3.お茶会
お茶会の当日、グリアン夫妻と一緒に馬車に乗りながら、ヴィルムはどことなく落ち着かない気分を味わっていた。
「ええと、いろいろお世話になってしまって……」
「あら、いいのよ。着付けはうちでやったほうがいいでしょうし、まさか、ドレス姿のエルナを歩かせるつもりじゃなかったのよね?」
うふふ、とシェアラに微笑まれ、つい視線を外す。確かに、馬車の手配までは気が回らなかったので、とても助かった。自分でさえこんな着慣れないものを着て戸惑ってるのに、いくら町の中とはいえ、ドレスで着飾ったエルナを歩かせるのは酷だったろう。
「……あたし、大丈夫かな」
さっきからおとなしいと思ったら、エルナは初めて招かれたお茶会を前に珍しく緊張していたらしい。
「うふふ、大丈夫よ。教会でお作法も習ったんでしょう?」
にこにこしながらシェアラに言われて、エルナは困ったように眉尻を下げる。
「もしかして、お前、ちゃんと聞いてなかったのか?」
「そ、そんなことないもん。そりゃ、眠いなーとは思ってたけど……」
これはだめだ、いざとなったらフォローしなきゃならないのか、とヴィルムは覚悟を決めた。もちろん、自分も万全のフォローができるほど作法や所作に自信があるわけではないのだが。何しろ、グリアンから今日までの突貫でエスコートの作法を教えて貰ったくらいなのだから。
「まあ、そんなに気負わなくても、なるようになるよ」
そんな気楽なことを言うグリアンに釣られてか、「そうよね、大丈夫、なんとかなるわよね。だって“巫女”に選ばれたんだもの」と、エルナまでがこくこくと頷き始めた。いや、ここに来て変な自信を持たれても、どこまでフォローできるかわからないのに困る、とヴィルムは内心心配で仕方ない。
「あら、そろそろよ」
シェアラが言ったとたんに、馬車がゆるゆると速度を落とし始めた。館の門をくぐって少し経つと、館の正面とおぼしき場所まで来て馬車は止まる。
「さ、降りよう。ヴィルムは降りたらちゃんとエルナの手を取るんだよ」
「はい」
グリアンに教えられた通りにエルナの手を取り、ゆっくりエルナが馬車から降りてくるのを助けた。「ドレスって、ほんと重いのね」というエルナの呟きは聞かなかったことにする。
そのまま履き慣れない踵の高い靴で足元がぐらぐらするエルナが転ばないよう、手を取ったままゆっくりと慎重に歩くが……。
「ちょ、エルナ、体重かけすぎ。重い」
「ひどい。そんなこと言っても、転びそうなんだもん。ヴィルムこそ、ちゃんとあたしのこと支えてよ。男でしょ」
「魔法使いなのに無理言うなよ」
「ヴィルムはもう少し鍛えたほうがいいね。ドレスを着た女の子を軽々抱き上げられる程度には、力があったほうがいいよ」
周りに聞こえないような小声でのやり取りのはずなのに、グリアンにはしっかり聞こえていたらしい。小さく笑いながらの言葉にエルナは強く頷き、ヴィルムは顔を赤らめて少し嫌そうな顔をする。
鍛えて力をつけるといったって、兄が毎日やってるような鍛錬に自分が付いていける気はしない。そもそも魔法使いの訓練で手一杯なのに、どうしろというのか。魔法使いに筋肉は必要ないんだ。
「やっぱり、ドレス姿でお姫様みたいに抱っこされるのって、女の子の憧れなのよねー」
エルナがなんだかうっとりと呟く。
「まあ、うふふ。エルナも女の子ね。そうね、グリアンだって着痩せして見えるけど、結構鍛えているのよ。だからヴィルムも頑張りなさいね」
……シェアラに追い打ちをかけられて、ヴィルムは明後日の方向へと視線を向けた。はあ、と溜息しか出ない。
ようやく靴の高さにも慣れてきたのか、エルナがなんとかよろけずに歩けるようになったころ、お茶会の会場となる秋薔薇の咲く庭に到着した。
「わあ、素敵! お菓子もおいしそう!」
「あんまりがっつくなよ。コルセットしっかり締めてるんだろ? 気持ち悪くなるぞ」
「大丈夫よ。ここだけの話、少し余裕持たせてもらったの」
「……はあ?」
普通の女の子なら、できる限り細く見せようと躍起になって締めるものだというのに……。
「お前、いい年して色気より食い気かよ」
「なによ、いいじゃない、アントニア様のお茶会のお菓子ってすごくおいしいって聞いたんだもの!」
「いや、まあ、いいけどさ」
そんなことを話していたら、魔法使いのローブを着た男がこちらへ近づいてきたことに気付いた。
見慣れない顔であることから、この町の住人ではないとわかる。そもそも、この町にパメラと自分以外に魔法使いはいない。
「あなたが “森の魔法使い”パメラ殿の弟子であり、お孫さんでもあるヴィルム殿ですか。私は隣町のシュヴェンデに住む魔法使いアーガインです。お見知り置きを」
