31.一難去ってまた一難
「何って、見れば分かるでしょう。迷子の可愛い小鳥ちゃんとお楽しみの最中だったのよ。でも……この子が、あなたの知り合いだなんて、ちっとも知らなかったわ。不思議な偶然があるものね」
静花お姉様は馨お姉様の凍るような視線を受けて、肩をすくめた。
馨お姉様は不機嫌さを露にしながら、静花お姉様を睨みつけると、後ろにいた私を庇うように抱き締めた。
「知らないようなら言っておくわ。この子は私のものよ。二度と手を触れようだなんて思わないことね」
(か、馨お姉様が私のもの……って、だめだめ今はそんなことを考えている場合じゃないんだってば)
自分を諫めるように唇を引き締めた私を見て、静花お姉様が目を細めた。
「どうかしら。私の悪癖、知っているでしょう。昔からつい、あなたが興味を持っているものが欲しくなってしまうのよね」
静花お姉様は悪びれた様子もなく、妖艶に微笑んだ。
「……静花」
「といっても、今回はそれだけじゃないわよ。私とその小鳥ちゃん、随分と相性がいいみたい。とても美味しそうな匂いがするもの。……私の鳥籠に入れて、コレクションに加えたくなっちゃったわ」
静花お姉様の冗談とも本気ともつかない言葉にぞわりと背筋が泡立つ。
「有栖は、あなたが安易に味見していいような子じゃないわ。それ以上言うようなら、静花といえどこの学院から出て行って貰うわよ」
馨お姉様の激しい怒りを含んだ口調に、初めて静花お姉様がため息を吐いて、視線を逸らした。
「全く、馨ったら昔から怒りっぽいんだから。あなたが欲しがるものなんて、滅多にないんだもの。どうしたって気になるのは仕方ないでしょう。それに、この私から逃げようとする小鳥ちゃんなんて珍しいじゃない。ちょっと、からかってみただけよ」
「……それ以上の関心は無用よ」
「もう、分かっているわよ。私とあなたの仲じゃないの。でも、小鳥ちゃんが心変わりしても恨みっこなしよ。そういうことって、不思議と多いのよね。ふふ。ではね、馨。“有栖”ちゃん。ごきげんよう」
静花お姉様はそう微笑んで私に片目をつぶると、踵を返して廊下の角へと消えてしまった。
静花お姉様の足音が聞こえなくなると、馨お姉様は浅い息を吐いて、私を解放した。
「大丈夫?有栖ちゃん」
馨お姉様が心配そうに私をじっと見つめる。
「馨お姉様……。私、心の中で馨お姉様を呼んだんです。でも、本当に来てくれるなんて……」
「どんなところにいたって、あなたの声だけは聞き逃さないわ。それよりも、怖い思いをさせたわね」
馨お姉様の手が私の頬を優しく撫でる。
「私は大丈夫です。それよりも、馨お姉様。私、馨お姉様を呼びに行こうとしていたんです。教室で真理亜ちゃんと鄙乃ちゃんが―――」
と言いかけたそのとき、倫子お姉様の切羽詰まったような声がその場に響いた。
「馨!有栖ちゃん!」
同時に、ばたばたとクインテットのお姉様方がその場に現れる。
「っ静花は?」
倫子お姉様が息を切らして、馨お姉様と私の顔を交互に見つめた。
馨お姉様が静花お姉様が去った方向を見つめて、左右に首を振る。
「もう行ったわ」
「……そう」
雅お姉様が複雑そうな顔で呟いた。
「それで、何もなかったと解釈していいのかしら」
雪乃お姉様が腕を組んだ姿勢で首を傾げた。
「今回のところは」
馨お姉様の答えに、倫子お姉様が長いため息を吐いた。
「ああ、またなの。来て早々、静花がどんな人間かっていうのを嫌ってほど思い出したわ。あの女たらしぶりは健在ね。これからあの子に振り回される日々が始まるんだわ。さようなら、私達の平穏な学園生活」
「大袈裟ねえ、倫子は」
雪乃お姉様が苦笑して答える。
「だって、そうじゃない。ここをいい狩り場としか思っていないわよ、静花は」
「それを監視するのが私達の本来の役目でしょう」
雅お姉様が倫子お姉様の不満げな声に応えるように言った。
「まあ、そうだけど……」
「女たらしっていう点では、来るもの拒まずで飽き性な馨のほうがタチ悪いわよ。その点、静花はそこらへん、うまくあしらうのよねえ」
