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Power Song11

君のために僕は詠う。

Power Song11




 水曜日の産婦人科の待合室もいつもと同じように妊婦や子供連れの女性達でごった返していた。

 アキは自分の横に座っている女性の膝の上でスヤスヤと眠っている赤ちゃんの顔を見つめていた。

「――――本条様!本条アキ様!」

 看護師に名前を呼ばれ、アキは慌てて立ち上がった。


「……えっと…この間の検査の結果なんですけどね…」医師は眉間にしわを寄せながら、カルテを見つめた。「やっぱりね、身体も小柄だし事故の後遺症もあってね、妊娠しにくくなってるみたいだね。妊娠したとしても知らないうちに流れている可能性があるね…」

 アキは黙ったまま小さく頷いた。

「でもね、本条さん。希望が全く無いワケじゃないからね!ちゃんと治療法もあるから頑張っていきましょう!ご主人さんにも説明したいから今度一緒に来て下さいね!」

 医師は笑顔で言った。アキは微笑みながら「ありがとうございました」と言って診察室を後にした。



 町はすっかり春の雰囲気に包まれていた。市街地の大通りの所々に植えられた桜の木の花の蕾がだいぶん膨らんでいた。

 埃っぽい風が吹き、目を押さえながら足早に歩くマスク姿のサラリーマンや学生達と擦れ違いながら、アキはトボトボと歩いた。

≪……いけない!いけない!≫

 アキは沈みそうになっていた気持ちを奮い立たせるように首を振った。

≪今日はケイ君の誕生日なんだから!うんっとご馳走作んないとね!≫

 アキは気持ちを切り替え、目的の店へと急いだ。


「―――本条様でございますね?…はい、先週お預かり致しました商品は届いております。すぐお持ち致しますのでお待ち下さい」

 革製品専門店の女性店員はそう言って店の奥へと入って行った。

 アキはソワソワしながら店内を見渡した。店内の壁の棚やショーケースには独特の色合の財布や鞄などが並べられていた。

「…お待たせ致しました」女性店員は箱の中から白い紙に包まれた本皮製のブラウンの財布を取り出した。そして財布の内側に刻まれた文字をアキに見せた。「<KEI HONZYOU> で間違いございませんか?」

「はい!」

 アキは嬉しそうに笑いながら答えた。

「それではお包み致しますね。ラッピング用のおリボンは何色になさいますか?赤と黄色と青と…ございますが?」

「じゃぁ、赤で!」

「畏まりました。少々お待ち下さい」

 しばらく待って、女性店員からキレイにラッピングされたケイへの誕生日プレゼントを受け取り、アキは足取り軽く店を出た。

≪…えっと…次はスーパー、スーパー!≫

 アキは夕飯の献立の事を考えながら歩き出そうとした。

「アキさん!!」

「え?」アキは男の声に振り向いた。「あっ!智日君!」

 智日は笑顔でアキの元へ駆け寄った。

「買い物ですか?」

「うん。これからいつものスーパーに行くの。智日君は?」

「俺?…暇だったからブラブラしてたんだ」

 智日は苦笑しながら言った。

「…暇って…大学は?」

「…午前中だけだったんだ。ね!スーパー、俺も一緒に行ってもいい?」

「別にいいけど…そんなに楽しくないよ?」

 アキは苦笑しながら言った。










「―――本条さぁ〜ん!」

 食堂で少し遅めの昼食をとっていたケイに、研究所の若い女性職員達がきゃぁきゃぁと黄色く騒ぎながら集まって来た。

「今ランチですか?遅いですねぇ〜…」

「宮崎さんが本条さんにばっかり頼るからいけないのよ!本条さんも大変ですよね〜」

 女性職員達は口々に喋りながら、ケイの様子をうかがった。

「…何か用ですか?」ケイは無表情で訊いた。

「あ、あのですね!…」女性職員達がもじもじしながらピンクのリボンの付いた白い紙袋をケイの前に差し出した。「今日お誕生日ですよね?私達から…大したモノじゃないんですけど…良かったら受け取って下さい!」

