Power Song1
君のために僕は詠う。
Power song 1
真っ白い壁の四角い部屋の中央にスチール製の机と椅子が2つ―――
智日はその冷たい椅子に深く座ったまま、正面に座っている黒装束の男の顔を見つめた。真っ黒なサングラスをかけた男は微かに口を動かした。
『―――名前は?』
『智日…池上…智日…』
『いくつだ?』
『…15歳』
『父親の名前は?知っているか?』
智日はしばらくの間考えた。
『……黒崎…なんとか…』
『では、母親の名前は?』
『池上沙智、ジャズ歌手。…2年前に死んじゃったけどね』
智日の言葉に男は微かに笑った。
『ねぇ!あんたらはあの黒崎と同じ仕事してるんだよね?ライバルなんだよね?』
『…あぁ、そうだ』
『黒崎が死ねば、あんたらも嬉しいよな?』
『もちろん』
智日は興奮のあまり、机の上に身を乗り出した。
『ねぇ!俺をあんたらの仲間に入れてよ!俺、絶対良い仕事するって!』
『…落ち着け、智日。そう簡単に組織に入る事はできない。お前がどんなに黒崎に復讐したくても、それは我々組織には関係の無い事だ』
男の言葉に智日は言いようのない苛立ちを感じた。そんな智日の心境を見透かしたように男は喋り続けた。
『智日、お前には足らない物がある。表向きは天才プログラマー、影では殺人ハッカーとして活躍してきたお前でも組織の人間としてはまだまだ未熟だ。私の言っている事が理解できるな?』
智日は反論の余地なく頷いた。
『俺に足らない物を、あんたらで鍛えてほしいんだ。俺、そのためならどんな事だって耐えるよ。だから…頼むよ…』
智日はうな垂れるように頭を下げた。
『どんな事でも?』
『どんな事でも』智日は顔を上げ、真っ直ぐに男を見た。『黒崎を殺せるなら、どんな事だってやる』
男はしばらくの間、智日を見つめた。そして薄らと笑った。
『良い眼だ。…いいだろう。但し、お前にはある訓練を受けてもらう。組織の人間全員が受けてきた訓練だ。その訓練に耐え、合格出来ればお前は組織の人間になれる』
『本当に!?』
『あぁ、合格出来ればな』
『合格出来なかったら?俺、殺されるの?』
『私は今まで訓練生を始末した事は一度もない。ほとんどが訓練に耐え切れずに死んで逝っただけだ』
男の言葉に智日は小さく頷いた。
『分かった』智日はそう言うと椅子から腰を上げた。『その訓練受けて最短で合格した奴で何年?』
『…6年だ』
『じゃぁ、俺はその半分の3年で合格してみせるよ』
智日は自信に満ちた笑顔で言った。
『頼もしいな。だが、お前がどんなに頑張ってもその人間は超えられない』
『なんで?』
智日は怪訝そうに言った。
『その人間とお前とは格が違うのだ。要するに、スタートラインから違うのだ』
『ふぅ〜ん…そいつ、なんて名前?』
『それは言えない』
『そいつは今組織で活躍してるの?』
男は首を振りながら小さくため息を吐いた。
『わっ分かったよ、もう訊かないから!』智日は慌てて言った。『もうそいつの事は訊かないからさ、これだけ教えてよ』
『…何だ?』
『おじさん、何て名前?』
智日の真剣な眼差しに、男は微かに微笑んだ。
『私は―――大神だ』
浅井薫は52型の液晶画面から映し出されていた映像を食い入るように見つめていた。
「……思い出されましたか?」
大神の言葉に薫はハッとした。
「…えぇ…思い出したわ…駄目ね、私。こんな重要な子忘れてたなんて…」
薫はため息交じりの声で呟くように言った。
「仕方ありません。あの時は海斗様の事がありましたから…」
「そうね…それにしてもこの子、少しだけ曄に似てるわね。…フフ…当たり前か。曄の妹の子供だものね…」
「はい、奥様。…そして黒崎の息子でもあります」
「はぁぁ…黒崎ねぇ〜…その名前聞いただけで鳥肌が立つわ」
薫はそう言うとテーブルの上のシガレットケースに手を伸ばした。ケースからタバコを1本抜き、口にくわえ、銀色のライターで火を点けた。白い煙をゆっくり吐きながら画面の中の“15歳の智日”を見つめた。
「黒崎の行方はまだつかめないの?」
「1年程前にアメリカで見たと言う目撃証言はありましたが…定かではありません」
「ふぅん…アメリカ機密捜査部隊でも捕まえる事ができなかったのね…」
「ですが、その時にかなりの深手を負っているようです。現在では機密捜査部隊は黒崎の死亡を確信しています」
「大神はどう思う?黒崎は死んでると思う?」
「あの男は生きています。そして近いうちに我々に接触してくるでしょう」
薫の言葉に大神は即答した。薫は微かに笑いながらタバコの煙を吸い、もう一度、画面の中の智日を見た。
