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めぐる

作者: かむ

 カツカツと乾いた音を響かせて、僕は階段を下りている。前には見知らぬ初老の男が二人。彼らは互いに見知った風で、時々肩を揺らしながら談笑している。それに割って入る術もなく、僕はただただ早くこのビルを出たいと思いながら、足を交互に踏み出し続けた。


 このビルは僕が勤める会社の本社であり、会議が終わった七階のエレベーター付近は黒山の人だかりだった。百人単位の人間がもれなく全員下に向かいたいと望み、その手段としてほとんどがエレベーターを選んだのだから、その混雑は当然だった。僕は様子をうかがって、早く帰宅するという目的を果たすならば、エレベーターを使用するより階段を下りた方が早いと断じた。そう考えた者も何人かはいて、僕の見る限り七人ほど階段への扉を開いた。ばたばたと数人が一斉に階段を下り、人をかきわけて初老の二人が降り、彼らの開けた扉に滑り込んだのが僕だった。


 階段を下り始めて三分ほど経った。どうしてこういったビルの階段はうすら寒く、雰囲気が暗いのだろうとぼんやり思いながら足を動かし続けた。前の男たちは、未だに時々肩を揺らしながら談笑している。ふいに耳に届く話の内容は、自分の家庭での処遇であったり、地元野球チームの今年の展望であったり、自分の仕事と給料の不満だったりした。階段を下りる速度がほぼ同じなので、僕は彼らとつかず離れず階段下りを共にした。


 階段を下り始めて五分ほど経った。どういうつもりか知らないが、この階段には階数表示がないことに気付いた。実際何階を下りてきたのか、現在何階にいるのか皆目見当がつかない。自分がどれだけ下りてきたかを考えられるほど、意識して下りてきたわけでもない。前の男たちは、未だに時々肩を揺らしながら談笑している。ふいに耳に届く話の内容は、自分の妻と娘の冷酷さであったり、地元野球チームの監督の悪口であったり、自分の給料と税金への不満だったりした。下りていれば一階にいつかたどり着けるだろうとぼんやり思いながら、僕はなおも下へと向かった。


 階段を下り始めて十一分ほど経った。この階段に明かりをもたらすのは、もう何年も換えていなさそうな蛍光灯と小さな窓だけだった。蛍光灯のカバーは黄色く変色し、蜘蛛の巣がはっていたり、無数の蟲の死骸が黒い影を形成していた。蛍光灯自体の明かりも時々不安定に力なくちらついた。頼みの綱である小窓には言いようもなく淀んだ空が映し出され、無機質な窓枠と相まって陰惨な雰囲気に相乗効果を与えてみせた。前の男たちは、未だに時々肩を揺らしながら談笑している。ふいに耳に届く話の内容は、自分の夕食の冷たさであったり、地元野球チームの移籍選手の成績であったり、自分の給料の使い道に対する不満だったりした。やはり歩く速度は変わらないので、僕は彼らと見せかけの団体行動を続けた。


 階段を下り始めて二十三分ほど経った。先日新調した革靴はまだ固く、新鮮な違和感を僕に感じさせた。運動するには履きなれた靴がいいと昔から色々な人に言われていたなと思った。階段はなおも続いている。ここで止めてしまっては全く意味がない。家に帰ることもできないし、元の七階に戻ることもできない。そういえば階段というものには、各階につながる扉があった様に思われた。今までそれがあっただろうかと思ってみても、意識して下りてきたわけでもないため、どうであったか思いだせない。しかしこのまま下りていけば冷たい色をした鋼鉄の扉が見つかるだろう。そう考えながら僕は手すりも使わず一歩一歩と踏み下ろした。前の男たちは、未だに時々肩を揺らしながら談笑している。ふいに耳に届く話の内容は、自分の洗濯物の扱われ方であったり、地元野球チームのドラフト一位についてであったり、自分の仕事を時給換算してみた際の不満だったりした。階段を下りる速度はやはりほぼ同じなので、僕は彼らと団体行動の様に階段下りを共にした。


 階段を下り始めて五十三分ほど経った。階段はなおも続いている。カツカツと揃ったような揃わないような、無機質な残響を起こしては消し、消しては起こし、僕は階段を下りている。階段全体は冷たい雰囲気につつまれており、きっとそれは経年劣化の著しい蛍光灯と小窓に切り取られた曇り空のみが光源であることに起因すると思われた。履き慣れない靴のせいか、足が少し痛い。どれだけの階段を下りたか、途中の階につながる扉があったかも思い出せない。そういえば階数表示も見ないなと考えもした。前には見知らぬ初老の男が二人。彼らは互いに見知った風で、時々肩を揺らしながら談笑している。ふいに耳に届く話の内容は、自分の家庭での処遇であったり、地元野球チームの今年の展望であったり、自分の仕事と給料の不満だったりした。前も聞いたような話だなと思いながらもそれに割って入る術もなく、僕はただただ早くこのビルを出たいと思いながら、足を交互に踏み出し続けた。

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