Power Song6
君のために僕は詠う。
Power Song6
2月に入り、木々の枝や葉から射し込む陽の光りが少しだけ暖かく感じ始めていた。
悠輔は妹、柚月の車椅子を押しながら病院の中庭を歩いた。柚月は嬉しそうに笑いながら、澄み切った青空を仰いでいた。悠輔はそんな妹を見つめながら、このまま柚月と2人でどこか遠くへ行けないだろうか……と、思い悩んでいた。
「お兄ちゃん!友田さんだ!」
柚月の言葉に、悠輔は一気に血の気が引いた。
「やぁ、柚月ちゃん!久し振りだね!」
友田は白い息を吐きながら、笑顔で悠輔と柚月の元へやって来た。
「2人で仲良く散歩かい?」
友田の言葉に柚月は笑顔で頷いた。
「はい!すっごくお天気良いでしょ?熱も下がったから先生がお散歩していいって…ね?お兄ちゃん!」
「え?…あぁ…そうだな…」
悠輔は背中をつたう汗を感じながら答えた。そして横目で友田を見た。友田の真っ直ぐの視線に、悠輔はゾッとした。
「…柚月ちゃん、悠輔君と仕事の話がしたいんだ。少しだけ時間もらってもいいかい?」
「はい、いいですよ。…お兄ちゃん、あそこの花壇のトコまで行ってみてもいい?」
柚月は笑顔で50メートルほど先にある花壇を指差して言った
「いいけど…それ以上は遠くに行くなよ、柚月!」
「分かってるって!」
柚月はそう言いながら、自分で車椅子のハンドリムを回して行った。
悠輔は懸命に車椅子で前へ進んで行く柚月の後姿を、揺れる目で見つめた。
「――――そろそろだな、手術」
友田の声に悠輔はハッとした。
「おっ…お願いです!今度は絶対に失敗しませんから!だからっ!…」
「悠輔、最初に言ったはずだ。失敗は許されないと」
友田はそう言いながら悠輔を見た。悠輔は友田の冷たい眼に息を呑んだ。
「…だが、脇田会長が今回だけ許すと言って下さった」
「あっ…有難うございます!!」
「今回だけだ」友田は薄らと笑いながら言った。「次は無い。いいな?悠輔?」
悠輔は震える両足で必死に踏ん張りながら、友田を見た。
「…分かってます…」
悠輔の言葉に、友田は小さく頷いた。
「会長はお前達の事を信じて下さっているんだ。この仕事が無事終われば、お前達は自由だ。報酬を受け取り後は好き勝手に生きればいい。お前の妹の事も退院するまで面倒見るとまでおっしゃっている。そんな会長の期待を裏切るなよ、悠輔」
「わっ分かってます…今度は必ず…」
「―――今日中に組織の残りの全データを盗み取れ」
友田の言葉に、悠輔は愕然とした。
「きょ…今日中!?…そんな…」
「今日中に出来なければ、お前達3人と妹の未来は無い。分かったな、悠輔」
友田はそう言って、花壇からこちらを見ていた柚月に手を振った。柚月も笑顔で友田に手を振り返した。
「明日の時間と場所は後で連絡する」
悠輔はその場から立ち去る友田の足音を聞きながら、呆然とその場に立ち尽くした。
その日の夕方、悠輔は俊哉と蒼太に金を渡し、外で夕食を済ませて来るように言った。
『悠輔さんは?』
と言う蒼太の言葉に
『俺はいいよ…腹痛いから寝てるよ…』
と断り、1人マンションに残った。
悠輔はパソコンの前にある椅子に座った。そして大きく息を吸い込み、両手で顔を覆った。
――――大丈夫、大丈夫…俺ならやれる、俺ならやれる…
悠輔は自分にそう言い聞かせ、大きく息を吐いた。
そしてキーボードを叩き始めた。
「―――始まったぞ、蒼太」
タバコの煙を吐きながら言う俊哉の横に、蒼太は慌てて座った。
「…本当だ…悠輔さん1人でやっちゃうんだ…」
蒼太は2人で入った居酒屋のテーブルの上に置かれた俊哉のパソコンの画面を見ながら寂しそうに言った。俊哉は芋焼酎を一口飲み、画面を見つめた。
「……すごいなぁ〜…悠輔さん…」
パッパッと切り替わる画面を見ながら、蒼太は感嘆の声を漏らした。
「…本当に、悠輔は天才だよ」
俊哉は呟くように言った。
ものすごい勢いでハッキングされるデータを確認しながら、2人はしばらくの間、言葉を失った。
「―――豚バラとつくねですね!!」
店員が焼き鳥ののった皿を運んできた。
蒼太はその皿を自分の近くに引き寄せた。そして豚バラ串をムシャムシャと食べ始めた。そんな蒼太に見向きもせずに、俊哉は無言で画面を見つめた。
「あっ…<壁>だ!…やっぱり簡単には入らせてはくんねぇな…」
どうする?悠輔…
どうする…どうしたらいい…?…
悠輔の手が止まった。
こめかみから汗を流しながら、悠輔は考えた。
再び動き出した画面を見ながら、俊哉は息を吐いた。
「…やりやがったな…悠輔…」
俊哉は思わず笑い出した。蒼太は慌てて画面を見た。
「何?何?今どうなってんの?…わぁ!俊哉さん!灰!灰!」
蒼太はテーブルの上に落ちたタバコの灰を見て叫んだ。
俊哉は、慌てて吸うのを忘れていた手の中のタバコを灰皿で潰し消した。
…よし…いける…いけるぞ!…
悠輔は心の中で叫んだ。
「…よし…いいぞ…」
俊哉も画面を見ながら呟いた。
「…すごい…<壁>が崩れる…!!…」
蒼太の言葉と同時に、画面が一瞬止まった。
そして膨大なデータが一気に流れ出した。
「…やったぁ…」
2人は同時に呟いた。
「……やったぞ…」
悠輔は息を吐きながら呟いた。パソコンに差し込んだUSBを見つめながら、神に祈った。
早く!早く!!
