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Power Song15

君のために僕は詠う。

Power Song15




「―――――ちゃん……智ちゃん…」

 玲奈の声に、智日は重たい瞼をなんとか開いた。部屋の窓から射し込む朝陽に、智日は頭の奥がズキズキと痛むのを感じ、うめいた。

「…今何時?…」

「9時少し過ぎ…」

 玲奈はそう言って、智日の口端の傷に触った。

「イタタっ!…痛いって!」

「大分、顔の腫れ引いたわね」玲奈はクスクス笑いながら言った。「智ちゃんをこんな傷だらけにしたのはどこのどいつ?私がこらしめてあげるわ!」

 玲奈の言葉に、智日は思わず苦笑した。

 玲奈は智日の身体を包み込むように優しく抱きしめた。

 智日は玲奈の腕の中で、小さく息を吐いた。

「…お腹空いた…」

「クスクス…もう朝食の準備出来てるわよ」



 智日は口端の傷をかばいながらコーヒーをすすった。

「……今日も…どこか出掛けるの?玲奈さん…」

「今日?…う〜ん…お友達と会う約束してたけど…どうしようかなぁ…」

「…迷ってるんなら、今日は一日俺と一緒にいようよ!」

 智日の言葉に、玲奈は微笑んだ。

「そうしてもいいけど、もうセックスはしないわよ」

 智日は困惑した表情で、玲奈の顔を見た。「…怒ってる?」

「…あんな乱暴なセックスは嫌いよ。智ちゃん…」

 玲奈はそう言いながら、パンを小さくちぎり、口へと運んだ。

 智日はうつむいたまま、頭を掻いた。

「…ごめん…玲奈さん…」

 うな垂れた智日を見つめながら、玲奈は微笑んだ。

「智ちゃんも、ちゃんと泣けるわよ」

「え?」

 智日は驚いた表情で玲奈を見た。

「誰かのためにそんなにボロボロに傷ついているんですもの…ね?」

 玲奈は微笑みながら、ゆっくりとコーヒーをすすった。













 アキはうつむいたまま、ケイの話を聞いた。

 ケイはアキの顔色をうかがいながら、ゆっくりとした口調で喋り続けた。

「…ケイ君は…そんなに仕事お休みして本当に大丈夫なの?」

「うん、大丈夫。だからアキもしばらくの間店の方は休んで…事態が落ち着くまでずっと一緒にいよう」

 4月の穏やかな風が、開けられた居間の窓から流れ込み、居間のソファに腰を下ろしていたケイとアキの髪を静かに揺らした。

 アキはキラキラと光り揺れる、ケイの栗色の前髪を見つめた。

「…もう、これ以上アキを危険な目に遭わせたくないんだ…だから…アキお願い…」

 ケイの言葉に、アキは頷いた。「うん、分かった」

 ケイはホッと安堵の表情を浮かべ、微笑んだ。「ありがとう、アキ」ケイはそう言ってアキの手を握った。

 アキは細い長いケイの手を見つめた。

「…ケイ君…本当に身体の方は大丈夫なの?」

 アキは揺れる瞳でケイを見た。

「大丈夫だよ。心配し過ぎ!…」

「…でも…顔色あんまり良くないよ…ケイ君…」

 アキはそう言って、ケイの痩せた頬に手を当てた。ケイは自分の頬に当てられたアキの手に自分の手のひらを重ねた。

「ねぇ、アキ…どっか旅行にでも行こうか?」

「へ?」

「1泊2日ぐらいなら近場で良いトコあるよ!うん!行こう、アキ!」

 ケイはそう言って勢いよく立ち上がった。

「え?…ちょっとケイ君!…」

「ネットで調べてみよう!」

 ケイは笑顔で、2階へと上がって行った。

≪…本当に…相変わらず強引だな…≫

 アキは苦笑しながら、そよそよと風が流れ込む居間の窓に目をやった。

 窓から射し込む春の陽射しに目を細めながら―――……アキは智日の事を考えていた。


 アキは智日の傷の心配をしながら、自分の事を見つめていたケイの視線に気付かなかった。











 アキは“Jun−Cafe”の店長である純子に頭を下げた。純子は慌ててアキの肩を抱いた。

「ちょっと!アキちゃん!頭なんか下げないでよ!」

