Power Song3
君のために僕は詠う。
Power Song 3
俺の母さんは、本当にキレイな人だった…
キレイで強くて…とても儚い人だった。
母さんは俺に色々な話をしてくれた。
特に母さんのたった1人の肉親である“お姉さん”の話になるととても懐かしそうに目を細めながら話していた。
『―――私の姉さんは…本当に綺麗で頭の良い人だったのよ…智日…』
母さんは“お姉さん”は誰かに殺されたのだと言っていた。何かの事件に巻き込まれて、殺されたのだと―――
どこかの港の防波堤の横に停めてあった高級車の中で“お姉さん”は眠るようにとてもキレイに亡くなっていたそうだ。
一応警察も動いたけど、結局何にも分からないまま捜査は打ち切りになってしまった。
1人になってしまった母さんは失意のまま、“お姉さん”の遺骨と共にアメリカへ戻った。
そして5年後、母さんは俺を産んだ。
黒崎(あの男)は半年に1、2回のペースで母さんに会いに来た。…嫌がる母さんを殴り、無理やり抱いて帰っていった。あの男が帰った後、母さんは俺を連れて違う町に引っ越した。それでもあいつは母さんを抱きにやって来た。母さんは見る見るやつれていった。
俺はそんなあいつが憎くて仕方無かった。だからあいつが来た時、友達から借りた拳銃であいつを殺そうとした。でもそれも失敗に終わった。
俺は強くなりたかった。強くなって母さんを守りたかった。
でも、俺はあいつを止める事が出来なかった。
母さんを守ってやれなかった。
あの日―――降り積もる雪の中、痩せ細った身体で“お姉さん”のお墓参りに行ってくると母さんは言った。今日は天気悪いから駄目だよ、と言う俺の言葉なんか聞かなかった。仕方無く、俺もついて行った。
“お姉さん”のお墓参りには何度も来ていた。いつもお墓にはキレイに咲き誇る花々が飾ってあった。俺達より先に誰かが飾っていったのだ。母さんはその花々をしばらくの間、見つめていた……見つめながらハラハラと涙を流した。俺はそんな母さんを見つめながら、言いようの無い不安に襲われていた。
『…母さん、母さん…』
俺の言葉に母さんは涙を拭いながら優しく微笑んだ。そして俺の前にしゃがみ、バックから銀色の懐中時計を取り出した。
『…智日、これは私の姉さんの形見なの。もし、誰かが母さんを訪ねてきたら…その人が母さんの姉さんの事を知っていたら…この時計をその人に渡してほしいの…いい?智日?…』
俺は込み上げる感情を必死に堪えた。
『…母さんが渡せばいいじゃないか…』
俺の言葉に、母さんは苦笑した。
『そうね…』
そう言いながら、母さんは寂しそうに微笑んだ。
それからすぐに…母さんは死んだ。眠るように死んでいた。
母さんの古い友人から、母さんは癌に侵されていた事をその時初めて聞かされた。俺はそんな母さんに暴力を振るい続けたあの男を捜し出し、殺そうと決意した。
そんな俺の思いと裏腹に、あの男はやって来た。母さんの葬儀に参列していたようで、喪服のまま俺の前に現れた。そして、俺に向かってこう言った。
『―――智日、行くぞ』
午後7時10分―――シトシトと朝から雨が降り続いていた。足元からくる寒気に身を震わせながら、ケイは研究所の正面入り口から出て、敷地内を小走りで通過しバス停まで急いだ。
バス停近くに停まっている黒のリムジンに、ケイは気付いた。
車の助手席から大神が降りてきた。
「……行かないって言ったじゃん」
ケイは怪訝そうに大神を見た。
「早く車に乗るんだ」
大神はそう言うと、後部座席のドアを開けた。ケイはうんざりしながらため息を吐いた。そして大神を睨みながら車に乗り込んだ。
「―――せっかく久し振りに会えたのに…もっと笑ってよ、ケイ」
ワイン色のドレスに毛皮のコートを羽織った薫は笑いながらケイに言った。ケイは無表情のまま、携帯のボタンを押した。
[ ―――はい、本条です!]
「アキ?僕だけど…」
[ ケイ君?どうしたの?]
