青龍偃月刀、蛇矛、方天画戟?そんなものは三国志の時代にはないのです
さて、みなさんは三国志をご存だろうか。
蜀の劉備、魏の曹操、呉の孫権を中心とした後漢が滅びる時代の英雄たちの戦いの話であり、光栄の歴史シミュレーションでは信長の野望と双璧で歴史ゲームの人気の中心をになっている。
(モンゴル帝国が主役の蒼き狼と白き牝鹿も看板だったはずなんだけど人気はいまいち)
で、その話に出てくる武将は立派な武器を持っていたりする。
呂布の方天画戟、関羽の大刀青龍刀、張飛の蛇矛などが有名。
だけど、ほんとうは三国志の時代にはこのような武器類はなかったりする。
この時代は長柄の武器は槍ではなくまだ鉾で、それと矛と戈と呼ばれた大きな鎌のような武器を組み合わせた戟、それと刀剣ぐらいしか種類はなかったらしい。
なんでそんなことが起きたのかは三国志演義が広まったのがずっと後の宋や明の時代だったからで、その頃に使われていた武器だったから。
これは鎧も同じで後漢の時代には西洋のスケイルアーマーのような皮の鎧に半楕円形の鉄札をくくりつけたものだったようだ。
しかし、三国志の武将たちが身に着けている宋の時代の鎧は四角い鉄札を革ひもと甲釘で多量に綴ったものでほぼ全身を覆い、中国大陸で使われた鎧の中では最も強固な防御力を持っていたし、色合いもだいぶ派手になったらしい。