オーバードライブ女装男子! 旧12話「瞬間、背中、合わせて」
「あんたがどうしてここにいるのよ!?」
「こ、これには深い訳があって……!」
一見すれば、女湯で二人の女がいるようにしか見えないだろうが、その実態は大いに異なっていた。
俺は諸悪の根源である悪魔を下手人げしゅにんとして突き出そうと辺りを見渡したが、どこを探そうにも彼女の姿が見えない。
おかしい、さっきまで確かに俺の傍にいたはずなのに一体どこに消えた? しかし、あんまりキョロキョロしているとアオイが視界に入ってしまうので自重せざるを得ない。
「深い訳って何よ……?」
不審者を見るようなジト目でアオイが尋ねる。
「えっと、鬼畜眼鏡が……じゃなくて、そうそう、セレスティア! セレスティアが俺を無理やりここに連れて来たんだよ!」
「セレスティアが? そ、それよりも、あんたは早く身体を隠しなさいよ! 丸見えなのよ!」
「え? い、いやあ、見ないでぇ!」
「それはこっちの台詞よ!?」
うっかり乙女のように悲鳴を上げてしまう俺。俺は急いで湯船に肩まで浸かった。
一方アオイは大浴場から脱出を試みようと扉に手を掛ける。しかし、いくら力を込めようとも扉はピクリともしない。さっきまで何の問題もなく開いていた扉が全く開かなくなるなんて流石におかしい。これは、もしや……と思っていると、
「ハハハ! 残念ながらアオイ! あなたはここから出ることはできないのです!」
明らかにセレスティアのものと思われる大声が外から響き渡った。
「はあ!? あんた何言ってんのよ!? いいから早くここを開けなさい!」
アオイは必死に抵抗を試みる。しかしそれでも扉は全く動かない。無駄な足掻きをするアオイを嘲笑うかのように、尚もセレスティアは大きな笑い声を上げた。それはさながら安っぽい漫画の悪役みたいだなと俺は思った。アオイは肩で息をしながら問うた。
「一体何が目的よ……?」
「訓練です。ハルトが女性に慣れるための第二の訓練はアオイも付き合ってもらいます!」
「なんであたしが!?」
「そんなの当然、あなたが一番問題児だからに決まっています!」
「ふ、ふざけんなあ!!」
あまりにはっきりしたセレスティアの物言いに怒るアオイ。どこからともなく槍を取り出し、扉を破壊しにかかる。しかし、どうやら扉はセレスティアによって魔術強化されているのか傷一つつけられない。
「いくらやったって無駄です! 私の鉄壁の守りは、いくらアオイであっても、ミナトのハンマーであっても破壊することはできません!」
セレスティアの堂々たる宣言に唇を噛みしめるアオイ。どうやらセレスティアが言っていることはあながち間違いではないらしい。彼女は黙って槍をまた空間にしまった。
「一体あたしたちに何をやらせようっていうのよ?」
「何も難しいことは言いません。アオイが身体を洗うのをハルトが手伝い、その後一緒に湯船に浸かるだけで構いません」
「はあ!? 手伝うって、それって、ハルトがあたしの身体に触れるってこと!?」
「当たり前です。身体に触れずして洗うなど不可能ですからね。身体に触れることができれば、抵抗感はだいぶ薄まると思いますので」
セレスティアの言いたいことは分からんでもない。だが俺は正直この訓練があまり効果的だとは思えなかった。もし前線において風呂が女湯しかないのだとしたら、時間をずらして入ればいいだけのことだし、最悪入らなければいいだけのことだ。わざわざここまでして俺が女の人の裸に慣れないといけない理由はないような気がするんだ。
「セレスティア、もうやめましょうよ。こんなことに付き合わせてしまってはアオイに申し訳ないですし、そもそもこんな訓練に意味なんて……」
「いいわよ。止める必要なんてないわ」
「え?」
俺が振り返ると、その言葉は確かにアオイの口から発せられていた。アオイはセレスティアがいると思しき方を見ながらこう言った。
「これであんたの気が済むなら付き合ってやるわよ。別に、ハルトはあたしの弟子になる予定だし、この男にちょっとくらい裸を見られたってなんてことないし、いちいち照れられても困るしね。ほら、早くこっちに来なさい。あたしの背中を流してちょうだい」
「あ、ああ……」
俺はアオイに導かれるままにシャワーのある方へと向かう。アオイはタオルで前をしっかり隠してはいるものの、特にもじもじした様子は見せず堂々と俺の前を歩いている。
セレスティアはアオイのそんな様子を受け、浴室の俺たちに向かってただ「ごゆっくり」とだけ言い、そのまま扉の向こうから気配を消してしまった。
アオイは特に怒っている様子はなく、ごく自然に俺の前を歩いている。よくよく見ると、アオイの身体はかなり引き締まっており、彼女が相当な訓練を日々重ねていることが良く分かった。
そうだ、彼女はいつも俺には想像もつかない様な厳しい訓練をこなしているんだ。だからこの程度のことできっと動揺なんてしないんだ。逆に俺は、これから勇者代行として勇者の業務をこなさないといけないのに、アオイのことを必要以上に意識したりなんてして……。これでは駄目だ。俺も彼女を見習って心を無にしなければ。余計なことは考えるな。雑念を捨てるんだ……。