「…うん…ごめん、今日夕飯会社の人達と食べてくるからいらないよ」
[ …珍しいね…うん、分かった]
「そんなに遅くならないから…」
[ 私の事は気にしなくていいよ。ゆっくり楽しんできなよ]
「…すぐ帰るから」
ケイはショックを受けながら電源を切った。そんなケイの様子を見ながら薫は吹き出した。
「アキちゃんの事は心配しなくていいわよ。毎日智日達が監視してるから」
ケイは薫を睨んだが、薫はカラカラと笑い続けた。
薫はケイを行きつけのレストランへ連れて行った。薫達が入店するとすぐに店のオーナーが薫とケイからコートを受け取り、席まで案内した。薫は
「いつものコースね」
と言い、オーナーは「畏まりました」と笑顔で頷いた。
ケイはブラウンで統一された店内の壁に飾られた数点の絵画を眺めた。絵画には一枚一枚照明が当てられていた。
「―――良い雰囲気の店でしょ?今度アキちゃんと来るといいわ」
薫の言葉にケイは返事をしなかった。薫は微笑みながらケイを見つめた。
「で?僕に何か用?」
「そんなに急がなくていいじゃない?ゆっくりして来いってアキちゃんも言ってたでしょ?」
薫の言葉にケイは顔をしかめた。
「そんな顔しないの!綺麗な顔には似合わないわ」
「…早く用件言えよ」
「相変わらずせっかちね!」
薫が笑っていると、ソムリエがワインを運んできた。
「こちら、19○○年モノのシャトーペトリュスでございます」
ソムリエはそう説明しながらグラスにワインを注いだ。薫はグラスを小さく揺らしながら鼻に近付け、頷きながら一口飲んだ。
「う〜ん!美味しい!ケイも飲みなさい」
ケイは小さく息を吐き、ソムリエがグラスに注いだワインを口へ運んだ。そんなケイの様子をソムリエはじっと見つめた。
「美人でしょ?この子」
薫の言葉にソムリエはハッとし、少し慌てながら頷いた。
「失礼しました。こんなに綺麗な顔立ちの方、今まで見た事がございませんでしたので…つい見惚れてしまいました」
ソムリエはそう言いながら恥ずかしそうに微笑んだ。
「知り合いの息子なの。デート相手には申し分無いのよ」
「えぇ、美男美女、とてもお似合いでございますよ」
ソムリエは笑顔で言いながら、うんざり顔のケイの左手薬指に目をやった。
「…失礼ですが…ご結婚されているのですか?」
「…はぁ…」
ソムリエのいきなりの質問にケイは言葉を詰まらせた。
「そうなの、まだ1か月しか経たない新婚さんなのよ」
クスクスと薫は笑いながら言った。
「それは大変におめでとうございます!今度はぜひ奥様ともお出で下さいませ。お待ち致しております」
ソムリエはそう言うと、深々と頭を下げた。
「…はぁ…」
ケイは何と言っていいか分からず、困惑した表情を浮かべた。
しばらくして、前菜が運ばれてきた。
「新婚生活はどう?順調?」
薫の言葉にケイは答えず、黙ったままフォークとナイフを動かした。
「ねぇ、早く本題に入ってよ」
ケイは薫の顔を見ずに言った。
「…ケイ、顔色が良くないわ」
薫の言葉にケイは手を止めた。そしてゆっくりと薫の顔を見た。
「…何が言いたい?」
「2回目の発作からそろそろ4年になるかしら?…3回目の発作がきてもおかしくないわね」
ケイはフォークとナイフを置き、グラスのワインを飲み干した。
「話ってそれ?」
「えぇ…前に言ったでしょ?早く原因を究明しないとアキちゃんでは治まらなくなるって…もう空閑先生じゃ無理よ」
「僕にどうしろって言いたいの?」
ケイの顔色が変わった事に薫は気付いた。
「私のトコに戻って来なさい。アキちゃんも一緒に…私の研究室であなたの身体の検査をしましょう。その方がいいわ」
「僕はあんたの仲間にはならない。何回も同じ事言わせるな」
テーブルの上のキャンドルの炎が大きく揺れた。薫はそれを横目で見ながら喋り続けた。
「あなたの身体の事、本条教授も結局は分からなかったみたいね…3回目の発作がどれほどのモノか今の段階では分からないわ。もし、あなた自身では止める事が出来なければ、一番辛い思いをするのはアキちゃんでしょ?それでもいいの?ケイ…」
ケイは小さく息を吐きながら、自分の左手薬指の指輪を見つめた。
「…清子さんが…おじいちゃんの手帳をあんたに見せたの?」
「えぇ…あなたの身体の変化に気付いたのよ。で、どうしたらいいか考えた末に私の所に来たの。彼女はあなたの事を思って取った行動よ。分かるでしょ?」
薫の言葉にケイは小さく笑った。
「分からないな…」
「ケイ…」
