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ZEBRANA BLACK  作者: 紫
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★病院★


イサは気を失ったままの会長の病室を一度後にしてから、被害を受けた常連に謝ったが、彼は、自分だけの軽傷で済みよかったと寛容に許してくれ、しかも逆にイサママに「ママも大変だったね。火災に引き続いて発砲事件だなんて、おかしな世の中だ」と言って気遣ってくれた。

怪我の程はかすり傷ではあったが、とんでもない事をしてしまったに変わりは無い。

「今回の事はママ、無かった事にしてもらいたい。会長の為にも。な。彼も大変なんだ。ここまで会社を巨大な物にしてきた彼はあの大柄な性格で気前良い振舞いからは想像も出来ない苦労をしてきていると私も若い時代から知っている。今でも思慮深い人だ」

「ええ。そうですわね……」

「私もこの事に付いては、ヨウくんの不意の行動として片付けたいんだ。品川との信頼関係を崩すつもりも無いのでね」

だから余計放っておくわけにはいかない。

黒幕も不明な中、あの非常な息子、品川社長をそのままにしていてはまたしわ寄せが来る。

あの息子は自分がストレスを抱えているわけでは無いと気づかないのだ。会長の人柄も仕事の進め方も、閉鎖的な息子には出来ない。あのどうしようも無い孫の事でも会長は気に病んでいただろう。息子は親の築き上げてきた全ての下で、大きな器に隠れてその気になっていただけだ。

虎の威を自分の物と勘違いしているのだ。

それでも、いずれ全般的にそんな息子にでも任せなければならないのだ。だが、これ以上の追い込みをまだ尚息子はするだろうか。

誰がヨウに直接指令を出してランを逃亡させたのだろう?本当にラン自身が助けを求めただけ?実際品川社長は息子ヨウにラン逃走用に使える白のポルシェを持たせたにみで、直接何も言わずに見ていただけのはずだ。アメリカ者が作ったシナリオ通り、事がうまく運ぶのかを。黒幕は本当にアメリカに?

あの石焼ビビンバの具材にでもされたような地獄の火災時にも会長は気絶しなかった。

ショウが樫本と共に来てくれて、このままでは事態の急変もありうる。

イサはショウを今はゼブラナから引かせる事を言おうとしたものの、逆に元気付けられてしまった。自分は元気付けられてばかりだ。

イサはショウのけなげな優しさに小さく微笑んだ。あの子は純粋な子だ。

「葉斗さん」

「はい」

イサは振り返り、相手の女性は一瞬で彼女を上から下まで見てから目元を落ち着かせ、微笑んだ。

イサも穏やかに微笑んでおいた。

「息子が警察に連れて行かれたのはあなたのせいだって思っています。ホステスなんかに翻弄されるなんて、信じられない恥を犯したのは我が家の教育のせいではなく世間のせいなんだとね。しかも、こともあろうに、ニューハーフでしょう?あなたの所のそのランって方。ニュースでそのトラブルメーカーが死んだって流れてよかったって思うわ。早く警察から息子が解放されるようにあなた方も警察に言ってくださいね。それとも、お特異のヤクザの脅しででもよろしいんですのよ。警察に言ってください。うちの子は無罪だってね」

笑顔を貼り付けた声が穏やかなままの彼女はやはり怒っていた。当然でもあると分かっているのだが。

「姉さん。やめてくれ恥ずかしいよ」

ショウは子供たちの髪を優しく撫でてあげてからママの所へ戻った。強調して言われる言葉の羅列に大きなイサママへの怒りを感じ、心配になったのだ。

「ママ?」

イサはショウを小さく微笑み引かせてヨウの母親に深く頭を下げた。

「あたしは正当な判断しか下すことは出来ません奥様。うちの者が要因になった事は深くお詫び申し上げます」

「ええ当然じゃない。もしかしたら会社が危機に陥ることですからね。あなた、うちの子を殺そうと追い掛け回したらしいじゃない」

「それは」

イサが顔を上げたところに遠くから樫本が歩いてきて、婦人は腕を組み、「ふん」と言い顔をそらしてイサを睨んでから病室へ入って行った。

樫本はイサにどうしたのかと聞くと事情を聞いて相槌を打った。

彼はショウを連れて行き、何か首を突っ込む前に幹本に来させて送らせる。





★困惑★


夕は項を押さえて溜息を付いた。

ショウが、片っ端から男に声掛けして自分の顔を売り込んで客寄せに、最終的に事もあろうにあの条暁じょう さとると共に去って行ったというのだ。

しかもその方法が艶っぽかったと定評で、夕の所に常連から「どうやらショウという子を新しく入れたようだな」と声を掛けてきていた。「今度落ち着いた所を見計らって行くよ」と。

夕はその時は礼儀良く微笑み慇懃に挨拶を返しておき、その肩を「君も新しく参戦して、これからを期待しているよ」と叩き男達は去って行った。

携帯に連絡を入れようがシカトだ。下手に彼に手を出される様では困る。信頼を失うような真似は止めてもらいたい。

彼は皇子でもある。

ハルエが何かの野暮用とやらから帰って来た時もやはりショウは帰らなかった。

「あの子も出たわねえ。どう変わるかしら」

「まだまだ無垢な子よ。でもすぐに変わるわね」

そうハルエは口端を上げ車のシートに背を預けた。

ユウコは漸く落ち着き煙管に火を落とした。

「今日もただじゃあ済まされなかったわね。ランが死ねば悪魔も憑くってね。葬儀なんか開いたから罰あたったのよ」

「まあ、そういう言い方する物じゃないわハルエ」

ハルエは紫煙を渦巻かせ管を巻いたように顔をゆがめた。

「皮肉なものよ。葉斗を目の敵にしようなんて、馬鹿げてる。死にに行ったような物だわ。最終的にこちらが手を下さなくても勝手に殺し合ってくれたんだし、ランも、ハハ、人選間違いって所よ」

ユウコは呆れて首を振り、ハルエはやれやれ首を振り笑って一度外を見た。

「良かったわね。今度はまともな子が来て。結局は、毒気が消えて貰わなければ困る存在だったのよ。ランにはね」

「ええ。きっと、クラブゼブラナは生まれ変わるでしょ。余波はもう来ているわ。あの弾丸で全てがらりと幕を翻した様にね」

今からその被害者のいる病院へ向かうのだ。

「おいユウコ。軽く着替えてくれ。病院から見たら喪服なんてカラスに停まられうようなものだからな」

「ええ」

既に着替えてきていたハルエはユウコの着替えを持たせた。

「ハルエ。どこに行っていた?刑事に付けれなかったんだろうな」

「あたしの技を甘くみないでよ。巻いたわ。ちょっと、野暮用でね」

黒幕についてを彼女だって出来るだけ探りたいのだ。手を尽くしてでも。

もしかして、ショウに常連についた品川社長を探らせる事など危険だし、第一、あの子に万一の事があるようではハルエだって絶対に許せない。

ハルエは目を細め細くメンソールの煙を吐いた。

「それにしても、あの子、条さんと共に去ったって本当?」

ハルエはユウコの言葉を聞いて目を丸くした。

「きっと、何も知らずに声掛けたのね」

彼は性格的に決して良的とは言えない。醜い競争やゲームにどんな手だろうが悦笑して普通に使って来たタイプだ。身分もあって変にスキャンダルになるようでは困る。彼はスペイン国王の愛人の子供だし、日本では大人しく乗馬主オーナーと収まっているが、国際的には様々に手を伸ばしてもいる有名な人物だ。

「ね。ショウの客に付くかしらね」

「さあ。どうだろうな」

元々彼もランの常連だった。

刑事は機嫌を損ねる品川ヨウには困り果てていた。

そっぽを向き続けているまるで機嫌を損ねた女の様な態度にぶん殴りたくなる。ランとの手引きを一切言おうとせずに、ただ分かっている事はランとは数年前のパーティーで知り合っている事だ。そこでしつこく彼女にモーション掛け捲ってからの関係。

機関銃は会長の持ち物であるコレクションを盗んだものと判明していたが、問題は会場でいきなり手品の様に現れたAPSだった。

誰が渡したのか、どこから取ったのかも言わずに「しらねえ」「さあなあ。しらねえ」それしか言葉を発さない。

品川ヨウは刑事の背を一度横目でちらりと見てから刑事が向き直ったのをまたふんっとそらした。

「なんだ。何か珍しく考え事でもしてるのか?」

「しらねえ」

刑事は背を伸ばし、目を伏せ飽きれ孫を見下ろした。

「………」

狂気の沙汰に見せかけて葉斗イサを撃つつもりも的を外れまくったのは、獲物を知らなかったからだ。全自動操縦される銃だとは。

「ランを返せ」と怒鳴り叫び「鳥羽の野郎俺がぶっ殺してやったってのに」と叫び乱射し撃てば良かった。葉斗イサを狙え。それが銃を影から渡してきた黒幕の部下からの新たな指令だった。

品川ヨウを指示していたのは電話口でのランだったが詳しい手引きや裏での都合を準備し起動に乗せやすくしたのはその黒幕部下だ。

「お前の厳しい父親は何て言うかなあ。また、地下のお仕置き部屋直行なんじゃないのか?」

「さあなあ。しらねえ」

そんな物存在しない。父親の生真面目さを馬鹿にしているだけだ。あんなつまらん人間、余興すら無いと。部屋作ってんだろうとうわさ立っているぞとせせら笑う。それでもヨウがどうこう怒り狂うわけでもなかった。

だから、逆に挑発に乗らなかった。だから事実関係をはかなかった。厳しく真面目な父親の裏の顔という物を。

葉斗の人間が言って来た品川啓二について、息子が直接関わっている様には思えなかった。黒幕は個々別々に息子に、父親に指示を出していたのだろうと。

ヨウはまだ父親が黒幕直々に指示を受け裏で動いていたとは知らなかった。

ヨウは黒幕の存在を知らずに指示を部下とランから受けていた為だ。だからヨウから父親の事を聞きだそうにも無理で、ヨウの裏から黒幕の考えを探ろうにもランの考えが掠めるだけだ。ただヨウは利用された、というだけ。

