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天使の微笑み2

君のために僕は詠う。

天使の微笑み2




 曄は泊まっているホテルの部屋の窓から、昨日から降り続いている雨を眺めていた。

 凛と口論になった日から2日が経っていた。

 曄は迷っていた。凛からあんな話を聞いてしまい、一体どんな顔で美成里に会えばいいのか?…でも曄は美成里の様子が気になって仕方無かった。

 曄は意を決し、掛けてあったコートを羽織った。



 曄は雨の中、美成里達が泊まっているホテルへと急いだ。

 部屋のドアの前で一呼吸置いて、曄はドアをノックしようとした――――と同時にドアが勢いよく開いた。曄は危うく顔をぶつけそうになった。

「あっ!…Mi scusiごめんなさい!!……曄様!?」

 曄の姿を見て、凛は驚きの声を上げた。そんな凛の頬にはテープが貼られていた。

「…どうしたの?」

 曄は頬を指差しながら訊いた。凛は言いにくそうにうつむいた。

「…ちょっと転んでしまいまして…あの…曄様…この間は…本当に申し訳ありませんでした…」

「…もういいわよ…それより美成里さんの具合はどう?」

「はい…大分落ち着いてきましたが……」

 もぞもぞと言う凛の言葉を聞きながら、曄は部屋を覗いた。

「凛さん、悪いんだけど何か甘いお菓子か何か買ってきてくれない?」

「え?…お菓子ですか?」

「そう、君のおごりでね。さっ早く!」

 曄に急かされて、凛は慌てて部屋を飛び出した。

 曄は部屋に入り、ベッドに腰を下ろし窓の外を眺めている美成里を見た。美成里は曄の気配に気付き、ベッドから立ち上がった。

「…曄さん…」

「…もう大分良いみたいね…」

 そう言いながら曄は笑った。

「…曄さん…凛の言った事は忘れて下さい。お願いします…」

 美成里は曄に頭を下げた。

「…やめてよ、美成里さん。…もう何とも思ってないわ…だからもう凛さんの事、許してあげて」

 そう言いながら曄は美成里のそばへ行き、ベッドの上に腰を下ろした。美成里はそんな曄は静かに見つめた。

「…凛さんは本当に君の事が好きなのね。だってものすごく必死に頼んだのよ、君の事…」

「…生まれた時から一緒だから…もう兄弟みたいなんだ…」

 美成里は苦笑しながら言った。

「…私にも妹がいるのよ。全然似てないの。私と違って歌が上手くてね〜…今はアメリカで歌手やりながら暮らしてるわ」

「へぇ〜…アメリカかぁ…ジャズ?」

 美成里の言葉に曄は頷いた。

「すっごくカッコいいのよ、私の妹…カッコよくって…でも美人で…女らしくて…私とは大違い」

「曄さんは素敵だよ」

 即答した美成里に、曄は恥ずかしそうに微笑んだ。

「美成里さん、私ね、好きな男性としか寝ないの。どんなにハンサムでもどんなに大変な事情があったとしても…それだけは譲れないの」

 美成里は頷いた。

「本当にごめんなさい…」

「君を責めてるんじゃないのよ。ただ…私の考えを聞いてほしかったの。それだけよ」

 そう言うと曄は優しく微笑んだ。そんな曄と見つめ合いながら美成里も微笑んだ。

「…私、来週には日本へ帰ろうと思うの。だからその前に私の泊まってるホテルにも遊びに来てよ」

「え?…」

「…ワインでも飲みましょう!」

 そんな会話をしていると、凛が帰って来た。

「…あの…こんなモノで良かったんですか?」

「どれどれ…」曄は凛が不安そうに差し出した袋の中を覗いた。「お!パンフォルテ!」

「はい…この間のおばさんが美味しいからって…」

「また貰ったの?」

 曄の言葉に、凛は慌てて首を振った。

「これは買いました!」










 美成里は迷っていた。

 曄は3日後にはこの町からいなくなる…もう二度と会う事はない。

 美成里は胸の奥から沸々と湧き上がる感情を抑え切れなくなっていた。


『―――私の泊まってるホテルにも遊びに来てよ』


 曄がどんな覚悟でそう言ったのか、美成里は分かっていた。分かっていたが、そうする事が正しいのか…美成里は困惑していた。






 曄は真っ黒い夜空を部屋の窓から眺めながら、待っていた。

 美成里がここへやって来るのを待っていた。

 コンコン――――と部屋のドアがノックされた。曄は強く打ち出した胸を押さえながらドアを開けた。

 そこには美成里が微笑みながら立っていた。しかし、その微笑みは幾分強張っていた。曄はその事に気付きながらも、いつものような明るい笑顔で美成里を部屋へと招き入れた。

