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19.拒絶


「ま、真理亜ちゃん…」


 真理亜ちゃんの血のように真っ赤な瞳が私を捉えている。先程まで、和やかに談笑していた時の空気は私たちの間にはもうない。


「…覚悟は良いわね、有栖」


 真理亜ちゃんのその美しい顔には今まで感じたことのない妖艶さがあった。ヴァンプが吸血する時にだけ見せる、色気だろうか。奇しくも今の真理亜ちゃんからは馨お姉さまの吸血の時によく似た雰囲気を私に思い起こさせた。


(こんな時にまで私…馨お姉さまのことを…)


「…っ」


 真理亜ちゃんのぷくりと膨らんだ唇が開き始めると、その奥に鋭く尖った牙のような犬歯がきらりと光った。


(本当に真理亜ちゃんも“ヴァンプ”、なんだ…)


 こうして目にして初めて、目の前の真理亜ちゃんが馨お姉さま達と同じヴァンプで、自分とは違う生き物なのだと確信する。ただの人間である自分とヴァンプである彼女達の間に広がる種族という差が、今はどうしてか無性に悲しく思えた。


「…私の初めてのニエとなって。有栖」


 切ない真理亜ちゃんの囁きが私の耳朶をかすめ、冷たい指先が首筋に触れる。その瞬間、全身に鳥肌がたった。肌の粟立つ感触のその奥で何かが違う、という声が急速に膨らみ、弾ける。


「嫌っ!!」

「きゃっ…!」


 気付けば私は両手で真理亜ちゃんを突き飛ばしていた。突き飛ばされた勢いでその場に転んだ真理亜ちゃんは、一瞬、何が起こったのかを理解できずに目を瞬かせた。私はこの手に残る真理亜ちゃんを押した感触に混乱し、戸惑った。


(私、何を…)


 真理亜ちゃんは信じられないというように目を見開かせ、驚愕の表情で私を見つめ返した。


「あ、有栖……?」


 わなわなと震える唇で私の名を紡いだ真理亜ちゃんの瞳から、ぽたり、と大粒の涙が零れ落ちた。堰を切ったようにぽろぽろと流れ落ちる涙は真理亜ちゃんの感情の揺らぎの深さを表していた。


「…っごめん、私…」


 真理亜ちゃんはまるで何も分からない子供のように涙で頬を濡らしていた。はらはらと涙をこぼす真理亜ちゃんの瞳はもう真っ赤な色をしていなかった。その瞳は、つい数分前に楽しく話していた時の、いつもの綺麗な瞳の色に戻っていた。


「有栖………」


 何をしようと思ったわけでもない。ただ真理亜ちゃんの方へ近付こうと体を動かそうとすると、真理亜ちゃんは私から逃れるようによろよろと後ずさりをした。


「…真理亜ちゃん?」


「……っ!」


 そのとき、真理亜ちゃんの体に異変が現れた。元に戻ったと思った瞳の色が再び朱に染まり、小刻みに真理亜ちゃんの体が震えだした。


「ど、どうしたの?真理亜ちゃん?」


 真理亜ちゃんは私の声を聞きたくないと言うように両手で耳を塞ぐと首を横に振った。


「真理亜ちゃん…?」


 真理亜ちゃんは血の滲むほど唇を噛み締めると、その場にふらりと立ち上がった。手を伸ばしかけた私を一瞥し、真理亜ちゃんは一人、部屋を飛び出していった。私に背を向ける際に見せた真理亜ちゃんの顔は、底のない悲しみに覆われていて、私が彼女を酷く傷つけたことを知った。


「真理亜ちゃん…私…」


 そして、このとき、自分が、誰を、想ってしまっているのかもはっきりと気付いてしまった。


(私…私……)


