八話 罠
ちょっぴり短め。次回長めかも(二分割して同時投稿かも?)
左右からの熱波によってレンの肌からは絶えず汗が零れ落ちていく。
炎の勢いはそれほど強くない。純粋に藁や木材だけを燃やしており、油などで燃焼の補助をしていないのだろう。
目の前をはしる少年の背中と自分との距離は、ざっと十メートルほど。勇者としての全力を出せば一瞬で追いつく距離だ。しかし、レンはペースを上げない。少年と同じ程度の速度で地下牢を駆ける。
しかし、長い廊下だ。加減して走っているためにレンの呼吸は乱れることはないが、目の前の少年は全力で走っているように見える。この室温での逃走劇は彼にとって辛いものなのではなかろうか。
いや、彼は悪魔に力を借りている。自分とは方向性が異なるが、同じように強大な力を手に入れていると思った方がいいだろう。とすると、彼の動きはこちらを油断させるためのフェイクだろうか。
視界の先に、僅かに開かれた扉が見えてきた。青銅のような色合いの金属製の扉だ。仰々しい紋様が施されている。扉の隙間から奥の光景は窺えない。
少年が扉の先に抜け、レンの視界から姿を消す。
国からの情報では、ベリトリッサは封印の間と呼ばれる場所にいるらしい。その名の通り、ベリトリッサが身勝手な行動をしないよう行動を制限する部屋らしい。この扉の先が、その封印の間なのだろうか。いささか辿り着くのが簡単すぎる気がしたが、その可能性はないとは言い切れない。かといってやはり、この先が封印の間である保証はない。ここから先は何本にも枝分かれした通路区画になっているかもしれない。
もしこの先にあるのが封印の間であれば、扉をくぐった瞬間悪魔からの攻撃を受けるだろう。しかし、警戒し慎重に行動しすぎた結果、この先にあったのが迷路のような場所であれば少年を見失ってしまうことになる。
一瞬だけ迷い、レンは慎重に進むほうを選んだ。面倒ではある上に時間的余裕はないが、仮に少年を見失っても手あたり次第探せば良いだけである、と彼は判断した。
封印の間、と言われる場所にいるのだから、おそらくベリトリッサはその部屋を自由に出ることはできない。ならば、その部屋さえ見つければよいのだ。この地下空間が相当広くない限り、勇者としての力を持つ自分ならできる。
ゆっくりとレンは扉を抜けた。赤々とした炎とその熱気、そして幾本もの柱が彼を出迎える。
辺りを見回す。漆黒の壁、漆黒の柱、漆黒の天井で構成された広い空間だ。扉付近は壁同士の間隔が狭く、奥に行くにつれて広くなっている。その壁付近には地下牢と同じように藁や木材が敷かれ、メラメラと燃え盛っていた。そのためレンのすぐ傍の温度は非常に高い。ジリジリと肌が灼けつく感覚があった。
過剰だと思えるほどの本数が存在する柱と炎から発生した煙のせいで、明るいにも関わらず視界は最悪だ。少年の姿は見えない。
空気も酷く淀んでいる。猶予はあまりない、と考えるべきか。先ほどの手あたり次第探せばいい、という考えは楽観視しすぎていたのかもしれなかった。
チ、という空気を裂く音が聞こえレンは身構えた。視界の隅を何かが横切り、すぐ右方向から金属音。そちらに目を向けると、灼熱の火炎のすぐ傍に一本のナイフが落ちていた。
それが飛来してきたと思われる向きを見やると、柱の陰に引っ込む少年の姿。彼がレンめがけて投擲してきたのだろうか。あまり離れていないにも関わらず外したのは、視界の悪さと焦りが理由だろう。
不意に、嫌な予感がした。背筋の凍りつくような冷たい気配。レンの持つ勇者としての本能が、危険を察知したのだ。
それを感じ取ると、考えることなくレンは前方へと飛んだ。後方に何本もの風切り音と、同じ数の金属音。
受け身をとり立ち上がってから振り返ると、十数本ほどの矢が左の壁に突き刺さっていた。
「なっ……!?」
逆側の壁のナイフが当たった位置には何もない。熱波に耐え接近するも、矢が射出されるような穴も悪魔が使う魔術の類の仕掛けも見当たらない。ならば原因はナイフのではと思い拾い上げてみたが、こちらもおかしな点はない。
手に持ったナイフが引っ張られるような感覚。その方向には、柱から半身だけ出した少年が見えない何かを左手で引っ張っている姿があった。
地球の、日本での常識としてつい物事には原因が、仕掛けがあるものだと考えてしまっていたことにレンは気づいた。相対する者が自分と同じ日本人だったということも理由の一つだろう。
しかし、ここはいわば異世界だ。そして、あの少年は悪魔に力を借りている。
サイコキネシス、あるいはそれに準じる超能力もしくは魔術。その可能性を考慮していなかった。
先ほどの矢は、彼があの位置から放ち迂回させたのだろう。投擲してきたナイフはブラフ。そうレンは予想した。
ナイフを少年の少し右に放り投げる。それは真っ直ぐと進み、少年の柱付近に近づくと急激に方向転換。少年の左腕に突き刺さった。
「うっぎゃぁぁあっ!?」
痛みによって叫び、彼は再び柱の陰に隠れた。
間違いない。彼は、物体を任意に動かす能力を持っている。ナイフを回収しようとその力を使ったことが今回仇になったわけだ。