「……そこ座って…何か食べた?まだなら何か食べに行く?」

「いや…いいよ…」

 美成里はそう言いながらベッドの横にあるソファに腰を下ろした。曄は黙ったまま美成里を見つめた。

「…美成里さ…」

「曄さん、もう僕達には関わらない方がいい」

 美成里の言葉を聞いて、曄はしばらく動けなかった。

「…どういう意味?」

 曄は込み上げる感情をなんとか抑えながら訊いた。

「…僕はあなたを抱く事は出来ない…」

 部屋に沈黙の空気が流れた。曄は息が詰まりそうになりながら、うつむいたままの美成里を見つめた。

「…どうして?」

 曄は息を吐くように、呟いた。美成里の澄んだ眼差しが曄の身体を包んだ。

「あなたを抱いても…発作は治まらないんだ…」

 美成里の言葉に曄は小さく頷いた。

「あぁ…私じゃ荷が重いワケね…」

「いや、そうじゃないんだ!ただ…特別な訓練を受けた女でないと…」

 曄は苦笑した。

「…だから私じゃ駄目なんでしょ?…凛さんはそんな事一言も言わなかったのに…まったく…」

「…曄さん…本当にあなたに問題があるんじゃないんだ。…これは僕自身の問題で…」

「…つまり、私の事抱きたくないワケね?」

「いや…そうじゃなくてっ…」

「じゃぁ、何!?」

 少し強めの口調になった曄は、思わず口を閉じた。

「曄さ…」

「ご、ごめんなさい…私どうかしてるわね」

 曄はそう言いながら苦笑した。美成里は黙ったまま曄を見つめた。

「…分かったわ、もうあなた達には関わらないわ」

「曄さん…」

 曄は惨めさで一杯になりながら…今自分が置かれた状況からどうやって抜け出そうか必死に考えた。

「…も、もうこの話は終わりね!凛さんも心配するといけないから早く帰りなさい!」

「曄さん…」

 曄は美成里の腕を掴み、背中を押した。

「さぁ!気を付けて帰るのよ!」

「曄さん!待って!…」

 曄は美成里の言葉を聞かずに、美成里を部屋から追い出した。

「あなた達に会えて本当に良かったわ。元気でね…」

 曄は出来る限りの笑顔で言った。

 美成里の表情が強張っていた。曄はそんな美成里を見て苦笑した。

「何でそんな顔するのよ…せっかくの美人が台無しよ!」

「曄さん…僕は…」

「もうその話は終わりって言ったでしょ!」

 曄はそう言って、微笑んだ。

「…力になれなくてごめんね…私、あなたの事忘れないわ」

 2人はしばらくの間見つめ合った。そして美成里はうつむき、頷いた。曄はそれを確認し、静かにドアを閉めた。






―――――あなたの事忘れないわ


 何故、あんな事言ったのかしら…

 曄はベッドの中で悶々と考えていた。真夜中の無音の空気が部屋中を漂っていた。曄は自分の鼓動さえも感じなかった。

 私って…なんて愚かなの…

 曄は両手で顔を覆い、静かに息を吐いた。生暖かい息が曄の顔に広がった。


 明日…この町を出よう…。

 曄はそう考えながら、うつ伏せになりクッションに顔を埋めた。





 どれぐらいの時が経ったのだろう――――曄はすぐに理解出来なかった。朦朧とする意識の中、真夜中の無音の空気を吸い込みながら身体を起こした。

 ベッドの隅に誰かが座っていた。

 曄の心臓が一瞬止まった。

 真夜中の静寂が微かに動いた。

 部屋の窓ガラスがカタカタと揺れた。

 曄はなんとか息を呑み込み、静かにそれを見つめた。

「……誰?」

 曄は呟くように言った。ベッドがギッ…と軋んだ。

 真っ暗な空間に黄金色の光が2つ浮かんだ。

 曄はハッとして、慌ててスタンドライトを点けた。

「…美成里さん!?」

 オレンジ色のライトの光が美成里の顔を照らした。美成里は金色の眼差しで曄を見つめていた。

「……み、美成里さん…どうして…?」

 曄は動揺を隠し切れず、震える声で言った。

「…ごめん…曄さん…」

 美成里はそう言うと、静かに天井を見つめた。

「…僕はそんなに永くは生きられないんだ…」

 美成里の言葉に、曄は言葉を失った。

「僕の一族はみんな短命なんだ…」

「…短命?…」

「そう…一族間で繁栄し続けてきたから…血が濃いんだ」

「ど…どうして一族間で繁栄してきたの?」

 曄は堪らず訊いた。

「一族の“力”を守るためだよ」

 美成里は静かに曄を見た。

「僕達一族には特殊な“力”があって…代々その“力”を受け継ぐために同じ血の流れた者同士で子供を作ったんだ。…確かに、“力”は正確に受け継がれ一族は繁栄した。でも…正確に受け継がれたはずの“力”がある時期を境に変化し始めたんだ」