「分からない。結局あんたは僕に組織に戻ってほしくてそう言ってるんだろ?そうする事が僕のためだと信じている。そうだろ?」
薫は苦笑しながら腕を組んだ。
「確かに、あなたには組織に戻ってほしいわ…いえ、戻って来ると信じているわ。だって…」
「そのために誕生させたんだろ?」薫の言葉を遮り、ケイは言った。「でも僕は戻らない。アキとこのまま普通に生きるんだ。誰にも邪魔させない」
ケイを取り巻く空気が、ピンと張り詰めた。薫は背中から這うように感じる恐怖に、息を呑んだ。
「…あなたは…まだ何も分かってないわ。もうあなただけの問題ではないのよ、ケイ…」
2人は黙ったまま、睨み合った。
「…し、失礼します…本日のスープでございます…」
2人の異様な空気に動揺を隠し切れないウエイターが震えながらスープの入った皿を2人の前に置いた。
薫はそのスープを美味しそうに口へ運んだ。
「今すぐ返事しなくていいわ。少し考えなさい、ケイ…」
そう言ってワインを飲む薫を、ケイは黙ったまま見つめていた。
空閑清子はその日の当直日誌をつけ、ナースステーションへと向かった。
「空閑先生!106号室の田崎さん、またお腹痛いって…先生呼んで来いってしつこいんですよ!」
看護師が苦笑しながら言った。
「仕方無いか…じゃぁ、今から行って来…」
清子はエレベーターから降りて、こちらへ向かって来るケイに気付いた。
「ケイ君…」
無表情のまま、ケイは清子の前に立ち塞がった。
看護師達がざわざわと騒ぎ出した。清子はケイの張り詰めた雰囲気をすぐに読み取った。
「珍しいわね、こんな時間に来るなんて…」
清子はそう言いながら、看護師達に仕事に戻るように手で合図した。看護師達は首を傾げながら自分達の持ち場へ戻った。
「今から患者さんのトコに行くの。ケイ君も一緒に来て…」
清子はそう言ってケイの腕を掴んだが、ケイはその手を払った。
「…僕に黙って、あの女に手帳渡したんだな…」
清子は大きく息を吐きながら天井を仰いだ。
「その方が良いと思ったの…もうここの機器では調べられないから…」
「だからって何で僕に何も言わないんだ?」
「どうせ…ケイ君、嫌がるでしょ?」
「あぁ、そうだよ。清子さんはあの女の事尊敬してるみたいだけど、僕は嫌いなんだよ。あの女とは関わりあいたくないんだよ」
ケイの言葉に清子は言葉を詰まらせた。
「…黙って浅井先生に手帳を渡した事は謝るわ。でもね、浅井先生ならきっと解決策を見出してくれるわ。私も浅井先生と一緒に頑張るから…」
「もういいよ…」
ケイは首を振りながら言った。
「ケイ君…」
「もう…こんな勝手なまねしないで…」
ケイはそれ以上何も言わずに、その場から立ち去った。
清子は頭を抱えながら、大きく息を吐いた。
「―――ケイ君!お帰りなさい!早かったね!」
笑顔で出迎えたアキの言葉に、ケイは少しうな垂れた。
「…早くないじゃん…まだ遅い方が良かった?」
「そうじゃないわよ!もう!」
アキは怒りながらもケイからコートとカバンを受け取り、居間へと行った。そんなアキの後姿をケイは静かに見つめた。
居間のソファには本条有治が腰を下ろし、新聞を広げていた。
「お帰り、遅かったな」
そう言いながら笑っている本条の横にケイは腰を下ろし、ネクタイを緩めた。
「…さっき清子から連絡あったよ…」
本条の言葉に、ケイは小さく頷いた。本条は読みかけの新聞を畳み、アキが入って行った台所に目をやった。
「清子も必死だったんだ…その事は分かってやれ、ケイ…」
ケイはうつむいたまま何も言わなかった。
「―――先生!ケイ君!お風呂準備出来ましたよ!」
アキが元気な声で言った。
「兄さん、先に入っていいよ」
「…そうか?…じゃぁ…」
ケイの言葉に本条はゆっくりと腰を上げた。
「先生、着替えここに置いてますから…」
アキの言葉に本条は微笑んだ。
「いつも悪いね、アキちゃん。でもアキちゃんはもう家政婦じゃないんだからね。本条家のお嫁さんなんだからそんなに気を遣わなくていいんだよ」
「私、気なんか遣ってませんよ?」
アキは笑いながら言った。
ケイはそんな本条とアキのやり取りを聞きながら、言いようの無い不安に襲われた。
「ケイ君、お茶でも飲む?」
「う、うん!」
ヒョコっと居間に顔を覗かせ言ったアキに、ケイは慌てて答えた。
「待っててね。」
アキはいそいそと台所へ向かった。
急須に茶葉を入れお湯を注ぎ、ケイの湯飲みを準備しながらアキは食器を片付けていた。