自分はランの使いだと、部下は言っただけで、ヨウは別に調べもせずに指示を受けていた。

ヨウは事実怒っていた。ランを手に入れるための協力も鳥羽という男がいて怒ったのは事実だ。あの檀城と樫本に追われる手前、真相は聞けなかったわけだ。

要は、黒幕の言う様に部下は葉斗イサを始末できなかった役立たずの品川ヨウを始末しなければならない。最終的に与えてやったチャンスもみすみす無駄にした。

黒幕の部下は溜息混じりに状況を窺ってから黒幕に言った。

「息子を殺せばあの父親が怒り狂う」

「あの親子もろとも失態を犯したんだ。切り捨てる。契約も終わってプロジェクトも動き始める段階だ」

そう画面を見下ろし言った。

「父親は始末しますか。プログラムの実権も握っている」

「いいや。まだ起動が落ち着いていない内から責任者は変えられないだろう」

黒幕は品川ヨウについてのゴーサインを出して切った。


樫本は前で手を組みドア横に立っていた。病院の通路を刑事が走って来た音にそちらを見て、刑事はハルエに話をすると彼女は驚いた様に口を丸くした。

樫本は一度ドアの様子を窺ってからそちらまで行き、ハルエの顔を見た。

「どうした」

「大変な事が起きたのよ」

耳打ちして、彼は眉を潜めた。

「なんだと?」

樫本は今、ヨウの母親が弁護士を連れてイサに慰謝料の示談成立を求めている部屋の前まで来ると呼びかけた。犯人は見つからず、現在も逃走中らしい。

イサ姐は断ってからドアを開けさせると、樫本がイサ姐に耳打ちした。

イサは驚いてヨウの母親と弁護士を振り返った。

「大変だ。ヨウくんが撃たれたらしい」

弁護士は驚き立ち上がり、品川ヨウの母親はばガタンと立ち上がり。ふらりと倒れたのを樫本が支えイサを見た。彼女はバッグと羽織を持って頷いた。

「奥様。一度署に向かいましょう」

「………、」

真っ青な顔で彼女はうっすら目を開くと力なく頷いた。

樫本は全てに出遅れている事に苛立ちを感じてため息を抑えた。一時病院は任せて車を回し、イサ姐はヨウの母親と共に乗り込むと樫本に署に向かわせた。

ヨウの父親、啓二はショウを乗せたリムジンを見失って悪態を付いていた。

あの条暁に取り入って何かをまさか企んでいるつもりか、ショウはゼブラナゲームを探ろうと新しく入って来たスパイか、葉斗イサ側の手か。条は非情な性格で知られている。調べではランの常連で、ショウがランの後釜になってからゼブラナに姿を現さなくなった常連達の中に条も入っていた。もしもショウがゼブラナからのスパイでなかったとしたら、単独行動で条と手を組み企みがある為にゼブラナに入ったのか?だがあの条の性格ではゼブラナへ何かを仕掛ける事は考えられない。

だが、啓二がショウを気に入っていたのは事実だ。彼女はかいがいしい性格だし可愛らしい性格だし、今時珍しい若者だ。世間の女子高生ときたら、男に色気を振りまく以外には煩い歌など歌ってははしゃいで目上に敬意を示さない質悪い小娘ばかりだと啓二は毛嫌いしていた。

妻からの連絡の煩さに電源を切るろうとしたが、それを出た。

「あなた何処にいるのよ!!!」

ヒステリックに叫んで妻は、しかも泣いていた。

「ヨウが、あたし達のヨウが、」

「ヨウが何だ」

「早く来て、早くよ!」

怒鳴り泣くと彼女は切ろうとしたが、それをイサが変わった。

「なんだって?分かりました。世話を掛けて申し訳ない。すぐに向かいます」

啓二は電話を切り、イサは背後を振り返って樫本がヨウの母親をベンチに座らせ落ち着かせるのを見ると、扉を見た。

脳から弾丸を摘出した。

「………」

手術室の扉が開いて医者が出てきた。ベンチに座る顔を覆った母親の所に来ると、樫本が引き医者は彼女の肩に手を置いて顔をおずおず上げた。

「息子は、息子は?!」

「一命を取り留めました」

彼女はぼろぼろ涙を流して樫本に泣きついた。医者は樫本が彼女の旦那なのだと勘違いして随分若いと思ったが再婚かと考えが至った。

「旦那さんですか。詳しい話をするので、後からいらしてください」

「………。品川ヨウの父親は今こちらに向かっている頃だ。伝えておく。手術、成功させてくれて感謝している」

「ええ。ただ、まだ気が抜けない状態です。それはわかっておいて頂きたい」

「ええ」

医者は一度ヨウの母親の肩を叩いてから歩いて行った。イサは頭を下げてからどうやらそのまま気を失ったヨウの母親を運ばせた。

イサはどこかしら、やせ細って見えた。

「イサ姐。品川啓二が来るまでここはあとは俺が。貴女は休んでいて下さい」

そう彼女に念を押すように言ってから看護婦に部屋を借りヨウの母親を運んで行った。

ヨウの母親はうっすら目を開くと泣いていて、病室から出て行こうとした樫本の背を引き止め、体を起こそうとしたのを看護婦が手伝った。

一度、総合病院に戻って葉斗の代わりの人間を付けさせる必要があった。発砲者が見つからなく、品川ヨウも一命を取りとめ品川会長も目覚めない内は危険が多い。樫本はヨウの母親の所に戻って来るとスツールに腰掛けた。

子供を失うかもしれない恐怖が彼女の真っ黒い目に溢れていた。

彼女の手を持って腕をさすった。彼女は目を潤ませて、広い肩に泣きついて静かに泣いた。

品川啓二が到着するとエントランスで待っていた葉斗イサの頬を手の甲で払っていた。彼女は床に飛んで、医者は驚いて彼女を起こして神経質な顔の品川を見上げた。

「息子は何処です」

医者に言うと彼はイサを立たせてから言った。

「一命は取り留めました」

「命に別状は」

「まだ分かりません。こちらに」

啓二はイサを睨んでから彼女が何か言葉を発する前に歩いて行った。

イサはその背を見ていた。

「頭を背後から撃たれ、頭蓋骨に当たりすぐに留まりました。脳から摘出したのですが、意識回復はまだ見込めません」

啓二は怒りを押し込めて手を握った。勢い良く通路に出るとイサと樫本を見てそちらを鋭く見た。

「息子を狙い撃ちしたのはあんた等か」

樫本は目を細めた。

まるで「もう、邪魔者、用無し、下手に裏を知る者を始末するために」と続けるように。

それは、事実自分が裏で手を引き騒動の状況を元から把握していた為に言える、品川ヨウの必要性の無さからの言葉に聞こえた。それで自分達でなく、ターゲットのこちらに矛先を向けている。この場に刑事がいれば葉斗を調べてくださいとでも言うように。

「裏切ったのはあんたの裏に隠れる黒幕だろう」

それだけ言うと彼はイサを促し歩いて行った。啓二は険しい顔でその背を睨み付け、歯軋りした。

自分の私利私欲関係で啓二がアメリカ者と繋がっているだろう事実を悟った。

一度品川会長のいる病院へ向かうと、桐神を来させた。彼に見張らせる。会長の看病をしている女の娘が彼を怖がってずっと上目で見ている。ついでに高校生の孫もずっと横目で見ている。桐神はなんだか憮然として不本意だった。

樫本がその女の子を抱き上げた。

「この偲おじさんと遊んでもらえ」

「おい樫本。俺は二十八だ。てめえの方がジジイだろうがよ」

「俺もまだ若いんだが」

「俺はガキが嫌いなんだ」

樫本は桐神に後を任せて、少女は「サイ!サイだサイ!ドーン!ドーン!」と、名前に喜んで桐神に言うのを母親は自分の所に引き寄せて黙らせた。他の親族も隅でさっきから縮まって、桐神は憮然としていた。

樫本は時計を確認し車から出て頭を下げられ葉斗屋敷を歩いて行ったところで、紫貴に連絡を入れた。

「それがさあ。峰の大滝が品川にカマ掛けに行った先で一方的に契約破棄してきやがったんだ。社長さあ」

「そうか」

このまま社長は力を落とすに留まるだろうか。黒幕が消しに掛かったと分かって品川社長は強硬手段に出るかもしれない雰囲気が充分あった。あの分では繋がりは確実だろう。

ぼろをもっと出すはずだ。

手っ取り早く自分から会社実権の座を奪うために会長に手を掛けるなど。そちらは今桐神があわせて張っているのだが。

「だが兄貴、聞いてもらいたいのは大滝の調べ」

「何だ」

「いろいろ調べて品川社長のDC支社出張時期を調べつけたんだ。計画にも無くNYへプライベートで訪れたのが三ヶ月前。ハッカーの話、それより一ヶ月前にはオジェーは銀行に名義作ってる。イサ姐の言っていた在庫倉庫の調べは、既に中古クライスラーの倉庫になっていたのを三ヶ月前に名義変更されていて、運搬会社の人間がどうやらコンピュータ機器関係の伝票だったていう控えを残してあった。そう大滝の部下に現地に探らせたらしいんだけど、実際オジェーは本社も名義も無い。三億も手放してあちらさんは銀行も既に解約させていて、銀行側は一切の顧客情報を渡したがらないってんだ。まだあちら側のサツとは手を繋いで無いらしいしな。きっと、いろいろ探ってんのがばれて契約破棄したかも」

樫本は陽の陰る中庭を目を細め見てから視線を外した。

「まだ黒幕自体は動いている。峰の部下はもう戻したのか」

「戻ってる。探れなかったから」

イサ姐に恨みを持つ者。一体誰だ……。

「品川ヨウがやられた。今回の事で警察側も父親の品川啓二をマークする筈だ。黒幕はそれを狙っての事だろう。品川の動きを止めてその内に逃げる筈。そうなればこちらが警察の目を掻い潜って峰を下がらせて本格的に調べを回せる」

