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ZEBRANA BLACK  作者: 紫
1/3

お読みくださる皆様。


本作はZEBRANA プロローグ WHITE BLACK TITANIUMの四部作で一つの作品となっております。


ゆっくりでも読み進めていただけたら幸いです。

                                女紫


目次



第一章☆幻想に見る亡霊☆

☆確認への躊躇☆

☆留まる気持ち☆

☆目で追ってしまう姿☆

☆追う物。亡霊、陰影、消えたラン☆

☆一に報告、二に報告☆

☆光の差す松に☆

☆これ以上貸せないんですよ大久保さん☆

☆信じたい気持ちが先立つ☆

☆至らなかった事☆

☆ 無 ☆

第二章☆夜は始まり☆

☆逃亡☆

☆縞馬☆

☆暫☆

☆裏切☆

☆仕置☆

☆朝明☆

☆狂気☆

☆発見☆

☆探偵☆

☆葬儀☆

☆病院☆

☆困惑☆

☆薄闇☆

第三章☆光りの中のたくらみ☆

☆命綱の大久保さん☆

☆起動☆

☆病院☆

☆離婚☆

☆行方☆

☆変わらない☆

☆薄雲☆

★濃闇★

★薄紅★

★動心★

第四章★ショウ ライカ 樫本★

★破門★

★悔★

★行く据え★

★屈辱と交差★

★銀色★

第5章★ショック★

★ショック・二★

★騒動★

★薄灯★

★対峙★

★絶望★

★紫貴の心★

★黒★

★激怒★

★詞★

★涙★

★揺れる心★

★泣かない心★

★してはいけない約束★

★互いの領分★

★縁談★

★ゼブラナゲームの影★

★証言者★

★諦め★

★頼み★

★ゲームのハック★

★演奏会場★

★話し合い★

★エンディング★

★黒幕★

『ZEBRANA BLACK』をご覧頂く皆様へ。


     

     本作品をご開頁頂き、有り難うございます。

     精一杯書かせて頂いたので、是非お付き合い頂けたら、幸いです。


     本編はZEBRANAのプロローグ BLACK WHITE TITANIUMの四作品で一つの物語となっております。

     少しずつでも読み進めていただけたら幸いです。

     


                                               

第一章★幻想に見る亡霊★


 紫煙が空気を掠め、黒のサングラスの目を街に巡らせた。

夜風を掴み追う様に流しては、並木沿いの広い車道を行過ぎる車は少ない。

体感するほどの夜風が彼の頬を掠め、そちらに顔を自然に、向けさせた。

「……、」

 樫本英一は目を見開き瞬きして、サングラスを外し眉を潜めた。

一瞬、心臓が停まる想いをした。

 嘘だ。

 まさか、と思って落ちた煙草が肌を焦がしたのを払い落とし、固唾を飲み下した。

 イサ姐といた女は一体誰なんだ?

夜闇がこの時期だというのに一瞬、違ったものに思えて目に手を当てた。

また見る。

 間違いなくイサ姐の黒のフェラーリで、彼女がハンドルを握っていて、そして、助手席に『彼女』が乗っていた。

 イサ姐は樫本の車に気づき、その車体に寄りかかる彼に遠目から緩く、強く微笑み樫本は口をつぐんでその方向を目で追った。

 黒の車体は白と琥珀の光が跳ね返り、並木のコーナーを曲がって行った。

 舎弟が樫本の横に走ってきて珍しくぼうっと一点を見つめている樫本の横顔を見て、その目には闇と共に様々な色の光りも映している。

「樫本の兄貴」

 樫本は横の舎弟を見て、頷き車体に乗り込んだ。

彼の一日の終わりに近づく業務、彼の管轄する事務所回りを続ける。

彼の部下が数人、街角で一瞬鋭い目を走らせ闇や電飾に消えて行った。


 ラン。

 奴の姿は消えたままだ。

二週間経過している。

『clubZEBRANA』から姿を消したホステス。

 夜の煌く紫、艶の美貌は完全なる改造・全身整形による物だった。

あの女に愛情という言葉など、根付いたこと等皆無な筈だ。

妖しく艶笑いし、男を騙す。

 樫本はランという人間が大嫌いだった。『女』になる前からの噂も嫌いだった。

 樫本は完全な師にとことん尽くすタイプの人間だ。

ランは違った。根からの裏切り者。打算者。反逆者。人情の欠片もありはしない。

 ゼブラナ内でも争う冷静なガラス質のような鋭い反発心が根付いていた。ホステス・ユウコやハルエとも激しく折り合いが悪かった。

 静かで鋭い殺気がおのおのの一瞬の視線に絶えずランに向け込められていた。

 ランもそうだった。誰もが艶やかに微笑しブランデーの様な琥珀を広げて炎を灯し、黒い噂の立つ大手企業の客は彼女を気に入り客についた。

 微かに煙草の味のする唇をなめ、彩る光を見る。座席を倒し目を閉じた。

二ヶ月前、高級秘密クラブ『グランド・ゼブラナ』は月に一度の妖麗な仮面パーティー時に火災に見回られた。ビル・グランドゼブラナは全焼した。





★確認への躊躇★


狭い路地を通って行き、煉瓦の壁にぐるりと四方を囲まれた小広い広場に70’Sスタッツディプレを停車させた。

 樫本はイサ姐がバーのドアから出て来たのを、車体から身を浮かせた。

「あれ樫本。どうしたんだい」

「イサ姐」

 イサは弟、豪の所の舎弟が来たのを見た。彼はサングラスを外して頭を下げるとここまで来た。

「仕事はもう終わったのかい。ご苦労様。それにしたって、珍しいじゃないか。ここに来るなんて。豪が明日にでもバーに来るのかい?」

「いいえ。その話は出ていません」

 実は……、と改まってチタンシャツの黒のネクタイを引き締め咳払いした。

「ハハ、なんだい言ってごらんよ。らしくも無い」

「先ほど見かけたんだが、イサ姐の連れていたあの女は、ランの野郎の替わりで?」

「ああ。彼女はショウっていう子でね。いい子そうだったろう。若くて純粋で」

「……」

 樫本は建物の間の闇を一度見てからイサを見た。

「採用ですか」

「そう」

 イサは微笑み、樫本は口を閉ざしてしばらくしてから頷いた。

 どうもさっきから様子がおかしい。普段から三十二の若さで気性の荒そうな男前な見かけの顔によらず、冷静一徹の彼がどうも彼らしくない風だ。

「なんだいまさか、あんた一目惚れでもしちまったのかい?」

「や、いやそうじゃ無い。女の顔よく見たわけじゃ無いが、」

 樫本は腰を曲げて自分より十五センチ以上背の低いイサ姐の耳に耳打ちした。

「……ああ、成る程。確かにねえ」

 イサは驚き目を大きく首を頷かせて確かにそうだと思い当たった。

あの派手な顔造り、独特な雪豹のように肉厚なハーフ顔、あの長身、確かに思ってみれば生き写しのようにそっくりだ。まるで、生き返ったかのように。

 あの若々しい雰囲気と純情なオーラで気づかなかった。

「あんた、気になるのね?」

「気になるというよりも、他の感情の方が勝る。たとえば信じられないだとか、そういう」

 相当戸惑っている様で、イサは樫本の腕に手を乗せて見上げた。

「いいよ。来てやりな。彼女の常連になってやるのもあの子が自信をつけてもっと輝いてくれる力になるよ」

 樫本は随分悩んでから頷くことはせずに店の装飾アイアンフェンスに背を着け煙草に火を灯すと足許に視線を落とし目を閉じた。

「………」

「それとも、まだ忘れられない時期だろうから、遠のくのもいい。思い出させちまうのもあたしも辛い」

 樫本は目を開いて小さく小首を曖昧に振った。

「いや。いつかは越えなければならねえ事だと分かっています。ただ、あまりの事に動揺しちまった。もしかしたら……」

 自身ではもう心にけじめは付けられていた筈だった。そうだと思っていたのだが……。

「来るかもしれない」

 イサは力無く口端を上げ、樫本の堅い腕を軽く叩いてやった。

 二十五年も前からの互いの親に許婚として決められていた。失ったのは愛した女だった。

 あの頃は、幸せだった。





★留まる気持ち★


 新生『ゼブラナ』を訪れた。

老バーテンダーのジョージが笑顔で樫本を見た。ジョージはがたいが良く渋い。

「おお英一。いらっしゃい。珍しいな。一人か」

「ああ」

 純粋な飲みでのクラブラウンジゼブラナに彼が来る時は決まって葉斗の頭が姐の店に飲みに来る時だけだった。頭のボックス席の柱の左右、右に檀城、左に樫本が立っていた。

 プライベートでは、ゼブラナパーティーやカジノ、オークション、コレクションを妻も連れ利用したが、元々クラブラウンジには興味は無い。

 樫本は金の照明の煌びやかな内装を見回した。

 規模も随分狭めた店内はパーティーホール形式ではなくし、今はゴールドの装飾に白と華やかな花が、眩しくて目が開けられず見てはいられない。

「この店も随分また……変わったじゃねえか」

 そう言い、バーテンのカウンタースツールに腰掛けた。

あの以前のゼブラナの全ては払拭され、悪魔的絢爛さが、女性的豪華さへと変貌している。

 例の新しいマネージャーの芦俵は落ち着き払っている。

 ホステス達も様子を変えてユウコは穏やかに微笑みハルエは朗らかに微笑み黄金の煌くエレガントな中、

ショウ……、

彼女は、

輝く笑顔を花開かせている。

「ボックスには行かないのかい」

「俺が?いいや」

 ジョージは「そうかそうか」と笑い、グラスを置いた。ウーロン茶だ。

 それを傾けて、もう一度ショウの方を見る事はしなかった。

というよりは、出来なかった。極めて落ち着き払っていた。

「解決すればいいんだがな」

 樫本はそう言い、煙の行方から目をそらし灰皿に消した。

 ユウコは樫本の背を一度見てから、客の話に戻って行った。珍しい。イサママの弟の右腕が一人で来ている。相棒の檀城も連れずに。きっと、失踪したままのランの状況と火災で新生した店の客の入りや内容を探りに来たのだろう。

 イサママは樫本の所へ行き、微笑み声をかけてその横のスツールに腰を下ろした。一言二言言葉を交わし、彼の肩を撫でてから頷き離れた。

 樫本はしばらくジョージと最近のことについてとジャズについてを話してから一時間程して席を立って帰る事にした。

 イサママと芦俵マネージャーが見送り、樫本は一度芦俵を向き直った。

「どうだ?この所」

「ええ。おかげさまで」

「娑婆の空気はうまいか」

「おいしいですね」

 芦俵は随分男前な顔を呆れ微笑ませ、首をやれやれと振った。

「イサさんに助けて頂いた様な物ですから、恩に報いる様に新天地で働くまでです」

 そう言い、イサもおどけ微笑んでその芦俵の背を叩いた。

「この子は元々良い物持ってるんだ。そのまま廃れさせやしないよ」

 そう微笑み、樫本を見た。

「今日はありがとうね。またいつでも来るといい」

 樫本は小さく笑うと、何度か頷き歩いて行った。

「ありがとうございます」

 芦俵は見送り、樫本は車に乗り込みイサと芦俵に目礼してから走らせて行った。

「樫本さんの奥さんに似ているからでしょう」

 イサは「シ、」と言い指を当て、芦俵は彼女を見て首を頷かせた。

 一年前の抗争で、命を奪われた。

 夜は宝石だ。色とりどりの。褪せては色づく。紫外線や放射能、鉄やチタンなどの要素で色味を変えるかのように、心臓は宝石だ。




★目で追ってしまう姿★


「で、さー!かっくんだやあの糞桐神の糞っ垂れさー!」

「………」

「今にぶっ殺していい?今に許されるっしょー!あっれーよお!」

 樫本は実の弟、紫貴しきが声を張り上げたのを無視していた。

煙を細く吐き半分程開けられた黒硝子から間延びする昼の野外に視線を流し細める。

「の糞桐神の阿呆垂れが昨日俺様のこの可愛らしい顔立ちを皮がはがれるんじゃねえかって程引っ張りやがってあの糞っ垂れがやあ!」

 樫本は数年前のあの時の紫貴の顔を思い出して口から息を吐き首を振った。本気で“剥がれた”。

 今の紫貴の顔は総額一億の費用を要した顔だ。

 紫貴は生まれた元からでかい口を更に大にしてギャンギャン言っている。黙る事を知らんのだ二十三の若さで落ち着きも全くと言っていいほど、無い。

「国に、蹴り返せばいいってんだ!」

 桐神は一年前、他極道との間で勃発していた抗争時に福岡から呼ばれた男で、樫本兄弟の母方の親戚、母親の弟の子供だ。その桐神の父親は既に約二十年前の福島での抗争で相手側の頭に命を奪われていた。

 福岡の桐神家とは元々深い親交の無かった樫本家だったが、樫本が大学を出て日本に帰って後に金融会社に就職し葉斗の頭に気に入られてその世界に参入してからというものをこの十年弱で、頭の腹心にまで上り詰めるまでになっていた。

 福岡の極道事情には大して詳しくは無かった為、一年前の抗争時にそこの勢力から呼ぶ事になった男というのが樫本の四歳年下の従兄弟、桐神偲きりがみ さいだと頭から聞いた時は、随分懐かしい名に感じた。成人するまでに互いに二度しかあった事は無かった。偲の父親は母親と瓜二つだった事を思えている。

 桐神はいつもチビの紫貴を小馬鹿にして相手にしない。従兄弟同士だ。とやかく身内も身内の中で小さく争うのを聞いていたら終りが来ない。

 樫本は煩く騒ぐ紫貴を放っておき、帳簿を開き確認してから首を振った。この分では、そろそろお上からのブラックリストも下る頃だ。

 それを閉じて顔を挙げ、少し倒したシートに背を預けていたのを、下目で街を眺めふと、

目に入った。

「………」

 紫貴はダーダー言い続けていて、樫本は体を多少起こして帳簿で紫貴の顔面をばしっと叩いて黙らせた。途端に激しくがなりたててそれを黙らせる。

 何かその開いた窓から漏れたのか、風の音を耳にいれたかの様に彼女は、

白く光る街並みの眩しい日差しの下、

振り返り髪を押さえて連れと話し合いながら歩いて行った……。

 ……輝く笑顔をして……

 彼の心臓は一気にギクリと妙な鼓動を打ち、まるで冷や汗が侵食し全身を締め付けた。一度目を閉じもう一度開いた。

「……、え、あれ、え、ええ、え、え、え、え、え、え、え、え」

「うるせえ」

 紫貴は真っ青になり口元に両手指を持って行って、あだががが、と言った。

「ショウだ……」

 樫本はそうおぼろげに言い、紫貴は背を浮かせる兄貴の横顔を横目で見上げて、眉を潜め、口をつぐんでシートに沈みオッズの店のスナック菓子をポリポリ食いながら粕を散らばしていた。

「英一兄貴。亡霊だぜあれ」

 そう言い、樫本は上目で睨み見てくる紫貴を見下ろしてから、シートに背を落ち着かせて小さく溜息を吐き窓の外を見た。

「てか、ショウって何!まるで銀座ホステスの原始名かっちゅーの!!英一兄貴水ショー興味ねえって主義じゃなかった?!」

「イサ姐の所のすけだ」

視線を戻すと手を掲げ、「おら行くぞ」と言い車外に乗り出して行った。

 紫貴はしばらく明るい中いつもの様にポケットに手を突っ込み歩いて車道を見回し進んでいく兄貴の姿を見てから、面白そうに上目でふっふーんと笑いすらっと出て着いて行った。

 白い外壁の店、モノクロモダンなデザイナー≪Jesso≫の食器専門店へ進んでいく。

 客寄せの白い大きなオウムが鳴き、ばさばさ羽根を広げる。

食器店だから衛生面に気をつけろと忠告しているものを、このオウムは常連、新規、通行人問わず完全なる人気者だった。

「そこのあんた!寄ってって!寄ってって!ヘイユ!」

 そのガラスウィンドウの横のガラスドアをくぐって行き、顔の色味を変えた女の子の店員に、二ッと微笑み颯爽とオーナールームへ入って行った。

 ドアの閉まったオーナールームから気を狂わせたとしか思えない男の子の高い声が怒鳴り響き女の子は顔を一気に白くして何事かと思い、樫本は横の紫貴の頭を抑え後ろへ行かせてオーナーを見下ろした。

 この店は既に、差し押さえが決まっている。

それを今まで陽陣組のアディック金融から充分金を絞り借りさせパンクさせた。食器店の裏側でやっている陽陣配下の地下カジノを黙らせる為に発破かけてそこのオーナーを殺すぞと脅しをかけていた。

 陽陣は小さくすぐのでも吸収できる。手なずける為にオーナーに裏から店を与え葉斗に寝返らせカジノの利益を今まで充分横流しさせ、食器店の故意の負債分をアディックに賄わせこちらに回しそして潰れた。

 店はもう用無しだ。出た架空の負債分さっさと払ってもらってこの店を担保に陽陣に持って行かせ勝手に処分させるだけだ。陽陣は地下カジノの負債分を後はオーナー自身に払わせて終りにするだろう。


 葉斗屋敷に一度戻る為に吉祥寺へ走らせる。

「なあ兄貴さー俺も連れてけってよお〜」

 檜の廊下を歩きながら紫貴はそう言い、樫本はそれも無視して歩いて行った。

 紫貴は余所見歩きでがんっと出隅化粧柱横の入洛壁にぶち当たって三日月型の窓障子を顔面破りで気絶し伸びた。樫本は歩いて行った。

 幹部、猫田が背後から歩いてきて、紫貴がふらつき転がり倒れた顔を避けずにそのまま踏んづけ歩いて行った。

「樫本の兄貴」

「おう」

 手を挙げながら猫田は歩いてきて横に並び言った。

「そろそろ陽陣と峰組の間の契が分かりそうです」

 樫本は横目で見て数度頷いた。

「そうか。会合見張っておけ」

「へい」

 猫田は礼をし歩いて行った。

紫貴と同年の下っ端、幹本が紫貴につまずき派手にずっこけ乱闘が始まった。紫貴は中堅幹部だがこの年齢と性格だから誰からも敬われていない。

葉斗でも異質な存在なのは言うまでも無い。

紫貴は幹本の首をぐがぐが閉めて樫本は首を振り明るい日本庭園の縁側に入り歩いて行った。紫貴は追いかけ「俺も!俺も行くんだって!!」とどたどた走って行った。

 陽陣組と最近新しく派生した峰組の動向を任されている樫本はこの問題がそろそろ落ち着く事を見ていた。契約も切れる所を乗り入れさせる。





★追う物。亡霊、陰影、消えたラン★


 葉斗の幹部、竹路たけじはイサ姐の店に到着すると漆喰壁の小洒落た野外階段を上がり扉をノックし、「イサ姐」と呼びかけた。

 イサは扉を開け、「どうだい」と竹路に訪ねる。

「それが、妙な事になってるんで」

 イサは内容を促しながら中へ入って行き突き当たりのダイニングに促す。

 ゼブラナの元ホステスだったラン失踪について、樫本の所の人間に探らせているのだ。ランは元々敵対した暴力団組員だった男で、ボスに女にされた根からの裏切り者だった。イサはランから数年前、四年間もの刑期まで食らわされている。再びどこかの組と繋がった可能性も大きい。既にランのいた組は消えたのだが。

「先だって、女を追って逃亡しやがった鳥羽はやっぱりできてやがった」

 鳥羽は芦俵がマネージャーを勤める前の人間だ。ゼブラナ消失事件前からランが消えたと共に行方がまちまちになり始めていた。

「…そう」

「でもって、その二人を目撃したやがったってえ野郎が、言ってやがったんでさあ。赤松の野郎も噛んでるんじゃねえかって」

「なんだって?」

 赤松。葉斗の幹部で、竹路とは違いもう一人の腹心、檀城の管下の舎弟だ。

「赤松の野郎、金トランクに入れて何度かあの女に渡してるとかで、黙らせるために行く店毎のもんに金渡してやがって、だいたいの店ってなあ話によるところの揣摩逗組管下の店なんで」

