Power Song13
君のために僕は詠う。
Power Song13
<HMG>のトップ、キース・グリーソンは眉間にしわを寄せ、顎ひげを撫でながら、黒崎から渡された“資料”に目を通していた。
そんなグリーソンを見つめながら、黒崎はタバコに火を点け、白い煙を静かに吐いた。
「―――本当にこのガキがあの<ケイ・ホンジョウ>なのか?」
グリーソンの言葉に、黒崎は笑顔で頷いた。
「信じられないな…こんな貧弱なガキにあの<アサイ>が殺られたなんて…」
「俺も最初は信じられなかったさ。正直、今も半信半疑だよ」
黒崎はそう言いながら、ソファに深く腰掛けた姿勢で組んでいた長い脚を組み直した。
「それでもお前はこのガキを始末したいんだな?」
黒崎はクックッと笑いながら、小さく頷いた。「直感とでも言うべきか…<ケイ・ホンジョウ>を生かしておけば、後で後悔する事になると思うんだよ」
「直感ねぇ〜…」グリーソンは笑いながら、顎ひげを撫で続けた。「…まぁ、お前の直感はよく当たる。我々はお前の直感を信じよう」
グリーソンの言葉に、黒崎は微笑んだ。「ありがとう」
「しかし…やはり、あの<アサイ>を殺った男だ。用心に越した事はないな。予定通り、女を餌に誘き出すか?」
「そうだな。ただ、女には俺の息子が付いている。大した息子ではないが…これも用心に越した事はない」
「いや、お前の息子だ。細心の注意を払うとしよう」
グリーソンは部屋の隅に控えていた自分の部下に合図した。その部下は素早く動き、グリーソンの前に膝を着いた。
「マイク、女を捕まえて来い。そしてここへ連れて来い」
「承知しました」
マイクは深々と頭を下げた。
「決して、手荒なマネはするなよ」
黒崎の言葉にマイクは無表情で頷き、部屋を後にした。
「あんたが俺達の味方で本当に心強いよ、グリーソン」
黒崎は笑いながらタバコの煙を吐いた。
「クロサキ、私はお前だから協力するのだ。それに…<アサイ>の組織には前々から興味があった。その組織が手に入るのならば、我々は最善を尽くそう」
グリーソンはそう言って、微かに笑った。
黒崎はタバコを潰し消し、ゆっくりと立ち上がった。そして部屋の窓からくすんだ灰色の空を仰いだ。
「現在の<アサイ>の組織のトップ、<オオガミ>は身体にガタがきている。<アサイ>の元妻は…所詮、ただの女だ。<アサイ>が生きていた頃と比べると、あの組織は今まさに風前の灯…」
黒崎の言葉に、グリーソンは静かに頷いた。
「潰すなら、今が絶好のチャンス」
「今しかない」
―――薫…これでお前の時代は終わった。お前はようやくただの女になるのだ…
黒崎は薄らと笑った。
研究所の喫煙室で、男性職員達がタバコを吸いながらケイの話題で盛り上がっていた。
「知ってたか?本条の奴、今度の外尾先生の講演会のアシスタント、断ってたらしいぜ!」
「あぁ!?本当かよ!それ?」
「まったく…イイご身分だよなぁ〜…他の研究員達は外尾先生のアシスタントに選ばれたくて懸命に働いてるっていうのに…」
男性職員はタバコの煙を吐きながら、紙コップのコーヒーをすすった。
「でもさ、本条の代わり見付からなくて結局は行くらしいけど…」
「まぁな〜…本条の代わりなんて務まる奴、この会社にはいないもんなぁ…」
違う男性職員は苦笑しながら、タバコを潰し消した。
「研究所の女の子の話だと、本条、えらく顔色悪いんだってよ」
「何?病気なのか?…あいつ結婚したばっかだろ?」
「その結婚が問題なんだって…経理課の女の子達が言ってたぞ」
「経理課かよ〜」男性職員はうんざり顔で呟いた。「あいつらそんな事ばっかり言ってるじゃん!先月の本条の誕生日にみんなでプレゼント渡したんだろ?…まったく信じらんね〜よな…仕事しろ!って感じだよ…」
「経理課だけじゃなくて総務課の女の子達も騒いでたもんな…」
「なんだよな!何であんな無愛想な男がモテるワケ!?」
男性職員達の間に沈黙の空気が流れた。
「…バレンタインのチョコの数…あれはすごかったよな…」
「去年もそうだったじゃないか?…」
沈黙…。
「…もう…本条の話はやめようぜ…」
「そうだよ…なんだか惨めな気分になるし…」
「何言ってんだよ!加藤!なんで俺達が惨めになるんだよ!」
男性職員の一人が憤慨した。
「だってなぁ…なぁ?」
「…なんだよ…俺は本条の事なんかどうでもいいよ…」
男達はうつむいたまま、自分達の履いている革靴を見つめた。
「…あの顔でなんでもそつなく出来る奴って…いいよな…」
