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『地獄の訓練』から、およそひと月後。女王付きと王女付き、リクとヴァルトが、そろいもそろってエリサに呼び出された。
「姫様、来ましたか?」
「今朝方、セーデルランドが動いたそうよ。ただ、ハイヴェッタが動きを見せないのが、ちょっと気にかかるのよね」
「そうか、イクセルが出てくるか」
見慣れている者だけが、喜んでいるとわかる程度の。ごくごくかすかな表情の変化を、ソーニャは見せる。
顔を合わせることさえ嫌だ。そう思っていたのは、吹っ切れてしまうまでの話。毎年毎年追い払ううちに、だんだん逃げていく様が面白くなってきた。今ではすっかり、ソーニャの楽しみのひとつになっている。
「実力に大きな差があるのだから、次の楽しみのために、死なせない程度にしなさいね」
「わかっています」
ひと月ほど前に、鉄壁と評判の防御魔術を、三十三枚も突き砕いた。そんなソーニャを目の前で目撃した記憶は、まだ新しい。
あの調子で攻撃を仕掛けたら。簡単に命を奪いかねないことだけは、誰も彼もすんなり理解できた。
「ハイヴェッタといえば、どうもセーデルランドと手を組んだんじゃないか、って噂を聞きかじりましたよ」
転移魔術を生かして、セーデルランドとハイヴェッタの動きを朝晩に確認している。そんなリュイスは、情報収集もついでに行っているようだ。
「セーデルランドとやり合ってる横から、突っ込む予定でも立ててるんじゃないですか?」
「……念のため、警戒はした方がいいということね。
わかりました。今回は、ソーニャとアハトは、ハイヴェッタとの国境近くで待機し、動いたら仕掛けなさい。あなたたちならば、二人だけでハイヴェッタ騎士ごとき、簡単に追い払えるでしょう? 他はセーデルランドを二日以内に叩きのめし、その後、ハイヴェッタが来ているようならば、ソーニャたちに合流しなさい」
サラリと恐ろしい発言を混ぜつつ。それから、とエリサの話は続く。
「リュイスは時々、ソーニャたちのところへ飛んで情報を交換すること。運よく遭遇したら、あなたが真っ先にハイヴェッタ軍に突っ込みなさいね」
「……去年、あのタヌキオヤジがますます太って、しかも頭がハゲてきたことに、僕がどれだけショックを受けたか……エリサ姫は忘れちゃったんですか?」
初見の時もかなりのものだったが、その横幅は年々広がっていく。数年前からは、頭髪にも、ゆるやかな変化が見られ始めていた。
頭髪のほとんど残っていない父親の姿に、さすがに衝撃を隠せず。リュイスが我を忘れて、思い切り攻撃魔術を撃ち込んでしまった。そのことを、エリサはソーニャたちに聞いて大笑いしたから、もちろん覚えている。
「リュイスは間違いなく母親に似たのだから、変な心配をしなくていいわ。容赦なく叩きのめしていらっしゃい」
「リクに、去年より確実にパワーアップしてるだろうタヌキの姿なんて、絶対に見せたくないんだけど……」
「あら、あの姿を見た方が、リクも容赦なくいけるんじゃなくて?」
親子そろってやりかねない。
そんな無言の肯定が、しんとした場に流れた。
エリサの執務室を辞したソーニャは、ふと思い出したようにユハナとユリアを呼び止める。
「もし、ユリアの顔を見て怯える私によく似た男がいたら、それがイクセルだ。もう十年以上前なのに、去年はまだアハトを見て怯えていたからな」
怯える、と連呼するソーニャに。いったい何をしたらそうなるのか、とユハナは疑問を口にした。
「向こうに行った時に、民の目の前で、国最強だったらしいイクセルの攻撃を弱いと言い放った。しかも、対戦相手を卑怯な手で弱らせない限り勝てない卑劣な男だと、姫様まで一緒になってやり込めたんだ」
「……さすがは父さんと陛下だ」
その場面が簡単に想像でき、ユハナは指先の色が亡くなるほど強く額を押さえる。
「ということは、また何か言われると思って、お父さんに怯えているのよね?」
何か思いついたのか。ユリアはニッと、口の端だけ持ち上げた。
「アハトもいじめがいがあると言っていたが、やりすぎると出てこなくなるから、ほどほどにしておけ」
「ええ、そうするわ」
力強く頷いたユリアが、長い髪をクルクルとまとめて、短く見えるよう試している。その姿を見て、ユハナとソーニャはそろって長いため息をついた。
ソーニャとリリヤが育った孤児院を、少し南へ越えた辺り。セーデルランドとの国境を見下ろせる野原に、ソーニャの指導で陣を構えた。
ただしそこには、セーデルランドの先陣が戸惑うように。広範囲に防御魔術の壁を置いて回った、ユリア特有の罠が仕掛けてある。
