5.美しき二人のパートナー候補
「ここからが重要な話。この学院には上級生と下級生がペアになって、上級生が学院生活のお手本を示しながら、下級生がそれを学ぶという習わしがあるの」
雅お姉様から告げられた初めて聞く学院の規則に私は瞬きを繰り返した。
「上級生と、下級生が…?」
(…部活動の上下関係みたいなものなのかな)
「そして、下級生は入学後一カ月以内に自分でパートナーとなる上級生を見つけなくてはならないの。一年生の間は、誰もが上級生を一人だけ自分のお姉様にできるわ。この制度の期限は一年。二年生になったら、パートナーは解消される。まあ大抵はそのままズルズルと付き合いを続けている学生が多いみたいだけれど。…二年生になったら、普通は自分がされたみたいに今度は導く側として下級生のパートナーを持つのが一般的よ。三年生は基本、自由だけれど、まあこうした付き合いの中で培った関係を保とうとするのが普通じゃないかしら」
「じゃあ、真理亜ちゃんも…その、上級生のパートナーが?」
私が真理亜ちゃんを見ると、私の視線を受けて真理亜ちゃんは静かに首を横に振った。
「…私は別に、上級生のパートナーを持つ気はないわ」
「この子はイレギュラー。まあ周りに私達がいるからね」
倫子お姉様が真理亜ちゃんの事情を説明する。
「じゃ、じゃあ、ここにいる皆さんも、全員パートナーがいるってことですか?」
私はその場に集まった面々を見回した。
「いた、という言い方の方が正しいかしらね。私が一年生の時にパートナーのお姉様はいたことにはいたけど、とっくに卒業しちゃったし、今はフリーだもの。…一応ね」
倫子お姉様が後ろに控えていた一人の女生徒に何やら意味ありげな視線を送った。それを受けて、女生徒が身じろぎをする。
雅お姉様が倫子お姉様の方へ冷ややかな視線を送った後、静かに口を開いた。
「強制力があるのは一年生の間だけ。真理亜や馨みたいに一人のパートナーもいないっていう子は本当に特例中の特例よ」
(真理亜ちゃんだけじゃなくて、馨様も…?)
私の頭の中で、たくさんのクエスチョンマークが羽をつけて飛び回っている。その一つ一つを雅お姉様や倫子お姉様の説明で必死に消していくのだが、新しい疑問は尽きることを知らず、あっという間に私の頭を埋め尽くしてしまう。
「…ということは、私も…?」
「持たなければならないわねえ」
おろおろと辺りを見回す私の質問に雪乃お姉様がのんびりとした口調で答えた。
「…パートナーってその、具体的には一体、何をすれば良いんでしょう…?」
(四六時中ついて回るってわけにもいかないだろうし…)
「そうねえ。上級生の身の回りのお世話とか、お部屋のお掃除とか、ようは雑用係といったところかしら。そんなに難しいことはないから安心して」
雪乃お姉様が私を安心させようと柔らかな微笑みを浮かべた。
「なるほど…」
雪乃お姉様の笑顔を受けて、焦っていた心が少しだけほんわりと温かくなる。何が何だか分からないままここに連れて来られたはいいが、新しい規則やパートナーのことについて、まだ自分が関係しているのだとはっきり自覚することができずにいる。話は大体理解できたけれど、自分じゃない全く別の誰かさんの話をしているようで、やっぱりどこか落ち着かなかった。
(パートナーかあ…)
「ということで、あなたに最低限聞かせておくべき話の一幕はおしまい」
「二幕があるんですか」
雅お姉様がひと際声を大きくして、無理やり話を一区切りさせたことに意表を突かれた私は思わず身を乗り出した。
「真理亜と馨が何を争っていたのか、気になるでしょ」
倫子お姉様が何やら不敵に微笑むと、首を傾げて私を見つめた。私は「は、はい」と答えて首を何度か縦に振ると、倫子お姉様が勿体ぶって言った。
「……この習わしには続きがあってね。ペアを組もうとしていた上級生が別の上級生とペアを組んでしまったり、もしくはペアを申し込んでもことごとく断れられてしまって、どうしても上級生とペアを組めないっていう時があるとしたら…どうすると思う?」
「そんなこと、あるんですか?」
「滅多にあるものじゃないわ。で、どうすると思う?」
「…ど、どうするんですか?」
「この場合、特別に同級生の一人と組むことが許されるの。勿論、その同級生も他にパートナーのいない子じゃないとだめよ」
「で、でも…上級生が下級生を導くって」
「それはパートナー制度の表向きの理由。実際には、入学して初めて寄宿舎生活を送る子達の心を慰めてあげるっていう役目も買っているの。だから、同級生同士で組んじゃいけないってわけじゃないのよ。一年生の大半は上級生とペアを組むものって思い込んでいるから、そもそも同級生をパートナーにするなんて考えは元からないでしょうけれど」
「同級生を…パートナーに…」
「中には自らそれを選ぶ、変わった子もいるけれど」
倫子お姉様はちらりと真理亜ちゃんを一瞥し、雪乃お姉様が続けて驚くべき内容をさらりと言ってのけた。
「話を戻すとね、あなたのパートナー争奪戦を彼女達はしていたってわけなの」
「わ、私の…パートナー?」
