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Power Song18

君のために僕は詠う。

Power Song18




 日本でも有数の○○脳神経外科・内科病院の受付フロアの片隅で突っ立ったまま、本条は辺りを見渡した。

 受付フロアには患者が溢れていた。設置されていた長椅子では追い付かない様子で、比較的若めの患者は壁に寄り掛かるように立ち、自分の名前が呼ばれるのを待っていた。

「――――本条様、ご案内致しますのでどうぞこちらへ…」

 受付の女が事務的な笑顔で言った。本条はその女の後に付いた。

 女と一緒にエレベーターに乗り込み、女は5階ボタンを押した。エレベーターは滑らかに上昇し、静かに止まった。女は先にエレベーターから降り、厚い鉄のドアを片手で押さえ、本条に降りるよう促した。

 5階フロアは1階のフロアとは正反対で、シンと静まり返っていた。

 通路の片側の壁一面の窓には、朝から激しく降り続く雨の粒が弧を描くように流れていた。窓から下を見下ろすと、病院の第一駐車場から引っ切り無しに車が出入りしているのが分かった。

 女は通路の一番奥の部屋の前で立ち止まり、ドアをノックした。そして静かにドアを開けた。女は軽く頭を下げ、

「院長、本条様をお連れ致しました」

 と言った。

「…どうぞ、入ってちょうだい」

 その言葉に、女はドアの後ろにいた本条に部屋へ入るよう促した。本条はゆっくりと部屋へ足を踏み入れた。

「わざわざ来てもらって、申し訳無かったわ…」

 薫はそう言って微笑んだ。

「いえ、こちらの方こそお忙しいのに時間を作って頂きましてありがとうございます」

 本条もそう言って軽く頭を下げた。

「さぁ、座ってちょうだい」

 薫の言葉に、本条は革張りのソファに腰を下ろした。

 院長室は、ブラウンを基調としたシンプルな内装だった。壁には歴代の院長の肖像画が飾られ、書棚にはびっしりと医学書が並んでいた。隅には観葉植物、窓の前には<院長 浅井薫>と書かれたプラカードが置かれた机と黒革張りのリクライナー。そして部屋の中央には本条が座っている革張りのソファとテーブルが置かれていた。

 コンコン―――とドアが叩かれ、さっきの受付の女がコーヒーを運んで来た。女は慣れた手付きでソファの前のテーブルの上にコーヒーを並べ、事務的に頭を下げて部屋から出て行った。

「…ケイの様子はどう?」

 薫は湯気立つコーヒーをすすりながら訊いた。

「大分落ち着いていますが…相変わらず熱は高いです…」

「…アキちゃんは?…」

 本条は目を伏せたまま、首を振った。

「気丈に振る舞ってはいますけど…あの日から全く眠れていないようで…本当に可哀想で仕方ありません…」

「…そう…」薫は無表情のまま呟くように言った。「…アキちゃんも馬鹿ね…そんなに思い詰める事ないのに…」

 薫の言葉に、本条は顔を歪めた。

「そんなに思い詰める事ない?…本気で言っているのですか?浅井先生…アキちゃんはあなた方とは違うんだ。真面目に懸命に生きている“普通”の人間なんですよ」

 薫は黙ったまま、険しい表情の本条を見つめた。

「私達が“普通”じゃないって言いたいの?」

「あなたは自分達が“普通”だと思っているのですか?」

 2人の間に重い沈黙が落ちた。

 激しさを増した雨風が部屋の窓を微かに揺らした。

 先に言葉を発したのは薫の方だった。「…澄ました顔して言ってくれるわね…」薫はそう言って微笑んだ。「私が言いたいのは智日の事よ。…あれだけ言っておいたのに…智日の奴…こんな大事な時に血迷っちゃって…だからそんな馬鹿刺したぐらいで思い詰める事ないって言ってるのよ」

 薫は語気を強めて言った。

「…智日君は…大丈夫なんですか?」

「智日?大丈夫に決まってるじゃない!アキちゃんみたいに細い腕じゃぁ力一杯刺しても大した怪我にはならないわよ。智日だってそれなりに鍛えているのよ。あんなかすり傷でいちいち入院してたら<仕事>は勤まらないわ。……まぁ、心の傷はどうしようもないけどね」

