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14.ニエ


 クインテットの秘密を知り、一夜明けたその日のランチタイムはどうしたって気が引けるものだった。まず、どんな顔をしてお姉様達に会えばいいのかも分からなかったし、顔を合わせたとして一体何の話をしていいのかも思いつかなかった。


(…真理亜ちゃんもいるし、まさか会ってすぐ血を吸われるなんてことはないだろうけど)


 そうは思っても、やっぱりお姉様方と顔を合わせると思うと必要以上の緊張感が身体を包む。

 そうこうしているうちに気付けば午前中の授業も終わり、私と真理亜ちゃんは食堂にあるクインテット専用の個室の前に立っていた。

 躊躇せず、慣れた手つきで真理亜ちゃんが扉を開ける。


「……!」


 広い室内の中には既に二年生のお姉様達の姿があった。


「ごきげんよう」

「ごきげんよう」


 どうやら三年生のお姉様達はまだのようだ。

 私は内心ほっと安堵しながら、いつものように真理亜ちゃんとは向かい合う形で離れた席へと座った。座る席で揉めたあの日から、私の席は馨お姉様の隣ということになっている。お昼休みだけという約束で真理亜ちゃんも渋々納得してくれていた。

 席に着くと、ももかお姉様がビー玉みたいにまん丸の目をきらきらと輝かせながら私に駆け寄った。


「あーりーすーちゃんっ!」


「ももかお姉様!」


 ももかお姉様の人懐こい笑顔に自然と緊張の糸がほぐれていく。


「昨日、っていうか今日か。話は聞いているよ。色々と大変だったみたいだね?」


(う…!やっぱり)


 聞きたくてしょうがないと顔に書いてあるももかお姉様とこの騒動の張本人である真理亜ちゃんを前にして、どう返したらいいかと視線を泳がせていると、芙美お姉様とばったり目が合った。


「もう、ももかちゃんったら、そんな風に聞いて有栖さんが困っていますよ」


(芙美お姉様…!)


 芙美お姉様が女神様か何かに見える。


「だってさあ、芙美ちゃん。気になっちゃって…あの馨お姉様だよ!?」


「…ももかの言いたいことはよく分かるわ…」


 複雑そうな顔を浮かべる芙美お姉様の隣で葵お姉様がうんうんと頷いている。


「でしょ?」


 ももかお姉様は嬉しそうに葵お姉様を振り返り、芙美お姉様だけが困ったように私をちらちらと見ている。


「で、どうだった?愛するお姉様からの初めての吸血は」


 ももかお姉様が振り返り、にまにまと口元を弛めて言った。


「え、あ、あの」


「お言葉ですけれど、有栖が愛しているから与えたのではありません。あれは緊急事態だったのです」


 それまで黙っていた真理亜ちゃんが冷ややかな声でももかお姉様の言葉を訂正するが、ももかお姉様はすっかり自分の世界に浸っているようで聞こえていない。


「私も何度して貰っても慣れないんだよねえ。体中の血液が沸騰するみたいなあの感覚。それをあの馨お姉様にされるなんて…あーん、想像しただけで鼻血出ちゃいそう」


 真理亜ちゃんの額がももかお姉様の言葉に合わせて、ぴくぴくと動いている。


「…も、ももかちゃんったら自分のお姉様に悪いですよ」


 見かねた芙美お姉様がももかお姉様を諫めようとするが、ももかお姉様はつんと口を尖らせただけで、すぐにうっとりとした眼差しを宙に向けた。


「芙美ちゃんってばかたいんだから。それはそれ、これはこれよ。馨お姉様ってクインテット一番の女たらしで可愛い子には目がないけど、気に入らない子は完全無視だしさ、近寄りがたいんだけどそこがまたクールでかっこいいんだよねえ」


