ももそも何故馬が日本に入ってきたか、それは縄文末期以降の寒冷化による中国大陸の戦乱が原因らしい
さて、戦国時代に騎馬突撃が有ったか無いかと言えば、騎馬隊の規模自体は小規模なものであったが有っただろうというのが私の考えです。
馬は元々西アジアから中央アジアで家畜化されたようですがそれはあまり古いものではなくおおよそ6000年ほどまえ。
しかし、馬が中国に本格的に入ってくるのは匈奴などの活動をつうじてだったでしょう。
では日本に馬が入ってきたのはいつなのかというと一番最初は弥生時代で、大規模な物は古墳時代だろうといったところです。
この時代は寒冷化によって日本の縄文人達、特に東北に住んでいた人たちは食料の確保に苦しんで居た時代だと思われますが、これは中国大陸でも変わりません。
今まで米を植えていたところで米が育たなくなり、今まで麦を植えていたところで麦が育たなくなり、その北などは寒冷化による乾燥でステップが砂漠化したと思われます。
そうなると飢えた遊牧民たちが自分たちの食料と家畜の餌を求めて南下してきます。
3500年ほど前に中国大陸では夏王朝であると思われる二里頭文化が滅亡したりしていますがこれが気候の寒冷化によるものである可能性が高いと思うのですね。
ただ、この頃人間が馬に直接乗っていたのか乗っていなかったのかについては不明ですが騎馬民族は裸馬でも乗れていたのではないかと思います。
もっとも、馬を手に入れた南方の人たちは戦国春秋時代の末くらいまでは戦車を用いていたようですけどね。
そして、最近では縄文と弥生の区切りが曖昧になってきていまして、6000年前には陸稲が焼き畑で栽培され、水田も4000年前の縄文時代後期には九州北部にできていたようです。
ただし日本において王のような身分社会が成立したのは3000年前ぐらいからのようですが最初は殷周革命の戦乱を逃れてきた人が日本にやってきたのでしょう。
元来日本に金属器が伝えられたとされる紀元前3世紀というと中国では秦が中国を統一して戦国春秋時代に滅ぼされた国が沢山でた時代なのでそういった国の王族で運良く逃げ出せたものがおそらく船で日本にやってきて、日本に金属器を多量に持ち込んだと考えられていたのですが実際にはもっと古くから金属器は使われていたようです。
ただし鉄を加工するのは大変なので弥生時代初期は中国でもそうでしたがむしろ青銅製の武器のほうが使われていたようで、鉄の利用はごく一部だったようですね。
またこの時一緒に馬は持ち込まれたようですね。