「帰るぞ!蒼太!」
俊哉はそう言いながら立ち上がった。
「え?俊哉さん、まだ何も食べて無いじゃん!?」
「メシなんか食ってられっかよ!早くしないと悠輔の奴、奴らにタダでデータ渡しちまうだろ!」
「そっそうだけど…」
まごまごと言う蒼太を置いたまま、俊哉は靴を履きレジへと向かった。
「おっお客さん!これ!どうするんですか!?」
店員が焼き鳥ののった皿を持ったまま、唖然としていた。
「あっ…持って帰ります!詰めて下さい!」
蒼太は慌てて言った。
「――――全データ、ハッキングされました」
組織のシステム室で、システム担当の男が椅子に深く座ってパソコン画面を見ていた智日に言った。
智日は笑いながら頷いた。「…しかし、結構鮮やかな腕前だったね〜…」
「はい、これだけの技術を持つ人間はそういませんよ」
システム担当の男も驚いたように言った。
「筒井悠輔かぁ…もったいないな…」
智日はそう言いながら長い脚を組み直した。
「――――顔色が良くないね、ケイ君」
研究室でケイと2人っきりになった時、研究所の所長、外尾謙三郎が言った。
「…そうですか?先生…」
「あぁ…君には大変な仕事ばかりさせてしまってすまないと思っているんだよ。だが、自分の身体の事は自分しか分からない。遠慮せずにキツイ時は休むんだよ、ケイ君」
外尾は穏やかに微笑みながら言った。
「はい…先生…」
ケイも笑いながら言った。
「ところで…奥さんは元気かい?」
「は…はい…」
いきなりの質問に、ケイは言葉を詰まらせた。
「新婚家庭にお邪魔するのもなんだが…久し振りに奥さんの手作りお菓子食べに行ってもいいかね?」
外尾の言葉にケイは吹き出した。
「はい、ぜひいらして下さい」
「おぉ!そうかい!そしたら近いうちに家内と伺うよ!」
外尾はつぶらな瞳を輝かせながら言った。
陽が沈みかけた頃、ケイは普段より多い荷物にうんざりしながらも、いつものように研究所の敷地内を横切り、バス停まで急いだ。
「―――ケイさん!!」
ケイは智日の声に振り向いた。
「すごい荷物ですね?それ、全部チョコ?」智日はそう言って、ケイが提げていた大きめの紙袋を見つめた。そして苦笑しながら横付けした乗用車を指差した。「家まで送りますよ。乗って下さい」
「―――リーダーの筒井は病気の妹を人質に取られてるから、否応無しに友田達の言う事を聞かざるを得ない状況に追い込まれてるんですよ」
智日はハンドルを握りながら喋り続けていた。ケイは黙ったまま智日の報告を聞いていた。
「…質問は?」
「は?」
「質問ですよ。何かないっスか?」
ケイは何秒か考えた。
「無い」
智日はがっくりとうな垂れた。「組織のデータ、奴らに渡して大丈夫なのか?とか思いませんか?」
「あぁ…どうせニセモノだろ?…あの女がそんな簡単に組織のデータ、開放するワケないだろ?」
ケイの言葉に智日は言葉を詰まらせた。
「…さすが、ケイさん……確かに組織のデータは薫さんや大神さん以外誰も見れないようになってますからね」
「…お前は?」
「へ?」
「お前も見てるだろ?あの女の許可無しに…僕の事も調べたんだろ?」
智日はどう答えようか考えながら、車を走らせた。
ケイは智日の答えを待つ風でもなく、窓から流れる景色を眺めた。
「…ケイさんは…気にならないんですか?…」
ケイはゆっくりと運転中の智日の横顔を見た。
「…そんなに見つめないで下さいよ、ケイさん。美人から見つめられると俺、緊張しちゃうんっスよね〜」
智日の言葉に、ケイはイラついた。
黙ったままのケイに、智日は苦笑した。
「あの…俺の質問、答えて下さいよ!」
「何だよ…」ケイは憮然と言った。
「だから…気にならないんですか?…自分の母親の事とか…」
車内に重い沈黙の空気が流れた。智日は≪マズい事言ったかなぁ…≫と焦りながらも、ケイの答えを待った。
「…興味無い」
「うそ!!」
ケイの鋭い視線を感じ、智日は慌てて謝った。
「すっすいません!…いや…でも…少しは気になるでしょ?」
ケイは小さくため息を吐いた。
「興味無い。知る必要も無い」
