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16.ちらつく予感


「ど、どういう―」


「それは、アレが始まるって意味?」


 壁に寄りかかっていた馨お姉様がいち早く雅お姉様に問いかけた。


(アレって?)


「時期的に、もうそろそろ来る頃だわ」


 雅お姉様が神妙な顔で頷いた。馨お姉様は腕組をした姿勢で、人差し指をとんとんとん、と規則的に動かしている。


(時期的に来る頃?)


「厄介ね」


 ため息混じりに髪を掻きあげた馨お姉様の仕草に壮絶な色っぽさを感じ、思わず真理亜ちゃんのことを忘れて魅入ってしまった。馨お姉様はそんな私に気付くと、意味ありげな目配せをして口角を上げた。私はたちまち恥ずかしくなって、馨お姉様から目を逸らし、じんわりと頬が赤くなるのを感じながら、矢継ぎ早に溜め込んでいた質問を吐き出した。


「来るって、一体何が来るんですか?真理亜ちゃんと、何の関係があるんですか?」


 急き立てるような私の質問に雅お姉様はあくまで冷静に答えてくれた。


「ニエを持たないヴァンプは半人前だって話を先程、馨がしていたでしょう。私達ヴァンプは誰しも生まれてから死ぬまでに必ずニエを一人以上、経験するわ。初めてニエを持つのは、大抵15歳までの間に得るというのが一般的なのだけれど、稀にその年齢を超えてもニエがいない半人前がいるの。…真理亜はとにかく頑固で、自分が決めた人でないと嫌だって聞かないから、こうして今までニエを得てこなかったのよ」


「っでも、馨お姉様もニエがいないって」


「馨は経験者よ。今はいないけれど、過去にはいたの。だから一度も持ったことのない真理亜とは違うわ。問題はニエを持たずに15歳を過ぎると、必ずアレがやってくるということ」


「アレ?」


 私が首を傾げるとそれまで黙っていた馨お姉様がぼそりと呟いた。


「―暴走期」


「暴走期…?」


 聞き慣れない言葉に今度は反対側へと首を傾ける。


「そう。ニエを持たないまま15歳を超えたヴァンプは、暴走期と呼ばれる、身に溜めた力の暴走が起きてしまうの。人間でいうところの思春期と同じようなものね」


 雅お姉様が馨お姉様の言葉を引き継いで答える。


「暴走期って真理亜ちゃんが、そうなるんですか?」


「ええ。大体、16歳を迎える二か月前からカウントダウンが始まり、発症すると言われているわ。真理亜の誕生日は七月だから、もういつ起きてもおかしくないのよ」


「そんな…、真理亜ちゃんはこのことを知ってるんですか?」


「ええ、勿論。ただ知識としてはあるようだけれど、それが必ず自分に起こるとは思っていないんじゃないかしら。暴走期なんて私達の間でも珍しいケースだし、本人にもそれらしい自覚がないまま、突然発症することが多いの」


「発症したら、真理亜ちゃんはどうなるんですか?」


「人ではなくなるわ。少なくとも、有栖さんが知っている真理亜では、ね。人の生き血を求めてそのためなら何をするのも厭わない化け物みたいに変化してしまうのよ。まあ、一時的にだけれど、それも人の生き血を一定量飲めば数日でおさまるわ」


「ひ、人の生き血って…」


「安心して。それは此方の判断で適当な人材を用意するわ。だから、有栖さん。あなたには、もしも真理亜がおかしな行動を取るようになったら、すぐにそれを私達に教えて欲しいの」


(て、適当な人材って…それってつまり、そういうこと?)


 さらりと雅お姉様が言ってのけた適当な人材とは、当然生きている人でなければならないのだから、私の代わりに犠牲にならなければならない人が出るということだろう。適当な、という言葉がどういう意味で適当なのかは分からないが、わざわざそれを聞く勇気も起きなかった。


「おかしな行動って例えば、どんな…?」


 私は頭に浮かんだ犠牲者の人のことを振り払おうと、別の質問をした。


「吸血してもいないのに目が赤くなっていたり、指先が冷たくなっていたり、ぼうっとしていることが多くなったりしたら、危ないわ」


 雅お姉様の言葉を一字一句頭の中で繰り返しながら、慎重に頷く。


(ということは、吸血をする時には目が赤くなったり、指先が冷たくなるってこと、だよね。確かにあの時も、真理亜ちゃんと馨お姉様の目は真っ赤だったし、指先もすごく冷たかった…)


