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一方その頃、ハイヴェッタ側では。
「あ、本当にハゲダヌキご一行が来たね」
前年より、腹回りがさらにふくらんでいる。頭髪らしきものが存在していない、キラリと光る頭部を、惜しげもなくさらす。
そんなハイヴェッタ王を視認したアハトは、もはやため息さえ出ない。
「あれは、リュイスさんが間違いなく、いきなり連射攻撃するよ」
「しかも、挟み撃ちが失敗しているとも知らずに。見ろ、あの自信に満ちた面構えを」
ソーニャが侮蔑を混ぜた、ひやりとした冷笑を浮かべる。
普段はまず、リュイスの遠距離攻撃で逃げ場を奪う。それからソーニャが存分に痛めつけて追い払っている。しかし今回は、リュイスが間に合うかわからない。
ユリアのように、防御魔術による罠を仕掛けた上で。二人並んで、ジッと進軍の様子を眺めていた。
「どうやら、私たちがいることにも気づいていないな……これは見物だ」
呟きながら準備体操を始めたソーニャに、アハトは苦笑を混ぜた声をかける。
「ソーニャさん、ここ連日の運動不足と、イクセルくんと遊べなかった分を、あのハゲダヌキで発散するの?」
「当然だろう? リュイスが間に合っても、少し遠慮してもらわないとな」
普段は、ソーニャがイクセルとある程度やりあってから、アハトが彼をいじるのだが。今回は同時進行の恐れがあり、それができなかった。
ハイヴェッタの騎士たちは、ソーニャにとってはひどく物足りない。自国の騎士たちより弱い、と常日頃酷評しているくらいだ。
もしかすると、ソーニャ一人で片がついてしまうかもしれない。
「あ、でも、あのハゲダヌキくらいは、リュイスさんに残してあげた方がいいんじゃない?」
「あれが一番弱いんだから、私がわざわざ相手にする必要もないだろう?」
「それもそうだね」
もうすでに、剣を持ち上げることができるかも怪しい体形だ。
癒し手がいないからと、日課の訓練で剣を使えずにいて、力が有り余っている。そんなソーニャの鬱憤の、相手が務まるわけがない。
近づいてきたハイヴェッタ軍が、見えない壁に阻まれて困惑している様に。ひっそりと満足げな笑みを浮かべ、ソーニャは素手で敵陣に突っ込んでいく。
「ソーニャさん、忘れ物!」
「いらん!」
言うと同時に、防御魔術をかけようとするアハトに、かすかな苦笑をこぼしつつ。最初に遭遇した、運のない哀れなハイヴェッタ騎士の腕をつかんで、容赦なく投げ飛ばす。
「アウリンクッカの女騎士が出たぞ!」
情報はすぐさま伝わり、近くにいた騎士たちが一斉に退く。誰も彼も、ソーニャから大幅に距離を取る。
「相変わらず、弱いくせに臆病だな」
年々強くなるセーデルランドと違い、ハイヴェッタの強さは、初めて戦った頃とたいして変わらない。しかし、逃げ足だけはきっちり速くなっていく。
それがまた、ソーニャの気に障るのだ。
「リュイスがセヴェリだった頃も、相当弱かったが、ここまで強くならない国も珍しいな。いっそすがすがしいくらいだ」
鞘があっても命を奪ってしまいそうで、怖くて剣すら持てないというのに。これほど離れられては、簡単に仕掛けられない。
鬱憤ばかりが次々にたまってしまう。
「……腕の一本くらいは、まあ覚悟をしておけ」
誰を投げようかと、ゆっくり視線を巡らすソーニャに怯えて。ハイヴェッタ軍はジリジリと、ますます遠ざかっていく。
「ソーニャさんは運動不足分を暴れたいだけで、実際にはそんなに怖くないって。本当に怖いのは、むしろユハナとユリアの方なんだから」
「今頃、セーデルランドはひどい目に遭っているだろうな」
もっとも、楽しみにしていたユリアのために、ユハナはいくらか遠慮をしているだろう。その上、ユリアの顔にアハトを見出し、最初から尻込みしてあっさり退却してしまいそうなイクセル。
彼らの姿が安易に想像でき、ソーニャはくつくつと低い笑い声をこぼす。
「……なぜ、わしらが来ることを知っていたんだ?」
「挟撃の情報が入っていてね。俺とソーニャさんで、こっちを警戒してたんだよ。他はセーデルランドいじめに行ってるけど、そろそろリュイスさんがこっちに来るんじゃないかな?」
恐怖で声の震えるハイヴェッタ王に、サラッと種明かしをしつつ。ついでに、彼がソーニャよりも恐れる息子の名前を出す。
ハイヴェッタ王の顔色がどんどんなくなっていくのは、去年の攻撃を思い出したからだろう。
やにわに、アハトのさらに後方から、突然の攻撃魔術が雨のように降り落ちる。
「噂をすれば……ってやつかな?」
「リクを最初からこっちに連れて来ておけば、もう少し面白かったか?」
「そうしたら、ソーニャさんが暴れられないでしょ? リュイスさんでこれだもん」
納得して力強く頷いたソーニャは、リュイスの攻撃にすっかり気を取られている騎士たちに駆け寄り、手当たり次第に投げ飛ばし始めた。
