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 きっと、頭の中には、菓子のことしかない。そのくらい、シーヴの足取りは、完全に浮かれている。

 自分がどんな格好をしているか。今、どういう状態か。

 それも、忘れてしまっていそうだ。

 さっきは、足を指摘しただけで、座り込んだくせに。今は惜しげもなく、堂々と見せびらかしている。

 真横ではなく、少し離れて、なおかつ二歩ほど後ろを歩きたい。

 そう思わせてくれる、綺麗な足だ。

(……警戒心が、薄いんだよなぁ……)

 一見すると、小柄でたおやかで。力ずくで押さえ込めば、どうにかできてしまいそうな。そんな印象だ。その実、どこから湧き出てくるのか。並みの騎士でさえ、押さえ込めないほど力強い。

 さらに、自己強化魔術という、最強の奥の手まで持ち合わせている。

 何もしなくとも、外見の印象どおりに受け取った側が、大いに痛い目を見るのだが。こちらとしては、手を出そうとした人間を、いちいち痛めつけて歩くのは面倒だ。

(どうやったら、効果的に守れるかなぁ?)

 無邪気に笑い、楽しげに話すシーヴを見下ろしながら。ヴァルトは相づちを打ちつつ、真剣に思案する。

 城門を出ると、シーヴは真っ直ぐ、気に入りの店へと連れて行ってくれた。

「ユリアとサーラには、いつも嫌だと言われるんだが、僕はここが一番好きだ」

「そりゃあ、この店は嫌がるって」

 やや顔を引きつらせて、ヴァルトは苦笑する。

 見覚えのある店構えと、フワフワただよう甘い香りに。遠くから激しい拒絶の姿勢を見せる、ユリアとサーラが簡単に想像できてしまう。

「お、ヴァルトじゃないか。ここんとこずっと顔を見せなかったと思ったら、こーんな美人を連れてきて。お前も隅に置けないな~」

 父親と同年代の、男性だ。互いに名前も家族構成も知っている。そして何より、彼は、自分が甘い物を食べたくて、とうとう店まで構えた。そういう人だ。

「違うって。ただの同僚」

 頭に「今は」とつけたかったが、どうにかグッと堪えた。

 友人と認識しているかどうかさえ、定かではない。そんなシーヴ相手では、「単なる同僚」から抜け出る日すら。気が遠くなるほど、はるか先の話だろう。

「へぇ、じゃあ、この子は攻撃型の魔術師か?」

 パッと見た外見の印象が、冷たそうだからか。どうやら、シーヴが攻撃的に見えたらしい。

 どちらかというと、無駄な争いを好まない。そんな性格のシーヴには、あまりにそぐわない問いかけに。ヴァルトだけでなく、シーヴも困ったように小さく笑う。

「こう見えて騎士。相当強いから、見た目に騙されたら痛い目見るよ」

「じゃあ、ヴァルトより強いのか」

「いや、僕の全戦全敗だ。五年も毎日訓練相手を務めてもらいながら、まだヴァルトには勝てる気がしない」

 スルリと会話に混ざって。ついでのように「ひとつ食べたい」と申し出たシーヴに。店主は破顔して、腕まくりまでして焼き始める。

 苦手な人ならば、匂いだけで胸焼けしそうなほど。とことん甘ったるい香りが、ふわっと鼻をくすぐる。甘味好きにはたまらない店だ。

 店主曰く。蜂蜜を混ぜて薄めに焼いたパン生地に、好みのジャムを好きなだけ塗って食べる。それが正しい食べ方らしい。実態は、比較的甘い物を食べられる者でも、ジャムなしがせいぜいという。

