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『正気』シリーズ

閑話休題『轢』

作者: 良多一文

 澄み渡る清空、暖かく降り注ぐ陽光、茂る木々草々の面々。

 穏やかな風吹くこの開放的な空間は町から少しばかり離れた郊外の自然公園。

 ここはまるで鮮やかな色彩を持つものをすべて快く受け入れてくれる楽園のようだ。

 そのような大袈裟でかつ詩的な言葉でさえ、この場所には似つかわしい。

 そんなことを考えていると、この穴場を知る、他の客人がちらほらと現れ始めた。


 道をゆっくりと散歩する男女ひと組の姿。

 大きな体つきの男と、純白のワンピースがよく似合う少女だ。

 体格の差を見る限りでは恐らく兄妹だろうか。少女が男にじゃれついている。



「たまにはこうやって普通にデートするのも悪くないだろう?」

「まあねー。こーゆーのはあんまり趣味じゃないけど」

 少女はくるくるとターンをしながら男の後ろに回り込み、ぎゅっと彼を白くて、細くて、華奢な腕で抱き締める。

「あんたといっしょなら、あたしはなんでも楽しいよっ」

「……ありがとう」

 男は仮初めの自由を歓ぶ脱獄囚のような、ほっとした表情を掠めた。

「あっ」

 おかしな体勢で歩いたからであろう、少女は小石に躓き、盛大に転げてしまった。

「あーあ、やっちゃった」

 少女は擦りむいた膝から滲む血をしげしげと眺め、ぽつりとつぶやいた。

 そしてその深紅の液で指を濡らし、それを舌で唾液と絡めていく。

「まったく、仕方ないなあ。大丈夫かい?」

 男は素早く手当てを始める。

 吹き付けられる消毒液。ぴくりと脈打つ少女の身体。消毒は完了だ。

「ホント、応急処置だけはプロも真っ青ね」

「……誰のせいだと思ってるんだい?」

 最後に大きめの絆創膏を取りだし少女の傷口を保護する。

 慈しみに満ち満ちた男の手は丁寧に丁寧に、ひとつひとつの動作をこなす。

 その間、彼女はといえば、ばつが悪そうに黙っているままであった。

「はい、終わったよ」

「……悪いわね」

「どういたしまして。じゃあ行こうか」

「……うんっ」

 今度は手を繋いで。ふたりは道を再び歩み出した。



 意外なことに彼らは恋人同士だった。

 なかなか変わった組み合わせであるように思われる。

 しかしなるほど、確かに今日は恋人たちが互いに温もりを感じ、愛を囁き合うにはお誂え向きの日だろう。

 次は公園の中心、開けた広場に目を向けてみる。

 学生とおぼしき、これまた男女ふたり、弾けんばかりの元気と若さを湛えて駆け回っている。

 これまたカップルなのか。中高生の恋愛とはかく健全であってほしいものだ。



「よし、ここで野球をしようじゃないか!」

 首元までで真っ直ぐに切り揃えられた黒髪のショートヘアーの快活な少女は破天荒に言い放つ。少年は苦々しくも、慣れたように返答をする。

「野球ってのはふたりでやるものじゃないだろ、普通」

「大丈夫大丈夫。僕がバッターをやるから君がピッチャーとキャッチャーと守備をやってね」

 少女が少年の話をまともに聞かないのはいつものことであった。

 やれやれ、と半ば諦観した態度で、どこからともなく用意された本格的なグローブとボールを少年は受け取る。

「はいはい……ってお前面倒な役回り全部俺に押し付けたなぁ!?」

 少女はわざとらしく舌を出し「てへ」とおどけて見せたが、その手に握られた木製バットを離す気は、毛頭ないようだ。

「どっから持ってくるんだこんな大層なモン……ってかこれ硬球じゃん!」

 これには流石の少年も舌を巻いた。

 学年1のスラッガーと謳われる少女がこの白い弾丸を打ち返したら、どんな危険が生じるかは計り知れない。

「こんなとこで野球なんかやって人に当たったらどうすんだよ。ただでさえお前打つのに」

 少女は「んー」と考え込む“フリ”をする。こんな時決まって彼女がなにも考えていないことを、少年はよく知っていた。

「まあ、なんとかなるんじゃないかな」

 少年の予測は的中した。

 彼が「お前さあ」と矢継ぎ早に口を動かそうとする。が。

「君が困るようなことがあったら僕がなんとかする。君に何かあったら僕が守る。――僕は君の親友だからね」

 結局少年は黙らされてしまった。

 今、ペースの手綱を握っているのは完全に少女の方だ。

「なんでそんなこっ恥ずかしいことを堂々と言えるんだよ……それにいちいち話が大袈裟だ!」

 少年は頭をくしゃくしゃと掻く。

 少女は「それに守られっぱなしってのもなあ」とぼやく少年をよそに満足そうだ。

「それじゃ、やるか」

 ひと息ついて、後方に人影がないことを確認し、少年が構える。

