君を飾る花
ライノのその後です。
丁寧に、丁寧に。ひと針ひと針、愛を込めてきっちりと。
完成品を身につける誰かの、幸せに満ちた優しい笑顔を想像する。たったそれだけで、作業の手は、面白いくらいどんどん進む。
白くて細い糸がシュルシュルと、見る間に消える。反対側には、できあがったばかりの繊細な手編みレースがこぼれていく。
レースを編んでいる顔ぶれは、ほとんどが女性だ。その中に一人、少年がいる。
年の頃は、十五、六歳だろうか。金茶色の癖毛に、ほんのり緑がかった、青色の瞳。どことなく愛嬌のある顔立ちには、幸せそうな笑みがニコニコと浮かんでいる。
スイスイと編み針を駆使する。器用な彼の手元には、大輪のバラが描かれた、幅広の長いレースがどんどんできあがっていく。
「うわぁ……相変わらず、ライノくんってすごい!」
ひょこっと横から覗き込んできたのは、少し年上の同僚だ。ライノは嬉しそうに、彼女ににこやかな笑顔を向けた。
「これ、僕の天職だって思ってるんです。だって、女性を簡単に、あっという間に幸せにできるでしょ?」
「そんなこと言ってるけど、これ始めたの、ユリア様がきっかけでしょ? それで女性の幸せって言われても、ねぇ」
からかいを含む、別の同僚の言葉が原因か。はたまた、懐かしい名前を聞いたからか。ライノの顔には、微笑とも苦笑ともつかない、複雑な笑みが浮かぶ。
「そりゃあ、初恋だったし、ずっと恋焦がれてた身としては、やっぱりユリア様には、誰よりも綺麗な花嫁になって欲しかったんですよね」
五歳年上で、小さな頃からよく知っていた。彼女の眼中にないこともまた、痛いほどわかっていた。それでも、彼女が十五で婚約してしまうまで、ひたすら追いかけ続けたのだ。
今でも時折、幸せそうな彼女を見かける。
双子の兄にそっくりな姪。兄嫁そっくりな甥。従姉に瓜二つの少女。彼らをやたらと猫かわいがりしている様が、ちらほらと聞こえてくるくらいだ。
(昔みたいに、何にも気にせずに会いには行けないけど)
努力に努力を重ねて、彼女が愛する子供たちが結婚する頃。そのくらいには、自分の手で作ったレースで、うんと着飾ってあげられるだろうか。
今はそれが、一番の目標だ。
忙しくない時は自由に取れる休憩時間に、ライノは三階から一階へと下りた。
三階では、機織りやレース編みの職人が仕事をしている。一階には、それらを服へと仕立てる針子たち。間の二階は、料理人や鍛冶師、庭師など、さまざまな職人の仕事道具や在庫を収納した倉庫になっている。四階と五階は、泊まり込む職人用の仮眠室だ。
とりあえず、中庭へ行こうとした。けれど、かすかなすすり泣きが聞こえた気がして、確かめようとそちらへ足を向けた。
城壁と建物の間の、植え込みの影。そこから、すすり泣きが聞こえてくる。声からすると、女性のようだ。
植え込みをひょいと覗き込むと、薄茶色のサラサラした短い髪が見えた。服装をかんがみるに、やはり女の子らしい。
(……カルラニセルの魔女かな?)
ここアウリンクッカ国は、基本的に金茶色の癖毛だ。他国出身か、そちらの親に似た場合を除いて、例外はない。
藍色の真っ直ぐな髪は、南のセーデルランド国。東のハイヴェッタ国は、癖のない金茶色。薄茶色の髪は、北のカルラニセル国だ。
セーデルランドとハイヴェッタは、質は違うが騎士の国。カルラニセルは魔術師の、しかも女性ばかりが強い国で、魔女の国とも呼ばれている。
「どうして泣いてるの?」
自国民なら、他に任せられる人間を知っている。けれど、異国の民は、ごく少数にしか任せられない。今は、その人たちと簡単に連絡を取れない身だ。
気になってしまった以上、自力でどうにかしなければ。
「──っ!」
パッと顔を上げた少女は、同じくらいの年だろうか。涙に濡れてキラキラ光る、綺麗な薄茶色の瞳だった。
カルラニセルの魔女。かの国の女性たちがそう呼ばれるのは、ほぼ全員が見事な暗緑色の瞳を有しているからだ。
魔眼と呼ばれる暗緑色の瞳は、強い魔力を宿している証。アウリンクッカにも魔術師はいて、その中に魔眼を持つ者もいる。
(この子は、カルラニセルの魔女じゃないのかな?)