あまり下手に多くを探らせすぎれば峰から葉斗の弱味につなげられる。

「それで、ショウはいるのか」

「え?翔?まだいねーよ。まだ葬儀やってんのかよー」

「もう既に終了した」

「ま。どこかでまだ眠りこねてんだろーん」

「眠りこけて?」

「え?ああ、えっと、ま、探しておくよ!じゃあね〜ん!」

ピッ

樫本は眉を潜め首をかしげてから歩いて行った。

一度腕の包帯を変えてから頭に報告に行く。




★薄闇★


樫本は今回のランの騒動が落ち着けば、大久保の食器店を一気に崩す事になっていた。

それまでの猶予時間をオーナーは覚せい剤と酒と女に酔って過ごしていた。既に自分の生きていく道を棄てていた。残された余生を楽しんで。

樫本を夜の喧騒で発砲しただけで、もう何らかの気は晴れていた。

オーナーはガンガンの曲が照明も付けない半地下のコンクリートに反響する中を、アルメリア人美女を傍らに黒の牛革に沈みグラスを傾けて前方を睨むように見ていた。

片足を放ったテーブルに粉がばら撒かれ馬の拘束器具をつけた女は大久保の肩に腕を回し緩く口端を上げてくすりと笑った。

背後のブラインドーは横に長い窓から、灰色の闇に白銀の光を漏れさせ、緩くゆらめいていた。

「カリブの海にでもいかない?しんじゃいたい気分なんかぶっとぶわよ」

大久保はMの女の背にそのままの態勢で葉巻を押し付け、女は白目をむいて体を仰け反らせでからコキコキ動いて、まただらんとなって目玉を戻した。

「薬だ……もう薬はねえのか……」

そう干上がった声で言い、女はよたよたとかけて行き黒鉄板のドアを開けた。しなり男から袋を受け取ってからしなしな帰って来た。

「ねえ。ジボーが死んだら残ったお金、頂戴よ」

「勝手にしろ」

膝立ちガラステーブルに粉を広げながら女は微笑む横目で一度ちらりと大久保を見た。

「約束」

そう腕を伸ばし小指を出して、首をかしげにっこりした。

「可愛い奴だ。ここに来い」

女は立ち上がって抱きつきに行った。

全て崩れるまでに日は無いだろう。刻一刻とタイムリミットは過ぎてきていた。

死を金に換算させる時間は近づいている。





第三章★光りの中のたくらみ★


マンハッタンの、まるで全てを打ち消すよな夜明けは過ぎ去り、朝の時間も終わった。

名も無いような中途半端な時間帯、白でも黒でも無いような灰色の混ざったマーブルの大理石の様だ。そう、全てが打ち落とされたかの様だ。

身の回りを日本のギャングが張っていた。ようやく調べをアメリカまでつけたようだが葉斗組では無い。葉斗は慎重に動いているのか。

ワイングラスの中のワインをホール上、噴水にゆっくり落とし、ドーム天井のガラスから射す陽がきらきらと照らした。

太い四角の柱に寄りかかり、眼下のマンハッタンを見下ろした。

背後の黒と白のペガサスと、一角獣の夜を駈けるフレスコ画の前に、黒馬と白馬の剥製が、前足を高々と上げて噴水の陰の向こうで向き合っては透明に近い陰を重ねて美しいフレスコ画に伸びている。

ドームの細かい装飾の陰は床に映写されていた。この時間のこのホールが好きだ。

陰と光りの成す物を人の力だけでは作れない。

太陽という、大きな物を借りずには。

息子を殺すなど条件が違うじゃないかと、昨夜品川社長から連絡があった。

一体どういうつもりなのかと。裏切るつもりなのかとまくし立ててきた。

品川に保険など無い。正体も分からずに、NYでさえも機械音で全てを済ませた人間を信用し、動き始めたのは品川だ。

地獄のような業火の幕が、腹の黒い金持ち共を渦巻き、切って落とされてから、動き出したものは品川は次の駒を動かさねばならなくなっていた。

次の手を、次の手をとそのゲームは盤上動き出しているのだから。

踊らされるだけ踊らされて捨て駒にするつもりかと言って来た。

踊らされたほうが悪いんだろう。

古い機械を大量に買い取って、プログラムを組んでやり実行してやった見返りがこれかと怒鳴った。

息子を奪って行ったなんて、お前は悪魔だ。

何を言っているのやら。父親の命を奪おうと邪計をし計画を進めた人間が。

これで会長は、孫だけでなく息子も失う事になる前に、自分で手を下すんだな。

元々男に品川啓二のたくらみなど関係無い。失敗に終わろうがそうなろうが。ただ、下手に出てこちらにまで火が飛ぶようでは困るのだ。

話に乗り関わったが運の尽き。そう思うんだな。巨大に力を持つ品川を邪魔に思う輩も事実いるという事だ。

会長の時ならまだ遊びがあったものを、仕事が有能なだけ、品川啓二のような人間では、動かない場が動かない。会社は内容がしっかり世間に貢献しているだけでは似た企業が生まれる物だ。我々がわにも大きく融通を利かせる余興の面白みがなければ。

競争相手だけが敵ではない。供給され、他所で見ている側にも外野が潜んでいるのだから

遊び、芸の損得として、それと受ける側として。それが企業存亡のキーでもあるのだから。世界を、人々の心を楽しませてこそ企業。売っているのは商品だけでは無い。沸かせる心を、機嫌を、興味を、趣味を、個人の個性となる物を、株を売っているのだから。自分の一部となる体の一部。

それが商品だ。企業だ。

どれだけ動かせるのか。どれだけ楽しいのかの世界に関わると、抜けるには零落のみだ。そちらの世界にわざわざ首を突っ込んできたのはお前だ。

だが、そこでうまくすりぬけてこそ面白くはなくなるが、生きて行けるチャンス。

これでは何も動かなかった金持ち共の一興に終わるだろう事を品川は言った。

「ふん。もう勝手にしろ。付き合っていられない」

品川は昨夜そう言い、連絡を切った。

男はコンピュータルームへ向い、パソコンを開いた。

白と黒のZEBRANAから起こして、現在の賭けゲームの軍配を調べる。

捨て駒の中の品川ヨウにも紅い罰がつき、死亡者リストに加わっている。

仕掛け人が分からないということは、同時に自分も掛け金を動かしながらにして賭けられるろいう事。

葉斗から今回、金が取れなかったとしても、ここから本目的の利益が入って来る。うまく事は運びそうだ。

画面の中、せわしなくグラフィックの株価が動きまわる。煌びやかに。

そろそろ、終焉を迎える頃だ。

ゲームの参加者全員に人物株が換算されて行く。新しいショウの駒に、新しく株が換算された。黄金の金貨が画面上、じゃらじゃら動いて、ポイントとなる白のダイヤモンドカットのクリスタルが増えて煌いた。

ランの黒のクリスタルは、全て銃弾により砕け散ってワインレッドの光る罰と共に、その写真の顔の上に、骸骨が浮かんでは消え、スカルが透けている。

次はどこがどう動くのか、盤面上では動向が一目でわかる。




★命綱の大久保さん★


夜。

深夜三時。

これは皮肉でもあった。

笑える皮肉だ。

自分の頭にリボンまで掛けて、それは安物の包装用リボンで、色だとか、カールは派手だった。どこかの安物ショップで買って来た。色も、何のひねりもない色だった。それが逆に滑稽でもあった。

自分の頭にリボンまで掛けて、大久保は、この世で最期の、最高級のハバナ葉巻に火を点けて、柔らかいその手触りを確かめてゆっくり緋色のマッチで炎を見つめながら火を点けて、頭にはやはり派手なラッピングリボンが巻かれていた。

彼は既に狂う域に入っていた。その姿はやはり渋いくせに滑稽だった。頭だけ、切り取ってテーブルにおけるほどの風情があった。

ソファーに沈んだ。そのテーブルに置かれたヒュミドールのふたを閉じ、炎を振り消して灰皿に放り捨てた。ゆっくり口の中でスモークを味わってくゆらせた。

暗闇に白の揺らめく霧のような煙が流れ、その視線の先に、ワッカが天井からつる下がっていた。


元々、南部の生まれだから、面白いほど投げ縄使いには長けていた。

父は移民者だった。侵略者の歴史が深い白人を嫌っていた。魂の無い奴らを嫌っていた。彼は、ジボーに馬の扱いから何に関するまでを細かく教えた。

スピリットを忘れそうになる現在の人間達は先祖からの魂を身に宿らせないから信条が揺らぐのだ。それが奴らだ。奴らの失われた世界を、苦い顔をして見つめていた。

炎の儀式の時の幻影を抱かせて、あの時、母を天に見送った後に、青年時代日本に来てから長く時が経っていた。魂の旅立っただろうか。父も六年前に他界した報せを聞いていた。

そのワッカはまるで、ニワトリなどを吊るして掛けていたワッカに似ていた。

熱い風に揺られていたのを思い出す……。

魂を忘れたネイティブは、魂のむくろでしか無いと、父は生前言っていた。

ニワトリに成り下がるのか、俺は。

日本という狭い環境に流れ流されてきたがどこにも神は無く、精神も留まってはどこにもあの熱は無い。それでも一度も後悔した事は無かった。

今回はただ、一度負けただけだ。

樫本に。

黒星を一つあげただけだ。コヨーテが夜風のそれを見上げ、短く鳴いた気もした。

彼は、葉巻を灰皿に置き、目を閉じ最後の深い森を思い立たせた。

少年の頃は実に勇敢だった。

少年の頃は、全てを悟っていた。

鷹と話し、時を流れを見て、水を読み取り、宇宙の操りに身を預け、森林の神を、炎の神を、称え狼の様子を窺った。

千の治療法を知っていた。万物の流れを流すことも。清流を、怒りの濁流が飲み込み荒らされても心は鋭く猛っていた。どこまでも闘ったというのに。

深い森は、生命の源だった。

泉は起源だった。

命は全ての始まりだった。

宇宙の摂理は、一律の元にあった。


背もたれから、うなじと広い背を離してジャケットを脱いでそのソファに掛けた。

物の操りと行く末やギャンブルなどの運はうまく行き過ぎる程強かった。だが、生命の起源を、自然の摂理を離れ忘れては、生命自体が落ちて行く。人と人との間でだけしか物は動かずに、魂の器は割れたのだ。

もう一度、葉巻をくわえベストの胸元に射されたブラウンのシルクを正してスカーフの首元を緩めて艶やかな黄色のスカーフをテーブルに放った。

立ち上がり、作業に入る事にする。

磨かれた革靴を踏み鳴らし、颯爽と身を返して腕をまくった。

思い出したかのように、書斎机を振り返って頭のリボンがぱさっとチープな音を立てた。

遺書を忘れていた。

ワインレッドのフェルトの上、紙を置き羽根のペンんも先をなめてから壷の黄金色のインクをつけて、デスクに腰を滑らせ走り書きした。名前もそえて、ライオンの装飾のされたナイフで血印を押してから、それを置き銃をその横に置いて向き直って、死刑台を見た。

なかなかの風情があるように思えた。

ドアの横の椅子を持って来て、そこに置き、リボンが取れないように最新の注意を払いながらもワッカを首に掛けた。

この日の為に、酒にも薬にも酔ってはいない。

さっき最後のBar ZEBRANAでバーテンのジョージに出され飲んだ酒も、良いように既に抜けていた。

夜風がそれを脱ぎ去った。

女はかいがいしく赤のすだれで出来た衣装で、暗闇の中の華だった。ブルーベリーの装飾街路灯が照らす中、

「バイバイ、ジボー」

と手を振り、ちょっと泣きそうな上目で彼を見ながら、手を振って「じゃあね」と言い歩いて行った。

闇の中、華は路地に消えて行った。

可愛い女だった。その白い背の、葉巻の焼き痕さえ美しい一部だった。

自分の死を彼女は尽くしてくれた。最期の夜までだ。

大久保は、ドアを見つめながらワッカに掛けた重厚な指輪のはまる包帯の手を離し、椅子を、思い切り蹴りつけた。


しまった!!飼い猫に餌をやりわすれた!!!







