6
翌日。約束どおり、アハトはヴァルトの実力を試していた。
「安全のために、俺のナイセを君にかけるから、その上に君のナイセをかけて、リュイスさんの全力の攻撃を受けて欲しい」
「え……」
リュイスの攻撃魔術は相当強い、との噂を聞いたことがあるのか。ヴァルトの顔から、ザッと音を立てて色がなくなる。
「大丈夫。リュイスさんは、俺のナイセを崩すのに五連射必要だから。一発ならなんともないって」
「アハトの防御は鉄壁だからね。三十枚も重ねてるのに、簡単に砕いて命を狙えるのはソーニャだけだよ」
恐ろしいことをサラリと言って、乾いた笑いを見せるアハトとリュイスに。ヴァルトはついていけずに、真っ青な顔で二人を交互に見るしかできない。
「まぁ、やってみようか」
アハトは防御魔術をかける。それからヴァルトに、この上に防御魔術を重ねるよう告げた。
「プキ!」
ヴァルトが防御魔術をかけたことを、しっかりと確認した直後。リュイスは容赦なく、全力の攻撃魔術を撃ち込んだ。
怯えて目を閉じたヴァルトは、何ともないことに、ホッと安堵の息を吐く。
目の前には、傷ひとつないアハトの防御魔術。その外側には、粉々に砕け散って、キラキラと地面に落ちていく自分のそれがあった。
「リュイスさんの手応え的にはどんな感じ?」
「防御型で参加してただけあって、ヘンリク様よりちょっと劣る程度かな」
へぇ、とアハトの口から、ため息ともつかない感嘆の声がこぼれ落ちる。
「それはなかなかだね」
近年、攻撃型が続々と増えているため、防御型も治癒型も絶対数が少ない。治癒の使える紫と青をまとう者が、『地獄の訓練』で引っ張りだこになる。その主な理由はそこにあった。
「じゃあ、攻撃もしてもらおうかな。全部防ぐから、俺に向かって全力で攻撃して」
こくりと頷き、ヴァルトはスッと両腕を持ち上げる。両の手のひらをアハトに向け、おもむろに口を開く。
「プキ! キエリ! リートゥ! シヴェ! ルム! ネコウ!」
「六連射……じゃない!?」
再びプキから唱え始めるヴァルトに、アハトはサッと顔色を変えた。
「リュイスさんより連射能力が高いかも……あ、ナイセ!」
防御魔術にヒビが入ったのを見て、アハトは即座に追加する。
「アハトのナイセにヒビを入れた灰色は、さすがに初めて見るね。威力もヘンリク様くらいかな?」
「いや、ヘンリク様よりは劣るよ」
ヴァルトは十連射でヒビが入ったが、ヘンリクは十連射で一枚を砕く。
だが、ヴァルトは、威力をまったく落とさないまま。ひと息で平然と、十八連射していた。
将来的には、リュイスに匹敵する、攻撃の主力になる可能性も十分に考えられる。
「後は……ソーニャさんの出番かな」
「そろそろ日課の時間だね」
リュイスが言い終わる頃、ソーニャがひょいと顔を出した。
「ソーニャさん、日課ついでに、ヴァルトくんの治癒魔術の程度を知りたいから、死なない程度にお願いするよ」
「……どの程度だ?」
聞き返され、アハトは過去のケガの数々を思い浮かべた。そして、すぐに決定する。
「最初のやつ。あれはセナリマさんでも三回必要だから、腕を試すにはちょうどいいよ」
「あれか……」
珍しく、ソーニャがグッと眉を寄せて、ひどく嫌そうな顔をした。けれど、すでに彼女の手は、腰ベルトにつけた剣を鞘ごと外している。
「リュイス、万一に備え、ヘンリク様を呼んでくる準備をしておいてくれ」
「え……それってどれだけすごいの?」
とっくに引退して、城下街でのんびり暮らしているセナリマに、わざわざ来てもらうわけにはいかない。ユリアは今、エルミのところにいる。
単なる消去法で、ソーニャはヘンリクを指名しただけだ。しかし、どのみち、強力な治癒魔術の使い手が必要であることは否めない。
「治癒の女神と呼ばれていた、セナリマ様の治癒魔術が三回必要なケガだ」
聞いた瞬間、リュイスは一瞬で青ざめてアハトを見る。
「……それって、いつの話?」
「俺が十六だったから……二十年くらい前かな」
アハトはのんきに、指折り数えている。