 ケイは思わず眉をひそめた。

「…何で僕の誕生日知ってるんですか?」

「え?…えっと…ねぇ!総務の子に聞いたのよね?」

「そ、そう!そう!」

 ケイの言葉に女性職員達は動揺し始めた。そんな様子の女子職員達を見ながらケイは小さく息を吐いた。

「悪いけど…受け取れませんよ」

「え!?」ケイの言葉に女子職員達は表情を一変させた。「どうして!?」

「…先月も色々貰ったし、それに…僕そんなにしてもらうほどあなた達に何にもしてないし、これから先も何にも出来ませんよ?」

 ケイはそう言いながら目の前に立ち並んだ女性職員達を見つめた。女性職員達は困惑した表情のまま、顔を見合わせた。

 その時、食堂の入り口から元気な声が響いた。

「本条君!!良かった!ここにいたね!」丸い顔にちょこんとのった眼鏡を指で押さえながら、宮崎は満面の笑みでケイの元へ駆け寄って来た。

「?どうした?みんなお揃いで…」

 宮崎は不思議そうに言いながら、女性職員達を見つめた。

「…今日、本条さんの誕生日なんですよ。宮崎さん、知ってました?」

「え?そうなの?本条君!」

 女性職員の言葉に宮崎は目を丸くした。ケイは苦笑しながら頷いた。

「へぇ〜…知らなかったなぁ〜…って僕が知ったら変だよな?ハハハハ!…で?何で君達が仕事サボってここにいるワケ?」

「…サボってません!これから休憩するところなんです!」

「食堂で休憩?いつも喫煙所で休憩してるのに?…」

 宮崎はわざとらしく首を傾げながら言った。女性職員達は眉間にしわを寄せたまま、宮崎を睨んだ。

「冗談だよ!本条君に誕生日プレゼント渡しに来たんだろ?…いいなぁ〜僕なんかもう10年も勤めてるのに一回も誕生日プレゼントなんて貰った事無いよ?…みんな僕の誕生日なんか興味無いか?」

 そう言って宮崎は笑った。

「だってぇ〜宮崎さん、あんな美人な奥さんと可愛いお子ちゃまいるじゃないですか!ねぇ〜?」

 女性職員達は笑いながら言った。

「おいおい、本条君だって可愛い奥さんいるんだぞ!しかもまだ新婚ホヤホヤだぞ!なぁ!本条君!」

「…はぁ…」

 宮崎の言葉に、ケイは思わず苦笑した。

「でもやっぱり羨ましいなぁ〜…中身何?みんなで買ったのか?」

 宮崎は小さい目をキラキラさせながら、女性職員が握っていた白い紙袋を見つめた。

「内緒です!はい!本条さん!お誕生日おめでとう!」

「おめでとう!」

「おめでとう!!」

 女性職員達はここぞとばかりに、ケイの前に紙袋を差し出した。

「本条君、受け取ってあげなよ!誰も見返りなんて求めてないって!ね?」

「も、もちろんです!いつも人一倍働いている本条さんに私達からの感謝の気持ちなんです!」女性職員の言葉に、他の女性職員達は慌てて頷いた。

「良い話だね〜…僕も頑張って働いているから今年の誕生日には君達の感謝の気持ち、喜んで受け取るよ!」

 宮崎の言葉に、どっと笑いが起きた。

「…ありがとう…ございます…」ケイは苦笑しながらそのプレゼントを受け取った。

 女性職員達は、安堵の表情を浮かべながら食堂を後にした。

「…モテる男は辛いねぇ〜…」

 宮崎はそう呟きながらケイの横の椅子に腰を下ろした。

「…助かりました、宮崎さん」

「あ?あぁ!気にするなって!…いいかい、本条君。ああいう時はありがたく受け取っておいた方がいいって。あっちが勝手にして満足してるんだからお返しなんか考える事なんかないんだよ?…まぁ、1回ぐらい飲み会に参加するぐらいで十分だよ」