 私はしばらく呆然とその場に座り込んでいたが、真理亜ちゃんの悲しみに歪んだあの表情が脳裏にちらつくと、それに突き動かされるように立ち上がった。


「追いかけなくちゃ」


 今、私がしなければならないこと。それは、傷つけてしまった真理亜ちゃんに謝って、彼女の苦しみを少しでも癒してあげること。壊してしまった友情関係を何とか修復すること。


 私は真理亜ちゃんが消えて行った扉の向こうへ、彼女を追いかけるように飛び出した。





「…全く、忌々しいわ。どうして真理亜様やクインテットのお姉様方はあんなちんちくりんを気に掛けるのかしら。どこをどう取ったって、クインテットのクの字も背負えやしないじゃない。なのに…一体何をどうしたら、あんな風にお姉様方に可愛がって頂けるのかしら…って私ったら、何言ってるの!これじゃ、あの子を妬んでるみたいじゃない!あんな、才能の欠片もない凡人のどこに、この私が妬む要素があるっていうのかしら」


 夕闇が漆黒の闇にのまれ、夜の帳が下り始める頃。中原夕子は一人、学院から寄宿舎へ帰る道をぶつくさ呟きながら歩いていた。一度、寄宿舎に帰り、荷物を下ろした後も、中原夕子はその他雑務の為に学院に戻り、それらが片付いたのがちょうど、この時間であった。


「それにしても、いくら私がクインテットの親衛隊の一人だからって、あんな子にまでファンレターを頼まれるなんて」


 一年生でありながらクインテットの親衛隊としてそこそこ名を馳せる彼女は同学年であり、また、クラスメイトでもある君瀬真理亜との近しさから、他の学年の女子より頼み事を引き受けることも多かった。専ら、君瀬真理亜への密やかな愛をしたためた手紙の届け役だったのだが、今回、どういうことかクインテットの一員となってしまったらしい星野有栖もまた、彼女が手紙を届ける対象となってしまった。


 君瀬真理亜同様、星野有栖もまた同学年でありクラスメイトでもあることから、今日のように彼女への頼み事を受けることが再びあるかもしれないと思うと、中原夕子は言いようのない腹立たしさを覚えた。


 クインテットがこの学院で特別であるのはその類まれなる容姿と気品溢れる立ち居振る舞い、優雅さによる。この女学院もまた、格式ある伝統的な有名女学院であり、それ故、在籍する生徒も家柄の良い子女が多くいたが、そんな彼女達の中でも、クインテットは選び抜かれた特別な存在であり、彼女達の憧れとも言うべき存在であった。誰もが入れるわけがないと思いながら、もしかしたら、と心の中で密かに思いを募らせている。そんな、特別な集団に、どういうわけか、ころりと入り込んだ転入生の存在を全員が諸手で歓迎しているわけではなかった。


 現に、中原夕子は星野有栖がクインテットの一員を名乗ることに大反対である。しかし、クインテットと呼ばれるこの風紀委員に入るには、在籍者一名が推薦し、その他の在籍者が全員、賛成することで入会するという方法が採られている。部外者が口を挟む隙はこれっぽっちもないのであった。


「……様付けなんて絶対にしてやらないんだから」


 中原夕子は親衛隊としての責務を全うしなければならない、という彼女の誇りと自らの気持ちの間で揺れ動いていた。同じ親衛隊の中でも、既にクインテットのメンバーに認められたからというただそれだけの理由で星野有栖を容認しようとする者も出始めていた。


「私は断固反対よ!あんな、ミジンコみたいな子、お断りだわ。気高いクインテットに相応しくないもの」


 この日も、親衛隊の集まりに参加した彼女の前で、様々な議論が交わされたが、結論らしい結論も出ぬままに会はお開きになったのだった。

 中原夕子は到底収まらない胸の苛立ちをこうして言葉にすることで、払拭しようとした。だが。その呟きの一つが偶然にも通りかかったある一人の少女の足を止めた。


「星野有栖。許せないわ。私の…美しいクインテットを汚すなんてっ」


がさり。草の根を踏む音が確かに辺りに響いた。


「だ、誰っ!?」


 中原夕子は驚き、周囲を見回した。だが、どんなに目を凝らしても近くに人影はない。学院から寮までは整備された道が続いており、夜は等間隔で並んでいる外灯が夜道を照らしてくれるが、整備された道を一歩でも外れれば木々の茂る真っ暗闇がそこかしこにぽっかりと口を開けている。