「変化…?」

「そう…“力”が強くなり過ぎたんだ。そして僕達の肉体では耐えられなくなってきた。発作もそのせいなんだ」

 美成里はそこまで言うと、小さく息を吐いた。曄は動かず、黙ったまま美成里を見つめた。

「…どうして…どうして君は女断ちをしたの?…」

 曄の言葉に、美成里は黙ったままうつむいた。

「…もう…それでも…治まらなくなったから?…そうなのね?」

 部屋の空気が微かに動いた事に、曄は気付いた。

「君の一族は…今どうしてるの?」

 美成里は小さく首を横に振った。

「みんな…死んだよ…」

 美成里はそう呟いて、静かに息を吐いた。

「…じゃぁ…今は君と凛さんだけなのね…」

「……うん…」

 美成里は力なく答えた。

「…私の事…抱けない理由は…本当に私じゃどうしようもないからなのね…」

 曄は微かに笑いながら呟いた。

「本当に…君には驚かされたな…本当は言っちゃいけない事をわざわざ言いに来てくれたんでしょ?…私が落ち込んでるって心配したんでしょ?」

「…曄さん」

「私なら…大丈夫よ。君より大人なんだからね」 

 曄はそう言いながら微笑んだ。

「それより…君の身体の事なんだけど…」

「…違うんだ。」

 曄の言葉を遮るように、美成里が言った。

「僕の気持を伝えたかったんだ」

「…え?」


「僕は曄さんが好きだよ」


 美成里はそう言うと静かに曄を見つめた。

 オレンジの光が微かに動き、冷たい静寂が揺らいだ。

 曄は息を吐くのを忘れ、美成里の黄金色の瞳を見つめた。

「…あの美術館で会った時からずっと曄さんの事考えていたよ」

「……う…嘘…」

「嘘じゃないよ」

「じゃぁ…なんで私の事抱けないの?…好きなら…抱けるでしょ?」

「…好きなだけじゃ…抱けないよ…」

 美成里は困惑気味に言った。

「どうして?…」

「どうしてって…」

 言葉を詰まらせた美成里を見ながら曄は苦笑した。

「…本当に私の事は心配しなくていいのよ。だからそんな下手な嘘吐かなくても…」

「…女を抱いた事がないんだ…」

「え?」

「僕は好きな女を抱いた事がない。発作を抑えるためにしか女を抱いた事がないんだ。…だから…どうなるか分からない…」

「…分からないって…君、好きな女を抱いたら怪獣にでも変身するの?」

「…怪獣には変身しないと思うけど…」

 美成里の言葉に、曄は思わず吹き出した。

「なんで笑うの?」

 美成里は眉間にしわを寄せた。

「だって…君って顔に似合わず可愛いのね…」

 そう言いながら曄はくすくすと笑った。美成里も笑い出した。

「曄さんに出会えて良かった…」

「え?…」

「あなたの笑顔を見てると、生きていて良かったって…心からそう思えるんだ」

「…そう?」

「うん」

 美成里は優しく微笑んだ。

「…私も…」

 そう言いかけた曄の瞳から涙が一粒流れた。

 曄は堪えようと、唇をぎゅっと閉じ涙を飲み込んだ。それでも涙は曄の頬をぽたぽたと流れ落ちた。

「…ごめんなさい…そんな風に言われた事なかったから…なんか感動しちゃったよ…」

 嬉しそうにハニカミながら曄は言った。

