2.“巫女”補正
「まあ珍しい!」
この町で妖精夫婦と呼ばれるグリアンとシェアラの家を訪ねると、開口一番シェアラが言い放った。確かに珍しいかもしれないと、ヴィルムは頭の片隅で考える。
パメラの弟子になってから、遣いをこなす時以外のほとんどの時間、魔法の訓練をしてるか魔術書を読んでるか薬草を弄ってるかのどれかしかやっていない。考えてみたら、ただの引きこもりの魔法馬鹿みたいじゃないか。
「今日はどうしたの? パメラのお遣いかしら?」
「こんにちは、ご無沙汰しています」
にこにこと中へ入れと促すシェアラにぺこりとお辞儀をしてから、用件を切り出そうとすると、今度はグリアンまでが出てきた。
「やあ、ヴィルムじゃないか。珍しいね、早く中へお入り。今回の“巫女”にエルナが選ばれたっていうから、話を聞きたいと思ってたんだよ」
この2人に捕まったら、どうしたって早くは帰れない。ヴィルムはひとつ息を吐くと、覚悟を決めて「お邪魔します」と中へ入った。
「というわけで、こちらで服を借りられないか聞いてみろと、祖母に言われたんです」
エルナが“巫女”に選ばれたという知らせを受けた件から今日までのことを延々と話し、ようやく本題へと入ることができた。
この妖精夫婦はどうも人間と時間の感覚が違うらしく、時間を気にせず訪ねてきた者と長話に興じることが多い。寿命の長い妖精ならともかく人間の時間は有限なのに、と彼らに捕まるたびにヴィルムは思う。これで、今日予定していたことは何もできなくなってしまったぞ。
「じゃあ、明日さっそくエルナといらっしゃいな。いくつか見繕っておくから合わせましょう。もちろん、ヴィルムの分もね」
うふふ、と嬉しそうに微笑みながらシェアラに言われて、ヴィルムは頷いた。
「すみません、お願いします」
「いいのよ、パメラちゃんにはいっつもお世話になってるんだもの。明日のうちに決めちゃえば、お茶会までは時間もあるから手直しもばっちりよ」
……このひとたち、さすが妖精だけあってばあちゃんよりも年上なんだっけ、と、シェアラがパメラを“パメラちゃん”と呼ぶたびに思い出させられる。正直違和感しか感じないのに、パメラは“パメラちゃん”と呼ばれると嬉しそうなので、ヴィルムには何も言うことができない。
ところで、と、グリアンがお茶をひとくち口にしてから思いだしたように口を開く。
「今度の豊穣の祭は節目になるんだろう? たしか400回だか500回だかだっけ? だから、いつもよりも盛大なものになるって聞いたんだけど、何か特別な催しでもあるのかな?」
「さあ。俺もそこはあまり……祖母かエルナなら何か知ってるかもしれませんが」
そういえば、エルナもそんなことを言っていた気がするな、とヴィルムは思いだした。エルナの話はいまひとつ要領を得ず、どうもわかりづらくて聞き流していたのだけど。
「何か今回だけのこととかあるのかなってシェアラと話していてね、楽しみなんだ」
「そうなの。お祭りは毎年楽しみだけど、今年はどんな風なのかしらって。今回は、私も久しぶりに広場で歌おうかと考えてるのよ」
グリアンと結婚する前、シェアラは吟遊詩人として各地を旅していたのだという。結婚前といってもパメラが生まれるよりも前の話らしいのだが、彼女の演奏はかなりの腕前だという評判だ。今はそれほど人前で演奏する機会がないため、こういうお祭りのようなものでもない限りなかなか聞くことができなくなっている。
「それは俺も楽しみですね。ぜひ聞きたいです」
「うれしいわ。じゃあ、頑張って当日まで指慣らしをしておかなきゃいけないわね」
グリアンの家を辞した時には、もう日暮れが間近に迫っていた。ヴィルムは帰宅前に明日のことをエルナに伝えておこうと女神教会に向かうことにして歩き出す。たぶん、教会の講習が終わるのもそろそろだったはずだ。
「よう、ヴィルム」
「マックスか」
もうすぐ教会、というところで声を掛けられて振り向くと、マックスだった。歳がひとつ上で家も近いため、幼いころはよく遊んだ友人だ。
「なんか久しぶりに顔見たなあ。たまには出て来いよ。お前のことだから、どうせ家に籠ってばっかりなんだろ?」
「そんな暇ないよ。ばあちゃんが出す課題で手いっぱいで、とても外を歩く時間なんて取れないって」
「その割にこんなとこにいるんだな……あ、そうか、エルナか」
「遣いを頼まれただけだって」