加藤の言葉に他の男達はため息を漏らした。
「―――はい、これ。講演会の資料…まとめといてね」
女性研究員はケイの前に分厚い資料を差し出した。
「…はい…」
ケイは無表情のままその資料を受け取った。
女性研究員はため息を吐きながら、ケイのデスクの横に置いてあった丸椅子に腰を下ろした。
「本条君!なんて顔してるの!?君、自分の立場分かってるの!?」
「…はい。」ケイはうざそうに答えた。
「ちょっと!ちょっと!しっかりしてよ!外尾先生に迷惑かけちゃ駄目だからね!分かってる!?」
「分かってますって…」
ケイは女性研究員の口調に耐えられなくなり、腰を上げた。
女性研究員は眉間にしわを寄せたまま、研究室から出て行くケイの後姿を見つめた。
ケイはそのまま資料室へ行き、埃っぽい空気が充満する部屋の隅に腰を下ろした。そして、手に握っていた講演会の資料をパラパラとめくりながら、小さく息を吐いた。
午後3時を知らせるサイレンが、所内に響いた。ケイは白衣のポケットから携帯を取り出し、ボタンを押した。
―――アキ、今店を出たか…
ケイはアキの現在地を確認してからアキの携帯に掛けた。
[ ―――もしもし?ケイ君?]
アキの元気な声に、ケイは顔を緩ませた。
「アキ…仕事終わった?」
[ うん…今ちょうど店を出たとこ…ケイ君は今休憩中?]
「うん。アキ、お願いだから…なるべく真っ直ぐ帰るんだよ」
[ うん。分かってる…ケイ君…具合はどう?]
「…大丈夫。今日も早く帰るから…」
[ 分かった。お仕事頑張ってね!]
「…うん」
ケイはそう言って、携帯を切った。
両手で顔を覆い、大きく息を吐いた。
「―――とても、大丈夫そうには見えないな…」
大神の言葉に、ケイは顔を上げた。
大神は微かに笑いながら、壁にもたれ座っていたケイを見下ろした。
「智日が夫人のすぐ近くにいる。お前の指示通り久田も付けてある」
「うん…」ケイは小さく頷いた。
大神は青白い、やつれた様子のケイの顔を見つめた。
「…昨日の晩、智日がお前の父親の報告を奥様にした」
乾いた部屋の空気が微かに動いた事に、大神は気付いた。
「そう…」ケイは呟いた。「あの女、驚いてただろう?」
「あぁ…ひどく動揺されていた」
大神の言葉に、ケイは苦笑した。
「ケイ…このままでいいのか?」
ケイは黙ったまま、大神の顔を見た。
「このままで、お前が望む“普通の生き方”が出来ると思うのか?」
ケイは何も言わず、うつむいた。
大神はそんなケイを見つめながら小さく息を吐いた。
「…もう一度、考え直した方がいい。お前のためにも…夫人のためにも…」
「……分かったよ…」ケイは小さく頷いた。
「ただ…私にもお前にも…あまり時間が無い事だけは忘れるな、ケイ…」
ケイは心の奥底から湧き上がる嫌悪感を感じた。空気中の埃が、自分の周りにだけに漂っているのではないかと錯覚するくらい、息苦しさを感じた。
大神はその場から立ち去った後、ケイはそのまま動けず、うずくまった。
「……アキ…」
ケイはかすれる声で、そう呟いていた。
僕にこんな運命を背負わせた“父親”という男の事なんかどうでもいい。
過酷な運命を背負うと分かっていて僕を産んだ“母親”という女の事もどうでもいい。
……僕には…アキだけがいればいいんだ……
「――――ケイ君、ハンカチ持った?」
アキは、玄関の上がり口で靴紐を結んでいたケイに訊いた。
「うん」
ケイはそう言ってゆっくりと立ち上がった。
「…あんまり具合悪い時は外尾先生にちゃんと言うんだよ、ケイ君…」
ケイは心配げに言うアキの頬に手を当てた。「子供じゃないんだから、大丈夫だよ」ケイはそう言ってアキの頬を軽くつねった。
「気を付けてね!」
「うん!いってきます!」
アキは門の所まで出て行き、ケイの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
そんなアキの姿を、智日は静かに見つめていた。
その日、アキはケイに言われた通り仕事を休み、黙々と家事をこなした。
洗濯物を干すため2階のベランダに上がったアキは、心地よい暖かい空気が流れる春空を仰いだ。そして大きく息を吸い込み、勢いよく吐き出した。
≪…あぁ!すっごい良い天気!!≫
アキは鼻歌を歌いながら、洗濯物をせっせと干し始めた。
智日はそんなアキの姿に思わず吹き出しそうになった。
午前10時過ぎに、アキの携帯が鳴った。
「もしもし?ケイ君?」
[ 今大阪に着いたよ。そっちは変わりない?]