★起動★


樫本は、店を張らせていた舎弟から報せを受け頷いた。

食器店オーナーの大久保が、自棄を起こし自殺をした様だ。

「今、警察が調べに入っている所で、もうしばらく様子を見てみます」

「ああ。そうしてくれ」

樫本は連絡を切って帳簿を見下ろすと、店の名前に線を引き消してから書斎のデスクに置き、膝の上の片足を下ろしてハイバッグから立ち上がった。

帯を解いて丹前を衝立に掛けてから、スラックスとシャツを着て革靴を履いて出た。

またとんっでもない声で紫貴が叫んでい……「うるっせえ……、」廊下で紫貴に鮮やかな回転ハイキックし歩いて行った。

顔面を絨毯に打ちつけた紫貴は顔を押さえながら駈けて来て喋り出したが既になんて言っているのか分からずにシカトし歩いて行った。

「大久保が自殺した。店を返してもらう」

「マジー!もう少し粘るって知らねえかなあのおっさんよ〜どうなったのよそれでよ〜。銃でドカン?銃でドカン?喉掻っ切ったのか?」

「今警官が入っている頃だ。森澤から連絡入ったら向うぞ」

「うぇーいすドカンだドカン」

また階段をど派手に踏み外して落ちて行った。

「はあ。全く……」

樫本は珍しく彼を引き起こして上げてから、紫貴はにっこりして兄貴がエントランスからダイニングへ入って行くのを追いかけた。

「なあなあ兄貴よ〜。ショウちゃんと最近どうよ〜」

「変わらない。お前の方はどうなんだ。契約は局に結ばせたのか」

紫貴の組むバンドを峰に躍進させる為に、手始めにレーベルを買収させるのだ。

「おーう、起動に乗ってるぜ。局長、峰の出す条件今検討してるってんで、俺らは返事待ち。まあ、有無を言わせずさっさとやっちまえって感じなんだけど。ちょろいちょろーい!ちょろきっちゃんちょろきっちゃん!!(楽勝という意味)トメさんステーキ!」

「朝から無いです」

「じゃあごーはん!」

「はいただ今」

「ショウの様子は」

「翔か?まあ、いつも通りなんじゃな〜い」

「そうか」

紫貴はウンウン頷いて、テーブル上のブーツの足を交差させてカットされたオレンジの皿を腹に乗せ食べ始めた。全部食べ尽くした皿を置いて、サイドテーブル上の灰皿横のカードを降り始めた。

「今でも何か、翔を疑ってんのか?」

「まだ分からない事だ。どうせイサ姐は言わないしな。俺側で調べつけても、真っ当な金持ちの令嬢としか分からねえ」

「アッレが金持ちの令嬢……?いやいやいやいや認めねえだろ誰も……」

「本家の曽祖父は医学機器開発と薬品製造企業の名誉会長で、政界にも二十年いた人材だ。祖父は現在グループを総括する社長。父親が本社の代表取締役。歴史は江戸時代、幕府の命令で祖先がドイツに医学を学びに行き手術機器や装置を開発されたものを伝授されてきて医薬を開発しつづけるエリート一家だ」

「……ボンッッボボボンじゃん、アレッ!」

「二十一でなく実年齢十六。最近、聖マドラネィン学園を自主退学した」

「ちょ、超筋金入り……」

「母親の家系は、本家が北欧スウェーデン人のハーフ。父親とは医学シンポジウムのイブニングパーティーで知り合った。共にその家系も代々研究施設を構える家柄で何の裏の経歴も怪しい点も見当たらない。将来は大手開発企業を背負って立つ者として英才教育を受けつづけていたが、それも翻して放棄した。どうやら、『バンド』に目覚めた、ってな」

「十六ってめちゃくちゃ年下かよあの少年エックス……」

「ショウは夜の世界でバンドの傍らアラブ系列の武器を密売していたんだろう」

「もうその話は消えたって」

「あの女はなんて言った」

あのバンドの影の立役者を任せている女が動いてその輸送船を木っ端微塵にしたのだから。こちらがランを追っているという忙しい時にしかも独断で。

「エロティカ?まあ、特には何も」

「さっさとバンドを発足させるように言っておいてくれ」

「そうそう。その事で兄貴と一度話したいんだって」

「何時に」

「今日エロティカが目覚めた時間」

「いつまでも勝手な女だ」

「まあまあ〜」

あの色気には参ったものだが、夜も何もあの女には関係無い。

「明るい内に済ませる様に叩き起こしに行け」

「うぁーいぃ」

紫貴は立ち上がり歩いて行った。

柱の所で振り返った。

「……。そういえばよお、桐神の阿呆垂れって最近どう」

「何で」

「エロティカの妹」

「シマが何かあったのか?」

「紹介するよ」

「駄目だ」

「なんでよ〜いいじゃんよお」

「身内にあの女の血縁を入れたく無いからだ」

「いいじゃんいいじゃん親戚になる位」

紫貴はジェグリアバンの本当の正体を知らないから安易にそう言うのだ。

「あの糞ッ垂れの桐神もそろそろ貰う時期だって。東京に来て1年だぜ?葉斗での対面っつーか、そこそこ地位も上がるって言われてんだからさあ……」

樫本は肩をすくめ、紫貴はその広い兄貴の背を、一瞬まずった、と思って見てから頭を掻いて扉枠の欅の柱から背を浮かせ戻って来てテーブルに手をついた。

「兄貴だって、もうそろそろ新しい妻をもらうべきなんだ」

「……」

新聞から目を上げて、横の紫貴を睨むような顔で見た。

「そうだろ?」

そう言って、横付けされるチェストに腰をつけて言った。

「鈴とアタルだって兄貴がいつまでも」

樫本は新聞を置いて身を返して、歩いて行った。

紫貴は刈り上げたシルバーの即頭部をがりがりやって、声で追いかけた。

「兄貴!」

彼はそのまま階段横の廊下を歩いて行き、姿を見えなくした。

紫貴は、口を突き出して俯いた。兄貴は死なせた2人に事で自分を責めているからだ。

「ぼっちゃん」

「心配してるんだぜ俺だって!!兄貴が葬儀で鈴の家族にすげー責められた時だって俺も辛かったんだ。アタルも鈴もああなったのは確かに極道に生きる兄貴の関係だったが、」

「まだ、話は早いんですよぼっちゃん」

「………」

紫貴は歯をかみ締めて垂れ下がる前髪を跳ね除けて立ち上がった。

「兄貴には、強くい続けてもらいたいんだ。今の兄貴は……一年前から兄貴らしくなくなってきちまってる。何か、鈴とアタルと一緒に他の物まで失っちまってるんだ。兄貴自身を……」

そう言い出て行き、エントランスから窓際を歩いて行き、突き当たりのピアノのあるドーム型ホールに出た。

紫貴はあらん限り思い切り怒鳴り叫んだ。





★病院★


品川会長は昼頃には目覚めていた。

今では、妻と彼女の妹と楽しく会話を交わしていた。

品川会長の息子、啓二は一度見舞いに来ると会社にすぐに帰って行った。ヨウの様態は伝えなかった。心労を与えるよりも、啓二が裏で何か動いているだろう事を探られてはいけないからだ。

別になにもしなかった。そのまま大人しく帰って行った。


啓二は秘書の差し出した緑茶を受け取り口をつけた。書類から目を上げディスクの内容と照らし合わせてからそれを出し、書類をデスクに閉まってから秘書の男を見た。

「親父の所についてる人間は何者だったんだ」

「それが……、葉斗組の幹部の桐神偲という男でして」

「なんで着けているんだ」

「身辺警護で、葉斗イサさんが着けさせています。彼なら確実だからと」

「あんな物騒な棒を持った男が」

桐神イコール刀を持ち行動している。病院の為に竹刀だった。確かに彼は樫本に並ぶ刀の強豪だし先の抗争でも大きく貢献したし、竹刀だろうと、桐神にあれでぶったたかれたら百パーセント気絶する。樫本にやられれば、死んだ。

「会長も承諾しています」

「病院側でやくざ者などどうして追い出さない」

「葉斗の人間では追い出しにくいというのが現状です」

啓二は溜息をつき、銀縁で細い眼鏡を外して、高い鼻の上の二重の目元を押さえた。

「まあ、好きに見晴らせておけ」


そんな桐神は暇そうに廊下でドア横の壁に背をつけあぐらをかいて竹刀を肩に座っていた。

会長の世話をしている陽子という女の子供、未智が、桐神のあぐらの中で眠っていた。あの「サイ!サイ!」と喜んでいた女の子だ。

桐神は欠伸をして、眼前の広い通路ベンチに座る会長の血縁の青年の視線をずっと無視していた。

さっきなど、桐神は絵本など未智に読んであげていたが、読み慣れないひらがなばかりの稚拙な内容の文を読んでいると、それが疲れているために地元の方言に戻ってつらつら読んでいたので、なんだか怖かった……。

「熊さんはあ、山に芝刈りい行って河でカマ洗ろうちょったら、がば可愛い兎ば見つけていい按配に飯見つけたけん、食いよった。そげなとこ、他の兎さ見とったものだから大変だあと驚いて、しゃーしーもんじゃけえ、ちょうきしゃんなんばしよっとかと、グワシイッと兎をくらしたばってん食べんともういいっちゃろうに、また食いよった。熊さんはあ、兎さがば好いとうな仲良かお話が、ここから始まり始まり」