 宮崎の言葉に、ケイは顔を歪めた。

「…ん?どうした?」

「…いや…その…あの人達の飲み会に参加するのが嫌なんですけど…」

 ケイの言葉に、宮崎は思わず苦笑した。

「本条君って…本当にアキちゃん以外の女は嫌いなんだね〜」
















「――――あぁ、そうか!今日はケイさんの誕生日だからこんなに買い込んでるんだ!」

 智日は買い物かご一杯の食材を見つめながら言った。

「…うん…それもあるんだけど…ごめん、智日君車だったからちょっと多めに買ってるよ」

「あぁ、それは全然大丈夫っスよ!俺、アキさん家まで運びますから思う存分買って下さい!」

「あははは……ありがとう!本当に助かるよ!」アキは恥ずかしそうに微笑んだ。「私が車の運転出来ればいいんだけどねぇ〜…ちゃんと自動車学校行っとけば良かったよ…」

「ケイさんは休みの日とか買い物付き合ってくれるんでしょ?」

「うん?…うん…でもせっかくの休みだからね…」

 智日は買い物かごの乗ったカートを押しながら、斜め前を歩くアキを見つめた。アキは<本日の目玉商品>とか<広告の品>とか大きく書かれたポップを見付けてはその商品が高々と積み上げられた棚に駆け寄り、他の主婦達と同じように商品の裏側を真剣な面持ちで確認するように見ていた。