 美成里は曄の瞳から流れる涙に指で触れた。そして曄の頬を手のひらで覆い、涙に唇をつけた。

「…しょっぱい…」

 美成里の言葉に曄は思わず笑った。

「涙には少しだけナトリウムが含まれているの。だからしょっぱいのよ」

「そうか…」

 美成里は静かに――――曄の唇に自分の唇を重ねた。


 2人は時が止まったかのようにそのまま動かなかった。お互いの吐息や体温の温かさを感じながら、強く抱きしめあった。

 まるで、この瞬間を待ち望んでいたかのように―――――2人は激しく求めあった。

「…曄…」

 美成里の囁くような声とベッドの軋む音だけが真夜中の静寂に響いた。

 曄は細い指で美成里の背中に触れた。うっすらと汗ばんだ背中に指を這わせながら―――――このまま…永遠にこのままでいたいと強く望んでいた。



 教会の凛とした鐘の音が、朝の訪れを知らせた。

 曄がこの町に訪れてから初めての青空が広がっていた。曄はベッドの中で空っぽの頭のまま、美成里の細い身体にしがみついていた。

≪…今、何時かしら…?…≫

 曄はそんな事を考えながら美成里の脇下に顔を埋めた。

「…くすぐったいよ…」

 美成里は苦笑しながら言った。

「お腹…空いた…」

「…うん…僕も…」

「今何時?」

「今?…」

 美成里はそう言いながらベッドの下に落ちた自分の服を掴み、シャツのポケットから懐中時計を引っ張り出した。

「…6時…10分」

 美成里の言葉に曄はもそもそと身体を起こし、美成里の手の中にあった銀の懐中時計を見つめた。

「これ…すごくキレイな時計ね」

「一族に代々伝わるモノなんだ」

 美成里はそう言うとその時計を曄の首に掛けた。

「曄にあげるよ」

「え?…え!?い、いいわよ!そんな大事なモノ!」

 曄は慌てて時計を首から外そうとした。美成里は曄の手を掴んだ。

「大事なモノだから曄に持っていてほしいんだ」

 美成里はそう言いながら曄の身体を抱きしめた。

「…本当に?貰っていいの?」

「うん。ただ…誰にも見せたりしないで。曄だけが持っていて…」

 曄は小さく頷いた。美成里は優しく微笑み、曄の胸元で光る時計にキスをしてそのまま曄の唇にもキスをした。

「え?…今何をしたの?」

「おまじない」

「おまじない?」

「そう…曄が幸せでいれるように、この時計にお願いしたんだ」

 曄は黙って美成里を見つめた。

「この時計はそんな力があるの?」

 真剣な面持ちで言う曄を見て、美成里はくすくすと笑い出した。




 2人は身支度を済ませ、ホテルの横にある小さなカフェ・バールへ入った。早朝という事もあり、店員が眠たそうな顔でテーブルを動かしていた。

 いいかしら? と言う曄の言葉に店員は苦笑しながら頷いた。

 2人はブリオッシュとカプチーノを注文した。曄は店内の黄ばんだ壁に所狭しに掛けてある絵画を眺めた。しばらくして店員がブリオッシュとカプチーノを運んできた。

「…凛さんは毎朝教会に行っているの?」

「うん」

「…君は行かなくていいの?」

「だって、お腹が空いて死にそうなんだ」

 そう言いながらブリオッシュにかぶりついた美成里を見ながら曄は思わず笑った。