と、ばりっばりの方言でのんびりした感じが、早々にスリリングな最期を迎える前に、未智の眠気を誘って三時の眠りに就いたのだった。彼は普段、絶対に九州弁を使わないようにしていて、「られるので、られます」系も克服していたが、たまに「頭。車乗られますか。歩かれますか」と出た。

「きしゃんなんばしよっとかあ!!!!!」

の、ところでドバシイッッッと、竹刀で通路を叩いたものだから未智はびっくりして「ヒイッ」と言ったのだった。またすぐに来た、あのまったりした感じに完全にやられて未智は安らかな眠りについた。

怪しまれている品川啓二は帰って行ったし、兎と熊の間以外には何も事件は起きずにいた。

横のドアが開き、長いモデル足がしゃがんで髪を耳にかけた。

「あら、お昼寝しているんですね。良かったですわ」

未智の母親が桐神から女の子を預かると桐神はゆっくり立ち上がって背後の病室を体を曲げ覗いた。

「もう平気なのか?」

「ええ。きしゃんなんばしよっとて目をぱっちり開けました」

「ああ……、そう……」

「子供をあやすのが上手なんですね」

桐神は片眉を上げてから壁に背を着けた。

「うちのもんが、品川ヨウを守れなくて悪かったな」

彼女は「とんでもない!」と首を驚き振って娘を抱きなおした。

「とんだ災難を強いてしまったのは我々ですわ。ゼブラナに大きな迷惑を掛けてしまったんですもの。まさか、葬儀で暴動に走るなんて」

女は、そう目を遠くして言った。





★離婚★


紫貴はリムジンの中、錦蛇に締め付けられて気絶していた。

彼の組んでいるバンドの影の立役者の女のリムジン内で、その場にはその女と共に樫本もいた。

普段全裸で過ごす主義の女立役者エロティカは座席に腹ばいになって、ゆっくり煙管の煙を細く色っぽい唇から出し、片足ずつ交互に曲げては抜群の肉体の白肌の肉体は十年前の昔と全く変わらない。

金髪を片方に流しエロティカは妖艶に微笑んだ。樫本は他の座席で一度彼女の顔に微笑み反らし、烏龍茶のグラスを傾けた。

だが、彼の視線に愛情などもう無かった。いつも彼は彼女を殴る変わりに体を抱いた。それまでは、彼の目には愛情があった。可愛らしかったし、男らしく微笑みもした。今はその愛情を感じなかった。

エロティカは体をゆっくり起こして彼の横まで来ると首筋に両足を掛けて甘えるようにしなだれた。それでも彼の冷めた視界は隅に映る女の部下を見てから反らした。

彼女は膝で立ち、彼は彼女の顔をなぞるように見た。

期待するなどしない女だろう。

目で何が言いたいのか分かるとエロティカは、彼の頬を撫でて「ねえ坊や?」と切り出した。

「俺はもう十年前の年齢じゃ無い」

「いつまでも変わらないわよ。あたしはその分年齢を上げていく。それでも、美しいでしょう?あたし」

彼女は美術品の域の美しさだ。

「ああ。そうだな」

心の中は強烈なアナコンダモンスターの様だが。それが彼女の一種のボルテージなのだろう。

エロティカは背後に背を大きくのけぞらせ、テーブルの樫本のRYJを加えてから一瞬で部下が火を着け、大きく身体を反動で戻させると緩く樫本に微笑んで彼の唇に煙草を加えさせた。

「ねえ。あたしの元に帰ってくればいいのに。葉斗にいたいというの?もしもこの先の事を考えて葉斗や葉斗イサに仕えて行きたいというなら貴方を待たない」

「いつから待ってたんだ。もう終わってた」

「駄目よ。ギャング内での結婚の誓いは硬いのよ、そうは容易に解けないものなの」

その通り、アメリカでの大学生4年間の結婚生活にはまだ離婚の形を取らないまま日本に逃げて来ていたのだ。この女、ジェグリアバンから。

「俺は仏教だ」

「そんなの関係無い。あたしのルールには。」

神が存在するならば自らを崇めさせもする女だ。

「今の内に戻って来た方がいいと思うわね」

エロティカは意地悪っぽく微笑み、彼の知りたがっている情報をそろそろ言ってあげることにした。

「身内絡みよ」

「何?」

「だから、充分注意しておいた方がいいわ。その事だけ言っておいてあげる」

「誰だ」

「言ってあげない」

樫本はグラスを落として共に溜息混じりにうんざりして顔を反らした。

「死人が出てる」

「そうね。誰もが自業自得だったけど」

「そうやって自業自得にした引き金を引いた人間には落とし前が必要だ。イサ姐の常連に被害こうむらせて、そいつはゼブラナまで焼失させたんだからな」

「さあ。いい結果に行くんじゃないかしら?そのランって女も死んで、イサの心労も減ったしねえ……」

イサは、心臓を弱くしている。ゼブラナを始めてしばらくしてからだ。

「誰なんだ」

「言わないわ」

「身内だと?」

「そうよ?」

「俺にわざと不信感持たせているのか?」

「貴方は忠義心が堅いから。がせかもしれないわね」

「言え」

「嫌よ」

「ジェグリア」

面白そうに彼女は笑うと彼の瞳を見つめた。

「綺麗な文身まで施して極道なんかになって、この男は」

そう、どこかしら可愛らしさがある鋭い黒目を見つめて優しく微笑んだ。

「元ギャング出の男が何をしでかすのかと思えば、義理と人情を大切にするというのなら、あたしとの全てを終わらせたいというのね?」

天井のシャンデリアに両手を伸ばし触れて、煌きをティン、セラン、となぞり揺らして、ロイヤルカットのブラックダイヤモンドと美しいカットの透明なグレークリスタルにシャンデリアは美しく瞬いた。

「いいの?あんたがあたしの男で元はアメリカンギャングの一員だったって知られれば、相当今の件の上では大きく怪しまれて変に疑いの目を向けられるんじゃない?そうなればいいのよ。子犬みたいに捨てられちゃえばいい」

そう微笑んで、彼の顔を見つめた。紫貴に肩越しに振り向いて、樫本の耳に囁いた。

「離婚はしてあげる。その代わりあの子をもらうわよ」

「何を言っているんだ」

口端を上げエロティカは緩く微笑んだ。

「気に入ってるの。どこまでも可愛がるわよ?そうでしょ?また酷い目を見たらどうするのよ。あの子の性質は極道じゃ無い。貴方には性に合ってもね。離れさせてあげる。あの子にも惹き付ける力があるわ。あたしの生活にぴったり」

反論しろうようとした樫本は紫貴が派手に起き上がったのを見た。こいつは生まれた瞬間から派手だった。

「ねえ?紫貴。おねえさんと結婚しましょうか」

「え!マジ?!」

紫貴は目をハートにして組んだ両手を片頬につけた。

「本当。海外に行ったら、あんたをあたしの夫にしてあげる。バンドがもし駄目になってもね。あんたの望みを叶えさせ続けてあげる」

エロティカは兄弟の頬にキスをしてから、リムジンから降ろし、再び樫本のプランツクーペの横から走り去って行った。

紫貴は喜び飛び跳ねていて、座席でケツで跳ねてクーペの窓からそのまま転がり落ちた。車外に出て樫本も歩き出し紫貴はそのまま派手に歩きはじめていた。

「わーいエロティカと結婚だ〜!」

樫本は溜息を吐き出し、煙草に火を着け彼女のキスの味を払拭するように深く吸い込んでは消し歩いて行った。

身内に入れるという話が彼女の単なる気分かは分からないが、ジェグリアバンは嘘を言わない女だ。まあ、彼女が翻せば全てが本当になるの間違いなのだが。それに弟をあの女の下に自分の離婚を担架に持っていかれるのは賛成出来ない。あのギャングは身内の競争率が激しい。樫本の腕ならまだしも、紫貴では勝手が違うし殺されかねない。何をあの女にやらされることか。彼女は紫貴をくれれば、イサにもショウにもゼブラナにも手をださないでおいてあげると言っていた。

振り返ると紫貴は電信柱にぶちあたって散歩中のポメラニアンに噛まれている所だった。

「噛めばいいだらああ!!!!思う存分噛めばいいだらがやあああ!!!」

犬はきゃんきゃん言って激しく献身的な紫貴から走り逃げて行った。

「本気にするなよ。あの女の言葉」

「まあまあどうにかなるだろうって」

またそういう適当を言う。適当の本音が紫貴を取り巻いていた。適当に生きているように思わせ、本当は考えあぐねながら生きているらしいロッカーの様に。自分には無いあの弟の適当さが丁度合うのかもしれないのだが。

海外に行った後のショウの変わりもきっと探し始める事だろう。





★行方★


樫本は自分の屋敷へ一度戻った。

品川会長を一度訪れ、彼に着かせている桐神は何の問題も無い事を言っていた。あの少女は桐神に懐いていた。だが桐神は懐かれたくないようだった。

会長はこの事に関しては樫本に詫びてきた。イサママにも走り回らせてしまってすまなかったと。

孫が狙撃され、今現在昏睡状態だとは知らされていない。

落ち着くだろう明日あたりに豪も一度顔を出すことになっている。

空港も張っている葉斗の人間達の目もかいくぐり、既に品川ヨウを狙撃した黒幕の部下は日本を去っていた。

屋敷へ帰ると、朝は兄弟喧嘩をして心配をしていた使用人が玄関まで迎えに来て樫本を見上げてから「お帰りなさいませ旦那様」と言った。

「もう仲は取り持たれて?」

「ああ。他の仲まで取り持ったくらいだしな」

「ふふ。それはようございました。食事の用意は出来てございます」

「軽く済ませて行く」

「はい。かしこまりました」

樫本は部屋へ上がり軽くシャワーを浴びてから日中の服を着替える。スーツの身だしなみを調えてから下へ降り食事を軽く済ませた。もう一度身だしなみを確信すると70年物のワインレッドのセダン、渋いスタッツディプレに乗り込み、事務所周りを済ませてから葉斗の屋敷で頭への報告をかねてから時計を確認した。