「はい。ヴィルムです、よろしく」
なぜかは知らないけれど、パメラはこの町に昔からある、“森の魔法使い”という役職のようなものについている。それが何をするものなのかはわからないが、たぶん、ヴィルムが正式にパメラの後を継ぐときに教えられるのだろう。
「パメラ殿にもお会いできると良かったのですが、本日はいらっしゃらないようで……残念です」
「今日は招待を受けているわけではないので」
ヴィルムがそう曖昧に返事をすると、アーガインは「ああ、なるほど」と頷いた。
「王都の魔術師団でもなければ、他の魔法使いに会う機会はなかなかないですから。もしかしたらこの辺りでは名高い“森の魔法使い”殿に会えるのではと楽しみにしていたのですよ。ぜひ今後とも、師匠殿にもあなたにも、よろしくお願いしたい。今度、是非機会を作ってそちらをお訪ねしたいものです」
「はい」
にこやかに握手を求められて、手を握る。なんだかやけに馴れ馴れしい魔法使いだな、と思ってしまった。
「ところで、そちらのお嬢さんが、100人目の“女神の巫女”ですか。お可愛らしいお嬢さんですね」
ヴィルムの後ろでもぐもぐとお菓子を食べるエルナに目を留めて、アーガインがにっこりと微笑む。
「100人目?」
「ええ、祭が始まって400年目、100番目の“巫女”殿でしょう? どんな方なのかと思いましたが、なかなか可愛らしい」
くすくすとアーガインに笑われて、慌てて口の中のものを飲み下したエルナが、取り繕うように礼をする。
「あの、エルナです。初めまして」
「魔法使いアーガインです。シュヴェンデにはほんの3ヶ月ほど前に来たばかりなのですよ。以後、お見知り置きを、“巫女”殿」
アーガインに手を取られ、まるで淑女にするように口付けられ、エルナは狼狽えてヴィルムへ視線を飛ばした。どこか大仰で儀礼的な所作に、この魔法使いはもしかしたらどこか良い家の出身なのかもしれないなと、ヴィルムは思った。
「まあ、エルナちゃんここにいたのね!」
「アントニア様! 今日は、お招き、ありがとうございます」
「あら、ヴィルムも一緒なのね? パメラに言われてエスコートかしら」
くすくすと笑いながらアントニアに言われて、ヴィルムは慌ててぺこりとお辞儀をする。エルナは相変わらずしっかりとお菓子を手にしながら、それでもなんとか教会で教えられた作法通りの礼をした。
「紹介するわ。下の息子のハインリヒとマグヌスよ。ハインリヒはエルナちゃんと同じ歳なの。仲良くしてね?」
「は、はい……」
領主の息子と仲良くしてねと言われても、そりゃ困るだろうなと、少し引きつった笑みを浮かべるエルナを横から眺める。お菓子を食べたいのに状況がそれを許さないなんて、一体どうしたらいいんだろう。そんなエルナの内心が透けて見えるようだなと、ヴィルムは考える。
「あなたが今回の“巫女”殿なんですね」
にこやかに握手を求められて、エルナはごしごし右手をドレスに擦り付けてから手を差し出す。あぁ、だからいつも、もっと年頃の女の子らしくしろって言ってるのに。
ハインリヒはしっかりと手を握りながら、社交辞令なのかどうなのか判断に困るほどの愛想の良さでエルナを讃えていると、マグヌスがハインリヒの袖をくいくいと引く。
「兄様、早く僕にも“巫女”様にご挨拶させてください。“巫女”様、僕とも握手をお願いします!」
仕方ないなと肩を竦め、ハインリヒが手を離した途端、横から領主の末っ子に手を出され、慌ててまた握手を交わす。
その間もちらちらとお菓子に目が行くエルナを見ていると、今度はヴィルムにも視線を寄越してきた。どうやら、お菓子を食べたいからなんとかしろということらしい。
「マグヌス様、エルナは、アントニア様のお茶会で振舞われるお菓子の評判を聞いて、とても楽しみにしてたんです。よろしかったら、マグヌス様のお勧めをエルナに教えていただけますか?」
途端に、マグヌスの顔がぱあっと輝いた。
「エルナ! じゃあ僕のとっておきのお勧めを教えてあげるよ!」
がっちりとエルナの手を掴み、ぐいぐいと引いてテーブルへ突進する。10歳の子供に引っ張られ、満更でもないどころか一緒になって並ぶお菓子に夢中になるエルナの様子に、ハインリヒが「ヴィルム、たいへんだね」とくつくつ笑った。「いつものことですから」とヴィルムはやっぱり曖昧に頷いた。
それから次々と紹介された、実にたくさんの招待客たちへの対応に追われたとかなんとか零しつつ……「お菓子全種類食べられなかった」と帰りの馬車の中で落ち込むエルナを、ヴィルムは呆れた顔で見ていたのだった。