「…ねぇ、美成里さん…」

「うん?」

「君の身体の事なんだけど…」

「うん…」

「私の友人に遺伝子学や細胞学に詳しい先生と親しくしてる子がいるの。私はその先生とは面識ないんだけど…その子に頼めば直接その先生に相談できるかもしれないわ。だから…一緒に日本へ帰らない?」

 訴えるような眼で言う曄を見ながら、美成里はカプチーノをすすった。

「…一緒には帰れないよ」

 美成里はそう言いながら静かにカップを置いた。

「でも…いつか必ず曄に会いに来るから…だからそれまで待っていてくれないか?」

 曄は黙ったまま、美成里を見つめた。そして笑顔で頷き、財布から自分の名刺を抜き出した。その名刺の裏に電話番号を書いて、美成里に差し出した。

「日本に戻ったら必ず連絡ちょうだいね。約束よ」

「うん、分かった」

 美成里は微笑みながら名刺を受取った。

「曄はここで働いてるんだ…」

「そうよ。…あ、でもいきなり大学には来ないでね」

「どうして?」

「だって君、目立つもん」

 曄の言葉に美成里は笑い出した。






 2人はカフェ・バールを出て、気持ちの良い青空を仰ぎながら町の中心部に建つ市庁舎の前を通り、入り組んだ石畳の小道を歩き、幅の狭い階段を何度か上り下りし、凛がいる教会へ向かった。

 白いレンガの壁の小さい教会の入り口から信者達と共に外へ出た凛は美成里と曄が肩を並べて歩いて来るのに気付いた。

「…美成里様!?曄様!?」

 凛は満面の笑みを浮かべながら2人に駆け寄った。

「どうしたんですか!?お二人揃って!」

「私達もお祈りしようと思ってね。入れるかしら?」

「えぇ、大丈夫ですよ!一緒に行きましょう!」

 凛はそう言いながら2人の前を歩き出した。



「―――美成里様、今晩も曄様の所へ行かれますか?」

 祈りを捧げている曄の後ろ姿を見つめていた美成里に、凛が嬉しそうに訊いた。

「…凛、少し声が大きいぞ」

「あ、…すいません…つい嬉しくて…」

 凛はそう言いながら舌を出した。そんな凛を見ながら美成里は微笑んだ。

「凛、お前に頼みがあるんだ」

「はい?」

「…明後日、朝一で曄をフィレンツェまで送って行ってくれ」

 美成里の言葉に凛は言葉を失った。

「奴らがもうすぐこの町へ来る…だから奴らに見つからないように曄を守ってくれ」

「み、美成里様!美成里様はどうされるんですか!?」

 凛の荒れた声に曄が振り向いた。美成里は軽く手を上げ、何でもないと呟いた。曄は安心したように前を向き直した。

「―――落ち着け、凛」

 目に涙を浮かべながら震える凛に美成里は言った。

「もうここで終わりにしないといけない。それが僕の使命なんだ」

 美成里はそう言うと穏やかに微笑んだ。

 凛は揺れる眼で美成里を見つめていた。








「――――そしたら、凛さんは君の従兄弟になるわけね?」

 凛の祖父が美成里の祖父と兄弟で、凛の祖父は一族とは関係の無い女性と結婚して子供を産み、その子(息子)がまた一族とは関係の無い人間と結婚して産まれたのが凛だと聞いて、曄は納得したように頷いた。

