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 少々薄暗い廊下の一角で、空気がユラユラと揺れている。

 しっかり閉じられたドアの前を、一人の男性が落ち着きなく行ったり来たりしていた。そのたびに、薄青色のサーコートの裾がふわりと翻る。

「ちょっと、アハト。さっきからウロウロと、命令で排除したくなるくらい鬱陶しくてよ」

 年の離れた兄くらいには年上の男性に、少女は容赦ない。

 苦情を言い放つ少女は、華やかなオレンジ色のドレスをまとっている。晴れ渡った空のように青い瞳をすがめ、丁寧に巻いた金色の長い髪を指先で背中に払う。

 廊下に置いた椅子に悠然と腰かける少女は、アハトの長年の主であり、この国唯一の王女エリサだ。落ち着き払った様子だが、これでもまだ十七歳の少女にすぎない。いろいろと、将来が心配になる少女だ。

 スッと通った鼻筋と、整った顔立ちは妙に甘い。魔力を帯びた、『魔眼(まがん)』と呼ばれる暗緑色のやわらかな瞳。楽しげに跳ねる金茶色の髪と裏腹に、アハトの表情はひどく不安げで頼りない。

「だって、ソーニャさんが大丈夫か心配で心配で……あーもう、何で俺が入っちゃダメなんだろう!」

「もちろん、アハトがうるさくてうるさくて、迷惑になるからに決まってるでしょ」

「ちょっ、姫、それはひどい……」

「事実でしょうに」

 見た目は、未来の女王にふさわしく美しいというのに。とことん気を許した相手に対する言葉には、かなりきつい毒がある。迂闊に近づくと、様々な痛い目を見ることになるのだ。

 かつて、エリサを「バラの花」のようだとたとえた者がいた。そのとおりだと、アハトも思う。

「だいたい、わたくしがソーニャの心配をしていないとでも思って?」

 たった今、ドアの向こうで苦しんでいる。大切な人を想う心は同じだ。

「オギャァ!」

 元気な産声が上がった。

 居ても立ってもいられず、アハトはドアを開けに走ろうとする。そんな彼のサーコートを、エリサは力いっぱい引っ張り阻止する。

「まだ呼ばれていないわよ!」

 エリサが必死に制止する中、産声が二重奏になった。

「……二人分聞こえるのは、わたくしの気のせいかしら?」

「姫も、聞こえます?」

 思わず顔を見合わせ、過去の冗談が現実になったことを察する。

「……双子だなんて、軽い戯言だったのよ?」

「というか、ソーニャさん、メチャクチャ落ち込んでそうだよね」

 ソーニャが自身の出生を知ってから、まだ二年も経っていない。

 同盟を結びたいという建前で呼び出した、砂嵐に包まれた謎の国セーデルランド。そこがソーニャの生まれた場所で、生後すぐの彼女を手ひどく捨てた国だ。その国でアハトとエリサは徹底的にケンカを買って、ソーニャはすべての真実を知った。

 あれほど嫌な思いをした出来事を、そう簡単に忘れられるはずなどない。傷はまだ、癒えていないはずだ。

「そこをどうにかするのは、アハトの仕事でしょう?」

「任せてください」

「入ってもいいですよ」

 アハトが拳で胸を叩いたところで、産婆がドアを開けて二人を招き入れる。

 わきまえているエリサは、アハトが飛び込んでからゆっくりと部屋に入った。

「ソーニャさん、お疲れ様。大丈夫?」

 藍色の髪の女性に駆け寄って、声をかけている。そんなアハトの姿がいきなり目に飛び込んできて、エリサは知らず知らずため息をこぼした。

「……子供より先にソーニャのところへ行くのが、アハトよね。本当に、昔からちっとも変わらないんだから」

 いつもの光景に呆れて呟き、まずエリサが双子の顔を覗きに行く。

「まぁ……」

 藍色の髪に、緑がかった灰色の瞳の男の子。金茶の髪に、暗緑色の瞳の女の子。並んで寝かされている小さな赤子たちは、まじまじとエリサを見つめている。なぜか、そんな気がした。