「…アキさんって…なんでそんなにケイさんに気遣ってんの?」

「へ?」智日のいきなりの質問にアキは素っ頓狂な声を上げた。「…気なんか遣ってないよ?」

「遣ってるよ!」智日は苦笑しながら言った。

「…そうかなぁ…」

 アキは困惑した表情で、智日を見た。

「ケイさんは愛妻家だからアキさんの頼みならなんでも聞いてくれるよ?」

「…うん…」アキは恥ずかしそうに呟いた。「ケイ君は優しいからね……」

 そう言ってうつむいたままのアキの横顔を、智日は黙ったまま見つめた。

「……今日はどんなご馳走作るの?アキさん!」

 智日の言葉に、アキは微笑んだ。




「――――智日君!上手いね!」

 智日の包丁さばきに、アキは感嘆の声を上げた。

「俺、こう見えても小さい頃から飯は自分で作ってたんだよ」

 得意げに言いながら、智日は玉ねぎを手際良くみじん切りにした。

「へぇ〜そうなんだ…」

「母親が仕事忙しくて家事とかあんまし出来なかったから、俺がやってたんだ。アキさんみたいには作れないけど、とりあえず食えるのは作れるよ」

 智日の話を聞きながら、アキは智日の細長い指を見つめた。

「…智日君の手…ケイ君の手によく似てる…」

「…え?」呟くように言ったアキの言葉に、智日の手が止まった。

「あっ…と…智日君のお母さんって…どんな人だったの?…て…ごめん…私、余計な事訊いた…ね?…」あせあせしながらアキは言った。

「…そんな事ないよ」智日はそう言って微笑んだ。「俺の母さんは…ジャズ歌手だったんだ…」

「ジャズ歌手!?…すごい!かっこいい!」

 アキは瞳を輝かせながら言った。そんなアキを見ながら、智日は思わず笑った。

「うん、すごくかっこ良かったよ。何回もステージ見に行ったけど、本当にすごくてキレイだった」

「もしかして、智日君も歌うの?」

「残念ながら、容姿はちゃんと遺伝したけど歌の才能までは遺伝しなかったんだ」智日はそう言いながら、両肩を上げた。アキはくすくす笑いながら智日の話を聞いた。

「俺の母さんって結構美人なのに…すごく男っぽい性格の人でさぁ〜…喧嘩なんかしたらもう大変!グーで顔を殴ってくんだよ!信じらんね〜よな?」

「くすくす…なんか楽しいお母さんね!…でも、私の母親も勝気な人だったのよ。毎日毎日楽しそうに笑ってたの」

「あぁ…だからアキさんはいつも笑ってるんだね?」

 智日の言葉に、アキは苦笑した。

「私、そんなに笑ってる?」

「うん。いいよ、その笑顔。こっちまで楽しくなるもん!」

「…そうかなぁ…」アキは頬を赤めながら言った。

「…でも…」智日はそう言って、ボウルに挽肉と玉ねぎのみじん切りと卵を入れてせっせとこね始めたアキの顔を覗いた。

 智日の顔がいきなり近付いてきたので、アキは飛び上がった。

「でも、辛い時は笑わない方がいい」

「え?」

「辛い時は泣いた方がいい。言いたい事がある時は我慢せずに言った方がいい…これ、俺の母親の口癖」

 そう言って、智日はニカっと笑った。

「ケイさんの母親の事、聞きたいんでしょ?アキさん」

 智日の言葉に、アキは言葉を詰まらせた。

「…どうして…」

「どうして?…だってアキさんの顔に書いてあるもん。ケイ君のお母さんってどんな人だったの?って…」

 智日の言葉に、アキは思わず吹き出した。

「…すごいね…ケイ君もそうだけど、智日君も私の気持ち見透かしてるのね…」

「だって、アキさん分かりやすいもん!」

「あぁ…それはよく言われる…」

 アキは苦笑した。

 智日はそんなアキを見つめながら、小さく息を吐いた。

「でも…ごめん、アキさん。俺、ケイさんの母親には会った事ないんだ。俺の母さんの話だと…見た目も性格も似てたみたいだけど…」

 智日は申し訳なさそうに言った。

「い、いいのよ!気にしないで!智日君!」アキは慌てて言いながら、再びボウルの中の挽肉をこね始めた。「…ケイ君は自分の事話したがらないから…だから…前から気になってたの。ごめんね、色々聞いちゃって…」

 うつむいたまま挽肉をこねるアキを見つめながら、智日は小さく息を吐いた。

「……それはアキさんの考え過ぎ。ケイさんってアキさんには自分の想いばっかりぶつけてるように見えるよ」

「えぇ?…そんな事ないよ」

「そうだって!だからアキさん、ケイさんに気遣ってるって思ったんだもん」

「…そんな事ないよ、本当に…」アキは苦笑しながら言った。「…私…ケイ君にとって本当に大事な事が分かってないような気がするの…だから、ケイ君に申し訳ないの…あ…こんな事考えてるから気を遣ってるように見えるのかな?」

 アキはそう言って、小さく笑った。挽肉を小判型にしてから丹念に手を洗った。

「ケイさんの母親の事知らないから?そんな事気にしてんの?」

「そんな事って…私、一応これでもケイ君の妻なんだよ?それなのにケイ君のお母さんの事何一つ知らないなんて…なんだか恥ずかしいもん…」

 アキは苦笑しながらそう言って、ガスコンロにフライパンを乗せ、火を点けた。

「ケイさんは母親の事話したがらないんじゃなくて、話せないんだよ。アキさん…」

「え?」アキは智日の顔を見上げた。

「ケイさんが産まれてすぐにケイさんの母親死んじゃったらしいから…だから、ケイさんは母親の事何にも知らないんだよ。もし…少しでも母親の事記憶に残ってるなら、アキさんにだけは話してたはずだよ」

「…そうか…」

 アキは呟きながら、小さく頷いた。

「それに…ケイさんはアキさんがそばにいればそれだけで幸せみたいだし…」

 智日はそう言って、頬を赤めたアキを見ながら微笑んだ。

 フライパンから白い煙が立ち、アキは慌てて小判型に形を整えた挽肉をフライパンに並べた。ジュ―!という音が台所に響き、肉の焼ける匂いが立ち込めた。

「すっげぇ美味そう…」

 智日はいい色に焼け始めたハンバーグを見つめながら呟いた。

「智日君も食べて帰ってね」

「え!?いいの!?…てか、俺かなりお邪魔じゃない?」

 智日の言葉にアキは笑い出した。

「お邪魔じゃないよ」

「だって、普通はケイさんと二人っきりで祝いたいんじゃないの?」

「大丈夫よ。先生もいるし、それに先生の彼女も来てくれる事になってるの。それから麻衣子ちゃんっていうすっごく可愛いお友達も来てくれるのよ。みんなで祝った方がケイ君も嬉しいはずよ!」

