雨の強い日に
あおい VS セレスティア その二
二人の戦いが始まり、既に三十分が経過しようとしていた。
いつしか訓練場には雨が降り出し、ポツポツ降りだった雨は、あっという間に本降りへと変わっていった。しかし、雨がいくら私たちを叩きつけようとも、二人の魂のぶつかり合いを前にして、そこから目を逸らす人など誰もいなかった。
既に二人は武器を失っている。あとは、互いの魔術と身体術をぶつけるのみだ。
「このぉ!!」
動きがどうしても鈍ってしまっているセレスティアさんの元へと走り寄り、あおいの右手がセレスティアさんの顔面を思い切り殴り付けた。一方のセレスティアさんも、負けじと反撃を加えようと左手を上げるも、あおいがそれをなんとか阻止しようとする。
「まるで子供の喧嘩デスネ……」
リアさんが半ば呆れ気味に言う。確かに、見た目はそんな感じに見えなくもない。でも、それは紛れもなく意地と意地のぶつかり合い。本気で自分の想いを貫こうとしている人たちの戦いだった。だから、私はそれを茶化すつもりは全くなかった。
あおいがセレスティアさんの身体を掴んで地面に向かって投げ飛ばす。負けじと彼女もあおいのお腹に蹴りを入れ、むせているあおいに向かって思い切り体当たりする。
「どうしてセレスティアは魔術を使わないんだ?」
フレデリックさんが首をかしげる。確かに、普通なら接近戦よりもセレスティアさんが得意の遠距離魔術を仕掛けるのが定石だ。でも、今の二人はそういう大規模な魔術を使う気配はない。基本的には魔術は補助技程度であり、相手へのダメージは完全にその身体で与えられるものに限られていた。
「あおいの糸!」
あおいが糸を使いセレスティアさんの身体を絡め取る。身動きの取れない彼女に対し、繰り出したのはやっぱりその拳だった。
「もう、諦めなさいよ! あんたに、ハルカは渡さない!」
セレスティアさんも負けじと糸の拘束を解き、今度は鎖であおいの身体を縛り付ける。
「私は絶対に、諦めません! この世界に彼女は絶対に必要です!」
あおいが拘束から抜け出す。顔はすでに目の周りが腫れ上がっている。痛みに顔を歪めながらも、それでも最大限にセレスティアさんを睨みながら言った。
「あんたって、やっぱりホントムカつくわ! 出会った時からホントにいけ好かないやつだと思ってたけど、今はもっとあんたのこと嫌い!」
「なっ!?」
「綺麗事ばっかり並べんな! 世界とか、国とか、そういうのは関係ない! あんたはどうなのよ!? あんたにとって遥は何!? ただの国を救うための駒? 都合の良い兵器かなにか!?」
あおいが走る。そしてセレスティアさんに対して思い切り飛びつく! 雨に足を取られ、セレスティアさんが転倒する。そしてあおいが彼女の身体に跨る形となる。
マウントポジションを取ったあおいはセレスティアさんの胸ぐらを掴んで言う。
「あんたはいつもスカして自分の言葉を言ってないじゃない! 上っ面の言葉なんていらないのよ! あんたのホントの言葉を聞かせなさいよ!」
跨ったままあおいはセレスティアさんを殴る!