「要するに、凛さんの“血”は君よりずっと薄いからその“力”が弱くて発作も起きないのね?」

 美成里は微笑みながら頷いた。

「なるほどね…」と呟きながら、曄は美成里の身体に抱きついたまま美成里の乳房に唇を付けた。

「…もう1つ、訊いてもいい?」

「何でしょう?」

 美成里は曄の髪をいじりながら言った。

「君の名前…その名前にも何か意味があるの?」

 美成里は驚いたように曄を見つめた。

「ご、ごめん!私余計な事訊いたみたいね…」

「いや…そうじゃなくて…曄って本当に頭が良いんだなぁ〜って思ったんだ」

「…一応こう見えても大学で助教授やってるんですけど…」

 曄は怪訝そうに言った。

「もしかして…名前とかも受け継いでるワケ?」

「ご名答。…一族には7つの名前があってその名前も総領として順番に受け継ぐんだよ」

「総領…どうりで凛さんが君の事“様”なんか付けて呼ぶワケね…ちなみに君のお父さんの名前は?」

清稜せいりょう。祖父は常陸ひたち

「君の次は?…君の子供…」

けい…」

「…慧…素敵な名前ね」

 曄はそう言いながらため息を漏らした。

「…ねぇ、なんだか僕ばかり話してるよね?曄の事も聞かせてよ」

 美成里はそう言いながら曄を抱きしめた。

「私の話ね…君みたいに神秘的でもないし、刺激的でもないわよ」

「それでもいいから聞かせてよ」

 美成里はくすくす笑いながら言った。

 曄はしばらく考えるように黙った。

「…この事は本当は誰にも言っちゃいけないんだけど…君にだけ特別に教えてあげる」

「うん、話して」

「絶対!誰にも言っちゃダメよ!」

「うん、分かった」

 曄は身体を起こし、美成里と向き合った。

「……私、日本へ戻ったら子供を産む予定なの」

 美成里の顔から笑みが消えた。

「別に結婚するわけじゃないのよ。プロジェクトのメンバーになってるの。だから子供を産むの」

 美成里の反応を見て、曄は慌てて言い直した。

「プロジェクト?…」

「そう…完璧な<子供>を誕生させるためのプロジェクト。世界中の天才達の精子と卵子で完璧な<子供>を誕生させて、世界で活躍できる人間に育てるの」

 美成里は曄の話を静かに聞いていた。

「…もちろん、誰が参加するかなんて誰も知らないの。だから精子提供者なんて分からないの」

「…どうやって妊娠するの?」

「人口受精よ。そんな…初対面の男といきなりセックスなんて出来ないわよ」

 曄の言葉に美成里は複雑な顔をした。

「君は別よ…前にも言ったけど、私好きな男じゃないと寝ないのよ」

「…良かった」

 曄は美成里の唇にキスをした。

「最初友人にメンバーにって頼まれた時は正直断るつもりだったんだけど…このプロジェクトの指揮を執るのが昼間話した遺伝子学の権威の教授って聞いて考えが変わったの。一度も話した事なんてないんだけどね、私その教授の著作本全部読んでたの。この教授のプロジェクトなら参加したいって思ったのよ」

