二話 謎の扉
「そういえばさ、この前人魚の話をしたよな。人魚。上半身が人で、下半身が魚のやつ。あいつらってさ、卵生なの? 胎生なの?」
「……君、ずいぶん豪胆な性格してるよね、この前あんな会話をしたばかりだってのに。僕の記憶が正しければ、まだ数日しか経っていないと思うのだけど」
「答えろよ、本気で気になってるんだぜ? 気になって気になって、もう夜しか眠れないほどだ」
「眠れているじゃないか。この前見に来た時なんて腹を出して爆睡していたよ。そんなに体調が良い訳でもないだろうに。ここでの生活、結構気に入ったのかい?」
「俺のことはいいんだよ、人魚だ人魚。女の人魚の胸が膨らんでいるのはこの際いい。俺としてもないよりはあるほうがいいしな。どうやって産まれてくるのか、そこが気になる」
「なんでそれを僕に聞くかなぁ」
「そりゃあ俺が話せる相手がお前しかいないからだ、立場的にも言語的にも。で、男同士で特に話題がない時にそういう話になるのは自然なことだろ?」
「人魚の生態なんてアブノーマルすぎると思うし、卵生か胎生かなんて知らないよ僕は」
数日後、相変わらず浮浪者のような姿をした少年は、地下の牢獄にて自分を見張る兵士であるユーキと、猥談のようななにかを繰り広げていた。
先日の会話の、少しばかり嫌な雰囲気を露ほどにも感じさせない。ここ数日少年とユーキはこの国やその近辺の生き物の生態、また日本での生活や文化について話していた。
もっとも、こちらに来て日が浅く、記憶も失っている少年が語れることなんてそれ程ないので、もっぱら彼は質問と聞きに務めているのだが。
「なぜ君がそこまで人魚にこだわるのか、僕には理解できないよ。普通の女の子について語ったりしないのかい?」
「ばっかお前、俺は記憶喪失だし覚えてる範囲の女なんてセキア様くらいだぞ? なんだ、王女様について語り合いたいのか。不敬罪になりかねないぞ、怖くはないのかよ」
「君に出会う前から、何度か首を飛ばされかねないことはやってきているからね、その程度恐るるに足らずってやつさ。そのせいで問題児扱いされて、こんなところの番を押し付けられたんだけど」
そもそも、とユーキは前置きして、
「僕は妻帯者だ。セキア様がいくら美人で可愛らしくともそんな目で見ないし、彼女についての卑猥な会話が外に漏れようものなら不敬罪で斬首される前に妻に殺される」
美人で可愛らしいとは思っているのな。
そうツッコもうとしたところで少年は聞き捨てならない単語が聞こえたことに気づいた。
「おい、ちょっと待て。待ってください。妻帯者? 誰が?」
「そりゃあ僕さ」
「はぁっ!?」
誇るでもなくさらっと言ってのけるユーキに、少年は大げさに驚く。
「お、おまっ!? 嫁いたの!? 俺と同い年くらいのくせに!?」
「成人しているんだ、結婚していてもおかしくはないと思うんだけど」
「成人……誰が?」
「僕が」
ワォ、と呟く少年。
「一応聞いておくけど、この世界の成人が十五歳くらい、なんてオチか?」
「十二歳で成人だよ。この世界、というよりこの国の成人だけど。その辺は国によって千差万別だね。まあ僕は二十歳だけど」
「なんてこった……」
昔の日本も同じような感じだったらしいけどね、と独りごちるユーキを気にも留めず、少年は震える。
「本当になんてことだよ……年下だと思っていた相手が実は二個も上だった……今までタメ口で話していたけど、これは敬語を使わないといけない流れなのか……?」
「タメ口でいいよ。それより君が十八歳だったことのほうが僕には驚きなんだけれど。年齢を覚えていたこと含めて」
ユーキの言葉にムッとした表情で少年は、
「年齢はなんとなく分かったんだよ、誕生日までは分からなかったけどな。それより、驚きってのはどういう意味だよ」
そんな少年とは対照的に、困ったような顔のユーキは顎に触れながら笑う。
