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20.儚い友情の先に


「っま、真理亜ちゃん…なの?」


 私の呼び掛けに微かに反応を見せたものの、真理亜ちゃんはすぐに顔を戻して、吸血を再開した。地面に横たわり、ぴくりとも動かない女生徒の首筋に顔を埋め、真理亜ちゃんはそこから一歩も動こうとしない。血液を嚥下する音と私の荒い息遣いだけがこの場に響く。


 じわじわと恐怖が心を満たし始める。目の前にいるのは真理亜ちゃんなのに、私の知っている真理亜ちゃんではない。それに。


(あの子、このままだと、血を吸われすぎて死んじゃう…!)


 真理亜ちゃんの標的となってしまった女生徒はだらりと体を弛緩させ、何の反応も示さない。


「だめ、だめだよ、真理亜ちゃん…」


 もしかしたら、もう。ううん。そんな悪い考えを振り払うように、私は真理亜ちゃんの元へと駆け出していた。


「…っ!」


 真理亜ちゃんが再び、顔を上げ、その鮮やかな瞳に私を捉えた。私は、あと数歩の距離でその場に立ち止まる。此方を見つめる真理亜ちゃんから視線を外し、横たわる女生徒を見遣った。


「嘘。中原、さん…?」


 その女生徒の顔には見覚えがあった。つい数時間前に寮の部屋を訪ねてきた彼女。クラスメイトでもある彼女の名は中原夕子といった。


 がくがくと足が震え出す。彼女の首筋からは今もその体内から血液が流れ出ている。真理亜ちゃんは見せつけるようにその血液の流れ出る首筋へ唇を近づけた。


「だ、だめっ!」


 私の悲鳴に似た声に真理亜ちゃんの動きが止まる。ゆらりと此方を向いた真理亜ちゃんの瞳に私が映った。何の感情も宿していないそんな瞳に恐怖心が加速する。

真理亜ちゃんは真っ赤に汚した口元をやや開けて、首を傾けるような仕草をした。


(怖がってる場合じゃないっ。真理亜ちゃんを中原さんから離れさせなきゃ…でも、どうしたらいいの?)


 今の真理亜ちゃんの状態は、明らかに異常だ。恐らくこれがお姉様方の言っていた“暴走期”というものなのだろう。どうしてか分からないが、真理亜ちゃんは今、その“暴走期”の状態にあり、まともに会話もできる状態じゃない。


(ううん。どうしてか分からないんじゃない。私が…私が傷つけたから、真理亜ちゃんはそうなったんだ…)


 この場には、運が良いのか悪いのか、私と真理亜ちゃん、そして中原さんの三人しかいない。クインテットのお姉様方も、馨お姉様も助けてくれる人は誰もいない。私が、何とかするしかない。


(こんな…酷いこと、真理亜ちゃんは望んでない)


 目を充血させたみたいに真っ赤に腫らし、無理やりヴァンプの姿をとらされている今の真理亜ちゃんが目を覚まして、自分の行いを知ったら、どう思うだろう。きっと、関係のない人まで巻き込んで、傷つけてしまったことをとても、とても、後悔するだろう。真理亜ちゃんをこんな姿にしてしまった責任は少なくとも私にもある。


「…真理亜ちゃん」


 私が真理亜ちゃんの名を呼ぶと、真理亜ちゃんはぴくりと反応を見せた。


(私の声、聞こえてるんだ)


 最初から、真理亜ちゃんは私の声に反応してくれている。それならば、このお願いはずっと容易く聞いて貰えるだろう。中原さんを今の状況から救うにはそれしかない。一度、傷つけてしまった真理亜ちゃんをもう一度受け入れることが今の私に残された最善の策だ。体の震えを押し殺すように深呼吸をしてから、私は真理亜ちゃんに告げた。


「真理亜ちゃん。私を、吸血して」


「……!」


 真理亜ちゃんの瞳が大きく見開かれた。


「お願い。中原さんから、離れて…私を、私だけの血を飲んで。真理亜ちゃん」


「……っ」


 真理亜ちゃんが私の言葉にゆらりと立ち上がった。口元から、ぽたり、と中原さんの血が滴り落ちる。真理亜ちゃんは導かれるように一歩ずつ私のところへ歩き出した。


(これで、中原さんから真理亜ちゃんの気を引ける…)


