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ZEBRANA BLACK  作者: 紫
3/3

★悔★


イサは障子を静かに開け、すっと膝をつけた。

「こら。泣くでないよ」

豪は滲んだ目元を指の腹で一度抑えると、牡丹からイサに体を向けた。

「何が間違ったやら、俺は樫本にこの道に入らせて悪い事をしちまったに違いねえ。鈴とアタルも失わせ、樫本は心を般若に売っちまった。そうさせたのは、この世界か」

イサは横を静かに見つめていたのを組んでいた袂の中の手を出し膝に手を置いた。

「いや。あたしのせいだ。樫本にショウを会わせていたのが原因だ。樫本も手前の領分を越えちまったのは、もはや樫本自身の心の領分。甘えは許されないんだよ。あんたが下した判断は適当だ。だが、罰も与えずにした事には間違いがある。あの子はあたしの大事なショウの恋人を奪ったに変わり無い。あの子の恋人はね、本当に、心の広いお方だったのよ。恋敵にはめてしまうような範囲じゃあ無かった。あの方の心は高いところにあったのさ」

イサは一度視線を落とし、顔を上げた。

だから樫本は、ああする他無かったのだろう。ライカの存在がショウにとってどんなに大きいのかを認められずに。

「あたしは半端な客商売をもう止めようか、指を詰めようか悩んだ。こんな事をやらかした要因は全てあたしの怠慢だ」

「それならそのショウちゃんとやらはどうなる。姉貴が彼女を支えずにどう彼女の道を生かすことが出来た」

「黒い道だったのさ。あんたも重々分かっている通りにね。極道から出た女は、一生錆が残る。男は一番大事な志を失う。余談も許されない程。そんな男も女も多くを見すぎてきた」

世知辛い世の中だ。口を互いが突きそうになったのを当然抑え、自らの道を問うた。

だが、重々分かっていた。人も一人の人だ。




★行く据え★


闇を照明の照らす夜。

樫本は港に来ていて、汽笛が鳴り響き空気を震撼させたのを目を閉じて、煙を吐き出した。

足元に転がり、緋赤の光が舞ったコンクリートの地面を見ていが、横に広がる淀んで黒い墨壷の海に光がほうほうで滑っている。俯いた目で見つめた。

車体から身を浮かせ、車のドアを開けた。

明日、朝一にでも飛行機に乗り込めばいい。両親がいるアメリカ以外のチケットで。親族の多いイタリアか、それか他の場。

「貴方」

樫本はふと顔を上げ、振り返って豪華な紫色のリムジンが停まっていて、その車体にピンクと黄色の照明が跳ね返る横ジェグリアが寄りかかっている。彼女を見て、無視して運転席のドアを開け乗り込んだ。

彼女はそこまで来て、樫本がキーをまわそうとした手に手を伸ばした。樫本は彼女を横目で見上げてキーをまわした。

「何があったの?傷だらけじゃない」

「笑えばいい」

「そうね。確かになんだか、情けないざまだわ」

樫本は皮肉っぽく笑ってジェグリアはわざわざ車体に手を掛けながら背後を回り助手席に乗り込んだ。

「……紫貴が泣いてた」

「………」

そう、海を見ていたのをジェグリアは樫本の横顔を見て、樫本は視線を落とした状態でジェグリアを見て戻し、俯いたまま目を閉じた。

「貴方……。何があったか、聞かない。悲しまないで。あたしの所に来るのよ。紫貴ちゃんも連れて行くわ」

樫本は首を横に振って目を開いた。

「俺は最低な野郎だ……。男じゃねえ。そういうのを全てなくしちまった」

「英一……」

「男の屑だ」

「ねえ英一。何かあったみたいだけど、最低だったらなんだって言うの?格好つけてるんじゃないわよ。あんたはあたしの男よ。何情けなくなってるの。捨てられた子犬みたいな顔をして、……しっかりしてよ!」

そうジェグリアは怒鳴って樫本の目を見て顔をこちらに向けさせた。

「最低な事して逃げるのは勝手だけど、紫貴はどうするわけ?あんたを心から、あんなに慕っているのよ?」

「……もうあいつにも顔向け出来ない」

「リムジンの中にいるわよ」

「………」

「あの子は、あんたに命を救ってもらって凄く感謝してる。だから今度は兄貴のピンチを救ってやりたいと思ってる。そう思ってあの子はあんたを探したのよ。まだ何があったのか分かって無い。いきなり自分より下の下っ端連中から、葉斗の門前で追い出されて、あんたはいないって言う。あの子はあんたに頼まれた仕事をして帰ってきて、あんたや豪に報告し様と帰って来た時だったわ。まだ起動している。葉斗に本気で追い出されたからって、全て棄てて逃げようなんて、これ以上男らしくない無責任な事って無いんじゃない?豪は、確かに怒ってるかもしれない。あんたが恥をさらしたからか、何をしたかは知らないけど、何も考えずにどうしようって言うのよ。もしここからあんただけ去ろうが、残された方には残るわ。あんたよりもずっと長くね。何かあったなら、夫婦として話を通すのが筋でしょう?あんた、仁義がどうとか、偽善者みたいに言うだけ言って、どの面下げて生きて来たのよ。それじゃああんたに何か被害被った方はどうなるの?言いなさいよ。一体何があったの?翔を殺しでもしたわけ?」

樫本は闇と港の明かりを鮮明に背景にするジェグリアをずっとみていたのを、口を閉ざし視線を落とし、首を横に振りながらシートに背を沈めて海を見渡した。

「そうじゃあねえ……」

「じゃあなに?」

樫本はその横顔から、涙が一筋流れ、目元を抑えて泣くなと念じているのに涙が止まらずに、流れつづけ、俯いて自分がライカがいたことでショウが笑っていた全てを奪った事で、叫び泣かせ絶望させた事で、鈴とアタルを失った自分が、同じ事をした事で、鈴を、アタルを、紫貴を、裏切った事で、耐えられずに目元を抑え肩を震わせた。

微かに声を漏らしハンドルに額をつけ、ジェグリアは黙り込んで、樫本の肩に腕を回し彼の熱いうなじに頬をつけた。

「英一……。思い切り泣いて悔いなさい……。心に問いかけながら。自分のやったことに整理をつけて泣きなさい。今に冷静になれる……。今に冷静になれる……」

彼の肩を抱き、背を撫で囁き続けた。

波の間際に打ち付ける波が、絶えず鳴り響きつづけ、全てを、静かな夜の余波の鎮魂歌のように、樫本を責めたてた。

お前は自分の立ててきた操を棄てた最低な人間だ。自らを悔いよと。

「やくざとかギャングとかどうとか、関係無くないの。悔いる心があるっていう事は、続けることが出来るから。成長出来るから。それさえも棄てた人間は、すぐそこの闇に、死が横たわっているわ。どんな世界も必要な物はあるのよ。男は何度も転ぶものだわ。幾らだってね。全てを任されているから。でも起き上がることも出来るのよ。同じように、危険な橋を渡っている女のあたしよりもね。男は、どこまでも愚かになれるけど、冷静になれる術を持っているわ。そして強くなれるわ。守るものが与えられているから。そして自分が欠点を排除して行って、真の強い男は出来上がって行くものじゃないの?そういう物なんじゃないの?失敗やヘドロを噛み締めても終わらないのよ。自分の掟を破ってしまったら、それで終わらせるのは無能な人間のする事だわ。いいわね?部下を失望させないの。自分の大切な物は大切にしなさい。貴方は失うものを失った時、そう決断した筈。揺るがせないの。貴方の為でもあるからよ。それを支える者を失ってしまったとしても、立ち上がらなきゃならない。もちろん、他の人間のためにもなるからよ。何かを背負って生きる人間が、こんな事でどうするの!一度転んでも起き上がるのよ。何度転んでも起き上がるの。しっかりして。でも、今だけは、こうしていてあげる……」

紫貴は顔を俯けて、激しく泣いているらしい兄貴の背を見てから、顔を反らしてリムジンの中、細かい寄木細工の床を見下ろした。

あんな姿を見るのは、三度目だった。鈴の死体を目の前に、刀を片手に跪き、アタルの小さな血まみれの背中を抱き寄せ、背を向けて激しく泣いていた時と、何かがあった今と、爺さんの残した道場を親父に潰された時だった。

何があったのか、誰も知らないと言った。

あの場にいた人間達は、屋敷の内部にいて今後のことを頭と話す事に忙しく掛け回っていたからだ。

他の樫本の舎弟達は状況が分からずに東京中を、樫本を捜し回っていた。





★屈辱と交差★


あの日から二日経っていた。

街路灯を背に樫本は煙を乱暴に吐き棄て、ロメオを地面に放り踏みにじった。

赤坂。

彼女がコーヒー店とアンチークショップの間の路地から出て夜を見回し歩いてきていた。

ショウは視線の先の洒落た車、それを見て歩いていたのだが、その先のコーナーに立つ街路灯に背を着ける樫本を見た。彼は鋭い目で夜の街角の道路からショウを見た。

上目で睨んでくると二重になる目はやはりショウを睨んで、ロメオのパッケージを車内に放って、ショウは目を合わせないように肩を縮めながら歩いた。

樫本は鋭くなった目を押え腕を広げてからショウの腕を引いた。

「ショウ」

ショウは真っ青になって樫本の足元だけをみると、彼のその胸部に、トンと頬を当てた。

「……、」

樫本は息を呑んでショウの肩を持ち離そうと掴んだが、それがやはりどうしても出来なかった。

「ショウ。俺に何処まで恥をかかせれば気が済むんだ」

「だから?」

「……」

ショウは思った以上に氷のような色の目をし、樫本を顔だけ斜めに見上げた。

確かにそうだとは分かっていた。自分はショウに酷いことを強いたのだから。

『女に許され戻って来た男』

そのレッテルが貼られた。

誰もが樫本のやった行動を耳に入れた。戻らされた庭園で皆の前で頭に跪き、檀城には冷たい目で見られ土下座をさせられ、頭はまた同じスポットに収まり業務を今まで通り行えと言う。葉斗から抜けることは一生許さないと。

部下たちは何ともつかない顔をし樫本を見た。哀れむ目をする人間すらいた。

檀城派の人間は嘲り笑う口元の人間もいた。

だが、分かっていたことだ。自分のやった不始末。

あの時のその姿を見下ろしてショウは、何の感情も無い眼で樫本に言った。

『戻って来れて良かったんじゃない?』

樫本は石砂利の上に額をつけたまま、目を固く閉じて歯を噛み締めた。そして彼女は言った。

『また、ゼブラナにいらしてね。待っているわ英一さん』

そう、微笑んで言った。

猫田は短く悪態をついてショウのその肩を引いたが、ショウはその手をバシッと払い男達を見回し見据えて、樫本を見下ろした。一度、嘲った笑みを口元に貼り付けると恐いほどの無表情になって言った。

『この人を殺さなかっただけあんた達、あたしに感謝しなさいよ。ねえ?そうでしょう。それと、彼をこれから馬鹿にしたらあたしが直々にゼブラナに来たあんた達に最高級の毒のグラス割り出してやるから恨みたいだけ恨むのねえ』

『このアマ、樫本の兄貴に屈辱強いてきてんのはてめえだろうが!!』

『煩いのよ猫』

『何?!!』

それを聞いて桐神だけが噴出した。

頭は組んでいた手を一度上げた、二人の男が庭に下りて樫本の顔を上げさせた。彼はしばらく顔を上げずに目を開きもせずにいたが、目を開き顔を上げた。

その時の表情は誰もが思っていたものではなかった。樫本らしい鋭い眼光で見るでもなく、彼女を思った以上に、鈴とショウへの何らかの気持ちもあったのだろう、哀しそうな上目で微かに一瞬見て視線を落としたから誰もが黙り込み、樫本と鈴姐に瓜二つのショウを交互に見た。彼は膝に乗せた手を返すように立ち上がるといつもの毅然とした顔つきに戻っていて歩いて行った。頭の前まで来ると一度頭を下げ、歩いて行った。

桐神はその背の後を歩き猫田もショウを威嚇してからその後に続いた。

ショウは上目で猫田を睨んでから、樫本の背を視線で追ってしまう前に視線を庭に強引に戻して、昼の白い月を見上げた。

ライカ

ごめんね

あなたのショウなのに……

あたしは……

ショウは男達がショウを冷たい目で見てくるのを、頭がそれをとがめる前に彼女がぐるりと男達を見据えて、微笑んだ。

ライカ

ごめんね

あなたのショウは

醜さを表明した

彼と公然にフェアになんかなろうとしたんじゃない……

『せいせいした。じゃあね』

そう言い、頭に小さく微笑むと男達をどつき退かして歩いて行った。

その夜もやはり目が溶けそうな程泣いた。一人の部屋で、全然慣れてくれなかった。ライカがいない事、ピチョンくんの『綺麗だねラブ!』と言う言葉、彼のいないこの信じられない空間、彼の最期の言葉さえ、最後まで聞けなかった事、樫本への激しい怒り、全然慣れなかった。飲み下すことなど出来ない気がした。

この夜の街並みは樫本とショウしかいなかった。

ショウは彼の顔を睨み見上げる事もせずに性悪に微笑んで、車が通ったところを見て背を伸ばして彼の頭を抱き寄せた。

「ショウ」

彼女の体を引き剥がして、またあの目、彼女を哀しんだ目で見た事でショウは気に障って彼の頬をびんたした。その方向に向けたまま視線だけショウを見て戻し、息を吐いた。

ショウは道路を睨んで車が過ぎ去って行った赤いランプから樫本の顔を見上げた。

「週に二回。あたしの席に来なさい。常連としてお金を落として行ってちょうだい。分かったわね?毎回七百万を落として行って。それだけで許してあげるわ」

そう言い、これ以上彼に屈辱を強いる言葉を思いつかなくて、失敗する前に視線を落とし俯いてしまった。そんなつもりなど毛頭無かったが、震えた泣き声で小さく「英一さん……」そう囁き、彼の胸に、失って寂しくて、強制的に殺されて哀しくて、ショウは泣きついていた。

必死ですがるように背に抱きついて、自分が強いらせた全てを、惚れた男を大衆の前で跪かせた事を、自分に詫びさせた事、彼に……、惚れてしまった事。

「大好きだったから……、あなたの事、大好きなのよ」

「………、」

樫本は彼女の肩に手を掛けることも出来ずに、彼女が泣き囁く言葉を拒絶しても体の中に流れ込んで来ようとする事を、しばらくは認めてしまう。その事に罪悪感が無かったわけでは無い。ショウの肩を片腕で退かしたが車が通りすがった。彼女を引き寄せ包括した。

ショウは涙の流れる開かれた瞳で彼の目の閉じられる横顔を見つめて、過ぎ去って行った車は視野から消えて行った。目を閉じる。

彼はまるで公然で結び合った罪悪の誓いのように、それらの己のプライドを捨てようとでもするように、瞳を閉じる彼の目を見て、ショウは口端を鋭く引き上げて彼の頭を抱き寄せ髪を優しく撫でた。

手に出来る。恨みに紛れて手にすることが。

落ちようとも。

「愛していると、言って。英一」

そう囁く声で言い、頭を撫で続けた。

今に痛い目を見るなんて分かっていた。でも、馬鹿みたいに心を広く彼を、そして彼に気を傾かせる愚かな自分を許したくも、偽善ぶりたくも気障ぶりたくも無い。冗談じゃ無いわ。彼を許すですって?そんな事あたしは許さない。失ったプライドだけは取り戻してもらう。失った誇りだけは取り返す。牙には牙で……。

愛情を手に入れるため……

「ねえ?……英一?言って?」

言ってよ

彼の頬をさすって閉じられた目を見て、見つめた。

「言って、ねえ」

お願い。好きでいさせて。来るかもしれない時まであたしを何も言わずにただ受け止めて欲しい。都合の良い女を。男を持ち上げもしない女を。一緒に落ちるかどうかは分からなくても、……あなたはライカを殺したのよ。

「責任持ってよ、」

愛しているわ、そう言ってしまえば負けだという事は、なんとなく分かっていた。何が負けなのか知らないけど、馬鹿らしいけど、終わらせちゃえなんてそんな事、出来なかったからただただ必死になっていた。あたしは。どんなにもがいても悲しみは沈んで、失った事実が侵食してきて、彼にどう思われようが、彼は確実にあたしを、愛している。

