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 ユリアがやってきたのは、うんうんうなる騎士たちが、所狭しと転がる場所だった。

 まさしく天使と見間違えそうな、優しくてやわらかい微笑を浮かべて。ユリアは手前にしゃがみ込み、早速治療を開始する。

「ネラパ! ……はい、終わりましたよ。いってらっしゃい」

 ズキズキした鈍い痛みが、すっかり消えて喜んだものつかの間。

 宮廷魔術師随一の美少女に、最高級の笑顔つきで、あっという間に治癒してもらった手前。再び苦痛を味わう悲しみと絶望感を隠そうと、若い騎士は懸命に引きつった笑顔を作っている。

「いってらっしゃい」

 再び立ち向かっていくまで、にこやかな笑顔で見つめてくる。そんなユリアの真っ直ぐな視線には、もう負けるしかない。

 諦めて、げんなりと悲壮感をただよわせながら。ソーニャかユハナに突っ込んでは、手加減されて殴り飛ばされることを繰り返す。

「お母さんもユハナも、本当に楽しそうね」

 次々に騎士を投げ飛ばす母と兄が、とことん微笑ましく感じられて。ユリアは、自分の仕事を全うすべく、片っ端から治癒魔術をかけて歩く。

 そんな中、ふと視線を向けた先で、怒鳴り散らしヘンリクの治療を断る騎士を見つけた。

(あの顔は確か、ヨーツセン家のサムリだったわね)

 アハトとアクセリを生んだが、今はかつての栄光に全力でしがみつくばかり。そんなハールス家の知名度には、さすがにかなり劣る。とはいえ、ヨーツセン家は五本の指に入る騎士の名門だ。

 女王付きである両親が、敬称をつける立場にいるヘンリクを邪険に扱う。恐れを知らないサムリに、こみ上げる怒りをどうにか飲み込んで。ユリアは冷ややかな笑顔をペッタリと張りつけて、ゆっくりと近寄る。

「治癒は必要ですか?」

「平民の次は孤児の娘か。もっとまともな魔術師はいないのか!?」

 ユリア同様、異変に気づいてやってきたアハトは、真っ先に顔色を変えた。

(うわぁ……ユリアが怒ってる)

 本当に微妙なくらいかすかな変化はあれど、基本は常に無表情。そんなソーニャと違い、クラクラとめまいがするほど嫣然とした、いい笑顔だ。しかし、怒り方はソーニャと同じで、目はまったく笑っていない。

 そんなユリアへ、遠慮のない暴言を吐いた騎士に。アハトはこれ以上ない、露骨な憐れみの視線を向ける。

「では、リュイス様にお願いしてはいかがです? あの方はハイヴェッタの王族でいらっしゃいますから、あなたのお気に召すでしょう?」

「ちょ……ユリア!?」

 リュイスの治癒魔術を、気休め以下と言い放つアハトがあたふたと割って入る。

 程度を知っていれば、もちろん断るところだ。けれど、もし知らなければ。新たな火種になる可能性を、大いにはらんでいる。

「なんだ、まともな出自の魔術師がいるじゃないか。早く来てもらってくれよ!」

 サムリはパアッと顔をほころばせる。

「呼んできますけど、リュイス様もお忙しいですから、ネラパをかけてもらうのは一度だけにしてくださいね」

「わかったわかった。だから早く行って来い!」

 どこまでも居丈高で、そしてリュイスのことを何ひとつ知らない。おもむろに背を向けて、ユリアは侮蔑の色しかない、ひんやりした微笑を浮かべた。

「リュイスさんにネラパの依頼ですよ」

「……僕の、ネラパ? キエリとかじゃなくて?」

 怒り心頭に発しているユリアに言われ。リュイスは知らず知らず聞き違えたかと、怪訝そうに首を傾げて確認を取る。

「ええ、間違いなくネラパです。一度だけにしてくださいね。ヘンリク様を侮辱する騎士にそれ以上かけた時は、たとえリュイスさんと言えども、サロヴァーラ家総出で容赦しませんから」