 薫の物言いに、本条は思わず笑った。

「アキちゃんにそう伝えておきます」

「えぇ…そうしてちょうだい」

 薫は微笑んだ。

「…そろそろ本題に入りましょうか?」

 薫の言葉に、本条は頷いた。「教えて下さい。ケイが何を隠しているのか…」

 薫はテーブルの上のシガレットケースに手を伸ばし、タバコを1本取り出した。「いいかしら?」薫の言葉に、本条は笑顔で頷いた。

「ケイが隠しているのは、自分の父親の事よ」

 薫はそう言ってタバコに火を点け、口にくわえた。そして白い煙を天井に向かって吐いた。

「ケイの父親が負ってきた“運命さだめ”を…特にアキちゃんに知られる事を恐れているのよ」

「…ケイの父親が負ってきた“運命さだめ”?…」

 薫の言葉に、本条は眉をひそめた。

「ケイの父親はあなたが言う“普通”とは遥かに縁遠い男よ」薫は灰皿の中でタバコを潰し消した。「ケイの父親の話の前に、まず母親の話をしましょう…」

 薫はそう言ってソファの背もたれから身体を起こし、白衣の胸ポケットから1枚の写真を取り出した。そしてその写真を本条に手渡した。

「…この人は…」

 本条は薫と一緒に笑いながら写っている女性の顔を凝視した。

 肩まで真っ直ぐ伸びた栗色のストレートヘアが陽射しで柔らかく光り、その女性の肌の白さを強調していた。穏やかな表情から微かに滲み出ている意志の強さを、本条は感じていた。

 昔―――随分昔、この澄んだ瞳を見た事がある。


――――本条は脳裏にかすめた記憶の切れ端を掴み、それをゆっくり引っ張り手繰たぐり寄せるようにして過去をさかのぼった。


 あれは25年程前だっただろうか?…

 本条は高校3年の時に担任の先生の誘いで友人と参加した大学の特別講演会で、その講演会の進行役をしていた若い女性の顔を思い出していた。

 スラリと伸びた手脚。動くたびにさらさらと揺れる柔らかい栗色の髪。そして意志の強そうな真っ直ぐな眼差し。

『―――おい、本条!』

 ボゥっとその女性に見惚れていた本条青年の肩を横に座っていた友人が静かに叩いた。

『…っん!?…何?』

『…あの人…あの司会やってる女の先生…』

 友人のニヤついた表情に、本条青年は内心ハラハラしていた。

≪見惚れてたのバレたかなぁ…≫

 本条青年は気恥ずかしくなり、うつむいた。

『…すっごい美人だなぁ…』

 本条青年は黙ったまま、瞳を輝かせながらマイク片手に壇上の隅で佇んでいる女性を見つめている友人の横顔を見つめていた――――


 そうだ。思い出した。この女性はあの時の助教授だ。


「…彼女がケイの母親、池上曄よ」

 薫の言葉に本条は一気に現実へと連れ戻されたように、目をパチパチと動かした。そしてしばらくの間、写真の中の池上曄を見つめながら言葉を失った。

 そんな本条を見ながら、薫は微笑んだ。

「曄と私は高校の頃からの友人なの」薫はそう言ってソファに身体を沈めた。「彼女にあなたの父親、本条教授のプロジェクトに参加するように誘ったのは私。…本条教授のプロジェクトに曄は絶対欠かせない存在だったの…」

「…何故?…」

「何故?」本条の問いかけに、薫は笑った。「それは曄は“選ばれた人間”だったからよ」

「“選ばれた人間”?」

 本条は怪訝そうな表情で薫を見つめた。

「そう。曄は完璧な人間だったわ。頭脳も容姿も…そんな人間のDMAを受け継ぐ子供がどうしても必要だったの」

「…自分達の“組織”を守るために?」

 本条はそう言って、薫を厳しい目付きで見つめた。薫はクスクスと笑いながら窓の方を向き、降りしきる雨を見つめた。

「…確かに、“組織”のためでもあったわ…でもそれだけじゃない…」薫はゆっくりと本条の方に振り向いた。「曄と一緒に世界を変える子供を育てたかったの。…2人で…同じ<父親>の子供を…」