「いや、今の君の姿だと年齢が想像できなくてね。小柄だから年下のようにも思えるし、髭や髪のせいで年上にも見える。声音は高くも低くもないから判断材料になりそうにない。僕自身、初対面の時に君に敬語を使うべきか悩んだものだよ」
言われて少年は頭と頬に触れる。伸びきった不潔な髪はベタっと脂に濡れていた。長さは前髪で目が隠れてしまうほど。意識していなかったために気が付かなかった。髭も触った感覚から顔の下半分を埋め尽くすように不揃いに生えていることが分かった。それらは顔立ちを不明慮なものにしているだろう。
そういえば、俺は自分の顔を知らない。
そのことに少年は今更ながらに気づいた。
「なあ、はさみや髭剃り、それと鏡なんかはないか?」
「君が何を考えているのかは予想できるけど、それは無理な相談だ。囚人に刃物を持たせることは規則で禁止されているからね。鏡も割れば刃物になる」
「今更規則を恐れるのか。なんだ、嫌がらせか? 俺が何をしたっていうんだよ」
「物に関してはこの国、大分厳しいんだ。バレるね絶対。咎められると分かっていることをわざわざ君のためにしたくない。君が女の子ならともかく」
「ってことは、今までやってきた諸々はバレてないのか」
「すごいだろう?」
「誇ることじゃないからな? それに女の子ならともかくってどういうことだよ妻帯者」
何故か自慢げな兵を嗜める囚人。そんな奇妙な風景に口を挟む者はこの場にはいない。
笑みを崩さないユーキに呆れ、少年はため息をついた。
「話を戻すけどさ」
「人魚まで?」
「戻りすぎだろ……お前の奥さんの話までさ」
神妙な顔になる少年。それに合わせ、ユーキも真面目腐った表情を無理に浮かべた。
「単刀直入に聞く…………美人か?」
「……ああ、超弩級の美人さんだよ。しかもエルフだ」
「エルフかっ! あの、耳が長くて美形の多い感じのっ!」
「うん、そのエルフだよ」
飛び上がるほどの勢いで少年は顔を上げると、感慨深く唸った。
「エルフか……いたのか、エルフ……」
「繁殖力が弱い希少な種族だけどね。性欲も薄いみたいでよくお預けをくらうよ」
「でも美人さんなんだろ? 羨ましいな……いつか会わせてくれよ!」
「やけに僕の妻に食いつくね……」
やや険のある眼差しをユーキは少年に向ける。対する彼は、おどけるように左手を上げ、
「落ち着けよ、なにも奪おうなんて考えているわけじゃないからさ。ただ、お前の嫁で美人のエルフってのがどんな感じなのかって気になっているだけだって」
「ならいいんだ」
ふ、と息を吐くとユーキは腕を組んだ。
「僕らの関係に横恋慕するなら覚悟するといいよ。妻は僕以上に怖い人だから」
「お前に怖い印象を持てていないんだが、俺。それに見たこともない人間に恋できるほど飢えてねえよ。俺はセキア様一筋だ」
「君がどうして彼女に入れ込むのか、素直に気になるな……聞かせてくれよ」
「気が向いたらな」
「つれないねぇ」
そっぽを向いた少年の横顔を眺めながらユーキは笑う。本当によく笑い、それが似合う男だ。
少年はため息をつくと彼に向き直った。地面を見つめた姿勢ではあったが。
汚れや髭のせいで外からは分からない表情を真剣なものに変えると、彼は口を開いた。
「で? そろそろ俺は出られそうなのかよ?」
毎日口にしているセリフを少年は発する。
この場所にセキアが訪れたあの日から、彼は同じ言葉を何度も口にしてきた。彼女のことが心配、しかしながら彼女の助けになりたいという想いを否定された、そのことを蒸し返す勇気がない故の行動だった。そのことを自覚しているだけに、我ながら情けないと思う。
その問いかけに対するユーキの答えもまた、毎回同じものだった。
分からない。知るわけがない。こんな下っ端の兵に情報が来るのはずっと後だろうよ。
そんな言葉を何度も少年は聞いてきた。
しかし、その日は違った。
「……良い情報と、悪い情報。どちらが聞きたい?」
「あ?」
質問に質問で返してきたユーキに眉を顰める。
