4.警戒
「魔法使いアーガインねえ……」
アントニアの茶会から戻り、さっそくあったことを報告すると、パメラはなんだか面倒くさそうに溜息を吐いた。
「祭の準備だなんだで、正直会ってる時間なんて取っていられないのよね」
「じゃあ、祭の後に落ち着いてからでもいいんじゃないか?」
「ま、そうなるだろうね」
パメラは軽く肩を竦めて、テーブルの上の紙束をとんとんと揃えた。
「ああそうだ、ヴィルム。お前、明日からエルナの送り迎えをやりなさい」
「は? なんでまた?」
「なんか、あまり雰囲気のよくない者が出入りしてるみたいなのよ。町もずいぶん浮ついてて人の出入りも多いから、警備もなかなか追いつかないみたいでね」
紙束に目をやりながら、パメラはなんてことないように言うが……送迎といっても、ここへ来るのは日が昇ってからだし、教会への往復も日があるうちで、別に裏通りや治安の悪いあたりを通らなきゃいけないわけでもない。
「送迎なんて、大袈裟じゃないか?」
「100番目の“巫女”ってことで、注目もされてるからね。用心に越したことはないよ」
「……ばあちゃん」
「ここでは師匠とお呼び」
「……師匠、やっぱり100番目だと、何かあるのかな?」
パメラはふと顔を上げて、ヴィルムを見やる。しばらくじっと見つめて、それからふっと笑った。
「当たり前だろ。区切りっていうのは、それだけで意味を持つものさ。魔法的にも、気持ち的にもね」
パメラはまた手元の紙に目を落として続ける。
「もちろん、意味なんてないのにわざわざ意味を持たせようとするものもいる。お前だって、たとえ見習いでも魔法使いならわかるだろう?」
「それは、そうだけど」
「だから用心するんだ。いいね?」
ちらりとパメラの視線を受けて、これ以上は自分で考えろということかとヴィルムは思う。パメラが答えそのものをくれないのはいつものことだ。100番目の“巫女”、区切りの持つ意味、用心しろ……パメラの散りばめた言葉と、自分が見聞きしたこと全部から、自分で考えて判断するしかない。たぶん、そういうことも“森の魔法使い”には必要なんだろう。
魔法だけを学ぶのであれば、もうとっくに独り立ちを考えなきゃいけないところなのに、この師匠のもとではまだまだだなと感じてしまう。
翌日から、ヴィルムの日課に朝昼夕の送迎が加わった。
「なんか、小さい頃を思い出すわ」
エルナはそう言って笑うだけで、これが大事だとか何だとかとは、まったく思いつかないようだ。
「……お前、昔は寄り道ばっかりでまっすぐ家に帰ってこなかったしな」
「だって、いろいろ寄らなきゃいけないところが多かったんだもの。あ、こっちよ。こっちから行くの」
急にエルナに腕を引っ張られて、角を曲がる。
「おい、こっち遠回りだぞ」
「あ、来たわ。リヒ! リヒ!」
いったい何が来るのかと思えば……。
「教会の御使いの犬じゃないか」
どうやらこっちは太陽と正義の教会で飼われている“御使いの犬”の散歩コースらしい。教会の騎士レナトゥスに連れられた犬が尻尾をぶんぶんと振りながら、エルナにぶつかるように身体を寄せた。
「“巫女”殿、それから魔法使いの弟子殿もおはようございます」
「騎士レナトゥス様も、おはようございます」
「おはようございます」
ぺこりとにこやかに挨拶をしてから、エルナはおもむろに犬を撫で始めた。教会の黄金色の犬は、その昔、神の御使いが現れて置いていった黄金色の犬の子孫なのだという──本当かどうかは知らないが。なんせ、魔法的にも普通にも、どこからどこまで見てもただの犬なのだ。今はその御使いが去ってしまったので教会も少し小さくはなってしまったが、この犬は代々大切に飼われ、丁重に世話をされている。教会の騎士の、いちばんの若手が世話を任されるのだとも聞いた。もちろん毎朝晩の散歩もだ。今は騎士レナトゥスがその担当なのだろう。
犬もレナトゥスも、これがいつものことであるようにエルナが犬を撫で回すに任せている。エルナのことだから、わざわざ散歩の時間に合わせてここを通ることにしているのか。
「お前、寄り道は相変わらずだったんだな」