そんな疑問が、ふと巡るものの。
「……どうして泣いてるの?」
頬を伝う涙の跡が、どうしても気になってしまう。
どうにかして、笑って欲しくなる。
だから、思い切って声をかけてみたのだ。
「あ、僕はライノ。よかったら、話くらい聞くよ?」
彼女は、しばらく目をパチパチと瞬かせていた。
穏やかに微笑むライノへの、警戒心が薄れたのか。彼女は、ぽつりぽつりと言葉をこぼし始める。
「……師匠に、怒られて。あたしが、全然うまくならないからいけないって、わかってるんだけど……」
膝を抱えて座り込んでいる彼女は、顔を膝頭にグッと押しつけた。ほっそりした華奢な肩が、フルフルと震えている。
「君も、何かを作る人?」
「……君も? あなたも、作る人なの?」
「うん。僕はレース編みの職人だよ」
バッと顔を向けてきた少女は、目をまん丸にしていた。
あまりにまじまじと見つめられると、気恥ずかしい。ほんの少し、居心地のいいような悪いような、不思議なくすぐったさを感じる。
「よかったら、見てみる?」
「え……いいの?」
「いいよ。さっき編んだのは練習だから、見て気に入ったならあげるよ」
ぽかんと口を開けて、少女は大きな瞳でライノをジッと見つめた。
「……もらえないよ。あたし、練習でも下手だもん」
そう呟いてうつむいた少女に、かける言葉が見つけられない。そんな自分が腹立たしくて、ライノは手のひらに爪をギュッと食い込ませる。
「だから、あたしが上出来って言ってもらえるのを作れるようになったら……その時、ライノの作るレースを見せて?」
思いがけないことを言われて、ライノは目を忙しく瞬かせた。
「う、うん……」
「約束だからね?」
念を押して、少女はパッと立ち上がった。そのまま、厨房のある方向へ駆け出しかけて。クルリと振り向く。
「話を聞いてくれてありがと! またね!」
ふわっと花が開くような、愛嬌のある彼女の笑顔。
なぜかいつまでも、ドキドキと胸が騒いで、うるさくて仕方がなかった。
◇ ◇ ◇
休憩を取る時間が合わないのか。あれから十日ほど経ったが、彼女とは一度も会えなかった。
厨房方面へ向かったから、料理人か菓子職人の見習いだろう。彼女が料理人見習いだったら、尋ねるあてがなくはない。だが、菓子職人には伝手がなかった。昔の縁を強引に使えば簡単だが、それができる環境にいない。
八方ふさがりだ。
何となくそんな気分になって、ふさぎ込んでしまう。
(あーあ。父さんみたいに、道に迷ったって言い訳して入ろうかな)
もちろん、ただ思うだけだ。実行した後に襲い来るさまざまな恐怖を思えば、行動に移す勇気も、気力もない。
「ライノさ……っと、ライノじゃないか。何をしているんだ?」
振り返ると、知った顔だった。
肩に触れる長さで切りそろえられた、サラリとした藍色の髪。中性的で、綺麗な顔立ちの、やけに大人びた美女だ。相変わらず、騎士が着る、黒色の上着に白いズボンがよく似合っている。
「シーヴ……様。えっと、ちょこっとユリア様に聞きたいなぁ、ってことがあるんですけど……」
ほんの二年前までは、互いに呼び方が違っていた。
古くからのしきたりどおり、こちらが、女王の息子から庶民になった。ただ、それだけのこと。
それでも、滅多に会う機会がないからか。新しい呼び方に、なかなか慣れられない。
「ユリアに? 僕から代わりに聞いて、職人棟まで伝えに行くぞ」
「えーっと、じゃあ、お言葉に甘えて、お願いしていいですか? 料理人か、菓子職人の見習いに、カルラニセル出身っぽい女の子がいるんですけど……」