「…馨お姉様が女ったらしで気分屋っていうのは否定はしないわ…」


 葵お姉様もまたももかお姉様の言葉に同意を示した。芙美お姉様だけがおろおろとした顔で二人を見つめている。


「で、感想は?」


 唐突に、ももかお姉様が小動物のような愛らしい瞳を私に向けた。


「人生でたった一度しか味わえない初めての吸血はどうだったの?」


「か、感想ですか?えっと、その、すごく…不思議な感じがしました」


 なるべく思い出さないようにまごつきながら答えるも、ももかお姉様は表情を変えない。


「ふうん。どう不思議だったの?」


「え?ど、どうって」


「私は馨お姉様に吸血されていないんだから、詳しく説明してくれなきゃ分からないじゃない」


 ももかお姉様の厳しい追及にうろたえながら、懸命に言葉を絞り出す。


「ええと、その、何と言うか…身体が浮くような感じというか…」


「それでそれで?」


 ももかお姉様は更に身を乗り出して言った。


「そ、それで?えーと…」


 正直にその先を言うことはどうにも躊躇われて、ひたすら困った表情を浮かべていると、真理亜ちゃんが冷たく言い放った。


「それ以上、答える必要はありません」


 ももかお姉様は真理亜ちゃんのそっけない態度にもくじけず、ぷうと頬を膨らました。


「えー真理亜様ったら、冷たいんだから」


 ももかお姉様の茶化すような口調に真理亜ちゃんはぴくりとも反応しない。

それよりも、今、ももかお姉様は真理亜ちゃんを何て呼んだ?

聞き間違いでなければ、下級生である真理亜ちゃんに二年生のお姉様が様を付けて呼んだような。


「ん?どうしたの」


 ももかお姉様が眉間に皺を寄せている私に気付いて、声を掛けた。


「今、真理亜ちゃんのこと、真理亜様って…」


 私の反応にももかお姉様が「ああ」と合点がいったような顔で頷いた。真理亜ちゃんは平然とした顔のまま、むしろ私の反応に対して何がおかしいのかと首を傾げている。


「そう。私達はヴァンプのニエだから、ってことで学年は下だけど自発的にそう呼んでいるの」


「はい。ももかちゃんの言う通り、真理亜様のことは好きでお呼びしているんですよ」


「…別に強要されたからってわけじゃないから…」


 三人とも揃って綺麗に頷いた。


「…そうなんですか」


 ひとまず納得したところで、すぐに別の疑問が私の中に生まれた。


「ところでその、ニエって…何なんですか?」


 私はももかお姉様が口にした“ニエ”という聞き慣れない単語に首を傾げた。


(確か、雅お姉様もニエがどうとか言っていたような…)


 私の発言に芙美お姉様が目を丸くする。


「あら、まだご存知ないんですか?」


 続いて、ももかお姉様がぱっと両手で自分の口元を押さえた。


「…もしかして、私、失言しちゃった感じ?」


 そうして、ゆっくりと三人のお姉様方の視線は真理亜ちゃんに向けられた。


「…説明する機会がなかっただけで、説明しないというわけではありません」


 視線を受けた真理亜ちゃんが大きなため息を一つ零してから冷静に答えると、三人はあからさまにほっとした様子を見せた。


「真理亜ちゃん?」


「有栖に話したら混乱するかと思って。新しいことを一度に知って、有栖が受け止めきれるかどうか、分からないし…」


(真理亜ちゃん……)


「でも、こうなった以上、いつか話そうとは思っていたのよ」


「うん」


「まあニエに関しては私が言わなくても、これからお姉様が説明して下さると思うけれど、それだと癪だからこの私が今説明してあげるわ」


「あはは…」


 私の渇いた笑いにお姉様方からも遠慮がちな笑いが漏れた。


(真理亜ちゃんらしい…)


 真理亜ちゃんが軽い咳払いをすると、立っていたお姉様方は皆、自分の席に戻った。それを待ってから、真理亜ちゃんは静かに話し始めた。


「ニエというのは、私達ヴァンプに血液を無償で提供してくれる人間のことを言うの。契約を交わしたら、その人間は他のヴァンプに血液を与えることはできないし、ヴァンプの方も他のヴァンプのニエの血液を飲むことはできないの。ニエじゃない人間の血液なら普通に飲めるわ。ただ、そうやっていちいち吸血していると正体を知られるリスクも高まるし、手間もかかる。だから、大抵のヴァンプはニエを作っていつでも吸血できるように側に置いておくの。吸血は人間に特別な快楽をもたらすわ。通説によると、性交時に得る絶頂と同等のものと言われているらしいけれど、個人差があるみたいね」