少し呆れ気味にヴィルムが言うと、レナトゥスが「“巫女”殿は、託宣の前からリヒトを待ち伏せしておられましたからね」と苦笑を浮かべた。
「だってね、毛がとってももふもふして、撫でると気持ちいいのよ。今日も頑張るぞって思うの」
にこにこと上機嫌に心ゆくまで犬を撫で回すと、すくっと立ち上がって騎士と犬に別れを告げた。
「じゃあ、リヒ、またね。騎士様も、今日も皆が1日つつがなく過ごせるよう、よろしくお願いします」
「“巫女”殿も、祭までもうすぐですからがんばってくださいね。式典を楽しみにしております。魔法使いの弟子殿も、魔法使い殿によろしく」
軽く目礼を交わして歩き始めると、またエルナは角を曲がる。
「あと、どことどこを通るんだよ」
「この先の三毛猫に挨拶をして、その先の鳥の巣を見て、それから……」
どうりでやたらと朝早く家を出るわけだ。これが毎日なのか。
「寄り道はいいけどさ、あんまり人気のないとこ通るのはやめろよ?」
「ええ、大丈夫よ。今まで何にもなかったもの」
「ばあちゃんも言ってたけど、今は人の出入りが多くて余所者もたくさん来てるから、ちょっと治安が怪しくなってるんだってさ。兄貴も同じことを言ってたから、せめて祭が終わるまでは用心しておけよ」
「……大丈夫だと思うんだけどなあ」
「お前の大丈夫は根拠がない」
すぐそんなことばっかり、とエルナがぷうと頬を膨らます。「皆、町が浮き足立ってて落ち着かないから、心配してるんだよ」と、ヴィルムはエルナの頭をぽんぽん叩いた。
ようやくパメラの家に到着すると、ちょうど手紙を前に溜息を吐いているところだった。
「おばあちゃん、どうしたの?」
エルナが駆け寄ると、パメラはやれやれと肩を竦める。
「アントニアを通して、魔法使いアーガインから来訪したいと手紙が来たんだよ。隣町のよしみで、ぜひ“森の魔法使い”をお訪ねしたい、だってさ」
「そりゃ、随分早かったね……」
呆れてヴィルムが呟くと、パメラはもう一度盛大に溜息を吐いた。
「アントニアを介されちゃ、そう邪険にもできないしねえ……近いうちに招くことになりそうだよ」
ああ面倒臭いと、パメラは再度溜息を吐く。
「そんなに面倒なの?」
エルナが、ちょっとお茶出して終わりにすればいいんじゃないの、と続ける。いや、わざわざ隣町から訪ねて来るのに、そういうわけにはいかないだろうとヴィルムは思う。
「それで済むならいいんだろうけどね。どうせ、“森の魔法使い”が何なのかだの何だのと、面倒なことを聞かれることになるんだよ」
「ふうん?」
たいていの魔法使いは基本的に好奇心や知識欲が旺盛だから、自分の知らないことや興味のあることにはかなりの勢いで食い付いてくる。おそらく、アーガインもその口なのだろう……と、パメラは考えているようだ。どういう経緯でかはわからないが、シュヴェンデの町に住んで、このグラールスの祭や“森の魔法使い”の噂を聞いて興味を持ったのだろうと。
「ねえ、おばあちゃん」
「なんだい?」
「女神のお祭りって、魔法使いが興味を持つようなことがあるの?」
「まあ、魔法使いにしてみれば、まず“託宣”って何のことかと思うだろうね」
パメラがくすりと笑うと、エルナは不思議そうに首を傾げた。
「そうなの?」
「魔法使いの間じゃ、神はまだ存在が証明されてないからね」
「証明?」
「そう。平たく言えば、誰も神様自身と会ったことがないってことさ。なのに、この町には“女神の託宣”で選ばれる“巫女”がいるんだから、どういうことだと不思議で興味が湧くんだよ。もし託宣が、真実、女神自身から下されるものなら、神は実在するという証明になるからね」
「へえ? 私は、女神様はいると思うんだけどなあ」
へんなの、とエルナはやっぱり首を傾げていた。変も何も、“託宣”は女神教会の大司祭だけの秘密だし、実際、大司祭が“託宣”だと言ってるだけで、実はクジ引きだという可能性だってあるのに。だいたい、教会が大仰に「奇跡だ!」と騒ぐ出来事だって、単なる魔法であることばかりだ。
「さて、昼は私がエルナを送って行くよ。アーガインの件で、アントニアのとこに行って来なきゃならないからね」
「ああ、うん、わかった」
よっこらしょ、と伸びをするパメラに頷いて、ヴィルムは魔術書を開いた。