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ギュッときつく巻いた糸をほどいたような、クルクルした長く細い金の髪。晴れ渡った空を切り取って、ピッタリとはめ込んだ青い瞳。やや小振りのバラの花を連想させる、優美で華やかで可憐な顔。そんな彼女をことさら飾り立てる、大量のレースとリボンを使った淡いオレンジ色のドレス。
目前にそろう面々を、エリサは順々に見つめる。初見の者なら誰でも、容易くとりこにする、どこまでも麗しい微笑を浮かべていた。
少々気だるそうではある。だが、目に映る彼女は、ひと月ほど前に出産を終えたばかりとは思えない。
「ソーニャ、アハト、リュイス、ヘンリクはいつものとおりよ。今回からはユハナ、ユリア、リクにも参加してもらうから、そのつもりでね。遠慮は不要よ」
呼び出しを受けたユハナたちは、最上階にある女王の執務室で、突然そう告げられた。
「わかりました」
承諾し、出て行こうとする女王付きたち。彼らと違い、ユハナたちはすぐに動くことができない。
「……あの、僕たちは、何に参加をするんですか?」
とたんに、エリサがギュッと眉を寄せた。あからさまな怒りが見える。彼女は無言で手近にあった置物をつかみ、ためらいなくリュイスに投げつけた。
とっさに、ユリアが防御魔術でリュイスを守る。飛んできた置物を、ソーニャが左手で軽々と受け止めた。投げつけられた当の本人は、慌てた様子さえない。
「わたくしは、説明まできっちりしておくように言ったはずよ」
「あれ? 言わなかったっけ? あはは、ゴメンゴメン」
頷くユハナたちに、リュイスは本気で反省しているのかと問い詰めたくなる軽い口調で謝る。詳細は、向かいながら説明すると約束した。
「これだから、リュイスには任せられないのよ! 次はヘンリクに頼もうかしら」
「僕はいつでも引き受けるよ。ただ、道に迷うかもしれないけど……」
ヘンリクが極度の方向音痴だからこそ、かつてエリサと出会うことができた。けれど、普段は頼みごとひとつできないと、とにかく手を焼く大問題なのだ。
「……やっぱり、今度からはソーニャかアハトに頼むわ」
エリサにとって、ソーニャとアハトはただの従者ではない。ずっとその背を見て育ってきた、本物よりはるかに姉兄同然の存在だ。
誰よりも信じられる。
「あなた方には、エルミの従者として期待しているのよ」
王女には、騎士と魔術師を一人ずつしかつけられない。そのため、エルミが女王となった時、リクを女王魔術師として迎える予定だ。いや、エリサの中では、それがすでに決定事項となっている。
うっとりするほど美しいエリサの微笑に、体よく送り出される。ユハナたちは目的地に着くまでの間に、リュイスからごくごく簡単な説明を受けた。
「えーっと、つまり、僕は母さんと一緒になって、相手によっては手加減をしてやって、いずれにしろ徹底的に痛めつけてやればいいんですね」
「うわ……さすが親子。初めてこの命令を受けたソーニャが、まったく同じこと言ってたのを思い出したよ」
天井を仰ぎ、リュイスが苦笑いをこぼす。
「じゃあ、私は、お父さんと一緒にひたすら攻撃を受け止め続けて、全部終わったら、治癒魔術を使って歩けばいいのね」
ユハナが使うのは、訓練用に作られた模擬剣だ。相手の騎士は、実戦用の武器。いくらか手加減をしつつ、何はともあれ、とことん打ちのめす。ユリアは防御魔術で、騎士や魔術師の繰り出す攻撃をひたすら受け続ける。リクは逆に、防御型の魔術師を相手に、攻撃魔術で片っ端から防御魔術を打ち砕くのが今回の仕事だ。
そして、ボロボロにされた騎士や魔術師たちを癒すのが、癒しを得意とする魔術師の主な仕事になる。ここには、アハトとユリアも含まれていた。
「ソーニャの双子と僕の息子もこの訓練にどうにかして混ぜろって、陛下が前々からうるさくてね」
気心の知れた従者たちに、実現可能な無茶を言っている。そんなエリサの姿が、あっけなく想像できてしまう。
ユハナとユリアは、こっそり顔を見合わせて苦笑した。
到着した訓練場は、うんざりするほど無駄に広い。それもそのはず、エリサがこの上なく張り切って、この大きさで作らせたからだ。本当は、もう少し広くしたかったが、土地の関係でこれが限界だったらしい。
主だった使用目的は、ソーニャたちが騎士や魔術師たちをしごくため。まさに生き生きと、縦横無尽に動き回るそうだ。
「これだけ広かったら、確かに城仕えの騎士と魔術師全員が、余裕で入れるけど……」
「さすがは陛下ね……」
