親愛なるあなたへ
訓練場に沈黙が流れる。耳に届くのは、雨が激しく地面を叩く音だけだ。
しばらくして、ようやくあおいが口を開いた。
「はぁ……」
わざとらしく、大袈裟にあおいは溜息をついた。
「ったく、真剣勝負が聞いて呆れるわ。戦ってる最中に泣くなんて、そんなの素人以下よ。これじゃ勝負にならないわ」
「あ、アオイ、私は……!」
「うっさい! こんな勝負、勝敗なんてどうだっていいわよ。あおいはこれしきのことでうだうだ言ったりしないからね」
「そ、それは、つまり……」
「鈍いわね! 弱っちいあんたに勝ちを譲ってあげるって言ってんのよ! 分かったらそこどきなさいよ。立てないでしょ」
セレスティアさんがあおいの上からどくと、あおいは少しよろけながらも立ち上がった。私は場外にあった槍を拾い、それをあおいに手渡した。
「お疲れ様、あおい。あの、ありがとうね……」
「別に、あんたに感謝されるようなことはしてないわよ……」
「それでも、ありがとう」
いろんな思いが頭の中を駆け巡って、私もまた涙を流していた。そんな私の表情を見て、あおいは私を安心させてくれるその笑顔で、私のことを抱きしめてくれた。
「ほら、あおいのことはいいから、勝者を労ってあげなさい」
あおいは一度私の頭を撫でて、今度こそ訓練場を後にした。
雨が激しく地面を叩きつける中、訓練場の中心でセレスティアさんが一人地面にへたり込んでいる。私は彼女に向かって歩き出した。
「ハルカ!」
彼女が私に気付き、立ち上がってこちらに走り寄ろうとするも、足がふらつき転倒してしまう。
私は彼女が倒れる前に、彼女の身体をこの腕で抱きとめた。
「す、すみません、ハルカ」
「いえいえ。それよりも、あなたがあおいとの勝負に勝ってくださったので、これで私の残留は決定しました。引続き、サポートよろしくお願いします」
私は軽く彼女にウインクしてみせた。しかし、彼女の表情は冴えないままだ。
「確かに、アオイのおまけのおかげで一応は勝負に勝つことができました。ですが、私にはあなたをサポートする資格があるでしょうか? あなたと共に戦っていく資格があるでしょうか?」
彼女は視線をなかなか私に向けられないでいる。私はそんな彼女に言った。
「ここまで確かに、色々なことがありました。できると思ったことができなくて、それをあなたに指摘され、どうしたらいいのか分からなくて泣きそうになったこともありました……。ですが、私はその時しっかりあなたと向き合うことをしませんでした。私があなたと真剣に向き合ってさえいれば、今回の様なことは起こらなかったかもしれません。だから、私は今回の件であなたを非難するつもりは全くないんです。資格なんて、あなたはそんな言葉を使う必要はありません」
「ハルカ……」
「私はあなたが迎えに来てくれたあの日から決意が揺らいだことはありません。そして、私の横にあなたがいることは、これまでもこれからも決して変わらないことですし、変わってはいけないことなんです。逆に、私が勇者を続けるのにあなたに勝手にいなくなられては迷惑ですし、そんなの自分勝手です。あなたは最後まで私の面倒を見る義務があるのです!」
「ぎ、義務ですか? なにやらハルカ、凄く強引の様なんですが……」
「強引ではありません! 前に私言いましたよね? 私は勇者で、あなたは部下なんですから、私の言うことには従いなさいと!」
ビシッと、私は彼女を大袈裟に指さしてみせた。あの日、初めてアルカディア王国に来た日、フィオナを連行すると言い張る彼女に対し、私はやけくそになって強権を発動させた。
でも今はそうじゃない。これは私の新しい決意なんだ。となりに彼女がいる。だからこそ頑張れる。だからこそ戦える。これはそのための意思表示なんだ。
そして、私の物言いに対しようやく彼女は笑顔を見せてくれた。
「ふふ、やはりあなたは、そういうところがいいです……」