十時。

業務は今日難なく済み、一度ゼブラナに一時間程顔を出すことにする。その後に刑事の引いた食器店の処理を済ませる事にする。

明日、店の回収に向う。

昼の内に他の二店舗は二週間の内に潰せる。他の店舗への掛かりも済んでいる。他の業務も不気味なほどの静かさで終わっている。

樫本はゼブラナへ向うと、イサ姐に招かれた。

「今日はショウはいないのよ」

「休みですか」

「連絡がつかなくて」

「昼に一度話した。紫貴の電話に掛かって来たのは13時辺りでした。これと言って妙な事は言ってはいなかったが……」

ただ、冷たく彼女には切られたのだが……。今日も店に行く事を言ったら。

「無断欠勤ですか。あのショウが」

「珍しいんだけどね」

「今回ばかりは条でも無い。彼は今オークション前のパーティーで海外です。今は品川も大人しくしている」

樫本は店内を見回しイサに言った。

「俺が捜します」

樫本は口端を微笑ませてから、再び車に乗り込んだ。

「悪いね。仕事も終わった所だったのに」

「いいや」

樫本はそう短く言ってから、ふと顔を前方へ向けた。

イサも、闇の中のそちらを見た。

「あら。さっきの」

随分背の高い白人の青年だ。柔らかい色合いの金髪に水色の瞳が爽やかな。

迷い込んだ羊のように、辺りを見回していた。

さらさらの金髪をかきあげて、消し炭色のワイドなパンツに白の長袖、その上に黒のカーディガンをお洒落に緩く着こなしている。

レンガと漆喰壁に囲まれた石畳のこの広場の空間の中、きょろきょろ見回して、明るい方向、ブルーベリーモチーフの街路灯を見つけ、青色に灯っている方向を見た。白の漆喰にその青と安心する茶色が広がっていて、装飾看板の上に明るい白の照明が灯っている。

「あれ。さっきの」

白の漆喰や闇、頭上のブルーベリー色のほんのりした青がよく似合う、渋いワインレッドの格好良いセダン。車体に茶色の照明も深い色合いで艶を与えうつっている。

先ほどすれ違った黒のフェラーリの着物美人が立っていてこちらを見ていた。

彼はそこまで歩いて行くと微笑んだ。

「どうもこんばんは」

「こんばんは。さっきはどうも」

イサもそう返すと、青年は車内を見た。

「あらお客さん」

「ああ」

樫本は他所を見ていたのを、青年を横目で見上げてから、窓枠に掛けていた腕を外してキーを差し込んだ。

「格好良い車相変わらず持ってますねお客さん」

「知り合いなのかい?」

「ええ。まあ……」

この青年は樫本が破滅させ自殺させた食器店のオーナーの店で昼に働いていた店長だ。

この白人の青年は、ショウの彼氏だった……。ライカ=ブライルだ。

一番初め、樫本が彼に人種を聞いた時、コアラの国から着きましたと言って来た。

イサの顔を樫本はちらりと見上げた。

「俺の店に良く来ていたお客さんなんですよね。カップや皿を買ってくれました」

「へえそうなの。すごい偶然ねえ。あなたはバーに?」

「バー?」

可愛らしくて女の子の服屋のようなお洒落なお店の、ロマンティックな扉を見て、洒落た看板を見た。

「あれ。ゼブランナ、ゼブラーネ?あれ?ゼブラナ?あ。ゼブラナ?」

ライカは店の看板から、イサと樫本の顔を見た。

「ショウは元気ですか?」

「ショウ?」

イサは首をかしげて彼を見上げた。

「俺の彼女です。ゼブラナで働いているってって言っていて。この二日間連絡が無いから心配していて」

「お前の所にも夜連絡が無いのか?」

「ないよ?」

ライカは瞬きをして樫本を見た。

「今から彼も捜すんだ」

「え?お客さんも?本当に?」

「ああ」

樫本はキーを回した。イサは「頼んだね」と言い、樫本は手を掲げてから進ませて行った。

バックミラーの中のライカはイサの横で、闇の中にワインレッドが吸い込まれるまでを二人並んで見ていた。

樫本は、自分が暗闇に包まれた中、暖かい照明の中のライカを睨むように見ていた自分に気づいて目元を押さえ反らして、闇の中進ませた。

「………」

ショウはあの男を愛している。あの時の、輝いた彼女の笑顔を見て分かっていた。俺は、そんな中の単なるのけ者に過ぎない普通の常連客の一人だ。

イサ姐の弟である葉斗組頭の舎弟の自分を、きっと大事に扱うようにとでも言われているのだろう。

ショウが自分のことを何か思っているなんて事があるわけも無いという物を。

街路灯のさす表の車道に出て走らせて行った。





★変わらない★


『樫本の兄貴!』

「………」

あの時、血が舞って蹴りつけて、コンクリートに囲まれた通路は、何かのモニター越しの薄闇に思えた。自我を失いかけた。揺らいだ。全てが揺らいだ……。

鋭い叫び声が、誰の物なのかがすぐに分かって……。

『待って下さい兄貴、』

『黙れ!!!』

殴りつけていた。走り、闇の広がるドアの中が、闇だけでは無い事が、激しい泣き声の存在で、わからせてきた。

『樫本!!!』

背から伸びる通路からの白い光が差し、銀の線が揺らめき頬を掠めそうになる。体だけが動いていた。

大雅組の連中は倒れて行った。

目の前が、闇の中、……黒くなった。


既に………





★薄雲★


樫本は、夜空を見上げ紫煙は雲とうっすら混じっていた。

月が姿を隠している新月、星が瞬いている。美しい夜だ。

しばらく見上げていたのを、シフト変換し、クラッチを踏みアクセルを踏み進めて行った。

夜が濃密で、闇を微かに炎は吸い込もうとしていた。

ふと、思い出した曲があり、鈴がよく二人の時間、パーティーへ向う準備の時だとか、晩酌でワインやブランデーを飲み交わしているとき、夜の時間の前でエレガントなドレスを身にまといながら、美しいホールの一室で、彼に歩み寄りながら、よく歌っていた。

一部分を、いつのまにか空に渦巻いて行く紫煙を見上げながら呟いていた。

脳裏に流れていた。景色のように、曲が、情景が、鈴が……。

風景と共に。視野は道路の街並みの先へ落ち、そんな事に気づいて、記憶を頭の中に消し去った。

乱暴に。

まさかと思って、樫本は連絡を入れた。

今は普段の紫貴の行動から言って、徐々にバンドのメンバーが集まり出して音あわせをする時間帯だ。それを、この所ショウは遅れて二時から参加という事だ。

ジェグリアは二度目でようやく出た。

「英一」

「お前、ショウに手を出したんじゃねえだろうな」

「今あたしは親善パーティー中だけれど?十カ国の大使達と共にね」

「パーティーだと?」

「ええそうよ」

「一度会場に行く。姿が見えないんだよ。ショウの。店にもな。」

「そうなの」

「お前がさらったとしか思えない。約束も破って」

「あら。まだ紫貴をもらっていないうちに何を言って?彼をあたしの夫にするのは、海外に出た後。だと言った言葉を覚えているはずだけれど?」

「会場はどこだ」

「レキシダン。来るのね?」

「ラウンジに出てろ」

そう言ってセダンを走らせて行った。





★濃闇★


闇の中に漆黒石材が巨大に浮き、威風堂々待ち構えていた。

樫本は笑顔でドアを開けられ、キーを渡し大またで歩いて行った。

「樫本様。本日はよくいらっしゃいました。さあ、こちらになります」

パーティー参加者に間違えられ、会場に促されそうになった。

「いや。待ち人だ」

「さようでございますか。では、再びなんなりとお申し付けください」

「ああ」

樫本が少年の時代から両親がトスカーナの友人を招いてパーティー会場にと愛用していたホテルは馴染みも深かく、格調ある老舗ホテルでもある。

パーティー時だけに開け放たれる扉奥に見える遠くのプレイングルームのビリヤード台にはパーティー客がどれほどかいた。

ラウンジに進んで行き、暖炉の前には彼女がいた。彼女は樫本を振り返った。

「それでは、ごゆっくり」

樫本は肩越しに頷き、男はジェグリアの微笑みを受け満面に笑むと静かに去って行った。

「英一」

そうシガリロをくゆらせ、流し目でゆっくり微笑んだ。

「ショウはどこだ」

「ハハ、決め付けないでよ」

「いるはずだ」

そう恐い声で言ってジェグリアのシガリロを持つ手首を持った。

「離しなさい」

そう上目で意地悪っぽく微笑んで口元を引き上げた。

赤のドレスから、今は大振の物を繋ぎ合わせた代物、魅惑の漆黒ダイヤモンドの美しい型のドレスは体のラインを見せていた。首を覆うようにプラチナで覆わせた鋼鉄の美しい装飾品を着けている。

心臓など、撃ち抜かれても跳ね返される防弾ドレスだ。デ・リューギャングボスの彼女は様々な身分を持っているが、顔を見せる宴ではこういうドレスを着て身を守る。当然の事、総重量は大した物だ。

黒のシガリロ側の、黒のロンググローブの腕を解くと、黒シルクの上からはまるルビーのリングを樫本は見つめていた。ジェグリアは顎を上げて下げ、樫本の胸部を見てから軽く寄り添い軽く手をついた。

かつては愛し合った時が、忘れられても破片を覚えているはずだ。充分。

彼の痛める肘腕をさすってシガリロを灰皿に落とした。

「ねえ貴方。あたしのエスコートをしてよ」

「早く出せ」

「貴方は夫。あたしは妻よ?」

身を返して会場を歩いて行った。

闇の充ちる見回す会場は海外の富豪が殆どで、貴族枠も揃っている。中にはゼブラナの常連もいる。

彼女は黒檀の透かしから、黄金ドラゴンの羅字で黒の重厚な煙管を出すと、それも洒落た黒檀の煙草入れから刻み煙草をヘッドに乗せるとマッチの火を乗せ優雅にくゆらせた。

「このホテル内にいるんだろう」

「ええそうよ。行けば?」

樫本は会場に目を転じ、ジェグリアがあっさりと言った為にいぶかしんだ。

翔の成りを見せる為だ。こうやって浚ったのも。恋人の遊飴を来させて餌を与えたのも、宣言した後の行動がばれやすくしたのもその為だ。

思い知ればいい。ショウに失望すればいい。

会場は、証明が暗い茶の暖色に落とされ、濃密な灰焦の光が所々に浮かんでいた。

何人かが見知った二人の所に来ては挨拶をしていく。男は樫本の方を見てから言った。大体が樫本が極道に身を転じたとは知らない。ジェグリアも今日はボスとしての出席では無かった。