じゃなければ許さないからだ。彼を。あたしへの愛情がなければ全然許せない。

白と黒が反転し、あたしの視界の中で、眩暈は起きずに目を固く閉じた。

「……ショウ」

ショウは顔を上げて他所を見る樫本を見た。

何を口を滑らせようとしたのかが分かってショウは思い切り樫本の胸をどついた。激しく街路灯に吹っ飛び頭を打ち崩れ、彼は顔を歪めて片目を開き上げた。

「今、何て言おうとした?まさか『ごめん』とかじゃ無いわよね?まさか、ハッ、いくらなんでもあたしの思い違いよね。ああどうかしていたわ。あたしを愛していると言おうとした男を突き飛ばしたりなんかして。ああ、それともあれ?猫田同様『最低な女だ』だとか、『ここまでして哀れな女だ』とか、」

徐々に流れ目は歪み始めた。

「『お前みたいな女願い下げだ』だとか、それとか、もう、『好きじゃ無い』と、か、……それ、とか……、それとか……」

許せなかった女を、そんな大人になれない心が毒を吐いて……。許すべきじゃ無いし、彼はあたしを離すべきなのに、あたしも彼を離すべきなのに。分からないでいたい。そんな事全然分からないでいたい。

「……う」

彼女は顔が歪み真っ赤な顔から涙がこぼれた。

「ひっ、あたし……、」

樫本は彼女を見上げて立ち上がり、彼女を引き寄せた。

「あたしの事棄てないで、……独りになりたくない……、」

囁くように小声で叫び震えて、ショウは体を震わせた。

「ショウ」

彼女に酷いことを言わせてしまっているのは紛れも無い自分だ。俺はライカからショウを奪い、ショウの必死の虚勢を弁明も出来ずに。

震える彼女の肩をしっかり抱き寄せ、止まらなくても止まるまで強く抱きしめた。

夜は空気が留まって、あたし、いつかこんな事が平気になっているならいいのに……どう思われても構わないわ。あたしはあたし……

「ショウ……」

何度も囁きたくなったが、口を噤んで彼女の温かい首筋に頬をうずめた。

騙されたって、構わないという心が……この女になら構わないという感情が心底を渦巻いた。もしもこの先、どこかで苦しんで帰って来るような女でも、それでも受け止められるなら。

醜い心が囁いた。それが出来るのはもう、俺しか結局はいない事を分からせたいなどと。

彼女を離したくなどなくなっていた。

出遭ったあの、一瞬から


奪ってしまった物なのだとしても……




★銀色★


朝は空気をまどろんだものに変えていた。

樫本は屋敷に帰って来ない紫貴の携帯電話に連絡を入れた。

「おい紫貴?」

相手は出たが喋らなかった。

「家に帰って来い」

「だってさあ。追い出されちったじゃんさー」

「また戻った」

紫貴は起き上がったらしく「うおんとう?」と言った。

「ああ」

「でも俺葉斗辞めるよ。なんだかもういいやって感じだしさあ」

「辞める?」

「うん」

「俺に言われても判断出来ねえ事だ」

「また葉斗屋敷に顔見せんの?この可愛い顔を!」

「ああ。そうだ」

「でも蹴られたし」

「俺もだ」

「アハハ!本当?」

「ああ。だから戻って来い。葉斗の事は頭に言うんだ」

紫貴は頬を膨らめてからいじけた声を出した。

「ほーい」

「俺も共に向う。分かったな」

「あーい」

樫本は電話を切ってネクタイを正した。

紫貴はまたぼふっと沈んだ。

しばらく天井のシャンデリアを見つめていたのを、「いやったああ〜!!」と叫び飛び上がってぴょんぴょん跳ねた。良かった。兄貴が居場所を奪われなくて。

イサ姐に、頭に命を捧げて来た心は、それに鈴とアタルを大雅組に奪われた心は、全部嘘なんかじゃない。命を捧げてきたんだ。兄貴は。ショウちゃんにした事は紫貴にも大きなショックだったが、それでもショウちゃんに対する気持ちだけは偽りじゃなかったのだとあの時兄貴の泣く背を見て分かっていた。

心底惚れているとしても、兄弟なら止めるべきだと思う。これ以上、もし何かがあってまた兄貴が格好悪い姿を晒すとしたら、絶対に自分は兄貴を叱咤する。そう、深く思った。兄弟だからこそ。男として互いに生きて来たからこそ、半端は駄目だ。

生きてきて、求めて、真実が分からずにぼやけて兄貴自身が追い求めても見つからずに、追い求める般若の姿のようには、絶対にしない。

何が真実なのかも分からずには……。





第5章★ショック★


樫本はスタッツディプレのワインレッドを進めさせていた。

昼下がりに差し掛かり、街は空気をまどろんで流している。

「芦」

背の高い後姿は坊主頭を身毎颯爽と振り向かせて芦俵夕は樫本の車体を見た。

「どうも。事務所周りですか」

「ああ」

夕は一度街を見回すと下げていた袋を持ち替えて助手席に乗り込んだ。

「実は、俺は買出しで」

「そうだろうな」

「近場まで」

樫本は呆れてからシフトを変えた時だった。

「……ショウ」

夕はその言葉に体を前にして樫本の視線の先を見た。

樫本の横顔を見ると助手席にまた背をつけ、眉を上げてから首を振った。

「放っておくんですか」

「何で俺がいちいち手出しする必要がある」

「さーあ」

ショウは二十二、三歳くさいの若い青年と共にいた。建物と建物の間のスペースで二人で話し合っている。うねる黒髪をうまくセットして洒落させていた。軽くフェードラやブランド物のランニングや広いパンツを着こなして、いまどきの若いお洒落青少年だった。

機嫌よく女の子に愛想よく笑って女心の捕らえ方も楽しませ方も熟知していそうな。

洒落た店を多くしっていそうな、つまりは、ショウの好みそうな見合った青年だという事だ。

樫本は一瞬憮然としたから夕はふっと噴出し可笑しそうに笑ったから樫本は夕の整った顔をバシッと帳簿で叩き睨んだ。夕はハハ、と笑って可笑しそうに首を振った。

「ショウは全く、思った以上に根性があるらしいですよ。もう次の男だ」

「ふん。女の得策ってだけだろう」

「だが、浅はかとは言えないですよ」

「得策だからな」

「傷つかないはずが、痛い目見なければいいが」

「平気だろう。あの女、俺を二度も突き飛ばしたくらいだ」

「樫本さんを?じゃああのひょろひょろの男は掌で弄ばれますね。どんどんそういう女に質が落ちて行く」

「もう止めろ。ただの若気の至りってだけだろう。意外にお前性質悪いな」

「さーあ」

夕は軽く興味もなさそうに肩をすくめ首を軽く振った。

樫本は突き当たりにクラブのある方向へ曲がって行った。

ショウの事は、頭から消した。

営業も一日おき営業になったゼブラナだった。

ワインレッドの車体は消えて行った。




★ショック・二★


葉斗屋敷に戻った樫本は、また嫌な気分のまま歩いた。

舎弟達の視線に無視し進んで行く。しばらく続くだろうが仕方が無い。酷い姿と行動を晒したのだ。

檀城と鉢合わせて彼は樫本に言った。

「紫貴に戻ってこさせろ。仕事がやりずらいって言われ始めてる」

「ああ。今日一度戻って連れ戻させるつもりだ」

「糞忙しいって時に悠長にしていられねえからな」

「悪いな。戻ってこさせる。だが峰の関係で一度日本を離れる事になってる」

「そうらしいな。変りのポストは考えているんだろうな」

「ああ」

「おい樫本」

「なんだ」

檀城は舎弟達が顔を下げ歩いて行くのを下目で見て、回り廊下を彼等が向こう側へ行き、充分すぎて行ったのを見てから樫本を横目で見た。

「お前、気でも違えたのか?聞いたぜ。あの女の正体をな。ゼブラナホステスらしいじゃねえか」

「別に水商に傾向するわけじゃねえ」

「幾ら鈴ちゃんに見てるからって野郎相手に本気になるんじゃねえ。鳳組の渡河邊みてえにホモ野郎だって言われねえのか?」

樫本は瞬きをして立ち止まり、檀城の顔を見て眉を潜め睨んだ。

「……んな、は?」

「だからお前は渡河邊みたいに」

「てめえ俺をホモ呼ばわりするつもりか?ショウは女だ」

「お前……何言ってんだ。ゼブラナで女が働けるわけねえだろうが」

「………」

樫本は瞬きがしばらく続いて顔を青くして行った。

は?

思考回路がからからと妙な音を立てた。

そして何かが、ガシャンッと、音を立て足元に崩れ去った。

「………」

「お、おい樫」

なんだ?ど、どういう事だ?おと……、おと……、

ショウの微笑みが白く広がった。

ショウの女らしい甲斐甲斐しさが脳裏を巡った。

ショウの照れたような微笑みがほんのり色づいたのを思い出した。

ショウのどこを取っても女な可愛らしい全てを思い出し、そして……

ショウは赤坂のホステスで鈴の生き写しでショウは………

イサ姐の所の……

ランは元々他の所の男組員で……

赤坂のゼブラナ……ニューハーフの

「な、」

「は?お前、まさか声帯手術したユウコやランまで列記とした女だって勘違いしてるんじゃね」

バタンッ

「うお、」

樫本は背後にそのままぶっ倒れた。そしてそのまま、気絶した。

「んな、な、……は?」

檀城は声を上げて舎弟を戻って来させ、そこに駆けつけてきた二人は樫本が死んでいたから驚いた。いや、生きているようだ。

「一体何が?檀城の兄貴」

そう息を確認しながら鋭い目を辺りに這わせてから檀城を見上げた。

檀城は首を傾げて項に手を当て首を傾げた。

「誰か、襲撃して来やがったんですか」

「いやー、勝手に気絶しやがった……例のアマの事で」

「はい?」

「どうやらこいつ、あの女をニューハーフだって知らなかったらしい……」

ぽかーんとして2人は何とも着かない顔で見上げ檀城は首を傾げ傾げしていて、樫本は真っ青で目を回していた。

「んま、まあ……、プライド高え樫本の兄貴からしたらそりゃショックでしょうが……、気絶って、」

きっとこの場に紫貴がいたら大笑いしていた事だろう。

オカマに執心して葉斗を追い出されたという事だ。

「とにかく叩き起こすか運び出すかどうにかしてくれ」

「へい」

あそこまで鈴に似ているから確かに男だとは信じられないのだが、結局は多少は樫本が知らなかったという事で舎弟達は安心した部分もあったのは否め無い。

樫本を完全に騙していた位だから、相当ショウは本気で女にしか見えないのは誰もが分かっていた。声も落ち着いた女声だ。

だが、ショウをそういう目で見るイコール、イサ姐に喧嘩ふっかけるも同然だった。




★騒動★


「大変だ!!大変だ!!!」

幹本が駆けつけてきて誰もが鋭い目をくれ胸元の銃に手を当て日本刀を構え片膝を立てた。

「なんだ襲撃か」

「樫本の兄貴が気絶した!!」

「何?」

各々が顔を見合わせ鋭くし立ち上がった。

「どこだ」

欅山田は幹本の肩を退かして庭をザッを見回し背後の奴等に手を上げ走って行こうとしたが幹本が止めた。

「何だよ!」

揣摩逗、峰、落ち目の陽陣、他にも……

「いや、襲撃じゃ無い」

幹本は、「ふく、」と笑い、眉を潜めてそこにいた人間は顔を見合わせ緊迫感無い幹本を見下ろした。

「樫本の兄貴、オカマに破門させれら戻ったって……、知らなかった様で、」

尚も深刻そうに笑いをこらえて言い、続けた。

「あのショウって女が普通の女だって今の今まで信じてたみたいで」

「……は?あのゼブラナのオカマバーだろうが」

「それ!それ、忘れてたみたい……!」

「………」

誰もが瞬きして幹本を見て、口を引きつらせ始めた彼等は、一気に笑い出していいものかどうなのかを深刻そうな顔で迷った。

「ふぐ、」

幹本は口元を震わせて笑いをこらえ、あのぶっ倒れた真っ白な樫本の顔を思い出して次のところへこの珍騒動を伝えるべく走って行った……。




★薄灯★


樫本は目を覚ますとそこは自分が葉斗屋敷内で分け与えられている部屋だった。

「ああ。兄貴。平気ですか?驚きましたよ」

幹本は雑誌から顔を上げ、樫本は起き上がって後頭部を押えた。

「おう。何でもねえ」

だが気分は最悪もいい所だった。あのショウが男だとか妙な事を抜かすのだ。

檀城の糞ジジイが冗談言いやがって……。

顔を擦って目を閉じた。

「何か飲み物持って来ますよ」

「ああ。水でいい」

「はい」

樫本は手を当てられていない方の目を開いて溜息を吐いた。

その背を見て、幹本は多少哀れに思いながらも歩いて行った。

ショウに会いたい……

彼は厨子横の電話を手にした。

ショウに今から来いと場所を伝えてから立ち上がり、上着を羽織って部屋を出た。

「あ。兄貴水」

「ああ」

一気に飲んで返してから歩いて行った。

また誰もが樫本を見てきて、どこか可笑しそうに笑いそうな雰囲気もあった。

仕方が無い。しばらくすればそれも引く。

だが、まさかそれが幹本が触れ回った新たな事実で笑いをこらえているという事はおろか、まだ樫本はショウを女だと信じ込んでいた。




★対峙★


公園に到着し、樫本はマセラーティから降り立つと公園を見回した。

ショウ。

「………」

彼女はボーイッシュでしかもパンツスタイルの格好をしていた。ジーンズに白シャツにスニーカーだ。今まであんな服を着ていた事なんか無かった。

樫本はその彼女の立っている木の場所まで歩いて行った。

彼女を見下ろし、ショウの目は鋭かった。

樫本はショウからの明らかな殺気を見て目を一瞬反らし、横に広がる公園を見でからまた彼女を見下ろした。

樫本は木に手を着けて彼女の髪を撫でた。

どこか、エステにでも行ったのか真っ白な頬は滑らかで前よりどこか髪は柔らかい。

彼女をそっと抱き寄せ目を閉じた。

樫本は大きく目を開き、彼女の目を見てから腹部に視線を落とした。

「………」

銃口が腹部に突きつけられていた。

それをしばらく見下ろしていたのを、視線を上げて彼女の深い目を見下ろし見つめ、彼女の髪に触れて撫でた。

滑らかで……水の様だ。

「……。殺せばいい」

ショウの手が一瞬緩み、樫本を見上げた。

「……ライカを殺せば、お前が手に入ると思っていた。だがどうしても俺が許せねえなら殺せ」

ショウは目を見開いて樫本を見上げた。

樫本はぶん殴られた。

彼は砂を巻き上げ転がりその彼を跨り激しく殴りつづけた。避けることも出来なかった。彼の胸倉を掴みドンッと地面に叩きつけ、樫本は鋭い目で歯を噛み締める彼女を、目を開き見上げて、ショウは背後に飛んで行った従を飛び拾って樫本に銃口を向けた。

紫貴は驚いて紫のハーレーを転がし降りて翔の銃を撃ち壊した。

彼女はその方向を鋭く睨み紫貴を見て、拳を震わせて背後の木を殴りつけ何度も殴り血が噴出したのを拳を震わせ木に額を付けて体中を震わせた。

その目を見て、紫貴にはショウの人格では無いと分かった。

男の人格の、『翔』の方だ。

紫貴は彼等の所に走り兄貴を引き起こし、翔のところに行ったが翔は紫貴を激しく蹴り飛ばした。

「てめえ等兄弟なんか糞ッ垂れだ!!!紫貴とももう絶好だ!!!海外にでも何処にでも勝手に行けよ!!」

そう怒鳴り銃を拾い大またで歩いて行った。

バイクに跨り乗り、そのまま乱雑に走らせて行った。

「………、」

紫貴は、愕然としてその方向を見て、しばらく動くことさえ出来なくなっていた。

紫貴は視線を落とし自分の足元の黒い影を見た。

「……兄貴のせいだ、」

そう小さく言い、紫貴は彼を見上げた。

「なあ、何でだよ、何で?」

紫貴は樫本を流れる目で見上げて、自分の兄貴のはずなのにまるで……別人の様に見えた。見すぎて既視感からそう見えるのか、そう思えるような、分からない。

今まで自分が接してきた兄貴のようには、見えなかった。

「……、紫貴、」

樫本は視線を落として歩いて行き、紫貴はしばらくいつもの様に追って行くことも出来ずにただその背を、呆然と見つづけていた。

何かのフィルムの様に、何かのガラスを隔てた映像の様に。




★絶望★


樫本は車に乗り込み、街並みをおぼろげに見つめていた。

……愛してたんだ……

本気だった

本気になってしまっていた。

彼女に、

流れ、視線が定まる事も出来ずに

銃口を自分のこめかみにつけていた。




★紫貴の心★


「兄貴!!!」

紫貴はその銃口を乱暴に上に上げさせて屋根に穴が開いた。

樫本はザッと紫貴の顔を見上げて、紫貴は銃を奪い取って憤然として睨みつけた。

「今はただ、兄貴じゃねえだけなんだよな。俺の兄貴じゃねえだけで、葉斗の樫本英一でも無い、今はただ一つの家族の夫で、父親だったんだよな。

でも俺は弟なんだぜ。アタルは俺の甥っ子だったんだぜ。

いつまでも鈴を追いかけてるなよ。もういいじゃねえか。夫としても父親としても家族を失ったけど、ショウは別人だ!ショウちゃんにはショウちゃんの生き様があるんだぜ。

何でそれが分からねえんだよ!!!」

「………、」

紫貴は拳を震わせて俯いたのをまた顔を上げた。

「俺は、兄貴をずっと尊敬してる。どんなに兄貴が格好悪くても俺はずっと尊敬してる。その背を見つづけて、親父の背よりずっと兄貴の背をずっと見つづけた。

格好悪くなる時だってあるぜ人間だし男だって。

だが、こんな形で何で格好悪くなるんだよ。失望させるなよ!俺は樫本紫貴なんだぜ、俺だって武士道の心忘れたわけじゃねえんだよ!