 真理亜ちゃんは中原さんの方を振り返ることなく、私を一心に見つめ近付いてきている。もう、私達の間に距離はない。真理亜ちゃんの白い腕が私へと伸びた。


「真理亜ちゃん…冷たいね」


 真冬にさらされたような冷たい指先が私の右頬をゆっくりとなぞった。


「最初に会ったときも、真理亜ちゃんの手、すっごく冷たかったっけ」


 真理亜ちゃんの手が右頬から首筋、そして肩を這い、私の左手に触れる。

 あのときはまだ何も知らなかったから、真理亜ちゃんの行動には驚いたけど、こんな風に優しく、怪我した私の左手に触れて癒してくれた。


「…真理亜ちゃん」


 ぎゅっと握られた左手の冷たさを感じると、真理亜ちゃんの赤い瞳が揺らいだ。


「あ、あ…ありす…」


 真理亜ちゃんはずいぶんつたない口調で私の名を呼んだ。そして、次の瞬間。小さな口を開けて、私の首筋に鋭い牙をたてた。


「くっ…ん…」


 全身が痺れるような快感が私の視界をあっという間に染める。ぞくぞくと背骨をつたわりお尻の方まで落ちていく快感がたまらなく、気持ちいい。


「っま、……まりあ……」


 あまりに強すぎるその快感に私の方がたまらず根を上げる。しかし、一度喰らいついた真理亜ちゃんは決して離れようとしない。ぞくぞくと足の指先から手の指先を這いずり回る興奮が私を中心へと責め立てていく。


「あ、…んんっ……」


 私の首筋から血を抜き取っていこうとする真理亜ちゃんの嚥下音が耳に届く。わざと音を立てているのかと思いたいくなるくらい、じゅるじゅると酷く大きな音が耳障りに聞こえる。


「だ、だめぇ…っ…」


 火照るこの体を冷ましてくれるのは今は真理亜ちゃんが握る左手だけだ。

真理亜ちゃんは噛み付いた首筋から溢れ出る血を器用に舌先で舐め取りながら、容赦なく私を責め立てる。


 私の体から急速に力が抜けていくのが分かる。いつもみたいに微睡みの中にいるような快感とは違い、尋常じゃないスピードで真理亜ちゃんに血を吸い取られているため、快感が終わったときの気だるさと余韻が私の中で渦巻いている。このまま、吸われ続けたらいずれは私も死んでしまうかもしれない。そんな予感を感じさせる、切ない震えが私の体に起こる。


「も、…も、う…………くうっ!!」


 一方的に与えられる快感がその線を越え、私を、物凄い速さで高みへと押し上らせた。真っ白に弾けた頭の中で、死んでもいいとさえ思う気持ちが私を満たす。

 真理亜ちゃんは私を離さない。彼女に吸われる間、訪れ続ける快感が私の頭をこれ以上何も考えられなくさせる。意識が快感の彼方へ遠のいていく。


(私、もう…だめ…かも)


 ゆっくりと落ちていく瞼の影に見覚えのある、彼女達の姿を目にしても、私はそれ以上意識を保つことができなかった。





「有栖ちゃん!」


 クインテットの三名がその場に駆け付けたとき、最初に目に飛び込んできたのは星野有栖が崩れ落ちるように地面へ伏した後も、尚も彼女の首筋から血液をすすり続けようとする同胞の姿だった。


 平穏とは無縁な、尋常ではない血の匂いに、クインテットはそれぞれの場所で、明らかな異変を感じ取り、この場へと示し合わせたように集まった。中でも最も早く到着したのは、この場で唯一、君瀬真理亜を除いて星野有栖の血の味を知る、鳳凰院馨であった。彼女は目の前で繰り広げられる光景に、激しい怒りを覚えた。


「くっ…!」


 その感情は、同胞である君瀬真理亜を上回るほどの星野有栖への執着と情愛からくるものだった。


 数秒遅れて、一条雅が、更に同時刻、同場所にいた赤坂雪乃と宍倉倫子が同時に到着した。

 宍倉倫子は到着するや否や、その光景に頬を引きつらせ、反応を漏らした。


「うわ」


 一条雅は神経質そうな眉を顰め、顎に手を当てると考え込むようにその様子を見つめた。赤坂雪乃は普段と変わらぬ態度でそれを見つめていたが、内心では一条雅同様、困ったことになったとこの場の対処法を考えあぐねていた。


「真理亜っ…有栖ちゃんから離れなさい!」


 鳳凰院馨だけが、この光景を客観的に見ることができないまま、自身の体からほとばしる殺気を隠そうともせずに君瀬真理亜へと向けた。


「無駄よ、馨」


 一条雅が鳳凰院馨の背へと言葉をかける。


「ええ。ああなったら、手のつけようがない。私達の声はもう真理亜には届かないわ。こうして、真理亜が満足するまで待つしかないんだから」


 赤坂雪乃はこの状況をどう乗り切ろうかと考えながら、しかし傍観するしか手はないのだと、やり切れない感情に表情を曇らせた。


「…黙って、有栖ちゃんが死ぬのを見てろっていうの?」


 鳳凰院馨は、きつく両手の拳を握り締めると奥歯を噛み締めた。


「今の真理亜は普通の状態じゃないの。あれにかかると、力だって私達の力が及ばないくらい強くなること、馨も知ってるでしょ?暴走してすぐなら、あの子を取り押さえることも不可能じゃなかったけど、あの様子じゃもう大分時間が経ってるみたいだし…それに、一定量の血液を摂取すれば、真理亜は元に戻るのよ」