「ああ、マルセラか。昔の僕みたいに短い髪の、目が大きくて可愛い子だろう? この国に来たのはだいたい半年前で、最近、菓子職人に弟子入りしたんだ。何でも、国で嫌なことがあったそうで、両親と移住してきたと聞いている」
(……あー、盲点だった)
相手が女性だから、この人に聞けばすぐわかったのだ。しかも、訓練が好きで、しょっちゅう訓練場や中庭にいる。つかまえて問いかけるのは、誰よりも簡単だ。
男に関してはほとんど記憶していないが、女性が絡む記憶力は抜群。恐らく、半月もあれば、新顔の女性でも、完璧に把握しているだろう。
たまに、どうして結婚したのかと、聞きたくなることがある。そのくらい、いつ見ても、女の子に囲まれている人だ。
「マルセラがどうかしたのか?」
「あ、えっと、この間、泣いてたところを見かけて声をかけたんですけど、それから一度も見てなくて……どうしてるのか、ちょっと気になって」
「気になるなら、僕が訓練している時に、訓練場に来ればいい。マルセラは魔眼ではないが、カルラニセルの魔術が使えるから、時々相手をしてもらっているんだ」
男なら、間違いなく爽やかと表現する。そんな笑みを見せた彼女に、ライノはやや引きつった顔を向けた。
「……シーヴ様の、訓練相手、ですか?」
「本当にたまにだし、ヴァルトもいるから大丈夫だ。それに、体を動かすと、気分がすっきりすると言っていたぞ」
今は単なる騎士の服を着ているが、いずれは女王騎士の証をまとうと約束されている彼女だ。その強さは、並みの人間では、到底太刀打ちできない。
もっとも、五十に手が届いた今でも、人外の強さを誇る彼女の伯母。母親以外の騎士には負け知らずの、従弟。彼らに比べたら、なぜか普通に見えてしまうのだから不思議だ。
「何なら、ライノも参加するか?」
「え……いえ、僕は、治癒魔術しかまともに使えないんですけど……」
その治癒魔術も、あるだけマシ、といった域だ。
各種職人たちには、すぐに傷が治療できるから重宝されている。だが、それだけだ。堂々と、魔術師を名乗れる強さはない。
「見ているだけでも十分楽しいぞ?」
勝てば大はしゃぎし、負ければ地団駄を踏んで悔しがる。そんな彼女の私服も、本当に少しは女性らしくなったらしい。
この国へ来た当初の、表情がほぼ動かない。チラッと見ただけでは、彼女の従弟とまったく区別がつかなかった。その頃を知っている身としては、ずいぶん変わったと思う。
「まあ、一度来てみろ。今の時期は暇だから、いつでも休憩できるだろう?」
「え、まあ、そうですけど……」
騎士の彼女がなぜ、職人棟の動きを正確に把握しているのか。
一瞬疑問が過ぎったが、すぐに、同僚の女性たちが理由だと思い当たった。
(時間があるから、あの子に似合うレースを編もうと思ってたけど……)
それは、いつでもできる。何より、せっかく会える機会をもらえたのだ。これを生かさない手はない。
「じゃあ、明日にでも行きます」
「今日もまだ訓練はするぞ? 夕方に、ひと汗流すつもりだ」
「えっと……じゃあ、夕方、見に行きます」
やたらと爽やかに微笑んでいるのに、有無を言わせない。そんな口調で言い放ったシーヴに、ライノはどうにかその言葉を伝えた。
日が落ち始め、差し込む光がやわらかな黄色を帯びる頃。
ライノはあるものをポケットに忍ばせて、職人棟と城の間にある訓練場へ向かった。
この訓練場は広大で、城が抱える騎士と魔術師、全員が一堂に会することができる。しかも、以前の訓練場を大破させた女王騎士のため、より頑丈に作り直されたものだ。
中に入る前から、甲高い金属音が聞こえた。
「はい、勝負あり」
「あーもう! またか!」