「本当はあなた達を引き離すのが一番得策なのだけれど、そうもいかないから、当分の間は馨にあなた達の見張り役を頼むことにしたわ。引き受けてくれるわよね、馨?」


 雅お姉様は当然といった表情で馨お姉様を見つめた。


「ええ、喜んで。真理亜は嫌がるでしょうね」


 雅お姉様の視線を受けて、馨お姉様はその光景を想像するように鼻で笑った。


「仕方ないわ。…ダメ元で一応聞いておくけれど、有栖さんを真理亜に譲れば丸く収まるのだけれど、その気はないのかしら」


「お断りね」


 ぴしゃりと馨お姉様が雅お姉様の言葉をはねのける。雅お姉様は小さく肩を上下させると、私に向き直った。


「そういうことで、話は以上よ」


「はい。…失礼します」


 私が二人に一礼してその場を去ろうとすると、後ろから馨お姉様が私を呼び止めた。


「有栖ちゃん」


 雅お姉様や真理亜ちゃんに対しては決して使われることのない、しっとりと優しさを含んだ馨お姉様の声は私にだけ向けられている。その声に波打っていた心が少しだけ和らぐのを感じた。振り向くと、穏やかな眼差しの馨お姉様と目が合う。


「有栖ちゃん。そう怖がることはないわ。私はなるべくあなた達の側にいるようにするから姿は見えなくても、困った時は私の名を呼んでくれさえすれば、いつでも駆け付けるわ」


 馨お姉様の瞳が真っすぐと私だけを捉えている。それがどんなに贅沢なことか、今の私には分かる。

 真理亜ちゃんやクインテットのお姉様方には熱狂的なファンのような人達がいると聞いた。馨お姉様もまた、そうした人達がいて、彼女達は馨お姉様が自分と目を合わせてくれることを切に願いながら、声高らかに馨お姉様の名を叫ぶのだという。ただ、馨お姉様の場合、そうした女の子達と気まぐれに遊ぶことはあっても皆、一日だけの関係で終わってしまい、あっけなく捨てられるのだと真理亜ちゃんから聞いた。そして、そんな馨お姉様に一日以上、しかも現在進行形で可愛がって貰えているこの状況ははっきり言って異常なのだと真理亜ちゃんが言っていた。


「馨お姉様…。有難う御座います」


「だから有栖ちゃんは、パートナー申請の紙を提出する日だけを考えていればいいの」


 ほっとしたのも束の間、馨お姉様の有無を言わさない威圧的な笑みに、良く分からない恐怖を感じて何度も首を縦に振る。


「ふふ」


「馨ったら…」


 楽しそうに微笑む馨お姉様とは対照的に同情的な眼差しで私を見る雅お姉様にもう一度、会釈をしてから、私は飛び出るように部屋を出た。


 外では、真理亜ちゃんが腕組みをしたまま心配そうな表情で立っていて、私と目が合うとぱっと駆け寄ってきて「大丈夫だった?」と優しく気遣う言葉をかけてくれた。


「うん、大丈夫だよ。お待たせ」


 部屋の中で聞いた話を真理亜ちゃんに話すべきかどうか迷っていると、真理亜ちゃんはそんな私の様子を察したのか「戻りましょうか」とだけ告げて、歩き出した。真理亜ちゃんはそれ以上、部屋の中で何を話し合っていたのかについて聞いてくることはなかった。私も真理亜ちゃんが聞いてこないなら無理に言う必要はないかと思い、黙って真理亜ちゃんの後を追いかけた。真理亜ちゃんと肩を並べて歩いていると、真理亜ちゃんが唐突に私を見て、にこりと微笑んだ。


(真理亜ちゃん…?)


 意味ありげな真理亜ちゃんの微笑みに首を傾げると、真理亜ちゃんがぼそりと言った。


「今日は暖かいわね」


「…うん」


「きっと明日も暖かいわ」


「うん、そうだね」


 私が答えると真理亜ちゃんは「本当にそう思ってる?」とからかいの交じった表情で私の顔を覗き込んだ。私が「思ってるよ!」と慌てて返事をすると真理亜ちゃんは愉快そうに目を細め、鈴のような笑みを零した。

 こんな風に笑い合える真理亜ちゃんが雅お姉様達の言うように豹変してしまうなんて到底信じられなかったが、とりあえず今はこの心の内の不安を悟られまいと私はいつも以上に明るく振舞いながら、クラスまでの道のりを真理亜ちゃんと手を繋いで戻って行った。




 雅お姉様の忠告から数日経っても、真理亜ちゃんの様子に目立った変化はなかった。雅お姉様から見張り役に任命された馨お姉様とは頻繁に顔を合わす機会が増えたが、真理亜ちゃんは馨お姉様と遭遇する度に露骨に嫌な顔をしてみせ、挨拶だけしてさっさと私の手を引いて立ち去ることもあった。


 転入してきてからというもの、真理亜ちゃんとは常にどこへ行くのも一緒だったが、その日は、授業が終わった放課後、シスター早坂に呼ばれた真理亜ちゃんが長引きそうだからと私に一人で先に帰るよう言い、私はこの学院に転入してきて初めて、一人で下校することになった。


 帰り支度を整え、教室を出ようとしたところで、後ろから誰かに呼び止められた。


「星野さん」


 振り返ると、クラスメイトの女子達が数人、立っていた。彼女達とは、転校してきてから体育や家庭科といった授業で一言、二言、挨拶を交わしたことはあったが、いつも真理亜ちゃんが側にいるので、こうして面と向かって話をするのは初めてだった。

