表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
95/153

94

 まだ十代だった頃、初めて彼と顔を合わせた。

 顔を見ても、名前を聞いても、ピンとこない。けれど、どうしても引っかかるものがひとつ。

『……私には、すでに家がある。他の家など必要ない』

『孤児院なんて家じゃないよ。あんなのを家だなんて言ったら、他の名家にも迷惑さ』

 危うく、斬りかかるところだった。すんでのところで堪えたのは、鋭く名を呼んでくれたアハトのおかげだ。

 彼を見たのは、それっきりだった。

 それでも、しばらくの間は、アハトの声を聞くだけで無性に腹が立ったものだ。

 違う人間だとわかっていても、同じにしか聞こえない。そんなアハトの声が、強い憤りと、深い後悔を呼び起こす言葉を、いつでも鮮やかによみがえらせた。

 あの時、アハトに自分のすべてを否定された気がした。感情に片をつけないまま、苛立ちに任せて力を振るう。結果、力加減を間違えて、アハトを死なせてしまったと思った。

 頭どころか、心臓まで。冷や水を浴びせられて、ギュッと縮こまった。あの時のことは、今でも忘れられない。

 騎士になると決めてからは、一度も泣かなかった。泣いている暇があったら、少しでも訓練をして強くなりたかったから。

 この手で、剣で、吹き飛ばしてしまったアハトが目を開けないことが、体をガタガタと震わせるほど恐ろしくて。実に、十数年ぶりに泣いた。

 それからしばらく、些細なことでほろりと涙が出てきて、困らされたことはよく覚えている。

 似ているところなど、ひとつもない顔のくせに。聞き違えそうなほどそっくりな声で話す彼の顔を、嫌な記憶として忘れてしまうことはできなかった。

「あまり笑わせるな」

 苦い思い出を、涙がにじみ、こぼれるまで笑うことができる日が来るとは。今まで、想像もしていなかった。

 指でキュッと目元を拭ったソーニャは、正座させられている面々を立ち上がらせた。彼らとひとまとめにして、ポンポンとヴェサの背中を叩く。

 暗に「早くここから立ち去れ」と伝えたのだ。

「姫様はまだ戻ってこないが、今回の件を知ったらアハトより厄介な人間が、そろそろ戻ってくる頃だからな」

「俺より厄介って、ユリアもまだだから一人しかいないね。うん、説教は場所を移して、みんな早く逃げた方がいいかな」

 言い終えた直後、バタバタと駆けてくる足音が二つ。

「あれ? 思ったより早いね」

「どうせ、リュイスが余計なことを言ったに決まっている」

「あはは……リュイスさんって相変わらず、ソーニャさんからの信頼が厚いね」

 どう聞いても、これっぽっちも褒めているようには聞こえない。そんなアハトの言葉に無言を返し、ソーニャはヴェサに「早く行け」と促す。

「伯母上!」

 よく通る、声変わり前の少年を思わせる澄んだ声が叫ぶ。

 いったい、何をどう聞かされたのか。あからさまな怒りの形相を隠さないシーヴが、ためらいなく剣の柄に手をかける。

 金属がこすれて立てる不快な音と、キラリときらめく刀身。

「そこの……っ!」

 ソーニャが止める暇もない。

 容赦なく振り下ろされた剣は、瞬きひとつの間に引き抜かれた剣で、あっさりと受け止められていた。

「いきなり斬りかかられるいわれはない」

 相手から発せられた声に、シーヴがきょとんとした顔で、パチパチと瞬きを繰り返す。まじまじと、相手の顔を、穴が空く勢いで凝視している。

「シーヴちゃん、そいつじゃなくてあっちの連中ね」

「は? あ、え……え?」

 ひどく混乱した表情で、シーヴはアハトとヴェサを交互に見た。

 もし、あんな出会い方でなければ。恐らく彼に、自分はこんな反応を返したのだろう。そう思ってしまうほど、シーヴの戸惑いは素直だ。

「こいつに関しては後で教えてあげるから、とっちめたいならあっちにしてね」

「……ユリアの部屋に入ったのは、あいつらか」

「いやいやいや、まだ入ってないから。というか、ユリアの部屋に侵入してたら、それこそソーニャさんが絶対に許さないよ。姫の判断なんて待たないで、今頃全員その辺で伸びてるからね」

「……リュイスは後で説教だな」

 殺気立ったシーヴの背を、軽く叩いて落ち着かせる。呆れて苦笑をこぼすアハトの横で、ソーニャがぼそりと呟く。

「っていうか、半分くらいはユリア目当てじゃないし」

 声音と同じくらい、冷え冷えとした空気が流れた。

 斬りかかったシーヴより、冷気の主はさらに危険な印象だ。

「わかるんだな」

「わかるって言うか、あっちは消去法でしょ」

 感心して呟いたソーニャに、横からアハトがばっさり訂正を入れる。

「ヴァルトくんが、ユリア分まで把握してるとは思えないからね」

「そういうものか?」

「ソーニャさんやシーヴちゃんみたいに、何にも把握してない人もすごいと思うけどね、俺は。だいたい、自分のものに手を出そうとする人間ってのは、見てればわかるよ。俺だったら、絶対に許さないね」

 淡々と言っているように見せかけて、多大に感情を込めたアハトの言い分を、ソーニャはサラリと聞き流す。

「俺の時は、幸いなことに、大半が本気じゃないやつばっかりだったけど、ヴァルトくんの場合は、きっちり自衛しないといけないだろうしね」

「どう自衛するんだ?」

「そりゃあもちろん、そんな気が、残らず木っ端微塵になるように」

 アハトにしては珍しい、ひどく酷薄な笑み。

 何をするのか、聞いたところで、どうせ理解はできないだろう。目を瞬かせたソーニャは、詳しく尋ねようとはしなかった。

「オレは、ユリアの部屋に興味ないからどうでもいいけど、シーヴの部屋に入ろうなんて考えるやつは、追いかけ回してでも容赦しないよ」

「僕は別に、ものを持ち出さなければ気にしないが」

「シーヴがよくても、オレは嫌だから」

 言い放った直後、ヴァルトはシーヴを、背中側からこれ見よがしにギュッと抱き締める。そのまま腕にしっかり力を込めて、逃げられないようにした。グッと腰を落として、どちらかが身動きすると、頬がかすかに触れる距離まで近づく。

 どこかで見た光景だ。

 ソーニャはぼんやりと考え、それがエリサとヘンリクで見られる日常だと気づく。

 エリサは平然と受け入れているが、シーヴはもちろん慣れていないだろう。それを理解しているのかいないのか。ヴァルトは、真っ赤になったシーヴの顔へ、楽しげにググッと頬を寄せている。

 後ろから抱き締められても、悲鳴ひとつ上げず。まだ手にしていた剣を、振り上げるどころか。抵抗らしい抵抗をしないシーヴに、察しのいい者はフッと目を逸らした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