「…本当に…いつもわがまま言ってすいませんでした…私をこの店で働かせていただいた事…本当に感謝しています…」

 アキは揺れる瞳で純子に言った。純子は微笑みながらアキの肩を軽く叩いた。

「…アキちゃん、何があったか知らないけど…落ち着いたらまたうちで働いてよ!ね?」

 純子の言葉に、アキはうつむいたまま黙っていた。

 純子は困惑しながらアキの顔を見つめた。

「―――アキちゃん!ケイ君が来たよ!」

 アキと純子が話をしていた店の奥の休憩室に、理子が顔を覗かせた。

「ケイ君が!?」

「あらあら!…ちょっと話し込み過ぎたかしら…」

 純子は慌てて腰を上げた。


「ごめんなさいね、ケイ君!車の中で待ってたんでしょ?」

 純子は苦笑しながらケイに言った。

「いえ…純子さん、またわがまま言ってすいません…」

 ケイにも頭を下げられ、純子は動揺した。

「いいのよ!もう!2人して謝んないでよ!…ねぇ、アキちゃん!しばらく様子見ましょうよ!落ち着いて、働けるようになったらまた来てちょうだいよ!」

 純子の言葉に、ケイは驚いた表情でアキを見た。

「…はい…ありがとう、純子さん…」

 アキはそう言って、微笑んだ。



「―――純子さんに辞めるって言ったの?アキ?」

 帰りの車の中で、ケイはアキに尋ねた。

「…うん…もう何回も長期の休みもらってるから…私の代わりはたくさんいるから、ちゃんと休まず働ける人採用した方がいいでしょ?…」

 そう言って車窓から外を眺めるアキの姿を、ケイは横目で見た。

「…ごめんね…アキ…僕のせいだね…」

「ケ…」

「僕のせいでアキの人生が狂ってしまったんだよね…」

「ケイ君!何言っているの!?」

 アキの厳しい口調に、ケイは言葉を詰まらせた。

 アキは揺れる瞳でケイの横顔を見つめた。

「…もうそんな事…言わないで、ケイ君。私そんな事思った事なんてないんだから…」

 零れ落ちそうな涙を堪えながら、アキは呟くように言った。

 青白いケイの横顔を見つめながら、アキは募る不安を感じていた。









「―――旅行?あぁ…もちろんいいよ。俺の事は心配しなくていいから楽しんで来なさい」

 本条は夕飯の後に、ケイとアキから1泊2日で旅行へ行きたいと言われ、快く承知した。

「で?いつ行くんだ?」

「うん、明後日」

「明後日!?」ケイの言葉に、本条は面食らった。「随分急だな…」

「平日だから旅館の予約取れたんだ」

 ケイは嬉しそうに言いながら、コーヒーをすすった。

「先生…本当にすいません…。夕飯の支度はしていきますから…」

 アキは申し訳なさそうに言った。

「いや…そこまでしなくていいよ、アキちゃん。2日間ぐらい適当に食べるからゆっくりしておいで」

「そうだよ、アキ。2日間ぐらい放っておいても大丈夫だよ」

 ケイの言葉に、本条は眉をひそめた。「お前が言うなよ」






 2日後の朝――――爽やかな青空の下、本条はアキを乗せたケイの運転する車を見送った後、出掛ける直前にアキが淹れてくれたコーヒーをすすりながら居間のソファで寛いでいた。1人の時は滅多に見ないテレビの電源を入れた。

[ ―――○○ビルの最上階のフロアは3年程前から空いてる状態だったんですね。他の階に入っている企業の職員達が銃声を聞き、警察へ通報したという事なんですよ。え〜…その事についてお伺いしたいと思いますが…○○県警本部元県警部長で現在は△△法人○○会会長の…]

[ ―――いやぁ〜…2月のMグループ会長殺害・爆破事件といい、今回の○○ビル銃撃事件といい…実に不可解な謎が多い…]

[ ―――脇田氏は暴力団とも付き合いがあったようですし…まだこれは推測の段階ですが暴力団同士の抗争に巻き込まれたのではないかと…]

[ ―――ヘリコプターが飛んできたそうじゃないですか!?都心の中心でハリウッド映画の撮影でもあってたんですかね?…え?…いや、いや、これはジョークですけど……]