「せ……!?」


「あと、ニエというのは通常一人のヴァンプにつき一人しか作れないの。だからこれを面倒だといってあえてニエを作らないヴァンプもいるわ」


「真理亜ちゃんは…?」


「私にニエがいたことはないし、今もいないわ。それに、ニエがいたらあなたにパートナーの申し込みなんてしないもの」


「え、パートナーってそういう意味なの?!」


(聞いてないよ!)


 私の叫びに真理亜ちゃんはぷいと顔を背けた。


(じゃ、じゃあ、真理亜ちゃんか馨お姉様のどちらかを選んだら、自動的にどちらかのニエになっちゃうってこと?)


 今更ながらパートナーの申し込みに隠された意味を知り、慌てる私に芙美お姉様が優しく囁いた。


「ニエというのは、ヴァンプにとって最大級の愛情表現なんですよ。真理亜様はああいう風に仰いましたけれど、たった一人しかニエを作れないんですから、選ぶ方も慎重にならざるを得ないんです」


「愛情表現…?」


「そうそう。結婚と同じくらい重要なんだから」


「け、結婚?」


 ももかお姉様が人差し指を立てて説明すると、葵お姉様が小さく横に首を振った。


「…結婚は言い過ぎよ。ニエの契約は解消することもできるんだから、婚約って程度ね…」


「婚約!?」


 結婚にしろ婚約にしろ、どちらも私にとっては十分重いものだ。

 真理亜ちゃんが再び、こほんと咳ばらいをし注目を集めた。


「…まあ、これも個人差があるけれど、そういった意味に近いわ。ニエは両者が合意の上でなるものだから、申し込みをするヴァンプに強制力はないの。有栖が嫌なら強要はしないわ。…馨お姉様はどうか分からないけれど」


「ええっ?」


「十中八九、馨お姉様とパートナーなんかになったりしたら、ニエを強要されること間違いないわね」


 真理亜ちゃんの言葉に三人のお姉様方も揃って頷いている。


「…確かに、真理亜様の仰る通りですね」


「前のニエも一方的に解消されていたし、馨お姉様は強引な方だもんね」


「馨お姉様にニエがいたんですかっ?!」


 ももかお姉様が口にした予想外の事実に私はその場に立ち上がりかけた。


「あーまあ、ちょっと前の話だけどね。それに今は有栖ちゃん一筋だから、安心して」


「ええ。馨お姉様がこれほど誰かに執着するのは初めて見ましたから」


「…ニエがいるっていうのはヴァンプじゃ当たり前のことなのよ…」


「はあ…」


 あまり慰めにならない言葉を受けて、私はとりあえず席に座った。


(馨お姉様にニエがいたなんて………)


 心の中では困惑しつつも、私は目の前の三人のお姉様達を見てはっとした。


「ということは、ももかお姉様や芙美お姉様、葵お姉様はそれぞれパートナーであるお姉様のニエ…なんですか?」


「うん。そうだよ。私は雪乃お姉様のニエなの」


 ももかお姉様が満面の笑みで頷いた。


「…私は倫子お姉様のニエよ…」


「私は雅お姉様のニエです」


 葵お姉様と芙美お姉様が同様に顎を引く。


「そうだったんですか…」


(あ。だから、お昼ご飯を食べた後にパートナー同士で別々にどこかへ…)


 謎が解けてすっきりしたが、吸血する為に毎食後どこかへ出かけていたなんて、正直知りたくなかった。


(うう、これじゃ食後の方がもっと気まずいよ…)


 その時、扉を開錠する音が響き、扉が開いて三年生のお姉様方が現れた。





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