雪乃お姉様の言葉に、馨お姉様がむすっとした態度を見せる。
「……そんな過去の話、どうでもいいことだわ」
「そうね。今はあなたも、有栖さんにぞっこんなんだし、見違えるほどの変化よね。静花もそうなってくれたら、良いのだけど」
「あれは生まれつきだもの。病気みたいなものよ。そう簡単に治ったら苦労しないわ」
「そうなのよね」
「まあ確かに」
雅お姉様の言葉に雪乃お姉様と倫子お姉様が揃って頷く。
ふと馨お姉様が思い出したように私を振り返った。
「ところで、有栖ちゃん。あなた、さっき真理亜と鄙乃がどうって何か言いかけたけれど」
「あ、そうなんです。真理亜ちゃんと鄙乃ちゃんが―――」
と言いかけたところで、その張本人二人がばたばたとこの場に現れた。
「有栖!……っと、お姉様方」
現れた真理亜ちゃんと鄙乃ちゃんの姿を見て、雅お姉様がちくりと刺すような言葉を吐く。
「あからさまにおまけみたいな言い方ね、真理亜」
そう言われて真理亜ちゃんは「いえそんなことは全く」と口早に述べ、さっと視線を逸らした。
その様子を見て、雪乃お姉様が呟く。
「そういえば、ここにも、有栖さんに骨抜きにされた子がいたわねえ」
「え、ということは、有栖ちゃんが一番の女たらしってこと?」
「そうかもしれないわ」
いつもの調子を取り戻した倫子お姉様と雪乃お姉様が二人、息の揃った調子で軽口に興じ始めたところで、鄙乃ちゃんがおずおずと前へ出ると、優雅に腰を折って挨拶をした。
「ごきげんよう、お姉様方。お久しぶりです。玖珂鄙乃ですわ。こんなところにどうしてお集まりになっているんですの?」
「一難去ってまた一難、かしら」
「こら、倫子」
すかさず、鄙乃ちゃんを見て呟いた倫子お姉様に対して、雪乃お姉様が優しく咎めた。
雅お姉様が鄙乃ちゃんの前に歩み出た。
「ごきげんよう、鄙乃。久しぶりね。何故、ここに集まっているのかという問いだけれど、あなたのお姉様の悪い癖が出たみたいだから、止めようとしていたところよ。本人には逃げられてしまったけれど」
「お姉様が……?まあ、そうでしたの。ところで……どこに行ったかと思ったら、有栖も一緒でしたのね」
鄙乃ちゃんが馨お姉様の横にいた私にきつい視線を送る。思わず、謝らなくちゃと口を開きかけたが、鄙乃ちゃんはすぐに隣にいる馨お姉様へ視線を移すと、熱っぽい眼差しで見つめ始めた。
「そして、麗しい馨お姉様も。ああ、鄙乃、再びお目にかかれる日をどんなに待ち望んだことか。お会いできて嬉しいですわ、馨お姉様」
「……ええ、ごきげんよう。鄙乃。元気そうね」
馨お姉様は複雑そうな顔で鄙乃ちゃんを見つめた。
「私達は?」
「さあ。そのうち思い出してくれるんじゃないかしら」
倫子お姉様と雪乃お姉様の呟きは鄙乃ちゃんには聞こえていないらしい。
「馨お姉様にお会いできて、鄙乃は、鄙乃はっ……いいえ。再会の喜びをもっと味わいたいところですけれど、鄙乃達、そこにいる有栖のことで馨お姉様にお聞きしたいことがあって、探していたんですわ」
鄙乃ちゃんの口から私の名前が出ると、どきり、と心臓がはねた。
「私は別に。鄙乃がどうしても直接、聞かなければ気が済まないっていうものですから」
真理亜ちゃんが咳払いをして、鄙乃ちゃんの言葉を訂正した。
「有栖ちゃんに関して、私に聞きたいことって?」
馨お姉様が首を傾げる。
「この学院のシステムにパートナー制度があるというのは聞きましたわ。それで、鄙乃、パートナーは絶対に馨お姉様しか考えられないって思ったんですの。それなのに……それなのにっ……そこにいる有栖が、馨お姉様のパートナーだって言うじゃありませんか!鄙乃、信じられなくって。何かの間違いじゃないかしらって馨お姉様に直接聞きにきたんですの!」
鄙乃ちゃんがびし、と私を指差す。慌てる私に対し、馨お姉様はすました様子で答える。
「そう。何も間違いはないわよ。有栖ちゃんは私が決めた、私だけのパートナーだもの」
「そ、そんな……そんな、ヴァンプのなりぞこないが……真理亜から聞きましたわ。有栖がハーフヴァンプであることを……それに、真理亜のニエでも何でもないって。でも、そんな、ただのハーフヴァンプが馨お姉様のパートナーを名乗るなんて……」