「檀城の担当だね」

「ええ」

「あの檀城が関わってるとしたら赤松も賄賂なんざ、わざわざ渡さないだろうに、赤松本人の葉斗での様子はどうなんだい。裏で逃亡の手引きするっていうのは何かしらの目的が大きくあるようにしか思えない」

「まだ話によると、直接的な揣摩逗との交渉は檀城の兄貴は済ませちゃいねえ。単独なんですよ赤松の」

「全く困ったねえ……」

 イサは細い顎に手を当て唸って、うーんと言った。

「赤松とはあたしが直接話をつけよう。豪に言うんじゃないよ。赤松もやりずらいだろうからね」

「へい」

 竹路は出て行き、イサはやれやれと首を振って椅子に座った。

 ランには困ったものだ。

 別になにかあるわけじゃなく、高飛びする為だけに金をわざわざ馬鹿みたいに二人に渡すなどとは思えない。

 樫本は檀城のところの下っ端、栂伊つがいが走って来たのを見下ろした。

「兄貴。檀城の兄貴がお呼びです」

 数度頷き、歩いて行く。

 廊下を抜けしばらく歩き、屋敷の『西の側』、檀城勢力側の人間の使用する方へ来て障子を開けた、「なんだ」と声を掛ける。

 基本的には檀城派が葉斗屋敷一階と西側を、樫本派が二階と東側を占領し、玄関から直進した先の一番広大で、時期には花見の宴会や身内の夏祭、かがり火能や矢切演目なども開かれる日本庭園のある横の立派な書院造りの間が共同の場となっている。

 檀城は樫本を認めると首をしゃくって中に促し、いつもの様に鷲の透かし彫りの衝立に樫本が寄りかかるのを待ってから口を開いた。

 開け放たれたふすまの向こうの広い和洋の空間はいつもの空気が流れていた。

 ソファーセットに檀城のところの舎弟達が座り日本刀を手入れし熊の毛皮の掛けられる壁と見事な内掛けが軽めの間仕切りになっている先では優雅に松葉と菊を生けている一絽姐がいる。

蓄音機から流れる昭和の曲。

 彼等は樫本に礼をし、それを軽く返し檀城を見た。

 その和洋の空間の横、6畳間の簡易的な数奇屋造りの小綺麗な間がいつもの檀城の部屋だった。何があるわけでも無い。銘木の書斎机と赤に金の錦織座布団と衝立だけだ。着流しで過ごすわけでもないスラックスとシャツにネクタイと背広の檀城はいつも傍目から見たら窮屈そうに背筋を伸ばし胡坐を掻き座っている。

「実は、今妙な調べをお前の所の人間がつけていやがる。イサ姐に言われている例の事でな」

 樫本は組んだ腕を解いて腰に手を当てた。

「見つかったってのか?例の阿波が」

「お前、行ったんだってなあ」

「………」

 檀城は凡その事は何でも知っている。イサ姐の店に行った事をまたどこかからか聞きつけたのだろう。煙草を深く吸い込み、天井に吐いた。

「あの元江組の所の野郎の様子探っての事なんだろう。充分警戒してさぐれよ。どこの連中もお前の身分分かっていやがる。お前が直に張ってたんじゃあ、客が話出しずらくなる筈だ」

 実際客はランの失踪についてを口に何度か出したが、居場所や裏の話については無い。ランの顧客情報はイサ姐は渡したがらない。葉斗組直下経営の店では無いのだ。

「妙な事ってのは?まだ連絡受けてねえ」

「俺側の調べだ。どうやら、うちのもんが関わってるってな。揣摩逗とそいつは繋がってやがるかもしれねえ」

「どいつだ」

「赤松」

「どうするつもりだ。揣摩逗はランと鳥羽と何か企んでやがるってのか。今お前が押さえようとしてるって重々承知の上で」

「そうらしい」

 樫本は渋い顔をして閉ざされた下唇をさすった。

「頭は何だって言ってる」

「いや。奴が行動範囲狭めるはずだ。今の所流しておいて報告は控えておく」

 樫本は頷き檀城を見下ろし、その横に胡坐をかいた。

「おい檀城。赤松を俺の所の人間に張らせるぜ」

「うちのもんが悪いな。下っ端使え。有能な野郎をな」

「ああ」

 巻かれたのでは意味も無い。

「お前、今日も様子見に行くんだろう」

 樫本は頷き、言った。

「………。鈴に、不気味なほど似ていやがる」 

 そう、床柱に背を着け片足を放り、ふすまの向こうの菊と松の活花を見た。

檀城は書き物から振り返り背後の樫本の横顔を見た。聞こえなかったからだ。

「何か言ったかてめえ」

「いいや」

 そう顔を戻し首を振り、立ち上がってから「まあ、俺等でどうにかしておく」と言い出て行った。





★一に報告、二に報告★


 樫本はイサ姐に連絡を入れようとした所を顔を上げ竹路を認めた。

「実はあの逃げた女の事で」

 竹路は樫本に言い終えると走って行った。イサ姐に連絡を取る。

 目の前の『激の庭』は滝が打っては涼しげな音を低く響かせた。

「ええ。そうなんです。檀城の野郎は黙ってろっつったが、俺は当然頭に話通した方が良いと思ってる。俺のところの舎弟張らせるって事になってるんで、今の所イサ姐の手は煩わせずに俺等でやります」

「そう。分かったよ。おねがいね樫本」

「はい」

 樫本は切ってから顔を上げ、背を浮かせ歩き出した。

 イサ姐だってこのままじゃあ落ち着かないだろう。本当に檀城の野郎が話通

さなかったってんなら何かしら奴自身も関わってるって事だ。樫本も様子を見る事にする。檀城にも考えあっての言葉の筈。イサ姐をあれは裏切った女事だ。

「っと、」

 ぶつかりそうになったのを肩を引き避け、赤松が顔を上げ「すいやせん兄貴」と頭を下げた。

「いや」

 そう言い、赤松の背をしばらく見て、向こう側に益田を見つけると首をしゃくって赤松の様子を伺わせる。益田は赤松の背を一度見てからそれに従った。

 頭の部屋のある離れに来て障子の前で声を掛ける。

「樫本か」

「はい」

 樫本は入り正座し、一度背後の障子をちらりと視線だけで肩越しに見ると背筋を伸ばし続けた。

「実は、檀城の所の赤松についてで」

「ああ。何やら今揣摩逗の香崎と繋がってるらしいな。さっき檀城の野郎も来た」

「香崎ってえと、銘茶店の経営任されてる」

「まだ詳しい事はわかってねえが、そういう事だ」

「赤松を手前の所の益田に張らせています」

「分かった。これは姉貴にも話通して調べを回せ」

「はい」

 二人の事をようやく突き止め行動を追った内容は三日に渡って一週間前、五日前、二日前に揣摩逗組管下の質甚と大井という店で其々会っていた。

 もう一度金を要求し都合する確立がうまれるかは金額の内容による。それか三度目の正直で逃亡した後か、どんなに走り回ってもランの姿を葉斗の人間は一切見なかったのだ。一定の位置も分からないまま時間は悪戯に過ぎて行った。

 店主の話では金渡しただけで即刻去って行ったとかで、話は交わさなかった。もし葉斗への復讐のために顔形変えて揣摩逗がどこかに匿って何かを共にやらかそうって言うなら、男は不要だ。トチ狂って本気であんな危険な女連れて恋仲で逃げる愚かな男なんざいないのだから。

 樫本は頭に礼をし、出て行った。

 頭、豪は樫本の背中を見送ってから手招きした。

 檀城はやれやれと首を振って出て来て、座った。

「頭。正直、俺は今の分裂しすぎた状況じゃあ葉斗勢力は伸ばし易いし管理もしやすいが、連絡が行き届かずに穴が生まれる一方だ。あいつもそれは感じている。そうやって無駄に探り合うなんざ、はっきり言って無用な事だ」

「ああそうだな」

「だから、誰か中立てってえもんが必要だと俺は思う。きっと、樫本の小僧だって俺が奴の様子見て報告の話をどうするか考えてた事くらい分かってる」






★光の差す松に★


 障子に影が現れ、大きくなって来ていた。あのすらっとした影は零だろう。

「父さん。いいかい」

「ああ」

 すっと座って障子を開け、檀城がいると分かると膝を返して障子をまた閉めた。

「?」

 豪はすっと立ち上がって障子を開け、逃げようとした零に呼びかけた。

 その向こうには、白石の敷き詰められた立派な松、豪の巨大プライベート盆栽だ。それを囲った回廊の先に、小男が背を丸めて立っていた。

「………」

 豪は立ち上がろうと中腰になっていた娘を見下ろし、彼女はすっと背を伸ばして罰が悪そうに帯をさすって、この娘の顔は何か言いにくい事をええい言ってしまえ!ろ思っている瞬間の顔だとは分かっていた。

「まあ、実はあ……」

 小男は豪を見て、「こにんちは、」と、言えていない挨拶で多少ぎこちなく首を前に出し礼をして、頭をかいた。

 檀城の方をちらりと見て、檀城は立ち上がって、豪と零に頭を下げてから回廊を歩いて行った。その開口部にいるゴリラみてえな顔の小男をすれ違い様見下ろしてその男は見上げて顔を戻した。

 首をかしげ、敷き詰められた細かい石砂利と入洛壁に光を広げる行灯に囲まれる囲まれた渡り廊下を歩き続く母屋へ歩き去って行った。

 零は閉じた扇子を口元に、元から長い首を伸ばし充分檀城の背も、開口部の蝋燭が廊下に影も下ろさなくなったと見るとうんうん頷き、落ち着き払ってごほんと言うと、袂を返して松の背後に佇む小男を手招きした。

小男はその回廊を、観念してすごすごと歩いてきて、豪を見上げて頭を下げた。

 豪は男を見下ろし零を見て、まあとにかく中へ促した。女中を呼んで茶でも持ってこさせる。

「ああ。いいのいいの気は使わずに」

 そう零は言って、その後に父親に言った。

「まあ、互いに心の準備の為に茶くらい飲んだ方が落ち着くかもねえ」

 回りくどい言い方をして、沈黙が続き、豪は正座し更に小さくなっている男を静かに見下ろした。

 零は女中が来たのを「さあさあ、」と立ち上がって自分で茶を用意してついでから、またいそいそと座った。

 豪は男から目を離して零を見て、例が悪事のばれた少女の様に微笑み言った。

「ほら、あんたから言って」

 そう横の男の腕を肘で小突いて、男は顔をようやく上げてから言った。

「零さんとお付き合いさせてもらっている、文大吉と申します」

 割と正面から切ると、肝の据わった目をして眼光は落ち着いたも「………。?」豪は片眉を挙げ潜めて、

その文大吉という男と零の顔を見て、

しばらくすると茶に手を掛けそれを飲んで、

置いた。

 零は顔を引きつらせて後退って、目を丸くして固まった。

 喉を潤して……、来るぞ、

「ッ馬鹿者があ!!!!こんな小男は認めん出て行かんかあ!!!!何処の敷居跨いで来た!!!!!」

「ひいいっ」

 零も文も飛び驚き手を取り合って後退り、父親を恐怖した顔で見上げた。

「すす、す、す、すいみませ、すみません!!」

「ででで、で、出直してくるわね、」

 二人は足をもつれさせながら走って逃げて行った。

回路飴開口部の所で足をつるつる滑らせながら文は立ち止まり、おどおどと頭を下げてから零と共に走って去って行った。

 豪は袂に腕を戻し、二つの並んだ茶碗を見下ろし、座ってから巨大プライベート盆栽とその彩るのどかな青の空を見た。

 35歳にして、零が男を連れてきたのは始めてだった。

「あ、あんたね、素性の言い方が悪かったのよ、」

「で、だだだだ、」

「しっかりおしよっ」

 文は首をすくめ地面を見てから、背を伸ばし零に言った。

年齢は檀城と同じ四十二だが、日に焼けし頑固な立て皺を作る顔はもっと上に見える。

「無理だと思うねえ。俺は堅気だぜ」

「いいって言うのよそんな事!あんたがしっかり言わずにどう説得するんだい!大体ね、あんたをこうやって紹介したのはあたしは初めてなんだよ。結婚考えてる人間がこうもおどおどしてそれでもムエタイの師範が務まるってえのかい!」

「いやそりゃあ勝手が違う」

 文は自分の二倍はありそうな背の高さの零を見上げて肩を縮めた。

 まさか自分を見に来ていた零が葉斗組頭の娘だったなんてえらい事になった。

 零は美人で人柄もさばさばした器量のいい女で、付き合いを始めた当初はしおらしかった。まあ、それは極道の所の人間とは悟られない為の物だったのだろう。実際そうだった。

 結婚の話も出て、「俺に付いて来い」と格好よく決めて言った瞬間、今までの演技はがらんと変わり「あたしに着いてきな」と、腕を引っ張られてあれよあれよという間に吉祥寺に入って行きどこを取っても落ち着き払った佇まいで雅流さの綺麗な豪邸屋敷が見え始め、黒塗りがざらっと並びその筋のもんが一人二人張っている、『葉斗屋敷』に到着したのだった…。

 零は文のあのポンコツミニクーパーから出ると舎弟達に頭をさっと下げられ、「零姐」と嗄らし声で六人一斉に言われ、背筋をついと伸ばし着物の袷を押さえ颯爽と歩いて行った。文は何一つ聞かされちゃいなかったから立ちすくみ、「早くするんだよ!」という零の言葉にいそいそと男達を掻い潜って小さくなって付いて行ったのだった。

 それが、見事に玉砕だ。

「いいかいあんた。これは死活問題にかかかかか関わる事だからね」

 零が声を裏返してそう背を伸ばして横の文に言い、「とにかく出直してくるよ!」とミニクーパーに乗り込み走り二人は去って行った。

 まさかの話を聞いてしまった若い舎弟、檀城の所の下っ端栂伊つがい柘植元つげもとは、顔を見合わせ眉を一斉に潜めた。あんなびくびくした夫に屋敷周辺うろつかれたらフ風態が乱れる事だ。まさか、あの零姐があんな小男を連れ帰ろうなどとは。





★これ以上貸せないんですよ大久保さん★


 陽陣組事務所。

「これ以上貸せないんですよ大久保さん」

 そうがっしり両肩にずっしりと重い両手を乗せて凄んだ声でそう言って、陽陣の地下カジノを任されていた表で葉斗の店を持っていた食器店オーナー大久保は背後のその男を視線だけで見てからばっと葉巻を持つ腕で払って足を組み替えその葉巻に火をつけた。

「あんたあ、騙されたのさあの樫本の野郎にねえ」

 任されていた地下カジノの債権も持って行かれあとはもう見切られるのを待つのみだった。踊らされて十分犬がここまで吼えたものだ。

「あんたあ、この時勢無理して梯子しようって喧嘩売る位だぜ。葉斗に持って行かれた分の穴埋め、保険金で支払って貰わなけりゃ、採算立たないんでさあ、死んでくださいよ」

 そう満面の笑みを浮かべて男は肩を掴み前に来て横に座った。

「何か考え合っての裏切りだったんだろう? 大久保さんよお。まさか吸い取られるだけ吸い取られるドMだって言われてんだぜ今あんたは俺等になあ。契約檀城、金樫本。分かってる筈でしょうあの狂犬共と俺等は争うつもりは無いんですよ。軒並べて鎬削ってこうってものを、あんたあ、俺等よりうまく行ってて金造りにえらい葉斗の樫本に話持ちかけられてその気になって、あそこに発破掛けられた俺等をどう慰めてくれるってんだよ。ああ? 三億円の保険金しか無いでしょうが。取られた金は金で返してもらいますよ?」

 煙草に火を着け吸い大久保側の背に腕を回していたのを吐いて背をぱんぱん叩いた。

「あのあんたの店、葉斗にくれてやるからあの店で自殺するんだよ。分かったな。あんたの死体プレゼント付きでリボンも掛けてやれや。夜逃げなんざ考えるんじゃねえぞ。夜のうちは俺等は地の果てまで追いかけられるんだ」

 葉斗はここ陽陣組から搾り取った金を資本に最終的に何を企んでいるかは知らないが、樫本があの食器店同様今も同じ様にして表向き健全な商売で繁盛させている店が他にもいくつかある事も知らなかった。そちらもそろそろ崩れさせる。

「全くあんたって人は、恐い人だねえ。始めから俺等潰したくてたまらなくて葉斗と釣るんでやがったのかい。良い身分与えてあげてりゃああちらの甘い蜜に引っかかりやがってこっちは自分の店に自分の金持ってかれたようなもんなんですよ」

 男は喋り続け、「どうせあんたは善後策なんか考えちゃいないんでしょうが。どうやったら堅気の職業なんかに手ぇ出すってんだ」そう言い、大久保の 手を取って指を匕首で切り、契約破棄書類に手首を掴み血印をさせた。

「これで、大人しく犬死決定ってこった」

 そう下目で言い、書類を背後の人間に渡した。

「それとも、陽陣の人間じゃあなくなったあんたあ、今から何か考える駆け込み寺見つけるってのかい。八方これ以上無様に手尽くすなんざ、格好つかねえぜ」

 これから八方に手を伸ばし始めている峰組との交渉を控える今、こうやって無法の不老債権続きでお上に持って行かれる寸前だったカジノも一次は樫本の手で上向きに行っては潰されて良かったというものだ。無駄はスリムに落として用無しの大久保には死んでもらう。わざわざ横から葉斗は手出しして消してくれたわけだ。

 だが、それも樫本には分かっていた事だ。峰とは距離をおきたい中、契約内容で陽陣を峰に様子をみさせてうまく吸収させる。

 陽陣には何か特色や葉斗に勝る利点があるわけでは無いが、下級カジノ家業以外では無駄に小さく力もさほど無い店を多く持ちすぎている。雑食する分幅が広いのだ。

 逆に古いやり方を重んじる葉斗は深く広げはするが、敷居の高さから一種の取り付きにくさはあった。それを、峰のグローバルにどんどん幅を広げたがるやり方に陽陣は便乗しようとしていた。

 葉斗が出るのは峰に陽陣が吸収されたその後だ。

それまでを、峰と陽陣をうまく誘導していればいい。裏から確実に陽陣を弱小にしているのは葉斗なのだから。

「じゃあ、せいぜい吊る予定のその首が綺麗に見える様に洗っておくんだなあ」

 大久保なんて気取っただけの野郎、使われてお仕舞いだ、男はその事務所から出て行く背を見てせせら笑った。

 何あの樫本に言われてカジノの経営もあるっていうのに他の組に傾いて商売に手出したかしらねえが、元から企て近づかれたのもきっと、樫本がにっちもさっちも行かなくなっているカジノの不良債権建て直しを持ちかけてやったと共に、あの本当にあるのか無いのかも一切不明な会員以外の一元お断りの幻のカジノ会場ゼブラナへの紹介をしてやっていたんだろう。

 一夜にして糞莫大な富の変動が起こる魔の巣窟。実際、本当にそんな秘密クラブであるゼブラナが実在するという話すら信じられていない。





★信じたい気持ちが先立つ★


 ショウは微笑んで、樫本は彼女が出迎えたのを横目に見て促され颯爽と重厚なソファーに腰を降ろした。

 彼女の席へ座るのは三度目だった。

「いらっしゃい英一さん」

「………」

 ショウの顔を見て数度頷き煙草に火をつけられ足を組む。

「今日はウー」

「……い!!俺も連れてけったがらああ!!」

「ロン茶でいい」(←完全無視)

 元々樫本は酒が一滴も飲めない。

 ドアがばんっと開き、さっきから怒声に芦俵がドアへ向かっていたのを、開けようとした瞬間可愛らしい顔の男の子が開け放ったわけだ。

 紫貴はまたなにやらギャンギャン言い続けながらソファーまで来て、樫本と元々家柄の関係で親しいあるゼネコン社長が兄弟に苦笑し挨拶してハルエに向き直った。

 ハルエはおもむろに冷たい目でギロリンと煩い小僧を見てから客との話へ戻って行き、ユウコは樫本に色っぽく柔和に微笑んだ。

 樫本は肩をすくめ向き直って勝手に紫貴が話を進めて騒いでいるのをそのままにショウの肩を叩き、「すまねえな。馬鹿で煩いんだ」と囁き、ショウは頬を色づかせて彼のスッと通った眉根と形のいい鼻筋に薄いが大きな唇、綺麗な形の奥二重の、可愛いノスリの様な鋭い目と強いまなざしの黒目勝ちの瞳に見据えられるのを、意外にその目元に凶暴さ以外に表情も表さないのに甘さを含ませた造りをしていて、彼女は耳まで赤くし微笑んだ。

 頬を色づけたショウに、煙草を吸いつけ気を紛らわせる。

 ショウは横にどかっと座った紫貴を見た。

「弟さん?可愛い子いるんですね英一さん」

 英一さんと呼ばれる度に樫本は心中落ち着かなげに、ランの気配を他の男から探ろうと耳を澄ませる作業に没頭しいきなり紫貴が頭上で叫んで樫本に紫貴の飲むブランデーが舞ったのを睨んだ。

「な、なん、なん、なんて格好、」

? 何だ?