「君の両親と最近共にしたよ。君も随分元気そうでなによりだ」

「両親は変わらず元気で?」

「ああ。元気だ。最近は趣味も変わって仲間内でセスナで空を飛び回る。君もたまには会いに行ってあげたらどうだい」

「仕事が忙しくなければそうする」

「行ってやるといい。その時は、共に空を楽しもう。親子でなら。格別に楽しいというものだ」

「まあ、そうだろうな」

樫本は心にも無く答えておいて、自分から逃げた両親のいる場所へ行った所で、親父の寿命を縮めさせるだけだ。何の面白みも無い。今日こうやって会ったという話もこに男から聞かされる羽目になる事を心臓を悪くするくらいだ。

会場の中に、ある男を見つけ歩いて行った。

「ジャクソン」

男は深いワインを持つのを振り返り、恋人も樫本を見上げて微笑んだ。

「エイイチ」

二年前からのゼブラナの常連でもあるが、元の昔からの顔見知りだ。

「今回は日本でとんだ災難だったな」

「もう落ち着いたのか」

「ああ。パーティー時に悪いが、その事で何かあるんじゃないのか」

「さあ、どうだろうな」

ジャクソンも、あのゼブラナゲームには参加している。もちろん常連全てがそうという訳ではない。事実品川会長もゲームが行われていることを知らない。

「全く、お前等の好きな悪趣味な賭け事にもあきれるな」

「何かが動いていると見て?」

「へえ、違うのか?」

「さあ。どうかな。上の連中は好むかもな。エイイチも、加わるか?」

そうジャクソンは微笑んで、樫本を明らかに見つめている恋人の腰を引き寄せキスをして、彼女も微笑み艶目を流して彼を見た。

「ねえ、エイイチ。今度、ライジーンのお城で宴を開くそうよ。あなたも来て」

「スケジュールに空きがあればな」

「作ってよ。レベルディーと日本で会って話したわ。忙しそうだって噂は聞いたけれど、ふふ、本当なの?」

レベルディーというのはスペインでの条の名前だ。彼の正式名称はなんだか長ったらしくて、その中の漢字だけとって日本では母方の条一族の苗字をつけていた。ルカ=レベルディー=モルシェンディラ=リタ=サトルが、彼の名前だ。その後に爵位だとか代々受け継がれる何世だのなんだのがついた。

「忙しくする要因に消えてもらうに尽きる事だがな」

「そうね。がんばりなさいよエイイチ」

そう彼の両方にキスをしてから彼女はジャクソンの耳に「お色直しに行って来るわね」と色目で言い毅然と歩いて行った。

ボーイが樫本の空いたグラスを預かり新しいグラスを彼は断った。

「彼女と知り合いなのか」

ジャクソンはジェグリアの迫力ある背を見てから言った。

彼女は今は亡きカジノ会場と豪華客船王の長女だ。その偉大な父を殺したのが彼女だという事は樫本は知っていた。ギャング内の暗黙の了解だった。

「ラウンジで知り合った」

「へえ。彼女には注意したほうがいいぞ。どうやら、相当の強烈な性格だと噂が流れる」

「誰でも知ってる」

「あのマダムには何人も泣かされてきている。同学だったオペラ歌手のサイオンっていただろう。彼も全てを奪われて男気も無くして失踪した。何かを怒らせたらしい。妙な噂では、うらぶれた酒場で男相手に客引きをしているようだ」

「ふん。あのサイオンがうつけだったのさ。ああいう女の毒をソフトドリンクと間違えて飲むようなお子様は腐るほどいる」

俺も結局はそうだったんだろうと樫本は皮肉に思いながらも何かを言ったジョンソンを見た。

「何か言ったか?」

「彼女は俺たちの華だと言ったのさ」

「邪悪な華なんか枯れれば黒味しか残らない」

「全く。エイイチはどこまでも皮肉っぽいな」

「さあね。往生際の悪い連中にほとほと飽き飽きしているだけだ。こちらの力不足をたたる人間位現れればいいんだがな」

「ランも死んだんだ。何かが変わるだろう」

まさかジェグリアもギャングを裏で大きく立てているだなんて全く知られてはいなかった。巧妙に身分を変えているのだから身内以外に気づかれ様も無い。

「……。彼女が枯れるなんて時があるのか?」

ジャクソンがはぐらかしてきたとすぐに分かった。確かにジェグリアは正式な身分だけでも大きい。貴族連中を小ばかにする連中にジェグリアも入っているが、彼女の父も列記とした元貴族だったのを爵位を捨てていた。

「造花が枯れるわけが無いだろう。埃を払うだけで戻るんだからな。だが、確かに俺も惚れそうなほどいい女だ」

ようやく認めておいて、ジャクソンは樫本の言葉にやれやれ笑ってから、樫本は何かジャクソンが今起きていることについて分かっているらしいと思ったがこいつの適当振りははぐらかしに注がれている。そして吐かない。ガキ時代からそうだ。





★薄紅★


ジャクソンと短く言葉を交わしてから、他の人間と話すジェグリアの横へ来て並び、背後から耳打ちした。

彼女は肩越しに微笑み彼の胸元を見て、ふふ、と微笑み囁いた。

「その言い回し、好きよ。はい、J1ルームナンバーのキー」

一瞬炎に飲まれそうになったのを飲み込んで離れて行った。

シガリロの香りのつく薄手の黒革のロンググローブから変えられた美しい金属の連なり蝶を模した純銀グローブから覗く白い指から落ちたキーは音を立て、指を滑り込ませて樫本に微笑んで首筋に唇を一度寄せた。

樫本は受け取り颯爽と歩いて行った。

ジェグリアは、その背を妖艶な瞳で見つめ会話をしていた父の友人だった大使の老婦人に微笑し断ってから彼の背を追いかけ歩いて行った。

彼女もエレベータに乗り込みエレベータマンを下がらせ、背後の彼に微笑んで前に向き直った。

「翔は今お楽しみでしょうね。邪魔をするなんて悪い男」

樫本はふんと息を吐き捨てた。

「ねえ英一」

そう、壁に背を着けた背後の彼に呼びかけ、肩越しに見て微笑んだ。

目線をゆっくり戻し、ゆっくりした手つきで黒檀の精工に施された持ち出し用の灰入れに煙管の中の灰を捨てると筒に煙管を収めた。

樫本はそんな彼女の仕草をずっと上目で見ていた。

「英一」

彼女はもう一度彼を見て手を背後に捧げ、彼は彼女の手を引き寄せ彼女を包括した。

彼女の背が胸部にぶつかりブロンドがうねった。

彼の暖かい腕に必死にならないようにすがりつきたかった。

貴方を、愛しているのよ。

愚かにも、あたしは……。

だが頬を寄せ、しばらく互いは黙っていた。

彼女は身を反転させて彼の胸部に頬を寄せ、彼はしっかり抱き寄せてくれた。彼女は瞳を閉じ、暖かいシャツに頬をうずめた……。

英一。

「あたしから逃げるのね。何処までも……」

J1プライベートの階につき、彼女の背の先の床を見つめていた樫本は「ああ」と冷めたく言い捨て、キーを差込み扉を開くとエレベータから出て歩いて行った。

執事が礼をして観音扉を開け、エントランスポーチを歩いて行き突き当たりの扉前まで来た。

普段彼女は本館から美麗な庭をはさむ巨大な館、離れがあるような高級シャトー、高級ホテルにしか泊まるから同館内にVIPルームを置くホテルに宿泊していると聞いておかしいと思っていた。

そうしたら案の定、ショウを抱え込んでいた。彼女は性癖に幅広いから奪い取るつもりでいたんだろう。

樫本は、扉を開け見回し進んで行き、すごい有様はきっとはしゃぎまくったのだろう。二階へ上がって行った。

サンルームや浴場の見える範囲では

「あ!英一!」

あの葉斗屋敷に現れた紫貴の女友達の遊飴がゴージャスな水着姿で巨大な黒アナコンダの模された石材浴槽でシャンパンを傾け、サンルームの真緑の分厚い葉を全て浮かせてはしゃいでいた。

ビキニは金うろことピアスに腰に黒シルクをつけていた。キャンドルが黄金の光を点々と放っていて、なんであの少女がいるのかが分からなかった。

「なんでお前がここにいるんだ」

「だって翔が寝ちゃったんだもーん」

「ここにいるのか?」

「いるけど?一緒に入りましょうよ体隅々まで洗ってあげる。それにスパルームで遊飴のマッサージサービス付き」

無視して彼は主寝室の扉を開け入って行った。

彼女は、巨大で豪華な寝台の中で眠っていた。

彼女の眠る横まで来て片手を付いた。

彼女は静かに眠っていて、黒のシルクのガウンを着込んでグレーシルクのシーツを肩まで掛け安眠している。

「………」

仕事のことなど忘れ……、自分が、今夜、会いに行くと言った事も忘れ……。

「………」

彼女の肩を叩き起こそうと顔を見下ろしていたのを手を伸ばし、その目から、ふと、涙が一粒流れ、黒のシルクの大きな枕に落ちた。

伸ばし掛けた手が止まり、また下げ、シーツを掛けた片膝の横にもどして、顔を戻し口元を震わせ俯いた。

「………」

その姿を、開口部でジェグリアはみていて、上目でしばらくして顔をそらし颯爽と歩いて行った。遊飴は扉に手を当て、それを黙って見ていた。

「くそ、」っと、樫本は小さく囁き、目頭を押さえ、向き直ってから彼女の肩を叩いた。

ショウは仕事時間になると自我を取り戻していた。目を覚ますと女の子が目の前にいて、しかも自分の格好を見て叫び黒のバスタオルを体に巻いて、主寝室へ走って行き、ローブをまとって髪を黒のタオルで包んでぽろぽろ涙を流しながら眠りについていた。

