なかった。
ほんの少し前までクラリスの公爵家とフランクの公爵家は次期国王となる王太子の擁立で敵対する派閥であったし、個人的にもかなりいがみあっていた。
それがどうしてこんなことになってしまったのか、理解できず、クラリスは首を傾げたまま固まってしまった。
「クラリス、口を慎みなさい。」
クラリスの父が厳しい口調で固まってしまったクラリスをたしなめる。
挨拶もしない内に心の声が出てきてしまったことにクラリスは慌てて、公爵家の令嬢として腰を折って謝罪した。
「失礼いたしました。」
「…構わない。」
意外にもフランクの父が軽く許してくれたことに、クラリスは驚きで目をパチクリさせた。
クラリスの父も厳格であったが、フランクの父も厳格であると有名であったからだ。
同じ公爵家だが、クラリスの家とフランクの家は派閥も違うし、格も違う。
そんなフランクの家がクラリスを嫁にもらうメリットは無く、本来ならばクラリスを疎ましく思い、この縁談を破談にしたいと思っているはずだ。
先程のクラリスの軽口もそうするにはもってこいの理由だった。
しかし、フランクの父がクラリスに対して破談を口にする雰囲気もなければ、害意を向ける雰囲気もない。
「あとは書類上の確認のみですから、クラリス様と二人でお話ししても?」
「私は構わないが…」
フランクはクラリスの父から同意をもらい、クラリスの手を握り、部屋の外へと出た。
クラリスはフランクに手を引かれ、お気に入りの庭へと連れてこられた。
いつも座っているベンチに二人して腰掛けるが、クラリスは不思議な気持ちのまま黙り込む。
「いつもの通りでいいよ?」
フランクは神妙な顔つきのクラリスにいつもの様に軽く声をかけた。
すると、クラリスも魔法が解けた様に口が回り出す。
「本当に私でいいの?フランクはいいの?」
クラリスは真っ直ぐな視線をフランクに向け、真剣な表情で問う。
「だって、クラリスが言ったじゃん、プロポーズ。」
「プロポーズ?」
当然、クラリスは自分からプロポーズしたなんてことは身に覚えがないし、フランクをそんな目で見たこともない。
思考が迷宮に入り込んでしまったクラリスに、フランクは優しくヒントを与える。
「一番初めに会った時のお茶会。」
「そこで?」
確かに一番初めに出会った時のお茶会からクラリスとフランクは仲良くなったが、それが何故プロポーズに繋がるのかが分からない。
表情では分からないが、凄みを増したフランクの雰囲気がクラリスを追い詰める。
「一番最初に僕になんて言ったの?」
「えっと…」
「酷いよね、プロポーズを忘れるなんて。」
「…よくわからないけどごめんなさい。」
「今更反故になんてしない、よね?」
「…はい、もちろんです。」
「なら、いいけど。『生涯、一緒にいる人を探しているの。だから、仲良くしてね。』って君は僕に言ったんだよ。」
クラリスは過去の自分の発言にはピンとこなかったが、お茶会の前の晩に父親から『将来、自分のそばに置いておく人間を決めなさい』と言われたことを思い出した。
クラリスの父親は派閥とかの話をしていたらしいが、クラリスはフランクと話す際に言い間違えてしまったらしい。
「それって…」
「『それは僕でいいの?』って聞いたら君は『うん。』と返事をした。」
クラリスが間違えたと言う前にフランクがトドメを刺すように更に続ける。
どうやら、訂正は受け付けていないようだ。
「…責任取ってくれるよね?」
フランクは続け様に二度目の念押しする。
「…もちろんです…」
幼い頃から地雷を踏み続けてきたクラリスだが、これが人生最大の地雷だったことに気づく。
「…もう浮気はダメだからね?」
「…浮気って?」
「浮気はダメだからね?」
やはりフランクはクラリスに有無を言わせる気はないらしく、爽やかな笑顔とは裏腹にフランクの仰々しい言葉がクラリスを追い詰めて行く。
「…重い。」
あまりのフランクの剣幕にクラリスがそうぼそりと呟いた瞬間、フランクの笑顔がそのままに空気だけが稲妻が走るようにピリついた。
「…僕がいくら待ってあげたと思ってるの?」
「それは…」
「君には徹底的に知らしめてあげないといけないよね。」
フランクの三日月型の目から薄っすらと見える眼光は鋭く、クラリスは自分が地雷を踏んでしまったことをまたしても察してしまう。
天然令嬢クラリスは今日もまた地雷を踏み、そしてその婚約者の腹黒子息フランクもまた人を煽っていく。
今はまだいつもの二人だけれども、少しずつ甘い関係になっていくのはそう遠くない未来のこと。
誤字脱字報告、たくさんのコメントありがとうございます。
コメントいただきとても嬉しいのですが、体調崩しており、個別にお返事を返すことができずにいます。
本当に申し訳ないのですが、もう少々お待ちください。