「馨は有栖ちゃんにめろめろなのよね。今から割って入るのは無理なんじゃないかしら」
「めっ……!?」
鄙乃ちゃんが倫子お姉様の言葉に思い切り顔をひきつらせた。
雪乃お姉様がちっとも心のこもっていない声で倫子お姉様を諫める。
「そこまで言ったらかわいそうよ、倫子」
「だって、事実でしょう。現実は早めに見せておいてあげないとね。そういうわけですから、わざわざ転入までしてきた鄙乃にはかわいそうだけれど、可能性ゼロってことで、早く自分の巣にお帰りなさいな」
それを聞いていた雅お姉様がぴしゃりと倫子お姉様の発言を止める。
「倫子。そこまでよ。……ま、彼女の言葉が間違っているとは言わないけれど、望み薄ね。鄙乃にも素敵なパートナーが見つかるわよ。馨がだめだからって、諦めずに楽しい学院生活を送ってちょうだい。私達はその為に尽力するわ」
鄙乃ちゃんは最初の威勢の良さを失って、よろよろと後退しかけたが、きっと顔を上げると私と真理亜ちゃんを睨みつけた。
「……ひ、鄙乃は、鄙乃は、馨お姉様じゃない人がパートナーになるなんて絶対に考えられませんわ」
「鄙乃ちゃん。ニエのこと、誤解させて本当にごめん。あと、パートナーのことも……言えなくて、ごめんね」
声を荒げる鄙乃ちゃんに向けて、今しかないと謝罪の言葉を口にした。だが、当然ながら鄙乃ちゃんは怖い顔をしただけで、そっぽを向いた。
「……許しませんわ」
「あのとき、肯定も否定もしていなかった有栖を責めるのはお門違いだわ。鄙乃が勝手に勘違いしたんじゃない」
「なっ!鄙乃が悪いって言いたいんですの?」
鄙乃ちゃんの勢いを前にしても、動じない真理亜ちゃんが飄々とした様子で言った。
「誰が悪いかって言ったら、誤解をさせるようなことを言った私かしら。とはいえ、これには色々とこみいった事情があったのよ。それを鄙乃に理解しろとは言わないけれど、察するくらいはしてほしいわね」
お姉様達は何も言わずに鄙乃ちゃんと真理亜ちゃんのやり取りを傍観している。
鄙乃ちゃんはわなわなと震えながら、唇を噛み締めた。
「もう、いいですわっ!鄙乃を寄ってたかっていじめるなんてっ……、ひどいじゃありませんの!有栖が鄙乃の馨お姉様のパートナーだということも、決して認めませんわ!こんなハーフヴァンプごときが馨お姉様のお相手だなんて、鄙乃、絶対に認めません!」
鄙乃ちゃんはそう言うと目に涙をいっぱいに溜めて、その場から走り去った。
(鄙乃ちゃん…………)
呆然とその様子を見つめていると、真理亜ちゃんがこちらを振り返った。
「……ごめんなさい、有栖。有栖が馨お姉様のパートナーであることは勿論、私のニエじゃないってことも話の流れ上、鄙乃に知られてしまって」
真理亜ちゃんの表情は鄙乃ちゃんに見せていた顔とは違う、優しいものだった。
「ううん、いいの。それより、真理亜ちゃんを一人にしてごめんね」
真理亜ちゃんは「いいのよ。有栖の為だもの」と微笑んだ。
そのとき、雅お姉様がぼそりと呟いた。
「倫子の言った通りね」
倫子お姉様がはて、と首を傾げる。
「私?……何て言ったかしら」
「一難去ってまた一難、でしょう?」
すかさず、答えた雪乃お姉様の言葉に雅お姉様が頷く。
「それよ。面倒事は一度に片付けてしまいたいわ」
「ふふ。雅の言う台詞にしては、本音が出過ぎてるわよ」
倫子お姉様が雅お姉様の発言に突っ込む。馨お姉様もくすり、と微笑みを零した。
雅お姉様がわざとらしく咳払いをすると、ぱしんと手を叩いた。
「……さ、これ以上、見世物になる前に、風紀委員の集まりにいくわよ。有栖さんと真理亜は荷物をとっていらっしゃい」
「あ、はい!」
「いきましょ、有栖。ごきげんよう、お姉様」
「また後でね、有栖ちゃん」
名残惜しそうに見上げた視線が馨お姉様とぶつかる。馨お姉様はにっこりと微笑むと、片手を上げた。
「はい。……ごきげんよう」
私達は帰り支度の途中だった教室へと戻るべく、お姉様方に背を向けて歩き出した。