ケイの言葉に、アキは笑い出した。
[ …何?どうした?]
「だって…なんだかケイ君、すごく遠くに行ってるように話すんだもん…」
アキの言葉に、ケイは苦笑した。
[ さっき外尾先生に訊いたら、今日の講演会そんなに遅くはならないんだって]
「そう!良かった!…体調は大丈夫?ケイ君…」
[ うん!大丈夫!…]
そう言いかけて、ケイの声が途切れた。ガヤガヤという雑音がアキの耳元に響いた。
「ケイ君?…」
[ アキ、もう行かないと…また連絡するから…]
アキは切れた携帯を握り締めたまま、しばらくの間その場に立ち尽くした。そして気を取り直すように、掃除機のコードを勢いよく引き出した。
「―――何事も無いみたいだな…」
屋敷の門の近くに横付けした車の中で、久田は智日に言った。
だが、智日は表情を強張らせたまま黙っていた。
「智日?…どうした?」
≪…何だろう…この胸騒ぎ…≫
智日は息苦しさを感じ、思わず自分の胸を押さえた。
その時だった。
キンッ!! という細い音と共に、智日達が乗っていた車のフロントガラスがバァンッ! と、勢いよく砕けた。
智日は慌てて車から降り、屋敷に駆け込んだ。
「アキさん!アキさん!!」
智日は必死に叫んだ。しかし、アキの返事はなかった。
「智日ぁ!!やられた!!奴らに連れて行かれた!!」
≪…なっ!!…≫ 智日は外へ駆け出し、もの凄いスピードで走り去る車の後姿を見た。
≪…しまった!!≫
智日は今にも止まりそうな心臓を押さえながら、車に乗り込みアクセルを踏み込んだ。
外尾謙三郎の講演会は、順調に進んでいった。ケイはいつものように和やかに喋り続ける外尾の様子をステージ横で見守りながら、腕時計に目を落とした。
その時――――ケイはアキを感じた。
「…今日の先生の講演…いつにも増して素晴らしいねぇ〜…ねぇ?」
会場のスタッフ達が一斉にケイに注目した。
「おい!!君!!」
ケイはスタッフの声など聞かず、ものすごい勢いで会場から出て行った。
外尾は驚きのあまり、一瞬言葉を詰まらせた。
「…せっ…先生!先生!」
スタッフが小声で外尾に呼び掛けた。外尾はハッとして場内を見渡した。
「…え〜…それでは…次に……」
外尾は一瞬震えた自分の声を落ち着かせるために、卓上に置かれたグラスの水を一口飲み、ゆっくりとスピーチを続けた。
智日が運転する車は、凄いスピードで前方を走る車を追った。智日は少しずつ離され始めた距離にイラつきながら叫んだ。
「後ろのパソコン取って!!」
「え!?」智日の言葉に、久田は慌てて後部座席からパソコンを取った。
久田が横からハンドルを握り、智日は座席を倒し、運転席から離れた。久田は素早く運転席に移動してハンドルを握り締めた。
智日は急いでパソコンを立ち上げ、アキが身に付けているネックレスの電波を探った。
「智日!まかれるぞ!!」
久田の運転する車は、瞬く間に前方を走る車から離された。そして一方通行の道に入り込み、身動きが取れなくなった。
久田は慌てて車をバックさせ、大通りに出た。
智日はイライラしながらキーボードを叩いた。パソコンの画面が変わり、アキのネックレスの電波をつかんだ。
「俺が運転する!!」
智日は無理やり久田を後ろへ押しやり、ハンドルを握り、アクセルを踏み込んだ。車は白い煙を吐きながら方向転換し、けたたましいエンジン音を響かせながら大通りを走り抜けた。
―――ここは…どこ?…
アキは目隠しされ、両手を後ろ手に締められたまま、真っ暗な視界を彷徨っていた。
「…オリロ…」
