Power Song22
君のために僕は詠う。
Power Song22
「――――アキ…お願いだから…もう泣かないで…」
僕がどんなに言ってもアキは泣き続けた。瞼を赤く腫らして、苦しそうに泣き続けた。僕はアキの唇を塞いだ。アキの耳たぶを噛み、首筋から鎖骨、乳房、おへそを舐め続けた。それでもアキは泣き続けた。
ブロンズ色のスチールベッドの軋む音とアキの小さな泣き声が、カーテンの隙間から射し込む陽の光りで溢れた部屋中に響いた。
僕もアキも汗だくだった。もう何回もアキを抱いてきたけど…こんなに乱れたアキを見るのは初めてだった。
僕は汗ばんだ手でアキの頬を覆った。火照った頬は本当に温かくて、赤く腫れた瞳からは涙が止め処なく流れ続けていた。
―――愛してる、愛してる、愛してる……
言葉が頭の中を占領して、苦しかった。でも口から吐き出したら止まらなくなりそうで…僕まで泣いてしまいそうで…僕は必死に堪えた。
「……愛してる…」
アキの細い声が、僕の頭の中に響いた。
「…ケイ君…愛してるよ……あなたが…いなかったら…私…生きていけない…ッ…生きていけない…」
アキはさらに泣き続けた。瞼が辛そうに震えていた。僕はアキの腫れた瞳に唇を当て、流れる涙を舐めた。必死に舐めながら…僕も泣いていた。そして、アキの細い身体を抱きしめた。アキの荒い息遣いが僕の耳に触れた。
「…離すもんか…」
僕はアキの身体を抱く腕に力を込めた。
「絶対離すもんか…」
―――アキは僕のモノだ。僕だけのモノだ。
アキの細い手が、僕の汗ばんだ首筋に回された。僕の身体とアキの身体がピッタリと引っ付いて、そのままとろけてしまいそうだった。
「…ケイ…君…」
ベッドの軋む音とアキの細い声を聞きながら―――――
僕達はいつまでも、いつまでも求め続けた。
部屋のドアが叩かれた。
ケイはハッと目を覚まし、慌てて顔を上げた。そばには小さな寝息を立てて眠っているアキがいた。コンコン!コンコン!と、またドアが揺れた。ケイは朦朧とする頭を抱えながら、ベッドの脇に脱ぎ捨てられていた下着を穿いてドアの前に立ち、ドア越しに声を掛けた。ルカの元気な声が、ケイの頭に響いた。
「もうすぐランチだよ?…ゴハンは?マンマ怒ってるよ!」
ルカの言葉に、ケイは慌てて部屋を見渡した。特別な熱気に包まれた部屋の窓のカーテンの隙間から、青空に高々と上った太陽が燦々と降り注いでいた。
「支度してから行くから…オーナーに伝えて…」
ドア越しだったので、ケイにはルカの表情は分からなかったが、ルカは「Ho capito(了解)」と言ってドアの前から立ち去った。
ケイは急いでアキを起こした。死んだように眠っているアキの姿に、ケイは一瞬ドキリとした。
「アキ!アキ!」ケイは少し強めにアキの身体を揺すった。ようやく、アキは腫れた瞳を開いた。
「…う…ん?…」
「寝過ごしちゃったよ!風呂に入ってご飯食べないと、またエレナさんが怒るよ」
「…え?…」
アキは目をこすりながら、ノロノロと身体を起こした。だが、すぐにくたっと倒れ込んだ。
「どうした!?アキ!?」
「…うん…身体に力が入らない…」
ケイはドキッとした。凛を呼んできた方がいいか、一瞬の間必死に考えた。
「…お腹空いて…死にそう…」
アキはポツリと呟いた。ケイは目を丸くしながら、ベッドに横たわったまま恥ずかしそうに苦笑するアキを見つめた。そして大きく息を吐いた。
「…驚いた…」
ケイは両手で顔を覆い、唸るように言った。
「?…そんなに驚かなくても……」
アキは首を傾げた。ケイは困惑気味のアキの身体をシーツごと抱きかかえた。
「わっ!…ケイ君!何すんの!?」
「風呂に入るの!早く着替えてご飯食べないと、アキ死んじゃう!!」
ケイは笑いながら、アキの身体を担いで風呂場へと向かった。
2人はシャワーで汗を流し、服に着替えて急いでホテルのオーナー、エレナの待つリビングへと向かった。
リビングのテーブルには、いつものようにボリューム満点のトスカーナ料理が並べられていた。ケイとアキの姿を見ると、エレナは早く座って食べなさいと急かすように言った。2人は慌てて椅子に座り、並べられた料理に手を伸ばした。アキはホテルの庭で育てられた野菜と自家製チーズとハムがトッピングされたピザを頬張った。
「…もちもちしてて…美味しい…」
もぐもぐと口一杯に頬張るアキを見ながら、ケイは微笑んだ。エレナはそんなアキの様子をまじまじと見つめ、ケイにイタリア語で話しかけた。ケイは笑いながらイタリア語で言葉を返した。もちろん、アキには言葉の意味は分からず、寂しそうに首を傾げた。