「受けて立とうじゃないか」

 不遜な笑み。その瞳が見据えるビジョンはアーチを描く弾道。


――第1球。


――――投げた。



 親友――古い言い方だと友達以上、恋人未満といったところだろうか。

 その付かず離れずな関係は青春の甘酸さを顕していて、微笑ましく瑞々しい。


 俄に、風が吹く。

 風は一瞬、人々の聴覚を奪った。

 甘えるように肌に触れる春風は儚い“少女”の存在を思わせる。

 事実、風の吹きすさむ方角には少女――そう呼ぶにはあまりにも矮小過ぎるが――と、青年がいた。

 駆け抜ける息吹で遮られ、多くは聞き取れないが談笑している様子と見受ける。



「――さん、今日は風が強いですねー」

 何時からいたのかはわからない。彼らは公園の端、町を一望できる丘に佇んでいた。

 子細に綴るならば、佇んでいたのは“彼”の方だけである。少女を支えていたのは彼女自身の一対の足ではなく無機質な車椅子だった。

「本当ですね。体を冷やさないよう、気を付けてくださいよ?」

 先に「矮小」と述べたが、別に年齢を意味しているわけではない。彼女はあまりにも痩せ衰えていたのだ。

 それこそ吹けば消えてしまうような脆さ。

 垣間見える身体はどこも骨が浮かび、ベージュの長髪はどこか艶を失っている。

「もーまんたいなんですよー」

 憂い姿に反して少女は幸せそうだ。

 その微笑みを生み出しているのは他でもない、傍に寄り添う彼に違いないだろう。

「わあ、綺麗な教会ですねー……」

 そう。この丘からは今どきでは珍しい、町外れに拠を置く質素な教会が見える。

 確かに簡素な造りではあるが、ゴシック様式独特の洗練されたステンドグラスが各所に散りばめらおり、遠目に見ても輝かしく趣巧を感じるほど美しい。

「私たちもいつか結婚できたら、あそこで結婚式を挙げませんか?」

 少女のひと言を噛み締め、彼は複雑な気持ちを抱く。しかしその優しい表情を崩すことはしなかった。

「そうですね……あの教会で最高の式を挙げましょう。いつか、きっと……」

 彼の答えに「えへへ~」と嬉しそうにはしゃぐ少女。

「そうなったら私たち、ずぅーっといっしょケホッ、ケホッケホッ」

 唐突に咳き込む。彼女の健康状態を考えれば、何らかの病に冒されているのは瞭然だった。

 いったん始まった「けほけほ」という乾いた咳は止まらない。少女の目にはうっすらと涙が浮かび始める。

 彼は少女に錠剤を飲ませ、白いハンカチを口にそっと宛がう。

「もちろん、私たちはずっとずっと、どんな時でも一緒ですよ。病める時も、健やかなる時も」

 なだめるように、励ますように彼は語りかける。

 そうすると次第に咳は収まっていった。

「ありがとうです……」

「さ、これ以上は体に障ります。帰りましょうか」

 少女はこくりと小さく肯う。

 彼は車椅子を押して帰路につく。その背中は少しずつ見えなくなっていった。



 いかに朧気であっても、先の少女の笑顔は今まで見たどの花よりも生き生きと咲き誇っていた。

 人々は誰しも、その人生の中で自分だけの幸福を見出だす。

 長短に関わらず、生きている限りどんな時でも。

 しかし哀れ人という生き物はその逆を考える機会はなかなか与えられないものだ。


 さて、私もここでお暇するとしよう。

 彼女らは、私にとってはあまりにも目の毒だ。

 結局、ここもすべてを受け入れる楽園ではなかったのか。それとも私がただ単に彩色を失ってしまっただけなのだろうか。

 何にせよ私は、禁忌の果実を得たアダムよろしくここを立ち去らなければならない。

 重い腰をようやく上げ、服の汚れを丁寧に落としていると、チラシとも張り紙の残骸ともわからない紙切れを風が運んできた。

 これはあまりよろしくない。

 芥は公園の美観を損ねる。

 棄ててしまおうとそれを掴んだ。

 内容は――


『“自由”に使える部屋、お貸しします』


 気がかりな文章。矛盾とまではいかないが、筋が通らない。

 概して部屋というものは借用物であっても、基本的にはその住人に大まかな自由が認められている。

 むしろそうでなくてはおかしい。

 それにも関わらずそこを推奨してくる意味とは。


――錆びたくろがね


 “自由”

 その単語が嫌に引っ掛かる。


――無表情な厚壁の向こうのぽっかりと空いた空間に


 にやりと歪む誰かの口元。


――もし“自由”に使える部屋があったら


 私は。


――どう使うのだろう?


 暗転。






『ココハドコダ』


 それは考えてはいけない。

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