「だから、対処が間違ってるんだって。あそこで下がったらオレの思うつぼだって、毎回言ってるけど?」
「嘘をつくな! 前に出ようが左右に避けようが、いつも大差ないだろうが!」
入り口に近づくと、ちょうどひと勝負ついたところらしい。ああだこうだと、言い合う声が聞こえてきた。
「えっと、あたしが思うに、ヴァルト様って、野生の勘で魔術を使ってますよね。だから、こっちも野生の勘に頼らないと勝てないんじゃないかな、って思うんですけど」
一度会っただけの、少女の声がする。
我を忘れて、勢い込んで、あたふたと入り口から顔を出す。
「お、ライノさ……じゃなかった、ライノ。来たな」
「珍しいなぁ……久しぶり。どうしたの?」
金茶色の髪に、緑色の瞳。年相応に男らしい顔立ちの男性が、小さく笑う。彼の隣に立つシーヴが、子供に見えるほど、二人の身長は大きく違っている。彼はヴァルトといい、シーヴの夫だ。
白色で袖と裾が長いチュニックと、濃灰色のサーコート姿は、魔術師の証だ。彼がいずれ、薄紫色のサーコートをまとうことは、ずっと昔からの決定事項だった。
父と血縁者だという。強い魔術師で、ユリアの近くにいられる。そんな彼が、昔はうらやましくてねたましくて、本当に仕方がなかった。
数年ぶりに会ったけれど、今はそういった気持ちは湧いてこない。
「僕が誘ったんだ。たまには、息抜きで体を動かしに来い、と言ってな」
「……セーデルランド人はそういうものだってわかってるけどさぁ。こう、訓練以外の楽しみってないわけ?」
「甘い焼き菓子だな」
「……だって」
ヴァルトの視線が、隅に座り込んでいたマルセラに向けられる。
「シーヴ様、甘いの好きなんですね」
「オレも好きだけどね」
「この国の人、甘い物嫌いって言うけど……お二人は違うんですね」
不思議そうにこてんと首を傾げて、マルセラがため息をつく。
「嫌いっていうより、体が受けつけないんだよ。人によっては、匂いどころか、人が食べてるのも見たくないって言うよね」
「ああ、陛下やユリアがそうだな」
ごく一部を除いて、確かに生理的に受けつけないものだ。
ライノの知る限り、食べる人のために常備している部屋はある。しかし、ダメな人間は、絶対に触ろうとしなかった。
昔は、料理人が片手間で作っていた菓子。それを専門の職人が担当するようになったのは、食べられる他国の人間が増えたからだと聞いている。
当たり前だが、作る側も、甘い物が食べられる人間だ。
ライノ自身は、父親に似て、甘い物は平気で食べられる。ただ、高価なそれをいつでも自由に食べられるかというと、そこまで裕福ではない。
「えー、そうなの? カルラニセルじゃ、お祭りとかの特別な時しか食べられなかったから、いつでも食べられるなんてすごいって思ってたのに……」
敬語じゃない。
たったそれだけで、マルセラとの距離が、グッと近くなった気がした。
「じゃあ、いつでも食べられるように、作りたいって思って職人に?」
「うん。だって、おいしいの作れたら、自分も他の人も幸せになれるでしょ?」
ニコニコと、すでに十分幸せそうなのに。
その笑顔だけでもう、心からあふれそうなくらい、幸福な気分でたっぷり満たされているのに。
彼女はまだ、人を幸せにしたいらしい。
「ねえ、ライノは、どうしてレース編み職人になったの?」
「……幸せに、なって欲しいから」
誰が、は言わない。
言って、距離を置かれたら。そう考えたら、なぜか言えなくなった。
「レースは、結婚式にはことさら欠かせないからな。特に、最近ライノが作ったものは、かなり評判がいいんだ。ユリアがとうとう、ラハヤとラーケルの私服にもたっぷり使いたいと言い出したくらいにな」