「ユリア、行こう」
ヴァルトの防御魔術に守られた、ユハナとリクとユリア。そして、保護者として、彼らの後ろをのんびり歩くリュイス。そのさらに後ろをついていくヴァルトは、罠から数メートルの地点でピタリと止まって待つ。
やがて、先頭を走ってきた顔に、まずリクが。続いてユリアも噴き出した。ユハナは、あまりのことに、ただただ苦笑いするしかない。リュイスはすでに見慣れているため、何の反応も示さなかった。ヴァルトは、笑いたいが必死に堪えている、微妙な表情だ。
「ソーニャさんの髪が短くなって、男前になったみたいな人だね」
「ユハナがお母さんくらいの年になったら、あんな感じになるのかしら?」
「……無駄に、血のつながりがあるってわかるくらい似てるな」
笑いながらも、髪をひとつにまとめ上げたユリアが、スッと一歩前に出る。
イクセルをやり込めた当時のアハトは、まだ王女魔術師だった。当然、今のユリアと同じ、薄青色のサーコートを着ていた。
「出たっ!」
化け物でも見たように、いきなり顔を引きつらせて。ソーニャとユハナによく似た男性は、ピタッと足を止める。
今のアハトは女王魔術師で、紫のサーコートを着ている。そう頭ではわかっているのだろうが、記憶にこびりついている姿は、今のユリアが近い。恐怖を抱く彼の反応は、無理もないだろう。
「あれがイクセル王だよ」
「本当に、いじめがいのありそうな人ね」
リュイスがボソリと呟く。ほくそ笑んだユリアは、イクセルへ大きく一歩近づいた。
「く、来るな!」
取り繕うことのできないほど、ひどい醜態をさらしていることに気づけず。イクセルは闇雲に、配下へ攻撃を命じる。
だが、アハトには劣るものの、十分強固なユリアの防御魔術に阻まれる。魔術を使えないセーデルランドの者たちは、あたふたしながら目を白黒させるばかりだ。
「リク、ヴァルト、リュイスさん、片っ端からどうぞ」
「リートゥ!」
「キエリ!」
「シヴェ!」
ユリアの命令に従い、手当たり次第に攻撃魔術を撃ち込む三人に続けとばかりに。他の攻撃型魔術師たちも、一斉に魔術を使い始める。
「た、退却! 一時退却だ!」
「誰が逃がすものですか」
防御魔術の壁を越え、ユリアとユハナは並んで敵陣を追う。
接近しなければ、攻撃の届かないユハナ。目も当てられないほど威力のない、ユリアの攻撃魔術。どちらにしろ、イクセルに追いつかない限り、どうあがいても手は出せない。
「ユリア、ユハナ、避けて!」
リクの声に気配を察したユハナが、ユリアの腕をグイッと引っ張る。妹を抱きとめる形で、ユハナは足早にそこを離れた。
「プキ! キエリ! シヴェ! リートゥ! ルム! ネコウ!」
二人のすぐ近くを、様々な属性の攻撃魔術が、セーデルランド軍目がけて、ビュンビュン飛んでいく。
「リクじゃなくて、ヴァルトの十八連射がきた……」
「違うわ。このひと月の特訓で、二十連射できるようになったのよ」
「父さんとリュイスさんに鬼特訓されたら、そうなるのか……」
ヴァルトは素質もいいのよ、とユリアに言われて。ヘンリクの血筋だったことを思い出し、ユハナはなぜか納得する。
「あら、二十一連射に増えてるわ」
とんでもない追い討ちを受けたセーデルランド軍は、あっという間に散り散りになる。我先にと、残らず国へと逃げ帰っていった。
毎年毎年、追い払われるためだけに出てきているのでは。そんな気がしてしまうセーデルランド軍も、個々人は年々強くなっている。ただ、指揮官たるイクセルが、少々無能というだけだ。
いずれ、彼の息子が王となった時、もっと楽しめるようになるかもしれない。
「いい加減、懲りて出てこなければいいのに」
「そうなったら、お父さんとお母さんと私の楽しみがなくなっちゃうでしょ?
来年もまた来てくださいね、へたれでいじめがいのある素敵な叔父様ぁ!」
後半は、逃げていくイクセルの背中に投げかけてみた。しかし、逃走に必死で聞こえなかったのか、彼からの返事はない。
「じゃあ、僕はソーニャたちの様子を見てくるから、念のために、エルミ様付きは予定も含めてここを守ってて。他の騎士や魔術師は、みんな向こうに行ってもらおうかな」
幼い四人に任せることを不安がる者は、その場にはいない。他の誰が残るより、彼らが警戒している方が、相手も近寄ってこない。そのことを、十二分にわかっているからだ。
騎士と魔術師が移動を始めたのを確認し、転移魔術で飛んだリュイスを見送って。四人は、大人版ユハナとでも言うべきイクセルの、情けない姿をネタに笑い声を弾ませた。