「知り合いか」

「し、知り合いって、知り合いも何も、バンドのベース……、」

 樫本はショウを見下ろした。紫貴に様子をうかがわせている峰の事で、そのバンドメンバーに一人女がいる事を聞いていたのを思い出した。

 樫本は相槌を打ってウーロン茶グラスを傾けた。

 このショウがバンド?しかもベース?信じがたい事だ。どうみても良家の家柄の嬢にしか見えない。

 純粋に輝くオーラの若さと照れ、初々しさ、世間知らずという風で、どこもアングラに傾きそうな曇りが無い。

 それも当然、ゼブラナのホステス自体も相手にしている客が客なだけに、客達同様の金持ち、教養と経済力ある子女のみを入れているのだから。

 容姿端麗、十五ヶ国語以上を流暢に操れる、教養のある方、お家柄のよろしい方、女性の嗜み全般が染み付いている方、上品なオーラのある方、気品と自らの誇り・志の高い方、身長百八十以上の方…、それら全てに胸を張り自信を持っておられる方、それらがゼブラナホステスの採用条件の一部だ。

 ショウも、紫貴のバンドのドラマー同様、峰組と絡んでいる筈だ。

 峰は葉斗の存在がバンドを発足した影を知らずに手を組みとある巨大レーベルとの契約を結ばせる手筈を取っている。契約を成功させれば、葉斗は間接的な峰との契約を結んだ事になり、バンドの女立役者との交渉もスタートする。

 峰に躍進する駒を与えてやって、その裏に隠れる目的を動かす。

 グローバルに躍進する新しい峰を様子見で吸収するか潰し、その峰と手を結び革新的な組に再起を図り便乗しようとする雑食で弱小の陽陣を潰す。

 最終的に檀城、樫本が其々で邪魔な物は消し利用できる物は引き入れ、極道で外道を絶ち、統制地の内容を高め、定めて管理しやすくした形で、互いの得た利益を資本金に、今大きく契約を結んでいる政治家と平組と共に、国を安泰へ動かすための試みを進める。

 その為にも、堅気に悪質な手を出す事はご法度の昔からのやり方を重んじ続け安定を得てきた葉斗のやり方に警察組織も協力要請し、極道で粗道を整えた、警察が鎮圧し、福祉面から始まって人権、国民負担分の軽減など様々に至るまでを政治家が制度を考案実行する。

 国の金の動きと同等の水準を持つ為に正式な権威を手にし、大きく平組と医学社会的設備を構築する。

 葉斗が不正な金を大きく煽って動かし安定な権力を得て、これまでの国の不利益の帳尻あわせの極道制度の形流れを変える。

 そんな夢物語を任されていた。

 それには少なからず強大な力を持つ、紫貴のバンドの女立役者の存在と関わりを持っておくことは必要になる。

 第一、ショウはあの昼時の中、陽陣の大久保の所の店員と共にいたのだから。なにが怪しくないと言うのか、企ては分からないが小娘一人と考えても、堂々と葉斗の親族の傘下にスパイだと?だが、女に打算的な風は一切無いのだ。

 第一、悪い事考えようものなら、峰や陽陣と共に消されるだけだ。国に消される「リスト」に換算され。葉斗は絶対に堅気に手を出さないという事が条件のような物だ。元からがそういう性質だった。それを守り通す事が条件。

 彼女の目を、考えと裏を思うと見据える。

だが、見つめていた。

静かに、ただずっと……。

 綺麗な目は一瞬妻を重ねさせ、考えを停止させる。何かを企んでいるのなら、やめさせるか手に触れられる内にそばにおいておきたい……。

 樫本は自分が全く無関係の事を考えていた事に不甲斐なさを感じ、色づくショウの顔からふいっと顔を反らして、ショウの向こう側の紫貴に耳寄せして、この女を張っておけ、と言い反った体を戻してランの話が出るのを耳を済ませる。

たいした話題は出ない。

 収穫など、根気良く掴もうとしても吐くわけが無い。どいつも金持ちが付き用立てしているならまだ容易だが、それが話によれば事もあろうに本当に失踪に絡んでいるのが揣摩逗だとしたら面倒だ。

 ランには腹黒い質の商社金融や金持ちがつく事が多かった。ブランデーの艶と笑みと紫の色気でしなだれかかって肩に抱かれて聞いているのだ。様々な物事の動き。手段。そして魅力でがんじがらめにする。

「おい紫貴。そろそろ行くぞ」

 ショウが驚いて樫本が掛けるソファーの腕に両手を置いた。

「もう帰っちゃうの?」

 そう気弱な目で見てきて、ショウの顔を見てからウーロン茶を飲み干した。

「ああ。おら行くぞ紫貴」

 そう立ち上がりショウの向こう側で寝転がり彼女を斜め下角度からへらへらして見ている紫貴の投げ出される足を叩いて歩いて行った。

樫本は駄々こねる紫貴の首輪を引き連れて行った。

 ショウを一度振り返ってから、向き直り路地へ消えて行った。






★至らなかった事★


 樫本は樫本屋敷に帰って来ると、庭の林の中の道の天然灯が珍しくこの時間だという物をついている事が木々の濃密な間から見え、怪訝な顔をして腕時計を見下ろした。

 二時だ。

 林の中のものは常に十一時には消灯される事になっている。確かに密集する木々は光りを五割がた遮り敷地面積共に広く燐屋との境界線も広いとは言え、住宅街での深夜点灯は避けたい。

 歩いて行き、肌寒いのか生ぬるいのか微妙な空気がこの林には流れている。天然灯はぼんやりとこげ茶色の光りを広げ、木々の葉をその色にもそめあげる。

 いつもの林の中心に立ち、一番の巨木を見上げた。

 この手で守りきれなかったものは樫本には多い。両親との絆、妻と子、長い歴史と伝統、剣道道場、祖父の遺言内容、最低限紫貴にだけは、両親との仲を正させるべきだとは分かっていた。


 樫本は顔を空間にめぐらせ戻り、辺りの闇と木々と明かりの間を見回した。

何かを見つけた。

 そして、遠くの方から天然灯以外にも人工的、しかも直線的光りが一瞬めぐったのを見る。

 何かが走り、気配に上目で探る。

「ギャウン」

 樫本は思い切り溜息を吐き出して銃に当てた手を戻した。

「あ。旦那様申し訳ございません」

「また紫貴がつれてきたのか?」

 紫貴は困った事になんでも動物を連れてくる。あのバンドの影の立役者である女ジェグリアバンがぼんぼんなんでも与えているんだろう。

「屋敷のホールから林へ逃げ出してしまいまして……」

 暗くてはっきりは何の動物かは分からないがよく躾けられた動物は草や木々の香り、新参者の樫本の香りをくんくん嗅いでは林に居つきだがる目をしている。ワシントン条約に引っかかりそうな手のものだと思う。

「業者に引き取らせろ」

 冷たくそう言って身を返して行こうとしたが溜息をついてから林を見回した。

「………」

 アタルはよく同じ場所で転んでは泣いて鈴に抱きつきに走った。

 一度、あまりに転ぶものだから木の太く隆起した根をスロープで覆おうとしたが紫貴が反対した事があった。林は唯でさえ陽の陰りが多く、スロープなど敷いたらその下の芽が育たない。だからある一定の場所を檻で囲ってアタルが危険な為に入らない様にした。

 よくころころ転んで、俺に泣きついて来て、普段ホームにいて稀に外出許可が出るばあさんは孫とその檻につけられたアイアンベンチに座って絵本を読んでいた。

 紫貴は檻の中に閉じ込められていたのだが…。知らぬ間に紫貴はマリファナをその檻の中で栽培しはじめていて、あれはすぐに四、五メートルになるから鈴は毎回無常にもマッチで火を放ち燃やしていた…。

「………」

 今思うと、道場があったよりはあいつにいい思い出を、少しの間だったが与えられたのだろうかと思う。遊び場になっていたこの林は、道場がなくなった時よりも感情をかたどらせようとする。

「仕方がない。許可を申請して来るからしばらくはあの檻に入れておけ」

 充分な広さはあるし窮屈しない筈だ。

 消灯させてその若い家政婦に今日はもうゆっくり休ませてから屋敷へ歩いて行った。紫貴にはその後の責任もしっかり取るように言わなければならない。

 書斎で一仕事終えてからぱさっと机上の上の長い足の横に帳簿を置いて、目元を押さえハイバックの背もたれに沈み足を曲げ、目を押さえた。

「旦那様。お風呂のご用意が」

「ああ」

 一番の古株家政婦のトメが扉の向こうでそう言い、樫本は立ち上がり書斎から出て一階に降りた。

 総檜風呂の湯船につかり両手を広げる。

 目を閉じ深い溜息を漏らして枠の無い壁窓からの月が竹を従え昇っていた。

なんであんなに似た女が身近に接点を多く置いているんだ。

騙そうとして?亡霊か?死なせた事に対する恨みか……。馬鹿らしい。亡霊だと?ショウはショウだ。

 だが信用は置ききれないのかもしれない。信用?相手は赤坂のホステスだ。しかもいまいち裏の顔が掴めないらしいと分かれば、調べるべき事は多い。

 目を開き溶岩石の天井をおぼろげに見上げる。熱い湯煙に白く曇っている。

目を閉じこれからを考える。女の事で左右されそうな考えを止めさせる。

 浴衣を着て風呂上りに冷たい茶を渡され飲んでそれをテーブルに置いた。さっきの若い家政婦が眠らずに、たまに彼女は彼に気を利かせ来る。

 どことなく、鈴の妹の麗に雰囲気が似た子で、きっと性格的にも合うだろう。

「そういえば、紫貴のやつが良い物を持ってたな。待ってろ。今降ろしてやる」

「まあ、本当ですか?」

 そう、高い天袋の中から箱を出した。たしか、紫貴の女友達だかがくれたとかいう奴で、あいつは肌をいつも気にしているからそういう美肌物ってやつを割りと気遣っている。

「まだここでの仕事も慣れない内から今日は遅くまで悪かったな。これでも飲んで明日に備えてくれ」

「逆に気を使っていただくだなんて、光栄です旦那様。有り難うございます」

 そう言うとその背を見送った。


 樫本は部屋に戻って寝室に来るとベッドに倒れこんだ。

 目を閉じ、そのままの態勢でしばらくは窓からの青白い光りで陰になる腰壁を見ていたが、闇に刺すほの暗くおぼろげな光はあの時の記憶を蘇らせ、仰向けになり前髪をかき上げて額に手を当てたまま、目を閉じ記憶を閉じ込めた。

 そのまま、眠りへ入って行った。これ以上何も考えずにさっさと眠れ。

 泥のように眠り、空白を埋めるように闇を彩らせ、夢など見ない。

 清流が心を流れるように、星が屋敷の上を瞬いた。





★ 無 ★


終り果てない夢は多い。願わずにいられない。

叶わないと分かっているからこそ思い描く物。

夢は見るものじゃ無い。進む物……。

 音を聞けば流れる物を目で追って、

そして足がついていく。

 過去を見るな。忘れなくても良いが、進め。

苦しみに面と向かい対処したいが為に見つめるには、まだ時間が早すぎる。

今はただ、目の前の問題に取り組むんだ。

 そうは言い聞かせても、事実を見ない振りをする事は、彼女の存在を前にすると無理のようにも感じた。明日はもう行かない……そう言い聞かせる。

自分が変わるわけには行かない。だが、同じでい続けることは許されない。

 何度もこの腕に抱いてきた二人の温もりに、鈴の笑みに、アタルの笑い声に、失った者にショウを当てはめては駄目だ。

 日常の闇の中に唯一の様な『光』を見つけると、ここまで目が離せなくなるものだとは思わずに、ただ存在を確認し続けたいが為だけに、俺の甘さが先に立つ。

 ショウの元へ足を向かわせ続けている。

 何を分かれというのか、何を分かりたいのか、現実からZebranaという空間に他のものを求めたいのか、

 妻を重ね……晩酌を、今まで通りしたかったが為……

ただただ……





第二章★夜は始まり★


夜は電飾に蹴散らされている。

この世の自然は昼しかなかった。朝はどこも死んだように眠っては、夜は光りの渦に、人々の欲望に邪魔されている。

「なかなか探れねえなあ畜生……」

幹部赤松を様子見て、揣摩逗を遠くから探っていた益田は、如何わしいイルミネーションの降り注ぐ歌舞伎町、赤松の姿を追っていた。

赤松がそのままキャバクラ女とにやにやしながら派手な入り口の店内に消えて行ったのを見てから首を振った。

そこに、赤松と同じく檀城のところの幹部、橘が同じ店へ入って行ったのだ。

樫本は唸って眉を潜め起き、ナイトテーブルの受話器をうつぶせたまま腕を伸ばし持ち、出た。

「樫本の兄貴、今、赤松の兄貴が橘さんと共に店から出てきやがって、なにやらでかいブツ持ってる。ケースです」

樫本は体を起こして「そうか。今から行く」そう言い服を着替えて車に乗り込み屋敷を出た。

車内電話で状況を聞く。

「店に預けていたのかもしれないです。赤松の兄貴が押さえてる店の『ガラール』だ。橘さんも入って行ったが、出たのは赤松の兄貴だけです」

「赤松は俺が追う。お前は橘張ってろ。店には絶対に足を踏み入れるな。危険だ」

「はい。誰か捕まえて入らせるのは」

「出来るだけ開口部周りを舎弟に張らせるだけにすませるんだ」

「分かりました」

車両を急がせ檀城に連絡を入れる。

どれが囮なんだ。赤松の店にラン共はいるのか、ケースを持った赤松は囮か、橘が囮か、他の場にランと鳥羽、もしくは片方がいるとは思えない。都心外や空港、港を探させても二人は見当たらない。それとも、三日に渡る目撃例が嘘で既に海外に出た後なのか。それなら元から金の用立ても関係無く無償で逃がすことが可能だ。

枡田に連絡を入れ、赤松を探させる。枡田は頷き、舎弟に首をしゃくる。ついに赤松の野郎が動いた様だ。


葉斗屋敷でメルセデスに乗り換え竹路の運転で向かう。

「奴は揣摩逗側の囮かどうか…」

「まだわからねえ事だ。檀城も今日揣摩逗に動きは無かったって言ってたからな」

檀城は樫本から連絡を受け、益田が張る店、ガラールへ栂伊つがいも向かわせる。

ランを匿うって事は、その組の滅亡と同様の馬鹿野郎な行為だ。イサ姐を敵に回すって事だ。

ランの野郎が峰や陽陣、揣摩逗と手引きをしているなら、鳥羽との逃亡劇に見せかけ葉斗を動かそうって魂胆だろう。ランは慎重な野郎だ。使える駒を手駒良く使って裏から操り、自分は出てこない。

まだあの荒くれた時代ならぼろは出したかもしれないが、奴は学ぶことをする人間だった。だが、結局はそれが誰の仕業なのかが分かる所が奴の馬鹿なところだった。自分から仕掛けに行くも同然だった。

ランの奴が痴話喧嘩で鳥羽の奴に殺されていればいい。樫本はおぼろげにそう思って、片付けたかった。それを失踪劇に見せかけ鳥羽も追うように消えたのだと。

デマゴギーが氾濫し出回り、ランは充分監視され続けたはずだった。

監視していた中の人間が赤松と繋がっていたのだろうが、その中に橘は面子に入っていなく、竹路が監視をし、赤松の話をイサ姐に持って来た。

樫本は竹路を横目で見る。

竹路は管を巻き首を振って、夜のネオンに視線を這わせている。

「兄貴、もし赤松の野郎の裏切りなら檀城の兄貴は早々に揣摩逗を見切るつもりですかね」

そんな事は赤松がけじめつけさせ始末されるも確実だ。幾ら檀城が弁明しようがイサ姐は許さないだろう。




★逃亡★


「………」

奴だ。

赤松はトランクを持ち歩いていく。あの間抜けな顔は口笛でも吹いているのだろう。

「あ。兄貴、あの野郎」

「ああ」

「派手に行動していやある」

見回し、赤松は店に入って行く。壇城に連絡を渡した。

樫本は車内から出て大股で歩き、ドアを開け放ち中に踏み出した。

「………」

樫本は眉を潜め、頭から血を流し倒れる赤松を見、銃を抜きながら女達の叫ぶ店内を見回した。

凄い形相でトランクを片手にランが樫本を睨み付けた。

「……ラン」

彼女は艶笑し、口を両方引き上げた。

「樫本の坊やじゃない。フフ、随分頬が痩せたんじゃない…?」

「お前のやらかす事で走りまわされてんだよ」

「アッハ、あたしのせいにしないでよ…大雅組の『おかげ』でしょう」

「………」

軽いひけらかしに乗りそうになる前にランを見据えた。

今まで何処にいやがったんだ?この女は。

竹路は続きざっとランを見ると銃に手を掛け、鳥羽は、見ない間に隈を作り咄嗟に店の女の子の首筋にナイフを突きつけた。彼女は必至に命乞いし、「あ、あたしには幼い子がいるの、」そう言い真っ青になった。

その言葉に樫本の手が一瞬緩み、竹路が大股で進んで行き怒鳴った。鳥羽は女の子をどつき駆けつけた従業員の喉を掻っ切り竹路に投げつけるとそれを腕で払いはしたが、ランがトランクで蹴散らすのを避けられずに、彼はテーブルと椅子に派手に突っ込んで行った。

樫本は気を散らした自分に悪態を付き、ランは鳥羽の手を引き裏口へ走って行く。檀城から連絡を受けガラールから走って来た栂伊が到着し店内を見回し、樫本は竹路を叩き起こすが気絶している。この場を栂伊に任せ裏口に向かって走った。

ランは後ろから追ってくる鬼の形相の樫本に銃を撃ちながら走って行き、鳥羽は薬に酔い足をもつれさせながら逃げる。

駐車されたディアマンテに乗り込みランはハンドルを握り一気に加速し樫本の方へ突っ込み彼はボンネットに乗り地面に転がり起きて、乱雑にテールランプの光を舞わせ乱走して行くディアマンテに撃ちつけタイヤ一つパンクさせるが、構わず走って行く。

樫本の横に黒塗りが停まり、彼はその檀城の車に乗り込み追わせた。

警察が店に流れ込むと、血痕を残すのみで店は半ば日常に戻っていた。

「お前、撃たれてるじゃねえか」

「あ?」

指された腕を見ると肘がやられていたが、角度的にランじゃねえ。樫本は近場を張る益田と他の奴等に連絡し界隈一帯を探らせる。

樫本は肘を返し、歯を剥いて関節にのめりこむ弾を噛み抜いてはき棄てきつく縛ると前方のディアマンテのケツを目で追った。

「誰が赤松の野郎の裏に隠れてやがるのか、お前まだ探れてねえのか」

檀城は目元を鋭く何度か頷き、続けて窓から前方の車を撃ちつける。

タイヤ一つパンクした車は酷く蛇行してなかなか当たらない。檀城は舌を打ちスピードを上げた。

「赤松の野郎の事はすまなかったな。俺の目が行ってなかったって事だ」

「事情は後からじっくり聞く。息はあったからな」

「そうか」

夜も3時。夜は佳境に入り色づいて行く。禍々しく渦巻き流れる事無く淀んではくすんだ感情を昂ぶらせた。

檀城はディアマンテをあおり激しくぶつかり、ランはハンドルを握りながら銃を乱射しベンツのガラスにのめりこませる。鳥羽は助手席に突っ伏して麻薬を吸引し目がラリっていて役立たずだ。ランは激しくドリフトさせベンツに激突し離させ、タイヤが一個抜けたのをそのままに激しい音と火花を乗り出した広い道路の闇に立て散らし走らせて行った。

「揣摩逗組が、ベトナムと香港の所と繋がって手引きしてるって事が分かった。高飛びするとなればどちらかかもな。隠れ蓑になる闇が多い」

「武器密輸は揣摩逗は上海マフィアからだろう」

「ああ。ベトナムは大麻だ。闇港市の精製所を買収したようだ」

「鳥羽がいる分、ベトナムかもしれねえ」

ディアマンテはそのまま角度を変え、環状線に入ると白のポルシェが現われた。

「………」

一度一気にベンツを引き離し、ディアマンテを乗り捨てた。樫本は窓枠に乗り打ち付けるが白い車体に隠れ、窓が開き樫本は咄嗟に中へ引いた。

大層な機関銃を持った男、揣摩逗でも、ベトナム、香港人でも無い。鳥羽側の連れか仲間か。突進してくるベンツと道を打ちつけオレンジの光が舞った。

ベンツは迂回してラン側に回るが既に車内に転がり込んだ二人を乗せた車のモンスター、ポルシェは500マイルでエンジン音を爆破させ走り去って行った。

激しいラッパの様な音を立て、コーナーを曲がり闇に消えて行った。

車体とナンバーを送り檀城はポルシェを追う。

闇の中、丸みを帯びる白の車体が既に小さく失踪して行き、きっとあの分じゃあ600マイルは出ていた。

闇に既に群青染め上がった白の車体と赤の線は疾走して行き、ランは質悪く微笑んで前を向き直った。

完全に見失った。

トランクを二人から欲していた人間なのだとしたら二人はもう用無しで始末される筈。樫本達にも顔を見られた。だが、今になって赤松もランも軽率に出てきた。誰なのかも分からない男、新参者がわざと二人を見切るためか。影から撃って来た人間はあの男か?

