末っ子の心
ナナミ × セレスティア
「おはようございます、勇者様」
「あ、おはよう、セレスティア」
慰問を無事終えてから数日後、朝ボッとしているあたしに声をかけてきたのは、アレクシアの妹のセレスティアだった。彼女は肩くらいの金髪を左右で結え、年相応の可愛らしい外見をしている。しかしその実中身はかなりのしっかり者であり、今も朝の軽い挨拶にも関わらず深く頭を下げ、朝に良く似合う爽やかな(作り?)笑顔をあたしに向けてくれていた。
あたしの前だとだらしのないアレクシアも、公式の場ではかなり周りの目を気にして、きっちりかっちり振る舞っている。セレスティアもそんな彼女を見て育ってきたので、やはり彼女を意識しているのは間違いないだろう。しかし、そうはいってもセレスティアはまだまだ九歳の女の子だ。九歳でここまでできるだけでも十分立派だとあたしは思った。
「今日も良い天気ですね。こんな日は訓練日和ですね」
「え? 訓練?」
思わず聞き返してしまったが、そう言えばセレスティアはアレクシア曰く、超がつくほどストイックなのだとか。魔力の才能は姉を凌駕するほどのものにも関わらず、全く才能に溺れることなく純粋にその力を伸ばそうとしている。その辺の姿勢を見るにしても、やはり彼女が九歳であるとは全く思えないのだった。
『この調子だと、私は簡単にあの子に抜かれちゃいそうね』
妹の成長を喜びながらも、自分自身あまり身体も強くなく、魔力も年とともに伸び悩み気味の現状を鑑みるに、アレクシアが心中穏やかではないことはあたしは分かっていた。
『力だけが全てじゃないよ。アレクシアは人心掌握術に長けてるし、それは他の人が簡単に真似できるものじゃないと思うよ』
『ナナミが私とのセックスに溺れているように?』
真面目に慰めてあげようとしたのに、アレクシアはとんでもない返しをしてくる。アレクシアと親密な関係になった今も、彼女は自身の弱みをあまり見せることはない。別にもうあたしは彼女の恥ずかしい部分を含めて隅々まで知っているのだし、今さら強がらなくてもと思ったりはするのだけれど。
『あれ、もしかして怒った?』
『別に……』
『もー! なんでいじけてるの? ナナミが「じんしんしょうあくじゅつ」を褒めてくれたから、その実例を出してあげたのにぃ』
頬をぷっくり膨らませるアレクシア。あたしはそれ以上そのことについて言及しなかった。どうせこれ以上つっこんだところでアレクシアは答えないし、彼女の守っているプライドを傷つけることにも繋がりかねないからだ。それ以降、あたしはこの手の話題に関しては、「そんなことないよ」とだけ言う様にしたのだった。
「あの、大丈夫ですか? もしかして、身体の調子が悪いんですか?」
気付くと、セレスティアがあたしの顔を覗き込んでいた。つい色々考え込んでしまった。あたしは気を取り直して言った。
「ごめんごめん、体調は絶好調よ」
「それならいいのですが」
「それより、セレスティアは訓練にせいが出ているみたいだね。ペトラも君のことを褒めていたよ」
『ちょっと頑張り過ぎて、心配になっちゃうくらいなんですけどねぇ』というのがペトラ談だ。ペトラだってあの見た目に反して訓練はかなりするのだが、その彼女の目からもセレスティアの訓練量は尋常ではないのだった。
「い、いえ、私なんてまだまだです! で、でも、ペトラさんにそう言っていただけたのは、嬉しいです……。ありがとうございます」
あ、顔を紅くした。こうして見ると年相応なんだな。アレクシアもこれくらいの素直さがあってもいいと思うんだけどなぁ。
「でも、君はまだ年齢が二桁にも到達していないんだし、もう少しゆったり構えててもいいんだよ」