確かに潔く腹切って死ぬのは勝手だぜ。だが今の兄貴はただ気が抜けて魂がねえ抜け殻じゃねえか。

何の操も何もねえただの男なんだぜ。父親で、夫で、女に本気で惚れて、それで悲しんだまま死ぬって言うのか?

そんな面さげて二人に会いに行くのか?馬鹿考えるんじゃねえよ!!情けねえよ!!」

そう怒鳴り、手首を掴んだ。

「この兄貴の手は何の為の手だよ。何の為の腕だよ。今までこの腕で何抱きしめて来たんだよ。それも忘れてその手で何しでかしてんだよ!

鈴を抱きしめて、アタルを抱きしめて、頭を護ってイサ姐を護って俺を抱き上げてショウを抱きしめつづけて来たんじゃなかったのかよ。

同じ手で、ショウの男殺して、勝手に卑怯に死ぬんじゃねえよ!

くたばり損ないの俺は生き続けてるんだぜ。この面下げてな。もう自分の顔じゃ無くてもこうやって生きてるんだぜ。今の時代そのままくたばるよりそのまま生き続けた方がよっぽど地獄なんだぜ。

だが、俺は心底あの時死ななくて良かったって思ってるし心底兄貴に感謝してる。なのに、あんな方々で鈴が殺されて死んでもう生き返らなくて、兄貴が絶望して、だが兄貴だけじゃねえんだぜ。

殺されて悔しい思いしてる人間は渦巻いてるんだぜ。その中にショウまで、ショウまで加えて……これ以上何がしたいんだよ!!何奪えば気が済むんだよ!!!」

樫本は、顔を真っ白にして見上げていた視線を落として、自分の膝の上の手の甲を見た。

「………」

「俺の兄貴なんだぜ。舎弟だって多くいる。

確かに、頭は兄貴を追い出したかもしれねえよ。だがそれって試しただけだってどうして思えねえんだよ。

確かに今辛い時でショウはその何千倍も辛いって時にああやって強く生きてるんだぜ。兄貴はじゃあ何だよ。

殺されて、ショウは兄貴みてえに強く無いから何も出来ない。身を護る為に兄貴に取り付く他無い。なのに心はどうだよ。兄貴なんかより糞強いじゃねえか。

少しはそうなれよ。腕だけ強いだけじゃ何も意味ねえじゃねえか、

……最低だよ、」

紫貴は俯き顔を歪めて地面を睨んだ。

樫本は何も言えなくなっていた。目を閉じ、開いた。

「魂呼び戻せよ、樫本の家系にも桐神の家系にも根付いてる魂だ。兄貴には魂があるじゃねえか。昔はそれしか無かったじゃねえか。

そんな兄貴が俺は大好きだったんだぜ。慕って憧れて来てたんだぜ。

猫田だって、桐神のタコだってそうだし、分かてるだろ。檀城だって兄貴を心配してる。なのに何格好悪くなってるんだよ。やめてくれよそういうの。

笑い話にも出来ねえじゃねえか、頭やイサ姐に俺、どう言えば言いっていうんだよ。俺にこんな事報告させる気かよ。

今から俺が戻る報告しに行くんだろう。いきなり勝手変えるなよ。現実を見ろよ」

樫本は目を硬く閉じ、何度も頷き、紫貴は兄貴の肩を何度か叩いてから歩いてもう一度振り返ってからバイクに跨った。

「……ありがとうな、紫貴」

「………」

紫貴はその言葉に振り返り、目から涙が落ちて視界を流れさせて向き直って目頭を押えた。

「俺は、5年前兄貴が救ってくれた事と同じ事しただけだ。これでちゃらだからな」

そう言い。バイクを走らせて行った。

樫本はその背を、しばらくはずっと見ていた。

初めて……そう言えば彼の背を見た気がする。

いつも後ろを走って来ていて気絶していて叫んでばかりで大して後ろを振り向きもせずにいた。

一度、起き上がらせたら凄く嬉しそうな顔をしてきた事があった。

兄弟という物を、自分は一方からしか考えた事は無かった。紫貴も零姐の言うように成長しているという事を。思ってあげられているだけじゃない。それを、見ずにいた。





★黒★


樫本はしばらくしてキーを回した。

彼は視線を上げ、遠くの横を見た。

「……。ショウ」

彼女はしばらくして佇んでいたが歩いてきて様子を窺いながら辺りを見回し何も言わずに助手席に乗り込んだ。

彼女は前方を見たまま掠れた声で言った。

「さっきは、すいません。ついカッとなって」

「……。なんで謝るんだ」

「紫貴の兄貴だってのに殺そうとした」

樫本は視線を落とした。

それで悟った。どうやらショウが二重人格らしい事も、その片方の人格が列記とした産まれた体のままの男らしい事実だ。真淵翔という本名のままの。

それは、ショウが男であるという確固とした事実でもあり、それを樫本は受け入れる他無かった。

「俺はあんたの事あまり知らねえからはっきり言って畏怖してたが、あんただって人間だもんな。一年前の大雅組とのでかい抗争で何があったかはしらねえが、それでからあんたの噂も変って来てたからさ。それでも信じられなかった。人間とかそういう感情重ねるって事も」

「………」

樫本は目を開き窓の外を流れる視界で見た。

「なんだか、亡霊みてえだって」

「亡霊?」

樫本は翔の顔を見て、翔は肩をすくめた。

「巷の噂だ。わけ分からねえが前とは何か違う印象になったって。雰囲気とか覇気とか」

「……ただ気が抜けてただけだろう」

翔は樫本の横顔を睨んだ。

「それでライカとか殺すなよ」

「ああ。そうだな……言い訳だった」

「だが、ここであんたを殺せは紫貴がどんなに悲しむか知ってる。白だってそうだ。だから、俺はあんたを殺さない。だが俺は……、……チタンを止める、それが俺なりのライカと白への罪滅ぼしだ……。だから、日本に戻ってゼブラナを続ける」

そう、苦し紛れに言い、硬く目を閉じたのを開いて、今までベースを握りつづけてきたその手を、握り締めた。

「だからあんたも、ずっと葉斗を続けろよ。どうせその性質で他に行く宛てなんてねえんだろう。腹決めてやり始めた事なら最期までやれよ。それを見せろよ。男なんだからさあ」

翔はそう言い樫本の横顔を見た。

「おい悲しませるなよ。なんて顔してんだよあんた。こっちまで泣きそうになっちまうじゃねえか。な!」

そう肩を軽く叩いた。

「これ以上何か互いに苦しめあうなんて無しにしようぜ。これ以上を失っちまいそうだろ」

翔はそう言うと笑った。

「人生楽勝。何があろうが上等で行こうぜ」

そうニカッと笑い樫本はそんな翔を見て、彼の手を見下ろした。しっかりした手をしていた。

樫本は頭を深く下げた。

翔は驚いて瞬きした。

「……悪かった」

「………、」

翔は、外の景色を見たまま拳をきつく握り、きっと白も感じただろう怒りを鎮め頭を下げる樫本を見下ろし、首を横に振った。

きっと、白の奴がこうやって謝る事も許さなかったのだろう。

それが樫本自身の苦痛になるからだ。

しばらく彼の姿を見て、肩に手を置いた。

「もう分かった。分かったから」

そう言い背を伸ばさせた。

「笑ってろって。な。その方があんたらしいって」

樫本は視線を上げずにしばらく目を閉じていたのを開き前方を見てシートに背を着けた。

「ハハ、俺が男だって知らなかっただろ」

「ああ。完全に女だと思ってた」

「まあ、そういう世の中だって。あんたの事をしろが許すかは分からねえがな」

紫貴は兄貴の車がなかなか来ないからまた戻って来ていた。

翔が納まっていた。深刻な顔で話し合っているからしばらく様子を見て立ちすくんでいた。

翔は軽い調子を心がけて紫貴に言った。

「おう!紫貴!」

「………」

紫貴はしばらく眉を潜めていたのを、どうしようか迷ってから、バイクを引きそこまで行った。

「よう」

兄貴をその目で見てから翔の顔を見た。

「なんだよ。なんか、どういう事だ?」

翔は車の外に出てから紫貴の肩を叩いた。

「俺、もう帰るわ」

兄貴は白い顔のまま煙草の煙を深く深く吸い込みうな垂れ目元を抑えていた。

紫貴は自分のバイクに跨り、翔も自分のバイクの方に歩いて行き跨った。

翔は紫貴に、「じゃあな」と手を掲げ、走り去って行った。

しばらく紫貴はそんな翔の背をずっと見つづけていた。

樫本はしばらくしてようやくキーを回し、車を発進させ進めさせて行った。

紫貴は消えていった翔の背から前方を見て、その車の後を走って行った。

翔は一度バイクを止め振り返り、消えて行く兄弟の方向をずっと見つづけていた。





★激怒★


樫本は依然真っ青な顔をしていた。

紫貴は信号機で停車して、兄貴が哀れなほどうな垂れているのを「ま、まあまあまあまあまあまーまーまーまあまーー」と、車の屋根をバンバン叩いた。

「お、お前、何でショウが実は男だとかどうとかって言わなかった……」

「え?!何度も言ったじゃねえか!」

「聞いた事もねえ!!」

「言った!ぜってー男だとかって言った!」

「聞いた事ねえって言ってるじゃねえか!」

「だ、だいだいゼブラナはニューハーフの店だってのに何でショウちゃんだけ女で免除されるってんだよ、」

「………、」

また樫本はうな垂れて頭を押えた。

分かっている。そこが問題では無い。男だと知らなかろうが一度愛した女の男を殺して女に絶望させた事実だ。

分かっていた。

ショウは列記とした女の心だ。それに大きな打撃を与えた。女は護るものだというのに、男と男の熾烈な世界でのみ刃を向けるべき物を違えた事実。

それに、ショウどころか翔にまで絶望させ紫貴との仲を兄である自分の行動で壊させてしまったのだ。

彼の変えがたかったのだろう、ベースの夢もだ。

自分は取り返しもつかない事をした。しかも、有無を言う事すら出来ない者達にだ。そんな最低な事は自分の首をもたげた。

「ま、まあまあ〜俺がね〜、俺が弁明するからさ……」

「なにを……」

「まあまさかショウが男だったなんてな、あのー知らなかったんだよってね〜、言ってやるって本当、」

樫本はがっくり頭を押えていたのを真っ白の顔を上げて進めて行った。

紫貴は「あっちゃ〜」と額を押えて追いかけた。

きっと、普段の兄貴ならあんなうな垂れることも無くどんと構えてショックを受けるショウをしかり受け止めるのだろうが、今の兄貴には無理そうだった。

葉斗屋敷に到着した。

いつもの様に樫本派の人間達は頭を下げたが、檀城側は微妙な顔をして樫本を見てから、戻って来た紫貴を睨んだ。

舎弟達はその彼等を睨み口を開きかけたのを樫本は腕を引いて止めて、そのまま歩いて行った。

「樫本の兄貴!」

「いいんだ」

紫貴は大きく頬を膨らめて歩いて行った。

他の連中たちは樫本が歩いて来たのを微妙な顔をして、紫貴が樫本の後ろをいつもの様に口笛を吹きながら歩いて行くのを見ていた。

他の連中たちは檀城派の幹部が日本庭園の横の書院造り、静観の間で座っていたのを歩いて行く樫本の顔を見ずに言った。

「兄弟揃ってあんなニューハーフなんかに騙されやがって、情けねえんじゃねえですか〜?」

「ハッ、どう耄碌したんだか、あの樫本英一があんな姿晒して名が聞いてあきれるぜ」

紫貴が縁側から飛び蹴りして男の顔にけり込んで一騒動が巻き起こり、桐神が駆けつけて来ると何やら殴り合っている五人を見て他の十人の男は見ていた。

樫本が縁側にいるのを見ると可笑しそうに笑いながら歩いて来た。

「おーう英一!きしゃんばりおもろい事し」

「てめえ糞桐神〜〜〜!!!!」

紫貴は怒り怒鳴って顔を上げた。

「お前ホステスが男だったってき、お前、気絶って、ぶぐふ、ぐふふふふ、」

「をおおお!!!!てめええええ!!!!どっちの味方だこらあああ!!!兄貴は知らなかったんだよ、

ええ?!あまま、ま、ま、ま、まさかショウちゃん、ショ、ショ、ショ、ショウちゃんがおおおおおと、

おとこだったって知らなかったんだよあああ!!(フォローぐだぐだ)

おお、お前等ね、お前らしし、知ってたらまま、まさか兄貴があ、なあ、あんたら……ゼーッゼーッ」

「……野郎だろうが関係無く事やらかして頭の顔に泥塗ったのは俺だ……」

青ざめるまま、樫本は歩いて行った。

紫貴は歩いて行く樫本の背を身を乗り出し見て、誰もが顔を見合わせて顔を揃え覗かせた。

桐神は紫貴と顔を見合わせてその後を歩いた。

「ようお前戻ったのかよ」

「え?ああまあな」

桐神の耳を引っ張って小声で言った。

「今の兄貴放っておけるわけねえだろ」

桐神も樫本の落胆する背を見ておどけ、数度相槌を打って背を伸ばした。

「まあよ〜英一。またやっちまったわけじゃねえんだからそう気を落と、ぶふっ」

「桐神〜〜〜フォローになってねえだろうぐあっ」

「フォローって?」

「……」

「……」

紫貴と桐神は振り向いて、そこにショウが日本庭園を横に腕を組み立っていた。

顔も服も傷まみれだったから樫本はそこまで歩いて行き、誰もがそちらを見た。

「なんだ。どうした?」

そう優しく聞き、誰もが顔を見合わせ樫本を見た。

傷まみれなのは何故か警察に自分が囲まれていたのを、金切り声を上げて逃げて来た内に、派手に転んでしまったからだ。

彼女は泣きながら電車に乗って来た。

「フォローって何の事よ。あたしをフォローしなさいよ。何でこの人が何かフォローされる事があるってのよ。男のプライドくらい、幾らでも無くさせてやろうじゃない」

そう目を細め男達を見回して、やはり彼女が鈴姐にしか見えないから誰もが罰悪そうに顔を反らした。

まあ、樫本の妻は絶対に男の誇りを傷つけるようなことはしなく、いつも余裕ででんと構えで強笑していた。男をどこまでも立て闘志を上げさせた。戦に行き帰ってくる樫本に尽くしていた。