「そうすればその池上曄という人とずっと一緒にいれると思ったんですか?」

 薫の顔色が一瞬無くなった事に、本条は気付いた。薫の瞳が微かに揺れ、本条は思わず息を呑んだ。

「…そうね…そう思っていたわ」薫はフフっと軽く笑いながら目を細めた。「でも、そう思っていたのは私だけだったのよ…」

「え?」

「曄は計画には無かった“男”の子供を身籠みごもったのよ」

「…それは…一体どういう事ですか?…」

 本条は言いようの無い不安をなんとか呑み込みながら、言った。

「なんて事ないわ。…このプロジェクトに参加する前に休暇で訪れたイタリアの田舎町で知り合った男と寝ちゃったのよ。ただそれだけ…」

 薫はまたシガレットケースに手を伸ばし、タバコを1本取り出し口にくわえた。そのタバコに火を点ける時、薫の細い指が微かに震えている事に、本条は気が付いた。

「…その“男”がケイの父親…」

 本条の言葉に薫は静かに頷いた。

「“男”の名前は恩成坊おんせいぼう14代目総領 美成里」

「…お…恩成坊?…」

「あなたは知らなくて当然よ。だって彼らはその存在を何百年もの間隠し続けながら、日本を闇の中から操っていたプネウマの使い手集団ですもの」

 本条はワケが分からなくなり、顔を歪めた。そんな様子の本条を見ながら、薫は微笑んだ。

「あなた、言霊って信じる?」

「…言霊…?…術のかかった言葉で人間を操る…て、いう…」

「まぁ、そんなものかしらね…<プネウマ>というのは要するに言霊の事なのよ。恩成坊一族は生まれ持った能力を駆使して様々な言葉に術をかけて日本の歴史を動かしてきた…」

「…そんな…馬鹿な…」本条は困惑した表情で薫を見た。

「あなたが信じられないのも無理ないわ。だって彼らの存在はあなた達一般人には全く関係の無い世界で存在していたのだから…でもね、日本の全国民は彼らが創り上げてきた理想郷ユートピアで何百年もの間生き続けてきたのよ」  

 薫はそこまで言うと、タバコの煙をゆっくり吐き出した。

「…正直、私だってどちらかといえば一般人の方に入るのよね。だって彼らの存在なんて全く想像してなかったんだから…」

「浅井先生は…彼らの存在を信じているんですか?」

 本条の言葉に、薫は勢いよく吹き出した。本条は眉間にしわを寄せたまま、薫を見つめた。

「…ごめんなさい…だって…信じるも何も…私の元夫は彼らの分家の人間なのよ。だからそういった能力者の存在自体は何の疑いもないのよ。ただね…私は浅井から本家である恩成坊は全滅したって聞いていたの。あの時のあの男の顔…本当に勝ち誇った、自信に満ち溢れていたわ…クックッ…それがどう?自分が殺したはずの“最後の総領”がちゃっかり残していった“子供”にあっさりられちゃって…本当に馬鹿な男だったわ…クックッ…」

 身体をねじりながら笑い続ける薫を見つめながら、本条は背中から這うような恐怖を感じていた。

 ケイの父親を殺した浅井おとこを……あの日、ケイは殺した。まだ9歳の子供だったケイがかすり傷一つ負わずに…

 本条は意を決し、口を開いた。

「浅井先生、私もその恩成坊一族の存在を信じましょう。…私はケイを長い間見てきました。ケイの潜在能力…これは明らかに普通の人間ではない。…ただ、一つ疑問があります」

「疑問?…」

 薫は自分がタバコを握っている事を忘れたまま、本条の顔を見つめた。短くなったタバコの灰が薫の白衣の上にパラパラと落ちた。薫は慌てる様子も無く、タバコを灰皿の中で潰し、膝の上に落ちた灰を手で払いながら―――目は本条の顔を直視していた。

「本家の総領なら、その“能力”も大変なモノだったでしょう?それなのに何故ケイの父親は…“最後の総領”はあなたの元夫に…分家の一族の中ではずば抜けていたかも知れないが…何故殺されたのでしょうか?そして…何故ケイはそんな“絶対的な立場”にあったあなたの元夫をいとも容易く殺す事が出来たのでしょうか?」

 本条の曇りの無い、真実を知ろうとする眼差しに、薫は思わず感嘆の声を漏らした。

「さすが、本条教授の息子ね」薫はそう言って、表情を引き締めた。「確かに、私の元夫は分家の一族とはいえその“能力”は凄まじいモノだったわ。しかも頭も切れた。だから浅井は思い付いた。本家を潰し、自分が総領になろうと。分家の人間は誰も浅井に逆らえなかった。浅井達は時間をかけて、じわじわと本家の内部から潰していった。そのやり方は実に緻密で…幼稚な罠を仕掛けたの。当時、もうすでに衰え出していた本家の人間達は簡単にその罠にはまってしまった。…でも1人だけ…その浅井達の企みを見破った者がいたの」