やることの豪快さに呆れ返って、もはや褒める言葉しか出てこない。
「ユハナ、お前はこっちだ」
肩章に止めた剣帯を、いきなり引っ張られた。ソーニャに引きずられ、騎士たちが集まる場所へと連れて行かれる。
並ぶ顔ぶれは、手前が名の知れた家出身の者たち。彼らの後ろには、その実力を買われて城に上がっている者たちだ。
ソーニャが王女騎士だった頃は、騎士の名家出身の者ばかりだった。家名のない騎士など、数年に一人入って来ればいい方だったらしい。そんな中に、当時の女王騎士の推薦があったとはいえ、孤児院で育った少女が混ざる。当然、真っ当に受け入れられるはずがなかった。
紆余曲折の末に、ソーニャは王女騎士となった。それを快く思わなかった当時の騎士たちの子息が、今ここに立ち並んでいるのだ。
『どこの生まれかもしれない孤児が、王女様の騎士になるなど言語道断だ!』
『王女様の命を脅かす存在になったら、いったい誰が責任を取るのか!』
『だいたい、女王騎士ですら、女がついたことがないんだ。万一の時に何かあったらどうする!』
反対する騎士たちにそう罵られたのは。彼らを、鞘がついたままの剣で全員叩きのめしたのは。まだ十二歳だった二十数年前。
だが、ソーニャは片時も忘れたことがない。
決して、彼らに憎しみがあるわけではない。ただ、口ばかりで実力の伴わない彼らを。家の名前にしがみついて、ひたすら面目を保つ、哀れで愚かな騎士たちの見苦しい姿を。迂闊に民衆の目に触れさせないために、その頃の出来事をきっちり反面教師にしているだけだ。
ポニーテールにしても腰に届く、藍色の長い髪を揺らす。ソーニャは悠然と、腰ベルトから剣を外した。半歩右斜め後ろに立っていたユハナは、すかさずそれにならう。
「自信のある者からかかってこい!」
鞘から抜かないバスタードソードを、ソーニャは片手で難なく持っている。鞘つきである理由は、相手の命を保証するため。狙いがあまりに的確なソーニャゆえ、抜き身では間違いなく相手を死なせてしまう。
もっとも、防御魔術をさらに追加した上で、避けるために後ろに飛んでいたというのに、鞘付きの攻撃を受けて思わぬ深手を負った。アハトという嫌な前例があるから、とてもではないが安心はできない。
「どうした? 気概のある者はいないのか?」
これが『地獄の訓練』と呼ばれる理由を知る、二年目以降の騎士たち。彼らは、これからを身をもって知っているから、恐ろしくて動けずにいる。今年の新人たちは、年長者を差し置いて一歩を踏み出す勇気が出ない。
結果、誰も動かない状況が生まれたのだ。
「やる気がないなら、出るようにしてやろうか」
剣を腰ベルトに止め直したソーニャは、スッと足を踏み出す。一気に距離を詰め、居並ぶ騎士たちへ肉薄する。自分より背が高く体格もいい騎士たちの中に、ためらいなく突っ込んだ。手近な腕を片っ端からつかんで、手当たり次第に投げ飛ばしていく。
「弱い。手応えもない。その上、姫様に、女に投げ飛ばされる弱い騎士のレッテルを貼られたいのか?」
飛んできた騎士に巻き添えを食った者も含め、さすがに怒りで顔色が変わる。
「全員で一斉にかかっても、あのふてぶてしい態度が貫けるのか?」
誰かの小さな呟きが、まず、家名を重んじる騎士たちを動かした。
一斉に剣を抜き、ソーニャ目がけて振り上げる。
「ナイセ!」
遠くで攻撃を受けていたはずのアハトが、ソーニャに両手のひらを向けていた。
「…………」
その瞬間、すぐそばにいたユハナは、ソーニャが静かに激怒したことを察した。
即座に動けば、ユハナに飛び火する恐れがある。すべての剣が防御魔術に阻まれてからようやく、ソーニャはアハトの元へと動く。
「お前は……なぜ毎回毎回邪魔をする!」
「だって、頭ではソーニャさんは強いから大丈夫ってわかってるんだけど、体が勝手に動くのはどうしようもないよね」
ヘラヘラ笑って、ぬけぬけと言い放つ。その間も、アハトを守る防御魔術は、絶え間なく攻撃を受けている。国最強と名高いそれに、ヒビが入る気配すらない。
いい加減聞き飽きた言い訳に、ソーニャは短いため息をつく。視線で解除しておけ、と告げて、ユハナのところへ戻る。
「すぐに解除してもらわなくてよかったの?」
「じきに解除するはずだ。道中の安全が確保できない限り、また難癖つけて使ってくるからな」
「やっぱり、母さんの方が一枚上手だ」
呆然と呟くユハナに、ソーニャは右の口角だけを持ち上げた。
生粋の天然ゆえ、危機感が薄く、何ごともあっさりと軽く受け流す。そんなソーニャのせいで、アハトにすっかり追いかけ癖がついているというのに。