「アキ、エレナさんが今日は随分たくさん食べるのねって…」
ケイの言葉に、アキは顔を真っ赤にしてうつむいた。エレナは恥ずかしそうにうつむいてしまったアキになにやら早口で言った。
「…?な、何?」
「たくさん食べてくれた方が嬉しいって。それに、アキは小さいからもっともっと食べなさいって」
エレナは自家栽培の野菜のサラダに自家製のオリーブオイルとチーズをかけた。そして軽く和えてからアキに食べるように勧めた。アキは言われるがまま、サラダを食べた。
「…うん!本当に美味しい!」
アキの顔がパッと輝いたので、エレナは満足げに頷きながら、またキッチンの方へ入って行った。
ケイとアキが食べ続けている時、リビングの横の廊下からルカが顔を出した。
「まだ食べてる…」
ルカはそう言って、リビングの窓際に置かれたソファに腰を下ろした。その時、エレナがドルチェを運んで来た。
「Io mangio anche(僕も食べたい)!!」
ルカは興奮気味に立ち上がった。エレナはそんルカを目で窘めながら、“イチゴのティラミス”をテーブルの中央へ置いた。小皿に取り分け、ケイとアキに手渡した。アキは満腹でもう限界だったが、ケイがドルチェを美味しそうに食べるのを見て、アキも一口口へと運んだ。
「美味しい!!」アキは感嘆の声を上げた。「こんなのお店で出したら絶対イイ……」そこまで言って、アキは慌てて口を閉じた。
気まずそうにうつむいたアキを見ながら、ケイは微笑んだ。
「うん、店に出したらすぐ定番メニューになるよ」
アキは静かにケイを見つめた。ケイは笑いながらドルチェを平らげた。ルカもエレナからやっとドルチェを取り分けてもらい、嬉しそうに頬張った。
「…ルカ…君は、学校は?」
「ガッコウ?…あぁ!学校!」アキの問いかけに、ルカは元気に答えた。「午前中で終り!…ねぇ!今から町案内してあげるよ!」
ルカの言葉に、ケイとアキは顔を見合わせた。
「gelato食べよう!すごく美味しいんだ!」
ルカはそう言ってソファから勢いよく立ち上がり、エレナがいるキッチンへ入って行った。キッチンからエレナとルカの会話が聞えてきた。ケイは漏れ聞えてくる会話を聞きながら、苦笑した。
「…ルカは父親と一緒に隣町のワイナリーまで行かないといけないみたいだよ…今、エレナに怒られてる…」
ケイの言葉を聞いて、アキは心配そうにキッチンの方へ目をやった。その時、廊下からルカの父親が姿を現した。チェックのシャツにブルーのオーバーオール姿のルカの父親、ベルナルドはケイとアキにイタリア語でにこやかに挨拶し、キッチンへと向かった。しばらくしてリビングへ戻ってきたベルナルドは、ケイに話しかけた。
「アキ、ベルナルドさんが町なら明日でも行けるから一緒にワイナリーに行かないかって…すごく景色がキレイなんだって。どうする?」
ケイの言葉を聞いて、アキはベルナルドの後ろでしゅんと落ち込んでいるルカを見た。ルカは寂しそうに「gelato…」と呟いた。
「ルカ君…明日、町を案内してくれない?」
アキの言葉を聞いて、ルカは渋々といった感じで頷いた。
ベルナルドの運転する車は、時々上下に揺れながら、田園地帯を快走した。後部座席にケイとともに乗ったアキは、澄み切った青空の下にどこまでも続くブドウ畑やオリーブ畑に見入っていた。ケイは運転中のベルナルドからワイナリーの説明を聞きながら、流れる景色をぼぅっと眺めているアキを見つめた。アキの細い髪が風でサラサラと流れていた。ケイはそんなアキの髪に自分の手を絡めた。
「!…ん!?何?」
アキは驚いた表情で、振り向いた。ケイは笑いながらアキの頬を軽くつねった。
「ケイサン!アキサン!もうすぐ着くよ!」
助手席に座っていたルカが声を上げた。
ベルナルドの車は、広大な敷地に広がるブドウ畑の片隅に建つ赤いレンガ造りの建物の前で停まった。ルカに促され、ケイとアキは車から降り、赤いレンガ造りのワイナリーを見上げた。
ベルナルドが買い揃えたワインをケイとルカが車に積み込んでいる間、アキはする事が無く、申し訳無さそうな表情で働く男達を見つめた。荷物を積み終え、ベルナルドの勧めで、ケイとアキは自家製チーズやハムをつまみながらワインを試飲した。ワイナリーの経営者の男性とベルナルドは「美味いだろ?最高だろ?」と何度もケイに言って、その度にケイは笑顔で頷いた。アキは少し口に含んだだけで頬を赤めてしまい、みんなに笑われてしまった。
「…だって…私、お酒弱いんだもん…」
そう言って口を尖らせながらチーズを頬張るアキを、ケイは笑いながら見つめた。
