1.御招待
大騒ぎのまま1週間があっという間に過ぎた。
いちばんの大騒ぎだったエルナは「何かの間違いだ」とさっそく教会へと赴き、司祭を何人も捕まえては託宣のことをあれこれと尋ねまわったが、結果は変わらずだった。今では祭に向けてのさまざまな知識やら作法やらの講習を受けるため、ほぼ強制的に毎日の午後ずっとを教会に引きこもらなければならなくなっている。もともとおとなしくじっと座っていることが苦手な彼女に、おしゃべりもできない教会の講習は苦行らしい。
「あたしさあ、“巫女”ってもっとなんかふわふわーっとできるものだと思ってた」
午前中、パメラの屋敷でいつも通り、薬草を仕分けたり粉に引いたりの作業をしながら“巫女”のあれやこれやを愚痴るエルナに付き合うのが、ここ数日のヴィルムの日課だ。
「ふわふわって、なんだよ」
いったいどんな幻想を“巫女”に持っていたのかさっぱりわからず、魔術書に目を落としたままヴィルムは聞き返す。
「だってさ、前の“巫女”やったマリアお姉さんとか、さらっとお役目をこなしてたじゃない? こんなにいろいろ女神さまのことやら舞いやらお作法やらを習わなきゃいけないなんて、知らなかったし」
「……ちょっと考えればわかるだろ。お前、何も練習しないで舞いとか踊れると思ってたのかよ。祭の最中に、一応、儀式だってやってるはずだぞ」
ヴィルムがちらりとエルナに目をやれば、はあ、と大きな溜息を吐いていた。
「ええー……それはそうだけどさあ……なんていうか、“巫女”なんだし、そこはなんとなくできちゃいそうな気がするじゃない?」
「──馬鹿じゃねえの?」
どんだけ“巫女”に夢を見てるんだと呆れて、ヴィルムはつい本音を漏らしてしまう。あ、と思ったが時既に遅く、エルナはぷうっと頬を膨らませていた。
「どうせあたし馬鹿だもん! ヴィルムみたいに魔法の本なんて読めないし、頭良くないもん!」
「そういう話じゃなくってさ……だから、子供みたいに頬を膨らませるのやめろよ。山ねずみみたいだっていつも言ってるだろ。あと、手が止まってる」
「ふーんだ、どうせあたしなんか山ネズミだもんね!」
ぶつくさ言いながらもエルナはまた手を動かし始めて……「あ、そうだ」と何かを思い出したように顔を上げた。エルナの感情はすぐにころころ変わるから、ついていくのは大変だ。
「ねえ、ヴィルム。あたしね、領主様の奥様のお茶会に呼ばれたの」
「……えっ?」
「何か、特別な作法とかってあるのかな」
「作法のことなら、教会で聞けばいいじゃないか。でも、なんでアントニア様のお茶会に?」
領主の奥方であるアントニアは、無類の社交好き……というよりは、お祭り好き、お茶会好きとして領民に知られている。何かというと“お茶会”を開いては、気軽に領内のいろいろな人間を招待するのが趣味らしい。祖母のパメラも招待されたことがあるし、弟子として自分も付いていったことがある。
いろんなやつを招待するおかげで、領主付きの警備隊は大変なんだってさ、とハンゼルが言うのも、聞いたことがあった。
「ええとねえ、“巫女”が選ばれたら、“巫女”のお披露目も兼ねて必ずその子をお茶会に呼ぶことにしてるんだって」
エルナの話を聞きながら、ヴィルムはこれまでの歴代“巫女”が、祭までの間に何をしていたかを思い出そうとする。
「……領主の奥方のお茶会って、正式な夜会ほどじゃなくてもちょっとしたパーティだぞ。お披露目兼ねてるっていうなら、この辺りのめぼしい名家からかなり人を集めてやるんじゃないか?」
「ええ? そうなの? どうしよう。着ていくものとかないんだけど」
パメラの薬草の弟子にはなっているけれど、エルナはただの平民だ。“領主のパーティみたいなお茶会”なんかに着ていく一張羅なんて、持っているはずがない。
「うちのばあちゃ……師匠に相談したら意外になんか出てくるかもよ。あれでもいっぱしの魔法使いとして、若い頃はいろんなとこに行ったって自慢してたし」
「そっかあ……」
すっかり気持ちがお茶会に行ってしまったエルナをちらりと見やって、ヴィルムはふと思い出す。
「あ」