マックスににやりと揶揄するよう笑われて、ヴィルムは鼻白んだようにそっぽを向く。
「そのエルナだけどさ」
「……なんだよ」
「あいつ、“巫女”に選ばれただろ? おかげでエルナ狙いの連中が勢いづいてるんだぜ」
「はあ?」
「何、まさかお前知らなかったのか? おおかた、引きこもりすぎてて気づかなかったんだろ」
ヴィルムが逸らした視線を思わず戻すと、仕方ねえなとマックスは肩を竦めた。
「教会の前で出待ちしてるやつとかもいるんだぜ。エルナのことを知らなくても、今度の“巫女”がかわいいって評判は流れてるからな」
「何だそれ」
思わず顔を顰めてそう呟くヴィルムに、マックスはくくっと笑った。
「“巫女”が選ばれた時の恒例だろ。まさか知らないとか言わないよな? とにかく、“巫女”になった女の子が注目されるのは毎度の恒例で、前回もマリアさん狙いの連中が裏じゃすごかったらしいんだよ。そうやって全員が牽制しあって手を出しあぐねてる間に、ぽっと出のライデハイテ商会の次男がさっさと掻っ攫ったとこまでいつも通りだったって、うちの上の兄ちゃんが話してたし、父ちゃんも毎回そんなもんだって言ってたんだぜ」
「いや……だってエルナだぞ?」
ヴィルムにはそんなエルナの姿がさっぱり想像できず、顔を顰めたまま首を振る。
「お前、そんなこと言って余裕かましてたら、出遅れたうえに誰かに持ってかれて終わっちまうぞ。これ、俺からの忠告だからな」
マックスはヴィルムの返事を待たずに、「じゃ、俺も遣いがあるから、またな」と去って行った。どうやら、ほんとにそのことだけをヴィルムに話したかったのだろうか。
「いや、だってエルナだろ……?」
ヴィルムは半信半疑のまま、呆然ともう一度そう呟いて、教会へと向かった。
「おい、エルナ!」
「あ、ヴィルムー!」
妙に人出の多い教会前に到着し、ようやくエルナの姿を見つけたヴィルムが片手を上げて声をかけると、エルナはすぐに気づいて手を振り返した。
……と、同時に、あたりから何やら不穏な気配を感じて、ヴィルムは思わず周りを見回す。
「……なんだ?」
気のせいだろうかと、目を眇めてきょろきょろと視線を巡らせるヴィルムを、エルナが不思議そうに見上げる。
「どうしたの? 何かあった?」
「いや、別に。それより、明日だけど……」
エルナを促して歩き始めるが、やはり何故だか妙に視線を感じて落ち着かない。マックスの話していたことは、つまり、こういうことなのか……と首を傾げながらヴィルムはもう一度ぐるりと見回してみたが、こちらを見ているような誰かは見当たらなかった。
「午前中、グリアンさんの家に行って、衣装合わせだよ。シェアラさんがいくつか見繕って用意しておいてくれるってさ」
「ほんとに!? わあ、楽しみだなあ」
手を叩いてはしゃぐエルナを見て、ヴィルムの顔にふっと笑みが浮かぶ。
「あと、ばあちゃんが、俺にお前のエスコートしろだって。あとでお前のとこの親に話しに行くって言ってた」
「え? ヴィルム、エスコートなんてできるの?」
「さあ。ばあちゃんのお供で何度か行っただけだし、まともなエスコートなんてしたことないからわからない」
「そこは、俺に任せろくらい言ってくれたっていいじゃない」
何故かエルナがぷうっと頬を膨らませ、ヴィルムの背中をぺしっと叩く。
「安請け合いなんかしたら、あとでお前になんて言われるかわからないだろ」
「ええー。そこ見栄張ってでも請け負うところなんじゃないの?」
「なんでエルナ相手に見栄張る必要があるんだよ」
眉を顰めるヴィルムに、エルナは「だからヴィルムはモテないのよ」と口を尖らせる。
「……別に、モテようがモテまいが、関係ないだろ」
なんでそんなことで責められなきゃならないのか、理不尽だ。
翌日、妖精夫婦宅では、午前中いっぱい掛かってようやくドレスを決定した。さすがにあちこち詰めたり広げたりしないといけないため、最低でもあと2回は合わせに来る必要があるらしい。ヴィルムも同様だ。妖精の例に漏れず長身のグリアンとは、身長が頭ひとつ近く違うのだから。
ちなみに、あまりに多くのドレスをとっかえひっかえするのについて行けず、疲れたヴィルムは途中からものすごく適当に返事をしていたのだが、すぐにエルナにバレて怒られてしまった。
最後まで手を抜かず、にこやかに感想や所見を述べていたグリアンを、さすが妖精夫婦の夫だけあると、ヴィルムは感心している。