「自分を産んだ母親の事ですよ!興味無いなんて…信じられないな…」
智日は少しショックを受けながらも、表情ひとつ変えないケイを横目で見た。
「…父親の事が分かれば…発作を鎮める方法が分かるかもしれませんよ?」
智日のこの言葉に、ケイは答えなかった。
智日もようやく諦め、黙ったまま車を走らせた。
智日は乗用車を屋敷の塀に横付けした。ケイは無言のままシートベルトを外し、車から降りようとした。
「……ケイ君!?」
その声にケイも智日もぎょっとした。
屋敷の門の前に、パンパンに膨れた買い物袋を両手で抱えたアキが立っていた。
「…アキ…」ケイは慌てて車から降り、アキの元へ駆け寄った。
「どうしたんだ?アキ」
「うん!さっきね、山根さんの奥さんからミカンたくさんもらったからお裾分けって、ほら!こんなにたくさんもらっちゃったよ!それとね、ほら!ご町内の奥様方から恒例の手作りチョコ〜!」
アキのホクホク顔にケイは思わず吹き出しそうになった。
「ケイ君は?今日送ってもらったの?…」
そう言いながらアキは車の方に目を凝らした。
「…智日君?」
アキの言葉に、ケイは驚いた。
アキはケイにミカンの入った袋とチョコの入った紙袋を持たせ、車に駆け寄った。
「やっぱり智日君だ!」
「…あ…あぁ…アキさん…」
嬉しそうに微笑むアキを見る智日の目は泳いでいた。
「―――ほら、ケイ君!この間話したでしょ?泥棒をあっという間に捕まえた男の子!」
アキは嬉しそうに話しながらテーブルの中央にガスコンロを置いた。
「あぁ…」
ケイは力なく答えた。
「すっごい偶然よね〜…智日君がケイ君の知り合いだったなんて!」
アキはいそいそと台所へ行き、ぐつぐつと音を立てる土鍋を重たそうに運んできた。そしてその土鍋をガスコンロの上に置いた。
アキが土鍋の蓋を開けた途端、もうもうと湯気が立ち上った。
鍋の中には白菜、春菊、葱、えのき、椎茸、しらたき、鶏肉団子などなど…たくさんの具材が小刻みに揺れていた。
「智日君にはちゃんとお礼がしたいって思ってたんだよ!だから今日は遠慮せずにたくさん食べてね!」
アキの言葉に
「はぁ〜い!!」
と、智日は元気に返事した。
玄関のドアの開く音がして、アキは「先生だ!」と言いながら玄関へ向かった。
「―――おい…智日…」
ケイは小声で、思いっきり智日の腕を掴んだ。
「いたたたっ!痛いですって!ケイさん!」
「何でここにいるんだよ!!」
「何でって…アキさんが誘ってくれたから…」
ケイは智日のあっけらかんとした表情に、その顔を殴ってやりたいと思いながらもなんとか堪えた。
「断れよ!」
ケイの言葉に、智日は首を横に振った。
「母親から、人様の好意は遠慮せずに受けなさいと教育されましたので…」
そんな2人のやり取りを知るはずも無いアキは、本条に智日の事を簡単に説明していた。
「あぁ!君が智日君だね?家の嫁がお世話になりました」
本条の言葉に、アキは頬を赤めた。
「いえいえ!当たり前の事をしたまでですから!」
智日は胸を張って言った。
ケイはがっくりとうな垂れた。
智日は夕飯をたらふく平らげ、おまけにミカンを3個とアキ手作りチョコケーキも食べた。アキの淹れた食後のコーヒーを美味しそうにすすりながら、本条やアキとの会話を弾ませた。
「俺、こんなに美味いケーキ食ったの初めてっスよ!いいなぁ〜ケイさんも本条先生も毎年こんな美味いチョコケーキ食べれるんですね…」
智日は羨ましそうに呟いた。
「アキちゃんの作るケーキは絶品だからね。でも俺もケイもつい食べ過ぎちゃうからあんまり作ってもらえなくなったよ」
本条の言葉にアキは苦笑した。
「智日君、先生もケイ君も毎年すごい量の高級チョコを貰ってくるのよ」アキはそう言いながらソファの上に積まれたバレンタインチョコを指差した。「だから普段は甘い物控えておかないと大変な事になっちゃうわ」
アキの言葉に智日は吹き出した。
「…俺、みんなでお菓子屋でも始めるのかと思ってましたよ」
アキの笑顔を見つめながら、ケイは日増しに募る不安を感じずにはおれなかった。