なにはともあれ、逃げ切り専攻の逃亡には最適な車なんか用意して、足が付きやすい事を考えなかったのだ。

「金持ちだろう。雇ったのかもしれねえ。ランの客の筈だ」

「確かにな。あんな気取った車なんかに乗りやがって」

「………。」

檀城はあんな気取ったイタリア車ばかりに乗っている樫本の横顔を目を伏せ見た。

「イサ姐に話通して顧客情報を聞くべきだ」

「ああ」

舎弟に張らせて一度引き返す。

赤松はまだ気絶したままらしく、トランクは鍵が無い。中身が不明な限りドライバーで無理やりこじ開けるのは危険だ。医者に連絡をし戻っていく。

葉斗屋敷に戻った樫本は医者に手招きされ上着を脱ぎシャツを破った。

「弾は抜いたようじゃな」

「ああ。毎回野郎に入ったもん取るのもじいさんも気が滅入るだろうからな」

「ハハ、綺麗な姉さんに茶でも入れさせてくれんかの」

「助手くらい着ければいい。一番若い女中の毬にあとから茶でも持ってこさせる」

「嬉しいねえ。あの子は可愛い」

樫本は笑い首を頷かせて、間接の動きの妨げに成る程のめりこみひしゃげた弾を舎弟に判別させる。腕を吊り礼を言って樫本はスーツを肩に掛け歌舞伎町に戻り、檀城は赤松のいる屋敷地下へ向かった。

樫本は車の中で、ラン達を続けて追って行ったのがイサ姐だと聞きその言葉に目を回しそうになった。

確かに彼女の愛獣は漆黒の馬、フェラーリだ。詳しくは知らないが積んでいるエンジンはグランプリで連勝を誇る化け物だという話だ。それでレーサー顔負けの技術を持つが、だが、彼女は心臓が弱い。

ガラールに向かった幹部葦林の話、店主は施錠されたオーナールームで既に殺されていて、その場にいた橘が証拠隠滅の為に殺したようだ。今橘は押さえられている。今赤松には栂伊が付いていて、檀城が来たのを頭を下げた。益田は桐神に連絡をし、ネオン街に消えた発砲者を探し始める。






★縞馬★


イサは黒のフェラーリを疾走させ、ジョージが続けざまに横に並んだポルシェに発砲する。

連れの男の顔に見覚えは無いが、年齢は20代も後半か、30位だろうか。血色が良く景気の良さそうな顔をし、妙な代物を持っている。顔立ちのせいで親が海外に持つ森で鹿やカモを狩る事が趣味そうな風だ。それかよく別荘地下で射撃でもしているのだろう。実戦経験はなさそうだという事だ。顔つきは焦っている。

若い青年時代に日本に渡って来た南米出身のジョージは逆に扱い慣れているが、運転技術はイサより相手のほうが上手だ。若さも加わり機転がいい。

赤松や揣摩逗系列で深く関わっているとは思えなく、どちらにしろ彼自身の命が危険に思えた。揣摩逗は日本企業に手を出さないし、関わっていればとっくに現われている。

この緊急時にランに連絡され、驚いて出てきたのだろう。彼女を助けようと。

今、ランが三日に及ぶ金をどこかに預けているとすれば逃亡先で彼が殺される可能性は大きい。

それとも、毎回ランがあの男に金を用意させ、中間に赤松達を置き運ばせていたのだろうか。しかもわざわざ揣摩逗の店に出向かせて。

葉斗の幹部が出向けば、店員は黙らせても揣摩逗の人間が警戒する。

大金の出所がどこなのか、赤松が揣摩逗と繋がりランを逃亡させるための預かり物なのか、本当に逃亡目的の金なのかは不明だが、捕まえてやる。

ランの背は見えたり消えたりするが、鳥羽は見えない。弾でもくらったのだろうか。それとも連れの男の存在に怒った運転するあの坊やに撃たれたのだろうか。一瞬、屈託無かった鳥羽の笑顔が浮かんだがそれを消し追いかけた。

客達が話していたあの車体についてなら耳に挟んでいた。色は不明だが、近々息子に買ってやる事になっているとかいう話で、息子の妻と共にモナコグランプリへ行き、他のレースにも回るとスポンサーに話を付けると本社に赴き、日本では未発表にする予定だった車体の許可を取らせ日本へ運ばせたらしく、市場での車体価格は相当な額だ。

ユウコの常連だった。大手セネコンの会長で、海外進出も派手に行っている。主に、北米、フランス、ドイツ、オーストラリアに多くの契約を結んでいた。

関わりは不明だ。

会長の息子が孫の為に頼んだのだろうか?会長の息子はゼブラナに来た事は無いものの、海外経済雑誌では父親と共によく見かける顔で、大柄で寛容な会長とは違い、社長である息子は神経質そうな革新派だ。そんな一方、やはり妻共にレースには一興するくらいの心の余裕はあるらしい。孫は確か、別段役職を任された風は無いという噂だ。本当に店の常連関係であったら困る。

ポルシェはフェラーリに煽られ、激しく交差し合い駆け抜け逃げて行く。

檀城に突っ込まれた以上はもう傷は作りたくないのだろう。その孫が神経質な父親から黙って勝手に持ち出し自由に白鹿を暴れさせているようだ。

ランが長い腕を出して顔を出し、ホワイトブロンドの髪をどかして拳銃を構え発砲してくる。

ハンドルを切ったイサを目を鋭く見据え微笑して、撃った。

ジョージは腕に銃創を受け一度シートに飛んではイサは歯を剥き激しくポルシェに突っ込んだ。

激しい奇怪な音と一瞬の火花を立て高速で走行していたポルシェは一気にバランスを狂わせ、

もう一度だ。

背後に回り込むと黒馬は鹿のケツを激しく蹴り飛ばした。

ポルシェは木に突っ込み激しくスピンし乗り上げたガードレールをへこまし停まってタイヤを空回りさせた。

歪んだドアから三人が流れ出てくるとジョージを車内に残し、イサは駆け下りたその瞬間、だ。

「!!」

男は手榴弾を手に振りかぶった。

「ジョージ!!」

ジョージは歪む顔を挙げ、目を大きく即刻反対側のドアに駆け寄った。イサは走った。

激しい音を立てて闇を爆破し、イサは吹っ飛び倒れ込んでフェラーリの背後に転がり込んだジョージは咄嗟に駆けつけ彼女を引き起こした。

イサは一度咳き込むと、かんざしの吹っ飛び下りた長い髪の間から鋭い目が開き……、

キレた様だ。

おくみを返し、がっつりした帯と着物をばさっと脱ぐと白の長襦袢と足袋だけになってすっごい形相でクリーム色の髪を掻き上げ銃を構えて裾を引き上げ白馬の如く疾走して行った。

ジョージはあだだだだー、と言い、フェラーリに戻り座席を上げ他の銃を手に後を追いかけた。

疾走してくるイサを振り向き男もランも短く叫び、逃げ走って行った。

腕を引かれる鳥羽に怪我は無いが異常な程脇目も振らずに必至になって走っている。

ランは男からライフル銃を奪って男の項を筒で激しく払い付け、ジョージはそちらに向かい、イサはライフルを向けるランに怒りの形相で思い切り飛び蹴りし、鳥羽もろとも三人は激しく転がってランの持つライフルは天を撃ち叫んだ。

イサはランの髪を掴みアスファルトに頭をたたきつけて彼女はイサが自分の首を締め付けてくる手腕を引っかき、背後のジョージは叫んでイサはざっと振り向いた。

鳥羽が飛んできたライフルで痩身なイサを横殴りし彼女は吹っ飛んで行き、ランは身体を起こした。

ジョージにライフルの銃口を向け彼の持つ銃を撃ってばらばらにし、「手を挙げろ!」とぎょろつく目で怒鳴った。

ジョージは一度気絶したイサを見て、降りかかる髪で隠れ顔は見えないが息はしていそうだ。

ジョージはランと鳥羽を睨み見上げて、立ち上がるとするのを鳥羽は隈の出来た目でジョージに銃口を更に向けて狙いを定めた。

沈黙が剣呑とした空気を流れた。

「逃げ切ってどうするって言うんだお前達。命を一度は助けたイサをこんな事して、鳥羽、お前はイサを母さんの様に思っていたんじゃなかったのか」

ランがフフ、と微笑しジョージをあざ笑った。

「甘い事言ってるんじゃないわよ。それに、この人には充分いい薬を与えてあげててね。そんな理性までは今更脳が追いつかないねえ」

イサの方に首をしゃくって言った。

「この馬鹿が、人がいいってだけが取り得なんだ」

彼女をそう嘲って、血の流れる頭を押さえながら髪をかきあげた。

鳥羽がライフルを撃ち、ジョージは伏せて転がった。

目が開くと、サイレンと赤いライトが駆け巡りパトカーが視界を占領し、星が瞬きを弱くしていた。

刑事にジョージは引き起こされた。彼はばっと起き上がり、痛んだ頭と疲労で重い体に一度頭を抑えてからイサを探すと、彼女は担架に乗せられたところだった。

そこで、目を覚ましたが冷や汗を掻き心臓を押さえ、もだえ苦しみ顔をゆがめた。そちらに駆けつける。すでにもう一台には気絶した男が搬送されている。

「イサ」

彼女の手を持ち落ち着かせ、うっすら目を開ける彼女は真っ青な顔でジョージを見て、喋れずに乾く口をぱくぱくさせた。

「いいんだ。今は。病院に行こう」

ともに乗り込み運ばれていく。

救急車が葉斗の人間達の車両を横切り桐神は顔を見合わせる。一キロ離れた地点では消化され、警察がフェラーリとポルシェを押収していた。

「ランと鳥羽を探せ。このまま逃亡した筈だ」

闇が邪魔だった。実に邪魔だ。

「ランの腐れ外道が、どこまで悪あがきするつもりだ」

目を鋭く走らせ、闇しかない。いらだつ程に。あとは静寂。闇は動きさえ無かった。






★暫★


病院に駆けつけた神経質な顔の男は、息子が目を覚ましたのを、ぶん殴った。

「ま、まあまあ……」

ジョージは乱れたスーツを引っ張り正す彼をなだめ、ジョージを見て深く頭を下げた。

「倅が本当に申し訳ない事をした。にわかには信じられないが、この馬鹿垂れ息子は28にもなって本当に情けの無い息子です」

慇懃に手を握ってから息子の頭を叩き、ジョージに「ま、まあまあ」と言われていた。

「この馬鹿垂れが下手に犯罪者などに騙されたりしなければ今頃捕らえられていたんでしょうな」

「親父、どうにか会長にはこの事は……」

「ばれるに決まっているだろう!!四億お前は銀行から抜き取ったんだぞ!!!店に世話を掛け追って!!!!」

「ま、まあまあ」


ジョージは警官が事情聴取の為に顔を覗かせたのを病室から出て行った。

今までの三億の金の行方をランが何処へ隠したのかは不明だが、一億分は葉斗が押収しているのだ。

ジョージは後は警察に任せ、イサの病室へ向かった。

先ほど、イサが連絡を受ける前までしていた、ジョージがキューバのバンドネオン仲間に呼ばれ一ヵ月後に日本を離れる話を、イサは、素敵な第二の人生だわ。送迎会も盛大に開かなければねと大いに喜んでくれてはいたが、これは少々放って行くわけにもいかない。落ち着くまでは彼女を援助してやらねば、まだ新しいマネージャーになった夕だけに任せる事になるのは実際心もとない。彼と共に、残りの一ヶ月を厳密に後任のバーテンダーを審査して行くつもりだったのだが。

夕は十歳の少年の頃からよくジョージが営んでいた小さなジャズバーに来ていた事からの見知った仲だった。イサも、あいつの事はまだまだ心配だが、たまに冷たい位恐い顔していても心の中は熱くてまっすぐの、良い奴なんだというジョージの言葉にも賛成していた。

ランを捕らえられればイサも落ち着くのだが。

静かにドアをあけ、看護婦が彼女の額の汗を拭いていたのを振り返った。イサはうなされている。

「まだ安定はしていませんが、先ほど安定剤を投与したので徐々に落ち着くでしょう」

ジョージは「そうか」と頷き、安堵の息をついてスツールにどっしり腰を下ろした。

ノックされ、振り向くと幹部上杉が立っていて、ジョージは頷き促した。看護婦は一瞬身構えたのを口端を上げて「出来るだけお静かに」と言うと心なしか早足で出て行った。

「姐さんは」

「しばらくは起き上がれないだろう」

「そうですか……。あのランの外道は今、全力で探させています。姐さんの足を無駄にはさせない」

上杉は背後を振り向き、頭を下げた。イサの弟の豪が入ってきて後ろに続いた枡田が戸を静かに閉めた。

「姉貴はどうだ」

「多少暴れ過ぎた」

豪は口端を下げ何度か頷き、彼女の所まで来ると呼吸器の上の冷たい頬と額にハンカチを当ててからジョージを向き直った。上杉と枡田はドアの両側へ立った。

「悪かったなジョージさん。腕は大丈夫か」

「これ位どうって事は無い。それよりもイサの事が気に掛かる。この所の発作は多いように思う」

「ああ。ゼブラナを始めてからいきなり心臓が悪くなり始めたからな」

イサは『ゼブラナ』の言葉でうっすら意識を取り戻し目を開き、豪は振り返ってジョージは立ち上がり彼女の細い手を取った。

「イサ」

彼女は小さく二度ほど頷いて意識表示した。体がだるく、心臓が落ち着き無く動いている。胸の痛みは引いていた。暑いのか寒いのか分からない。熱があるのに悪寒が襲って風邪の様に錯覚した。これは動かない方がよさそうだ。

ジョージと豪に謝ろうとするが声が出なく、豪は肩を叩き、「いいんだ。分かっている」そう言った。イサは弟を見上げ、自分が情けない、と思って豪は方を撫でて気を落ち着かせてあげた。

「姉貴は何も心配せずにいてくれ。俺達で問題は解決させる」

そう言い、「さあ、もう一度眠ろう」眠りへ促し、イサは数度頷いて目を閉じた。すぐに深い眠りへ入って行った。

「豪。イサは俺が見ていよう。一応の為、一人残しておいてくれると助かる。何が来るか分からないからな」

「ああ。ありがたい。枡田」

「へい」

「じゃあ、悪いが宜しく頼む」

「任せろ」

枡田は豪と上杉に頭を下げ、見送った。





★裏切★


樫本を狙った人間、それは食器店オーナーの大久保だった。

彼は騒動を影から伺い、ランが続けざまに発砲したところを狙い樫本を撃った。殺すつもりだったが殺せなかった。もう一発という所で葉斗のもう一人の腹心が現れ即刻銃を仕舞うとネオンの路地裏へ引いて行ったのだ。

檀城側の幹部木立は警察が引いた後の店へ行き、オーナーから事情を伺う。だが、会話も無くいきなり赤松をランが攻撃したのだと言う。きっと毎回用件は紙に書いてトランクの中に入れておいたのだろう。オーナーは異常な怯えを含んでいた。きっと、ランか赤松に相当脅されていた筈だ。この店の二階でランと鳥羽は匿われていたのかもしれない。三日に渡ってあの大女と鳥羽がどうやって揣摩逗の店に入ったかは知らないが、車で移動すればどちらにしろ目には着きにくい。

ガラール店主は死亡したし、橘は一切吐かないままだ。揣摩逗に関しては、店員が目撃した以外の証言もかかわりも一切無く、赤松が葉斗を混乱させる為にランに言われて店を指定したのだろう。

オーナーは結局は何も吐かなかった。

今回店を変えたのは、葉斗が揣摩逗の店に気づき警戒し始めたからで、ラン側はもうこれ以上の金を必要としなくなり赤松を切り捨てる為に殴り倒したのだろう。


樫本はガラールに向かい、葦林が出迎えた。

彼はソファーに座り足を組み、眼下の橘はローテーブルが蹴り退けられた場に膝顎を床に押さえつけられ後部で両手首を拘束され葦林に背を踏みつけられていた。

「お前、どうした。檀城の信頼裏切るなんてらしくねえじゃねえか」

橘は何も言わずに目の前の地面を見つめるだけだった。

「随分、金に困る身分でも無いだろう。あの赤松なんかに加担して不始末起こそうなんてな。檀城は随分残念がってたぞ」

「お、俺は、俺は樫本の兄貴、赤松の野郎にただ言われただけでランが関わってたなんざ知らなかったんですよ!!例の金せびられてたっていう品川ヨウが揣摩逗となにやら揉め事起こしてやがるって事を赤松が掴んで、赤松が品川の会社の金親父に内緒で横領して金用意するだけで揣摩逗との縁切れさせてやるって事で、俺は赤松に言われて檀城の兄貴に行動がばれねえように周り張ってただけだ。ランが赤松に入れ知恵してたとかで、五割ランが金持っていくがその残りを赤松が手に出来るってんで、揣摩逗とも架け橋になってた赤松がそっちに寝返る気だったかはしらねえが、俺はただ従っ」

組む足をぶらつかせ、樫本は下唇を指でさすり自分の左側の絵画を見ていたのを、ぺらぺら喋る橘を見下ろし、その事で橘は口を固めた。革靴で頬を優しく撫で顎を軽く上げさせ離した。

「お前の事だから調べなんてものはとっくに付けていた筈だぜ。手を出す元の始めからそのボンボンがどこの親の蜜吸って生きてきてその親がどこの人間でどこの店の常連として金落として来た男の孫かなんて事を、分かっておきながらランと手を組んで堅気から金取ってたのはお前だろうが」