 リモコンでチャンネルを変えながら、本条は小さくため息を吐いた。

 毎日毎日同じ内容のニュースが特番まで組まれ、放送されていた。

≪…まさか…ケイはこの事件に絡んでないだろうな…≫

 本条は一抹の不安を感じながら、テレビの画面を見つめた。

 その時、玄関のチャイムが鳴った。本条はソファから立ち上がりインターホンのボタンを押した。

「…はい、どちら様ですか?」

[ ……有治君?私だよ、外尾だよ…]

「外尾先生!?」

 本条は慌てて玄関へと向かった。



「―――いやぁ〜…急に来てしまってすまなかったね!…あぁ、有治君!そんな気を遣わなくていいからね!」

 盆にコーヒーカップをのせて運んで来た本条に、外尾は慌てて言った。

「すいません、外尾先生。今日、ケイもアキちゃんも出掛けてるんですよ。コーヒーしか無いんですけど…」

 本条は苦笑しながら、外尾の前にコーヒーを置いた。

「いや、いや、私が連絡も無しに来てしまったのがいけないんだよ。…それより、ケイ君達は何時ぐらいに帰って来るんだい?」

「…えぇっと…2人で知り合いのお宅へ出掛けたので…遅くなると思いますけど…」

「…そうか…」外尾は残念そうに呟いた。

≪…旅行に行ってる…なんて言えないな…≫

 本条はそう考えながら、ボリュームを落としたつけたままのテレビの画面を食い入るように見ている外尾を見た。

「しかし…最近は随分物騒な事件が多くなったねぇ〜…」

 外尾は顔をしかめながら言った。

「そうですね…」

 本条は2杯目のコーヒーをすすりながら答えた。外尾も湯気立つコーヒーを一口飲んだ。

「…実はね、今日は有治君に話があったんだ…」

「僕にですか?」本条は目を丸くした。そして、テレビの電源を切った。「……ケイの事ですか?」

 本条の言葉に外尾は苦笑しながら頷いた。

「実はケイ君、私に辞表を出したんだ」

「辞表!?……長期休みを申請したんじゃないんですか?」

「…とりあえず、落ち着くまで休むように進めたのは私なんだ」

「そ…そうだったんだすか…」

 本条は困惑しながら呟いた。

「有治君、少々お節介かもしれないが…ケイ君はどこか悪いのかね?もし良かったら教えてくれないかい?」

 外尾は眉をひそめながら本条に尋ねた。本条はどう答えたらいいか分からず、言葉を詰まらせた。

 外尾は困惑した表情を浮かべた本条を見て、小さく頷きながら微笑んだ。

「…最近のケイ君は、何ていうか…とても思い詰めた感じだったんだ。もちろん、仕事の方はそつなくこなしていたんだよ。…だが…日に日にやつれていくケイ君を見ているとね、なんだかとても不安になってね…」

 外尾はそう言いながら、カバンから書類を取り出した。

「これは本当は社外持ち出し厳禁なんだが…」外尾は苦笑しながらその書類を本条に手渡した。「今、ケイ君が取り組んでいる新薬の開発研究の資料だよ」

 本条はその書類に目を落とした。

「…抗癌剤?…の資料ですか?」

「そうだよ」外尾はそう言って、居間の窓に目を向けた。春の陽射しが心地よく射し込み、外尾は顔を緩めた。

「…その研究が成功すれば、世界中の何十億もの患者の命が救われるんだ」

 外尾はゆっくりと本条の方へ向き直った。

「もちろん、この研究はケイ君一人で取り組んでいるワケではない。研究所の優秀な研究員達が寝る間を惜しんで頑張っているんだ。そんな中でもケイ君の置かれている立場はケイ君が考えているより遥かに重要なんだ。そのケイ君が研究所を辞めると言い出した。私はこの事を誰にも言えなかった。言えば…大変な騒ぎになる事は目に見えて分かっているんだ。…今現在、休んでいるだけで研究所はパニックに陥っているくらいだからな…」