 その時はこれといって敵意を感じることはなかったのだが、今は見るからに威圧的な雰囲気が身体中から立ち上っている。


「な、何かな?」


 このまま回れ右して立ち去りたいのを我慢しながら、恐る恐る返事をすると、高い位置でポニーテールに結んだ、気の強そうな顔立ちの女子―確か中原夕子といった―が他の女子達より一歩前に進み出た。


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、今、いいかしら?」


 嫌とは言えない高圧的な態度に頷くしかない。


「うん、大丈夫だけど…」


(本当は早く帰りたいんだけど、そんなこと言える雰囲気じゃないし…)


「良かった。じゃ、早速聞くけど、クインテットに入っているって本当なの?」


「……!」


 中原さんは遠慮も何もなしにずばり、本題を口にした。その勢いにひるみながらも、私はついにきたかとごくりと唾を飲み込んだ。


「星野さんが転入してきて割とすぐに、クインテットの方々とお昼をご一緒しているところを何度も見かけているんだけど」


(何度もじゃなくて、ほぼ毎日なんだけどね…)


 中原さんの問いかけはこれまでずっと周囲の人が気にかけていた話題だろうと思うと、彼女の勢いにも頷くことができた。中原さんと一緒に睨むような目で此方を見ている女子も、恐らく真理亜ちゃんのファンの子か、クインテットの人達の信者の人だろう。彼女達にそういった支援者がいることは真理亜ちゃんやクインテットのお姉様方から直々に聞いたことがあった。

 とはいえ、こうも鋭い視線に囲まれていると身がすくむ。


「これがどういうことか、説明して下さる?」


「えーと、私もまだ信じられないんだけど、真理亜ちゃんが推薦してくれたみたいで、クインテットに入会できちゃったみたいなの。だからお昼も一緒にって、ことでご一緒させて貰ってるんだ」


 私の言葉を聞いた何人かがぱっと口を押さえた。中原さんはというと、直視するのも恐ろしい表情を浮かべている。


(う、怖すぎる)


 とてもじゃないが目を合わせていられない。


「…絶対に違うと思うけど、星野さんって真理亜様の親戚か何か?」


 中原さんは低い声で妙にゆっくりと問いかけた。私は首を横にぶんぶんと勢いよく振った。


「まさか!真理亜ちゃんとはこの学院に来て、初めて知り合ったの」


 中原さんはそれを聞くと、当然と言うように頷いた。そして、顎に手を当てて私を上から下まで嘗め回すように見ると鼻で笑った。


「そうよねぇ。ねえ、星野さんは真理亜様のこと、どう思っているの?」


「え?ええと、…どうって?」


 何と答えてよいか迷った末に聞き返すと、中原さんの目配せでそれまで一歩下がっていた女子達が揃って前に出た。


「この際、はっきり言わせて貰うと、ここにいる私達全員、あなたがクインテットの一員だなんて認めてないの。たとえ、真理亜様の推薦だとしても、正直、受け入れられないわ」


「そうよ!」

「私も!」

「絶対、反対!」

「認めないもん!」


「…!!」


 突然の彼女達の宣言に思わず、気圧される。


「私達はね、お互い抜け駆け禁止っていう共同戦線を張っていたのよ。なのに、ちゃっかり転校生のあなたは真理亜様と仲良くなって、おまけに神聖なクインテットにまでおこぼれとして迎え入れられるなんて、到底納得いかないわ」


「そうよそうよ!」

「認めないわ!」

「中原さんの仰る通りだわ!」

「納得いかないもの!」


「で、でも…」


 私が反論しようとすると、中原さんはちっち、と人差し指を目の前に出して左右に振った。そして、たっぷりと凄みを効かせた声で言った。


「不相応という言葉、お分かりになる?今からでも遅くないわ。三年間、あなたはこの学院で過ごすのよ。今はクインテットのお姉様がいらっしゃるから大きな顔ができるようだけれど、お姉様方がご卒業した後のことをよく考えるのね」


 中原さんはそれだけ言うと、ふんっと鼻を鳴らしてスカートの裾を翻し、同じように不満そうな顔をした女子達を連れてさっさと私の横を通り過ぎて行った。

 私はあっけに取られながら彼女達の後ろ姿を見送ると、その場で大きなため息をついた。


(…不相応、か。そりゃ、あんなに綺麗な人達の中にいたら嫌でも目立つっていうのは私だって分かってるけど、こればっかりはどうしようもないよね)


 しょんぼりと萎んでいく心をどうにか励ましながら、鞄を持つ手に力を入れる。


(でも、面と向かって言われるとやっぱりきついなあ)


 気を抜くとしょげてしまいそうな心を何とか支えながら、その足で学校を出ると寮までの道を一人で歩いていく。初めて一人きりで帰る寮までの道のりは、不思議といつもよりも長く感じた。


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