橘は顎を中心に顔が吹っ飛びそれをまた葦林に戻された。

「橘。確かにお前は最近の顔でイサ姐とランの因縁には詳しく事情は分かっちゃいなかったかもしれねえよ。だが、そんな物、葉斗の人間ならどんな馬鹿でも心得てる知識だ。そうだろう?」

首をもたげてうなだれる顔を葦林は髪を鷲掴み上げさせた。

「言ってくれるよな?」

そう背を丸めて親指で血を拭ってやって目を覗き込む。視線を漂わせて橘は駄目だと分かっていながらも反らし、樫本は彼の胸倉を両手で掴み橘はキャビネットに激突したのを首根っこを掴み引き起こされ、橘は口端を気弱に上げ、口の中を切りろれつの回らない言葉で嘯いた。

「お、俺は本気で分かっていなかったんですよ、」

手の甲で頬を払われ床に飛び腹を上に向けさせ、冷静なままの樫本の、それでも優しげな落ち着いた声が逆に橘を追い込んだ。

「あの馬鹿野郎な息子は揣摩逗に借金なんかしちゃいないし義理も貸しもねえんだよ橘。分かってる筈だろう。尚嘘を吐こうっていうのか?そんなもの、赤松が揣摩逗を張ってる事ランが知っていて赤松に話でっち上げさせただけだろうが。揣摩逗にお前は知らぬ間に貸しがあるらしいとかどうとでも品川ヨウに言ってな。揣摩逗との間でもお前、おとしまえつけられるぜ。可愛そうになあ。今回の事で俺達は揣摩逗に警戒線敷かれて、檀城はやりずらくなる筈だ。不始末に頭が睨まれる事分かっていながら、命みすみす棄てて頭に喧嘩売って脛に傷物のお前を今のうちなら俺が手助け出来るって言ってるんだぜ」

橘は目を反らし床を見下ろした。樫本は身内事なるとヤバイ程鬼になる事は分かっていた。五年前、万上組に紫貴が殺されかけた時もそうだった。

猫田は、弟を見て激昂した樫本の後を追った。既に全滅した万上の屋敷へ進み行った先の血まみれの樫本は最後の叫びと血飛沫を切り、刀を片手に下げ無数の死体を足元に、

もう止まった激と死と静寂の中立ち尽くし、横顔は美しく眩しい庭園を静かな媚態で見つめていた。

光をあの瞳に反射させ、自棄にそれが不可思議な『美』に見えた。

それは一種の『綺麗な狂気』で、そんな不可解なナニカを見て、ぞっとしたと言う。

樫本は頭をどこまでも体を張って護るし、イサ姐を幾らでも身を持って護る。身内のやられた事は千で返す。刀という牙で一人で何組も全滅させて来た男だ。

だが樫本の奴は気障で気取っててやくざのくせに洒落込んでて色男でその上色気まであってそのくせ男臭さもあり雅な顔をして、それが余計に嫌味な野郎だった。

それでも、確かな信頼性があった。

「イサ姐の怒りは俺達の怒りだ。腹決めてこの世界に入ったからには男としてこの道の極み、嘗めるわけにはいかねえんだよ橘」

橘は顔を挙げ、その頃には目が戻っていた。

「言ってくれるのか」

彼は頷いた。

「三週間前、赤松に俺は声を掛けられ、話を持ちかけられた。なにやら、揣摩逗を陥れて檀城の兄貴に大きく貢献できるって話だっていうもんですから、やおら俺はいぶかしく思ってんな話には始めから乗らなかったんですがね……」

毎度のランのやり方だ。それで赤松の奴はほいほいケツ振って金儲けに従ったという事だ。

「奴は帳簿を持ち出して俺に見せてきやがる。どうやら、何やら金融リストらしく、そこにズラッと政府に申告されている個人資産額が書かれていたってんです。それを赤松の野郎が葉斗の金持ち出して買ってきやがって、それで五倍にして返せるってんで、それを其々金持ち連中や利害関係にある企業同士にちらつかせて金せびろうって魂胆だったんです。情報返すのに四億、売るには十億。それを葉斗に入れた後に揣摩逗潰す軍資金にしようって事で、まず手始めに例の野郎から話を赤松が付けに行って金を貸し金庫に入れさせてから期日に俺に持ちに行けって言う。そんな大層な帳簿なんざ、政府官僚しか手に出来ねえってんで、俺は姐さんの所の店を探って一通りの顧客リストを完成させた。帳簿の中身も内容も本当にそんな大層な情報が入っていて組の金持ち出したかなんざ一切不明でしたから、そのリストの中から金取る相手の名前が出りゃあ止めておこうって思った。実際、その名が出て孫の品川ヨウは何かにびびってか即効金入れてきて、あのホステスの中の三人の誰かがイサ姐を裏切って政治家に取り入って帳簿手にしていた上で品川ヨウも手玉に取ったんだと調べが付いた頃には、既にランの野郎は消えていやがって、俺は動かざるを得なくなっていたんです。既に金は金庫に面白いようにあっさり入っていた。だが、実際調べを付けても一切政治家とランの間で帳簿内容が譲渡された繋がりは掴めねえまま、全ては赤松の出任せだったんです。帳簿なんざただの帳簿に過ぎなく赤松も金持ちの堅気相手に脅迫なんざ掛けちゃいなかった。もちろん葉斗の金の妙な変動も無いと気づいた。だが、もう止まらなくなっていた。毎回一割が赤松と俺に渡されて三回目には俺は千五百万手にしていて、それもあの男皮切りにランの客からどんどん金入って来ると思うと俺は乗っていた。葉斗の名がばれちゃあまずいってんで、交渉は毎回ランだか誰かが進めていたらしく、場所も揣摩逗の店使ってる話聞いて、どうもやり方に雑さもあったが、俺は従っていた。俺は毎度貸し金庫から用意された金を持って来て赤松に渡した。ランはその頃には警戒されててその近辺に出られねえ身分だったんで。俺はランの居場所掴む赤松を保有している事もあって、多少甘んじた余裕でラン自身の居場所を探らずに怠慢生んで揣摩逗の店も調べつけなかった」

橘は檀城から元がいろいろと任されていた分、赤松も暇が無く下手に探らせないために橘を選んだのだろう。下手に他言もしないと踏んで。

樫本は溜息をついて小窓の外から橘を見た。

「何で檀城に言わなかった」

「イサ姐に、知られるのが怖かったからです、」

橘は床を見続けていたのを、視線だけ上げ睨むように言った。

「ランの野郎は……特定の外人にスポンサーが付いていてその男に貢ぐために逃亡劇を企てて金を金持ちから取ってやがった。客じゃあ無かったから調べが全くつけられなかったが、俺は一億の金の出入りを銀行に手を回して調べた所、銀行こそばらばらだったが預けた前後、あるアメリカ企業の金庫へどれも入って行ったデータが出た。架空の企業だろうが、確かに金は全てアメリカに渡る手続きが取られていた。赤松に悟られねえように極秘で調べていたもんで、赤松の野郎が把握していたかは不明だが。なにせ俺はアナログなもんで、アメリカの銀行までに調べはどうもつけられなかったんです……元から揣摩逗潰して葉斗に金入れる為とは赤松も思ってはいなかったらしく、俺に帳簿を後から渡すって話が最近出て、きっと奴もランに着いて高飛びするつもりだったんでしょう。他にいい金の入り見つけて組を蹴るつもりで」

五億揃う前にランは赤松を見切ったのだ。付いてこられては相当まずかったのだろう。

ランが、というよりはそのアメリカ者が赤松を必要としなく、シナリオを作ったようだ。


品川グループへの指名は、きっと海外事業を広める中の企業上での利害関係から損失を出してやろうという事だろうが、一企業からの五億となると中途半端な利益にも思える。それが丁度の引き際なのか、アメリカ者は企業を装った個人なのか、それとも続けて他企業からも取る事を考えての額なのか。

それでも、ある程度の信憑性を掴んでいなければどちらにしろ金を出すなんて、あのボンボン位しかいない。元からのランの単独の考えから来る逃亡金と、アメリカ人の常連に用意させた口座ともありうる。まさか、品川ヨウもランに誘惑されただけで親の会社から魂張って金を横領しようなんて馬鹿では無いだろう。

「企業の名前に調べは付けられたのか?まだあとの一億は入金されちゃいない。回線は生きているはずだ。真実ならな」

樫本の腕からは両腕を伸ばした時から徐々に赤い血が、ぽたぽたと、白いシャツを伝い流れていて、流れるそのぽたぽたという血に橘の意識は何故かおぼろげに釘付けになっていた。

ずっとパンツポケットに軽く入れられた手、肩にかけられたスーツ、相変わらず変わらないゆっくりした口調で聞き出す声と、今にも眠気が襲ってきそうな程のリズムと血の滴り落ちるリズムや情景が、自棄にシンクロしていて床のその部分からおぼろげに目が離せなくじっと見下ろしていた。

意識はどこかで繋がっていながらも催眠の様に。

怪我をしたらしいだとか、血が流れているとか、そういう意識では無い、『情景』が目から流れ込み脳みその上側を映像が浸していた。

それが何故こうも見つめてしまうのかを知ると、ぞっとしてしまうかもしれない事を脳がストップをかけているかのようだ。

何故か、樫本には何かの、普段では全く出さないナニカの雰囲気があるのだ。意識せずに、不気味ともとれるが流れる様に綺麗なナニカの『情景』と、それが見た者の心に流れ込み侵食して来る。麻痺させ、得体の知れない『情景』に立たされる。

その時、本人が何を思っているのかと問えば、別に『無心』なのだろう。

『無』が、混沌と調和され流れ出てつむがれて、感慨無く、宇宙の動きの一部の様にただそこに、居る。

それを前に、橘は生物らしさ、乾きだとか飢餓が襲いそれで必至に抵抗し、反発でもしようというのか、或いは本能赴くままに流れたいのか、自然界の中に投げ出されたかの様な心が血の情景とリンクしては、野性的な無意識の中に切に悪鬼の様に血肉を貪りたくなる欲に苛まれた。サバイバルと原色の美しい万物の中で。

嘘偽り、そんな物など存在しない、真実のみの自然界とサバイバルの世界がリンクして、その中で繰り広げられる命の争いへとたどり着いては、人間界の鬼のような残虐さなど、大自然の中では残虐などでは無い唯一つの流れる摂理。

冷静な飢餓感、生命へと繋ぐ獲物を捕らえる為の擬似的駆け引き、一種の脳内麻薬……。

「おい。どうした」

樫本は静かな底の無い闇色の目を覗かせ、様子のおかしい橘を見てから葦林と顔を見合わせた。その瞬間だ。

樫本は後退り背後のテーブルに背から突っ込んでガラスが割れた。樫本が首筋を咄嗟にガードした腕に激しく噛み付こうとした橘の足を葦林は撃ちつけ彼は跳ね返った様に樫本に腹を蹴り上げられ床に転がった。

「兄貴!」

樫本は怪訝な顔で立ち上がると、一度葦林に相槌を打ってから転がる橘の体を軽く蹴ったが、意識は無いようだ。

一瞬、獰猛な眼光になったかと思うと気でも違えたのかまるで虎にでもなったかの様な形相で食い掛かって来た。

「糞、捕食される所だったな。まるで野うさぎか何かの様に……」

「ええ」

樫本は腕を返して人力とも思えない力で噛まれた部分を見て毒づいた。

「……。う、ウサギってあんた……、」

葦林は白い目をして樫本を見て、稀に言う樫本のこの手の言葉にシカトしようと思ったが、「いや。むしろ弱者は強者には恐怖の内に歯向かう本能があるもんですよ」と言っておいた。

「ドラッグか」

「その様です。幻覚を見たんでしょう」

橘は咳き込み、葦林が肩を蹴り顔を上げさせると歯を食い縛って二人を睨み見上げた。目は正気を取り戻し瞳孔も戻っていた。

葦林は横面を蹴り散らし気絶させると樫本は首をしゃくった。頷き肩に担ぎ上げると葦林はでかい図体の橘を下の階の裏口から車に運んで行った。

樫本は助手席に乗り込み葦林が走ら屋敷に戻る。

四時。

今に闇が消えていく。

橘が掴んだアメリカ者の真実を探らなければならない。






★仕置★


檀城は樫本から連絡を受けた。帰って来るらしい。赤松は何も吐かないままだ。

ランの行方を引き続き追った桐神は、色彩鮮やかに明け始めた陽に、なかなかランを見つけられずにいた。

地下の赤松は口を開きもしない。一切だ。

檀城は壁にもたれ腕足を組み、どんなに舎弟が殴り蹴りしても利かない赤松を見据えていた。

そこへ舎弟が顔を覗かせ、樫本が来た事を伝え檀城は頷いた。樫本は入ると一先ず状況と、頭に話を通し銀行を探らせたことも言った。檀城は相槌を打つと赤松を首でしゃくった。

既に痛めつけている舎弟の方が汗だくで枯れて死にそうな程ゼーゼー言って灰色の顔をしていた。もう一発ぶん殴るが、鎖で十字に繋がれているのをぐるりと回転し戻って行くだけだ。樫本は首をやれやれ振って肩を掴み後ろへ引かせて赤松の前に出た。

「アメリカへ手引きするために、お前はランと鳥羽の航空券まで用意してやったんだろう。いや、厳密には三人分か」

「………、」

赤松は顔を上げ、片方潰れた剣呑とした淀んだ目で樫本を見た。

「使われるだけ使われて悲惨だったな」

「………、」

橘の野郎喋りやがったんだろう。

「どこと繋がってこれから行動するつもりだった?言えよ」

初めて意思表示して、うなだれたまま首を横に振った。

この反応を見て、相当赤松がランに棄てられショックを受けている事が分かると言った。

「今、桐神達が追跡してるぜ。きっと見つけるだろう。まあ、あの桐神の事だから生かして返すとも思わないがな。イサ姐の客から金奪い取ったからには、相当の覚悟はもう出来てるんだろう。客失い様な事やらかして、イサ姐の店の評判落ちたらお前」

「ランの野郎がそう……」

鈍い音を立て目玉が片方飛び出した。

「俺等はガキじゃねえんだよ。裏切り者に言われて従う仁義外れが見過ごされると思ったのか?」

赤松は朦朧として目が見えない感覚が鈍く身を浸食した。樫本はステンレス製の何かを取り出し、目玉を収めた。

「今手はず取って、四体分の死体始末する事が決まってる。お前も、身を捧げてまで俺達の日ごろの邪魔してくれなくてもいいんだぜ」

顎から手を離して重力でがっくり首はうなだれぐらぐら揺れた。

「ただ、お前が吐くのはアメリカ者の事だけでいい」

「し、知らねえ、」

「それだけでいいんだぜ。お前の言うべき事は。言えるはずだろう。容易いじゃねえか。ただ言っちまえばいいんだよ。なあ?」

赤松は顔を反らし、首をぶんぶん振った。

樫本は見下ろし、知らないらしいと感じた。

ランが目を掻い潜って銀行に行く筈も無い。そこからはもうランの単独で赤松は手引きしていなかったのかもしれないが、それなら赤松がランに着いていくには理由が無さ過ぎる。うまい事言って海外に助太刀する人間がいる事は知らせておいたのだろう。

わざわざランが回りくどいやりかたで金を用意させたくらいだ。足が付きにくい様にだ。バックに相当の人間が付いているとも考えうる。単なる逃走金ならば貸し金庫から直接赤松が銀行に手続きさせれば済むものを、それを毎回ランが受け取ってきっと自らが入れに行った。

データ上の事だけの分、ランがその後、何の関わりも無い人間に手引きし銀行に行かせたのかも知れないのだが。とにかく、顔を協力者赤松にさえ知られない様にしていた。

「いつまでも言わないつもりなら、仕方がねえなあ。お前は知らないんだよな。それならもう用は無えんだ。一応、最後の空気位は一時間程は残しておいてやる」

樫本は小瓶を出すと、それを背後の円卓の上の赤松の抜かれた歯とペンチの置かれた横に置いた。

「この個室なら蔓延するのは三十分後位の筈だ。呼吸器に入り始めて四十分で徐々に呼吸を奪うらしい。まあ、苦しんで死ぬことはまず無いって話だ。紫貴の持ってくる毒どれも事実かわからねえが」

一気に赤松の視線と意識がこわばる顔の中テーブル上の瓶に集中した。

あの馬鹿紫貴の持って来るものどれもこれも安楽だとかの一文字も掠めはしない事を十分わかっている。

「じょ、冗談やめ、」

樫本は両眉を挙げ赤松を見て、「そうか」と言い、小瓶を仕舞った。

樫本と檀城の背後のモルタル壁が徐々に上がって行き、眩しさにさっき外れて痛め弱った目をつぶって、ゆっくり目を細め開けた。

「……、」

ガラスの壁の向こう。鉄格子の先、十畳程のコンクリートに塗り固められた白いスペースに、獰猛に猛り狂う鰐が猛りを上げていた。尻尾をぶんぶん振り上げ太い首を振り乱して巨大な牙の口を開け剥けて、きっと幻覚作用を催す薬でも投与させてあるのだろう。

異常な程凶暴に暴れては激しく空中の有りもしない餌を掴もうとしていた。

紫貴が五年前にピーピー言う子ワニの頃からピーちゃんと名づけて鳥かごに入れ連れて来た物が化け物の様にでかくなったものだった。紫貴とイサ以外は当然「鰐」と名指すだけなのだが。

赤松は固唾も飲み込めずに樫本の顔を見て、この何処か箍が元から外れちまっている兄弟を見て、顔を白くした。

振り乱され猛り乱食される様を何も思わずに眉目元も変えずに最期まで見ている樫本だ。それが自分に降り掛かるなんて冗談じゃ無い。

「しばらく顔つき合わせて考えるんだな」

赤松の胴体に手渡された拘束ベルトを取り付け始めた。

「お前には、何かを守る操なんざ無いんだろう。だから心揺らぐんだよ。忠誠心は持っておいた方がいいぜ。お前には馬鹿らしいと思ってるんだろうがなあ、物見極めりゃあそれが第一に正しい事だ」

煙を避け目を細め、ベルトを嵌めて行き、赤松の鋭い充血し睨み見てくる目を見下ろしながら首を傾けた。

「話す気にはなったか」

「……手前の女子供殺されて守れなかったお前に言われたくねえんだよ」

「………」

樫本は痰を吐かれた頬を一瞬目を瞑り、手の甲で拭ってから赤松を見て、檀城は肩を強く引き止めたが、檀城もろとも赤松は強化ガラス壁に激突して突っ込んで行った。

檀城は悪態を付いて赤松を蹴り退かし顔を歪めた。樫本は赤松を見下ろし胸倉を掴みさっきの椅子に座らせ椅子の螺子が飛び崩れ、その後ろ手を掴み拘束すると鎖にフックを取り付けて滑車に繋ぐとガラスのドアを開けて背を蹴り入れた。

レバーを引き上げ、滑車が上がって行き赤松はじたばたし「樫本!!!貴様!!!」と怒鳴り目を血走らせ、ボタンが押され格子が下へ徐々に下がって行くのを、赤松は息を呑み鰐を注視して、表情を凍らせた。

