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 アハトが初めてエリサに会ったのは、十歳だった。子供が生まれ、孫が育ち、指導する立場から退くことが決まった時には、五十六歳が目前に迫っていた。

 過去を振り返っても、後悔はまったくない。これからまだまだ、やらなければいけないことが山積みだ。いつまでも呑気に構えているわけにはいかない。

「それにしても、一時とはいえ、青が二世代になっちゃったね」

 しつこく粘り抜いたシルヴォが勝利を収めた瞬間、女王の執務室では喝采が上がった。これからはますます、ハイヴェッタとの縁が深まっていくのだろう。

 エルミとシルヴォの間に生まれた王女は、もうじき一歳になる。エステルと名づけられた王女についたのは、当時九歳になったばかりのラハヤとラーケルだ。年上からも年下からも異議が出ないほど、納得の人選だったらしい。

 だいたい、暇さえあれば二人で訓練をしているのだ。嫌でも強くなるに決まっている。

 今は十歳になったラハヤとラーケルは、すっかり青の従者ぶりが板についてきていた。それでも時折、幼い頃のまま、無邪気に笑い合っている姿を見かける。その光景があまりに幸福に満ちていて、もう少し留まって見守りたくなってしまう。

「ずいぶん珍しいのだろう? 私はかまわないと思うが」

「まあ、殿下が思い出してもらえるのがそのくらいになる、って言うだけだから、悪くはないのかもしれないけどね」

 慣れ親しんだ紫色のサーコートに袖を通すのは、これが最後だ。紫色の騎士服をまとうソーニャも、これで見納めになる。

 エリサが無事に退位し、エルミに女王を引き継げば、ようやく肩の荷が下りるのだ。

「長かったな」

「うん、そうだね。でも、割と楽しかったよ。ソーニャさんに会った時に思ったけど、俺、魔術師になってよかったって思ってるよ」

 穏やかに微笑んで、アハトはしっとりと告げる。

 決して平坦な生き様ではなく、楽しいことばかりとはいかなかった。けれど、その苦しみや悲しみ、嘆きまでも、すべてまとめて『楽しかった』のだ。

「それに、すごく幸せだったからね」

 誰からも必要とされていない。そう感じていた幼い頃。親代わりの人たちには、確かに愛されていた。それでも、どこか欠けていた部分があって、それはなかなか埋まらないままだった。

 ソーニャと出会った時、その欠けているものが見つかった気がしたのだ。

 そして、その直感は間違っていなかったと、胸を張って断言できる。

「そうだな……確かに、楽しくて幸せだった。だが、お前はこれからもっと幸せになるんだ。楽しくて息をつく暇もないくらいの毎日を、送らせてやるぞ」

「うん、楽しみにしてるよ」

 引退後は、ソーニャが育ったサロヴァー孤児院に戻る。そこで後進の育成を行い、城で働く者の質を少しでも上げる予定だ。

 特に騎士と針子は、すでに何人かの候補が出来上がってきている。

 もちろん、他国からの希望者も受け入れるつもりだ。現状をかんがみるに、ユリアに次ぐ参謀を育てる必要もあるだろう。

 この命が尽きるまでのわずかな時間に、やりたいことはたくさんある。

 何しろ、ラハヤもラーケルも、頭を使う方は不得手なのだ。むしろ、彼女たちの周りにいる者は、今のところ素直な者が多い。ひと癖くらいなければ、不穏な出来事に対処しきれない可能性もある。

 別の意味で問題があるのは、ラーケルの弟レーヴィだろうか。シーヴに似たようで、女の子の覚えがめでたいのだ。しかし、ヴァルトに似て、その方面には興味がないときた。手ひどい言葉でバッサリと振ってしまったことは、一度や二度ではない。

 いつか、色恋沙汰でとんでもない事態を引き起こすのでは。今からそんなふうに、戦々恐々としてしまう少年だ。

「さてと。そろそろ行って、姫の退位を見届けようかな」

「ああ、そうだな」

 筆頭と呼ばれる時間は、残りわずかだ。それが終われば、ただの「アハト・サロヴァーラ」になる。


          ‡ 


 ユリアは薄紫色のサーコートに袖を通す。見慣れない色に、どうしても戸惑いが隠せない。それはユハナも同じようで、鏡と服を、視線が何度も往復している。

「……私たちが紫衣、なのね」

「何だか、変な感じだ」

 今まで黒と濃灰色だったシーヴとヴァルトとリク、そしてイェレミアスも、急に色のついた服をそれぞれに凝視していた。

 執務室の棚の中には、まだ手渡せていない紫衣が一人分、しまわれている。次にイリニヤが報告に訪れた時、彼女に渡す予定だ。サーコートでも、燕尾でもない、イリニヤだけの特別な紫衣となっている。

 城に常駐しない紫衣は、史上初かもしれない。そういうことで、エルミの名が歴史に刻まれていけばいいと、ユリアは願う。

 現在の紫衣は最大人数とまではいかないが、上限までほど近い。けれど、今後を考えると、埋まることはないだろうと思われた。

(姫様が生まれて、もう二十年が過ぎたのね)

 初めて会った日のことが、懐かしく思い出される。

 エルミの即位した年齢は、それほど若くはない。だいたい、これまでの平均的な年齢だという。

 けれど、新しい服にすんなりなじめない程度には、今までの色を着ていた時間が長かったようだ。

 ユリアたちの主な役目は、エルミの治世を無事に終わらせること。そして、エステルのためになる人材を見つけ、育てること。このふたつだろう。

「いつかは、慣れるんでしょうか」

 不安そうにイェレミアスが呟く。

 彼の気持ちもわかる。服の色が見えるたびに、あまりに偉大だった先代と、どうしても比較してしまう。たとえ他者には何も言われなくとも、だ。

「慣れなくてもいいんじゃない? だって私たちは、姫様が女王である間を、何ごともなく終わらせることが役目なんだもの。そのために必要なものは、多分そろっているわ」

 ニッコリ微笑むユリアの顔に、珍しく、わずかな緊張の色が見えた。

 新しい服はそれだけ、精神的に重たいものだ。

「だから、今までどおりやっていけばいいの。服の色は、そうね……時々、私たちの上にいるのは姫様だけ、って思い出すためのものであって、私たちを型に押し込めるものじゃないわ」

 何が起きても、どんな事態になっても、考えて判断を下すのは自分たちだ。他の誰かに助けを求めても、最後に決めるのはその誰かではない。

 すでに礎はできている。後は、それをいかに維持していくか。それにかかっている。

 エルミには、祖母や母ほどの才気はなかった。だからこそ、誰もが平和ボケするほど、争いももめ事も起こらない。そんな国にしていくのがエルミの仕事であり、彼女を支える紫衣の役目なのだ。



          ‡ 




 アウリンクッカ女王国には、代々受け継がれる歴史書がある。

 第十六代女王エリサの功績は、数十枚に及んでいる。しかし、彼女の娘となる十七代女王エルミに関する部分は、ほんの数枚だ。

 王女時代に、娘の青が同時に存在したこと。城に常駐しない紫衣を抱えていたこと。その紫衣たちは、歴代でもまれに見る優れた者たちだったこと。

 そして何より、他所で専門的に教育し、城に召し上げる流れを積極的に作り上げた。その教育する場は、国内外を問わず、幅広く受け入れた。結果、国内のみならず、他国でも失業者を大幅に減らし、人々の生活を豊かにしたこと。

 それが彼女の最大の功績だと、歴史書にはっきりと記されている。


これで本編は終わりです。

後は、今後の小話をいくつか書いて、完結としようと思っています。

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