0.はじまり
「なあ、今日って、“巫女”の発表じゃなかったっけ。お前見に行かなくていいのかよ」
「やだあ、あたしが選ばれるわけないじゃん。行くだけ無駄よお」
師匠に言いつけられた薬草の仕分けをしながらヴィルムが尋ねると、エルナはへらへらと笑いながら、手を振った。
「その割には、さっきから手が止まってるんだけど」
「あ、ごめんごめん」
あははと笑って、エルナは慌てて薬草に手を伸ばすが、やっぱりちらちらと外が気になりだして進まない。ヴィルムは、はあっと溜息を吐き、もう一度「やっぱお前見に行って来いよ。気になるんだろ?」と言った。
この町……ロッテンベルクの山とグラウシャッツの森に挟まれたアルム湖畔の町グラールス周辺は肥沃な土地で、毎年たくさんの実りに恵まれるためか、大地と豊穣の女神の信仰も盛んだ。女神の教会もあり、毎年秋になるとその年の実りを感謝し次の実りを願う、大きな祭も開かれる。今年は4年に1度、“女神の巫女”が選出される年だ。“巫女”が選出される年は、いつもよりも盛大に祭りが行われ、いろいろなところから大勢のひとが集まってくる。
その祭まであとひと月。町全体で祭の準備に余念がなく、浮き足立って落ち着かない雰囲気も漂わせ始めている。
そして、“女神の巫女”は、その年に16になる娘の中から、今日、託宣によって選ばれる。託宣が本当に大地の女神から下されるのかは謎だが、“巫女”に選ばれればいい家から是非にと望まれて輿入れすることだって夢じゃない。この近隣で16になる娘たちは皆、誰もが自分こそはと期待に胸を震わせながら、教会前の広場に集まっているはずだった……目の前のエルナ以外は。
ヴィルムは、祖母であり魔法使いであるパメラの弟子で、今はパメラの指示で薬草を選り分ける作業をしている。エルナも遊びに来ているわけではなく、薬師の勉強をするためにここに来て、ヴィルムと同じようにパメラの指示で薬草を選り分けているはずなのだが……。
「だってさあ?」
「何がだってなんだか」
薬草の山から目を離さずに呆れてみせると、視界の端に、ぷうと頬を膨らませて口を尖らせるのがちらりと見える。
「わざわざ出向いてやっぱりハズレだった、って、なんか恥ずかしくない? 期待してたみたいで」
「お前、そんなこといったら教会前で待ってて外れた全員に殺されるぞ。それと、その顔、口いっぱいにどんぐり詰め込んだ山ねずみみたいだ」
「や、そうだけど、って山ネズミはひどくない!?」
かあっと顔を赤くしてぷりぷり怒り出すエルナに、ヴィルムはくくくっと笑う。
「行かないなら行かないでいいから、手を止めるなよ。午前中に終わらないと師匠に怒られるんだぞ。どうしても手が止まるんならさっさと見に行ってスッキリしてこいって」
「ええ、でもぉ……」
未だぐずぐずもじもじしながらも、ちらちら外を窺うエルナにもう一度溜息を吐く。と、そこで扉をどんどん叩く音に気づいた。わざわざパメラを訪ねて来るような者は限られているが、いったい誰なのか。
「なあ、おい! エルナ、こっちにいるんだろ?」
「ハンゼルの声だ」
エルナが顔を上げて呟く。
ハンゼルはヴィルムの兄でこの町の警備兵だ。今日は朝から勤務中のはずなのに、何かあったのだろうか。
「ちょっと出てくる」
ふう、と息を吐いてヴィルムが立ち上がると、腰のあたりがこきりと鳴った。そういえばずっと座りっぱなしだったな、と考えながら部屋を出て玄関へと向かう。
扉を開けると、警備兵の制服に身を包んだ兄が立っていた。
「どうしたの、兄さん。エルナなら奥にいるけど」
「やっぱり見に行ってなかったんだな。じゃあ、まだ知らないんだろ?
……おおい、エルナ!」
にやにやと笑うハンゼルにヴィルムは怪訝そうに眉を顰める。ハンゼルがその頭越しに奥に向かって大声をあげると、なあにハンゼル、と、エルナは部屋から顔を出して大声を返した。
ああもう、“巫女”がどうとかって前にもう少しだけ女の子らしくすればいいのに、とヴィルムは内心でひとりごちる。
「聞いて驚けよ! 今回の“巫女”、お前に決まったぞ!」
──はああああ!? という叫びとガタン、ばたばたという派手な物音が響き渡ったのは、ヴィルムの「は?」という間の抜けた声が上がってから、一拍置いた後のことだった。