「なんだよそれ。どういうことだ」
「だから、良い情報と悪い情報だよ。君に関することだ。どっちから聞くかい?」
しばし少年は黙考した。考えて考えて、自分の中のモヤモヤが大きくなっていることだけが分かった。
彼は舌打ちをすると、半ば睨むような目線でユーキを見やり、
「なにかあったのか……良い情報だけ聞きたいってのが本音だけど、そういうわけにもいかないんだろう?」
「別に僕が困るわけではないけど、親切心としてそれはおすすめできないかな。情報不足で苦しむかもしれないのは君自身なんだから」
「そうかい、ありがとよ……良い方から頼む。悪い方から聞くと、良い情報ってのが頭に入らないかもしれないからな」
「後から悪い情報を聞くことで、先に聞いた良い情報が頭から抜け落ちたら僕が笑ってあげるよ」
茶化すような口調で、しかし彼の声音は真剣なものだ。
黙して聞きに入る少年に小さく微笑むとユーキは、じゃあ良い情報だ、と言った。
「君が高確率で暗殺者ではない、と国は結論を出したよ。ここを出られる日は近いと思う。それに伴って、僕の監視付きで地下限定だけど城内の徘徊も認められた」
少年はそれを聞き、微妙な表情を浮かべた。
「……そろそろここから出してもらえるのか。しかも、既に牢の外に出れると。そりゃあ確かに良いニュースだが、この後バッドニュースがあると思うと素直に喜べないな」
「喜べないか、気持ちは分かるけど……じゃあ聞こうか」
「は? 何をだよ」
複雑な感情を抱いていたところに飛んできた予想外の言葉に少年は露骨に嫌な顔をした。
ユーキは彼を気にせずに真剣な表情を保ったまま口にする。
「悪い情報と、もっと悪い情報があるんだけど」
「……お前、意外と性格悪いのな」
それほどでもないよ、と嘯くユーキを少年は精一杯睨みつけた。
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スフィリウムの王城地下。
少年はパサパサでおいしくもなんともない、はっきりいってクソ不味いパンを齧りながら一人っきりで歩き回っていた。
ユーキの姿はない。彼は、見張りの職務をほっぽり出してどこかへ行った。
「どうせこんな場所には誰も来ないだろうし、見張ってる意味なんてないと思うんだよ僕は。君はどうせ何もしないだろう? というわけでサボってくるよ。大丈夫、バレなければいいんだから」
そんなことをほざいていた気がする。信頼されているのか、どうせ何もできないし見張りなんて無駄と思われているのか。後者な気がする。事実なので否定はできないが。
「ま、一人で考えたいこともたくさんあるし好都合っちゃあ好都合なんだけど」
また一口齧ってから少年は呟く。
セキアから『レンキ』とかいう技術で体を癒されてから体調がいい。
食事後に腹痛に見舞われることは少なくなったし、全身の湿疹も広がることはなくなった。右肩の傷も癒える兆候は見えないが、膿んだりしている様子も見られない。
比較的、という言葉こそ付くかもしれないが、確かに少年は調子がよかった。
少年は先ほどの話を思い返す。
悪い話。この城のどこかに、悪魔が潜んでいることがほぼ確定した。
名はベリトリッサ。太古から生きる大悪魔で、スフィリウムのどこかに封じられている。場所が未明であるにもかかわらず存在が確認されたかというと、悪魔が発するとされる魔気というものを計測したところ、この城とその付近の濃度が異常な数値をだしたためらしい。名は歴史書から分かったとのことだ。
そして、もっと悪い話。
とある国が、悪魔の存在を理由に戦力としてベリトリッサを保有していると言いがかりをつけてきた。ベリトリッサは封印されているために戦力にもならずそれが施されたのも相当昔。このため先の疑いは晴れたものの、その某国によって、スフィリウムは以前以上に危機的状況に陥ってしまったとのことだ。疑念が大きくなれば、そのうち宣戦布告してくる国が出る、というのがユーキの考え。