「あれではセレスティアが死んでしまいます!」
目に余ったのか、カミラさんが止めに入ろうとするも、
「ああああああ!!」
セレスティアさんが野獣の咆哮のような声を上げ、カミラさんは硬直してしまう。あおいもその勢いに気圧され、そのまま彼女に突き飛ばされてしまう。
「言いたいことばっかり言って!」
「うわっ!?」
顔中アザだらけで、そこいらから出血しているセレスティアさんが、まるで子供のように悔しそうな表情を浮かべてあおいに飛びかかった。
仰向けに倒れているあおいに折り重なるようにセレスティアさんが乗る。二人とも、いや、私たちも既にすっかりずぶ濡れで、もう濡れていない部分がないほどだった。
「私だって……」
雨で聞こえづらくなってはいたけど、セレスティアさんの声は震えていた。
「私だって、本音で言いたいんですよ! 一人の人間としてみんなと話したいんですよ! ……でも、私はそれは許されていない。あなたは、そんな私の辛さが、分かるんですか!?」
セレスティアさんは、身動きの取れないあおいの顔を平手打ちで思い切り引っ叩いた。
その様子はさながらキャットファイトだった。止めに入ろうとしていたカミラさんも、セレスティアさんの様子がいつもと違うことに動揺し、それ以上二人に近付くことができないでいる。
「い、痛いって、言ってるのに!」
「この程度では足りません! 私の受けた痛みに比べたら、これくらい序の口です!」
「いやぁ!? こ、この金髪クソ女! これ以上やるなら、あおいだって……」
そう言いかけて、あおいの言葉が途切れる。同時に私たちも息を飲んだ。
鼻をすする音が辺りに響く。泣いていたのは……セレスティアさんだった。
「セレスティア……」
リアさんが驚きのあまり口を押さえている。カミラさんも、幼馴染の涙を前に何も言葉を発することができない。
セレスティアさんの目からは、大粒の涙が溢れていた。
彼女の涙は、この雨すらも洗い流すことができないほど止めどなく、彼女の頬を伝っていた。
「せ、セレスティア……?」
「……アオイ、私は、あなたたちが本音でお互いの気持ちを伝えることができることが、羨ましかった……。あの月が綺麗だった夜、抱き合う二人を見て、私は言いようのない寂しさを抱いてしまいました。今の私にできないことが普通にできるあなたたちが、眩しく、そして、あまりに遠く見えていたんです……」
いつしか、セレスティアさんの髪留めがほどけ、その長い髪が風に凪いだ。
一族の命運を背負い、大切な人を失っても頑張り続けた少女。私はその全ての重荷が、今雨の世界に溶けていく様な、私にはそんな風に思えたんだ。
「セレスティア・アークライトの発言、それ自体がアークライト家のみならず、王家の発言として捉えられてしまう。私はあくまで王国のスポークスマンでしかない。そんな人間に、本音など必要ない。そう思ってきました。全てが建前であった訳ではありませんが、極力、個人的な感情は封じ込めてきたつもりです。ですが……」
少女が目を閉じる。そして、絞り出すように言った。
「もう、疲れてしまいました……。気持ちを押し殺して生きることに、耐えられなくなってしまいました……。アオイ……」
「……何よ?」
「あなたは、私のことが嫌いとおっしゃいましたが、私は、あなたのことは、好きです」
「な!? な、何よ、いきなり……?」
「いきなりではなく、ずっと前から思っていました。いつも素直じゃないのに、本当に言葉をかけてほしい時にはしっかり優しく励ましてくれる……。ハルカがあなたのことを大切に想う気持ち、とてもよく分かります」
「なななな、な、なに言ってんのよ!? あんた変なものでも食べたんじゃないの!?」
「あはは……。もしかしたら、そうかもしれません。いや、きっと、ずっと前から私はおかしかったのかもしれませんね……」
セレスティアさんは力無く笑う。その表情は、とても寂しそうだった。
「アオイ、私は、世界とか国とかではなく、この私自身がハルカを欲しています。ハルカはまっすぐで、優しくて、とても愛おしい方です。私は、彼女のことをもっと知りたい。もっと近くにいたい。そして、もっと一緒に戦っていきたい。それが、誤魔化しようのない、私の想いです」
セレスティアさんが、一瞬私に視線を送る。私はまっすぐ彼女を見つめ返した。
「しかしこの状態では、この勝負、やはりあなたの勝ち、ということになってしまうでしょうね」
セレスティアさんの出血は止まる気配がない。それに激しいもみ合いのせいで衣装も所々が破れ、そこから血が滲んでいる。客観的に見て、この戦いの勝者があおいであることは明らかだった。
しかし、あおいは何も答えない。目を閉じたまま、彼女はしばらくの間何も言葉を発しなかった。
あおいは何を言うのか?