「…その人がケイの父親…」

「そう、14代目総領 美成里。…でも彼自身も身体には限界がきていた。だから彼は生き延びるために彼の世話役と2人で完全に滅びた本家の土地を捨てて外の世界へ飛び出した―――」

「待って下さい!先生!」本条は納得いかない様子で、薫の言葉を遮った。「もうすでに衰え出していたって?…14代目総領の身体にも限界がきていたって?それは一体どういう意味ですか?」

「落ち着いて、本条先生。ちゃんと説明するから…」

 薫は顔を青くさせた本条に、諭すように呟いた。本条は大きくため息を吐いて、両手で顔を覆った。

「…すいません…続けて下さい…」

「…恩成坊一族はその“能力”を完全なモノにするために一族間だけで繁栄をし続けたの。つまり、一族間で子孫を作ってきたから血が濃くなり過ぎたのよ。その分、“能力”は完全なモノになっていった。その頂点を極めたのが14代目 美成里。でもその“能力”が強ければ強いほど…生身の身体が追いつかなくなっていった。その結果…」

「<発作>がおきる…」本条は背後から血の気が引いていくのを感じた。

「そう。本家の一族の半分以上はその発作に耐え切れずに死んでいった。そんな状態だったから浅井が仕掛けた幼稚な罠にまんまとはまってしまい、全滅した。だけど、美成里はその罠にははまらず、故郷を捨てて姿を消した。浅井は…そりゃもう血眼で捜していたわ。でも、見つけたからといっても美成里は浅井の勝てる相手ではなかった。それだけ、美成里の“能力”は強過ぎたの。でも時が経つにつれて…さすがの美成里にも限界がきていた…そんな時に…美成里は曄に出会った―――」

 薫はソファから静かに腰を上げ、ゆっくりと窓の方へ歩み寄った。ますます雨足がひどくなり、外からは雨風のピュー!ピュー!という甲高い音が響いていた。薫はカタカタと微かに動く窓ガラスに指をあてた。そして、窓ガラスに映っていた本条の強張った表情を見つめた。

「…浅井先生…まさか…」

 本条の言葉に、薫は振り向いた。そして小さく頷いた。

「ケイが知られたくなかった事―――恩成坊一族はみんな短命なの。そして、ケイの父親、美成里が死んだ時の年齢は…23歳……本条先生、このままではケイは間違いなく死ぬわ」

 本条の膝がガタガタと震え出した。「…な…なんて事だ…」

 薫は真っ青になった本条に近付き、本条の前で膝を付いた。

「…でも、一つだけ…ケイを助ける方法がある」

 薫の言葉に、本条は目を見開いたまま動かなかった。

「―――その鍵は、アキちゃんが握っている」薫はそう言って、穏やかに微笑んだ。「大丈夫、まだ間に合うわ…」


 …まだ間に合うわよね?…曄……













 本条は屋敷の駐車スペースに車を止め、エンジンを切った。仄明るい月の光が車内を照らした。さらに重い静けさが本条の肩に圧し掛かってきた。本条は大きく息を吐き、ハンドルに額を付けたまま、しばらくの間動く事が出来なかった。


