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「アハトなんか大嫌いだ!」

 目を通した大量の書類をそれぞれ抱えて、ユリアとイェレミアスは廊下を歩く。彼らの目の前で、目的のドアがバンッ、と弾かれたように開いた。

 そこから飛び出してきたのは、まさに小さなシーヴだ。

 髪の色に長さや質、瞳の色やその顔立ちなど、どこを取ってもシーヴが縮んだ印象しかない。ただ、ふわりとした女の子らしいカートルを着ている点が、シーヴとは明らかに違う。

 何があったのか。予想しながらも、あえてユリアは問いかける。

「……ねえ、ラハヤ。またお父さんが何かやったの?」

「あ、ユリア姉様! おじいちゃんがまた、私とラーケルをわざと間違えたんだ!」

 見慣れていない騎士や魔術師たちなら、何もおかしくはない。だが、赤子の頃から、一度たりとも間違えなかったアハトだ。

 誰がどう見ても、わざとに決まっている。

 そうして間違えると、ラハヤは勢いよく噛みつく。それがまた可愛いのだろう。たまに、わざわざ呼び間違えて遊んでいるらしい。

 ラーケルはすでに、アハトが正しく名前を呼ばなければ、一切反応しないようになっている。その辺りの冷ややかさは、間違いなく親譲りだ。

「……それで、その台詞なのね。お母さんが教えたのかしら?」

「うん。おばあちゃんが、あれがおじいちゃんには効くとおしえてくれたんだ。私の髪がもっと長くなったら、もっと効くそうだ」

 五歳になったばかりの子供に、いったい何を教えているのか。

 呆れつつも、実際に効果が高いだろう台詞を聞いて、ユリアは笑いを堪えきれない。すぐそこにいるイェレミアスも、懸命に笑いを堪えているようだ。フルフルと、肩だけでなく、全身が小刻みに震えている。

「ねえ、ラハヤ。アハトさんは放っておいて、一緒に訓練しよう?」

 同じドアからひょいと顔を出したのは、ラハヤそっっくりな少女だった。髪型からカートルの形に色まで同じで、違いは瞳の色だけ。

 ラハヤは緑がかった灰色。新しく出てきた少女は、ユリアほど濃くはないが、ヴァルトよりは濃い緑色だ。

「そうするか」

 二人仲良く手をつなぎ、トコトコと廊下を歩いていく。幼い後ろ姿を見送りながら、ユリアは思わず苦笑いをこぼす。

 ラハヤが生まれてからずっと、一緒に育ってきた二人だ。時々、彼女たちが双子であるような、妙な錯覚をしてしまうことがある。

(まあ、それは、ヒリヤさんが楽しんでおそろいを作っているからなのよね)

 子供たちの服は、基本的にヒリヤが手がけている。赤子のうちは、周囲の区別がつくようにと、飾りや色を変えていたらしい。だが今は、細かい飾りに至るまで、まったく同じものを二着作っているそうだ。

 そこが本人たちの希望であるあたり、二人にも周囲の混乱はわかっているのだろう。

(で、きっと、間違えないお父さんがわざと間違えてくるのが、腹立たしいのよね)

 ついつい、クスクスと笑いがこぼれ落ちた。

 開け放たれたままのドアから中を覗けば、ソファにだらしなく寝転がったアハトがいる。今にも、どろりと溶け出しそうだ。彼のまとう空気がやや打ちひしがれているのは、決して気のせいではない。