「なんでもねえんだショウ」

「ふーんそう。紫貴ちゃん戻って来たのね」

「うんそうなの」

そう紫貴は言った。

ショウから顔を反らして樫本は歩いて行き、ショウは釈然としなくて紫貴の顔を見た。

「あなたのお兄さん酷いんじゃない?あたしが男だって分かればこれ?」

「ショウ……」

振り返って戻って来て、他の男達が上目で見ているのを彼女の背を押し歩いていた。

ショウはそんな腕を引き止めた。

「ねえ英一?みんなに弁明位しなよ。格好付け?真っ青になって、失礼だわ。確かに胸なんか無いし同じ物ものあるけど、あたしは女よ。

心だけじゃあ駄目だって、そんな器小さい男みたいな事言うんだ。他の男の子達やこいつ等みたいに。英一なら違うって思ったのに。

今の世の中ね、ニューハーフなんてわりと普通の顔して生きてんのよ。それを男達が揃いも揃って酷いんじゃない?心も度量も狭いわよ。どうだって言うのよ。

あたしは!英一が好きだって言ってるんだからそれで良いのよ!あたしが惚れたのよ!あたしが忘れられないってだけよ。あたしが強要しただけ、」

「ショウ……」

彼女は顔を上げて彼を見上げた。

「何?!間違ってる?」

「悪いのは俺だ」

「そうね。なら今からみんなの前でキスをして」

「え、それは……」

「なによ!」

「いいいやいやショウちゃん一応兄貴も男なんだしそ」

「紫貴ちゃん?あんた、あたしのこと嫌いなの?」

「え、え〜、そんな嫌いじゃないよ大好きだよ……」

「あんたら、あたしが綺麗じゃ無いとでも言うの?」

ザッと見回した。

顔を見合わせて何も言わなかった。糞美人に他ならないからだ。それがどこの女よりもだ。自分を磨きつづけてきた賜物だろう。

「英一?」

「ええ?」

「え?じゃないわよ!男らしく一度決めた事は責任持ってって言ったじゃない!!」

「おいお前ヒステリックに怒鳴るなよ」

「うるっさいのよ!何よあんたあの猫と仲良くドライブでもしていれば?!」

樫本は、彼女が無理をしているのを引き寄せた。

女に無理をさせて尚もこやって傷つけさせているのは男である自分だ。

彼はそんな強がる彼女の怒った体を一度包括した。

冷やかしの口笛が飛んだ。

「きゃあラブラブ〜!って、兄貴〜!!何墓穴掘ってんだようがあ!!」

「何よ紫貴ちゃん!あんた誰の味方だって言うわけ?!」

「え、えーそれわ〜ん」

「女をフォローするくらいしなさいよ!これじゃあ英一の方が度量大きいって事に納まっちゃうじゃない!

恥じ晒して生きてなんぼよ!死ぬでもなんでも無いでしょうに、ええ?!じゃあこの体のまま生きてるあたしは何だってのよ!ママから貰い受けた体よ!

あんた等も母から立派に受けてそうやって生きて来たんでしょうに!」

「ショ、ショウちゃん?悪かった悪かった本当にご免ね?!ご免ねごめ」

「あああ!!!もうキレたざけんじゃないわよ!!!

あたしはこの身で生きてきてそれで今までだってこうやって女のプライドくらいあんた等の何倍もあるわよ!!」

既に、ショウが怒頭切れてさっきしてきたメイクバリッバリの糞美人な成りでその服、水色掛かるホワイトシルクに水色とパープルのストライプ入りシャツをバリッバリッバリバリリッと破り脱ぎ出したから、誰もが「うおおお!」と、身を乗り出した。

樫本が振り返り、「ええ、」と、顔を引きつらせ大驚きして、上半身裸で怒鳴り叫び始めた、半パフォーマンス化しそうな雰囲気のショウのいる場に駆けつけて彼女に上着を掛けた。

彼女は上着を引き寄せてショウは男達に蹴りをかまして怒鳴り叫んでいて止まらなかった。

零姐は何事だね!と一絽姐と共に走ってきて、少女の有様を見て顔を見合わせて走って来た。

「ちょ、ちょっと、どうしたんだい、ええ?」

「この子は誰なの?貴女、どうしたの?そんな格好をして……」

「この男達に脱がされたのよ!!」

「嘘言ってんじゃねえこのアマ!!」

「柾目!!あんた女に怒鳴り散らしてんじゃないよ!!」

「だ、だって零姐、俺らは何も、このショウって女が勝手にストリップ始めやがっ」

「言ったじゃない!!あたしがニューハーフだからってどうこうまるで英一を同性愛者みたいな目で見て!!!」

「お、おい、俺は男なんさ大嫌いだ、」

「あたしも男よ!!」

「ま、まあまあショウちゃん?落ち着きましょう?貴女、服を身につけに行きましょう?貴方達も、樫本を罵っても得は無いでしょう?」

「あの、一絽姐……?そ、それじゃあまるで俺が、」

「英一〜〜!!!!とんでもないわ!!英一はあたしに罪滅ぼしをしてもらわないと!」

女達には一切話を通していないのだ。男達の間の事だからだ。

「例え、あたしが嫌いになってもお店に来てちょうだいね!」

「ショウちゃん?嫌がるのを連れてこさせるのは女のする事じゃ無いわ。それなら秘密で二人で会っていた方が良いって言うものよ」

「え、い、い、嫌よそんな、そ、そんな……、」

ショウは顔を真っ赤にして樫本を見て俯いてしまった。

二人の女は彼女の体が何も手をつけられていないのだと分かって、顔を見合わせ零は一絽を睨み、一絽は苦笑いしてショウの肩を優しく抱いた。一絽は葉斗の中でも和み系姐なのだが、時に墓穴を掘るのだった……。

「とにかく行きましょう?」

そう優しく言いつれて行った。

紫貴と桐神は目を細くして樫本を見た。樫本は二人を見て閉ざした口を引きつらせ、紫貴に「報告に行くぞ」と呼んで歩いて行った。

誰もがショウの背を、「なんて女だ」と顔を見合わせた。

「ねえ英一。今日も来るんでしょう?」

「今日は……」

「何で?!来てって言ったじゃない!」

「ほらショウちゃん。落ち着いて。綺麗な顔がもったいないわ。そんなにこの樫本の事に惚れているのね」

「そ、そうじゃ、あた、あたしはこの酷い人を、」

真っ赤な顔のまま一絽姐を見て、ショウは「もう!」と言って樫本を睨み顔を反らした。

背後になった男達に「覚えてらっしゃいよ!」と怒鳴って憤然として歩いて行った。

「まあまあ。どこまでも勇ましい子だねえ」

桐神は肩をすくめてその床の間を横切って廊下を歩いて行った。

既に屋敷中にはあのホステスに土下座して謝ったのが実は男だったと知り気絶しぶったおれた事実は幹本が口を大にして触れ回っていた。

「もう!どいつもこいつも心狭いんじゃない!ああいう凝り固まった奴等って本当なんて失礼なのかしら!もう嫌になる!あたしはここまで自分を磨いたのに!偏見よ差別だわ!こんなの酷い!」

「ショウ」

樫本は、一絽に腕に包まれ歩いて行くショウを引き寄せて抱きしめた。

「悪かった……もう自分を攻めるな」

「………、」

そうショウの背を撫でて、ショウは真っ赤な顔をして樫本の耳を見て、離したのを俯いて大人しくなり歩いて行った。

零は樫本を小突いて、樫本は咳払いしネクタイを正しながら歩いて行き言った。

「お、女の心を守るのは、お、男にしか出来ねえ役目だ、」

「ちょっと!あたしを傷つけたのはあなたじゃない!」

ショウは振り返り、樫本を見てから言った。

「ふん、あたしが男の子でごめんなさいね。いい気味だわ。ライカを殺した罰が当たったのよ。それに思った以上に始末の悪い女で残念だったわね!」

精一杯に強がりそう言い走って行った。

一絽はその背に「左よ!」と声を上げた。

樫本は溜息をつき目を閉じた。

零はその背を叩いてやってから歩いて行かせた。




★詞★


樫本は紫貴と共に歩き頭の離れの障子を開けた。

彼は顔を樫本に向けて背後の紫貴を見てから二人を座らせた。

「ショウちゃんが来ているようだな」

「はい」

「そうか」

彼は口端を上げ微笑み頷いてから二人の顔を見た。

紫貴は初めて入ったから見回していたのを上目で頭を見た。

「よくいろいろな事を考えたらしいな」

紫貴はこくりと頷いてから言った。

「戻って来ていいの?俺たち」

頭は二人を見てから樫本を見ながら紫貴に言った。

「こいつのやった事は確かに外道だ。男として、人間としてもな。どこかに属するという事は、極道がどうの関係は無い。こいつの首領としてもショウちゃんには償い切れない事だ。だが、私は彼に葉斗への一生の契約を結ばせた」

「本当?」

「それが辛いとしてもな」

「そんな、とんでもない」

「樫本。私はお前をずっと信頼して来た。

お前の両親もお前が決めた道だ。道場と伝統を、お前の歩むはずだった志を汚してしまった手前、葉斗へと決めたのなら息子を一生使ってやって欲しいと懇願されて来た。

堅気を汚す事の無い葉斗ならばと、本当は親心にはお前を極道に置かせる事を心苦しく思っただろうが、自分がやってしまった事を私ならばとその後の道しるべにと渡してくれたんだ」

「………」

樫本は瞬きして頭の言葉に彼の顔を見た。そんな事など全く知らなかった事だった。

「姉貴もお前に感謝している。紫貴もそうだ。お前は多くを護りつづけた。その手とその腕でだ。その刀を奮い続けた。

お前の立派だった御爺様の心も大切に踏みこの黒い道だがそれでも正当に歩み続けた。

だが、お前は一瞬血迷った内に無駄な血を流させ、お前の愛する絆全てをその一瞬で傷つけ、無くした。ショウちゃんの事もだ。ライカさんの事も傷つけた。紫貴や姉貴もだ。

ショウちゃんはお前を許したが、私は許すことは絶対にしない。全てをこれからの行動と誠意を持ち示しなさい。一度許された女に救われた命だ。

あの子はまだ十六歳。それをしっかり分かってあげなさい。

お前は馬鹿が着くほど正直者でしか無いんだ。それしか無いとも言える。人並みに傷心もするし、人並みに苦しむ。

それを他にまで、味合わせるなんてあんまりだろう……。お前には、過ちを繰り返して欲しく無い」

紫貴の方を向いて言った。

「紫貴。お前がまだ兄貴を思ってここに戻って来てくれてうれしいよ。

この愚かな兄貴を連れ戻したのも、お前の存在があったからだ。

お前は立派になってきている。五年前よりもだ。地獄を見てきただけあって根性は据わっている。我もしっかりしている。

兄弟で伸ばしあって行く為に兄弟はあるんだよ。血とはそういう物だ。それが、同じ血に産まれた運命だ。

一番身近で様々を見て物事を同じほど感じてそして伸ばしあって行く。同じ血だからこそ、同じ物を見て行ける。だから、考える事で違う道も示してあげられる。それを受け入れる事をしなければならない物でもある。

こんな世界でもお前達は本当は心がある兄弟だ。礎で息づき築かせてきた伝統の心がお前達の血の中にもしっかり息づいているという事だ。

ショウちゃんをライカさんに変って精一杯フォローしてあげなさい。あの子はとても傷つき易い子だ。そしてとても優しい子だ。

だから、あそこまで我々に敵対して精一杯になっている。それを、分かってあげなさい」





★涙★


ショウは着物や着流しが常の零の洋服を借り、彼女にお礼をした。

「怒鳴り散らしてごめんなさい……。なんだか、自分のことに全く歯止めが利かなくなっていたんです。こんなに激しく怒りを感じた事は初めてで、何をどうすればいいのか分からなくて……」

「ショウ……。辛かったでしょうね。樫本の事は一生許せないだろうけど、あんたは本当見上げた根性の子だよ」

「そんな事無いわ。自分のやっている事に収集つかなくなって、どんどん女として醜くなって行くみたい……美しい心をって、ずっと素敵な女性に憧れ続けた。あたしのママみたいに」

「大丈夫。大丈夫だよショウ。

あのねショウ。女というのはとても、元々がどうしても傷つき易くて逆に誰もがしたたかに生きる事が出来たらって、傷つくたびに思う。

防御策なのよ。美しくばかりいる事はとても辛い事だ。そうだろう?醜い心だなんて、一重では言えないのよ。

傷ついてしまう心からは逃れるのは容易くは無い。どうしても逃げ道にしてしまうとしても、そこに救いを女は求めてしまう。

これから幾らでも女は学んで行ける。ゼブラナはね、確かに特殊な場所だよ。彼女達三人は男としての存在を深く考える。女のいろいろな心をよく考える。様々を見てきている。男。そして女をね。

時にはね、あたし達よりも彼女達は心が弱いわ。そして、あたし達よりもとても純粋でとても心が綺麗だ。そして強かに生きていかなくてはという心を持っている。

自分を好きになろうと自分と向き合い接して来て認めてきているから。ショウもそうでしょう?