「お、おい、冗談よせよ樫本、な、なあお前、お前こりゃあちょっとやりすぎだろ、た、檀城の兄貴、ど、そ、そいつ説得してやって下さいよ、」

檀城はガラス壁に寄りかかり背を向けて、興味もなさそうに組んだ腕の手を伸ばし煙を吐き出し聞いていなかった。

「お、おい檀城!!たす、たすけろっつってんだろうが!!!」「元気だけはいい奴だな」

そう背をやれやれ浮かせて紫煙を見上げ、樫本は操作キーをロックして鍵を抜いてからドアから出て行った。檀城も部下にその場を張らせて出て行った。

嬌声がいきなり地上から響き、余りのトチ狂った風に樫本と檀城は走った。

一人の派手な女の子が屋敷庭園でキャーキャー騒ぎ、普段組員誰もが知らない動物達を樹木や岩陰からかき集めていた。

一体何者だ。

それを頭は着流しの裾に両手を組み入れ縁側に立ち、呆れた様に見ていた。

外は既に6時を回っていた。

檀城と樫本は眉を潜めながらこの朝方から近所迷惑も考えずに紫貴の様に騒いでいる女を見て頭の横に来てから声を潜めた。

「赤松の野郎、なかなか吐きません」

「そうか。今、コンピュータの情報を調べさせている所だが、金の流れはまだ解析中らしい。銀行のマザーコンピューを始動させる時間までには充分終わらせるだろう」

二人は数度相槌を打ってから160とチビだがグラマラスな体系と革ビスチェに赤と紫のミニフリルから覗く網タイツの足の少女を見た。

きっとロリータセクシー好きの猫田や幹本が見れば大喜びする系統だろう。骸骨とピストルのタトゥーが彫られたTバックのケツに引っかき傷がエロかった。彼女は池の水をばしゃばしゃやって眩しい朝日を浴びて、満面に笑い声を上げていた。二十は嵌る耳のアンティーク十字架に銀の光が乱舞した。しばらく見ていたのを聞いた。

「この小娘は」

「さあ、紫貴の連れ帰った子だ。遊飴ゆいというそうだ」

「へえ……」

樫本は肩をすくめてその弟の姿を探した。水牛に潰されていた……。

「おい紫貴。今日行って来い」

病院の事だ。いい加減馬鹿をするからガタが来ている。

少女は15センチヒールを振り向かせて樫本の方を見ると、一気に彼を気に入って紫貴に紹介させようとしていたが、紫貴は例によってそんな場合では無かった。

「え?だんだって?」

「だーかーら、彼。秘書秘書」

「秘所?」

「エロ!!」

遊飴は紫貴を放っておいて、樫本は小悪魔な派手顔の遊飴に熱いウインクでモーションを掛けられ、樫本は瞬きして正直可愛らしい顔の彼女に傾きそうになったのを頭と檀城を見てから遊飴を無視して歩いて行った。

檀城が背後で可笑しそうに短く苦笑したのが癪に障ったのだが。

樫本の所に舎弟が来て、結局歌舞伎町での発砲者は見つからなかったと言う。樫本は頷き歩いていく。

一度、ハッカーのいる部屋の障子を開けた。四畳半の中は所狭しと機材が置かれ、その背に呼びかけた。

「ああ、英一くん」

浅黒い顔を向けてはつらつと言った。

「探れそうか」

「ええ。それがね、事実よ。『オジェーエンタープライズ』っていう企業、資産家仲間から名前は聞く?」

「いいや。実在は?」

「しないようね。それでね、一度引き落とされているのよ。政府便で郵送されて、五日前に。NYのアーゲ記念銀行でね。そこで元々名義で口座を作っているの。会社の住所、確かに元はあったとは思うけど、一時的な物で撤退したんでしょうね。足が付くから」

樫本は頷き、レモン汁入りの青汁を女の横に置いた。

「いつも有り難う」

そう彼女は嬉しそうにそう微笑み、樫本も微笑み画面を見た。

「何の系列の会社として口座を作ったのか、銀行は調べを進めた筈だ。探っておいてほしい」

「OK。引き続きの事も任せて」

樫本は台所へ向かって、既に零姐が女中達と共に男達の朝食造りに立ち回っていた。

「零姐、お早うございます」

「ああ、おはよう樫本」

女中達は笑顔で頭を下げ挨拶をして忙しく立ち回った。零は樫本の所まで来ると「ご苦労様」と言い温かい茶碗を渡して声を潜めた。

「どうだいあっちの方は」

「ええ。あと一息でしょう。だが、ランはなかなか」

「そうかい。全く、焼き入れてやりたいもんだよ。一度支度済ませたらあたしはイサ姐の所に行くからね。あんたも一緒に、そうだね。11時位に向かうよ」

「はい。分かりました」

「それまでには一動き出来るだろうし、小一時間ばかり今の内に睡眠取っておきな」

「ええ。ありがとうございます」

零は微笑み、樫本の腕をぽんぽん軽く叩いてから戻って行った。

樫本は茶を傾けてから女中に預け出て行った。

廊下を渡り、自分に与えられた六畳間に来て寝ようとしたが、いきなりの襲撃に合い刀を抜いた。

「………、」

だがそれはあの紫貴の連れの女だった。彼女はかんかんに怒りながらもにっこり微笑んで樫本の横に座り、前を合わせていない丹前から覗く素肌に抱きつこうとしたのを部屋から追い出した。

「もう!!ねえってば〜!!相手くらいしてよ〜!」

また勝手に入って来て既に眠る樫本をドシドシ叩いて、まるでアタルがいつもの様に高い位置のドアを手伝いのトメに開けてもらい、ちょこちょこと走り入って来てはベッドにあがりこみ「あーい!あーい!」と叩き起こして来るかの様だった。

いつも七時になるまで絶対に起きずに眠りを貪ってはアタルはパパが起きないからぴーぴー泣いていた。

「………」

樫本は起き上がって、彼女の黒のエレガントなロングパーマの垂れ下がる背を、頭を、抱え優しく抱き寄せていた。

駄目だ。

忘れられなかった。

いくらもう遅いと分かっていても、結局は大事にし損ねてしまった結果と、これから大事に鈴と共に育てて行き続ける筈だった全てだ。

「………。?」

遊飴はきょとんとしてから、嬉しくてニコニコして彼の広い背を抱き返し、視線を上げた。

真っ黒い目が合って一瞬を置き互いが自然に目を閉じ顔を傾けたのもつかの間、いきなり叫び声と共に紫貴の馬鹿に樫本が蹴られて遊飴は額を打った。

樫本は背を押さえて紫貴を睨み、状況に気づいて罰が悪そうに弟から向き直った。これじゃあ誤解されるが、下手に言えば紫貴の爆走は激烈化して行くだけだ。時計を確認してさっさと眠りに入った。

遊飴はキャアキャア怒鳴り騒いで同じくギャーギャー怒鳴る紫貴に連れて行かれた。

障子が閉められ、騒ぎが遠のいていき障子枠と木々の陰が差す中を目を開き、高く笑う声がバイク音を引きつれ遠のいて行った。

容易に重ねたりなどして、間違っていた。自分が寂しくなるだけだ。

『自分の女子供守れなかった野郎に言われたくねえんだよ』

一番身近な者を守れなかったのは事実だ。

それでも、これからも守り続けなければならない。

手の中に残る者達だけじゃ無い。

これからも増える事は分かっている。






★朝明★


桐神は結局見つからなかったランの事を報告した。

一度東京に帰って来るよう言われた。シートに沈んで桐神は切って舎弟が空を間延びし見上げた。

「今頃、飛行機で眠ってますかね」

「ああ。悠長な野郎共だぜ」

「赤松の野郎、どうなったんすかね」

「しらねえよ」

これじゃあ見つけられなかった手前樫本に打ん殴られると思いながらも桐神は首を振ってドライブインで下っ端の舎弟が買ってきたブラックコーヒーを濁流の様に流し込んだ。

この男はたこ焼きやらイカ焼きやら買ってきやがって弁当と呼べる物は一切無く車内に匂いが満ちて来たから窓を開けた。


その頃だった。

竹やぶを歩いていた山男が、竹子の籠のその重さで背後に尻を着き、カマを土の上に落とした。

桐神はパーキングエリアのアスファルトの地面を踏み鳴らし、ベンツを発進させた。

山男は道路の軽トラまで駆け寄り乗り込むと、電話線のある村まで急いで降りて行った。

桐神は若鶏のから揚げまで食い始めた助手席の下っ端の横顔を呆れ見ながら進められるのを「いらねえ」と言い進めさせて行った。下っ端は肩をすくめてなんと十個も完食させた。


樫本は桐神からの連絡に溜息を付き、今から頭の所へ一度赴いてから報告しイサ姐の病室へ向かう。品川ヨウの方へは葉斗の人間の樫本達は今のところは行けない。病院へ行く事を伝える為に頭の離れへ歩いて行った。

背後から女ハッカーが来たのを顔を上げた。

「駄目だわ。探れなかった。オジェーエンタープライズが何の会社として名義をつけたのかなら分かると思ったのに。後を追って残り二億の動向を待つしかないわ。日本で探ってる事あちらが気づかなければいいんだけど」

「そうか。俺達もランを取り逃がした事を今から報告に行く」

橘は目覚めないままだし問題の赤松は騒ぎ疲れてげっそりしていた。待ちに待たされている鰐は赤松を幻覚の様に睨み見上げている。

樫本は行く手の背の低い男の背を見た。ちらりと見えるかしらの巨大プライベート盆栽の明るい中庭前に、佇んでいる。

ここからは見えない障子の中をうかがっている様だ。

「おい」

男は振り仰ぎ、その顔に樫本は見覚えがあった。七年前のムエタイアジアチャンピオンだ。

「ああ、文大吉」

格闘技大好きな樫本は文を見て目を見開いて、とにかく見回した。

よく同じく格闘技好きの部下や紫貴も引き連れて毎回K−1やキックボクシング、総合格闘、ムエタイなどの総合世界大会リングのタイトルマッチを観に行った。

リングでは気迫もあり大きく映るものだがやはりチビだ。引退したのは一年前の事で、やはり年齢的な物から来る試合中での衰えだった。

「あんた、何をやってる?葉斗屋敷のボディーガードか?」

確かインタビューではその後の抱負を、タイの本場へ移り住むだとか、師範を続けるだとか、修行の旅に出ると言っていた。

緑の濃い裏の障子が開き、零姐が顔を出して樫本を見てにっこりした。

「ああ。起きたのね。一度挨拶するかい?」

「ええ」

文をもう一度見てから樫本は女ハッカーと共に歩いて行った。

零の横に来ると、零は言った。

「彼に病院まで送ってもらうから」

「何故文大吉がここに。俺はさっきから興奮のしっぱなしだ」

「ははは、そうかあんた格闘技好きだったねえ。実はね」

そう耳に囁いた。

「彼氏なんだ」

「………」

樫本は瞬きして横の零の綺麗な顔を見て、あの文を見た。

「にあわねえ……」

そう率直に言い、零に腹を肘打ちされて樫本は肩をすくめおどけた。

文は遠くからどうもお似合いの二人、丁度同年代か男の方が若いだろう、美男美女を見ていた。零は樫本の肩を笑い軽く叩いてから回廊を歩いて行った。

樫本は頭を下げていたのを上げてから、二人の仲良い背が消えて行ったのを意外そうに見ていた。

向き直り声を掛けた。

「入りなさい」

多少、いつもと違いどこか極々微妙な溜息交じりの声に聞こえた。常に落ち付き払い朝昼晩関係なく快活な声なのだが。きっと、例の文大吉の事で零姐が将来を考えている風を説得しに来たのだろう。まず始めに今から病室までの送り向かいをさせるからと。

どうやら賛成はしていない様だ。

樫本は障子を開けて入り、膝を着いた。女も座る。

「ランを取り逃がしました。それと、アメリカ者の正体もいまいち掴めない」

こうやって一度逃がした物は捕らえ辛い。

「姉貴の客から金を奪おうって程だ。姉貴への怨恨かもしれないな」

「ランの裏の人間が」

「ああ。その方向でも調べをつけてみてくれ」

「はい」


「ああ。悔しいけどな」

「守りきれなかった道場も、時代の中どうしても捨て切れないってもんだよ」

「時代が流れていっちまうのは実に寂しいね。それでね、あたしも樫本に道場の一つは建ててやったって良かったんだが、どうもこの世界にいついたら気に入っちまって止められない質だ。でもね、血の通った男ってのはあたしは分かってるよ」

樫本は可笑しそうに笑い、低く笑った。

「いや、本当さ。父さんは平等に扱う質だが、あんたの事を信頼しているし紫貴の事も息子の様に思って可愛がってるんだ」

「俺は……、直にあいつを降ろさせたい」

樫本の横顔を見て、零はしばらくしてから視線を落とした。五年前に引き続き一年前も樫本は親族をやられている。紫貴ももしあの時殺されてでもいたらと思うと、零は心なしかぞっとした。樫本は凶暴だ。抑えているだけで。

「いずれ、あの子がもう少し年齢も落ち着けば自分で方向性を決めるよ。もうあの子だって大人だ。あの頃の、十八とは違う」

樫本は窓の外を睨んで、閉じた下唇に指を当ててしばらく黙った。

「いくら成長しようが、何も言わせない。あいつはたった一人の俺の弟だ。背負わせたくねえとずっと思ってた。嫌がるなら樫本から追い出してでも日本にいさせない」

いくら心配しようが紫貴のあの質は治らないとは分かっていた。

「きっと、あの子も守るべき物見つかれば身も落ち着かせるよ」

樫本は相槌を撃打ち、その噂の紫貴が葉斗の車を見つけて信号を渡って来た。しかもバイクでお行儀良くだ。

覗き込んできて、バイクから身を乗り出しすっげえ顔態勢でスモークの貼られたフロントガラスに頬額をびったりくっつけて見えずらい運転手の顔を見た。

文は顔を引きつらせてどこかのイカレた小僧から顔を振り向かせ、樫本は目をぐるんとまわして、構わないから行け、と手を掲げた。文は肩をすくめて一度バックしてから走り出した。

「だなやらああああああああ!!!!!!!!!」

うっすら知らないおっさんが乗っていた葉斗の車両は走り去って行った。それがムエタイチャンピオン文大吉だとは気づかなかった。零は可笑しそうにくすくす笑った。

「あんた、うちの若い衆等にムエタイの心得でも教えてやってよ。今の若いもんはチャカに頼り過ぎる」「武術ってのは守りから入って、己を見据えて人生も凌駕して精神も学び高められるもんだからな。身を持ってでなけりゃ、忘れちまう世の中は悪と誘惑に満ちてるってもんだ」

そう文は言い、樫本は確かにそうだ」と言った。

檀城が一時の通常業務で朝の事務所周りに向かうが昼までには終わらせたい。樫本から見てもやはり、揣摩逗の連中は檀城側の動きや車両をねめつけ、今起きている山を知りたがっている風がうかがえる。

これは一度説明に向かう必要があった。今の期間相手のしまで勝手やらかした身内事に、赤松を引き渡すわけにもいかない。

揣摩逗側の動向を目で追いながら進んで行き、樫本は文に言った。

「一つの事、やり遂げたあんただ。動き続けている中途の奴等に言うべき事は多い。俺等にもまだどうしてもわからない様な世界や考えの方向性で示してやれる事も多いと思うぜ。俺はあんたの事をリングの上でずっと見てきて、一本に掛ける意気が好きだ。そんなあんたに惚れた零姐との事も応援してるぜ」

きっと、頭もああは言って態度を硬くしているが、心の中では正直喜んではいる筈だ。ただ、父親としても認められない気持ちは確かにあるのだろう。女としての娘のようやくの幸せを喜ばしくも思いたくても、実際は世界もある。気持ちは踏めてもなあなあで済ませられる事では無い。

樫本は車内電話が鳴ったのを見下ろし、受話器を取った。

「………」

耳を疑って眉を潜め、横の零の顔を見た。

イサ姐が、病室から消えているというのだ……。

同時に、零の所に屋敷からの連絡がはいる。即刻帰って欲しいと。

「今すぐ向かうわ。屋敷に戻って、今すぐ!」

文は頷き急遽方向転換して葉斗屋敷へ黒の車体を疾走させた。





★狂気★


イサが凄い形相で怒鳴り叫んでいるというのだ。

尋常でない様でだ。

樫本達は屋敷から出てまだそこまで走ってはいない。しばらくすると到着し、走って行く。

「さっさとあの外道を出しな!!あの野郎とっ捕まえたんだろう!!」「ま、まだランの野郎は見つかってねえんです姐御、どうか気を鎮めてくやさい、」「うるさいよ!!!」

がたいの良い猫田は払われぶっ飛んで行き他の体力ある撫木や欅山田けやきやまだ達も同様、樫本は駆けつけ、クリーム色の髪を振り乱し鋭い目で辺りをザッザッと見回している.

イサは、正気の時の目では無かった。

「イサ姐、気を鎮め、」

彼の横に栃原とちはらが飛んできて「うお、」と言い避け、頭が彼女の暴れ馬の姿を見て額を押さえた。

喧嘩では少年時代から兄に敵った試しなど無い。若い衆に冷静に出来ずにこれはキツい。

茶と黄の縦縞サムイ着物の初老美人を慌てて取り押さえようとした小さい文まで庭園までぶん投げられて池ポチャした。

「ランと鳥羽の小僧とあの裏切り者の赤松をさっさと出しな!あの腐れ外道共ぶっ殺してやる!!」

そう弾丸の様な声で怒鳴り床の間の日本刀を手にザンッと抜き「うおおっ」と誰もが後退り彼女は口に入る髪で鬼女の成りをし廊下に出て大股で進んで行ってしまった。

樫本は追いかけ後方に手を掲げ走り追いかける。

「イサ姐、本気ですまない。ランの野郎は逃げたままで屋敷にはいな」

ギンッとイサは振り返り、樫本は口元を引きつらせて多少後退り、イサはまた切る様に身を返し足袋の足を進めさせて行った。

これは全く言葉が耳に入っていない。怒りで感情が真っ赤に熱くなって聴覚などに意識は向かわずに既にぼやけて視野だけで理性がぶっとんでいるぞ。

地下へ彼女は降りて行き周辺で張っていた舎弟達は飛び驚いいてイサはアイアンドアを蹴り開け進み、巨大肉食鰐がいるガラス方向を見るとその分厚いガラスを切り付け蹴りどしんとでかい音を立たせ、その事にピーちゃんは驚きざざざざっと壁際へ逃げて行った。

赤松は真っ青になり叫んだ。

樫本は駆けつけ、しまった、と思った。あれじゃあ確実に殺される。

イサは鎖を断ち切り赤松が床に落ちたのを、その首を跳ね飛ばした。

「おう、」

他ようやく到着し駆けつけた桐神達は凄い様を見た。

首は壁にごつっと跳ね上がりイサはその残された胴体の襟を掴みコンクリート床にがんがんやって今や無い赤松の顔の場所に怒鳴り叫んでいるのだ。

「うちの店の客に手出ししやがってこの恩知らずの糞ッ垂れ小僧が!!ランの野郎を何処に逃がした!!ええ?!」

「イサ姐どうか落ち着いて」

桐神が駆けつけ彼女の肩を引きどつかれそうになったのを逆方向の細い肩を引き脇を持ち上げ立たせた。

「落ち着くんだ。もう奴はこの世にいない。見て下さい」

彼女の両腕を持って顔を覗きこみそう言い、イサは瞬きして振り乱した髪の間から見える顔は険しさを徐々に失わせて行き、長い髪をかき上げ辺りを見回して、桐神が示した足元の赤松の死体を見下ろした。

「死んでいる。今じゃあ赤松の野郎の死体かは分からねえかもしれねえが、問いかけて答えられる状態じゃあねえ」

イサは派手に血まみれの辺りを見回してから、何度かこくこくと頷き、多少白い顔でようやく正気を取り戻し落ち着いた様だった。

彼女をフロアに上がって来させて椅子に落ち着かせると彼女が俯いたその前に片膝を着いて腕を摩る桐神は、樫本を振り返った。彼は頷いて顔を押さえるイサの所に来た。

「お体の方は」

「……、ああ、大丈夫だ。異常な程」

イサは顔を上げて肩を上げた。

「調子が良い」

「それは良かった」

イサは差し出されたハンカチで顔の汗を拭いてから言った。

「悪かったね。何やら、やっちまったらしい」

「いいんです。アレは既に何も搾り出す事は無かった」

彼女の両肩を持って言った。

「病院に戻りましょう」

イサは何度か頷いてゆっくり立ち上がると支えられ歩いて行った。

「このまま、精神病院にでも突っ込んでくれてもいいんだ」

「いえ。今は乱心しているだけです。事が事だったんですよ」

樫本はそう落ち着かせながら一度桐神に視線で礼をしてから歩いていかせた。

女は下れない地下の開口部で零が待ちわびていて、真っ赤な血の滴る彼女の背を促して宥めながら歩いて行った。

鰐はのそのそ歩いてきて、赤松の首を拾って円卓に置いた舎弟の背後でバウバウと死体を食べ始めてる音が響いた。

普段から優しく粋な母さん的存在のイサ姐を怒らせない方がいいという噂の意味が分からなかった若い舎弟達は、確かに愚かな赤松の様には裏切り行為など起こさない方が身のためだと思った。