 件の騎士が何をしたのか。

 ユリアの様子と言葉から、リュイスは即座に察した。リクにそのまま攻撃を続けるよう言い残して、ユリアとともに急いでサムリの元と向かう。

 ユリアの怒りを買うことは、まさに命がけだ。

 アウリンクッカ国史上初の女性騎士で、最強と名高い。日課の訓練で、時々鉄壁と呼ばれる防御魔術を持つアハトを、容赦なく吹き飛ばしている。そんなソーニャの怒りを、全力で受け止める覚悟で行わなくてはいけない。

 リュイスには、そこまで命知らずな真似はできなかった。

(っていうか、彼は僕のネラパが気休め以下ってことを、ひょっとしなくても知らないんだね……)

 サムリに知るつもりがあれば。とっくに知っていてもおかしくない、周知の事実だ。

 名門出身という張りぼて。それにいつまでも、必死になってしがみついているだけの騎士たち。彼らは、何より大切な情報収集を、これっぽっちも行わない。

「リュイス様をお連れしました」

 早く治療してくれと騒ぐサムリに、リュイスは重いため息をつく。それから、ユリアとの約束どおり、一度だけネラパをかけた。

「……何も変わらないぞ?」

「当たり前だよ。この国で一番治癒魔術の得意なアハトに、僕のネラパは『気休め以下』って言われるくらいだからね」

 ここでようやく事実を聞かされたサムリは、一瞬で顔を真っ赤にする。口から泡を飛ばしながら、聞くに堪えない罵詈雑言を並べ立て始めた。

「一度だけの約束ですからね。平民も孤児の娘もお嫌いのようですから、そのまま自然に治るまで放っておいたらいかがです?」

 暴言には一切耳を貸さず。騎士たちを延々と痛めつけている、ソーニャやユハナにも聞こえる声量で。ユリアはサムリをジッと睨みつつ、きっぱりと告げる。

「格下に癒されては、名門ヨーツセン家の名が泣きますものね」

 ユリアは高らかに言い切って、コロコロと非常に愛らしく笑う。

 魔術師の名門出身者は、ここしばらく、攻撃を得意とし治癒を不得手とする者に偏っている。防御に長けた者さえ出ていなかった。

 出身自体は名門ハールス家。しかし、前女王の前で縁切りを宣言しているアハトは、選択肢にすら入っていないらしい。

 それをわかった上で、ユリアは堂々と言ってのけたのだ。

 黙って治癒させる者にのみ、ネラパをかけて歩くユリアを見送ってから。リュイスは、こっそり静かにしゃがみこんで、サムリと目線を合わせる。

「悪いことは言わないから、一刻も早くユリアちゃんに謝って、ちゃんと治してもらった方がいいよ。あ、他の魔術師はあてにならないからね。陛下の信頼厚いサロヴァーラ家を、わざわざ敵に回したい魔術師なんていないから」

 そもそも、リュイスとて、ハイヴェッタ王家を捨てた身だと公言しているのだ。だからこそ、名前も母親がつけてこっそりと呼んでくれていた、カルラニセル風に改めている。その上で母親の家名を名乗り、エリサの魔術師になる際の宣誓をわざと行ったくらいだ。

「陛下も、サロヴァーラ一家なら自力で報復するからって放っておくだろうけど、ヘンリク様に言ったことが陛下の耳に入ったら、ヨーツセン家なんて一瞬で終わっちゃうから気をつけて」

「え……?」

 何も知らないことは、やはり大きな罪だ。きょとんと見つめてくるサムリに、リュイスは改めてそう思う。

「知らないの? あんまり表に出ないけど、ヘンリク様は陛下最愛の夫君だよ」

 事の重大さに、やっと気づいたのか。サムリは見る見る真っ青になった。

 民衆の前に顔を出すことがそこそこ好きな、エリサの隣ではなく。アハトやリュイスと並んで、後方に控えているヘンリク。立場もあるからと、エリサは毎回苦言を呈している。

 そもそも、ソーニャやアハト、リュイスに敬称をつけていたのを、改めるのに八年ほどかかった。そんなヘンリクだから、いつかは隣に立ってくれるはず。こう考え、エリサは気長に待つことにしたらしい。

 最近では、ヘンリク一人が、少しだけ前に出るようになった。そう言って、エリサは大いに喜んでいる。

 しかも、ヘンリクは何を言われても気にしない性質だ。今回の暴言も、エリサにひと言も告げることなく、記憶から抹殺してしまうだろう。

 だが、ユリアは違う。

 ふとした拍子に。ヨーツセン家のサムリに『孤児の娘』と言われたと、うっかり口にしてしまうかもしれない。そのついでに、ヘンリクを『平民』呼ばわりしていたことも、悪気なく話さないとは限らないのだ。

