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まだ十代だった頃、初めて彼と顔を合わせた。
顔を見ても、名前を聞いても、ピンとこない。けれど、どうしても引っかかるものがひとつ。
『……私には、すでに家がある。他の家など必要ない』
『孤児院なんて家じゃないよ。あんなのを家だなんて言ったら、他の名家にも迷惑さ』
危うく、斬りかかるところだった。すんでのところで堪えたのは、鋭く名を呼んでくれたアハトのおかげだ。
彼を見たのは、それっきりだった。
それでも、しばらくの間は、アハトの声を聞くだけで無性に腹が立ったものだ。
違う人間だとわかっていても、同じにしか聞こえない。そんなアハトの声が、強い憤りと、深い後悔を呼び起こす言葉を、いつでも鮮やかによみがえらせた。
あの時、アハトに自分のすべてを否定された気がした。感情に片をつけないまま、苛立ちに任せて力を振るう。結果、力加減を間違えて、アハトを死なせてしまったと思った。
頭どころか、心臓まで。冷や水を浴びせられて、ギュッと縮こまった。あの時のことは、今でも忘れられない。
騎士になると決めてからは、一度も泣かなかった。泣いている暇があったら、少しでも訓練をして強くなりたかったから。
この手で、剣で、吹き飛ばしてしまったアハトが目を開けないことが、体をガタガタと震わせるほど恐ろしくて。実に、十数年ぶりに泣いた。
それからしばらく、些細なことでほろりと涙が出てきて、困らされたことはよく覚えている。
似ているところなど、ひとつもない顔のくせに。聞き違えそうなほどそっくりな声で話す彼の顔を、嫌な記憶として忘れてしまうことはできなかった。
「あまり笑わせるな」
苦い思い出を、涙がにじみ、こぼれるまで笑うことができる日が来るとは。今まで、想像もしていなかった。
指でキュッと目元を拭ったソーニャは、正座させられている面々を立ち上がらせた。彼らとひとまとめにして、ポンポンとヴェサの背中を叩く。
暗に「早くここから立ち去れ」と伝えたのだ。
「姫様はまだ戻ってこないが、今回の件を知ったらアハトより厄介な人間が、そろそろ戻ってくる頃だからな」
「俺より厄介って、ユリアもまだだから一人しかいないね。うん、説教は場所を移して、みんな早く逃げた方がいいかな」
言い終えた直後、バタバタと駆けてくる足音が二つ。
「あれ? 思ったより早いね」
「どうせ、リュイスが余計なことを言ったに決まっている」
「あはは……リュイスさんって相変わらず、ソーニャさんからの信頼が厚いね」
どう聞いても、これっぽっちも褒めているようには聞こえない。そんなアハトの言葉に無言を返し、ソーニャはヴェサに「早く行け」と促す。
「伯母上!」
よく通る、声変わり前の少年を思わせる澄んだ声が叫ぶ。
いったい、何をどう聞かされたのか。あからさまな怒りの形相を隠さないシーヴが、ためらいなく剣の柄に手をかける。
金属がこすれて立てる不快な音と、キラリときらめく刀身。
「そこの……っ!」
ソーニャが止める暇もない。
容赦なく振り下ろされた剣は、瞬きひとつの間に引き抜かれた剣で、あっさりと受け止められていた。
「いきなり斬りかかられるいわれはない」
相手から発せられた声に、シーヴがきょとんとした顔で、パチパチと瞬きを繰り返す。まじまじと、相手の顔を、穴が空く勢いで凝視している。
「シーヴちゃん、そいつじゃなくてあっちの連中ね」
「は? あ、え……え?」
ひどく混乱した表情で、シーヴはアハトとヴェサを交互に見た。
もし、あんな出会い方でなければ。恐らく彼に、自分はこんな反応を返したのだろう。そう思ってしまうほど、シーヴの戸惑いは素直だ。
「こいつに関しては後で教えてあげるから、とっちめたいならあっちにしてね」
「……ユリアの部屋に入ったのは、あいつらか」
「いやいやいや、まだ入ってないから。というか、ユリアの部屋に侵入してたら、それこそソーニャさんが絶対に許さないよ。姫の判断なんて待たないで、今頃全員その辺で伸びてるからね」
「……リュイスは後で説教だな」
殺気立ったシーヴの背を、軽く叩いて落ち着かせる。呆れて苦笑をこぼすアハトの横で、ソーニャがぼそりと呟く。
「っていうか、半分くらいはユリア目当てじゃないし」
声音と同じくらい、冷え冷えとした空気が流れた。
斬りかかったシーヴより、冷気の主はさらに危険な印象だ。
「わかるんだな」
「わかるって言うか、あっちは消去法でしょ」
感心して呟いたソーニャに、横からアハトがばっさり訂正を入れる。
「ヴァルトくんが、ユリア分まで把握してるとは思えないからね」
「そういうものか?」
「ソーニャさんやシーヴちゃんみたいに、何にも把握してない人もすごいと思うけどね、俺は。だいたい、自分のものに手を出そうとする人間ってのは、見てればわかるよ。俺だったら、絶対に許さないね」
淡々と言っているように見せかけて、多大に感情を込めたアハトの言い分を、ソーニャはサラリと聞き流す。
「俺の時は、幸いなことに、大半が本気じゃないやつばっかりだったけど、ヴァルトくんの場合は、きっちり自衛しないといけないだろうしね」
「どう自衛するんだ?」
「そりゃあもちろん、そんな気が、残らず木っ端微塵になるように」
アハトにしては珍しい、ひどく酷薄な笑み。
何をするのか、聞いたところで、どうせ理解はできないだろう。目を瞬かせたソーニャは、詳しく尋ねようとはしなかった。
「オレは、ユリアの部屋に興味ないからどうでもいいけど、シーヴの部屋に入ろうなんて考えるやつは、追いかけ回してでも容赦しないよ」
「僕は別に、ものを持ち出さなければ気にしないが」
「シーヴがよくても、オレは嫌だから」
言い放った直後、ヴァルトはシーヴを、背中側からこれ見よがしにギュッと抱き締める。そのまま腕にしっかり力を込めて、逃げられないようにした。グッと腰を落として、どちらかが身動きすると、頬がかすかに触れる距離まで近づく。
どこかで見た光景だ。
ソーニャはぼんやりと考え、それがエリサとヘンリクで見られる日常だと気づく。
エリサは平然と受け入れているが、シーヴはもちろん慣れていないだろう。それを理解しているのかいないのか。ヴァルトは、真っ赤になったシーヴの顔へ、楽しげにググッと頬を寄せている。
後ろから抱き締められても、悲鳴ひとつ上げず。まだ手にしていた剣を、振り上げるどころか。抵抗らしい抵抗をしないシーヴに、察しのいい者はフッと目を逸らした。