男の言葉にアキは静かに従い、車から降りた。男の手がアキの細い腕を掴み、そのまま引きずるようにして、アキを歩かせた。アキは真っ暗な視界のまま、もつれる足でなんとか歩いた。
しばらく歩くと、男はドアを開け、アキの背中を押した。アキは顔から倒れそうになりながら部屋に入った。
「……手荒なマネはするなと言っておいたのに…」
黒崎はドアの前に立っていたマイクを睨んだ。
アキは暗闇で飛び交う英語にギョッとした。
≪…え!?何!?外国人!?≫
アキはドッ!ドッ!と打つ鼓動を感じながら、震える足でなんとか立っていた。そんなアキの視界に急に光が射し、アキはその眩しさに思わず目を閉じた。
「…俺の顔、分かるか?」
黒崎の言葉に、アキは恐る恐る目を開けた。
目の前に立つ大柄の男に、アキは言葉を失った。
呆然と立つ尽くすアキを、黒崎は舐めるように見つめた。そしてクックッと笑った。
「…本当に小っちぇ女だな…」
黒崎はそう呟きながら、アキにそばにある椅子に座るように言った。アキは大きく深呼吸をして、言われた通りに椅子に腰を下ろした。
「お前が本条ケイの女か?」
黒崎はもう一度、アキを見つめた。
「待て!智日!!」
都心に建ち並ぶビルのうち一際巨大な灰色のビルの前の歩道に車を乗り上げ、智日は久田の制止を振り切り車を降りた。通りを行き交う人々がフロントガラスが粉々に砕けた車を見ながら何事かと騒ぎ出していた。
久田はビルに入ろうとする智日の腕を掴んだ。
「智日!落ち着け!俺達だけじゃ無理だ!相手は<HMG>だぞ!」
智日は久田の手を振り放し、鋭い目つきで久田を睨んだ。
「じゃぁ、あんたはここにいろよ!」
智日はそう言って、あっという間にビルの中へ消えて行った。
「―――歌は歌えるか?」
「え?」黒崎の言葉に、アキは意味が分からず困惑した。
「歌だよ。何か歌えないか?」
アキは慌てて首を横に振った。
「…つまんねぇ女だな…」黒崎は真顔で言いながら組んでいた長い脚を組み直した。「しかし…何でお前なんだ?何で本条ケイはお前みたいな女を選んだんだ?」
黒崎の言葉に、アキはしばらくの間黙っていた。
「…おい、聞いているのか…」
「分かりません」
黒崎は、真っ直ぐな眼差しで自分を見るアキの顔を見つめた。
「…分からない?」
「はい…私が教えてほしいくらいです…」
アキはそう言って、顔を歪めた。
黒崎はそんなアキを見ながら笑い出した。
「面白い女だな。」黒崎はゆっくりと椅子から腰を上げ、アキに近付いた。「それに、見かけによらず気が強いな…」
アキは顔を強張らせながらも、黒崎から目を離さなかった。
「お前はここに来て泣くどころか叫び声一つ上げない。普通は助けて下さいと泣き叫ぶものだ…」
「…泣いたら…家に帰してくれますか?」
アキの言葉に、黒崎は吹き出した。
「ハハハハ!…残念だけど、それは出来ない。別に捕って食いはしないから心配するな!」
智日はビルの非常階段を駆け上った。そして最上階のフロアへ入り、乱れた呼吸を整えながら拳銃を構えた。
シンと静まり返っただだっ広いフロアを見渡しながら、智日は神経を集中させた。
―――来る!!
智日の頬を弾がかすめた。智日は倒れながらマイクに向かって拳銃の引き金を引いた。マイクはその弾をかわし、流れるように姿を消した。
智日は素早く身体を起こし、フロアに立ち並ぶ柱の影に隠れた。
マイクは空気のように智日の背後から近付いた。
智日の後頭部に銃口を向けた瞬間、智日の身体が動いた。
智日はマイクが引き金を引く直前に、マイクの眉間に弾を撃ち込んだ。
マイクは無表情のまま、ゆっくりと後ろに倒れ込んだ。
「…ハァ…ハァ…」
智日は息を切らしながら、アキがいる部屋へと駆け出した。