少年は髪を掻きむしった。パラパラと白い粉が舞う。彼の視線の先に続くのは、埃っぽく薄暗い石の道、そしてその両脇を固めているのは無人の檻だ。今この場所には思考に耽る彼以外に何者も存在しない。
しかしそんな中。
鈴の音めいた響きが、思考の海に沈む少年の耳朶を打つ。
「……ん?」
意識が現世へと浮かび上がってくる。ふと顔を上げるとそこに地下牢はなかった。道も続いていない。
あったのは、一枚の金属の扉だ。いつの間にか少年は、地下牢の終点までたどり着いていた。
ユーキの話によると、この国には地下を活用するという文化があまりなかったらしい。故に、地下に作られたのはこの牢とそれに付随する施設のみ。それも百年ほど前に、である。
それから今に至るまでの間に技術が進歩し、下水などは整備されてきたみたいではあるがまだまだ人間が住むような建物を地下に建設するにはまだ足りないそうだ。もっともこれは、この地下牢が人の住むような場所ではないと言っているのに等しい。事実だけれど。
そんな理由もあって、時代遅れなこの地下施設はほぼ一本道のような作りになっている。そして地下牢ゾーンは終わりを告げた。
ここから先は、別の区画となっているはずだ。
赤錆に覆われた重厚な扉に鍵はない。今にも朽ち果てそうなほど風化した閂が掛けられているだけだ。左手一本で開けられるかどうか不安はあるが、それさえなんとかできれば扉は開く。そう思った。
先ほどの音の正体、それがこの先にあるのかもしれない。好奇心が膨らんでいくのを少年は自覚した。
パンを全て飲みこむと、彼は閂に触れる。湿った木材の感触が手のひらに伝わり、思わず腕を引いてしまう。意を決して掴むと、握った部位が指の形に陥没した。破損した場所から閂が二つに分かれる。
手に広がる気持ち悪い感触。付着した腐りかけの木片を払うと、改めて少年は扉に向き直った。
仄暗い地下でも分かる大きさで、不可思議な紋様がいくつか刻まれている。文字のようにも、絵のようにも見える。取っ手はない。天井まで届いているためにおおよそ二メートルくらいだろうか。
ちなみに、二メートルほどと高さこそないが横幅と奥行きに関しては、この地下はそこそこ広い。子供が大はしゃぎして駆け回れるくらいには。
扉に左手を当て押してみる。ピクリともしない。ぐっと体重をかけてみたが、それでも動く気配はない。
頭が熱い。なにか、この先に行かなければならないような、そんな気がする。
少年は扉に背を向け、体を押し付けた。両足を踏みしめると、ほんの少しだけ扉から鈍い音がした。
休憩を挟みながらも少年は扉を押し続けた。反動をつけて押すたび、不快な音を鳴らしながら数ミリほど扉が動く。
ようやく人一人が滑り込めるほどのスキマができた頃には、彼は汗まみれになっていた。
「はぁ、はぁ……疲れた、もう無理だ……」
掠れた声を出しながら、滑るように少年は崩れ落ちる。荒い息を吐きながら両目を閉じた。彼は既に、なぜ自分がこの扉を開けたのか憶えていなかった。それほどまでに疲れ切っていた。
「……さっきから見ていたけど、君は何をしていたのかい?」
不意に頭上から声が聞こえてきた。瞼を開けると目の前に、爽やかないい顔があった。ユーキだ。呆れていてもイケメンはイケメンなんだな、と少年は思った。
「よお、いたのなら声くらいかけろよ。気づかなかったけど、いつから見てたんだ?」
「君がゼエゼエ言いながら背中でその扉を押していたあたりから、かな。もうすぐ夕食の時間なのに牢にいなかったから探しに来たんだ」
「は?」
少年の頭を疑問符が埋め尽くした。彼は扉を開こうとする前にパンを齧っていた。朝食として渡された、クソ不味いパンだ。つまり、その時は朝だった。
それがどうして、もう夕食なのだろうか。
その理由に思い至り、まさかと少年は声を上げた。
「もしかしてだけど、今って夕方?」
「いや、夜だよ」