私の目の前でちかちかと星が輝いた。幻覚だ。それくらい、驚いたってこと。
「そうでしょう?馨、真理亜」
名前を呼ばれた二人はそれぞれ同意の反応を示した。
「…で、でも真理亜ちゃんはそんなこと一言も」
「私、有栖をパートナーにしたいと思っています」
「ええ?!」
私は真理亜ちゃんの唐突な発言にぽかんとだらしなく口を開けた。真理亜ちゃんは私を真っすぐと射貫くように凛とした眼差しで見つめている。
「本気よ」
「で、でも、あ、ううん。そんな風に言って貰えてすごく嬉しいんだけど、私達まだ今日会ったばかりなのに、どうして?それに真理亜ちゃん、上級生のパートナーだっていないって…」
私がうろたえながら真理亜ちゃんに問いかけると、真理亜ちゃんはほんの数秒視線をさ迷わせると、ほんのり頬を染めて口を開いた。
「………有栖は、私に臆することなく話し掛けてくれた初めての同い年の子だもの。上級生のパートナーがいないのは、単に私をお世話係にできるほどの人がいなかったっていうだけ」
(真理亜ちゃん……。さすが、すごいプライドの高さ…)
「まあ、真理亜ったら意外と純情だったのね」
「こら、倫子」
「ふふ」
倫子お姉様が早速茶々を入れると雪乃お姉様が倫子お姉様を優しく小突いた。
「馨はどうなの?」
真理亜ちゃんの意志表明を聞いた雅お姉様が馨お姉様へ声を掛けた。
「だから言っているじゃない。争うも何も、有栖ちゃんは私のパートナー同然よ。あとは紙にサインして職員室に届けるだけ」
馨お姉様は動揺することもなく、淡々と私にとって寝耳に水なことを述べた。
「……馨はこう言っているけれど」
雅お姉様は「はあ」とため息を吐くと額を押さえて、念のためというように私を見つめた。
「え、あ、いや、私はそんな話、今初めてで」
私は当然、左右に首を振り否定しようとするが、馨お姉様はそれ以上私に真実を喋らせないつもりらしく、どこか威圧的な口調で私の顔を覗き込んだ。
「有栖ちゃん。私と、ペアを組むでしょ?」
(……!)
私はいきなり目の前に迫った美貌にすっかり体をかちこちに固めて、瞬きを繰り返した。
「…えっと」
「私はね、今まで誰かをパートナーに持とうなんて微塵も考えたこと、なかったの。上級生にしろ下級生にしろね。でもね、有栖ちゃん。あなたと初めて会って、私を抱き締めてくれた時、確かに温かな胸のぬくもりを感じたの。すごく甘美な鼓動…じゃなかった、私をときめかすほどの魅力をもつ子だって思ったわ。こんな子、もう二度と出会わないって」
「はあ…」
「つまりタイプだったんでしょ」
「もう、そうやって有栖さんを困らせないの」
「……」
馨お姉様は外野のやじにも一切反応を示さない。
「だから、あなたのパートナーは私。この鳳凰院馨しかありえないわ」
「は、はあ……」
(もう、何が何だか…)
馨お姉様は私の肩を抱いて離してくれないし、真理亜ちゃんはその様子をひるむことなく睨みつけている。
(二人にそう言ってもらえてすごく嬉しいんだけど…どちらか一人を選べだなんて…そもそも、どうしてこんなさえない私なんかに…)
疑問は尽きない。これ以上、話を続けていたら大量のクエスチョンマークで頭がパンクしてしまいそうだ。
「馨も真理亜も転入生である有栖さんをパートナーにしたがっているけれど有栖さんの方はパートナー制度について、今日、それもたった今、知ったばかりなのよ。そんな子にいきなり、この場でパートナーを選べだなんて酷な話だわ。考える時間を与えて然るべき、じゃない?」
雅お姉様が改めて姿勢を正し、困惑したままの表情を浮かべる私へ気の毒そうな眼差しを向けた。
「私もそう思うわ」
「私も同じく」
「有栖ちゃんがそれを望むなら」
「…有栖の意志を尊重します」
雅お姉様の発言に、倫子お姉様、雪乃お姉様がそれぞれ同意を示し、馨お姉様は渋々ながらといった様子で、真理亜ちゃんもまた似たような顔で頷いた。
私は当然、この場で答えを出すことなんか到底できそうにもないので、話を聞いている間中ずっと言いたかった言葉をそっくりそのまま口に出した。
「私は…私は、もう少し考えたい、です」
雅お姉様は、ぱん、と両手を叩き小気味良い音を室内に響かせると、顔を上げた。
「じゃあ、決まりね。猶予は一ヵ月。その間にどちらをパートナーにするか、あるいは他の誰かをパートナーにするか、有栖さんが決めていいのよ。この一ヵ月っていうのは、本来一年生の子がパートナーを決めるのに与えられる期間なの。ああ、そうそう。誰もパートナーにしないっていう答えはなしね」
「はい…分かりました」
私が力強く頷いて見せると、肩に触れていた馨お姉様の手が離れた。
(これって、本当に初日、なんだよね…?)
初日からこんなに濃い出来事があっていいのか、いや、よくないと私は誰に問うでもなく心の中で自問自答した。はたして、これだけ初日が濃いのなら明日から一体どのような学院生活が待っているのか、考えただけで寒気がしてくる。
(私、本当にこの学院にきて良かったのかなあ…)
これから始まる、否、始まったばかりの日常は私がこれまで送ってきた普通のそれとはずいぶん、遠い位置にあるもののように思えてならなかった。