 外尾は苦笑しながら言った。

「…先生…本当にご迷惑掛けてしまってすいません…」

 本条は顔を歪めたまま、頭を下げた。

「有治君、君を責めに来たんじゃないんだよ。もちろん、ケイ君を責めに来たワケでもない。ただ…私はケイ君の今の正直な気持ちを知りたくてね…もし、どこか体調が悪くて悩んでいるのなら何か力になれる事がないかと考えていたんだ」

 外尾はそこまで話して、冷めたコーヒーをすすった。

「…先生、そこまでケイの事を気にして下さって本当にありがとうございます。……お恥ずかしい話なんですが…正直、ケイが今何を考えているのか僕にも分かりません。ただ、精神的なモノが大きいみたいなんですが…」

「精神的なモノ?…まさかアキちゃんとうまくいってないのかい?」

 外尾は不安そうに言った。

「…いえ…そんな事ありませんよ。それにそれだけで仕事を辞めようと考えたりはしないでしょ?」

「…そうかな…ケイ君なら考えてもおかしくないぞ?」

 外尾の言葉に、本条は思わず吹き出した。








 ケイの運転する車は高速道路を快走し、サービスエリアへ入った。平日という事もあり、サービスエリアには観光客よりトラックの運転手がタバコを吹かしながら休憩している光景が目立っていた。

「ケイ君、飲み物買ってくるよ」

「待って、僕も一緒に行くよ」

 ケイはそう言ってシートベルトを外した。

「いいよ、すぐそこの自販機で買ってくるから。すぐ戻ってくるから待ってて」

 アキは笑顔で車の助手席から降りた。

 ケイはアキの後姿を見つめながら、小さく息を吐いた。


 自動販売機の前には若い男性が数名、何を飲むか迷いながら話をしていた。アキは自動販売機の前で財布を開け、硬貨を取り出し、その男性達が早く何か買ってその場から立ち去るのを待った。

 その時、アキは何気に横へ目をやった。

 アキは販売所の前に立っていた長身の男性の背中を見て、一瞬心臓が止まった。ごくりと息を呑み込んだ。しばらくの間動く事が出来なかった。


――――智日君!!