地元のワインを堪能した後、ベルナルドは「まだ時間あるからその辺を2人で散策してきたらいい」と、ケイに言った。ルカは自分も行くと言い出したが、ベルナルドに怒られ、またしゅんと落ち込みながら建物の中へ入って行った。ケイはベルナルドに礼を言い、アキの手を引いて、広々としたブドウ畑を散策した。穏やかな陽射しが、2人を燦々と照らした。
「…あぁ…すごいキレイね…」
アキはそう呟きながら、澄み切った青空を仰いだ。心地よい風が2人の頬を撫でるように吹き抜けた。アキは、手を引いて少し前を歩くケイのサラサラと流れる栗色の髪を見つめた。その視線に気付いたのか、ケイは徐に振り返った。
「…もう…体調は大丈夫?ケイ君…」
アキの言葉に、ケイは微笑んだ。
「大丈夫!本当に大丈夫だよ!」
ケイは強い口調で言って、繋いでいたアキの手をギュッと握り締めた。アキはホッとしたように笑いながら、その手を握り返した。ケイはアキの手を引き、アキの身体を引き寄せた。アキは少し驚き、ケイの腕の中で身体を動かしたが、すぐにケイの背中に手を回した。
「……アキ、お願いがあるんだ…」
「…うん?」
アキは静かに、ケイの言葉を待った。そよそよと初夏の風が、ブドウの樹々の枝を優しく揺らした。
「凛が…僕の父親の事…アキに話したいって…アキに、どうしても言いたい事があるんだって……僕と一緒に凛の話聞いてくれる?」
「うん!聞く!」
即答したアキにケイは驚いた。アキの肩を掴み、アキの顔をじっと見つめた。
「そんな、イイ話じゃないよ?本当にいいの?」
「うん!」
「…結構…ショッキングな内容だよ?…僕の事…」
「嫌いになるかもしれない?」アキはそう言って、ケイの頬に手を当てた。ケイは少し表情を硬くしたまま、アキを見つめた。「…嫌いになるワケないじゃない…ケイ君…」
アキは表情を緩ませたケイの頬を軽くつねった。ケイは笑いながら、アキの細い身体を抱きしめた。
「戻ったら…凛のトコに行こう…」
「うん…」アキはケイの首筋に顔を埋め、呟くように言った。
丘の上にひっそりと佇む白い壁の小さな教会の祭壇で、凛は神に祈りを捧げていた。金色の陽射しが壁に並ぶ小さな窓から教会内に降り注ぎ、光の線を描いていた。教会の鐘の音を聞きながら、凛は徐に顔を上げた。その時、教会の扉が微かに開いた。その扉の隙間から漏れる淡い陽射しに溶け込むようにスラリとした人影があった。凛はその気配に気付き、後ろに振り向いた。だが、逆光でその男の顔がすぐに判断出来なかった。その男は小さな顔を傾けながら、静かに凛を見つめていた。
凛はドクドクと高鳴る鼓動を感じながら、ゆっくりと立ち上がった。男は微かに笑みを零し、教会内に足を踏み入れた。歩いてこちらへ向かって来る男の髪がサラサラと揺れた。そして凛は男の澄んだ瞳の中に、吸い込まれそうになった。
「……美…美成里様……」
感動のあまりその場に倒れそうになりながら、凛は呟いた。
「―――何、寝ぼけてんの?」
ケイの声に、凛はハッと我に返った。ケイは苦笑しながら凛の前に立った。
「ケ、ケイ様…」凛の顔が見る見る赤くなった。「…し、失礼しました…あまりにも美成里様に似ていらしたので…つい…」
ケイは微かに笑いながら、扉の方へ目をやった。
「アキ、入っておいでよ」
ケイの言葉に、アキはオドオドと教会内に入ってきた。そして凛にペコリと頭を下げた。
「アキ様…」
何故か申し訳無さそうに苦笑するアキに、凛は思わず笑った。
「凛、アキに話してよ…」
「…え?」ケイの言葉に、凛は驚いた。
「アキに言いたい事あるんだろ?僕も一緒に聞くから…だから話してよ」
凛は胸が熱くなるのを感じながら、目の前に立つアキの顔を見つめた。アキは穏やかに微笑みながら凛を見た。凛はホゥっとため息を吐きながら、小さく頷いた。
「分かりました。…さぁ、こちらへお掛け下さい」
凛に促され、ケイとアキは最前列の木製の長椅子に腰を下ろした。アキはソワソワと落ち着かない様子で、横に座るケイを見た。ケイはにっこりと微笑んで、アキの手を握った。凛はそんな2人の様子を見つめ、優しく微笑んだ。
「さて…何からお話しましょうか…」
凛はそう言って、窓から射し込む陽の光を眺めた。金色の陽の光が空気中の埃に反射してキラキラと輝き、凛は目を細めた。
―――必ず奇蹟は起きるのですよ―――
美成里の母親の言葉の意味が
―――生きろ、凛―――
美成里の言葉の意味が、凛の心に染み渡った。
アキは不安げに凛の顔を見上げていた。凛は込み上げる感情を抑えながらゆっくりと口を開いた。
「美成里様は本当に、本当にお美しいお方でした。そう、今のケイ様のように……ケイ様は、美成里様とよく似ていらっしゃいますよ…」