「……ラーケルはともかく、ラハヤちゃんは嫌がるんじゃ?」
ボソリとヴァルトが突っ込む。ライノは思わず、同意して頷いてしまう。
ラーケルはシーヴの娘で、魔法の才能がある、シーヴそっくりな女の子だ。そして、ラハヤは、シーヴの従弟の娘になる。
この二人には、目の色以外、目立つ違いはない。髪型も、あえてそっくりにしている。そのため、後ろ姿を見ただけでは、呼び間違える人間が続出していた。
唯一、後ろ姿でも間違えないと豪語し、実際に間違えないのは、ラハヤの祖父アハトくらいのものだ。
「ラーケルが乗り気だから、完璧におそろいなら、と承諾したそうだ。形が決まったら、ヒリヤからライノに依頼がいくぞ」
作ること自体は、とっくに決定しているようだ。
ヒリヤは、長年針子を束ねている針子頭だ。ユリアのために、素晴らしい結婚用の衣装を仕立て、その名を国中に知らしめた。
その上、好みの女性を着飾らせることにかける情熱と執念は、空恐ろしいものがある。
「……まあ、依頼があれば、僕は編むだけだけどね」
あの瓜ふたつの二人が、まったく同じ服を着たらどうなるか。想像に難くない。
(アハトさんは、喜ぶんだろうなぁ……)
彼の妻は、筆頭女王騎士だ。それゆえか、私服も男らしいのだという。可愛らしい恰好をした、彼女そっくりの子供たちを見た時、いったいどんな反応を示すのか。考えるだけで、今から頭痛がしそうだ。
「ライノはすごいなぁ……」
「マルセラも、すぐにできるようになるよ」
ポケットから、少し黄ばんだ、ボロボロのレースを取り出す。それを、マルセラの手に乗せた。
「これ、四年前に、僕が初めて編んだレース。ひどいでしょ?」
「……え?」
レースと言われて、マルセラはまじまじと見つめる。
編み目は不揃いだし、ところどころ糸が飛び出ているし、形はメチャクチャだ。商品価値どころか、材料の無駄と言われても仕方がない。そんな作品だ。
「くじけそうになったらこれを見て、絶対にうまくなってやるって、死ぬ気で練習したんだ。だからマルセラも、頑張って練習したら、すっごく上手になれるよ」
手に職をつけなければ、自力で稼いで生きていけない。
同じ立場だった伯父の片方は、料理人を束ねる責任者だ。もう片方は、多種多様な鍵を作る鍵師をしている。どちらも、城になくてはならない存在となった。
いつかは彼らのように、なくてはならない存在だと、誰からも言ってもらえるようになりたい。
「それは、マルセラにあげるよ。それで、マルセラのお菓子作りが上手になったら、その時の僕が作れる最高のレースを、君にあげる」
「えっ、でも、高いんでしょ?」
「大丈夫。白いレースって、結婚式でない限り、全部試作品だから。それに、君からお金をもらうつもりはないよ。頑張った君への、贈り物だからね」
あー、とも、うー、ともつかない、奇妙なうめき声が聞こえてきた。ライノはふと、そちらを振り返る。
渋面のシーヴと、苦笑いのヴァルトが、フッと目に飛び込んできた。
「ヘンリク様のようなことを言ってるぞ」
久しぶりに父の名を聞いた。しかも、言動が同じと指摘されるとは。
ライノはウッと息を詰まらせる。
「どうせだったらさ、ライノくんが最高のレースを編んで、それを使った服をヒリヤさんに作ってもらえば? 可愛い子を着飾るの、ヒリヤさん、大好きだし」
「ああ、それはいいな。僕も協力するぞ」
「……さすがに、十歳近く違う子とおそろいはきつくない?」
「いや、マルセラが足を隠す服を希望すれば、どうにかなるだろう?」