 アキは手際よくハンバーグをひっくり返し、焼き色を確認して火を弱め、蓋をした。それから冷蔵庫を開け、野菜室からトマトを取り出した。

「智日君、菜の花のサラダ食べれる?」

「え?…あぁ…大好きっス…」

「良かった!」アキは笑いながら、先に軽く茹でておいた菜の花を手作りドレッシングで和えた。「智日君、悪いんだけど…そのトマト切ってくれない?」

「へ?…あぁ!了解しました!」

 智日はケイに同情しながらも、トマトを切る事に専念した。







 清子は慣れたハンドルさばきで車を走らせた。そして本条の屋敷の門を潜り、玄関ポーチの前に車を停めた。

「―――あら?誰の車?」

 清子の言葉に本条は、すでに玄関ポーチの横に停めてあった紺色の車を見た。

―――あの車…確か、智日君の…

 本条は助手席から降り、智日の車に近付いた。

「お客さん?」

「いや…この間話しただろ?ケイの従兄弟だっていう智日君…たぶんその子の車だったと思うけど…」

「へぇ〜…アキちゃん、その子も招待しちゃったのね…」

 清子は苦笑しながら言った。

「――――二人して…何やってんの?」

 ケイは玄関ポーチの前で話していた本条と清子を怪訝そうな表情で見た。

「あぁ…ケイも今帰ったか…」そう言いながら、本条はケイの青白い顔にギョッとした。「ケイ、随分顔色悪いぞ。具合でも悪いのか?」

「いや…別に…」

 ケイは呟きながら、紺色の車を見た。

「ちょっと…本当にひどい顔ね…」

 清子はケイの額に手を当てようとした―――が、ケイは清子の手を跳ね除けた。そして慌てて玄関のドアを開けた。

「アキ!!アキ!!」

 ケイは叫びながら靴を脱ぎ捨て、居間に飛び込んだ。そして夕飯の支度をしていたアキと智日の姿に愕然とした。

「ケ、ケイ君!?」すごい剣幕で帰ってきたケイにアキは驚いた。「おかえりなさい…どうしたの?ケイ君?」

「お…お前…何やってるんだ…」

 ケイは鋭い目つきで智日を睨みながら言った。

「…おかえりなさい、ケイさん」

 智日はそう言って微笑んだ。

「何やってるんだと訊いているんだ、智日」

 青白い顔を強張らせたケイの様子に、アキは何が起きたのか分からず困惑した表情のまま言った。「ケイ君、智日君にね夕飯のお手伝いしてもらってたの!買い物とかたくさんあったから家まで送ってもらったんだよ!それに…」

 必死に言うアキの言葉を、ケイは目で制止した。

「……智日、もう帰れ」

「なっ!何言ってるの!ケイ君!!」

 アキは思わず叫んだ。

 智日は苦笑しながら、肩をすくめた。「俺も随分嫌われちゃったもんだね〜…」そう言って、着けていたエプロンをはずしアキに手渡した。「お邪魔しました、アキさん」

「ま、待って!智日君!」

 玄関ホールに向かった智日を追いかけようとしたアキの腕をケイは掴んだ。

「ちょっとケイ君!!なんで!?あんな事言うの!?」

「なんで!?アキ!自分が何言ってるのか分かってるのか!?」


 ケイとアキの言い争う声を背中で聞きながら、智日は靴紐を締め、ゆっくりと立ち上がった。

「待ちなさい、智日君」本条は帰ろうとする智日を止めた。「ケイの事は気にしなくていいよ。…少し具合悪くてイラついてるだけだ。せっかく来てくれたんだ。夕飯食べて帰りなさい」

「…いや、遠慮しときます」

 智日は微笑みながら言った。

「…しかし…」

「俺なら大丈夫ですよ。それに…こういう空気、嫌いなんです」

 智日の言葉に、本条は小さく頷いた。

「本当に…すまなかったね、智日君…」

「気にしないで下さい」

 智日は笑いながら玄関のドアノブに手を掛けた。

 インターホンを押そうとして、いきなりドアが開いたので麻衣子は飛び上がった。

「…あぁ!…もしかしてお姉さん、麻衣子ちゃん?」

「は?」

 いきなり見知らぬ智日(男)に名前を呼ばれ、麻衣子は言葉を失った。

 呆然と立ち尽くす麻衣子を見て、智日はクスクスと笑い出した。

「せっかく招待されて来たんでしょうけど…今日は帰った方がいいですよ」

「え?」

 麻衣子は困惑した表情で智日を見た。

「今、夫婦喧嘩の真っ最中ですよ」

「ふっ…夫婦喧嘩!?」

 麻衣子の大きな目が点になった。


「…もしかして…私も帰った方がいいわけ?」

 玄関口で突っ立ったまま、眉間にしわを寄せた清子が本条に訊いた。

「いや…帰らないでくれ…」

 本条は本気で困り果てながら、居間から聞こえてくるケイとアキの言い争う声に肩を落とした。













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