迂闊に動けば、リュイスの餌食になる。かといって、逃げなければソーニャに投げ飛ばされるか、投げ飛ばされた騎士に巻き込まれる。
ハイヴェッタ軍には、即時撤退以外、無傷で帰還できる選択肢はすでに残されていなかった。
「撤退しろ!」
リュイスの止まない攻撃に、できるだけ当たらないように。人を盾に逃げ惑うだけで精一杯で、指示を出すどころではない。
そんなハイヴェッタ王に代わり、軍の指揮官らしき中年男性が必死に声を張り上げる。
「逃がすか!」
今まさに投げ飛ばそうとしていた騎士を、ソーニャは中年男性に向かって、思い切り投げつけた。
巻き添えを食った近くの騎士とともに、中年男性も大きく吹き飛ばされる。
「毎年毎年、お前たちは逃げる時だけ速くて鬱憤がたまるんだ。たまには全滅寸前まで相手になれ!」
こうなるともう、アハトには見ているしかできない。
目を覆いたくなるほどすさまじい、ソーニャとリュイスの暴れっぷりに。国に戻ったら真っ先に、エリサに『地獄の訓練』の回数を増やすよう進言しようと決めた。
そして、次こそは、リクをハイヴェッタ軍とぶつけようとも思うのだ。
ソーニャは、動ける者などいないハイヴェッタ軍を、悠々と見下ろしながら歩く。
しっかり体を動かして、たまっていたものを軽く発散したことですっきりしたのか。ソーニャを見慣れた者だけがわかる程度に、嬉しそうに微笑んでいる。
「ソーニャさん、ずいぶんご機嫌になったなぁ」
「あれだけ暴れてもまだ機嫌が悪かったら、もう人間の手に負えないでしょ」
「そういうリュイスさんだって、ずいぶん暴れてたじゃない」
攻撃魔術の合間に「二度とその姿を人前にさらすな!」と叫んでいたのを、アハトはバッチリ聞いている。
「だいたい、リュイスさんだって、最初はソーニャさんに気があったくせに」
「あの頃のソーニャは、今よりずっと大人しかったし、あくまで可憐で優しいリリヤに会う前の話だからね」
耳の痛い話とわかっていて、アハトは時々意地悪く口に出す。だが、最近のリュイスは、惚気話で返すことに決めていた。
もっとも、リリヤが敬愛するソーニャに気のあったリュイスだからこそ。彼女と共通の話題で盛り上がり、親しくなることができたのも事実だ。
「でも、ソーニャには違う意味で感謝してるよ。赤ん坊の世話の仕方から料理や洗濯、掃除まで全部、猛特訓してくれたからね……リリヤの具合が悪い時は、僕が代わってできるから」
「あれは俺も覚えさせられたんだよね。あんなに綺麗で可愛くて、しかも強いソーニャさんが、実は家事も育児も完璧にこなすなんて、絶対誰も信じないでしょ?」
独立した後で困ることのないように。できることは自分でする方針の孤児院で、ソーニャは厳しく育てられた。
国内外問わず、ソーニャは最強の騎士として名を知られている。
鬼の形相で他国軍を追い払ったり、自国の騎士たちに『地獄の訓練』を行っている。そんなソーニャと、家庭的なイメージはまったくつながらない。
「僕は、何度も殺されかけてるのに、あのソーニャをそこまで徹底的に褒められるアハトが、一番信じられないよ」
アウリンクッカに来てからというもの。リュイスは、ソーニャがアハトをうっかり吹き飛ばしては、セナリマの治癒魔術に世話になる。そんな恐ろしい光景を、何度も目撃してきた。
そして、そのたびに、ソーニャを強いと絶賛するアハトの姿も。
「だって、どれも本当のことだよ。初めて会った時から、ソーニャさんは綺麗で可愛くて強いんだから」
忘れられない。
『姫様、私はソーニャです。あなたの騎士になりました』
家と決別することしか頭になかった自分が、ようやくそれを達した直後。穏やかで力強い声をエリサにかけ、優しくほんのり微笑むソーニャと出会ったことも。
『素性の知れない孤児だから、女だからと反対した奴らは全員叩き伏せた。アハトは、そういうことはなかったんだろう?』
王女付きになる資格のある騎士を、全員叩きのめしたというのに。それがちっともたいしたことではないように、サラリと言われたことも。
『ソーニャさんって、綺麗ですね』
『そうか? アハトの方がずっと綺麗になると思うが』
それからしばらく、女と間違われたままだったことも。
どれもソーニャらしくて、アハトにとっては無駄に心ときめく、大切な思い出の数々だ。
「片づいたとたんに人の悪口か?」
気がつけば、目の前にソーニャが立っていた。
「違うよ。ソーニャさんは昔から綺麗で可愛くて強かったって、リュイスさんに自慢してたんだ」
あまりにも幸せそうに、ニコニコ微笑むアハトに。ソーニャは軽く眉を寄せて、短いため息をついた。
それが照れ隠しだと知っているのは、きっと自分だけだ。そう思うと、アハトは無性に嬉しくなって、ますます笑顔になれるのだ。