 それを二人は、それぞれ違うジャムをたっぷりと塗って、まずはひと口頬張った。

「ヴァルトは何を塗ったんだ?」

「梨。シーヴは……リンゴかなぁ」

「当たりだ。よくわかるな」

 この店のジャムは、果物が原型を留めていない。塗って食べる性質上、ゴロゴロした果実があると、かえって邪魔になるからだ。

 色だけで判断したヴァルトが、きっちり的中させたことに。シーヴは素直に、大きな驚きを示す。

 この店は梨、野イチゴ、ブドウ、リンゴ、桃のジャムを置いている。桃とリンゴ、それから梨は、色がよく似ていてわかりづらい。

 そして、どれもかなり甘い。ダメな人間は恐らく、ひと舐めでひどく悶え苦しむ域だろう。

 通い慣れているヴァルトは、その中でも一番甘い梨を選んだ。次いで桃が甘く、リンゴ、ブドウ、野イチゴはほとんど変わらない。

 どれを選ぶかは、食べる側の気分と好みで決まる。

「そういえば、これ以外食べたことがないな」

 左手が食べ物で埋まっているからか。珍しくシーヴは、右手の人差し指を下唇にスッと当てる。

「ヴァルトの分を、ひと口食べてもいいか?」

「ん、いいよ」

 目の前に差し出すより早く。シーヴに腕をグイッとつかまれて、強引に引き下げられた。呆気に取られているうちに、持っていたパンにガブッとかじりつかれる。

「僕のより甘くておいしいな」

 勢い余ってふた口目を食べようとして。そこでこれが、自分のものではないと思い出したのか。

 怖ず怖ずと見上げてくるシーヴの、口以上に物を言う、緑がかった灰色の綺麗な瞳が。欲しい、と熱心に訴える。

「……あげるよ」

「ありがとう!」

 勝てない。勝てるはずがない。

 いつでも食べに来られる、慣れ親しんだ甘味ひとつで。パッと花が咲くような、こんなにいい笑顔を見られるのだ。お手軽で安いものだとすら、ヴァルトは思う。

 受け取るわけではなく、人に持たせたまま。シーヴはそれをきっちり食べきった。

 最後のひと口の際、やわらかな唇がほんの少し、指に触れて。一瞬で、鼓動が加速する。

 直後、スッと目の前に差し出されたのは、シーヴの食べかけだ。

「食べるか?」

「……シーヴが食べていいよ」

 嬉しくない、とは言わない。絶対に言わないが。いくら何でも、さすがに、そこまで強心臓ではない。

 首を傾げながら、自分の分も無言でパクパク食べ尽くして。シーヴは、店主に「また来てもいいか?」と尋ねて、あっさり快諾されていた。

「では、次はヴァルトの好きな店を教えてくれ」

 たった今、二人前を完食したはずだが、まだまだ食べられるようだ。

 普段の食事を見ていても、決して底がないわけではない。恐らく、好きなものは別腹という感覚なのだろう。

「ここからだと、ちょっと距離があるかなぁ……オレの家に近いとこだし」

 徒歩での移動は、取り立てて苦にならない。だから二人は、並んでのんびり歩く。

「そういえば、ヴァルトはここに家があるんだったな」

 王城の膝元にある街に、家がある。そんな人間は、ごくごく限られている。

 リクはもちろん、ヴァルトもそうだ。アハトは、実家はあるものの、家と言われたら城を示す。

 ユハナとユリア、そしてソーニャは、ソーニャが育った孤児院を家と呼ぶ。

「まあ、今は、城が家みたいな感じだけど」

「ヴァルトは気軽に帰れるのだから、たまには行ってこい。……ああ、そろそろ母上宛てと父上宛ての手紙を、書いておかないといけないのか」

 家の話で連想したのか。シーヴは半年に一度、大仰に軍を率いてわざわざ会いに来る、父親のことをふと思い出したらしい。

 ユリアの助言で、顔を合わせた際に、手紙を渡している。どうやら、父親を介して、母親と手紙をやり取りしているようだ。

 ちなみに、シーヴが渡す手紙は、母親に宛てたものがあからさまに分厚い。そのことで、イクセルは毎回毎回微妙な顔をする。そして、ユリアとアハトに「からかいがいがありそう」との評価を受けていた。