「え? シーヴが絡んでるのに、ヒリヤさんがそんなこと許すわけないでしょ? ヒリヤさん、シーヴの足も大好きだし」
「……相変わらず、夫婦漫才が好調ですね」
ボソッとライノが呟くと、二人はほぼ同時に噴き出した。
「まあ、その辺りはヒリヤにでも聞けばいい。きっと、喜んで協力してくれるぞ」
「……ホント、足出すの嫌いだね。わざわざ他の男に見せるの、死ぬほど嫌になるくらい綺麗なのに」
「それ以上言うな!」
一瞬で真っ赤に染まった顔を、あらぬ方向へバッと背ける。その勢いで、シーヴはバタバタと、訓練場を飛び出していく。
「今まで散々言ってるのに、まだあれだけ照れるんだよね。ホント、いくつになっても可愛いんだから」
やけに楽しげに笑いながら、ヴァルトはのんびりシーヴの後を追う。
もう何年も見てきたが、いつも一方的のような、どこかかみ合わない印象を受ける。それでも一向に変化しないのだから、あれできっちり合っているのだろう。
「……変わった方が、多いよね」
小さく呟かれた声に、マルセラを見る。
「あたしはよそ者なのに、気にかけてくれるし。みんな、すごく優しいし。強引な人は、全然いなくて……思い切ってここに来て、本当によかったって思うの」
『国で嫌なことがあったそうで、両親と移住してきたと聞いている』
ふと、シーヴの言葉がよみがえった。
六年ほど前まで、カルラニセルは国交をほぼ絶っていた。かろうじて、何人かの行商人が来ていた程度だ。誰もが『カルラニセルの魔女』という言葉を知ってはいても、実物を見たことがなかった。
今でも、好むと好まざると関係なく、魔力の高い異性を配偶者候補として、とにかく目をつけるらしい。
「魔眼じゃなくても、何も言われないって……こんなに幸せなんだね」
「僕は、マルセラの瞳の色、好きだよ」
ぽろりと、言葉が唇からこぼれ落ちた。
「魔眼じゃなくたって、ここでなら、自由に生きていけるよ?」
魔術が使えなくても、剣を振るえなくても。強くなくても、打たれ弱くても。
何かしら、生きていく術はある。
「好きなことをして、それなりにお金をもらえる。それが、割と当たり前にできる国だからね、ここは」
「……うん、そうだね」
ひっそりと呟いて、マルセラは顔を上げた。
目が合ったとたん、花がふわりと開くような、あの笑顔を浮かべて。
「よぉし! 明日からまた、師匠に特訓してもらうんだ。あたし、絶対にライノがおいしいって笑顔になるような、すっごいお菓子を作るんだから!」
両手の拳を、グッとしっかり握ったマルセラの笑顔。
(……ヒマワリが、似合いそうかな)
新しい形のレースが、くっきりと頭に浮かぶ。早速、編んでみたくなる。
それが完成したら、髪飾りに加工してもらおう。そして、彼女が納得する菓子を完成させた暁には、綺麗に包んでリボンをかけて贈りたい。
「あ、ライノって、甘い物は平気?」
「うん、大好きだよ」
「じゃあ、うんと甘いの作るね」
勢いよく立ち上がったマルセラは、晴れやかな笑みを浮かべている。
「また明日、ここに来る?」
「マルセラが来るなら、来るよ」
「じゃあ、シーヴ様たちの訓練の時間に、また会おうね!」
「うん、約束だよ?」
交わした約束を、何度も確認した。戻りながら、繰り返し振り向いては、手をブンブンと元気よく振ってくれる。
そんなマルセラとの約束に、喜ぶ心を自由に躍らせる。ライノは先ほど浮かんだレースの編みを実践すべく、仕事場へと戻っていった。
◇ ◇ ◇
半年後。
ライノは、甘くてとろけそうなおいしい焼き菓子を頬張る。その隣で、レースで編まれた立体的なヒマワリを髪につけたマルセラが、ニコニコと幸せそうに微笑んでいた。