「この子たちはどちらが先なの?」

 産婆に尋ねれば、男の子が先だったと答えをもらう。

「アハトがソーニャを大好きなことはよくわかったから、子供たちも見てあげなさいな」

 名残惜しそうにエリサのところへ来たアハトは、真っ先に目を丸くした。

「うわ……ソーニャさんそっくりな男の子と、俺にそっくりな女の子になりそうな予感しかしないよ、これ」

 こうも綺麗に分かれるものだろうかと、アハトはかえって感心してしまう。同時に、ソーニャ似の女の子でなくてよかったと、胸をなで下ろした。

『ソーニャさんに似た女の子が生まれたら、俺、絶対無駄に可愛がって、逆に嫌がられるんだろうね』

『ああ、ありそうだな』

『いや、あのね、そこは否定して欲しいんだけど』

 冗談めかして言ったことが、現実にならなかった安堵は大きい。

「わたくしの娘の騎士と魔術師は、これで決まりね。十年後くらいが楽しみだわ」

 双子をジッと見つめつつ、嬉しそうにエリサが囁く。アハトはふと思い出したように、ソーニャのところへ戻る。

「ソーニャさん、一度で姫様の念願がかないそうだよ!」

「……そうか」

 双子であったために捨てられた。そんな過去を持つソーニャにとって、自分の子供までが双子というのは、どれほど心に重くのしかかるのか。

 アハトには、一端を推し量ることしかできない。それでも、少しでも前向きに受け止められるように手助けすることは、自分にしかできないことだと自負している。

「俺もソーニャさんも、何の因果か兄弟とはあんまりいい縁がなかったけど……でもね、あの子たちは、これからずっと一緒に過ごす仲良しな双子になるよ。絶対に」

「……一緒に?」

「そう。俺とソーニャさんが、嫌になるくらい愛情をたくさん注いで。姫様やアクセリさんたちに、何やかんやと見守られて。うんざりするくらい元気いっぱいに、仲良く育っていくんだよ」

 最愛の人のように、穏やかな愛情あふれる子供たちに育って欲しい。人の痛みがわかる、優しい人間になって欲しい。アハトはそう、切に願う。

 決して、温かい家族に憧れる悲しい子供では、あって欲しくなかった。

「お前が言うと、本当にそうなりそうだから怖いな」

「むしろ、姫が何の気なしに『双子だったら面白いでしょうね』とか言って、それが現実になった今が一番怖いと思うよ」

 発端はエリサのひと言だったと思い出し、ソーニャはくつくつと低く笑う。

「俺は言ったよね。ソーニャさんに『あんな国に捨てられて逆によかった』って言えるようにするよって。幸せいっぱいで、毎日笑って過ごせるようにするよって」

 頷くソーニャの額に、唇でそっと触れた。まず息子を、ソーニャの腕に抱かせるために抱っこして連れてくる。

 長年、ソーニャに鍛えられたアハトの手つきは、すっかり慣れたものだ。

「……確かに、私……というか、イクセルにそっくりだな」

 苦笑するしかないほど、一度顔を合わせて剣を交えただけの、同い年の弟に似ていた。

「ダメダメ。あんな弱い男に似たら姫が困るから、この子はソーニャさんに似ててくれなきゃ。女の子なんて、本当に嫌になるくらい俺にそっくりだよ」

 金茶のサラサラした髪に、暗緑色の瞳。

 初対面でソーニャが女だと勘違いした頃の、アハトの面影が色濃い娘だった。

「昔のアハトを思い出した」

 あからさまに笑いを堪えるソーニャに、苦い思い出をよみがえらせる。抗議しようと考えたアハトだが、結局思いとどまった。

 暗い気持ちにとらわれず、穏やかに笑っていられるなら。できるだけ、そのままにしておきたかったのだ。

「ところで、この子たちの名前はどうするの?」

 不意にエリサに尋ねられ、けれどアハトは迷うことなく名を口にする。

「男の子はユハナ、女の子はユリアですよ」

 二人で相談して決めた名を、両方一度に使えるとは思ってもみなかった。

「まぁ、偶然とはいえ双子らしい名前ね。将来が楽しみだわ」

 一抹の不安を拭いきれないソーニャを、支えていくだけの度量を持ち合わせたアハト。双子の健やかな成長を楽しむエリサ。そして、アハトとソーニャの親兄姉代わりだった騎士や魔術師たちに見守られ、双子はすくすくと育っていった。




 三歳の誕生日に、ユハナは迷わず剣を取った。母ソーニャと同じ、自分自身だけを強化できる呪文クルタスを覚え、筆頭女王騎士である母に剣を習った。騎士団へ入団したのは、七歳の時。

 ユリアは魔術を学んだ。クルタスが使えなかったこともあり、父アハトと同じ道へ進むことに迷いはない。筆頭女王魔術師の父から魔術を習い、同じように防御と癒しに特化した魔術師へと育った。宮廷魔術師見習いとして城仕えになったのは、やはり七歳だ。