「だ、誰も…いないの?」


 彼女の問いかけに応える声はなかった。気のせいだったかと安堵し、歩きかけたそのとき。がさり。再び、近くで物音がした。


「誰なのっ!?」


 今度こそ、見えない何者かが自分のすぐ近くにいると確信した中原夕子は恐ろしさに声を震わせ、叫んだ。一秒、二秒、じりじりと時間が過ぎていく。中原夕子は一歩も動けず、何かが現れるのを待った。そんな彼女の呼び掛けに応えるようにして、彼女が慕う少女が暗闇からゆっくりと姿を現した。


「なっ…ま、真理亜様…?」


 今しがた彼女が口にしていたクインテットの一人であり、また、クラスメイトでもある君瀬真理亜がこの場に現れたことに中原夕子は戸惑いを隠しきれなかった。

 暗闇から姿を見せた君瀬真理亜は確かに、人形のような冷たい美貌を顔に張り付けていたが、その瞳だけはこの世の者とは思えない血のように禍々しい色に染まっていた。


「そ、その瞳は…」


 君瀬真理亜はだらりと両手を垂らし、何の感情も見られない能面のような顔をして、立っていた。その姿に、中原夕子の脳内で危険を告げる警笛が鳴り響いた。目の前にいるのは憧れのクインテットの一人で、クラスメイトの君瀬真理亜その人のはずなのに、中原夕子の中で何かが警告を発した。


 君瀬真理亜は真っ赤に染まり切ったその瞳で沈黙の中、中原夕子を見ていた。中原夕子はその視線にたじろぎ、後ずさりを始めた。


「い、いや……」


 すると、君瀬真理亜が彼女の後ずさりに合わせ、ゆっくりと彼女の方へ歩き出した。


「こ、来ないでっ…」


 彼女の制止に何の躊躇いも見せず、彼女との距離をじりじりと詰めていた君瀬真理亜が突如、走り出した。その先にいた中原夕子が恐怖でその場に尻餅をつくのと同時に、大きな影が彼女の頭上を覆った。目を閉じる直前、鋭く尖った二つの牙がきらりと光るのを目にし、中原夕子は己の運命を悟った。


「きゃああああああああああ」





『きゃああああああああああ』


 真理亜ちゃんを探しに寮の外へ出て、学院までの道を半分ほど戻って歩いていると、突然、夜の闇を切り裂くように甲高い悲鳴が響き渡った


「今の悲鳴は…!?」


(まさか)


 私は慌てて、声のした方向へと無我夢中で走り出した。ここから、そんなに離れている距離じゃない。手足を懸命に動かし、悲鳴の上がった先へと向かう。今、聞いた声は真理亜ちゃんのものではない。だが、それで安心できるほど、私は真理亜ちゃんを知らないわけではない。クインテットを、そして、真理亜ちゃんを知ってしまった今、その悲鳴が真理亜ちゃんのものではないことが何を指しているのか、恐ろしい予感が私の中でむくむくと湧き上がる。


 走り続けていると、外灯の下に一つの大きな影が見えた。此方からはその丸まった背しか見えない。近づくと、その影は二つあることが分かった。一つがもう一つの上に覆いかぶさるようにして、小刻みに動き続けている。


「はあ、はあ、…真理亜、ちゃん…?」


 その影は私の呼び掛けにぴくりと震えた。そして、全ての動作を一旦停止させると、ゆっくりと緩慢な動作で此方を向いた。見慣れたその背中を震わし、振り返った彼女は瞳だけでなく口元を鮮血で染めた、あの真理亜ちゃんだった。



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