女は男が戦に行っている内を常に考えて生きて来た種族だ。深く、そして心を強くね。男と女の違いは本当に深いんだよ。

男も女も本当はどちらも強く、どちらも弱い。女が強い所は実際男は弱いものだ。それが分からない人間は多いんだよ。

うちの衆は男気は一丁前にあったって、この世界に生きる分認められない範囲を狭い所もある。ちょいとそこは、こちらでも言ってやらなけりゃならない事だね。

競争率の高い世界は心が醜いんだよ。軽く嘲ってどうも思わない世界はどこにでも転がっている。

だが、強い男っていうのは全てを一度認めることの出来る人間だ。そういう人を、ショウちゃん、見つけなさい」

ショウは、一気に俯いた顔が真っ赤になってぽろぽろ熱い涙をこぼした。

「今は、辛いのは分かる。樫本に頼りたくなるのも分かる。

だが、彼は駄目だ。あんたに特別に固執しすぎているんだ。

ライカさんがとても素敵な、とても温かくしっかりした出来た男性だったっていう事も分かってる。もう、同じ人が現れない事も。

本当に、辛かっただろうね。掛け替え無い人を失ってしまって。

だから、ショウ、あんたは彼の心を受け継いで生きて行くんだよ。あんたはあんたで生きて行くんだ。何にも染まらずにね。

ライカさんはあんたの横に絶対に寄り添って見てくれている。あんたが辛くなくなるまで、絶対にいてくれる。

その愛情の欠片を感じるはずだよ。本当に愛し合っていたからこそ」

ショウは何度も強く頷いた。

「あんたなら、乗り切る事が出来る。今の今まで……、良く頑張って来たね」

ショウは、もう、強がる事は無いのだと、もう自分を認めていいのだと、安心出来た気がした。

気を抜いていいのだと。

ショウは体中を真っ赤にして泣き、零は彼女の髪を撫でつづけた。

多くの人から、多くの詞を貰って慰められて、自分には無い詞を多くもらって、彼女は今度から絶対に自分もそういう人になろうと思った。

辛いことを多く乗り越えて、また辛くても腐ったらいけない。女の志を強くいようと。何を、言われようとも、屈しない。




★揺れる心★


樫本はショウを送って行くように言われた。

彼女はセダンに乗り込みずっと俯いていた。

樫本は何もいう事が出来なくなっていた。ハンドルをもツ手さえ汗が滲んだのを煙草を出す事でごまかして、ジッポーが無い事に気づき溜息さえ出ず諦めた。

「ショウ……」

思った以上に小さい声に、樫本は自分に呆れて彼女の方を見ることも出来なかった。

ショウはずっと俯いたままだった。

「曲、聴きたいな」

「曲?」

ショウは頷き、樫本はカーステレオから顔を出すカセットをスリットさせた。

その手さえ、ショウは視界に入って来たのを緊張してもっと顔を俯けた。

しばらくして、ジャズが流れて来て、ショウは視線だけ上げた。

「英一、ジャズ聴くんだ」

「演歌ばっかり聴くと思ったのか」

「ふ、そう。変な偏見ね。ヤクザとか極道ってなんだかそういう感じがするし」

「確かに昭和の演歌好きは多いが、俺はあんな檀城が聴くようなジジ臭いのは嫌いなんだ」

「たんじょう?」

「ああ。幹部だ」

「英一何か歌ってよ」

「え?」

「歌よ。ほら、これは歌詞がついてるじゃない」

「俺は音痴なんだ」

「紫貴ちゃんは上手だから本当は上手なのよ。この前聴いた。黒の世界って、凄いって思って感動した。素敵だって思った……」

「………」

樫本は真淵翔の苦渋の決断を思い出して一度目を閉じ開いた。

「耳を塞がれる」

「え、そんなに?」

「ああ」

「今度聴かせてね」

ショウの横顔を見て、ショウは俯いたまま瞼を綴じていた。

全く化粧化は落ちたが、美しい顔立ちだ……。

「お前の事は……、諦める……」

ショウは顔を上げ目を開き、樫本を見た。

「駄目……」

「そうした方がいい」

樫本は顔を戻し窓の外を見て唇に指を当て苦し紛れに言った。

「お前はライカの物だ」

しばらくショウは、彼の背ける顔を見ていて、ハンドルの手はいつもの冷静そうな口調とは裏腹にどこか思いつめたように、どこか躊躇していた。

この人は……何かに傷ついているんだわ。

昔からきっと。何かに。それを、あたしは何らかに関わったんだわ。だから彼は、ライカを殺してしまって……そしてあたしに躊躇して戸惑っている。

はっきり言えばショウは極道の人間だから、堅気の一人や二人殺したくらいでは彼等は何も思わずにコンクリートに固めて忘れ去られると思っていた。

本音と、建前がどうとか言っていようが、無常にも。

でも、彼等や頭は仁義を持って容赦を掛けた。

葉斗の人達は堅気には手を無闇に出さないからだ。やり方はどんなに古かろうがそれが葉斗だからだ。厳しくする事が。

その判断を厳しく下して来たのが今までは樫本で、そのまさかの彼が起こした不祥事だから誰もが戸惑ったのだろう。

ショウは、ここは女らしく引くべきか、それとも、本音のおもむくままに行くか、分からなかった……。

あたしはライカの物だ。そうよ?それはそうよ。

その彼を殺した人を好きになっていたなんて……。

外道な女だという事は分かっているけど、心は……、騙せない。

次に進まなければならないから。

「分かったわ」

ショウはそう言い、樫本は苦し紛れに目を閉じてからショウを見てショウは瞬きもせずに彼を大きな目で見上げた。

「しばらく離れて、距離を置いてあたしは冷静になる必要がある。あなただってそうでしょう?ライカが死んで、この所あたしはずっと混乱していただけ。大して好きじゃない英一に心惑わされていただけだし、幻影を追いかけていただけだわ。自分に暗示を掛けていたのよ。大好きだなんて、愛してるって、あなたの事」

樫本は視線が定まらなくなって来て、ショウの口に視線を落としつづけ、彼女は、全ては幻影だったと言い。

自分のしてしまった事を、無意味な心と留めた。それもそうだ……それも……。

そして言った。

「別にどうでもいいの」

樫本は、大きく息を吸い吐いて、目を閉じ、ハンドルに流した上に額を付け何度も頷いた。

「……そうだよな……、」

ショウは唇を噛み締めて言った。

「傷つくのはやめて。お願い。勝手な人……」

樫本は深く息を吐き、冷静な目を上げて窓の外から前方を見て眼を戻した。

「ライカは強いんだな」

「ええ。そうよ。素晴らしい人だったわ。語り尽くせない程ね……。でも、英一だってそうじゃない。自分を見失わないで。取り戻せる筈だわ。あなたは今まで、やって来れた人だから。だから、だから……」

樫本は頷いてからショウを見ることが出来なかったがそれでも見た。

「分かった。お前の人生には踏み込まない」

ショウは息を呑んで樫本の目を見上げ、彼のその目は無理にでも正気を保とうとしていた。理性を保とうとしていた。

これからも、以前の自分の様にだ。

駄目だ……引き返せない

やっぱり時間を置くべきだ。

追ってしまわないように。冷静さをあたしが失う前に。

それでも、心を偽る事が出来なかったら?

なんで、何でこんなに彼の事が好きなの。何故?何時から彼が?

彼があたしをとても優しい目で……温かみのある目でいつでも、見て来てくれていたから……。

嘘偽りの無い目で、愛しい者を見つめる様に、安易な視線など何一つ投げかけてきた事など無かったから、その黒目勝ちの目が、あたしをいつも貫く様に見つめて来たから……。

あたしは、惹かれて行く理由など分からずに彼を見つめていたから。

もう、傷つけあいたくなど無いからだわ。それが得策だから。

「離れた方がいいのよ」

もう、憎むのを疲れてしまったから。元の自分に戻りたいから。

ショウはそう言い、停車していた車からドアを開け、樫本の方を絶対見ずに大またで歩いて行った。

「………、」

その背を見て……

「……ショウ!」

樫本は、車外に出て追いかけてしまっていた。

「行くな、行かないでくれ!」

ハッとして、自分の言ってしまった事に心臓が変な音を立てた。

背から抱きしめた腕の中の彼女は、地面を俯き見ていて、彼の腕に当てる手を大きな目で見つめていた。

その時初めて、樫本英一では無いこの人個人という物が、現れた気がした……

あんなに諦め様って決めてきたのに、樫本は自分が情けなくも言ってしまった事を、ショウの方から決別を言い渡してくれて去って行ったその背を、自分は追ってしまったのだ……。

するべきで無い事を。してはいけない事を。

「……ライカ、」

ショウは乾く泣き声でそう目を閉じる目で囁き言い、静かな声で静かに泣き、満点の星空を見つめた。

樫本のその手を、その腕を掴んだ。

本当は、誰が何と言おうがこの人の腕に飛び込んで行きたい。

誰がなんて言おうが、関係無いわと。それをしてしまいたい。

出来れば。

その先に待っている物はきつい物だ。許されない心の呵責と連なる軽蔑の嵐、本当の人々の冷たい嵐だ。本気で、樫本は落ちたと。

でも、真実の心に従って何がいけないというの?彼のこの言葉は情け無いだなんて思えない。全然思えない。切に、あたし自身をライカの様に心求めて来てくれているから。

純粋に、ただ、単純に。複雑にだ。

誰がなんと言おうと。

ショウは向き直り、樫本を見上げた。

彼は腕を離して彼女を見下ろした。ゆっくり二度瞬きする事で感情を抑えた。

「送って行く」

そう言い、引き返して行った。

ショウはしばらく俯いていたが、彼が乗り込み角の外を見るのを車の方へ歩いて行った。</p>]




★泣かない心★


「おじゃまします」

そう小さく言い乗り込んで、ここで思わず自体が発生した。

おなかがすいて、腹が鳴ったのだ。

ショウはおなかを抑えて目を閉じた。

「はあ。怒鳴ったからおなか空いた……」

「はは、子供みたいだな」

ショウは可笑しそうに笑って樫本を見上げた。

上目で見て微笑んだ。

「そうよ?まだ育ちざかりの年齢よ。聖マドレネィン学園に通う女の子をそそのかして、犯罪者ねえ英一は」

「………」

樫本は瞬きをして口を閉ざして、ショウの冷やかす意地悪っぽい笑顔を見下ろして、その意外な反応にショウは逆に恥ずかしくなって顔を反らして、樫本も窓の外を見て顔を反らした。

「ま、まあ、あたしは男の子だけど」

「お、おい、それじゃあ俺がまるで、」

「ふ、やだごめんなさいそういうつもりじゃ無いの。妙な言い回ししたわよね。悪い癖なのあたしったら」

「別に……俺はお前自身を好きだからどうこう関係ねえよ。細かい事は」

ショウはそんな言葉に嬉しくて、それが気遣いでも嬉しかった。

樫本は窓の外を見ていたのをさっさとキーを回して何も言わずに発進させた。

ショウは目元まで笑みを広げ膝を見下ろして、自分があれから初めて分かった事に気づいて、心寂しくもあった。

小さく微笑ませて自分の組まれる手を見つめて窓の外を流れるように見た。

感慨深くだが、ちょっとだけ、考えるのをやめよう……

樫本はしばらく無言で走らせて行ったのを、横をちらりと見て彼女は目を閉じ窓がわに顔を傾けていた。

「ショウ……?」

……不安がるだなんて馬鹿げている。

樫本は彼女の頬に手を項を当て、温かいし、静かに息をしている。

震える手が引いて、嫌な汗が伝ったのを拭った。

……離れた方がいい、

分かっていた。紫貴の言う事の意味も、分かっていた……。

離れた方がいいという事は。

あの時街角で、彼女を見つけてしまわなければ良かった。

彼女を見つけてしまって、何故引き合ってしまったのか、偶然でも必然でも彼女に会えて……嬉しかったのだ。

もう二度と、触れることなど本当は

許されないことだったから

失ってしまってはもう二度と。だから余りに、余りに嬉しくて……取り返しのつかない事を自分はした。

彼女が眠る中、車を進めて行った。

絶対に自分達の心が進めることをどうしても許すことの出来ない、結局はそういう心が強く根付いていて

 このまま……二人でこのまま逃げようか

 ……誰もいない所まで……走らせ逃げてしまいたい

世間一般だとか、心のもやもやだとか、しがらみや、心のやってはいけないハードル、他の者なら破る事も

 攻められる事も、言われる事も無い場所まで

 行けるなら、すぐにでも

 どこかで車を乗り捨てて……

絶対に破らないという物が普通という物を、そういう物の間で揺れ動いて、

 ……許されないとしても

心苦しくなって行く。

そんな心ばかりで、ただ、周りにしっかり言ってくれる者がいなかったら

 駄目だ。そんな事は

完全にショウを連れ去ってでも、自分の物にしていた。

何がなんだろうと。

そんな事をすればきっと、再び同じような事で失う筈だからと、微かに思っていた。

 そのままどこかで死なせるよりは

 連れ出した先か

 関わらない先か……

こうやって、彼女の心を失わせたように。

 逃げた先の道で失わせては駄目だ

分かっているというのに、分かるだけ分かって、自分は実行しなければなかない事も心の内だけで分かったつもりでいる。

離れることだけが得策だと。





★してはいけない約束★


行く宛て分からずに、樫本はショウを起こした。

「ショウ?」

肩を叩き、ショウは起きない。

しばらく見つめ、その滑らかな髪を撫でた。

「ショウ。起きるんだ」

反応がありそれを確認してから樫本はシーツに背を付け前方を見た。

彼女は視線を変えしばらく起きずに樫本は顔を向けた。

バッと、顔を反らした。

「………、」

ショウの大きな目は、樫本を体をこちらに向け肩をシートに着けては、手を軽く丸め上目で見ていたからだ。

「……驚かせるなよ、」

「可愛いのね……」

「え?」

樫本は眉を潜めてショウを見て、ショウはまるで彼女では無いような目をしていた。

背後の底の無い闇を背景に。

強い目で、感情が全く読めなかった。

寝起きが悪いだけじゃ無い顔だ。怒っているとか、そういうだけの目じゃ無い目で、どこか動物の目に思えた……。

「キスをして……」

樫本は耳を疑って同じ体制で彼を見る彼女を見下ろした。

「瞼に、頬に、腕と、あたしの肌にも」

「……。ショウ?」

まるでショウじゃ無いようだ。

別人のような……

「早く、その腕を伸ばして……」

そう彼女は、両腕を広げ伸ばし来て、シートに頭をつけ樫本を見つめた。

大きな口元は感情を窺えずに微かに開いていた。

樫本は彼女の事を定まらない目で見つめて、体が動かなかった。

完全に動かなかった。

バネが体中の間接を仕切っているようだ。その事で撃たれた肘の痛みを感じ、それが神経をここにまだ留めさせていた。

「英一……?」

そう囁き、樫本は短く息を吸い、ショウの目を凝視した。

彼女は片腕を下げ、その上げたままの片手を伸ばして彼の前髪を耳に掛けた。

樫本は言葉をなくして、そんな彼女の仕草をずっと見ていた。

視界の隅に映るその指を。

「………、」

足をゆっくり組替え、姿勢を上げさせるその強い視線も、一度も瞬きをしないその大きな瞳も。

「……来て」

樫本は顔を反らし、目を閉じて彼女の声を耳から追い出し目を塞ぎ、彼女は彼の丸めた背を掲げたままの腕を返し彼の髪を弄んで片足を引き寄せ、微かに開いた大きな唇は感情の窺えない目のまま見下ろした。

「可愛い人……」

樫本は首を振って震え出した肩を目を覆ったままの手で抑えて真っ白になった顔だけ上げた。ハンドルを見つめ前方を凝視し、変な汗がこめかみを流れた。

依然彼女はそんな彼を見つめてシートに側頭部を着けたままの状態で彼の頬を撫でた。

彼は目を閉じ、俯き開いて窓がわに顔を向け開いた。

「あなたは、弄ばれるのが好きなのね……」

「違う、」

首を振り苦し紛れに目を閉じ額をハンドルに着け嫌な汗が流れる。

何だ一体、一体……

窓がわに顔を向けて、真っ青な顔で窓の外を見た。

ショウは性悪に目元を鋭く口元を微笑ませその手を下げてシートに片足を曲げ乗せて首を傾げ樫本を見た。

目は充分に潤んで樫本を実に美味しそうに見て、まるで、美しいメデューサさのように妖艶に口元を微笑ませた。

「英一」

そう顔を上げた彼の耳元に上半身を猫の様に前のめらせ首を伸ばし囁き、樫本は彼女を冷や汗の伝う横目で見下ろし、腕を抑えたまま、やはり顔は真っ白だった。

その彼の顔を見て微笑し、心底面白がっている炎が目の奥にくすぶって大きな瞼を綴じ開いた。

自分の足首に手を掛け彼を間近で見つめた。

「怖がっているの?意気地無しなのね」

そう震わせた喉で言い、樫本は冷静になろうとした。

「冷静になどならないで」

そう一気に怖い目元になり彼女はきつい声で言った。

……ショウじゃ無い、

分からない……

演技にさえ見えなかった。何かがリアルで怖かった。

心を全て読まれているかの様で、何も考える事など出来なくなっていた。

完全にがんじがらめにされていた。

精神が徐々に何かに削らせて行くことが楽しくて仕方が無いかの様に。

何故だ。

俺を弄ぼうとしているのか?小娘の術に引っかかりそうなだけでは無く、危険な雰囲気が蔓延していた。色彩さえもだ。空気が濃密な色に変ったかの様にだ。紫だとか、暖色だとか、黄金など、そういった、闇がすぐそこの混沌とした空気だ。

静かであって、音が氾濫している様でもあって、無音で、耳には分からない音でもあって音ではない、旋律であって、無音の……

「愛しているわ……」

世界一恐ろしい愛しているに聞こえ、樫本は表情も無く側頭部をシートにつけたまま力を抜いた姿勢で片手を掲げて虚ろそうな目で視線を落とした。そんな彼女を見つめた。

その目から、一粒涙がこぼれ、それは綺麗な光を受け彼女の腕に滴り落ちた。足首を持った滑らかな手腕に落ちて行った。

寂しそうな、愛情が無ければ駄目になってしまうがらんどうな心で。

愛を失った女が、そこにはいた

駄目だ、一瞬

そう思った。だが、心弱く抵抗できずに彼女を思い切り強く抱きしめていた。

強く抱きしめて、彼女の肩に額を付け彼女の髪に頬を強く寄せていた。

離せない

彼女の冷えた体が一気に熱を持ち生き返ったかの様に熱くなった。

そろそろと、彼の背に手をかけ、彼が体を向け強く抱きしめてくれるのを、天井を涙が潤む熱い視線で見つめ閉じて、彼の背を強く抱いた。

彼は顔を俯かせて髪を頬擦りし強く抱く彼女の背にもっとしっかり両腕を巻きつけた。

閉じる目を開ける事も無くしばらく、抱きしめていた。

全てを忘れ、全てを感情におもむくままだけにだ……。互いにガードを心底から木っ端微塵に崩し壊して。

だが樫本にはますます彼女の心は厚くヴェールに覆い包まれた様に感じた。

心を封じたからだろう。一つの心を。

「ここにいさせて、あなたの前にいるときだけでも、あたしのままでいさせて」

今に心は変ってしまうのだろうか、自分は心を強くし元の自分ではなくして行く様に、そうしなければこれからを渡り歩けずに、心が叫ぶ。変りたくない、変ってしまいたくなどない、一つの花道の上で……昔の自分を失わせ自分を誰か他の女が乗っ取ろうとする