レンが思案していると足音が聞こえてきた。急いで少年が隠れた柱に駆け寄り回り込む。誰もいない。
奥の方向に目を向けると、走りながら少年がこちらを見ていた。白い右腕でナイフの刺さった左腕を押さえている。
斬る、先ほどは言ったが、戦闘不能に追い込むという意味で、少年を殺そうとする気持ちは先ほどのレンにはなかった。
しかし、こうして積極的に攻撃してきたのならば話は別だ。
確実に息の根を止める。
剣を握りなおしてレンは、右から迫りくる刃にそれを叩きつけた。
振子のように天井から吊るされた肉厚の刃物。さきほどまで何もなかった空間に突如現れたそれを察知するや否や、レンは自然と反応していた。
重量感のある衝撃をグッと堪える。そして、手に伝わる重みから受け止めることは困難と考え、なんとか金属の殺意を逸らすとレンはすぐさまそこを飛びのいた。
天井近くまで振りあがったペンデュラムは重力に従い振られ、何度も先ほどレンがいた場所を往復する。
「なるほど、こっから先はこんな感じで罠だらけってことか」
着地した地面から突き出す槍を避けながら、レンは独り言を呟く。すぐさま壁から円ノコのようなものが飛来してきたが、これは剣で弾きとばした。
安心したのもつかの間、こんどは巨大なハンマーが前方から現れすぐ近くの柱を強打。レンに向かって倒れてくる。それを躱そうとした瞬間に地震が起こり、彼はバランスを崩した。直ぐ近くに大岩が降ってきていた。ハンマーも大岩も、自分への直接的な攻撃ではなかったため察知することができなかったのだ。
「嘘だろ……」
体勢を崩した彼に容赦なく漆黒の柱は襲い掛かる。先ほどより激しい地響き。埃が宙を舞った。
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黒で埋め尽くされた壁が、次第に白に近い色合いに、灰色になっていく。
柱の密度は相変わらずおかしく、左右の壁の距離は相当なものになっていた。そのため、中央付近を走る少年は、壁際で燃える炎の影響をあまり受けてない。汗もかいていない。
しかし、彼の表情は苦悶に歪んでいた。
「いてぇよ……凄く痛い……辛いことや痛いのには慣れたつもりだったけど、こんなの慣れるわけない。ああ、帰りたい……」
彼は弱音をまき散らす。その先は虚空、しかし相手がいるかのように言葉は続く。
「やっぱりダメだ、助けてくれよ。もう痛みでどうにかなりそうだ」
押さえている左腕からは、一滴も血が流れ落ちない。炎の輝きを受けて銀に煌くナイフが已然突き立ったまま、であるにもかかわらず、だ。
「あと少し、か。頑張るよ、ああ、頑張る。もう少しなら頑張れそうな気がしてきた。もっと励ましてくれ。そしたら俺、諦めずに頑張れるからさ」
ブツブツとうわ言のように呟きながら、少年はひたすら走る、走る。
汗は流れない。血も流さない。しかし、表情だけは辛そうに。
その視界の先に、終点が見えてきた。
灰色。黒と白の、完全なる中間地点。その色の光を放つ素材で出来た立ちはだかる壁。
それに縋りつくように身を預ける少年。先ほどまで全く乱れていなかった呼吸が急激に荒っぽくなった。
「追いついたぜ」
少年の胸を背中から、その灰色の壁に磔にするようにレンは剣を突き立てた。
「アギィっ!」
少年の口から苦痛のため声が漏れ出る。鬼のような形相で彼は振り返った。
「や、がぁ、っ……」
「……悪いが死んでくれ。悪魔に手を貸したあんたがいけないんだ」
少年の体から剣を引き抜こうとレンは力を込めた。しかし、抜けない。
よく見ると、少年の白い右手が剣の刃を握りしめていた。
「や、った、ぞ……たどり着け、た……」
少年の口が引き延ばされ、その端が歪んだ。ヒ、ヒヒッという声まで漏れてくる。
笑っていた。剣で貫かれ苦しみながらも少年は笑っていた。
「個人的には、帰ってもらうのが一番だったんだけどな……ベリトリッサとユーキのやつが悪ノリして……でも、俺には考える頭がなかったから、代案なんて出せなくってな……」
「……何のことだ。話すなら分かるように話せ」
「痛いし、辛かった……気にしても仕方ないし、考えないようにしていた。でも、やっぱ人間だしな。仕方ないよな」
「……だから、なんのことだ」
「嬉しいんだ」
ヒヒッ、ともう一度少年は小さく笑った。
「まさか、こんなにも恨んでいたなんて思わなかった。こんなにも嬉しいとは思わなかった……」
少年の目が黒に染まっていく。暗く赤く燃えていた光彩がさらに淀んでいく。
「セキアのため、ってのは建前のつもりじゃなかったんだけど、本心はこっちだったんだろうな」
右腕。少年はそう口にした。
「悪魔の従者なんだからな。悪役みたいでも、汚くてもいいんだよな。復讐とか、しちゃってもいいんだよな」
まるで、忍者がつかう回転扉のように、少年が縫い付けられている壁が回転する。少年とレンは、そのまま壁の向こう側へ。
「さあ勇者サマ……ようこそ封印の間へ」
ヒヒッ。
もう一度だけ、少年は笑った。