ショウは目を覚まさなかった。樫本は見回し、外套を見つけるとジェグリアのものらしかったが彼女の上に掛けさせ抱き上げた。

「え?!連れていっちゃうの?!」

「ああ」

「あたしを誘拐してよ!」

「無理だ」

「あぐっ!何でよっ!」

樫本は階段を降りて行きホールのジェグリアに何も言わずに出て行った。

ホテルから出て、彼女を助手席に横たえさせて、彼女の眠る顔を見つめた。

なにやら泣きそぼったのか、涙が流れ、暖色の証明を映していた。その柔らかい頬をハンカチで拭い髪を撫でてから運転席に乗り込んだ。

ライカ……。

彼女を捜している彼女の男。

分かっていた。

彼女を、何もライカから奪う目的などではない。ただ、ショウに心揺らいでいる。愛がどうの、恋がどうのと、情けなくも自分は十代のガキのように慌てふためき、ふがいなさも感じていた。

一人の男として領分もわきまえずに仕事も上の空に格好悪くなって、どこか感情を持って。

だがどうしても、会いに行ってしまっている。自分は……。

それを止めたくは無かった……。

このまま愚かに小娘に必死になっていたかった。こんな行動まで馬鹿な小僧のようにとってでも。守れるものなら。

彼女達のいない日常など忘れ。

死を認めた筈の思い出に辛いから覆いをかぶせて、闇の中にかぶせて。

樫本はゆっくりと発進させた。

今頃ライカは何処を捜しているのかは知らないが、道には詳しいと言っていた。道の覚えはいいから日本の道もすぐに覚えたと。オーストラリアにいた時期は迷路も作っていたとかどうとか言っていた。自分で作って抜けられずに野生動物に食われそうになったとも言っていた……。

イサ姐に連絡をする。

「見つかったのかい良かったよ。ご苦労様」

「今から彼女をどうすれば」

「あと三十分で店を閉めるから、そのまま向って来てくれて構わないよ」

「分かりました」

「上の階は鍵を開けておくから、あたしの部屋に」

「はい。ありがとう御座います」

樫本はゼブラナの方向に車を進めた。





★動心★


朝。葉斗屋敷から出て70’Sマセラーティクアトロポルテサルーンに乗り込み、その黒の車体は朝の事務所回りに向った。

警官の引いた食器店に押収に向うことになっている。


樫本は、腕時計を見てから顔を上げ、書斎机の前の応接セットの中に座って六枚の誓約書を確認している舎弟達を見てから帳簿を閉じ机に置く。

「先に食器店に向って押収を始めていろ。俺も一度屋敷に戻ってから向う」

「へい」

幹部の竹路は八人を引き連れて事務所から出て行った。

樫本は葉斗屋敷に向うために黒のマセラーティに乗り込んだ。一度、品川会長を訪れる頭の付き人を上杉に任せる必要がある。桐神には何も無いようなら一次戻ってこさせてその後を益田に任せることになる。

「おい紫貴」

彼も車に乗り込んだ。

「大詰めだな兄貴。カジノ店も締めに掛かり始めたらしいぜ」

「ああ」

「あとは次のマンモスクラブに今日の午後から取り掛かるんだろう?」

「ああ。お前はまず今の現状を見て来い。二日間位でいい」

「オーケイ」

「その隙に俺は食器店を済ませる」





第四章★ショウ ライカ 樫本★


二人はまるで若気のさかんなオウム達のように寄り添って、事務所の中に怒鳴り声がこだました。

「これでこの店はなくなった。出て行くんだな」

ショウ

ショウとライカ

「オーナーの店は渡さない!!あんたが出て行け!!」

ガラスの灰皿はこめかみにぶつかり床に落ちた。

まるで騒音となって耳に響いた。声が。形を成さず。

ショウ

ライカ

ショウ

ショウ

ショウ

「……ショウは俺の女だ!!あんたなんかに絶対渡さな」

………ショウ、

「………」

ガンッ

ライカは吹っ飛んだ。

ショウは目を見開き、一瞬を置き倒れた恋人に叫びしがみついた。

分かっていた。

……ショウ

乾いた口の中が形を成さず言葉の羅列を消した。羅列などで済むはずの無い名。

分かっていた。幾ら願おうが、手に入らない女。

そんな事など、鈴を護りきれなかった自分には、許されない禁じ手。

自分の全てが、崩れ去った。





★破門★


樫本は石じゃりに吹っ飛び、口の中に血が広がり近くなった石じゃりを見つめた。

「………」

頭は縁側から拳を袂に納め、冷たい目で樫本を見下ろした。

誰もが全て集まった舎弟達は困惑の目で頭、そして庭園に吹っ飛ばされた樫本を交互に見た。

檀城側の人間は顔を見合わせ樫本を冷ややかな目で見据えた。

上杉はなんともつかない顔で見て、猫田は樫本を弁明したが、猫田自身も、そしてここにいる人間殆どが何があったのかは知らなかった。

いきなり頭が信頼を寄せる樫本を切り捨てたのだ。

「出て行け」

頭は低い声でそう言うと、顔を上げられないままの樫本を冷たい目で一瞥し、その細い身を返し奥へと歩いて行った。

あの頭の顔は、相当の怒りがあった。

猫田は頭を追うが、竹路に止められた。

樫本はしばらくそのままだったが、ゆっくり立ち上がり口元を手の甲で軽く抑えると、目を閉じ歯を噛み締めて庭園側に下げたままの顔を向け横目に輝く庭を表情も無く見つめ、白い砂を払い歩いて行った。

舎弟たちの顔など、見る事も出来なかった。顔を上げる事もだ。

「樫本の兄貴、」

三人の幹部が追ったが、肩越しに一度見られ、彼はそのまま歩いて行き彼等は困惑したままの顔で眉を潜め見送る他無かった。

初めて、彼の背が極道で無い、何かの違う空気に見えた。

空が抜ける程青く、それしかなかった。なんの感情も乗せずか、全ての感情を乗せてか。ただ、青だけだ……。

檀城はずっと、彼の背を寂しげな目で消えるまでを見つづけていた。

「檀城の兄貴。何があったかは知らねえが、樫本の野郎相当のへまやらかし」

男は猫田にぶん殴られ乱闘が始まりそうになったのを檀城が一声で止めた。

「何で兄貴は何も言わねえで、」

あんな姿を晒すなど……。

そう、樫本側の人間は檀城派の人間と静かに睨み合い、心境では困惑を隠せないでいた。


檀城は頭の離れへ行き、障子を開けた。

「頭。何が」

「……」

彼は牡丹の生けられた上の掛け軸を見上げながら、組んだ腕もそのままに正座した膝も返すこと無くしばらく返答が無かった。

実に寂しげな背だ。

まるで、息子を失ったかのような。だが、樫本は大の大人だ。あの普段冷静な男が何を不都合をやらかしてこの頭を失望させたのか、考えが及ばなかった。

「……。樫本の奴が、刃を堅気に向けちまった……」

「……」

檀城は眉を潜めて耳を疑い、聞き違いかと一度小さく首を傾げたが、聞き返すような間抜けでも無く、一瞬を置いて彼は深い溜息をつきそうになったのを抑え頭の背を見た。

「完全に破門ですか」

「ああ」

「余地は」

「……」

頭は一度肩越しに視線をくれてから体をこちらに向けた。

「あいつは、俺を護りつづけてきた。姉貴の事も守りつづけてきた。葉斗一派の掟を第一に重んじ、全てに判断を下して来た。これがあいつの間違いだったとは、どうやったら言える。既に御仁は天に召された。何の罪も無い、しかも真っ当に生きて来たお方の尊い命だ。般若の心に負けちまったとは信じ難いが、あいつは事実一年前から俺から見て、極道の枠じゃあ完全になくなってきちまってた」

「だが頭。あの小僧、樫本は葉斗を己の命だと契りを交わし、家族を失ったとしても何ら眼光は変っちゃいなかった。志もだ。だからこそ奴に失望したかもしれねえが」

「いや。一度決めた道というのはな、どんな根性があっても支えや生甲斐である物を失ったら分岐点が来るもんだ。お前もその事を肝に銘じておけ。今の奴には、その芯がなくなっちまった。いいな。お前がこれから屋敷の者を仕切れ。他言は許さない。行きなさい」

「……」

檀城は膝に当てる手を白くし、固く閉じていた瞼のまま数度頷いた。

「分かりました。頭がそうおっしゃるのなら」

納得行ったわけでは無い。

「長く諍いはあるとは思うが、頭の下に命を置いた同じもんの志共だ。まとめて行きます」

「頼んだぞ」

檀城は礼をし、出て行き颯爽と歩いて行った。

憤然に近い物もある。樫本に対してだ。何を腑抜けをやらかしたかは詳しくは知らないが、まさか舎弟共の信頼を一身に裏切るなど、もっての他だ。

頭は悔しそうに目が潤んでいた……。

彼は日本庭園に戻り、樫本側の舎弟、桐神と猫田に首をしゃくり樫本を探させた。彼等二人は無言で頷き、樫本の消えた後を追った。

何のことだかさっぱり分かりはしない。はむかうでもなく、命捧げて来た葉斗にそのまま背を向け去ったなど。

志の心しか無かった筈だ。心しか。

何が揺るがせたんだ。一体何があって掟破りでもまさかやらかしたのか。あの英一が?桐神は苛立って一度車庫の壁を殴ってから車に乗り込んだ。

指詰めでもなく、樫本に一番応える五体満足なままの破門だ。

それを有無を言わさず従った奴は本当に腑抜けに成り下がっちまったのか。

「樫本はどっちに行った」

「へい。兄貴は南に」

「そうか」

門前を張っていた舎弟は顔を見合わせ眉を潜めた。何かがあったのか?

樫本の口端は切れていた。いつもと何ら変らない毅然としたままで颯爽と車に乗り込みはしたが、目元は見えなかった。

その二人の所に幹本が来て言った。

「勢力争いから落ちたってのか?兄貴が」

「俺にも何がなんだか分らねえ。檀城の兄貴がこれからを仕切るって事になるんじゃねえのか?」

「何?てめえ、それでしゃあしゃあとしてやがるってのか?ああ?!」

幹本は両手を前に持って揃え一歩下がった。

「紫貴のタコ見かけねえんだ」

「今頃外回りだ。さっきバギー持ちに来たからな。クラブ回ってんだろう。おい、お前、本気で言ってやがるのか?」

「真相が分らねえから二人が捜しに行ったんだろう。檀城の兄貴も樫本の兄貴を呼び出して心中聞く筈だ」

幹本は溜息をつき、見渡した。静かな住宅街は妙なほど、不気味な静寂がある。

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