★発見★


病院から帰って来て昼の報道を見ていた紫貴は、思い切りミネラルウォーターを兄英一の顔面に噴出させ、一瞬を置きその頭を思い切り叩かれた。

「あ、兄貴テレビ!!」

「ったく、この馬鹿野郎が……、」

水浸しの新聞を畳み顔を布巾で拭いながらテーブルに放って報道を見た。

『男女共に死亡していた状況がただ今、ブルーシートの先でしょうか、警察側に調べられている様です。情報によりますと男性の身元は鳥羽弘さん26歳という事です。その後の調べで……』

「………」

畜生。

顔を険しく見合わせ、席を立ち走って行った。他の場所でもさわめき始め、樫本の所に上杉が来た。

「鳥羽の野郎の死体が見つかったようです。それに、女の方は身長聞いた所ランとみて間違いねえ」

「ああ」

頷き、頭は樫本を呼んだ。

「身元確認のために誰かを向かわせる」

「はい」

樫本は走って行った。

アメリカ者が始末したとは考えずらい。奴が消えては奪われた金の行方を探れなくなった。引き出された後では遅い。銀行の監視カメラをハックさせても探れていないのだ。ニュースで出てしまった分、普通よりもこの事が相手側に知られやすくなった。

桐神はラン達を取り押さえられなかった事に悪態を付き樫本の所に来た。

「俺が行って来る」

「ああ。頼んだ」

桐神は走って行った。

イサはそれをラジオで聞いていて、零は彼女の背を撫でなだめた。

思った以上にイサはまだ落ち着いている。さっき爆発して気が呆けている部分もあって、おぼろげな声で息をついた。

「それにしたって、群馬県って、またなんでこんな遠くで死体で上がったんだろうねえ……」

「分からない……」

イサはうなだれて顔を抑えた。零は彼女の肩に羽織を掛け温め、お茶を渡して背を撫でた。イサは肩越しに振り向き口端を上げありがとうと言い、気を落ち着かせた。



夜闇が摩天楼を一身に受け止めていた。光の瞬きから、常夜の居つく光まで……

「………」

まだ$100万しか手元に入っていない。20万は其々ランと赤松に分けられた。他1億6千万円が銀行に宙浮き状態、1億が日本のランの手持ちのままで、まだ入金したデータが送られて来ないままだ。

男は牛革のハイバックに沈み、コンピュータを見下ろし唸った。

状況を詳しくリアルタイムで自らが探らなければ、この国境の差は事実大きい。

書斎机上の通信機が鳴り、部下から連絡が入った。

「ボス。事件が起きました」

彼は渋い顔をした。

「これ以上悪い方向へ行くのか」

「ランが消えた。連れの男もです」

「何?金はどうなっているんだ」

「分からない。きっと、感づかれたんでしょう。葉斗に取られたかもしれない」

「糞!!」

男は手にしていた万年筆をテーブルに放ってアームを叩いた。

ランの役立たずが。

「分かった。もういい」

男は通信を切り、次の策を持ち込む事にした。

幾らでも考えている手はある。


陽を浴びて目を眩ました。

今は眩しい一方向からの光では無い。全体的な、もっと明るい光の満ちる時間帯。

「イサ姐、大丈夫?」

一絽は彼女の顔を覗きこみ、零の顔を見上げてまたイサの顔を見た。

ああ、大丈夫よ。

その言葉が出なくて俯いたのを顔を上げた。

「横になった方が楽だわ。お医者様に自宅療養の申告が出来ると思うの。主治医の先生もいるし、条件も認められると思うわ」

「ありがとう」

イサは力なく微笑み立ち上がり歩いて行った。

その彼女の携帯に連絡が入った。

珍しい名前だ。

名取銀。

今は昼飯の時間か。

「おはようございます」

「ああ。おはよう」

「実は、先ほど……」

彼は声を潜めて辺りを伺っている様だ。

「社内テレビで伺って驚いた。鳥羽の奴が死体で発見されたって報道はご存知で?」

「そうだね……」

「連れの女はランだという調べはあるんですか」

「まだ分からないんだ。今、うちのもんを行かせている」

名取は頷き、彼らしく苛立った溜息を付いた。

「俺が調べましょうか。アメリカ支社の人間に話を通せる」

「なんであんた、その事」

「俺を誰だと思って?葉斗の情報は流れて来ます」

女ハッカーは名取の紹介で来た女だ。

「下手な横槍だけは駄目。いいね。心配してくれているのは本当に充分分かっているよ」

「オジェーは耳に入れた事がある」

「本当かい?」

聞き返してしまったからイサは口を閉ざした。

「NYのコンピュータ機器取扱店です。親戚の本社の関係が一部取り扱っていた。だが、六年前の記録だから今はもう埋もれたも同然です。それを遣っただけだと思う。オジェーの取締役社長は既にこの世にはいないので」

名取は様々な面で手引きしてくれる。火災原因を最近のコンピュータ機器を使い徹底的に洗ってくれたのも彼らの親族だ。

原因は石材壁の裏のシート電子断熱機の機能を狂わせ極度の高温にまで設定し、石材床下の温熱水全てをガソリンに変え水圧ポンプを上げさせた。石材で密閉された壁構造内部は極限を越え一気に激しい火災へと至った。エレベータや出口の電子機能も全て狂わせ、石材で高熱に温められた鉄板の様な上で人々は苦しみ、最後には石材の中で生じた摩擦は炎が姿を現したと共に一気に上階まで全てを残らず焼き尽くした。

その電子プログラムを組んだ人間には思い当たらなかった。

なんらかの組織が絡んでいるとも考えられるのだが。

名取は腕時計を見てから「申し訳ない」と切り出した。始業の時間だ。

「オジェーがコンピュータ会社だという事を分かっておいていただきたい。在庫が倉庫に残っていたものを遣ったのだとすれば、犯人はそれを使って足が付き難い機器でプログラミング出来る筈だ」

「そうかい。忙しい時にありがとうね」

「いえ。他人事では無いですから」

あの火災には本気で彼も激怒しているのだから。

「仕事、頑張ってね」

「はい。イサさんも。それでは」

彼は電話を切って、イサは広い『涼』の中庭から空を見上げた。

もしも相手側がこちらに気づき動きを止めればそのまま二億は返されて、三億揃って返せる。一億くらいこちらで出せる。会長は今回の事もまじえて相当ご立腹だ。

火災に関わるランの裏切り、そして品川ヨウをたぶらかした事……

「?」

イサは自分の書斎へ走って行き、鍵を差込扉を開けて入ると、そこだけ洋間の中を進んで金庫を開けて入って行き本棚のアルファベットのSを指でなぞった。帳簿を引き抜く。

様々な顧客データだ。ぱらぱらめくり、そのページの箇所を見下ろした。

何故、ランはハルエの常連だった会長、品川綸旨しながわりんじの会社を選び孫から金を取ったのかが分からなかったのだ。直接の因果関係も無ければ、他にも海外やアメリカに手を伸ばしている多角化企業の客も多くごろついていた中での狙われた品川グループだ。

なんて馬鹿だったのかしら。イサは「あんもう!!」と壁を叩いて金庫から出た。

品川は海外の大手企業に頼まれて組む電子プログラムの分野を五年前に発足したんじゃない!!

だから利用されたんだわ。彼は。孫の頭ははっきり言えば名だけ早稲田の実際には二流の出来。ランに惚れて金を用意しなければと必死になる以外で動くほどの頭は無いわ。それに、電子プログラムなんてそれこそ無理。

金を、騙された振りをして自分から出してアメリカ者の言葉に共謀してオジェーの倉庫から古い機器を引っ張り出して火災を起こさせて、でも、そんな事は品川から言わせれば『ゼブラナ』を潰す目的以外に大した利害は無い。自分の手元に金が戻ってきても。

確かに四億程度の金の入り、統計的に小さいものだがここまで動くほどの理由は品川には無いのだ。

ランがゲーム感覚で話を持ちかけあの会長を耄碌させた?幾らでもアメリカに一度金が回れば黒幕は良い様に品川から姿を消せる。だから品川に使わせたのも身内にも調べても足の既に付けられない機器。でも、利用されるだけされるには協力するには考えが浅すぎる。何かの大きな保険を掛けておいた筈だ。

でも、それらをあの会長が……?考えずらい。

異常な程のお怒り様だったとジョージは言っていた。会長の息子、品川啓二けいじだ。彼はゼブラナには来ない様な水商売とギャンブル嫌いの厳格な堅物男。彼が豪遊好きの会長の女遊びやカジノへの金の使い込みをこれ以上はストップさせる為に?そこまでする?

でも、言ったというのだ。四億もの金が動いて、会長が感づくに決まっているだろう事で、

『バレるに決まっているだろう』って、普通言わない言葉だろう。

下手な方法を取った自分の役立たずな崩落息子に罪を着せようとする?

あの質だ。父親は豪快で息子はマイペース。混沌とその間に挟まれて元から神経質な質の男が徐々に遊びを許さないストレスを溜めていたなら、会社での次期の籍や確固とした地位も考え、とっとと父親を失脚させ自分色の企業に変えたがる野心家にもなりうる。

どうせ、会長の金がゲームで出て行こうが自分にはびた一文の損失も無ければむしろあの火災に紛れて会長があらぬ事になりでもしたらそれこそ企業は自分の手に出来る。だが、そんな事はあと五年も待てば自然に会長は自ら座を降り息子に実権を渡すだろう年齢だ。急ぐ事など無い。

もしも、あの真面目一徹男がランのあの悪魔の魅力と囁きに強烈に囚われたというのならばそれはもうとことんどこまでも渦巻くほどに揺らぐかもしれないのだが。

車を観に行き会長に頼み息子に銀行周りのお使いと逃走駄賃のためにレースでの最高のエンジンを誇った車種を与え息子を狂喜させておいて誘導し、自分はアメリカ者と高みの見物でランという手駒を動かす事。

四億は、会長殺しの引き金金、棄てられる額という事。我慢も限界に来て?スマートでは無い荒い方法を取って泡を食わせて二人に日ごろのうっぷんを思い知らせようと?わざと不器用な手を使い自分の存在を隠そうと。

単なる憶測に違いない。

イサは目を閉じ、足元に紫貴の猫が擦り寄ったのを頬を緩ませて抱き上げた。

ツチノコの白昼夢を一瞬中庭の岩陰に見て、イサは口を引きつらせて歩いて行った。

「ミャン」

「そうかいそうかい。あんたは可愛いねえ。ご飯かい。ツチノコなんか、見つけても食べたらいけないよ」

「ミャオン」

弟の離れまで歩いて行き、回廊を通って障子を「失礼するよ」よ開けた。

「ああ、姉貴。落ち着いたようだな」

「ええ。朝っぱらから悪かったね。もう大丈夫だ」

「それは良かった」

「今、いいかい」

「ああ」

豪は筆を置き膝を向けて、イサは坐った。

「実はね、調べたい事があるんだ」

「姉貴が。一体何を」

「葉斗の人間使うのは怪しまれると思うから、堅気の人間に探らせたい」

「姉貴。今回の事はどっぷり浸かっているんだ」

「それだけとも思えないのさ。遣うなら、あの文大吉をね」

「………」

豪は苦い顔をして、イサはそれを見てから言った。

「認めてやってもいいと思うけどねえ。あたしだって時間を見て、零に話をしてあの子を近々うちの子達に紹介してやろうってつもりでいる。ボディーガードと送迎としてね。それに、今考えている事と言ったら彼をジョージの後任に仕立て上げてそのまま店内で客を覚えさせてボディーガードにする事だ。経歴は分かっているだろう。ムエタイでいい功績を持っている」

確かにそれは分かっていた。だが、極道に関わらせる事で、折角の彼の第二の人生を世間の声も冷たいものだ。

武道家崩れなどといった万一の経歴に傷物など作らせるなど忍びないではないか。それに、この世界に堅気を引き込む事は一方的にはこちらからはしたくは無い。確かにゼブラナは極道は無関係の堅気同士の商売でもあるし、葉斗の親族が経営している事は知られてはいないのだが。

それに、何も文大吉を毛嫌いするわけでも無い。文にも彼なりの道を敷いて立派にやってきた男気がしっかりあるのだから。それでもその道が違う。第一、やはり、結婚を前提とした付き合いを許したくないのは父親としての心境からだった。

「あの小男に探れる様な事なのか」

今、確かに檀城の言うとおり、分裂の起きる中での中立てをするどちら着かず野連絡経路に入る中間人物は必要でもある。一瞬豪自身も、彼をとも考えたが正直処々の理由で渋る事だった。

「まだ分からない。実はね、」

イサはそう、涼眉を上げ背を伸ばして目元を落ち着かせた。

「品川啓二という実業家についてね」

「品川綸旨の息子か」

「そう」

顔も肩書きも知っている。イサの所の豪勢なパーティー主催や豪遊好きの客の息子としても有名だった。豪自身が見舞いで顔を出すわけには行かなかった品川ヨウの病室前も一度通った時に彼の神経質な怒鳴り声が響いていた。

「ランやアメリカ者に加担しているのが被害者自身だと?」

「そう。確信は無いが調べなけりゃ分からないままなんだよ。どうあっても客とのあからさまなわだかまりは避けたい」

「うまく調べられる手はずは取れるのか」

イサは口端を上げた。

「どうにかね」

そう言うと障子を開け出て行き、盆栽と言い張っている松の急激に湾曲を美しく描く太い幹の上で猫がごろごろしているのをイサは呼んだ。

猫は一泣きして白の玉石に降り立つと縁側に上がってイサの足に擦り寄った。抱き上げて頭を撫でながら歩いて行った。






★探偵★


たまにリスが廊下を駆け抜けているから組員達が踏みそうになるのをリスは器用に避けながら走って行った。

夜のもなれば、賭博の時など駆け回りまくるから大いに邪魔をして行き、零姐が半か丁で開けた瞬間狙いをすまして突進してはリスはどんぐりと間違え食おうとして持ち逃げして行く。きっと紫貴の馬鹿がそう仕込んでいるのだと分かっていた。それを毎回、欅山田が横の『激』の中庭までぽーいとぶん投げていた。

紫貴は週に一度、動物達に取り付けている盗聴器と発信機を回収するために集めていたのだが、猫だけが縁側の下をいくら見ても見当たらなかったものを、彼はイサ姐のいつもの優しい声にうっとりしていた。

葉斗親族、檀城や樫本といった上層幹部以外、紫貴達は滅多に離れには近づく事も出来ない為に紫貴はその周辺をうろちょろすると弾丸が飛んでくる前にイサが離れた所を見計らって走って行った。

「イサ姐こんにちわでやんす」

「あらあら坊や。ほらあんたの猫をとっ捕まえておいてやったよ」

「サンキューです」

そうアハハと笑い猫を受け取り、イサは紫貴に耳打ちした。

「実はね、機械をつけたまま忍び込ませられやしないかね」

「ええ、猫ちゃま達を?こんなにかわゆい猫ちゃま達を?」

「そうよねえ……それは危険ってものよねえ」

何か頼みたいのだろう。自分に。

「今、何かようやく動いて?」

「樫本から聞いた赤松の言葉が気になってね。それで掟破ってまであの橘が金持ちに手を出したんだろうし」

「俺が調べましょうか?英一兄貴今手回らないし。でも、一人じゃちょっとな」

「他に一人いるから」

紫貴はここの組員以外には葉斗組幹部だとは知られていない隠し種だ。だから仕事が裏で手を回しやりやすいし樫本と直接繋がる為に様々を任されていた。兄弟仲ももちろん世間には知られてはいない。

紫貴に手招きしてイサは歩いて行き、零の所に来ると彼女を呼んだ。

「あ。零姐。おばんです」

「あら紫貴。あんた、どこかにお出かけしていたみたいね」

「ええ病院に」

「実はね零。ぶん大吉を借りたい」

「文大吉……で、ムエタイチャンプじゃんよってってあのドライバーのおっさん…?!!」

紫貴は叫んで、零は「ゴホン、」と咳払いした。

彼氏をおっさんよばわりされたので零は横目で紫貴を見て、紫貴は睫の多い黒目で「ん?」と首をかしげて零を見た。

「今回の事でうまく父さんに認められりゃあ、結婚も夢じゃないって事だね?」

「………」

紫貴は瞬きして天井を見て、あのゴリラ顔と美人な零姐の子供を思い浮かべた。

「え〜なんかあのゴリラ遺伝子強そ」ゴッ

紫貴昏睡。

「ったくこの兄弟は自分等が顔良い家系だからって人の未来の旦那を!こんちきしょう!顔じゃ無いってんだよ!」

「ま、まあまあ零」

零はもう!と腕を組んでから、煙管の灰をカンッと棄ててから立ち上がった。

駐車場へ向かって行き、文は先ほどのメルセデスで座席を倒し競馬新聞を顔に載せ眠っていたのを起こされ、背後に颯爽と取り込んだ零と、助手席に乗り込んださっきのバイク青年を見た。

「え?俺が?探り入れるったって、この様でか」

「んな物幾らでも出来るよ。この子は紫貴。あの樫本の弟だ」

ああ、成る程ねという顔でそのシキを見ると、紫貴は黙っていれば冷めた雰囲気造りの可愛い顔をニカッと笑わせて手を持ってぶんぶん振った。

これは兄とは全く違う系統だ。兄貴のテンションも放っておいて一分として黙っていられないだろう。

「この子はこれから三時間後にはスタジオに用事があってね。どうせそちらまで行くから、それまでにはあんた達で探って来て欲しい」

「でじょぶだってゴリラくん」

ドスッ

「ったっくこのガキは……!とにかくうまく頼むよ」

「ご、ごりらくんって……」

紫貴は口を突き出したんこぶをさすって言った。

「今よお、警察が品川って奴に事情聴取してんだ。その今回の事で他の組も俺等の様子を伺ってる。極道関係に詳しい?」

「まあ、零から聞く限りなら。どうかねえ」

間延びしてそう言って首をかしげた。

「俺等がするのは怪しいおっさんの様子伺いだ。本当に関わってるっていう証拠掴めばいい」

「その警察に探らせられねえのか」

「うん」

紫貴は頷いて続けた。

「警察がそのおっさんの息子に目を向けてる内に峰っていう組を使ってそのおっさんを会社だとか家から一時浚う」

「おだやかじゃねえなあ」

「うまく誘導するんだよ。本当にそのおっさんが揣摩逗との利害関係が無いっていう調べをつけてからの行動になる。何か会社的な担保があるかもしれねえし、他の関わりかもしれねえ」

「峰も揣摩逗も敵対してる所だろう」

「俺には峰に知り合い作ってあるから話通させる」

「やましいって感づかれたら使えねえだろう」

「脅迫させるだけだよんなのん。今企業で問題抱える阿呆垂れ息子がいる。その事だけでもマジで組に関わりあったって契約書作らせてさっさと金返せあんたの息子はどういうつもりですかってお尋ねするんだよ。カマ掛ければあちらは怪しんで何かの手を少なからず下す」

「そううまく行くかねえ」

「峰組ってのは今手当たり次第いろいろな足掛かりを必要としてる。いろいろな話に飛びつくから話に乗る筈だ。確かに俺は葉斗の人間だって知られて無いからどこから品川の話出せるんだって思うかもしれねえが、今や巷じゃあ揣摩逗関係の店で堅気と何か問題起きてカーチェイスが起きたっぽいって情報、糞垂れてる最中の奴でも分かってる。白のポルシェは目撃されてんだよ。あんなのに乗るのは日本じゃ一人しか知られて無い。いくらでもたかり屋はいる」