「あたしでいさせて……」

あたしは、求めてしまうのだろう。愚かな愛にこうやって。何も、気にしたくない。何もかもかなぐり捨てた愛に救いが無くたって、他に求めるものが無いとしても。

他に着色されない恋に、純粋に。

歯止めを利かせるのは自分自身の心でしか無いのに。

樫本は目を開き彼女の背を見つめ、また目を閉じ彼女の背と肩を抱いた。

「秘密で、逢おう」

そう、囁いた。

ショウは大きく目を開き息を吸い目を閉じ、大きく頷いた。

背に当てる彼女の両手が微かに震え、熱くなって手を丸め彼の肩に熱い顔を強くうずめた。

二人で、認めてしまった事だ。始めてしまった事だ。留まる時まで。

知られれば、間違いなく頭から葉斗を破門にされるだろう。だが、それさえも心の中で消し去って、彼女の背を撫で彼女の首筋に熱い唇を寄せた。

「いいのか、それで」

「構わないわ」

樫本は何度か頷き、息を深く吸い「そうか……」そう囁き固く綴じた目を開き体を離し、しばらく俯いて曲げられる足元を見つめていた。彼女は俯く樫本の見えない目を見つめて、彼は彼女の肩に片手を乗せていたのを優しく撫でてから、背を運転席のシートに着け沈めて外を一度見てから腕を伸ばしキーをまわした。

ショウは目を深く閉じ姿勢を正して樫本を見つめ、目を閉じた。

車は静かに動き出し、その音に感情を集中させていた。

無言で車は進んで行った。




★互いの領分★


彼女が言った場所まで車で乗り入れ、停止させると一度彼女を横目でちらりと見てからサイドギアに乗せる手を所帯なさげに一度叩いてからパーキングにした。

「別に、他の客と外で落ち合ってても構わねえんだ。俺は別に口出し出来ねえ事だからな。だが、俺は店に顔を見せない」

「見せて。その夜とは他の日に逢いましょう?その方が不自然じゃ無いわ。でもあたし……体に自信、無いから」

それははっきり言って問題外だ。確かにショウから見れば都合良い話になるだろうものの。

「別に関係持つ事が全てじゃねえ。そうだろう」

ショウは視線を落として何度か小さく頷いた。

きっと、彼にそういう気はさらさら無いのだろう。分かっていた……。外で二人だけで逢ってくれるだけでも、彼との時間を共有していたい。独りは嫌。

バーでも、食事でも、どこかのラウンジででも。

顔を上げて、彼女は小さく微笑み樫本を見た。

「今日はありがとう」

そうにっこり微笑み、樫本は上目を上げ彼女のその笑顔を見て軽く引き寄せた。顔を俯かせ頷き、離して前方を向き直った。

「気をつけて帰れ」

「うん」

ショウは微笑み、彼の頬に一度キスをしてからドアから出た。

樫本はその方向を見上げ、彼女は手を振って歩いて行くのを、しばらく頬に指先を当て見ていた。

キーを回して発進させて行った。

ショウは一度振り返り、樫本が車内から手を軽く掲げたのを、微笑み手を掲げ振った。

彼女は向き直り歩いて行った。その姿が消えるまでを、ずっと見つめつづけては、車を進めて行った。





★縁談★


翌朝、葉斗屋敷へ車を向わせる。

幹本が、屋敷に車が到着もしていない内から両手を大きくブンブン振ってあの猫顔を目を口を大きくさせ跳んでいて、樫本は眉を潜めそれを見て車を急がせた。

「兄貴、兄貴大変です!」

「なんだ。どうした」

彼は全然落ち着きが無く、困惑しきっていた。

「実は……、」

と、樫本の耳に耳打ちした。

「……零姐が結納だって……?」

「そ、そ、そ、そうらしいんですよ、しかも、あのムエタイ世界チャンピオン、文☆大吉と!!!!」

樫本はつんざいた耳を押さえ幹本の頭をばしっと叩き、顔を歪めて睨み見上げた。

彼も大の、樫本同様K−1馬鹿の一員で、だから動揺しまくっていた。

その気は分かる。だが耳が痛い。

「いつだ」

「半年後とかって話です」

「それまでは、文大吉の整形期間だっつ」

ドバシッ

「聞こえてるのよあんたっ!!」

車を降り眉を潜め言った樫本の頭を零が叩いて、樫本は頭をさすって両肩をすくめさせ進んで行った。

「あんた、結納の儀で進行を頼むね」

「分かりました」

儀式はとんでもなく、長い。しかもかなりの工程の多さだ。

「紋付袴をまた全員分繕うのに、これから一絽ちゃんと大忙しだよ」

そう零姐はうきうきしながら娘の様に袂を持って小走りして行った。

そんな背を見て、舎弟と顔を見合わせ樫本は歩いて行った。

「こんにちは」

樫本は振り返り、玄関の方向から声がしたから駐車場裏口から屋敷へ入った横の開口部から横を振り返った。

「ああ。シマ」

「どうも。ごきげんよう」

彼女はそう言い、黒のロングのパーマ髪に白い肌の色っぽい黒目にダークレッドの唇を引き上げ樫本を見上げた。

「今日は?」

「ええ。姉に言われまして。お使いをね」

「ああ、彼女からの」

玄関からも覗く明るい日本庭園の縁側廊下の奥から零も戻って来て、その横の書院造りから三人の幹部が顔を覗かせた。

「シマちゃんじゃないの。いらっしゃいな」

シマを招き入れる為に父親を呼びに行った。

「樫本。父さんを呼んで来てくれないかしら」

「はい」

シマは微笑み框に上がってヒールを揃え、樫本に会釈して歩いて行った。

ジェグリアの事だから、紫貴とつるんで何かを考えているのだろう。

「ろばだ、がああ!!!」

「おいいい加減に普通に登場しろ……」

「紫貴は、樫本屋敷ではいつもこうなの?」

「常にだ」

「常にさ」

「産まれた瞬間からこうだ」

弟の誕生した時の産声はヤバさを持って生を誇示していた。まるで火山から今し方生み出された地球の卵の様にだ。

母はあの時の感想を、十歳の英一には、か、かなりの安産だった筈なんだけど……と何とも着かない顔をして言っていた……。

樫本は頭を呼びに行った。

「なーなー兄貴〜いい話持って来たんだぜ〜ん」

「何を」

「シマちゃんと結婚しちゃって!」

「は?」

「って顔しないノンノーン」

「誰がだ」

「兄貴が!」

シマを振り返り、シマは樫本を見上げあでやかに微笑んだ。

瞬きして向き直った。

昨夜、女と密会の約束をしたばかりだった。

唐突過ぎる話だ。

「おいお前、何を考えてそんな話出したんだ」

「え?前言ったじゃんよー兄貴とシマちゃんの結婚話」

「いやそれは偲だろう」

「まーまーまだ一応シマも自分の見合い写真持って来たような物だからさ〜自分で」

「使いって……、あの女妹にどういう言い方するんだ。礼儀も何もあったもんじゃねえな」

「ま、年頃の幹部集めて来るから。さーお〜い幹本く〜ん」

「あ。俺も候補?」

「んな君下っ端でしょうが〜。え?このシマを下っ端と結婚させようっていうの?ん?ほらほら集めに行くぜい」

「あ、あんた自分で入るわけじゃねえだろうなあ」

「んえ?ああ俺様ちゃん?俺様ちゃんあ〜他の恋人がいつのでね、うへへへへへ」

「やめろその笑い方、」

「糞桐神と〜猫田も結婚してねえんだよなまああの顔だしな!あと他に二十代後半っていうと〜檀城兄貴んとこの赤松二十八!」

「死んだ死んだ」

「うへへへへへへ」

「おい、あんた、やめてくれ、」

「あとはそういえば〜撫木と柾目?」

「猫田兄貴は女がいる」

「信じてねえから入れておこ〜」

「いるんだって!」

「なんだとん?!あのハゲ信じられねえ!」

ゴッ

「スキンだこりゃあ、」

「っの、猫ちん……、」

「っだと、この野郎……、」

「まーまー。シマちゃん紹介してやるから」

「俺の好みは」

「あとはー柾目どこ」

「柾目の奴は外回りだ」

「マジ?仕方ねえなあ」

「撫木の兄貴はいつもの様に檀城の兄貴の所だと思うので呼んできますよ」

「シマちゃん待たせるんじゃないよ〜?幹本ちゃ〜ん。さっさと行ってしまいれ〜い。俺は糞っ桐神桐神!」

紫貴はそう言い静観の間を横切り階段を上がって行った。

桐神はまだシマには会った事は無い筈だ。

樫本は頭を呼びに行き、何やら縁談話が続出中らしいという事を言うと、頭はいつもの様に大柄に笑った。

「シマちゃんは最近旦那を欲しがっていてなあ。銀座のママも勧めて来ているんだ。葉斗の若い衆にと言って来てくれていると言うわけだ」

「へえ。うちのをねえ。若い者達なら俺は抜けていますね。さっき紫貴の奴がどうこう言っていましたから」

「考えるのもいいと思うぞ樫本。シマちゃんはよく出来た女だ。家に帰ってお前も寂しいだろう。戦からの時もそうだ」

「まあ、紫貴の奴が死に物狂いで煩いので。それに、妻の三回忌も済んでいない内からは……」

頭は微笑み頷いて、樫本の腕を叩いて歩いて行った。

「実は、先ほど零姐の縁談の話を聞いた」

「ああ。姉貴がどうしても認めてやれと言うものだからな」

「成る程。だが、人は悪くは無い。俺も知ってる。リング上で見つづけて来た事もある」

「最近行ったのか」

「時期になれば」

「ハハ、そうか」

樫本の期待に反して妻のファンだったアルゼンチンファイターはUSAチャンピオンになどなった。あの悪辣とした目の凶暴な甘いマスクで妻の心を奪う奴だ。樫本はまた心なしか嫉妬して憮然とし角を曲がった。

障子を開け頭を促した。

そこに零姐、一絽姐、シマ。

そして撫木に紫貴に、桐神が座っていた。猫田は逃げていた。

「なんでお前が男衆の真中に納まってんだ」

「うん。それとなく」

シマは目の前に座る桐神ににっこり微笑んで、桐神も微笑み返した。

「んのやろお愛想良く笑いやがって卑怯だぞ糞偲!!!」

紫貴は叫んで桐神はいつもの様にシカトした。

「こらこら紫貴ちゃんはお庭で遊んでなさい」

「ほーい」

紫貴は飛び跳ねて出て行った。

撫木はシマの常連だから顔を見知っていた。

シマはクラブラウンジの女で、ジェグリアとは父親と血が繋がっていた。あまり姉妹では会って会話はしていないらしく、世界中にジェグリアやシマの兄弟姉妹を持たせていた。たしか二百八十人はある話で、亡きマンモスグランドパパの子供達は揃って美男美女ばかりだ。

「ツチノコいたツチノコ〜!」

「黙って遊べねえのかお前等の血縁は……」

「何かを違えて生まれて来たんだ。前々から薄々感づいてた」

「うわ〜おーう!天婦羅にしちゃっていい〜?」

「誰に食わせるつもりだ……いいから店回って来い」

「ふぉーい」

紫貴はバイクに乗り込み走らせて行った。




★ゼブラナゲームの影★


桐神は殊のほかシマを気に入ったらしい。互いにそのようだ。

彼等は縁側で互いに話し合っていて、その背を樫本は見て頭に言った。

「イサ姐に連絡を取りたいんだが」

「今の時間は起きているかな」

腕時計を見てから頭は頷き、シマの背を見てから樫本を見た。

「彼女の姉とは最近連絡を取り合っているらしいね」

「ええ」

「彼女はこれからをどうして行くと言っているんだ?」

「峰が落ち着き始めれば、葉斗に権利を戻し手を引くと」

互いのボス同士の話し合いは出来ないために、葉斗の状況を分かっておくにもシマを葉斗に配置させることは大事なことだ。世界中の兄弟達にも夫々そうさせている。内に入る情報収集は重要なところだ。

彼等のネットワークは思った以上にしっかりしている。

「これからは様々なことに関し彼女も葉斗に探りを入れてくるでしょう」

「そうか」

頭は頷いてから踵を返したと同時に、檀城のところの右腕檜田が来た。

「橘が目覚めました」

頭は頷き、檜田はシマを見た。檜田もラウンジの常連で舎弟を引き連れてはよく金を落とし、彼はバードラママがお気に入りだ。彼は樫本に聞いた。

「兄貴。何故シマが屋敷に」

「見合いらしい」

檜田は相槌を打ってから向き直った。頭は樫本に行かせ、彼等は頷き向う。

「兄貴。これから拷問に掛けるんで?」

確かにあいつはいろいろな事を分かっている筈だ。調べを進める事に早い分、檀城にも気に入られている。

「俺は奴を囮に黒幕のアメリカ者ってのをさっさとあぶり出しに入るべきだって思っています。完全に雲隠れする前に」

「檀城はなんと言っている」

「まあ、橘が使い物にならねえなら、他の人間を取ってこようと。今回一部で揣摩逗の名が挙がったもんですからどうにか発破かけて事起こさせようっていうんです」

「頭が向った後の今で起こすだと?」

「ええ。だから、余計にこちらが彼等に事情を上手く説明してランを動かした黒幕を探ろうって事で」

樫本は視線を上げてから言った。

「いや。これからは他を使う事は避けた方がいい」

「じゃあ、こちらで見つけ出すんですかい。腰を上げるべきです兄貴」

相手の規模か分からない分、見返りが予測不可能なのは確かだ。

樫本のポケットベルが鳴った。イサ姐からだ。

ドアを開け、一度橘を見てから檜田に目配せし、横の電話を掛ける。

「ああ、樫本かい。実はね、ラン達の事に関することなんだ」

「こちらも今その証言者が目を覚ました所です」

「そうかい。今からようやく事情を聞くっていうんだね?」

「はい。それで、件の話というのは」

「ショウからさっき連絡が入って、妙な事を言って来たのさ」

「………」

樫本は黙ってしまう前に言葉を捜した。

「どういった事で?」

「ギャンブルだよ。ゼブラナの動向を掛けてね」

「ああ糞垂れ……、」

「ああ。全く、そうしようも無いもんだよ」

「それで、関わっているもの達は金持ち連中という事ですか」

「あたし等の客達だ。きっと、あの火災で誰もが怒っているだろう事は分かっているよ。それはお客達には一切攻められないが、何しろ始めた黒幕にはね……」

「ええ。賭けにするくらいだ。分かり易く事は処理されていたって事ですね。それを隠していた連中ばかりだったという事だ。黒幕の顔は分かって?」

「彼等にも分からないらしい。でも、その彼等を一挙に動かしているくらいだ。規模は大きいと思う」

「そうですか」

「ショウは今日パーティーに出席するらしくてね。それにはエスコートが必要だ。その金持ち達のパーティーにね」

「まさか、直に探ろうと考えて?」

「彼女の友人がこの話をわざわざ持ちかけたらしい。彼女の身が危険だという事位は分かっているだろう。あの子は全く何しでかすのか、見ていられないよ。あんた、着いていきな」