「―――今日の夕飯、何だった?」
ケイの声にアキは飛び上がった。
「っびっくりした!いつからそこにいたの!?」
「そんなに驚かなくてもいいだろ!?」
ケイは口を尖らせながら言った。そしてコンロの上の鍋の蓋を開けた。
「シチューだ…」
「うん…少し残っちゃったから明日食べてね」
「今、食べたい…」
「え?今?食べてきたんじゃないの?」
「あんまし食べた気しないんだ…」
ケイの言葉にアキは微笑んだ。
「待ってて、準備するから。ご飯は?パンもあるけど…」
「じゃぁ、パン」
アキは笑いながらシチューを温め直し、パンを切ってトースターで軽く焼いた。
ケイは目の前をパタパタと動くアキを目で追った。
「な、なによぉ!ケイ君!…私の顔に何か付いてる!?…」
アキは堪らず言った。
「見ちゃ駄目なのか?」
「だっ駄目!駄目!駄目!…もう!出来たら持って来るからあっち行っててよ!座って待ってて!」
アキは顔を真っ赤にして言った。ケイは必死に笑いを堪えた。
「いや、出来るまでここで待ってる」
そう言いながらケイはアキを抱きしめた。アキはバタバタと抵抗したが、ケイはさらに力強く抱きしめた。
「ちょ…ちょっとケイ君!!ほら!パン焼けたから…放してっ…」
ケイはそれでもアキを放さなかった。
「…ケイ君?…」アキは不安そうに言った。「どうかしたの?…ケイ君…?」
ケイは込み上げる想いを強く感じながら、アキの耳に唇を付けた。
「…アキ…」
「うん?…」
「どんな事があっても…僕のそばにいてね…」
ケイの言葉に、アキは一瞬言葉を詰まらせた。
「…聞いてる?アキ?」
「き…聞いてるよ!…何でそんな事言うの!?ずっとそばにいるに決まってるじゃない!」
アキが怒り出したので、ケイは慌てて謝った。
“情報屋”の3人は全く動く気配を見せなかった。智日は特にリーダーの筒井悠輔の監視に集中したが、悠輔は目立つ行動を一切取らなかった。それよりも、3人の中で一番若い坂本蒼太が何回か女に会いに行っているのを見て、智日は思わず苦笑した。
「若いって事は仕方無い事なんだよなぁ〜…」
智日はそんな事を呟きながら、その女とラブホテルへ入って行く蒼太を見つめていた。
[ ―――智日?俺だ。高架下○○駐車場で合流しよう]
「はいよ〜」
智日は久田からの連絡を受け、ラブホテルが建ち並ぶ街路地を抜けた。そのまま会社帰りのサラリーマンやOL達で賑わう繁華街を駆け抜けた。そして、バスターミナルの前を通りかかった時、
「…智日?…智日!!」
と叫ぶ女の声に、智日は振り向いた。そこには数人の女達が智日に注目していた。その中の1人が満面の笑みで智日に駆け寄った。
「やだ!智日!すっごい久し振りじゃない!」
茶色のウェーブヘアを揺らし、大きな瞳をぱちぱちさせながら女は言った。
「…!?あぁ!!今日子ちゃん!?うわぁ〜すっげぇ久し振りじゃん!どうしちゃったの?なんか感じ変わったね?なんか大人っぽくなったよ!」
智日は、フェイクムートンコートを着て網タイツに黒のロングブーツを履いた今日子の姿を嬉しそうに眺めた。
「やだぁ〜!そんなに見ないでよ!もう3年も経ってるんだよ!私だって変わるわよ!それより…智日はますます格好良くなったじゃん!背なんかすっごい伸びたし…最初分かんなかったし…」
後ろで2人の会話を興味津々の様子で聞いていた女達が駆け寄ってきた。
「今日子!誰?この子」
「え?彼ね、智日君。もう18になった?」
今日子の言葉に女達が沸いた。
「若〜い!今年高校卒業?…て、何でこんな可愛い子と知り合いなのよ今日子!」
「何でって…ねぇ〜、色々あんのよね〜智日〜」
「そうそう、色々あんだよね〜」
今日子の甘い言い方に智日は笑顔で答えた。
「ねぇ、智日!今何してんの?」
「今?う〜ん…これからちょっと用事あってさぁ…」
「その用事終わったらさ、私達と飲もうよ!<バルサモ>って店で飲んでるからさ!場所分かる?」
「場所分かんないよ…その店行った事ないし…」
「ホント!?そしたら来る時私の携帯に連絡して!迎えに行くから!私の携帯番号まだ登録してるよね?」
「もちろん!」今日子の言葉に智日は笑顔で頷いた。
「じゃぁ、決まりね!絶対来てよ、智日!あ!智日の携帯番号教えといてよ!」
今日子はそう言いながらバックから自分の携帯を取り出した。
「絶対来るから大丈夫だって!今日子ちゃん!」
「…絶対よ!智日!」
「はい、はい!じゃぁ、またね〜」
智日は今日子達と別れ、高架下の駐車場へと急いだ。