「もし標的が白ならどうする。脅迫なんてヤだねえ」

「あのねえごりらく〜ん。やましくねえならそれで姐御が心おきなく商売出来んのよ?あんた未来の義父さんの姉さんには義理売っときたいでしょうーが。俺だってね、応援したいんだよ?零姐の幸せの為ならね!まあまあ安心しなって極道には関わらせねえからさあ!」

そう背をぱんぱん叩いて紫貴は「さあさあ行こうよ行こうよ」と言ってこのバリバリヤクザの車から外に促した。

「こっち来て。俺の車あるから」

そう言ってボディーをぽんぽん叩いて随分古い型のイタリア車の横に来たのを、車を張っていた二人の舎弟がぎろりと睨んだ。

ぴかぴかに黒光りするマセラーティ63年型クアトロポルテサルーンだ。

「あんだよ俺への扱い態度違うんじゃねえの〜?うあわわあああ〜ぁんっっんぬ!」

「うるせえ樫本の兄貴に車勝手に手前の持ち物にしてんじゃねえ」

「前もお前が付けやがった500円傷俺等のせいにされたんだぞ」

「ぴぴゅーぷー」

紫貴はしらばっくれた。

「しかたがねえな〜。俺の箱車で行くしかねえか。こっちこっち」

そう言い着いて行き、紫貴は牛車に乗り込ん……

「あ。うそうそ」

そう降り立って屋敷の駐車場にわざわざ戻った。

「へえ。これお前のか」

フェアソープTXTRIPPER。ワインレッドの怪奇な形がワイルドなバギーだ。

その横には安価でバイヤーからもらったも同然のギルバーンのエンブレムがクールでウォルナットの内装も豪華なシルバーの73年ものインベーダーMk?が並んで、ギルバーンの後部座席にはいろいろな何かの機材が動物革のトランクと共に積まれていた。音響機材だろうか。

「そうそう可愛いだろ〜ん!」

樫本は他にもワインレッドのセダン、バージルエクスターデザインの70年ものスタッツディプレや、水色掛かるシルバー車体と黒幌のマセラーティ、ヴィニャーレの3500スパイダー、ベルトーネの58年ものNUSプリンツクーペなども持っていた。

要するに樫本いわく、あの気品ある渋いデザインが糞たまらねえ鼻血もんだと言う、檀城いわくあんな気取ったイタリア車なんかに乗りやがって……の、正に猫まっしぐらなイタリア物の小洒落た車ばかりなのだった。

何故そんなにイタリア車好きならランボルギーニに乗らないんだという皮肉に、イサ姐がフェラーリ好きであるから、性格的に上司に歯向かわない堅実タイプの樫本が打倒フェラーリのランボルギーニなどに乗るという事事態がどうとか言って、俺はイサ姐に一生を捧げている男だからそれは出来ない相談だ、と。檀城にはどちらにしろ白目を剥きながら毎回聞いてもいないのだった。

大体、樫本にジャズと格闘技と車の話をし始めようものなら七日間の貫徹覚悟だった。今の所の樫本の強力ストッパーは、居ない。

業務上の関係で格闘技場まで行けない時期等に入ろうものならテレビ前で奴等は凶暴に暴れまくり始めて、毎回毎回日本刀でぶった切られたテレビが庭園に投げ飛ばされた頃には既に二、三人が池や木に刺さっていた。

被害をこうむる前に逸早く檀城は背を低くさせてつまみの皿とビールを持ってこそこそと樫本+格闘馬鹿共のいる居間から去って行くのだった。でなければ白熱した怒声と抜刀が危険で仕方が無く、支持するファイターが負けそうになるともう檀城を嫌う樫本は隅っこで小さく上杉や橘と興じているビールを花札をばらまいて試合結果にぶち切れ本気で技を掛けられ殺されそうになるのだから……。

それであの、旦那の車に全く興味無しで旦那同様格闘技の話になるとどうも何らかのスイッチが入ってしまう樫本の妻が、樫本の大嫌いだった不堅実で汚い手使いまくりで規則まみれの頭お堅い偉い子ちゃんな格闘技なんか糞でも食らって名ろの甘い顔したアウトローアルゼンチン格闘選手にべた惚れだったものだからもう二人の激しい口論振りは息子のチビまでいつも恐がっている筈の猫田に泣きつきに行くほどの恐がり様だった。

普段なら猫田を嫌がって「いや〜!」とピーピー泣くのを、「あんだよアタル!俺の所来いよ!可愛い顔しやがって!俺もあれと同じ猫だぞ!」「ひい!や〜!パパー!!」と泣き叫び強面猫田から逃げ回るのだった。

元々十代後半は自分の歌唱力を信じアメリカへ渡り空軍でブルースシンガーとして人生謳歌してきた性格も開けっぴろげでスカッとした妻がその24歳のアルゼンチン男の名前を出そうものなら樫本は例えそれが食事中だろうとなんだろうと「っだとこらあああ!!」と怒鳴り立ち上がって箸も食器もぶっ飛ばしもう嫉妬の嵐で大喧嘩も良い所.

「あによあたしの惚れる男のどこに引け目があるってのよええ?」「っだああ!!奴の名前の名の字も口にするんじゃねええ!あの下衆野郎毎回汚え手使ってきやが」「あんたみたいによい子ちゃんな格闘技なんかつまんないってのよ!」「っのやろ、武士の心得はなあ!」「今のっ時代っ、平成なのよ平成!時代錯誤してんじゃないわよ!」「それの何処が悪いってんだよああ?!俺はどこまで開き直ってや」「ッハーッ!質、悪!大体日本ってのは考えがグローバルじゃ無いってのよ!」「このアメリカかぶれが!」「何よこのイタリアかぶれ!」「女のお前に渋いマセラーティの何が分か」「あわわわ〜あわわわわー」「ガキっぺーんだよ!」「るさいわねこの薀蓄男!」「あーあーどうせ俺はイタリア馬鹿だ!」「ちょっと!あたしがそれじゃあまるでっ馬鹿と結婚したみたいじゃないのよ訂正なさいよ!」「ッ馬鹿だけ強調するんじゃねえッ馬鹿だけ!」

と、延々続く口喧嘩が勃発するのだった。

要するに、樫本はいつでも年下の妻が自分より若くしかも堅実で無い格闘男に激惚れしているものだから、樫本の男としてのプライドが高さから意地でも許しがたい、なにはともあれ、喧嘩してもキツイ性格同士、普段は大人で落ち着き払った粋な夫婦でどこまでも強い旦那を立てる妻、結局はとんでもない仲の良さだった。

紫貴と文はTXトリッパーに乗り込んで口笛混じりに軽快に進めて行った。

品川啓二は自分の所にやってきた男についてをいぶかしんだ。

紫貴はトカゲから大滝を動かし品川の様子を伺わせたのだ。我々は貴社と契約を結び躍進したい新企業であるが、何かお噂では問題を抱えておられるようですな。こちらはその道の物に顔が利くので、警察を退かせるのに一躍かいましょうと。

彼は揣摩逗と関わりは無い。ランに揣摩逗は使われただけだ。銀行への手引きも黒幕への連絡も直々の配下が啓二に連絡を取っていたのだから。

黒幕は常連の中で秘密クラブゼブラナに恨みを持つ人間を捜し当て品川啓二を見つけコンタクトを取らせ今回の計画を任せる保険金が四億だった。動く者への報酬金でもある。

イサを破滅させ金をせしめるために、元から彼女に恨みを持つランに声を掛けた。ランが葉斗のスパイとして赤松を選んだのは元々動かし易かったからだ。

事態を困惑させる為に揣摩逗の名を使わせ政治家から買ったという嘘の帳簿を持たせもう一人の味方をつけさせた。ランはイサに痛い目を見せられるしゼブラナも消せ、啓二は会長を降ろさせ自分の企業を進められる。そして黒幕は、金を手に出来る。

だた、問題は葉斗がそれに気付き始めた事だ。

黒幕との関係を知られるわけにはいかないし、今回のランの失踪の裏に自分がいたと知られるわけにはいかない。

今、黒幕とは連絡が付かなくなっている。息子も下手に連れて行かれた後だし、会長はただ事態を避けて仮病を使い病院だ。手厚く警官に保護され手は出せない。看護婦や医者を買収するなど足が付く事は出来ない。あの訪ねて来た男に任せられないだろうかと見ても、脅迫物件にされるだけだ。揣摩逗にどういう事だと詰め寄られるのも時間の問題でもあった。

品川啓二は社長室から、大滝という男の消えて行ったドアをしばらくは見据えていた。


イサは紫貴から連絡を受けると低く唸った。

「品川啓二がオジェーの名を借りたアメリカ人と組んであたし等を嵌めようとしているのさ。元は、揣摩逗があたし等を目の敵にしてランを買収し品川を脅迫していると思えば、全てが逆転だったんだ。会長はランには激怒しているよ。まあ、流石にあたしについちゃ、何も言いはしないんだが、あの息子を咎めたって意味も無いんだ。今社長の座を首にする事も出来ないし跡取りには困ってる。あとは骨肉問題だね」

金銭の問題の事で何か言ったわけでも無かった。四億というのは会長が一ヶ月に落としていく程の金額で、品川商事の年商も元々四千億が平均だ。

とにかく、アメリカ者は放ってのさばらせては置けない。ゼブラナで接客を受けたり、パーティー招待者、ゲストでも無いというのなら一体誰がゼブラナや日本の葉斗に恨みなど。品川が協力を持ちかけただけなのだとも、全ては品川の自作自演ともありうる。DCの本社まで赴きNYで機能を失っていたオジェーを買収しアメリカ者の存在を装い銀行に名義を作り部下に引き落とさせる事も充分可能だ。

「アメリカ者はニュースで報道された分、警戒している筈だ。もう手は引いたかもしれない。二度目の引き落としはされていない」

「あちらがそれを無駄足に終わらせるかが不明だな。元々の目的が探れない」

イサは松の庭を眩しそうに見つめてから畳を見つめた。

「精を込めてあたしはゼブラナに捧げて来たが、あたし自身が一番愚かだったよ。裏切り者ランを尚もクラブに加わらせた事がね」

ランには刑期まで食らわされたものを。あのランを変えられるだなんて甘かったのだ。

アメリカ者は今頃高みの見物でもしているのか、イサは三億をのそまま返し、会長は孫がゼブラナに世話を掛けた事で侘びとして三人のホステス達に一億ずつのショーメのVIPルームから宝石がプレゼントされた。

社長に関しては身内事でもあるために会長が最終的には心を寛容にさせたのだが、ゼブラナに舞い地に嫌がろうとも息子を連れて行く事にした。だが、意外な事には社長がショウを気に入った事だ。

樫本はカウンターに座って肩越しにショウのボックスを見てから口を噤んで向き直った。

「予約が必要になりそうだなこれからは」

ジョージは苦笑紛れに言い、樫本はつまらなそうに噤んだままの口にウーロン茶を流し込んだ。

一瞬ショウは樫本の背を見つめてまたし品川社長に視線を戻した。熱い視線だった。

樫本は目元と顔をさすってから溜息を付いた。

「あまり頻繁に来るのはやめる」

「まあいいじゃねえか。どうせウーロン茶くらいイサももてなしてやるんだから」

軽く樫本は笑ってから、金をしっかり置いてカウンターから立ちイサ姐に挨拶に向かい、イサは微笑んだ。

なかなか探れないのだ。

「ありがとうね。余計な手をあんた等にも檀城にも、それに……赤松にもさせちまったのはあたしだよ。ランを扱いきれなかった」

「外道だったのはあのすけだった。それだけです。その根を出来るだけつかみます」

そう口端を上げ、一度ショウの横顔をちらりと見てから帰る事にした。

「じゃあ、俺は帰る」

イサは微笑み見送った。

彼は車に乗り込み帰って行った。






★葬儀★


不本意ながらも、警察に怪しまれる前にランと鳥羽双方の葬儀が開かれる事になった。

品川ヨウは警官に連れられ会長も共に参列。だが、品川ヨウは狂気の内に騒ぎ発砲して鳥羽の遺影に穴を開け、流れ弾を常連客に当てさせ、祖父の会長はショックで気絶した。品川ヨウは連行されていき、この場にいない社長が尚怪しい。

遅れて会場に到着した芦俵夕は一時、セレモニーホールへ向かい、刑事達が鋭い目をひそひそ囁きあってから夕のところに来た。

「なにかあったのか」

「お前が半年前に使ったものと同じロシア物の銃で発砲事件が起きた」

「なんだと?」

「お前、品川ヨウに銃を流したんじゃなにか?」

「ハッ冗談」

「お前はゼブラナに最近参入してしばらくして常連だった品川会長の孫ヨウの起こした事件の後に品川社長も常連になっている」

「だから?銃なんか誰にでも手に入れられる。大体俺に何の利益があるんだよ」

「ああそうだ。お前はふと気を違えなければ冷静で打算的な人間だ」

「何が言いたいんだ?茶番はやめろ。じゃあな」

お前が銃を横流ししたんじゃないかと刑事に疑われたが、事実無関係だった。

夕は呆れ会場へ向かった。

「全く、どういう事かしらね」

ハルエはそう腰に手を当てながら歩いてきて真っ青なユウコに言い、ハルエは彼女の顔を覗きこんだ。

「ちょっと、大丈夫?気分悪いの?一度、ロビーに出て落ち着きましょう」

「そうね。外の空気を吸いたいわ」

ラウンジソファーでハルエから水を受け取り、有り難うと微笑んでから抑えていた額から手を離した。

話を窺うからに今回の事件は、品川会長を陥れる為の品川社長の自作自演で、それを息子の品川ヨウに罪を被せているらしいというのだ。今回現れなかった品川社長がまた息子を使って会長を狙おうと?完全に罪を着せようと。

ランを失踪させたのは会長が悪いと吹き込めば品川ヨウは単純に行動に移すだろう。推測など誰にでも出来、それが其々の人間に不信を抱かせる。混沌とだ。

行動に移すよりも単純に。

「この事件の裏にいるっていうアメリカ者が、証拠隠滅で社長を狙ったものだとしたら危険だわ。ランに名を使われて今不振がられて入る揣摩逗組にはイサママの弟が直接詫びに行ったというし」

「全く、なんて事してくれたまま死んでくれたのかしらね。でも犯人の分からない発砲じゃなくて良かったわ。逮捕されて」

ハルエは自分への皮肉の様にそう言うと会場の扉を見た。

ハルエは元々NY出身で国籍も今もアメリカ人だから品川社長が手を組んでいたらしい疑いのあるアメリカ者が、得た金をNYにあったオジェーというコンピュータ会社に名義を借り銀行に入金させていたのだ。そのオジェーはハルエも知っていた。

親族からは、そろそろビザ書き換えも面倒だから国籍を日本にしろと言われているものの、彼女はそれを拒み、第一親族の第一権力者もそれを許さなかった。

「イサママの言っていた、品川ヨウが発砲してきた機関銃も、今回の銃も、誰が用意したのかは分かっていないのに」

「そんなもの、品川は自家用ジェットを持っているのよ。自分で仕入れていくらでも騙して日本に持ち込めるわ。ただ、問題はどうやって今回品川ヨウが銃を持ち出したのかよ」

「そうね……」

ショウがラウンジの2人のところまで歩いてくる。2人は顔を上げて話を中断した。

「セレモニーが再開されるわ。2人とも戻りましょう」

「ええ。そうね」

樫本は夕と会場隅で話し合っていた。

視線の先にショウが騒ぎの収まった会場に入って来て、会場での彼女の喪服姿は樫本の気持ちを現実から逃れさせた。

ユウコはそこへ行こうとしたショウを止め、男同士の話に女は口出しするものじゃ無いわと言った。ショウは頷き、一瞬をおいてユウコを見上げてからハルエもユウコも頷いて微妙な間合いで三人は歩いて行った。

「樫本さん。俺は絶対になんと言おうと品川啓二を警察に見張らせるべきだと思う。ラン同様、放っておく事は危ない。アメリカの人間に消された後じゃあ遅い」

「その話は頭に付けさせてる所だ」

夕は溜息混じりに頷いてから言った。

「この前、あんたの弟とショウが連れ同士みたいな事を耳にしたんだが」

夕に新しい銃を薦めてきた。

まさか、あのショウがまだゼブラナに入って日も無い内から常連の品川に取り入り、銃を用意したのか?

最近の密輸船爆破事故で警察に探られる前に手持ちの銃をさっさと処分するために八方手を尽くすに違いない。だが考えずらい。

夕は会場へ戻って行き、樫本は煙草を吸いに会場を出た。

「これはどうも樫本さん」

「………」

刑事が胡散臭い顔を下げて歩いてきた。

「先ほどあんたあ、芦俵と話してましたねえ。何かあんたの所が関係して流したんですか」

「俺を侮辱してるのか?姐さんの店の客に何渡せって言うんだよ」

咥えかけた煙草を仕舞い壁に背を着けた。

「サア、何をでしょうなあ」

「お門違いだ。それに、芦俵は愚か者だが馬鹿じゃ無い」

「分かってますよ」

「じゃあ他当たれ」

樫本は歩いて行き、刑事はその背をしばらく睨んでいた。

葉斗組と警察上層がなにやら怪しい会合の場を儲けているらしい噂があるのだ。それには政治家も絡んでいるかもしれない疑いがある。汚職に繋がるものの筈だ。

元々夕が半年前、連れを殴り殺した事件時に所持していたロシアのスチェッキンは大雅組から流してきた代物でもなければ、他のバーの古株のバーテンから譲り受けたものだった。それに、護身用として常備していただけで、事件時に使用したわけではない。

最近消えたロシアの銃と各地の麻薬をアラブ系列で輸送していたグループを疑うとしても、彼等は堅気相手にしていてヤクザには流さなかった。

今回、品川ヨウも同じスチェッキンを使用したために夕を疑っていたのだ。

その後、難なく葬儀は終了した事を会長達に付き添ったイサ姐に報告した。樫本は車に乗り込むと、ショウが歩いてくる方向を見た。

「お食事はされていかれないんですか?」

「ああ。一度病院に寄る必要もあるからな」

「あたしもお供します」

「駄目だ」

ショウは引かなかった。

「でも、あたしも良くして下さっていた会長さんの事が心配なんです」

「芦俵の足で行け。俺はその後屋敷への報告も兼ねているからな」

樫本はショウが窓枠に掛ける手を退けようとし、その白い手を持ったが、払い退ける事が出来なかった。

「悪いな。お前も心配なはずだ。乗れ」

「はい」

ショウは車内を見回して微笑んだ。

「渋い車ですね」

その言葉が逆に樫本の気を楽にさせた。

妻は車に興味を示さなかったからだ。別人だと思う事が、どんなに楽なのかを悟ったような気がした。

車は発進し、ゆっくり進んで行った。

「年齢は?」

「え?あたしですか?二十一です……」

樫本は眉を潜め彼女の横顔を見て、嘘だなと思った。まあ十代を働かせるなんて出来ないから偽らせているのだろう。

「最近まで学生だったんです。辞めてきちゃいました」

軽くおどけてそう言った。

口調ほど声は軽い感じは無かった。相当の考えの末の行動だったのだろう。

まだまだ子供だ……。十代で自分の事に希望を持って飛び出した位の。

だから、手を引くべきだ、そう思った。

彼女は堅気の少女だ。妻を重ねるべきじゃない。輝く世代に混沌とした世界は全く違う。

「今の世界は楽しいか」

「ええとても」

そう嬉しそうに微笑み、爽やかな風に髪を押さえた。

「自分の世界をやっとで見つけたって、やっとで思えました」

「そうか。良かったな」

「はい」

樫本は口端を上げて彼女を見てからショウは頬を色づかせて前に向き直った。

だが……、ショウがあの客寄せのオウムの持ち主である、食器店スタッフの恋人だという事は分かっていた。押収される店の店員。

ショウは俺がその恋人の職を奪う人間だと知れが、軽蔑してくる筈だ。そう思うと、心なしか溜息を付きそうになった。

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