「俺は止めたほうがいい。顔が割れてる。相手側も警戒して絶対にそのギャンブルの話は出さない」

「あんたは昔からのゼブラナビルの常連であって事実金持ちや貴族共にも知り合いが多い」

「招待されていなければ葉斗の人間を屋敷に入れるわけがない。ショウの友人というからには学友でしょう」

「こちらからもギャンブルに加わっているという人間を連れて行けばいいのさ」

条暁は加わっているはずだが今日本にいない。

「もしもだよ。ランが死んだ今でもゲームはゼブラナを舞台に進みつづけているとしたら、ショウの事も取り上げられているはずだよ。ゲームの駒は分からないが、あんたも加わっている可能性も大きい」

「え?何故俺が」

「ショウがゼブラナに介入したからさ。そのギャンブルに友達の親が関わっているというんだ。だから、会場にはそれを愉しんでいる連中も来る筈。顔を覚えてきて欲しい。あんたはゼブラナの顧客の顔を分かっているからね」

「余り賛成出来ない方々だ」

「どっちにしろ、突き止めなければならない事だ。その黒幕の畜生はランって監視塔を置いてあたし等の大事な客達に火あぶりって酷い目を見せたんだからね。その客達を尚も娯楽をちらつかせてギャンブルの掛け金出しにまでさせて利益をかっぱらってる。あんたはあくまでショウを泳がせて欲しい」

「分かりました」

店でランの噂話をしていた連中何人が本当は分かっていたというんだ。奴等は心中ほくそえんでいた筈だ。

「黒幕の情報が入ったんで?」

「糸口なら掴めるかもしれねえ」

葉斗の人間が来たのでは、ゲームは突如の終焉を見せないとも言い切れない。警戒線を引いて。

学友だとか言っても、ゲームの事を開示してショウを来させようなんて、とんだお友達だ。ゼブラナゲームを愉しむ親の子も子というわけか。会場でゼブラナの客に幾ら問い詰めても軽くあしらって来て吐かない筈だ。

相手はショウをそのパーティーにおびき寄せて本当は何を企んでいるんだ。





★証言者★


橘の横へ行くと彼は体を起こしていた。

妻の美奈が樫本を振り返って礼をして、彼は頷き横のスツールに腰を下ろし覗き見た。

「目がおかしいな」

「ええ。見てきた罰が当たったんだろうね。どうやらこの人、失明したらしい」

といいながら美奈は橘の後頭部をバシッと叩いて橘は驚き身構えた。樫本は首と振って溜息をついた。

「おい橘?赤松が死んだことは知っているのか」

彼は声のした方に顔を向け眉を潜めさせるとうな垂れた。

「いいや。今初めて聞きやした」

「事件を動かしていた当事者の生き残りはもうお前しかいない。品川グループのことを何かわかっていたんだろう。調べたって言ってたな。それに、俺はお前の揃えたっていう顧客リストを見せてもらいたいんだ。言ってくれるよな?お前はアメリカ者の黒幕の存在も突き止めたし実在したようだ」

「そうですかい」

「品川社長については?」

「ああ、あのインテリ社長ですか。あの男は調べたところによるとかなりの金を必要としていたってんです。ラン達のこととは関係ねえと思っていたんですがね」

「話せ」

「新企画プロジェクトを今他のコンチェルンと共同で進めているらしく、その会合を葉斗傘下だとは知らなかったらしい料亭で二度ほど行った。品川の行動追っていた手前、盗聴器を仕掛けたんですがね、それに入ってたんです」

「企業を広げるからには会長の承諾も必要の筈だが」

「始めはその会長の声で社長に会合に向わせたとも思ったんだが、どうもその影を窺わせねえ。会長にどうやら話は行って無かった秘密の会合だったらしい。ある程度話がまとまった後に話を持っていく風でもなかった。こちら側の見解じゃあ、プロジェクトの話は既に終盤を迎えていたようでしたからね」

品川グループは社長の推し進め始めたコンピュータプログラミング部門ではきな臭さがある。イサ姐もそれを言っていた。

もしも、そのギャンブルと言うのがコンピュータ上でも動向を見物できるリアルゲームなのだとしたら?

「新プロジェクトの内容は」

「コンピューターゲームのプログラミングです」

「ゲーム……」

「へい」

そこを黒幕に利用されていたのか。社長は。啓二は完璧に関わっていたと見てよさそうだ。

「インターネットでの公開カジノのプログラムをそのコンチェルンと進める内容で、システム起動は二ヶ月後らしい」

「そのコンチェルンの名前は」

ゼブラナの客か。啓二と繋がるからには別口か。

「ドイツのオレード社って所ですが、今その社長ってのが日本にいるかは不明です」

金持ち共のギャンブルゲームが先駆になって、そのプライベートオンラインカジノのプログラミングも品川とオレードが黒幕に指示され始動させた企画だろうか。別物で品川が推し進めたのかもしれない。

今日のパーティーでゲームの内容を探り、女ハッカーを連れて行かせて元手を探らせる必要がある。ショウにUSBを持たせてデータを持ってこさせなければ。

「ランの野郎は捕まったんで?」

「いいや。死んだ」

橘はやおら信じられねえという顔でぽかんとした。

「黒幕に殺されたんですかい」

「顔を一切出さないままだ。日本では品川を手下に使って良いように動向を見ていた」

桐神の報告では、どうやら山中での心中だったようだ。

死因は刺殺。腹部を刺されたことによる出血多量死だ。鳥羽は頚動脈損傷による自殺。共に出血多量により死亡。

鳥羽がランを殺害し、自分の首を切った。大人しくあのランが愛情に狂った薬中の鳥羽に殺されたとは思えない。二人の死因には黒幕の介入やゲームの影はうかがわせない、単なる愛情の心中のようにしか思えなかったのだから。

「赤松の野郎はランの奴に陶酔していたが」

「その前に赤松は俺たちの手元に戻っていた。顧客リストを渡してもらう。場所は何処だ」

「白代事務所で」

「そうか」

背後で美奈が気を落ちつかなげに樫本の背をちらちら見ていた。

彼は振り返って彼女の肩に手を置いた。

「今は処置は下さない。安心しろ」

美奈は大きく息を吸い吐いてから頷いた。橘には小学校に来年あがる娘がいて、樫本にはどうしてもそんな家族からその父親に処置を置く判断など出来なくなっていた。

その美奈は一度旦那を見てから樫本を呼んだ。

「ねえ英一ちゃん。あの人の事はあたしがどうにかして行こうと思うんだ。あんな目になっちまったんじゃあ、事も限られて来るだろう?どうにかお願いだから頭に上手く行って足洗わせてもらいたい。美波にだって、どう言えばいいか。あんたにこんな事お願いするなんて本当に悪いが……」

「俺は決めかねる事だ。あいつは檀城の傘下だからな。だが頭にはうまく言っておく」

「ああ。助かった」

「きっと、美波のこともあるんだ。何か頭は仕事も用立てるだろう」

美奈は頷くと旦那の方へ歩いて行った。樫本はその背を一度見てから通路へ出て歩いて行った。

美奈は消えて行った樫本の方向を見てから、美波の事を出した事に少々後悔した。

子供の話を出されると樫本が完全に折れるとは分かって出した話だが、やはり母親から見ても子供を失った父親の目を見るのは辛かった。

美波は年下のアタルをいつも可愛がっていて、葉斗の夏祭りで集まる組員達の子供達もアタルをよく可愛がっていた。その子供達は当然アタルの死は知らなかった。

大黒柱を失わせない為にも、そんな彼を使おうなんて、人情に欠けた事だったと今更思った。





★諦め★


紫貴は外回りから帰って来た所だった。

「おい紫貴。今から白代事務所に向う。着いて来い」

「檀城兄貴の?ほーい」

紫貴は後部座席に寝転がっていた。

「さっきさ〜ラブリーショウちゃんと偶然会ってお茶しちゃったんだよね〜ん」

「………」

樫本は何も言わなかった。

「手厳しくゼブラナ新人教育しておいたから」

「………。紫貴」

「兄貴さー」

樫本の言葉を遮って紫貴は言った。

「これ以上ショウちゃんを傷つけるなよ。あの子見てて分かったが、もしかして兄貴、ショウちゃんに何か言ったのか?兄貴の名前出した時の顔、暗かった。まさか密会?」

紫貴は恐い目になって背後から樫本の横顔を見て、彼は何も言わなかった。

「なあ兄貴。潔く男から引いてやったほうがいいんだぜ」

樫本は白く浮く横断歩道の線を見ていた。

「ショウちゃんのためだからな。彼女、まだ若いんだぜ。兄貴だって分かってる筈だ。まだまだ先が希望に満ち溢れてる。いろいろな恋愛が待ってるんだからさあ。乙女には」

樫本は力無く頷き、あの彼女の腕の中、抱き寄せる大きな安堵感を思い出しそうになって目を閉じた。

止めるべき。

分かっている。

進める前に、まだ口だけの約束の内に……。

目を開き、進めさせて行った。

「ショウちゃんは承諾したんだぜ」

「………そうか」

「ああ」

紫貴はもう一度鋭い目で兄貴の目の色を確認してから戻った。

「密会なんて、ショウちゃんの男が絶対に許さない。兄貴呪われたわどうするんだよ。鈴とアタルが天国でいじめられたりとかするかもしれないんだぜ」

「ライカはそういう性格じゃあ無かった。俺が言う言葉でも無いが」

「そうだな!」

兄貴が認めた事実に紫貴は完全に怒っていた。

「紫貴。ショウにはその時連れはいたのか?」

「ううん。乙女なお友達に呼ばれたみたい」

「様子探って無いよな」

「え?何何。何か乙女に興味出て来た?」

「違う……、どんな様子だったんだ」

「そうだなあ。お暇なら今から会いましょうみたいな。俺の様子ちらちら見て気にしてたけど」

その友人というのがゲームとパーティーの話を出したのだろうが、今更遅いし第一今日のパーティーで分かる事。

檀城側管轄の事務所に着くと舎弟達が頭を下げる中事務所の階段を上がって行く。ドアを開けられ入って行き檀城は書斎に座っていたのを頭を上げた。

「おう樫本」

「ああ」

「珍しいじゃねえかてめえ」

「橘が目覚めた」

「どうだった」

「探れねえままだが、どうやら奴が置き土産残しておいてくれたって言うからな」

「土産?」

「探させてもらう」

「橘の机はそこだ」

「悪いな」

ハイバックに腰を降ろすと預かったキーでデスクを開けファイルを探る。

「それでお前、妙な事聞いたんだが」

「は?何を」

めくって行くファイルから顔を上げずに聞き返した。それが無用心だった。

「昨夜車の中で例の女といたらしいじゃねえか」

「………」

ソファーに座っていた誰もが樫本を視線だけで見てきた。動じずに見つけたファイルをぺらぺらめくり檀城も見ずに言った。

「別れ話してたまでだ」

「そうか。そりゃ安心だ」

一人若い下っ端が樫本に視線を向けてから反らした。そいつが事務所から帰って来た辺りに見かけたんだろう。その視線も無視してファイルを軽く掲げてから「邪魔したな」と立ち上がってドアの方へ歩いて行った。

密会など、言葉を軽く言いすぎた。

互いの領分などこいつらには関係無い。間違っていれば蹴落とす勢いで何でも話を檀城に通す筈だ。

「おい樫い」

帳簿に目を落としたままの檀城を振り向いた。

樫というのは樫本が駆け出しだった十年前、中堅幹部に収まっていた檀城の部下だった時の呼び名だった。

その時代には頭の右腕に大木という男が着いていて、樫本はこれからの勢力をつけるだろうと思われていた檀城の下について金融を動かしていた。

そういう時代もあってか、未だに樫本を弟のように思っている檀城だが、樫本は元から檀城を嫌っては事あるごとに檀城のやり方にいちゃもんをつけてきていた。そういう威勢の良さも気に入っていたのだが。

「俺も次回ゼブラナに連れていけや」

それも無視してドアを出て行った。

檀城はドアを帳簿から上目で見て肩をすくめてペンを走らせ眺めた。

素晴らしい黒字振りだ。

ディプレの場所に戻ると紫貴は若い舎弟の芭蕉蒔と笑い会っていた。紫貴は帳簿を脇に帰って来た樫本に首を伸ばした。伸ばして首を傾げた。だからゴキッと音を鳴らして勝手に泡を吹いて気絶した……。

構わず紫貴の気絶し上半身を窓から出し倒れたままの車を走らせて行った。

まったくこいつはどこまでも馬鹿だ。

樫本はふと思い当たって、車内電話を手に取った。

「イサ姐。向わせるのは芦俵で」

「あの子をかい。そうだねえ。それが良い。あたしから連絡をしておくよ」

「お願いします」

樫本は受話器を置いてから紫貴の背を掴み引っ張って目を回した紫貴はそのまま気絶させておいた。

「………」

ショウが承諾した……。

紫貴に言われればショウも従わざるを得なかっただろう。

自分もそうしなければならない。

もし店に行くとしても、絶対に外で会う事は駄目だ。

いつかは、自分が再び崩れる。

今日のパーティーで状況がどうなるかは不明だが、女ハッカーからの報告を待つのみだ。



★頼み★


夕は女から顔を備え付けの電話の方向へ向けた。

女、律子は夕に微笑むと彼はその電話の所まで行った。

「夕かい」

「ああ、どうも」

「今日の夜は開いているかい?」

「ええ」

「実は向ってもらいたい所があってね」

「どこにですか?買出しなら昨日済ませましたが」

「ショウとパーティーに出席してもらいたいんだ。ゼブラナの常連の屋敷で催される宴なんだが、その娘さんがあの子の友人でね」

「へえ」

「あの子のエスコートを頼みたい。今から急いで青山に行って服揃えてきな」

「他にする事は?」

「パーティーの裏でショウがランと鳥羽の逃亡に荷担させた黒幕のゲームを見に行くんだが、それを探りに行かせる警護だ」

「ゲームですって?」

「そうなんだよ。もしかしたら品川社長がプログラミングしたかもしれないと出てね。うちからも一人女の子を連れて行くからその子の分も服を頼みたい」

「身長は」

「176痩せ型だ」

「分かりました」

夕は自分の女を見てから、彼女に今から出かけるから準備をさせる。

「どこに行くの?」

「服買ってやる」

「本当?」

「ああ」

「コレクションで発表されて気になっていたのがあったの。エルメスとジバンシーしかおうちには届かないから。イヴサンローランで気になるのがあって」

「そうだな。一通り回って何着か揃えに行こうぜ」

「嬉しい。ねえ。お店はいつお休みに入るのよ。ヨーロッパ旅行に行きたいわ」

「かなり後だ」

「そうなんだ。計画しておくわ」

「ああ」

電話の後のいきなりの話も何も考えずに不信がらないから楽でもあった。

ゲーム絡み。

これは充分注意して行った方が良さそうだ。





★ゲームのハック★


豪華なパーティー会場。

女ハッカーのチェジは、ショウの学友である大城ジュリの屋敷での宴に酔いしれていた。

灯りの落とされた第二部、舞踏会の内に会場を抜ける。

チェジは一応プログラミングしてきたウイルスを確認してから回線を探る作業に入る。

まだウイルスセットはしない。ネット上にはまた例の品川グループとドイツの会社が推し進めたカジノの開設はされていなかった。

ある一定のロイヤル会員制サイトの中の一部門として開けるのかもしれない。

ゼブラナゲームを一度ハックできればウイルスはいつでも起動させる事は出来るが、今の状況では作動はせずとも忍び込ませておける。

それに、こういうゲームには盤面がランク付けられている筈だ。

ハイランクに行くほど悪趣味な程緻密に動向展開されているのだろう。賞金額の換算額もめまぐるしく動く。

イサ姐と樫本から言われている通りに、盤面からもハックし操作を加えて黒幕にモーションを掛けることは彼女になら可能。黒幕に発破を掛けること。

プログラミングされた所と発進された回線はガードがきっときつい。繋がっていなく、断ち切り自由に回線内をあそばせている可能性の方が大きい。無線からオンライン上に移し変えることで。

ワックスとスプレーでセットされた長い黒髪を片方に流し、黒シルクのロンググローブをダークレッドの唇で白の歯をむき引き上げてから、膝の上のノート式コンピュータを操作し始める。