鞘がなかったら、死んでいた。そう自信を持って言えるほど、ソーニャの剣は、怒り任せでも的確に狙いをつけていた。
片手で余るほどしかない、ソーニャの泣き顔を初めて見た、アハトの大切な思い出だ。同時に、動揺した時の自分の甘さをつくづく思い知った、ひどく苦い思い出でもある。
「今やったら、アハトが死なない?」
「だから、万一の時は、リュイスにヘンリク様を呼んでもらうんだろうが」
ふうっとため息をついたリュイスは、いつでも飛べるよう準備を整える。
「クルタス!」
「えっ、それを使うの!?」
元々は、日課の訓練の延長だ。
三十枚のナイセが、順々に分厚く重ねられたのを確認してから。ソーニャは自身を強化する呪文を唱え、鞘のついた剣を片手で思い切り突き出した。
まるで、雷が近場に落ちたような。バリバリッ、と派手な音が耳をつんざく。
大きく後ろに飛びながら、アハトは防御魔術を三枚追加する。しかし、追加をものともせず。アハトの腹部を、ソーニャの剣がしかと、手加減なしにとらえた。
声もなく吹き飛ばされたアハトは、起き上がることはもちろん、体をわずかに動かすことさえできない。
その光景の壮絶さに、ヴァルトもリュイスも言葉を失っていた。
「よし。えーっと、そこのお前、治癒魔術だ」
名前がわからないらしく、ソーニャに指差されたヴァルトは、ハッと我に返った。急いでアハトに駆け寄り、ケガの治療に入る。
「ネラパ!」
ソーニャとヴァルトが、並んで様子をうかがう。
ゆるゆると目を開けて、ソロソロと上半身を起こしたアハトが、ソーニャを見てニッコリと微笑んだ。
「さすがはソーニャさん。あの頃とほとんど同じ痛みだったよ……」
当時は、自己強化の呪文なしで、これと同じ苦痛を受けた。そう思うと、自身の魔術もずいぶん強化されている。それが痛感できる、非常にいい機会だった。
そう、思うことにしようと、アハトはぼんやり考える。
「そんなことより、治癒魔術の腕はどうだったんだ?」
「え……そっちが気になるの?」
がっくりと肩を落としつつ、アハトは治癒魔術の結果をヴァルトに伝える。
「君は、治癒の強いバランス型だね。他も、多分育てたら、ヘンリク様以上になりそうな予感のする、いい魔術師だよ」
「え? 治癒が強い……?」
ヴァルト自身は、防御が強いのだと思い込んでいた。そのため、治癒が強いと聞かされて、どうにも驚きを隠せない。
「うん、君をあえてどれかに分類するなら、治癒型だ。ユリアには劣るけど、セナリマさんより強いよ」
「ってことは、エリサ姫に報告したら、確実にエルミ姫の女王魔術師候補だよね」
「えぇっ!?」
女王魔術師になるなど、考えたこともない。そんなヴァルトは、リュイスの言葉に驚き、ひっくり返った悲鳴を上げる。しかし、他は驚いた様子すらない。
「あー、そうだね。治癒と防御のユリアに、攻撃のリクくん。バランスのヴァルトくんか。なかなかいいよね」
青がかった緑色の瞳を、不安そうにパチパチと瞬かせ。ヴァルトは、大人たちを交互に見つめるしかできない。
「じゃあ、僕は報告がてら、ヴァルトくんを連れて陛下のところに行くよ」
「あ、その前に、もう一回ネラパかけてもらっていいかな? 完治してないと、ソーニャさんの訓練相手ができないから」
ヴァルトは頷いて、二回治癒魔術を使う。
アハトのケガが、間違いなく完治したことを確認してから。リュイスとヴァルトは、エリサの執務室を目指して歩いていった。
同じ頃。アハトたちがヴァルトの試験をしていた中庭を、思う存分見下ろせる女王の執務室。その続き部屋にある窓から、ユリアは下を眺めていた。
試されているのが誰なのか。きっちり確認して、小さく微笑む。
「あら、ヴァルトじゃない。ヘンリク様と一緒で素質がよくて、しかも治癒が強いバランス型だから、姫様が女王になった時には、絶対姫様付きにされると思っていたけど……こんなに早くリュイスさんに見つかったのね」
「……ユリアって、ホントいろんなことを知ってるな。僕は、昨日ユリアにケンカを売った騎士の名前も知らなかったのに」