「俺、結構長い時間ここで扉を押してた?」
「僕が見始めてから二時間は経っているよ」
「マジで?」
「マジで」
「……うわー、マジかー」
ごろり、と体をひねりうつ伏せの体勢になる。火照った体に冷たい地面が心地良い。
そういえば、けっこう腹が減ってきている。食事がパン一つだけだったというのもあって、そのことを自覚した途端暴力的なまでに腹部が飢餓感を訴えてきた。
喉に灼けつくような痛みも感じる。口の中が乾ききっていた。そういえば頭も痛むし体も疲労以外の理由で重い気がする。脱水症状が出ているのだろうか。
「止めようかとも考えたんだけどね。せっかくだし君が何をしているのか見届けようかと思ったんだ」
「……止めてくれても良かったんだぞ」
「あんな鬼気迫るような様子の君を止められないよ。僕だって怖いものくらいあるさ」
少年は首を傾げた。
「は? 何のことだよ」
「君のことだよ。しかし凄かった、何かに憑りつかれたように扉を押すなんてね。こんな環境だし、頭のほうがついに逝ったんじゃないかって思ったほどだ」
少年は困惑した。確かに、扉を開けることに全力を出してはいたが、そこまでなるほどこの先について気になっていたわけではなかったというのに。
思い返せば、扉を押している最中のことがあまり記憶にない。まるで、その間だけ時間が折りたたまれてしまったかのようだ。
「やっべえ、本気で俺は参ってきているかもしれない」
「……大丈夫、ではなさそうだね」
ユーキは少年に近づくと、軽々と彼を持ち上げ背負った。
「今日は別の牢を使うといいよ、流石にこんな状態の君をあんな不衛生な場所に入れておくのは忍びない……今度、掃除しても良いか上に相談してくる」
「はっ……そいつはどうもよ。できればもっと早く待遇が改善されていれば良かったんだけどな。てか、掃除するのにも許可がいるのな」
「悪いね、前に言ったかもしれないけど僕ってそんなに偉くないからできることが少ないんだ。家庭のある身として、君に入れ込みすぎて職を失うわけにはいかないし」
「その割には、規則とか平気で破るんだな」
「超えてはいけないラインは見極めているつもりだよ」
「……悪いな」
少年は、ユーキの背に体重を預けながら目を閉じた。意外と逞しくて、もし俺が女だったら惚れてたかもな、と思った。嫁がいることも納得である。もしくは、自分がそうとうチョロイのかもしれない。
ふと、自分が汗と埃に塗れしばらく風呂にも入っていないことを彼は思い出した。
「なぁ、俺って臭いか?」
何気なく少年はユーキに尋ねた。彼は笑いながら、
「勿論臭いよ、すっごく臭い。鼻が壊れそうなほどだよ」
はっはっは、と声を上げる彼に、少年は瞼を開け胡乱げな視線を向けた。何がおかしいのか分からない。笑う理由なんてあったのだろうか。
ひとしきり笑い続けたユーキは、ごめんごめんと謝ると、
「いやさ、今までの君を見ていると自分の体について関心がないように思えててさ。セキア様のことと、バカみたいな話しかしてなかったじゃないか。記憶喪失で自分のことが知りたいはずだってのに、君自身に関することについては最低限しか聞いてこない」
「……聞いても仕方のないことだろ、お前が知っているとも思えないし」
「それはそうだけど、普通そんなに割り切れないものだと思うよ。ま、とにかく僕は君に対して自分のことを気にしない奇妙な人間、なんて印象を抱いていたんだよ」
「ひでえや。そんなことはねえよ」
「で、だ。そんなところにさっきの臭くないか? って問いかけ。自分の臭いなんて気にしているように見えなかったから、可笑しくてつい、ね」
「……悪かったな、女々しくて」
責めてるわけじゃないさ。そういうとユーキは反動をつけて少年を背負いなおした。
ギュルギュルと、少年の腹が鳴る。
ユーキが堪えきれずに吹き出す。少年は、不満げな表情を浮かべながらも悪くない気分だった。
胸の中のモヤモヤが、少しだけ薄くなった気がした。