「……ソーニャさんは、ひどいよね。何であんな言葉を教えちゃうのかなぁ……」

「お父さんがラハヤをいじめるからでしょ? はい、後はお父さんの仕事よ」

 ついでとばかりに、書類を机の上にドンと乗せる。苦笑いのイェレミアスもまた、ユリアと同じ行動を取った。

「……ところで、俺はそろそろ引退の準備に入ってるんだけど?」

「何を言ってるの? お父さんは五年前からもう引退準備してたでしょ? 最後くらい、もうちょっと働いていきなさいよ」

「えー……いや、俺はもう十分すぎるくらい働いてきたしね。最後くらい、ダラダラしてたいんだけど」

「……今も、ずいぶんとダラダラしてますよね?」

 イェレミアスに冷たく突っ込まれ、アハトはかすかに頬を引きつらせる。

 いい意味で、彼になら仕事を任せられる。ユリアがそう判断できる程度には、イェレミアスは役立つ人材に育ってくれた。

 本人が覚悟を決めて、それからアハトが入念に鍛え上げた結果だ。

「だいたい、引退するまでまだ数年あるでしょ? 退屈な治世になるって言ってるくせに、姫様にさっさと玉座を押しつけるつもり?」

「俺だって、やりたいことがあるしね。もう、その準備は始めてるけど……やっぱり、引退してからが本番だから」

 あっけらかんと笑うアハトは、どこか楽しげに映る。

 いくら平和で退屈な治世になる。そう言われていても、これまでエリサとアハトの二人が手を組んでやってきたことを、たった一人でこなす。それは、どう考えても無理だ。

 平穏ならば、イェレミアスとイリニヤと三人で、どうにかやっていける。その程度でしかない。

 ひとたび騒乱が起これば、混乱の極みに陥るだろう。

「あ、そういえば、イェレミアスくんは聞いたかな? 殿下の婿候補についてなんだけど」

「ああ、ユリア様から聞きました。最初はシーヴが教えてくたんですが、相手の名前やら何やらがさっぱりだったので、仕方なく」

「あー、シーヴちゃんらしいね」

 女性だったら、名前も顔も何もかも、しっかりと一度で覚えてくれる。だが、相手が男となると、とたんに記憶力がどこかへ行ってしまうのだ。いまだに、イェレミアスの名前は覚えていないだろう。

 あの二人に限らず、ユハナも記憶力には自信がない人間となると、嫌でも他への負担が大きくなる。実質的には、ユリアとイェレミアスが犠牲になるしかない。

「私としては、シルヴォ王子が候補にいること自体、驚きだったわ」

「まだ諦めてないんだって。だったら、候補に残しておいてもいいかな、ってこと」

「どちらかと言うと、劇的な出会いなんでしょ?」

 ユリアが聞いている二人の王女のなれそめは、どちらも少し変わっている。

 エリサは、迷子のヘンリクを偶然見つけたことから始まった。エルヴィーラは、目の前に転がってきた剣を拾いに来た騎士が夫となっている。この剣は、訓練中に手からすっぽ抜けたらしい。

 もっとたどっていけば、やはり変わった出会いが多いのかもしれない。けれど、わざわざ調べたいとは思わなかった。

「まあね。だから、シルヴォ王子には悪いけど、望みは薄いだろうね。ただ、カレヴィ・カイヴァントは粘り勝ちをしてるから、希望がないとは言わないよ?」

「……目の前で平然と他の人を口説かれたら、普通の感覚ならそのうち諦めるわ」

「再建の女王はすぐ諦めたけど、ここ最近は、十年はしつこく片思いを続けるからね……殿下もそろそろ、とは思うんだけど」

 困ったように笑うアハトを、エルミはいまだに諦めていない。そのことを、ずっとそばにいたユリアは知っている。しかし、いい加減きっぱり諦めるべきだと、エルミ自身が思い始めていることもまた、わかっているのだ。

 そういう時に、思いがけない出会いがあるのだろう。

「……そういえば、あと三年くらいなのね」

 エルミが結婚相手を決める、期限のようなものだ。そこまでに決まらなければ、次の王女の従者が誰になるか、戦々恐々としなければいけなくなる。

「もし、ラハヤちゃんたちが過ぎちゃったら、騎士候補はレーヴィくん、魔術師候補はカーレルくんかな?」

 レーヴィはラーケルの弟で、三歳を過ぎて数ヶ月だ。顔立ちはヴァルトそのものだが、彼は自己強化の呪文を使う。例に漏れず、変わり者の片鱗がすでに見え隠れしている。

 そして、二歳を半分近く過ぎた、ユリアの息子がカーレルだ。だが彼は、見てわかるほど、性格がリクそのものだった。見た目がユリアそっくりなだけに、おっとりした印象がより強まっている。

 どちらもすでに、一部では絶大な人気を誇っているらしい。末恐ろしい少年たちだ。

「そうね。カーレルならいいわ。あの子、見た目や素質は私でも、性格はリクなんだもの。あれじゃ、無理よ」

「……確かに、カーレルくんじゃ、ちょっと暗躍できなさそうだね。じゃあ、もうしばらくは大丈夫そうかな?」

「できれば、見た目と素質がリクで、性格が私の子が生まれて欲しいわ。そうしたら楽だもの」

「何なんですか、その完璧超人は」

 イェレミアスも、今ではアハトやユリアの性格に慣れたようだ。平然と、臆することなく突っ込んでいく。

「暗躍するなら、できるだけ目立たない見た目がいいのよ。美少女や美少年に生まれても、こっそり行動するには邪魔なの」

「それは、持っているから言える話ですけどね」

「あら。イェレミアスだって、ヨハンナそっくりの娘が生まれてご覧なさい。今の私の気持ちがよくわかるはずよ」

 うっ、と言葉を詰まらせたイェレミアスに、ユリアが勝ち誇ったように笑う。そんな二人を眺めながら、アハトは穏やかに微笑んでいた。

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