アオイはまず頭を洗うと、今度は身体を洗いだす。正直言って俺に手伝うことなんてないんじゃないだろうかと思っていると、
「ハルト、悪いんだけど、背中洗ってもらっていい?」
と、いつもと同じ様なトーンでアオイは俺にそう尋ねた。それがあまりに自然だったので、俺もごく自然に彼女の背中を洗い出した。
「アオイ、凄く引き締まっているんだね」
「訓練しているんだから当然よ。ほら、手が止まってるわよ。無駄口叩かないでちゃっちゃとやる」
「あ、うん」
小さいのに力強い背中。こんなにも一生懸命な彼女を前にして、勇者代行として頑張らなければならないと、俺は決意を新たにすることができた。もしかして、セレスティアの狙いはそこにあったのかな? 女の子の裸に耐性をつけるのが目的ではなく、雑念を捨て勇者としての自覚を持てということが目的なのかもしれない。だとしたら、あながちこの訓練も無駄ではないのかもしれないと俺は思った。
「ちょっと、あんた……」
「え、なに?」
「胸が、当たってんのよ……。それ、あたしに対する嫌味のつもり?」
「え……?」
気付くと、俺の無駄にデカイ胸がしっかりアオイの背中に当たってしまっていた。
「ご、ごめん! わざとじゃ……あっ!?」
「危ない!」
飛び退くように彼女と距離を取ったはいいが、俺はそのまま勢い余って湯船に背中からダイブしてしまった! したたかに背中と頭を打ちつけて一瞬意識が飛びかける。
「イタた……」
「ちょっと、あんた大丈夫!?」
急いで湯船に飛び込んでくるアオイ。俺はなんとか浴槽の中で立ちあがり、自分の後頭部をさすってみた。どうやらどこも怪我はなさそうだった。
「ごめんごめん、一応は大丈夫みたい」
俺はアオイを心配させないように笑顔を作ってヒラヒラと手を振った。それを見てアオイは大袈裟に溜息をついたものの、怒っている訳ではなさそうだった。
俺たちは気を取り直してとりあえず二人して湯船に浸かることにした。
湯船に、背中合わせの二人。お互いに裸を見合わないための措置ではあるけれど、背中に女の子の感触があるというのはやはりどうしても気恥ずかしさがあった。こんな状況ではお互いに掛ける言葉も特に見つからず、しばらくの間俺たちはどちらとも何も言葉を発しなかった。
五分ほど経過し少し身体が熱くなってきた頃、静けさを打ち破るようにアオイが俺に尋ねた。
「あんた、記憶がないって本当なの?」
「……うん。やっぱり、変だよね?」
「べ、別に変だとは言わないけど……。もしあんたが記憶喪失なんかじゃなければ色々問い詰めていたところだけど、何も覚えていないんじゃ聞きようがないわね」
アオイの聞きたいこと、それは恐らく、俺がなぜ死んでしまったハルカと瓜二つなのかということだろう。確かに、彼女が死んでから一週間と経たない内に同じ顔の人間が現れたら誰だって奇妙に思うに決まっている。
セレスティア曰く、アオイはハルカと同郷の出身であり親友でもあったとのこと。そんな彼女が俺というニセモノの登場に疑問を持ったとしても何もおかしくはない。
「ねえ、アオイはどうして俺の特訓に付き合ってくれるって言ってくれたの?」
「そんなの当然、この国とプレセアの和平を早いとこ成功させるために決まってるでしょ? あたしはそのためにアルカディア騎士団に入ったんだし、和平実現のためには勇者代行になったあんたを手助けするのが一番の近道なのよ」
アオイの話を聞いていると、俺は彼女が敢えてハルカの話題を避けている様に思えた。ハルカとアオイの間柄についてはセレスティアに教えてもらっていたので、実際にアオイにハルカへの想いを聞いてみたいとも思った。でも、実際本人を前にしてみると、それを直接聞くことは躊躇われた。今日この世界に来たばかりの俺が踏みこんでいい領域ではない様な気がして、俺は彼女の心に踏み込むことは出来なかったんだ。
「なるほどね。確かに、アオイの言う通り、だ……」
ふと、僅かに視界が揺らぐのを感じた。
「そういうこと。だからあんた、明日から覚悟なさいね。鬼教官と悪名だかいセレスティアに比べれば甘いだろうけど、それでも遠慮するつもりはないからね」
「う、うん……」
声が、はっきり聞こえない。
「明日は朝から訓練……らね。八時には……に、……して、……までみっちり、……だからね」
「う……ん……」
明らかに、おかしかった。視界が、靄がかかったように、ぼやける。
「あんたが……をつか…………せるよう……まで、付きっきりで……して……からね」
駄目だ、目も、耳も、ちゃんと、働か、な、い……。アオイの声、が、聞きとれ、ない。
「……っと、あんた、……から、……のはな…………るの?」
え? 何て、言ったの……? もう、どんな声も、すっかり、聞こえなくなっ……。
「ちょっと!? ハル――」
瞬間、全てが無に帰した。最後に届いたのは、少女が叫ぶような、そんな声だったような気がした。