「その教授の事が好きなんだね?」

「えぇ…とても尊敬してるわ」

 曄は穏やかに微笑んだ。

「とても刺激的な話だね」

「そう?」

「うん…でも少し寂しい…」

「え?」

 曄は美成里の顔を見つめた。

「だって、曄は僕以外の男の子供を産むんだから…」

 2人の間に沈黙の空気が流れた。

「…え?…そんな…どうしよう…」

 動揺し出した曄を見て、美成里は苦笑した。

「ごめん、せっかく曄が決めた事なのに…僕の言った事なんて気にしないで」

 美成里はそう言うと、曄の身体を引きよせ、強く抱きしめた。

「…やめてもいいのよ?」

「やめなくていいよ。…本当にごめん…」







 次の日も美成里と曄は同じ時間を過ごした。

 昨日行ったカフェ・バールで朝食を食べ、教会へ行った後、のどかな中世の雰囲気漂う街を散策した。凛と3人でレストランで夕食を済ませ、閉店時間まで語り合った。

 そして夜はまた激しく抱き合った。

「本当に私に会いに来てね…待ってるから…」

 曄は震える声で呟いた。

「必ず行くから…」

 そう言いながら美成里は曄の身体に沈んだ。

 美成里の吐息を肌で感じながら、曄は口の先まで出かかった言葉を必死に飲み込んでいた。





 2人でたくさん話をした時、激しく愛し合った時、そして寂れた駅で別れた時―――― どうして美成里に言えなかったのか……私は後になってとても後悔した。後悔してもし切れないくらいに……‥
















「――――曄様?」凛が不安げに曄の顔を覗いた。「具合でも悪いですか?」

「…いいえ、大丈夫よ」

 曄は優しく微笑んだ。

 2人は町の駅で美成里と別れ、フィレンツェ行きの列車に乗っていた。陽が昇り始めたばかりの空の下に田園風景が広がっていた。

 凛は今にも零れそうな涙を必死に堪えながら、窓から外を眺める曄の横顔を見つめていた。






―――――美成里…私は…









「―――美成里様、随分捜しましたよ」

 黒装束の男が薄らと笑いながら言った。男の仲間、数人は美成里を囲むように並んでいた。

 美成里は崖の上から、果てしなく広がった渓谷を眺めた。

「何故、町の人間の記憶を消したのですか?」

「…だってお前達は僕を殺しに来たんだろ?」

 美成里の言葉に黒装束の男は頷いた。

「ご理解頂き、感謝します。美成里様…」

 男達は一斉に拳銃を構えた。

「悪いけど、僕一人じゃ死にたくないな…」

 黒装束の男の顔から表情が消えた。

 美成里は穏やかに微笑んだ。

「浅井、お前も僕と一緒に死ぬんだ」

「……美成里様、冗談を言っている場合ではありませんよ」

「冗談じゃない」

 美成里の眼が黄金色に輝き出した。

「僕は本気だ」


 ゴゴゴゴゴッ――――― と地響きが鳴り、男達の足元が小刻みに揺れ出した。辺りに漂っていた雨雲がゆっくり動き出し、美成里や男達の頭上に固まった。

「…!!?」

 黒装束の男が美成里を凝視した。

 美成里の全身から金色のオーラが放たれ、男達の眼を激しく突き刺した。

≪ば…馬鹿な…!!≫

 黒装束の男のこめかみから汗が流れた。

「来い、浅井。これで最後だ」












―――――曄…曄…もっと早くあなたに出会えていれば…僕の運命は…もしかしたら…

 もしかしたら変えられたかもしれないよ…

 曄…もう一度、あなたの顔を見たい…あなたに触れていたい…











「…っ…み…っ美成里様!!!」

 美成里は薄らと眼を開けた。

 凛が泣きじゃくりながら美成里の身体を抱えていた。

「…凛…」

 美成里はかすむ眼で凛を見た。

「…曄と一緒に日本へ戻れと言ったのに…」

 美成里の言葉に凛は必死に首を横に振った。

「……曄は…大丈夫だったか?…」

「…っ…はい…美成里様ぁ…」

 嗚咽に似た声を上げながら凛は泣き崩れた。

「…凛…泣くな…」


 美成里を抱えた凛の周りには、黒装束の男達が大量の血を流しながら息絶えていた。

 大きく陥没した地面が闘いの激しさを物語っていた。

「…浅井が…浅井だけが逃げた。…あの傷じゃすぐには動けない…だろう…だから…凛…お前は…お前の事を知らない処へ行くんだ…生きるんだ…凛…」

 ゴフッ…と美成里は口から血を吐いた。

「あぁ…っ…美成里様!!…」

 美成里は微かな光を放つ瞳で一点を見つめた。

「……う…」

 凛は泣きながら美成里を見つめた。

「…よ…う…」

 美成里の瞳から涙が流れ落ちた。

「美成里様!!」





    曄―――――……‥









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