充分に慎重を期し回線を解いて行かなければ。

先ほど、ショウは大城ジュリに誘われてゲームの盤上を見てきたようだ。

可愛そうに。そんなことをさせられて。

きっとコンピュータ周りには監視カメラがついている筈。ショウに任せるよりチェジに任せたほうが安全だ。


夕はチェジを探しに行くが、彼女はもぐりこんでいて見当たらなかった。

元々夕の女が派手な色を選ばないから彼女もそこまで目を付けられずに行動し易かったろうものの、一体どこにいるのか。

仕方なく会場に戻る。




★演奏会場★


夕は充分辺りを確認してから連絡を取る。

既にパーティーは終了し、移った迎賓館のホールでは今オーケストラの演奏がなされていた。

「どうだ」

「ああ。アシモ。うまく行ってるわよ」

「一体何処に隠れて」

「まあ、あまり良くない環境」

「ずっとか?」

「いつもの事よ。発動や詳細はまだ今日中には分からないけどね」

「もう済んだのか」

「概ねはね」

「ゲストの動向はあんたから見てどういった様子だったんだ。どうせ、ゲーム参加者のアクセス回線はまだ探れていないんだろう」

「なかなか手が込んでいてね。ここの回線もかなり慎重にかいくぐって行ったよ」

「それで」

「ドイツのコンピュータ会社の事は調べ尽くした。確かに品川と契約を結んでいるけど、プロジェクト内容は不明だわ。橘が眠っていた期間を考えると、そろそろカジノゲームのネットが開設される筈だから様子を窺える」

「ああ」

「全くこのゼブラナゲームとは様子を変えた盤面だろうけど、同じ者がプログラミングしていればどこかしら穴が出るから。それで、迎賓館にはゼブラナの客は?」

「今から向う。オーケストラの演奏で今部屋から炙り出されている筈だ」

「分かったわ」

「もう少しだから頑張ってくれ」

「五日間同じ体勢でいられるわ」

「リアルな話だな」

「ええ。あとでマッサージをお願い」

「分かった」

夕は広場に向って行き、まだ緩い曲は演奏されていた。

ビロードの椅子が並べられ、殆どは人が座っている。

照明の落とされた中だが、暗闇には強い。

一度視線だけで見回してから、椅子に腰を降ろし足を組んだ。

甘いハバナ葉巻の薫りが漂い、横の男、フランスのホテル連盟に顔を連ねる男だ。彼が夕の方に少し体を傾けた。

「ここの楽団は珍しい演目ばかりを演奏して聴かせてくれるよ」

夕は相槌を打って会場を見回した。

パーティーにはいなかったゼブラナの常連も2,3人いて、手元が照らされる程度の蝋燭の明かりでその一角、オーケストラを聴きながら時にリズムを指揮者の様に取りおどけ、チェスをしては口元を微笑ませていた。その常連の妻はその椅子の背に手腕を組み微笑んでいる。

夕の所にボーイが来てそっと、お飲みのもをお作り致しますと言い、夕はバーテンブースを見た。

誰が立っているのか。出張か、屋敷専属か、顔は見知ったバーテンだった。

良い腕のバーテンダーを置いているものだ。

大城玄勇おおしろげんゆうは常連で、酒にもうるさい。

「マティーニだ」

「かしこまりました」

ゲームの参加はどういう利点があるんだ。何かしらの見返りがある筈。

大城ジュリが夕の背を見つけて微笑み、ゆっくり歩いてきて彼の肩に両腕を掛けてから耳元に囁いた。

「今宵は御楽しみ頂けているかしら?ショウちゃんはいないのね」

夕は肩越しに視線を渡し、向き直ってオーケストラの題目さえ分からずに耳慣れない曲に視線を流しながら前に向き直った。

「ああ」

ジュリは強く微笑んで、背を伸ばし彼の肩を撫で「それでは、引き続き夜鳴き鳥の鳴くまでを素晴らしい曲の数々と共に」そう言い、他のゲスト達に声を掛けに向った。ゼブラナの客達にも軽く。

それらのゲーム客が来るとして、ショウ一人を変に関わらせずにはいられるだろうか。

相手側はショウを完璧に分かっているのだから。盤面上。それは、盤面上でしか分からないから引き寄せてきたというもの。

ジュリは本館にでも行き、彼らだけでゲームの進行についてを話し合ってでもいるのか、それともショウを引き合わせるつもりで彼女を呼んだのか。

元々ゲームに参加していると思われるゲストは呼んでいないのかもしれない。

問題は誰から黒幕の事、品川社長に関する知識を少しでも持っていないかだった。

本当に誰も知らないのだろうか?絶対に突き止めようと思う人間も中にはいて当然だ。

そして、誰がイサを裏切りそれらに荷担し投資している常連なのかをチェックしなければならない。

充分お楽しみいただけるのは結構だが、事が事だ。スムーズに済ませなければ。

ジュリは深くは関わっていないのだろう。関わっていれば絶対にショウを招待などしないはずだ。

彼女はジュリの彼氏である紅矢泰斗がゲームに加わっている事をショウに話した。

ジュリの父親である玄勇は一切姿を見せない。彼もゲームに加わっているとショウは言っていた。

父親のいない中、ジュリは客達をもてなしているパーティーのホストだった。&lt;/p&gt;]</body>




★話し合い★


1時。

オーケストラのホールから場所を変え、ジュリに呼ばれてリビングに通された。

ゼブラナの客達が6人、シガーブースで談を交わしている。

彼らは夕を見ると口端を上げた。

「やあ」

「こんばんは」

夕は慇懃に例をすると、ジュリが促したブース内の開いた一人掛けに座った。

「ゲームにソースを加えてくれるようだね。もう、いろいろと調べは済んだのかな?ここからはブロークンタイムだ。職業も無視してもらって構わないよ」

ハッ、随分悠長なもんだな。

心中そう思い、首をやれやれ振ってジュリはシガリロに火を灯すと微笑み夕の煙草にも火を寄越した。

「あんた達はイサさんにはどういう顔をつき合わせているつもりだ?」

「そうだな。彼女には頑張ってもらいたいね」

「ゲームの動向にはなくてはならない舞台だからな」

「鬼畜だな」

「ご尤も。我々に生かされている事も分かってもらいたい」

夕は冷たい目をその男にくれてから口端を上げた。

「あんたらがその舞台を火に埋もれさせているようなものだが」

男は笑い目を閉じ開いてから言った。

「黒幕を暴こうなどとは思うな。3人の仲間が殺されている」

「へえ。手を下しているのか」

「ああ。身近な存在という事さ。あっさりと切り離してくる事だけはいえる。イサママの事もそうしかねないとは言えない。俺たちはな、それを留めたい側の人間だ」

「ゲームを愉しむ為にはイサママを消してもらっても、黒幕ばかりの思う壺に乗せられてもいられないというわけだ」

「領分を探るには、一人の囮も必要と考えている様だが、ショウは子羊だ」

「ああ。そうだな。あの子は健気過ぎる。ゼブラナ自体でやっていけても、他ではどうか。保護してやれるのも我々なんだよ」

「ふん、身分に埋もれるなよ」

「要は、我々は安全に愉しめればいい」

そう恍惚に笑った横の男の顔を手の甲で払った。

「………」

誰もが黙り夕を見て、夕はゆっくり目を閉じ開きそらしてから6人を睨むように見据えた。打たれた男は頬を手の甲で一撫でしてから目元を落ち着かせたまま夕を横目で見た。

「お前等は分かっていないようだが、盤面上のゲームという物は水に流し易いという事だ。お楽しみの筈が、管理をしている人間はお前等の動向も把握仕切っている。こちら側の動向がくまなく探られている事と同様にな。どの面下げてのこのこ足を運んで来たかは知らないが、せいぜい次の犠牲者に加わらない事だな。こちら側も手を下せる。死を愉しむなら、一度自分ももう一度火に包まれる事だ。ゲームにフェアは必要。それでこそ楽しめるってもんだろう。自分も足掻いて踊ってみろよ」

足先の8人の囲うローテーブルを蹴り灰が舞い、夕は立ち上がって7人を見た。

「俺が賭けるのは、ショウが将来のしあがってゼブラナのオーナーになる事だ。それまでを死なせ無い様にせいぜい命を保って見守っているんだな」

夕はリビングを後にし、廊下を歩いて行った。

「ショウ」

彼女は廊下をうろうろしていた。

いや、あれは、翔だ。

「お!アシさ〜」

翔の頭に手の平が飛びかけて彼は咄嗟によけた。

「あんだよ!」

「喋るな」

そう声を小さく言い、背後を振り返ってから耳を引っ張って行った。

角を曲がると辺りを見回した。

「ここどこ。俺様また浚われた?」

「違う。白の仕事場だ」

「へー。まあ、俺今から紫貴達の所に向うからよお。さっき連絡入って音あわせだってんで。じゃ」

翔はそう言うと勝手に歩いて行った。

その首根っこを掴んでから言った。

「お前の周りを張る人間が出てくる筈だ。注意しろ」

「それってエロティカに言っていいのか?」

「なんだって?」

「ああ、バンドの立役者」

「妙な名前だな」

「まあまあ〜。セクシー美人ちゃんに免じて許してやってよ。まあ、裏から言って何か手回してもらうから」

「いや。それは駄目だ。葉斗から止められるだろうからな」

「でも、手、葉斗で回せるのか?」

「様子を窺う中で手は伸ばさないほうがいい」

「ほーい」

「おい」

「何」

「バンドを辞めるって本当か?」

「ああ。海外進出はな。だが、3ヶ月間のライブは遂行。おめでと〜さんよ!」

そう言うと彼は廊下を歩いて消えて行った。




★エンディング★


葉斗屋敷に初めて入った夕は、樫本が呼んだのをそこまで歩いた。

「どうだった」

「チェジはなんて?」

「今、開設されたカジノの動向を探っている所だ」

「大城玄勇の娘をはじめとする、真壁俊哉、ベイリー・ハードット、シンバ・トルク、友永栄汰、秋原聖都、大槻開十が昨夜パーティーに現れた。一様に黒幕を知らなかったが、どうやらイサさんには支援したいらしい旨を伝えてきました」

「まさか、発破掛けて無いだろうな。お前の性格だと喧嘩売って怒らせれば一気に始末悪くなる奴等だ」

「いいえ。彼らは何も手を下さないでしょう。その手はずは無い。それと、エロティカとかいう名前の女には翔を見張らせる。奴等なら幾らでも種にするでしょう」

「ああ。そうだろうな」

「あんたがこれ以上ショウに構わなければこのまま今は安泰を見せる。品川社長は今既に大人しくなっているしカジノの経営に手を向けてゲームには手を加えないと思う。黒幕の動向を探るのは、きっと長い時間が掛かる筈だ。イサさんに負担を掛けようという魂胆なのは昨日感じた。黒幕は確実にイサさんの失脚を目論んでいるのは確かだ。思い当たる人物をこれから探って行くべきです」

樫本は渋い目をしてから頷いた。

「きっと、黒幕とは名乗らずに顧客共の中のアメリカ人には接触している筈だ。それはこれからこちら側で」

樫本と夕は天を仰ぎ、目を瞑ってから目を細めた。

ミラーまみれのヘリコプターが上空を低空飛行士、流鏑馬や炊き能をする日本庭園のスペースに、整えられた砂もあったものじゃなく降り立ったから樫本はジェグリアを睨んだ。

「おい!ふざけた事をするな!」

「ハアイ英一!」

「だ、誰ですか……アレは」

ジェグリアはワインレッドのオーストリッチのパンツと素足にゴールドアングレットの足で降り立ち、白シャツの襟を立たせ正すと樫本達の所まで来た。

「その素足で上がるな」

上がって来て夕に強く微笑するとサングラスの瞳で2人を妖艶に微笑み眺め見た。

「実はね、あたし達は今すぐ海外へ経つ事に決まったわ」

「何?」

「だって……」

ジェグリアは豊満な微笑みで樫本の肩に肘を掛け、くびれた腰に手を掛け言った。

「邪魔な蝿が飛んでいるんだもの。翔を張られていては、こちらも迷惑なの。武器輸送を金持ち連中のアマちゃん達に探られるわけにはいかないでしょう?」

「真淵翔はなんて言っているんだ?」

「レコードを毎回送って来てくれればいいんですって。あのね。英一?もしも彼が何か我が侭を言ってきたら叶えてやってちょうだい」

「何を」

「あの子はチタン以外ではバンドを絶対に組まないと言っているから、練習スタジオを彼のために作ってあげるとかしてやってね?」

「それぐらいならいいが、お前はこれからをどうするつもりだ。黒幕を知っているんだろう」

「だから?」

「言え」

「葉斗屋敷をこのまま今すぐ吹っ飛ばされたいの?」

「あのなあ、」

「ねえ?彼はきっと近いうちに自らが顔を出すわ。動向が上手く行かなくさせる事が秘訣。彼の裏を欠いて、どんどん焦らせればいいのよ。それはね、イサを延命させ続ける事」

「………。誰なんだ」

「今は分からないかもしれないわね」

「そういう態度を止めろ」

「離婚してあげないわよそんな事言っていると」

尚も面白そうに微笑し、夕を見た。

「あなた、面白い事をしたわね。彼ら、フフ、尻尾を巻いて逃げちゃったわよ?自分が黒幕に監視されているって知って」

「やっぱり監視していたのか」

「ええ。彼は会員全員を手玉にとって、誰がイサを破滅に導けるのかを探るためにゲームを開いたから。これでショウちゃん安全組合員が一部遠ざかっちゃった。イサは心労」

「おい芦俵」

彼は肩をすくめた。

「どちらにしろ、手を出せずに見守るだけの範囲は星の数ほどいた中の一部だ」

「ええ。そうよ。彼らは無力。いいこと?これからを慎重に見守ることよ」

ジェグリアはそう言うと、樫本に紙を差し出した。

「紫貴ちゃんと結婚しなきゃならないから、ここにサインをしてね」

夕に背を向けさせて樫本に羽根ペンを舐めて持たせた。

「離婚成立所にサインをさせてあげる」

樫本は溜息を吐き出し、夕は肩越しに眉を潜めて樫本を見てから首を振った。

ペンを走らせ、ジェグリアはそれにルージュの唇をよせてから樫本に微笑んだ。

夕は滲んだインクに呆れてから体を前に向けた。

「じゃあね。貴方」

そう重厚に微笑むと、彼女は気づかずにだがツチノコを踏みつけてヘリコプターに乗り込んだ。

樫本は再び派手に木々や砂を舞わせて飛び立って行ったヘリコプターに、舎弟達が何事だと駆けつけた銃口を下げさせて、彼らはその前に目を晦ましてヘリコプターはそのまま去って行った。

「な、何事ですか兄貴……」

「……知らん……」

樫本は首を振ってから奥へ歩いて行った。

夕は背中を振り返りながらも溜息を吐き出して玄関へ向って行った。

彼は車に乗り込み葉斗屋敷を後にし、舎弟達は庭師を叩き起こしに向った。

 



★黒幕★


彼はマンハッタンの夜を一望してから、明かりを全て爆破したくなった。

あの品川は彼には極秘でドイツのオレードと手を組み、全てのゼブラナゲームの顧客を浚って行ったのだ。

彼らはカジノといつかまた起きるゼブラナゲームの発端を待ちながらもはしごしてはこちら側に金を落として行く度合いが一時期減ることになった。

品川啓二には二の足を取られた。

品川会長も退院が決まり、ヨウの体を心配していた。

また彼は新たな刺客を日本に向わせる為に用意した手駒が早く起動するまでを待つことにした。

イサの遺産が手に入るのも時間と状況を見次第になる。

彼はゲームの盤面を閉じ、一時休息を見せたゼブラナゲームに今のところは一次終焉を言い渡した。

マンハッタンの月はどこにも無く、そして彼の心は闇に落ちては落ち着いた。


≪終≫



ZEBRANABLACK終焉


長らくお付き合いいただき有難う御座いました。

本編はZEBRANAプロローグ BLACK、ZEBRANA WHITE、ZEBRANA TITANIUMUの

四作品全てで一つの物語になっておりました。


時間を掛けてでも読み進めて頂いた方には感謝をし尽くせません。

有難う御座いました。


                                女紫 

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