「いえ、そういうわけにもいきません。父があの様な状態では、近いうちに姉が家督を継ぐことになるでしょう。その時に妹である私が姉を支えられないようでは困ります。来たるべき時に備え、今はしっかり訓練しておかないと」
そう話すセレスティアの表情は真剣そのものだ。やる気があることは素晴らしいことだ。でも、頑張り過ぎて疲れてしまっては元も子もない。アレクシアだっていつも気を張っているわけじゃない。人にはオンオフが必要だとあたしは思っている。
私はとりあえず話題を変えるために再び口を開いた。
「あ、そう言えば、セレスティアはよくレオナと一緒にいるんだっけ?」
「はい。レオナさんは本当にしっかりされていて、姉と同じくらい見本になる方です」
姉と同じねぇ……と疑問を感じても決して口には出さない。ちなみにレオナとは、レオナ・スプリングフィールド、つまりはあのペトラの妹のことだ。萌え属性である姉とは違い、レオナは隙がなく常にキリッとした印象だ。彼女の特徴である眼鏡をクイっとあげる仕草は、まるで学校で教鞭を振るっていてもおかしくないほどの雰囲気を醸し出していた。だが、そんな彼女も実際は堅物というわけではなく、抜くところは抜いている。アレクシアが忙しくて相手をしてくれない時は彼女がよくあたしの部屋に来て、共に酒を飲んで愚痴をはいているのを、あたしはよく知っていた。
「やはり、姉たちのように、私ももっとしっかりしないと」
「セレスティア、あなた今日の夜は暇かしら?」
話の流れをぶった切ってあたしは彼女に尋ねる。
「夜ですか? そうですね、あまり遅くならなければ大丈夫ですよ」
「そっか。じゃあ、今日は一緒にお酒を飲もうよ。用意しておくから、暇になったら来てよ」
「え? な、なぜ私がそんなものを?」
「なんでって、そんなの君が見ちゃいられないほど危ういからに決まっているよ」
「危うい? な、なぜです? なぜ私が危ういなどと……?」
セレスティアは不服そうに言う。あたしは首を横に振る。
「セレスティア、真面目なのはいいことだよ。でも、なんでも行き過ぎはよくない。それに、君は物事の本質を見ていない。表面ヅラを見て理解した気でいるだけだ。それは理解とは最も遠いものだ。君はアレクシアが君のおじいさまのことを"白ひげチビジジイ"と呼んでいることを知っている? レオナが酒に酔い潰れてトイレで吐いているのを知っている? ペトラが未だに怖い夢を見るとおねしょをしてしまうことを知っている?」
我ながらこんなことバラしちゃって大丈夫かなあと思いつつ尋ねる。するとセレスティアは顔を紅くさせて僅かに声を荒げた。
「そんな馬鹿な! 姉たちが、そ、そんな不真面目なことをするわけ……」
「では聞くけど、君は常に頭の先からつま先まで力を入れているのかな? そんなわけはないよね? 美味しいものを食べた時、自分が食べていい量よりもつい食べ過ぎてしまうことがあるように、夜寝床で面白い本を読んだ時、早く寝ないと明日に支障が出るというのに寝ることも忘れて本を読み耽ってしまうことがあるように、人は時としていけないと知りながらいけないことをしてしまうものさ。でもね、あたしはそれは全然悪いことだと思っていないの。自分の欲求を満たすことは、人として当然のこと。君は、過剰な真面目さで君の良さを雁字搦めにするべきじゃないとあたしは思うんだ」
少し言い過ぎかなとは思った。でも、こういう頭でっかちの子にははっきりと言ってあげることも必要なのだ。姉たちはなんだかんだ自分たちを羨望の眼差しで見つめる妹に本当のことは言いづらいだろうし、私は別に嫌われ役になったって構わない。あたしは彼女ほどの逸材を間違った方向に向かわせたくはなかったんだ。
泣いてしまうかな? それともプライドを傷つけたことを怒るかな? 色んなパターンを想像していたのだけど、彼女は予想外の反応を寄越した。