 アキは思わず駆け出した。

 何人かの人間とぶつかりそうになりながらも、販売所の前に立っている智日の元へ駆け寄り、智日の腕を掴んだ。

「さ…智日君!!」

 智日―――と同じような背格好の男は、アキにいきなり腕を掴まれ驚いた表情で振り向いた。

 男は怪訝そうにアキの事を舐めるように見て、「あ?…何?」と言った。

 アキは一瞬言葉を失った。

「…なぁに?どうしたの?」

 男のすぐ横にいた連れの女が眉間にしわを寄せた。

「…ご…ごめんなさい…人違いでした…」

 半分放心状態に陥ったアキの言葉に、男と女は顔を歪めたまま首を傾げた。

「…おい、行こうぜ…」男の言葉に、2人はその場から立ち去ろうとした。

「…大丈夫?…この人…」

 女の乾いた言葉を背中で聞きながら、アキはすぐに動き出す事が出来なかった。

――――な…なんて馬鹿なんだ…私…

 アキは心の底からそう思いながら苦笑した。

「――――――ねぇ!見て!ほら、あそこの自販機の前にいる人!超かっこよくない!?」

 若い女性店員達の言葉に、アキはハッと我に返った。

 ケイは腕を組んだまま、自動販売機にもたれかかるように立っていた。そして、アキの顔をじっと見つめていた。

 アキは呼吸をするのも忘れ、ケイの揺れる瞳から放たれる鋭い視線に圧倒された。

 ケイは自動販売機からゆっくりと身体を離し、アキの元へと来ようとした。アキは慌ててケイの元へ駆け寄った。

≪…さっきね、すっごい智日君に似てる子がいたの!私思わず声掛けちゃった!馬鹿だよね!恥ずかしかった!!≫

 アキは頭でそう繰り返しながら、笑顔でケイの顔を見た。

「ケ…ケイ君…」

「もう買った?」

「え?」アキの言葉を遮るように言ったケイの言葉に、アキは一瞬言葉を詰まらせた。

「ジンジャーエール、もう買っちゃった?」

「え?…いや…まだ…」

「そう、良かった。…スプライトが飲みたくなったんだ。それ言いに来たの」

「あ…そう…」ケイの言葉にアキは拍子抜けしてしまった。「じゃ…じゃぁ、スプライト買えばいいね?」

「うん」

 ケイはそう言って微笑んだ。


 結局、アキは何も言えなかった。ケイも何も言わなかった。アキは自分の失態をケイは見ていなかったのだと思い、安堵した。

 ケイが運転する車はサービスエリアを出て、再び走り出した。

 アキは時折、ケイの横顔を見た。ケイの端正な横顔を見つめながら、アキは小さく息を吐いた。



 2人が目的地である旅館へ到着したのは午後4時少し前だった。

 ケイがフロントで名前を言うと、男性従業員は「お待ち致しておりました、本条様」と笑顔で対応した。

 チェックインの手続きを済ませた後、年配の男性従業員に連れられ、ケイとアキは旅館のエントランスホールを歩いた。

「―――今は大分花は散ってしまいましたが…葉桜もキレイでいいもんですよ。お客様のお部屋からその葉桜が並ぶ公園がよく見えますよ」

 年配の男性従業員が得意げに語るなか、無言のままのケイの事をアキは気になって仕方無かった。

 男性従業員が案内した部屋は、畳6畳の広さの和室とダブルベッドが中央に置かれた洋室が障子で仕切られた部屋だった。床の間まである和室の中央には長方形の木目調のテーブルが置かれ、20型のアナログテレビが部屋の隅にちょこんとあった。同じ広さの洋室に置かれたダブルベッドのしわ一つ無い白いシーツが壁一面の窓から射し込む陽射しに、白く光っていた。

 アキは和室の窓から外を眺めた。

「わぁ!ケイ君!本当にキレイだよ!来て!来て!」

 はしゃぐアキの言葉にケイは微笑んだ。

「本当…キレイだね」

「隣の部屋からも見えるよね?」

 アキは嬉しそうに洋室の部屋へと行き、窓を開けた。

「ケイ君!こっちの方もキレイ!…ねぇ!まだ夕食まで時間あるよね?今からあの公園まで散歩に行かな…」

 そう言いかけたアキの身体を、ケイは後ろから抱きしめた。

「…ケ…ケイ君?…」

「散歩には行かない」

 ケイはそう言ってアキを抱きしめたまま窓を閉め、カーテンまで閉めた。

 アキはギョッとしてケイの顔を見た。

 ケイはアキの身体をベッドに押し倒した。

「…ちょ…ちょっと…ケイ君…」

 アキは強く打ち出した鼓動を感じながら、ケイの顔を見つめた。

「散歩なら明日行こうよ」

 ケイはそう言いながらアキの首筋に唇を付けた。

「まっ…待って…まだ明るいからっ…」

 焦りながら言うアキの言葉をケイは聞かず、アキが穿いていたスカート中に手を入れた。

「…っい…嫌だって!…」

 アキの言葉に、ケイはゆっくりと身体を起こした。


「―――智日の事は忘れろ」

 ケイ君は冷たい瞳で私を見つめながら呟くように言った。本当に冷たい…悲しい瞳で……

 前にもこんな瞳で見つめられた事を、私は思い出した。

「…私は…智日君の傷の具合が…心配なんだよ…ケイ君…」

「ただのかすり傷だろ?…アキが心配する事じゃない」

「…ケイ君…」

「それに…今頃、別の女のトコで遊んでるよ」

 私はやっと…ケイ君が考えている事を理解した。

 そして、もう何を言っても今は無駄なのだと感じた。

「…そう…」

 私は全身の力が抜け、呟くように答えた。

 私のその言葉に、ケイ君の顔が微かに歪んだ。


 ひんやりとした空気が部屋中に漂い、少しずつ陽が沈んでゆくのを感じた。

 ケイ君の身体がいやに重く感じて、息苦しかった。

 耳元で、ケイ君の荒い息遣いを聞きながら……私は目を閉じていた。ケイ君に涙を見せたくなくて…必死に目を閉じていた。


―――今頃、別の女のトコで遊んでるよ……

 それが何?私には関係ないよ?――――ケイ君にそう言えばよかったのだ。そしたら私はあんなにケイ君を…そして智日君を傷つけずに済んだのだ。

 でもこの時の私には…ケイ君に自分の想いを伝える余裕など無かった。


 だって…ケイ君は私の事を信じてはいなかったのだから……







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