第六幕:Hello, VR World!!
俺が所属しているジムの事務所の一室、俺とマネージャーが机を隔てて椅子に座っていた。マネージャーの前にはノートパソコンが置かれている。
「はい、これ。VRグラス。ゲームはインストール済みヨ」
マネージャーから半透明のスポーツサングラスのようなものを渡された。普通のサングラスよりフレームの、耳にかける部分が厚くなっていたが、かけていてそこまで気にならなそうだ。
「チップを埋め込んだことによって、脳とデバイス間の送受信電波が増幅されるから、この大きさのデバイスでVRが可能ならしいわヨ」
「へぇ」
「ちなみに、グラスになってる部分には映像が投影されるけれど、実際は補助的なものらしいわヨ。要は、VRをプレイしている間、本当の『目』はあんまり使ってなくて、あくまで脳との直接通信をメインにVR世界に没入してるってことね」
「はぁ……よく分からんが……。それはそうと、どうやって起動するんだ?」
「耳の後ろの部分にスイッチがあるでショ。それを押すの。まぁ他に事前に登録しておけば音声で起動することも可能だけど」
「じゃぁ……早速、いっちょやってみっか!」
俺はスイッチを押した。
瞬間、世界が暗転した。その暗闇の中で、
『VR Fighters!!』
とこのゲームのタイトルが派手に回転しながら目の前に現れた。
◇ ◆ ◇
視界が開けると、何やら大きなバーのラウンジのような所にいた。いつのまにか、ずっしりとしたソファーに腰掛けている。自分の体に目をやると、空手の道着を着ている。周りには大勢の人間がいて、飲み物を飲んだり、談笑したり、一人で寝ていたり。それぞれ思い思いに時間を過ごしているようだ。
「おぉ……」
どうやらVRの世界に入れたらしい。
「どう?」
「おわっ」
どこからかマネージャの声が聞こえる。
「そんなに驚かないでヨ。外のコンピューターからあなたに話しかけることも可能なの」
「というか、そっちの俺の体はどうなってるんだ?」
「一応全ての感覚がなくなったわけじゃない。脳の無意識の、ごく一部の領域を外の感覚に当てているから、体が何か異常を検知すればあなたも気づくわヨ。なんならちょっとイヤラらしいことしてあげましょうか?」
「いや、いい!」
「とりあえずちょっと待ってたらチュートリアルが始まるはずよ」
「いらん! 俺は戦いの素人じゃない。試合だ!」
まどろこっしいのは好きじゃなかった。
「それに、オマエが説明してくれればこと足りるだろ」
「まぁ、それはそうかもしれないわね……。ただ、試合中はアドバイスできないわよ。とりあえずその部屋の壁にあるディスプレイを見て」
俺はソファーから立ち上がり壁に近づいた。ディスプレイは同じものが何個も設置されているようだ。
「そこに出てるのが対戦相手募集中の人たち」
「ふむ……。操作は難しくなさそうだ。この世界の奴らは誰もしらないし、とりあえずこの『AUTO』ってのを選べばいいんだろうか?」
そう言いながら、そのボタンを押すとまた別の画面が表示された。
「対戦相手の強さの希望か……」
『すごく強め』
『強め』
『普通』
『弱め』
『すごく弱め』
と表示されている。
「弱めにしといた方がいいわヨ……」
俺はマネージャーを無視して『すごく強め』を選んだ。
また視界が暗転する――。
◇ ◆ ◇
今度は、渋谷のスクランブル交差点を少し小さくしたような道路の真ん中に立っていた。近くのビルには大型ビジョンもある。目の前を見ると、二十メートルほど先に、赤いヘルメットと白いマントを身に着けた筋肉質な男が立っていた。どこかのヒーローものアニメみたいなコスチュームだ。
大型ディスプレイに文字が表示されている。
「アツシ VS ユウ」
ヒーロー男が口を開く。
「バトルポイントゼロ……なんだゴミ……いや失礼、ビギナーか」
「……戦えば分かることだ」
俺は半身の構えを取った。
ヒーロー男もボクシングスタイルに近い構えをとる。
「……その顔どっかで見たことあるような気もするが……まぁいいか。初心者は有名人のアバターを使いたがるからな。どっかのタレントに似せたかなんかだろ……」
すぐに大型ビジョンに数字が表示された。
「3、2、1」
既にカウントダウンが始まっているらしい。
「Fight!!」
表示が切り替わり、音声も聞こえた。早速、試合開始だ。
相手がいきなり飛びかかってくる。
「何ぃ!?」
ジャンプの高さが信じられないほど高かった。
「空中三段蹴りぃ!」
相手が技名を叫んだ。空中で回転しながら連続で三発蹴りを入れてくる。
「うっ! ぐっ! がはっ」
俺は三発目の蹴りをガードしきれずに肩に一発食らってしまう。
「ふざけてやがる……。何が『空中三段蹴り』だ……。しかし何てジャンプ力」
「ふおおおお」
男はヒーローぶって決めポーズをとっている。
そして、
「弱い、弱い!」
と挑発してきた
「くそぉお!」
俺は相手に向かって駆け出す――が、
「幻影裏拳!」
「はっ」
逆に相手から距離を一瞬でつめながらの裏拳。目にも止まらぬ速さで防御が間に合わない。
「ぐはっ」
派手にふっとばされて地面に頭をうった。
「何なんだこれは……。こんなヒーロー気取りの馬鹿にやられるなんて……」
正直言ってやる気を失っていた。馬鹿な男にありえない技でやられている……。あほらしい。
◇ ◆ ◇
俺は試合をすぐギブアップして、現実世界に戻っていた。
「やめだ! やめ! あんな現実じゃ不可能な技、ナンセンスだ!」
どんっと机を叩いた。
「もう少しだけやってみましょうヨ」
「……帰る!」
勢いよく立ち上がり、扉を思いっきり締めて部屋を出ていく。
「やっぱアツシちゃんには向いてないのかしらネェ?」
マネージャーの独り言がかすかに聞こえた。
◇ ◆ ◇
次の日、俺が朝起きてネットでニュースを確認していると、
「総合格闘技の響アツシ、VR Fighters参戦か? 初戦は惨敗」
というニュースとあの試合の動画がアップロードされていた。
ニュースのコメント欄には、
「これ本物? 誰かが勝手にアバター作ったんじゃないの?」
「そういえば、そんな奴いたなぁ。まだ生きてたの?」
「めっちゃよぇぇ。ざまぁ」
「現実なんてクソゲーだ、VR最高!」
「VRのおかげで恋人が出来ました。皆も早く始めようぜ」
などと書き込まれていた。
「ちくしょお……」
こんなに惨めな気持ちになったのは生まれて初めてだった。
「……負けたままじゃ終われねぇ……」
俺はそのニュースとコメントをプリントアウトして部屋に張ることにした。臥薪嘗胆という奴だ。
その後、走ってジムに向かった。世界チャンピオンながら、俺は昔から実家に住んでいて、車も持っていない。ジムは近いので走って行ける。
◇ ◆ ◇
「アツシちゃん、ネットのニュースのやつ……。やっぱりアバターを変えておけば良かったわネェ……」
ジムに入るとマネージャーが居て、心配気な声をかけてきた。
「……VRグラスを貸せ!」
「ええっ、まだやるの?」
「……このまま引き下がれるか!」
「でも、続けたら、またニュースに……」
「知らん!」
事務所に入り、引き出しから自分でグラスを探し出すと、すぐにVRにログインする。