「――――この子、本当に3年で合格ラインに達したのね?」
「はい。正確には2年9か月です」
「クスクス…母親が死んでからの2年間、黒崎に扱かれただけはあるわね。大神、あなたの評価を聞かせてちょうだい」
薫はそう言いながらタバコを灰皿の中で潰し消し、大神を見た。
「智日の身体能力は同じ訓練生の中でも群を抜いていました。頭脳能力も申し分ありません。特にハッカーとしての才能は神の域です」
「へぇ〜…お前がそんなに褒めるなんて驚いたわ」薫は目を大きくしながら言った。「それで?第二のケイになれそう?」
大神は微かに笑いながら首を横に振った。
「ケイとは比べ物になりません」
「なんだ、やっぱりそうなのね…少しでも期待して損したわ」
大神の言葉に薫は肩をすくめながら言った。
「第二のケイなどこの世に存在しません、奥様」
「分かってるわよ!そんな事!ちょぉっと期待しただけよ」
「…あまり期待されない方がいいかもしれません」
「え?どういう意味?何か問題があるの?」
薫は眉間にしわをよせた。
「智日は…性格に問題があります」
大神は苦笑しながら言った。
「―――――ねぇ、智ちゃん…智ちゃん。起きて…」
女の声に智日は静かに目を開いた。
「ふわぁ〜…今何時?」
「今?…10時15分」
「なんだ…じゃぁまだ寝てる。昼まで寝てるから起こさないでよ」
智日はベージュ色のカーテンから射し込む陽射しを眩しそうに見ながら毛布を頭から被った。女はクスクス笑いながら、全裸の智日を包んでいた毛布を剥ぎ取った。
「寒っ!なんだよ!気が済むまで寝かせてくれるって言ったじゃん!」
「だって、さっきから君の携帯鳴りっ放しよ。いいの?」
「え?」
智日は女から毛布を取り上げ、身体に巻き付け、寝室を出てリビングの革張りのソファの上に脱ぎ散らかした自分のジャケットのポケットから携帯を取り出した。
「やっべぇ…」智日は小さくそう呟いた。
「もう帰っちゃう?」
「うん…ねぇ、俺のパンツどこいった?」
智日は散乱した自分の服を集めながら言った。
「もう洗濯機に入れちゃったわ」
「えぇ〜!マジで!?俺、パンツ穿かないとお腹痛くなっちゃうよ!…そしたら旦那の貸してよ!」
「駄目よ。そうやって君に何回主人の下着あげたと思う?その度に私同じ物買いに行かないといけないのよ。面倒臭いわ。…乾燥になったらすぐだからちょっと待っててよ」
「えぇ!俺ホントに時間ないんだ!頼むよ、玲奈さん!」
玲奈は苦笑しながら首を横に振った。
「本当にすぐだから。とりあえずシャワーでも浴びてきたら?コーヒー淹れてあげるから」
智日がシャワーを浴びている間に、玲奈は智日の下着を洗濯機から取り出した。そして簡単な朝食を手際よく作り、大きめのカップにコーヒーを注いだ。
「パンツ、温かくて気持ちいい〜」
智日は嬉しそうに言いながらジーンズを穿いた。
玲奈はそんな智日を見つめながら微笑んだ。
「……男の子って、本当にすぐ大きくなるわね」
「ん?」
智日はコーヒーを飲みながら玲奈を見た。
「3年も経つものね。仕方無いか…それにしてもそんなに背が高くなるなんて思わなかったわ。何センチ?」
「2年9か月!3年も経ってないだろ〜」
「似たようなものよ。もう智ちゃんには会えないって思ってたのよ。だっていきなり音信不通になるんだもの」
「ごめんって何度も謝ったじゃん!…ちょっと用があって日本にいなかったんだから仕方無いだろ?俺だって玲奈さんの事忘れた事なかったよ。だから真っ先に玲奈さんに会いに来たじゃん!もう許してよ〜」
「そんな事、何人の女に言ってるんだか…」
玲奈の言葉に智日は口を尖らせた。
「ねぇ、身長何センチ?3年前は168センチぐらいだったでしょ?10センチくらい伸びたんじゃない?…あんまり良い身体してるんだもの。私本気で興奮しちゃったわよ」
「何それ?それじゃ前はそんなに興奮してなかったって事?」
「だって3年前は智ちゃんまだ15歳だったじゃない」
「そん時だって玲奈さん結構声上げてたじゃん!」
「その方が良かったでしょ?」
智日は膨れっ面のまま、コーヒーを飲み干した。
その時、智日の携帯が鳴った。
「―――もしもし…」
[ 智日!!!お前、今どこにいるんだ!!]
「すんません!久田さん!…今…ちょっと友達の家に来てて…」
[ 友達の家!?お前何勝手に外出してるんだよ!]
「…ちゃんと大神さんの許可もらってますよ?」
[ だからって当日に一言も言わずに外出する奴があるか!!]
「…だって…」
[ だってもくそもあるか!!奥様がお前をお待ちなんだよ!!いいから早く戻れ!!]