そして同時に、泣きそうな表情になる。
「私は、まだ戻れますかね……?」
私は、そんな彼女に力強く言った。
「ええ、もちろん」
「ありがとう、ございます。本当に、ありが、と……」
彼女が言葉に詰まる。止めどなく溢れる涙を、なんとか拭っている。
「私、あなたはとても魅力的な人だと思っています。あなたとは、もっと親密な関係になりたいって、そう思ったんです。でも、この気持ちをどう伝えていいのか分からなくて……。情けないですね。あなたを導くべき人間が、こんなことを言っていては、あなたに示しがつかない」
「それは仕方のないことですよ。だって、あなたは昔から宿命を背負い続けてきたんです。普通の女の子と同じ様に生きることはできなかったと思います。だからこそ、あなたとは勇者とかは関係なく仲良くなりたい。……そう、私はあなたと”友達”になりたかったんです」
「と、友達、ですか? 私があなたと、友達に?」
「嫌、ですか?」
そう尋ねると、彼女は慌てて手を振って言った。
「い、嫌な訳がありません! ですが、どうしたら私はあなたと友達になれるのですか?」
「うーん、友達ってなろうと思ってなるものでもないですし、はっきりしたことを言うのは難しいですが、でも、心の距離を縮める方法ならありますよ」
「それは、一体?」
私はニンマリ笑って、こう提案した。
「あなたのこと、”ティア”って、呼んでもいいですか?」
「てぃ、ティア、ですか!? そ、そういう風に呼ばれるのは、生まれて初めてで……」
「お気に召しませんか?」
「い、いえ! ティア、ですか……。ティア、ティア、ティア……」
彼女は呪文のように、私が考えたあだ名を繰り返す。基本的に堅苦しい彼女だからか、最初こそしっくりいっていないようだったけど、しばらく繰り返すうちにようやく得心がいったらしく、彼女は笑顔で応えてくれた。
「ティア、なんだかとてもいい呼び名に思えてきました。なんというか、親しみを感じると言いますか」
「うん。こういうのもいいものでしょ? ね、ティア!」
「うわっ!? は、ハルカ!?」
私はがっちりとティアをホールドした。友人として、最大限の親しみを込めたハグだ。
「Oh! 案外ハルカは情熱的なのデスネ! ”ティア”も可愛い女の子の愛情は素直に受け取っておくべきデスネ!」
「り、リア、あなたまで!?」
「セレ……いえ、ティア、良かったですね。ハルカなら、あなたの良い友になると思います」
「一々言い直さないでください!」
「いいじゃないですか。それよりも、ハルカ、あなたにはお礼を言わなければなりません。本当にどうもありがとうございます」
カミラさんが深々と私に頭を下げる。
「そういう堅苦しいのはなしですよ! 私はあなたとも仲良くなりたいです! だから、お礼は不要です」
「わ、私ともですか? べ、別に構いませんが、もう少し、心の準備をさせていただければと……」
「カミラは相変わらずのコミュ障デスネ! そんなことでは、friendshipの輪は広がりませんヨ!」
「し、失礼な! 私はコミュ障などではありません! ブラッドフォード家は、礼節を重んじているのであって、あなたのように軽々しく人の懐に入るようなことは……」
リアさんとカミラさんがわちゃわちゃとまた言い合いを始めてしまったので、私はティアに向き直って言った。
「ティア」
「は、はい、なんですか?」
「改めて、よろしくね。私頑張るから、ティアも、ついて来てね」
「はい! 今度こそあなたを導いてみせます。だから、私を信じてください!」
ティアが力強く宣言する。今度こそ大丈夫。もう迷ったりしない。私はそう確信した。
訓練場に、みんなの笑顔が弾ける。
いつしか雨は降り止んでいた。
まるで私たちの新たな門出を祝福するかの様な真っ青な空が、雲の隙間から私たちを見つめていたのだった。
第一部はこれにて終わりです。連載はまだまだ続きますよ。