「まぁ、ユリアちゃんとヘンリク様にきちんと謝って許してもらっておくのが、ヨーツセン家と君のためだろうね」

 大切なことは、すべて残らず伝えたはずだ。

 力なくうなだれるサムリを放置し、リュイスは自分の持ち場へと戻っていく。

 治癒魔術をかけてもらっては、剣を握ってフラフラ立ち上がる。すでに疲れ切った顔の騎士たちに、心の中だけで声援を送ってから。

(僕には、ユリアちゃんを敵に回す思考が、どうにも理解できないんだけどなぁ)

 まだ、リュイスがハイヴェッタにいた頃。エリサ一行にあてがった客室に、ソーニャ目当てで飛んだ夜だった。

 アハトがじっくり、がっつり張り巡らせた防御魔術を砕くのに、時間を取られた。その結果、ソーニャにみぞおちを殴られたことがある。

『ちょっと、ソーニャさん! 相手、生きてるよね!?』

『大丈夫だ。見たところ紙切れみたいなナイセだったから、全力のアハトを殴る時の一割も力を入れていない』

 騎士であることが信じられないほど、小柄。そんなソーニャに、見抜かれた上で思い切り手加減をされたのだ。

 知った直後に気を失ったことも。攻撃が得意そうなアハトの治癒魔術一回で、痛みがすっかり消え失せたことも。今となっては苦い思い出だ。

 あの夜のことは、人を見た目で判断してはいけないと思い知った出来事でもある。

 二十歳を過ぎるまで知らなかったリュイスと違い。物心つく前から、エリサはそれを知っていた。だからこそ、女王になると真っ先に、騎士と魔術師の採用方法を変えたのだ。

 自分の命を、未来の王女の命を。安心して預けられる騎士や魔術師は、とうにいなくなっている。城を闊歩するのは、家を自慢する無力な者ばかり。

 いきなり実力のみを重視しては、古株がうるさいからと、今のところは半々にしている。だが、いずれは家名など関係なく、実力のみで城に上がる者を決めたい。そのために、着々と準備を進めているところだ。

 リュイスたちも、エリサの判断が正しいことは身をもって知っている。

 こうして訓練をすると、最後まで立っているのは、実力を認められた者ばかりだ。家名にしがみつく者は、あっという間に倒れこんでしまう。

(陛下が未来を憂うのも仕方ないって思うくらい、情けない姿だよね)

 リュイスが加減した攻撃を、数回受けて吹き飛んだ。たったそれだけで、立ち上がらることさえしなくなった魔術師たちを尻目に。気力だけでヨロヨロと立ち上がっては、震える腕を懸命に持ち上げてナイセを唱える。年若く見覚えのない、最後の一人の名前を、ほんの気まぐれに聞き出す。

「……ヴァルト、です」

 顔を上げて名乗る。その根性が気に入ったリュイスは、ヴァルトとリクを連れてアハトのところへ行った。

 リクには自由を与え、アハトにヴァルトを紹介する。

「根性はすごいよ。リクに任せていったけど、僕が戻った時に立ってたのは彼一人だったから、ナイセもなかなかの強さじゃないかな? アハトが育ててみない?」

「ヴァルトくんか……今年上がったばかりだよね?」

 どうにか頷くヴァルトに、アハトは腕を組んで考える。

(年齢的にはユリアたちと変わらないくらいだし、一人育てるも二人育てるもたいして変わらないから、俺は別にかまわないけど……どのくらいの実力かな? 場合によっては、ヘンリク様みたいな変化球ってことも考えられるしね)

「ネラパ!」

 治癒魔術をかけると、自力で立っていられるようになった。そんなヴァルトの顔を、アハトはしっかりと覗き込む。

「君の実力がどの程度なのかを、明日調べさせて欲しい。その上で、君をユリアと一緒に育てるかどうか、決めさせてもらおうかな」

「は、はい!」

 突然降ってわいた幸運に。すっかり元気を取り戻したヴァルトは、キラキラと目を輝かせて威勢のいい返事をした。


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