ヘンリクとユリアに悪口を言ったので、顔だけは覚えた。だが、彼の名前は、ユリアに何度も教わって、ソーニャと一緒になって懸命に覚えたくらいだ。
「私は、騎士と魔術師を全員分、名前だけじゃなくて出自や術タイプ、得意な攻撃まで把握してるわ。そういう難しいことは、全部私に任せておけばいいの」
ニッコリ微笑む妹にはかなわない。そう自覚しているユハナは、目を覚ましてぐずり始めたエルミを、慣れた手つきで抱き上げてあやす。
「お腹が空いたか? それともオムツか?」
「ユハナは姫様のお父さんみたいね」
クスクスとユリアに笑われてしまう。
だが、この部屋にいる時間は、ユハナが主にエルミの世話を任されている。だからなのか、気分はすっかり父親同然だった。
「エリサ姫、入りますよー」
声をかけてドアを少し乱暴に二度叩いたリュイスは、返事を待たずにドアを開け放つ。
そのとたん、リュイス目がけて、木製の硬そうな置物が飛んできた。
「ナイセ!」
「ナイセ!」
ヘンリクとヴァルトの、見事な二重奏。
腹を抱えてケラケラ笑うリュイスは、彼らの防御魔術に守られて事なきを得ていた。
「ヘンリク、リュイスは守らなくていいと、何度言えばわかってくれるの?」
「ご、ごめんね……」
ペコリと頭を下げながら、ヘンリクはエリサに謝罪する。
ふわふわした、やわらかな絨毯を敷きつめた床。そこにどっかりと鎮座している置物を、歩み寄ったヘンリクがひょいと拾い上げた。
細身のエリサが、軽々と飛ばした。そう見えた置物は、思いがけず重い。
アハトならばザッと青ざめるところを、なぜか嬉しそうに微笑んで。ヘンリクはエリサのところへ、ヨタヨタと置物を届けにいく。
「やっぱり、君は素敵な人だね」
ソーニャを上回るかもしれない。
万人にそう思わせる天然ヘンリクの台詞に、エリサはほんのり頬を赤らめる。うっかり目撃してしまったヴァルトは、いろいろな意味で、開いた口がふさがらない様子だ。
「イチャイチャしてるとこに水を差すようだけど、エルミ姫用の女王魔術師候補を連れてきたよ」
「あっ、ヴァルトくんじゃないか! 君も魔術師になってたの?」
改めて、リュイスの隣に立つヴァルトに目を向けたらしい。突然、ヘンリクが大きな声を上げ、そちらにエリサが驚かされた。
「知り合い?」
リュイスに訪ねられ、喜色満面のヘンリクは何度も大きく頷く。それが可愛いと思うエリサは、黙ってヘンリクをジッと見つめていた。
「僕の親戚だよ。えーっと、従姉のアマリアさんの次男だったかな?」
「……顔付きで家系図が全部頭に入ってるって、本当だったんだ……」
顔を合わせたのは、たった数回。
それでも覚えているヘンリクの偏った記憶力に、ヴァルトは素直に感服する。
城の人間関係は、さっぱりのくせに。自分の身内は完璧に覚えているヘンリクに、リュイスは苦笑いを隠せない。
「君だったら、エルミが女王になった時に、きっと歓迎されるよ。アハトとリュイスに魔術を教えてもらったら、きっと僕より強くなるね」
手放しで褒められ、ヴァルトはくすぐったそうに身をよじる。
そこに突然、目の前に涙目の可愛い赤子が現れた。かろうじて悲鳴だけは飲み込んだものの、ヴァルトは思わず後ずさる。
「私たちの姫様よ」
空腹が満たされ、ついでにオムツも替えてもらい、さっぱりしているからか。エルミはかなりご機嫌だ。
たいていの者は、初めて見ると泣かれるというのに。初見のヴァルトに、エルミは人見知りをしなかった。
落ち着いてエルミを眺めたヴァルトは、すぐにその可愛らしさに夢中になる。
「可愛いね!」
やわらかな頬に、指でそっと触れる。そんなヴァルトを認めたユリアは、エリサに顔を向けた。
「陛下、私たちがいる時だったら、ヴァルトも姫様に会いに来てもいいですよね?」
「エルミの魔術師になる子ですもの、かまわなくてよ」
エリサはあっさりと許可を出す。
そして、自分の孫娘が生まれる頃までには。騎士も魔術師も、実力重視で採用できる準備を、完璧に整えようと決意を固めた。