 宍倉倫子が諭すように言った。


「個人差があるみたいだけれど、大体、人の半分から、1体以上の血液を摂取すれば、戻るみたいだし、あの子はもう別の子を手にかけているようだから、有栖ちゃんの血で、じきに目を覚ますわ」


 宍倉倫子の発言に重ねて、一条雅が苦渋の決断とばかりに苦々しい表情で呟いた。その言葉で、鳳凰院馨は星野有栖以外にもこの場に犠牲者がいることを知った。


「ここで真理亜に手を出せば、彼女に逃げられて新たな被害者を出すかもしれないのよ」


 一条雅にとってもまた、星野有栖の存在はここ数週間の付き合いから失うには惜しい存在という認識を持っていたが、二次被害を考えると、ここで星野真理亜を食い止めておけるのならば、そうできるにこしたことはないという風紀委員の長としての彼女らしい考えを口にせずにはいられなかった。


 だが、鳳凰院馨は決して、クインテットの考えに同調しようとはしなかった。


「たとえそうなったとしても、このまま、有栖ちゃんを見殺しになんてできないわ」


 彼女達の言う通り、あと数分もすれば君瀬真理亜は元に戻るかもしれない。しかしそれは、今にも命の灯を消してしまいそうな、彼女の愛する少女を見殺しにして初めて成立する結果だった。


「真理亜っ!有栖ちゃんから、離れるのよ!」


 鳳凰院馨はそう叫ぶと、一心不乱に首筋へと吸い付く君瀬真理亜に向けて、仲間の制止を振り切り駆け出した。その瞬間、弾かれたように君瀬真理亜が初めて星野有栖の首筋から顔を上げた。このタイミングが一秒でも遅ければ、星野有栖の僅かに残された鼓動の回数を奪う行為であり、逆に一秒でも早ければ君瀬真理亜の吸血衝動を満たし損ねていた危険な行為であった。つまり、この瞬間の鳳凰院馨の決断は、双方を助けるという点で最も良いタイミングであった。


 己の吸血衝動を満たした君瀬真理亜の動きは鈍かった。鳳凰院馨が君瀬真理亜を星野有栖から突き飛ばす瞬間、彼女の焦点は大きく揺らぎ、意思に抗い閉じようとする瞼の奥で、その瞳の色は赤から通常の色へと戻った。一定量の血液を満たし、気絶した星野真理亜の崩れ落ちる体を、鳳凰院馨に遅れるようにして飛び出した、一条雅が抱き留めた。


「有栖ちゃんっ!」


 地面に横たわり、既に血の気をなくした星野有栖に鳳凰院馨の声は届かなかった。


「有栖ちゃん!しっかりして!!」


 傷付いた少女の姿を目の前にした鳳凰院馨は自身が汚れることも厭わず、その場に膝をつき、彼女を抱き締めた。


 鳳凰院馨の悲痛な叫びに、赤坂雪乃と宍倉倫子が彼女の傍へと駆け寄った。


「鼓動が弱過ぎる。あと数秒で、彼女、死ぬわ」


 何の反応も返さない星野有栖の腕を取り、脈を確かめた赤坂雪乃が深刻そうに呟いた。


「何とか、何とかしないと…」


 考えを巡らそうとしても、焦るばかりでこの手をすり抜けていこうとする少女の魂を引き留める策を見つけられない。


「どうしたら…どうしたらいいの」


 おろおろと狼狽える鳳凰院馨の様子を、赤坂雪乃と宍倉倫子は見守るしかなかったが、君瀬真理亜を抱えていた一条雅だけは違った。


「馨。彼女を、有栖さんを本気で想っているのね?」


 唐突に投げかけられた質問に鳳凰院馨は苛立ちを隠そうとせず、怒声を孕んだ声で答えた。


「今、そんなことを答えている場合じゃないわ!」


 しかし、一条雅は彼女の答えを遮るように声を荒げた。


「いいから、私の質問に答えなさい!」


 いつもとは異なる友人の気迫を受けて、鳳凰院馨は初めて、正直なまでに己の心の内をさらけだした。


「ええ、ええ!愛しているわ!初めて、私がここまで愛おしいと思った、人間の子よ!このまま死なせられないわ!」


 彼女の並々ならぬ想いに、一条雅はふっと表情を緩ませると、この場で唯一、星野有栖を生死の境から呼び戻す為の解決策を告げた。


「なら、話は簡単よ。有栖さんを…ヴァンプにすればいいわ」



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