「な、なるほど。確かに、勇者様が仰ることはもっともです。すみません、うっかり本質を見失うところでした」
驚くほど素直に、セレスティアはそう応えていた。
「あれ? 納得したの?」
「はい。確かに四六時中肩肘張っていては疲れてしまいますね。姉たちが気を休めることがあっても全くおかしくありません。しかし……」
「しかし?」
「姉がおじいさまのことをそう言うのは分かる気もしますし、ペトラさんがおねしょ……というのも分かる気がするんですが」
「君も大概失礼ね」
私はニヤリと笑ってみせる。するとセレスティアは慌てて言う。
「い、今のは聞き流してください! ですが、レオナさんが酔い潰れて、は、吐いているというのは信じられないと言いますか、信じたくないと言いますか……」
「もうゲロゲロ吐いてるから。真似してみようか?」
「や、やめてください! あ、あなたは急に真面目なことを言ったと思ったら、次の瞬間にはビックリするほどの阿呆になっている。実に不思議な人です」
「ず、随分はっきり言うね」
「す、すみません! 決して、悪気があったわけでは……」
すると、急にセレスティアが押し黙った。どうしたのかと思っていると、彼女は少し顔を紅らめて言った。
「あなたは、姉たちとはまた違う魅力を持った方だと思います。私は飄々としていながらも、その実極めて真面目なあなたを羨ましく思っているんです」
「どうして?」
あたしがそう尋ねると、セレスティアは途端に表情を暗くする。そして俯き加減にこう言った。
「だって、私はあなたの様にはなれないから……。不器用な私は、きっと何者にもなれずに生きていくんだと思います。あなたのように人々の”希望”に、姉のようにこの国の”頭脳”にはなれず、ただの名もなき少女のまま歴史の中に埋没していくだけの存在なのだと、私は思っています」
セレスティアは泣いてはいなかった。でも、今にも泣き出しそうなほど辛そうな表情をしていた。あたしは一瞬、今のセレスティアの言葉は流石にネガティブすぎると思った。しかし、彼女の周りにはアレクシア、ペトラ、レオナという若くして既に立派に職務に励んでいる大きな存在がいる。いくら魔術の才に恵まれていようとも、それ以外の面で圧倒的な存在感を示している彼女たちはセレスティアにとって想像以上に重荷になっているのかもしれない。
幼くして母親を亡くし、父親は病気がち、姉は忙しく国中を駆け回っている。もし、自分が姉の役に立てない存在ならば、自分はもう誰にも相手にしてもらえないかもしれない。そんな強迫観念にセレスティアは苛まれている。それを知っているからこそレオナは人一倍彼女の面倒を見ているんだ。
ではあたしは? 本来であればもっと相手をしてあげられるはずのアレクシアを独占し、セレスティアの孤独を深めているのはあたしじゃないか? 自身の欲望に溺れ小さな女の子を苦しめているのはあたしじゃないのか?
よくもまぁ、そんな人間が偉そうに説教をできたものだ。セレスティアを歪めている一因はあたしなのに、あたしはよくも無神経に高説を垂れたりなんてして……。
あたしはいても立ってもいられなかった。気付くとあたしは彼女の手を掴んでいた。
「……勇者様?」
何か具体的なことを考えていた訳じゃない。明確な答を示せるとも思っていない。それでも、こんな年端もいかない女の子がこんなに辛そうにしているのを見過ごすことなんてできなかったんだ。
「行こう」
「い、行くってどこへですか?」
「それは行ってから考えればいい。君はセレスティア・アークライトだ。君は君にできることを探しに行くんだ」
あたしは夢中でセレスティアの手を引く。セレスティアは抵抗せず、あたしに手を引かれるままに歩き出したのだった。
ナナミはセレスティアをどこに連れて行くのだろうか?