―――アキちゃんにどうやって話を切り出そうか…あの子も今は大分参っているはずだ。少しでも動揺させないように……話を進めないといけない。


 本条は顔を歪めたまま、唇を噛んだ。


―――すべてを話すべきか?…いや…それはあまりにも負担が重過ぎる…しかし…


 張り詰めた車内の空気を裂くように、助手席のドアが勢いよく開いた。本条は驚きのあまり、「わぁ!!」と声を上げた。

 ケイは無表情のまま、車に乗り込みドアを閉めた。

 本条は、目の周りを赤くさせたケイの横顔を見つめながら言葉を失った。ケイは微かに乱れた息を整えるように、ゆっくりと息を吐いた。

「……あの女のトコに行って来たんだろ?兄さん…」

 ケイはそう言って、ゆっくりと本条の方を向いた。ケイの顔に白い月明かりが触れていた。本条はケイから放たれる熱気を感じながら、静かに頷いた。

「…あぁ…全部聞いてきたよ」

「で?…どうすんの?アキに話すの?」

 本条は目頭を指で押さえながら、小さく息を吐いた。

「そのつもりだよ…その方がいいと思う…」

「その方がいい!?冗談だろ!?兄さん!」

 ケイの動きに、車体がギッと揺れた。本条は車体の天井を見つめ、息を吐いてからゆっくりとケイを見た。

「あの子なら、きっと受け止められる。俺は信じてる」

「…そんなっ!!…」ケイは顔を歪めたまま、大きく首を振った。「だ、駄目だよ!今のアキは色々と思い詰めてるんだ!僕の身体の事話したらっ…きっとアキは耐えられない!」

 ケイは揺れる瞳のまま、本条の肩を掴んだ。

「兄さん!頼むよ!これ以上アキを…追い詰めないで!…兄さんっ!…」

 ケイは激しく本条の肩を揺さぶった。車体がギッギッと鈍い音を立てながら揺れ始めた。本条は厳しい表情で、ケイの揺れる瞳を見つめた。

「…兄さんっ…」

「ケイ!!」

 本条の怒声に、ケイはハッとした。本条は厳しい表情のままケイの今にも消えてしまいそうなくすんだ瞳の光を見つめた。

「…ケイ、お前は一体何を考えている?…このままではお前は死ぬんだぞ?…アキちゃんを一人置いて…それでも平気なのか?ケイ…」

 本条の言葉に、ケイは静かに本条の肩から手を離した。ケイは表情を消したまま、正面を向き、一点を見つめた。

「…ケイ…一番辛いのはお前だって、よく分かってる。だからこのままじゃいけない。…アキちゃんがどんな思いで智日君を傷付けたか…お前だって分かってる…」

「―――アキも連れて行く」

 ケイの言葉に、本条は眉をひそめた。「…え?」

「僕が死ぬ時は、アキも死ぬ時だ」

「ケ…」

「僕とアキは2人で一つだ。だから何があっても一緒なんだ」

 ケイの言葉に、本条は愕然とした。ケイの表情から赤みが消えた。スゥッと青白くなったケイの顔からは表情が完全に消え失せていた。本条は身体の奥底からひんやりとした冷たい寒気を感じ、息を呑んだ。―――と、同時にムカムカとした怒りが込み上げてきた。

 本条は勢いよく車から降り、助手席へ回りドアを開け、ケイの腕を掴んだ。その腕のか細さに一瞬ギョッとしながらも、ケイの身体を引きずるようにして車から降ろした。

「…っ何だよ!…」

 ケイは強く腕を掴む本条の大きな手を振り放した。

「いい加減にしろ!ケイ!…お前にアキちゃんの人生を決める権利なんてないんだぞ!…あの子が…あんな優しい子がお前のために人を傷付けたんだ!あの子はその事をずっと背負って生きていくんだ!あの子にはそうする事でしか罪を償えないんだよ!お前はもうすでにあの子にそれだけに重荷を背負わせているんだ!それなのに…一緒に死ぬだ!?ケイ、お前の人生の価値観なんてそんなものなのか?お前はお前が望む死に方をするために生まれてきたのか?…それを愛する女にも背負わせて…それでも平気なのか…?…」

 本条はそこまで言って、言葉を詰まらせた。

 ケイは唇を噛みながら、うつむいた。

 ひんやりとした夜風が、2人の頬を撫でた。本条は高ぶった気持ちを落ち着かせるために、真っ黒い夜空を仰いだ。青白い月の光を見つめながらゆっくりと息を吐いた。

「……浅井先生から言われたんだ。まだ間に合うって。アキちゃんが鍵を握ってるって…」

 ケイは無表情のまま、本条を見た。

「あの女の言う事なんか、信じられるか…」

「…いや、これは浅井先生の言葉じゃ…」

 本条がそう言いかけた時、カサッと木の葉が砕けた音がした。ケイと本条はその音の方へ同時に振り向いた。


 青白い月の光を浴びながら、玄関ポーチの一番下の段にアキが立っていた。その表情は、いつも穏やかなアキからは想像出来ないくらいに精悍せいかんだった。

「―――私は信じる」

 アキはそう言って、一歩踏み出した。そして立ち尽くす本条に向かって言った。

「先生、話して下さい。どんな事でも…私に出来る事ならなんだってやります」






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