「え!?奥様が!?マジで!?…分かりました!!」
智日は慌てたように携帯を切り、ダウンジャケットを掴んだ。
「ごめん、俺マジでもう行くわ!」智日はそう言いながら玄関へと急いだ。
「今度はいつ会えるのかしら?」
玲奈はシューズの紐を結んでいる智日の背中に抱きつき、呟くように言った。
「今日の夜また来るよ」
「クスクス…今日は駄目。主人が出張から帰ってくるの」
「えぇ〜…旦那、いついなくなる?」
「一週間はこっちにいるみたい…で、次に行く時は私も付いて行く予定よ」
「付いて行くって…アメリカに?」
「えぇ」
智日は自分の背中にしがみ付いている玲奈の手を掴み、覆いかぶさるようにして玲奈の身体を押し倒した。そして玲奈の唇を自分の唇で塞いだ。
「…っちょっと!智ちゃん!苦しい!」
「アメリカなんて行かないでよ。旦那一人で帰らせればいいだろ?」
智日の言葉に玲奈は微笑んだ。
「わがままね。自分は3年も私の事ほったらかしにしたくせに」
「…もうそんな事しないからさ!ね?玲奈さん…」
「駄目。それに2か月後には私一人で帰ってくるから…その時会いましょう」
玲奈はそう言って智日の唇に軽くキスをした。
「早く行きなさい。“奥様”がお待ちなんでしょう?」
ゴォ―という風の音と同時に<タシギビル>の窓ガラスが激しく揺れた。
<タシギビル>の一室では生暖かい血の匂いが充満していた。ケイはもうすでに息絶えた12名の男達を静かに見渡し、自分の足元で悶え苦しむ浅井を見下ろしていた。浅井は最後の力を振り絞り、冷たい瞳で見下ろすケイを見上げた。
『……っ…ケ…イ…』
浅井はそう言いながら大量の血を吐いた。ケイはそんな浅井の姿を無言で見つめた。
『…ケ…イ…お前はやはり…あいつの…子供だったのだ…な…』
ケイは浅井が何を言おうとしているのか理解できなかった。
それ以上、聞いてはいけないような気がした。
浅井の口が動こうとした時――――――――
ハッ! とケイは目を開いた。
慌てて飛び起き、辺りを見渡した。
時刻は午前3時25分。ベッドの横にある机の上にはさっきまで使っていたパソコンとファイルが5冊。そしてアキが運んできた夜食のサンドウィッチが盛ってあった皿とコーヒーカップがあった。
ケイはその見慣れた光景を見ながら大きくため息を吐いた。
駄目だ…1人で寝るとすぐあの時の夢を見る……
ケイはベッドから抜け出し部屋を出て、1階の台所へ行った。
コップにミネラルウォーターを注ぎ、一気に飲み干した。そしてアキの部屋へ向かった。
甘い香りの漂う部屋で、アキは小さく寝息を立てていた。ケイはアキの頬に手を当てたまま、しばらくの間アキを見つめた。
「…う…ん…あれぇ…ケイ君?…どうしたの?」アキは目をこすりながら身体を起こした。「もう仕事終わった?」
「うん。そのまま寝てたんだけど…なんか汗かいちゃって…着替え出してくれない?」
「汗!?本当に?」アキは驚きながらケイの額に手を当てた。「…ケイ君…なんか熱いよ。具合悪い?寒気は?」
「大丈夫。ちょっと嫌な夢見ただけ…」
「そう…待ってて、すぐ準備するから……あっ…お風呂は?入る?」
「シャワーだけ浴びようかな…」
ケイはそう言いながら立ち上がった。
本当に嫌な夢だ…
ケイは熱いシャワーを浴びながら、アキと一緒の時はほとんど見ない“断片的な夢”の事を考えていた。
あの時、浅井は何を言おうとしていたのだろう…
ケイはアキが準備したスウェットに着替え、アキのベッドの中にもぐり込んだ。アキは恥ずかしそうに微笑みながらケイの腕の中に顔を埋めた。
「―――ねぇ、ケイ君…」
「ん?」
「1つ訊いてもいい?」
「何?」ケイはそう言いながらアキの髪を撫でた。
「嫌な夢って…どんな夢?」
アキの言葉にケイは一瞬言葉を詰まらせた。
「い、言いたくないなら言わなくていいのよ!」
ケイの様子にアキは慌てて言った。
「…いや…ごめん…内容はよく憶えてないんだ…嫌な感じの夢だって事は分かるんだけど…」
「そう…ならいいの…」
ケイはアキの額に唇を付けたままアキの身体を抱きしめた。
「…ケ…ケイ君…私ね、朝早いの…」
「分かってるよ。何にもしないから大丈夫だって」
ケイの言葉にアキは小さく笑った。
「何がおかしい?」
「何でもないよ…あ、そうだ!食事会にね、純子さんがウエディングケーキ作ってくれるって!」
「へぇ〜楽しみだね」
「うん!純子さんが作るケーキってすごくキレイなの。食べるのが勿体無いくらい…でも、すごく美味しいのよね〜」
「結局食べるんだろ?」
アキの言葉にケイは思わず笑った。