戦国時代における軍の編成における騎馬隊で騎乗していた人の割合は全体の6%くらい、だけど騎兵隊は花形だった
さて、戦国時代の長篠の戦いで武田の騎馬隊が信長の鉄砲部隊の三段撃ち戦法に敗れたと言うのがフィクションなのは歴史ファンならご存知でしょう。
では実際に戦国時代における騎馬隊の人数の割合ってどのくらいなのかというと……。
備えと呼ばれる戦国時代の軍の編成単位において騎馬隊に編成されて騎乗している人は22人位で全体の350人中おおよそ6%位。
あとはその周りを守る徒歩の奉公人が58人ほど一緒にいます。
一人の騎馬武者を三人の歩兵が守ってる形で、奉公人は馬の足を薙刀などで狙ってくる敵の足軽を排除する随伴歩兵ですね。
なにせ足を止めた馬は体もでかいし足を狙われると非常に弱いいい的ですからね。
おおよそ総勢7000の備えを率いているとするとその中の騎馬隊は440人位。
こういった数では騎馬隊が純粋に戦闘で戦闘の流れを大きく変えるような活躍を行うのはけっこう難しかったでしょう。
備えにおける騎馬隊の任務は弓矢や印地打ちなどで浮足立ったり、足軽隊の戦闘で優勢になった敵の戦線に対しての突撃や横逆、戦線の分断や敵騎馬隊に対しての逆撃で、騎乗したまま突撃することもあれば、下馬して武家奉公人と共に徒歩で突き進む場合もあったようです。
その他の備えを構成する兵は馬上で指揮をとる指揮官をのぞいて全員歩兵だったと考えていいでしょう。
指揮官が馬に乗るのはそれで視界が広くなり自分の率いている部隊の状況もよく分かるようになるからからですね。
ちなみに軍馬というのを育成するのはとても大変なのです、なぜなら。
・具足を付けた人間を載せて移動し続ける事ができる
・そういった状態で騎乗している人間の意のままに操れる
・鬨の声の上がるの上がる戦場でも驚いたりして逃げ出したりしない
という条件を満たさなければならないからです。
馬はかなり神経質なので戦場で動じないだけの図太さを身につけられる馬は少数なのです。
戦国時代の騎馬隊が数が少ないので役に立たなかったかというとそんなことはありません。
現代のアメリカの陸軍の総兵力はおおよそ百万人ですが、戦車の台数は6000台ほどです。
しかし現代の戦車が陸上での戦闘の花型であるように、戦国時代の騎馬隊も戦場の花形であったのは確かですね
ちなみに随伴歩兵を戦車の上に生身で載せるタンクデサントはソ連のお家芸のように思われてるけどベトナム戦争やイラク戦争でアメリカもやってます。