「なに?」
「……なんでもない」
そういえば、これまでの“巫女”は、だいたいが“領主のお茶会”で名家の年頃の男に見初められていたんじゃなかったか。
つい、まじまじとエルナを眺めて、まさかな、とヴィルムは小さく呟いた。
「ただいま。ああ疲れた」
「おかえりなさい!」
年は取りたくないと言いながら帰ってきたパメラを、エルナが出迎える。
「ああ、エルナ。聞いたよ、アントニアのお茶会に招待されたんだって?」
「そうなの! どうしよう、あたし、服なんて持ってないし……おばあちゃん、なんとかならないかな?」
おそらくエルナの母からでも招待の話を聞いたのだろう、眉尻を下げてどうしようどうしようと騒ぐエルナに、ふむ、と考え込む。
「そうだねえ、ちょっと聞いてみようか。たしかグリアンの奥方が随分と衣装持ちだったはずだよ」
出てきた名前にエルナは顔を輝かせて、ヴィルムは驚きのあまりぱっと顔を上げた。グリアンの奥方っていったら……。
「グリアンとこって、妖精夫婦じゃないか。エルナに合う服なんてあるのかよ」
「まあ、なんとかなるんじゃないかね?」
ヴィルムは、祖母の言葉に思わず、けれどじろじろと不躾に、エルナを上から下までじっくりと眺めてしまった。
「いや、だってさ、妖精って細くて背が高くて美人じゃん。奥方のシェアラさんもすっげえ金髪美人だし」
つい口に出して、それからしまったと思った時には、やっぱり遅かった。
「どうせ、どうせあたしはチビでぽっちゃりだもん! 赤毛だし!」
「あ……いや、うん……ごめん……」
「謝らないでよ!」
再びぷうっと膨れたエルナの頭にパメラが手を置いて、宥めるようにぽんぽんと叩く。
「ほらほら、喧嘩するんじゃないよ。エルナ、大丈夫だから。あんただって、シェアラとはちょっと方向性が違うだけでちゃんとかわいいんだから自信をお持ち」
どうしてヴィルムはいっつもそうなのよとぷりぷり怒りながら、エルナは薬草を片付け始めた。もう昼が近い。
「じゃあ、ヴィルム、グリアンさんとシェアラさんによろしくね!」
昼食を済ませ、元気よく手を振って教会へと駆けて行くエルナに手を振り返しながら、ヴィルムはなんでなんだと考えていた。グリアンの家へ行き、エルナにドレスを貸してくれないかと頼む役目がなぜかヴィルムに回ってきたのだ。自分が呼ばれたわけでもないのに。
「本人が行くかばあちゃんが行くかすればいいじゃん」
「年寄りを働かせるんじゃないよ。エルナは本番までなんやかや忙しいし、暇してるあんたが行くのが一番だろ」
「……別に暇してねえし」
「いいから行きな」
ばあちゃんはいつもこれだ。都合のいい時だけ年寄りの振りをするし、なんだかんだと雑用ばかり押し付ける。
「わかったよ」
しぶしぶと立ち上がるヴィルムに、パメラはよしと頷いた。
「──そういえばさ、ばあちゃん」
「なんだい?」
妙に言いづらそうに目を逸らすヴィルムに、パメラはおやと首を傾げる。
「アントニア様のお茶会って、あれ、もしかして“巫女”になった子の見合いも兼ねてるんじゃないのか?」
「さあてねえ。確かに、あそこで見初められて輿入れした“巫女”の子は多いけど、それが目的ってわけじゃないし……」
ちらりとヴィルムに目をやって、言葉を続ける。
「ああ、でも、アントニアが仲人おばさん並に若い子同士をくっつけるのが好きだってのは、否定しないよ」
とたんに嫌そうな表情になるヴィルムに、パメラは思わずにやりと笑う。
「お前、そんなに気になるのなら、エルナのエスコートするかい?」
「……はあ?」
「ひとりで送り出すわけにもいかないからね。エルナの親とも相談しなきゃいけないけど、あんたが付いてっておあげ」
ぽかんと口を開けたヴィルムに、パメラは手を叩いて続けた。
「さ、そうと決まったら、あんたもグリアンに服を借りてくるんだよ。さっさと行っておいで」
「え、いや、なんで……」
ぐいぐいと外に押し出され扉を閉められて、ヴィルムはしばらく呆然と玄関先に棒立ちになった後、また溜息を吐く。いくら師匠だからって、ばあちゃんは人のこと振り回し過ぎだし使い過ぎだろう。