 双子は、家族や生い立ちもあって、すぐに人々の噂の種にされた。

 だが、二人は何一つ気にしなかった。本当に大切なことは何なのか。彼らを見守り育ててきた者たちが、ずっと態度で教えてくれたから。

 二人が十歳になる頃には、両親たちのように、女王付き以外では敵う者はいなくなっていた。

 ちょうどその頃、女王となったエリサは女の子を──次の女王となる運命を背負った娘を産んだ。

「ユハナ、ユリア。二人がエルミ様の騎士と魔術師に決まったよ。姫が頑として譲らないから、嫌だって言っても無駄だけどね」

 父に告げられても、二人はただ顔を見合わせただけだ。

 答えはもう、決まっている。

 両親の主である女王が、実はとことん頑固で一途な人だということを、双子はよく知っている。だからこそ。

「陛下相手じゃ、逆らうだけ無駄だから」

「わたしたちが仕えるしかなさそうね」

 小さな頃から、可愛がられた記憶しかないエリサが大好きで。口では渋々を装いながら、二人は喜んで引き受けた。


「我がユハナ・サロヴァーラの名にかけて、王女殿下を、この命ある限りお守りすることを誓います」

 見守る者たちの中には、二十五年ほど前の宣誓式を覚えている者が何人かいる。やはり小柄な彼の母親が、敵意にあふれる視線の中、堂々と宣誓を行った。髪の長さが違うだけで、パッと見には見間違えそうな体格と面差し。あまりの懐かしさから、思わず目を細めた人々も見えた。

 ユハナに合わせて、標準より小さく作られたバスタードソードも。今のソーニャと色違いになる、袖飾りや裏地が白色の、王女騎士の証である真新しい青い燕尾のコートも。

 何もかもが、ソーニャをよく知る者たちにとって、懐かしい日と重なる。

 ただ、あの日と違うのは、ユハナの隣にユリアが立っていることだ。

「我がユリア・サロヴァーラの名にかけて、王女殿下を、この命ある限りお守りすることを誓います」

 髪が長いことを除けば、ユリアは同じ日のアハトを思い出させた。

 父から受け取った、薄青色のサーコートをその細い腕にしっかりと抱き締める。隣に立つユハナに、ニッコリ微笑みかけた。

 両親は別々に誓いを立てたが、ユハナとユリアはそろって宣誓する。それが、エリサの望みだ。

「あなた方の両親のように強く、そして優しくあれ。それが、わたくしがあなた方に望むことです」

 ただの偶然か、まったく同じ動きで首肯し、双子はエリサの前を辞する。

 かの日の両親のように。新しい服に着替えたらすぐ、王女に会いに行くつもりだ。



「ユーリア」

 着替えを済ませ、ユハナと連れ立って歩いていたユリアは、その声を耳にして嬉しそうに振り向いた。

「リク! どうしたの?」

 濃灰色のサーコートを着た、ユリアと同じ色の髪と瞳の少年が立っている。年齢は、ユリアとそう変わらない。

「ユハナとユリアが、そろって青き従者になったって聞いて、お祝いに」

 王女騎士と王女魔術師を合わせて、『青き従者』と呼ぶ。単独では時に、『青き騎士』や『青衣(せいい)の魔術師』と呼ばれている。

 どうぞ、と二人に手渡された花を見て、ユリアは目を丸くしてリクを見つめた。

「これ、リクが一生懸命育てた花でしょ? いいの?」

「うん。お祝いだからね」

 摘みたての、濃いピンク色の花。

 ユリアは不意に、幼い頃に一度だけ、リクが世話をしている横で、何の気なしにこの花が好きだと言ったことを思い出した。

「覚えていてくれたの?」

「僕は、ユリアが言ったことは忘れないよ」

 魔術の訓練は、二人の方向性があまりに違いすぎて、小さな頃は一緒にできなかった。互いの実力を確かめるような訓練を行う許可が、最近やっと下りたところなのだ。

 ずっとそばにいたいほど、大好きな相手と過ごす時間の大切さを。ささいなひと言の重みを。リクもユリアも身にしみて理解している。

「ユリア、あんまりリクにかまっていると、姫のところに行けなくなるぞ」

 普段は、リクとユリアが仲良くしているのを歓迎している。そんなユハナだが、今はもっと大切なことがあるから、遠慮なく邪魔をした。

 今日絶対にしなければいけないことは、自分たちの『姫』に会いに行くことなのだから。

「じゃあね、リク。また後で」

「うん。いつものところで待ってるから」

 両親が日々訓練をしていた場所。そこでリクとも待ち合わせをするようになって、もう二年ほど。

 二人よりも訓練の難易度が高くなり、腕の上達が早まった。

 ──強くなりたい。

 それが、三人に共通した思い。



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