「あー、そっか。そろそろ来るかもね」

 愛娘に会い、義兄と姪にいじられに来ているとしか考えられない。ユハナに似た面差しの人を、ぼんやりと思い浮かべる。

「楽しみだな」

 シーヴが楽しみにしているのは、父親と顔を合わせることではない。

「前回はあまり書くことがなかったが、今度はたくさん書けるから、きっと母上も喜んでくださるだろう」

「シーヴもさ、一度くらい長い休みをもらって、ちょっと帰ればいいんじゃないの?」

「母上と話すのはいいんだが……父上や兄上とは、話すことがないからな。それに、戻ったところで、息苦しいというか、暑苦しいというか……」

 素直な感情を吐露しているシーヴが、対向の誰かと危なくぶつかりそうになる。

「……今日は何だか人が多いから、場所変わろっか」

 話に夢中になり、嬉しそうに歩くシーヴが、知らない誰かとぶつからないように。素早く位置を変わろうとしたヴァルトだが、どうやら一足遅かったらしい。

 半ば強引に入れ替わろうと、シーヴへ伸ばしていたヴァルトの腕に。シーヴの右肩を狙った誰かが、遠慮なく、思い切り当たってきた。

 むしろ、容赦なく、弾き飛ばしてやる。

「いてっ!」

 突然、大げさに腕を押さえて、ゴロゴロと地面に転がった。

 そうとしか見えない男を、シーヴは瞬きを繰り返して眺めている。ヴァルトはひどく冷静に、蔑んだ色を混ぜた目で、ジッと見下ろす。

 仲間らしき男が数人、ワイワイ騒ぎ立てている。だが、まったく耳に入ってこない。

「ずいぶん痛がっているな……治癒魔術をかけてやったらどうだ?」

「平気だって。オレの手とちょっと当たっただけだし。ぶつかった時は痛かったけど、今はもう何ともないし」

 こちらが押し返したのだから、向こうはまだ痛いかもしれない。

 だが、そんなことはおくびにも出さず。平然と言ってのけるヴァルトに、シーヴは考え込む時の癖を見せた。

「ケチケチせずに、バーンとかけてあげたらいいんじゃないかな?」

 降ってきた声に驚いて、思わず振り返る。

(あ、この二人って……)

 片方は、アハトをさらに二十歳ほど、年を取らせたような。アハトの父親と錯覚するほど、よく似ている。もう片方は、ニコニコして人の良さそうな雰囲気だ。しかし、明らかに、アハトと共通した何かがある。

「ネラパ! ネラパ!」

 両手のひらを、痛がる男に向けて。渋々治癒魔術を使う。

「ヴァルトの治癒魔術は優秀だからな、これで完璧に治ったはずだぞ」

 割り込んできた二人が、ほぼ同時にブッと噴き出した。

 皮肉が込められているとしか思えない、シーヴの微笑と言葉に。ぶつかってきた彼らは、ようやく相手が悪かったと認識したようだ。目的が何であれ、すごすごと引き上げるしかないだろう。

 彼らがいなくなり、安全が確保されたところで。

「君は、セナリマと同じ治癒型?」

 灰色がかった青い瞳に、露骨な好奇心をにじませて。人好きのする笑顔を浮かべた男性が、ニコニコ問いかけてきた。

「セナリマ様を知っているのか?」

 質問を受けたヴァルトが答える前に、なぜかシーヴが疑問を挟む。

 そんなシーヴが、いったい誰に似ているか。これではっきりわかったのか、彼らは声をあげて笑う。

「知ってるも何も、引退するまでは同僚だったからね」

「私たちは治癒魔術を使わせないと、何度文句を言われたかわからないな」

 二人で、好き勝手に話し出す。

 アハトに似た人が、ソーニャのような語り口で。もう一人が、アハトの口調に似ていて。見ながら聞いていると、そのうち混乱しそうだ。

「背中を叩く癖は、今も変わっていないと聞いているが……どうせ、アハトしか叩かれていないんだろう?」

 男性たちをふと見上げたシーヴが、目を瞬かせて見入っている。

 驚いただけ。それがわかっているのに、その視線を強引に引きはがしてしまいたい衝動に駆られた。

「……アハトの、父親か?」

 よほど聞き慣れた質問だったのか。指摘された男性は、さらに楽しげに笑う。

「もういっそ、本当にアハトくんの父親になったらどうだい? あの方も、アハトくんが養子だったら、きっと喜ぶんじゃないかな?」

「それならむしろ、ソーニャを引き取った方がいいだろう。いや、どちらにしても、私たちのところへは来ないだろうから、やっぱりいらないと言い出すかもしれないな」

「ああ、あの方はそうかもしれないね」

「では、あなたは誰だ?」

 目上の人間が。しかも、かつての姿を知っているから。楽しげに話しているところに、割り込む度胸はなかった。しかし、シーヴはためらうことなく問いかける。

「私はアクセリといって、アハトの母親とはいとこなんだ」

「アハトくんとソーニャちゃんは、僕たちの子供同然なんだよ」

 その名に聞き覚えがあったことで、ようやく彼らの正体がわかったのか。シーヴは思い切り、目を丸くした。


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