その2
「私たちは天使なのです」
またとんでもないことを言い出した。
「天使?」
「ええ。ほら、背中を見てください」
そう言って後ろを向いたまーぽんの背中には、二枚の折りたたまれた真っ白な翼が……プリントされていた。Tシャツの背中のとこに。
「絵じゃん」
「翼です」
「でも絵じゃん」
「でも翼です」
「翼だよ?」
言い張る二人。ええい、今はそんなことを問題にしている場合じゃない。
「…………ま、そういうことにしとくけど。それで?」
「ええ、私たちが天使なのはご理解いただけたと思います。そして天使の仕事とは、迷える魂を天国に導くこと」
「ほう」
「というわけです」
おっと……。
まさかこれだけで説明が終わってしまうとは思わなかった。
まーぽんは、おわかりいただけましたでしょうか、とばかりにこちらの目を見て頷いている。
一瞬思考が止まってしまったが、何とか脳みそをフル回転させて事態の解決を図ることにした。おそらく、この調子で一個一個話を進めていたら、日が暮れてしまう。
別に彼女らの話を理解する必要はない。今考えるべきは、どうすればこの二人組から解放されるか、だ。そのポイントを見つけなくてはならない。
「なるほど……。今僕が君に指摘すべきことはこれかな」
「伺いましょう」
「僕は迷える魂じゃない。以上だ」
まーぽんが黙った。さて。どうだ。こんなことで見逃してもらえるか……?
まーぽんは、顎に手をあてて少し考えていた。
みーぽんは、心配そうに僕とまーぽんを見比べている。
「実は……薄々はその可能性を感じていました」
なんと。意外にも一歩前進した。……できれば薄々じゃなくてはっきりとわかってて欲しいが。
「だったら……どうして?」
「実は私たちは……こう見えても天使としては見習いといいますか……半人前なのです」
「……それはよくわかるよ。それで一人前だというなら天使に失礼だ」
「その発言は私たちに対する激励と受け取ってよろしいですか」
「侮辱と受け取ってくれ」
「応援ありがとーっ!」
「……続けてくれ」
「私たちには……天使として身につけておくべき基本的な能力が一つ欠けていまして」
「理性か?」
「……ひどい」
即答した僕に、みーぽんが顔をしかめる。
一方まーぽんは動じず、首を横に振った。
「いいえ。違います。理性は天使には必要ありません」
予想の斜め上をいく答えだった。
「……まじか。要らないのか」
まーぽんは深く頷く。目が真剣だった。みーぽんも、え? という顔でまーぽんを見ている。
理性を捨て、本能のままに行動する天使が跋扈するところ……。
「それは……天国ってのはさぞ楽しいところなんだろうな」
「ええ。まさにパラダイスです」
……。
何かうまいことを言われたような気もするが、無視する。
「それで、君らには何が欠けてるんだ?」
「はい。それは、生きている人間と死んだ人間の区別をつける能力なのです」
「そんなの僕でも区別つくんだけど」
「あ、そういう意味じゃありません。いくら私たちでも、死体との区別がつかないんじゃありません。死んだ人間と言っているのは……いわゆる幽霊のことです」
「幽霊?」
「ええ。肉体は死んでしまったのに、成仏できないでいる、時には自分が死んだことに気付いていない、霊魂だけでふらついてる存在です」
「……そういうのが見えるの? 君ら」
「見えるんです。見えることは見えるんです。ただ、普通の人間と区別がつかないのです」
どうも話がまたおかしな方向になったきた。キャッチセールスにしても変だとは思っていたが、これは宗教の勧誘だったのかもしれない。
「それで……僕が生きてる人間か、それとも幽霊か、区別がつかないと?」
「まさにそういうことです」
「こうして近くで見ても、わからないんだよね」
みーぽんが僕を指差す。
「いやいやいや。僕は生きてるよ。わかりきってる」
「幽霊の方の中にはそう仰る方が多いんです。自分が死んだことに気付いていないようで」
「僕がそうだってのか? 何を根拠に」
するとみーぽんが答えた。
「リーダーが貴方を連れてくるようにって言ったんだもん」
「リーダー?」
「うん。私たちのリーダー。コウイチくんって人がここにいるから天国まで連れてこいって」
「そうなのです。リーダーは私たちと違って正式な……その、天使でして。リーダーが天国に連れて来いというからには、貴方は死んだ人間なのだろうと。そう推測しました」
ほほう。どうやら黒幕がいるらしい。あとでぶん殴ってやりたいものだ。
「そいつぁ……リーダーの勘違いだろうぜ」
そう言うと、まーぽんは目を伏せた。
「たとえそうだとしても……」
きっと決意のこもった目で僕を射るように見た。
「私たちはこの任務に失敗するわけにはいかないんです!」
「……いや、そんな真剣に傍若無人なことを言われても」
射られた視線を避けるべく身体を半身にしてかわし、そう返す。
「これが私たちの進級試験だからです。一人前になれるかどうかの」
「いやでも、そのリーダーって人が間違えたんなら仕方がないだろう。再試験してもらえばいい」
するとみーぽんが口を開いた。
「私もそう思ったんだけど……」
まーぽんが人差し指を立て、ちっちっと言いながら左右に振った。
「ちょっと自信がないからってすぐに諦める。それでは優秀な天使にはなれないと私は思います。発想の転換が大事です」
「…………というと?」
あまり聞きたいとは思わなかった。
「たとえ貴方が死んでなかったとしても、今死んで貰えばいいんです」
やっぱり。
「ねっ。さすがまーぽんでしょ? 私もいいアイデアかもって」
みーぽんが拍手をしている。まーぽんは胸をはっている。……やはり、ボケが二人では暴走が止まらない。
「それで、じゃんけんで負けたら死んでくれときたわけか」
「ええ。勝負事に負ければ死も受け入れていただきやすいかもと」
無茶を言う。
「もちろんこちらもノーリスクでは筋が通りませんから、こちらはみーぽんを進呈しようと」
「ねえ、なんでいつもあたしなの? まーぽん」
「みーぽんの方が男ウケするからです」
「そっか……」
なぜか納得するみーぽん。
「それって、目的見失ってると思うんだけど……」
「見失っていません。貴方を天国へ連れていくのが私たちのミッションです」
「なるほどね……」
見失っているのは、大義のほうかな。
僕は頷いて、それからはっきりと言った。
「お断りします」
二人に背を向ける。
「ちょっとちょっと。ここまで訳を話したんですから、これはもう、仕方ないなあ、死んであげるよって流れじゃないですか。それを何ですか。お断りしますって。空気読んでくださいよ」
「空気読んで死ねるか」
「じゃあ私たちのために死んでください」
「君達のためならむしろ死ねない」
「みーぽんが何でもしてあげますから」
「悪いけど興味ない」
「あっ。ひどぉい。私、そんなに魅力ないかなぁ?」
「結構みーぽんはつくすタイプですよ」
「そうだよー。つくしまくりだよ」
「他を当たってくれ」
しかし二人が腕を掴んで離してくれない。
「もう勘弁してくれよ……」
*
「あのな、ひねりのない言い方で申し訳ないが、そう簡単には死ねないよ」
「と、いいますと?」
「解説が必要か? 自分が死ねって言われたらどうだよ?」
「と言われても私たち、天使なので。生きるも死ぬもありませんから」
おっと……。こいつは想像以上に厄介な人たちみたいだ。
「い……いやいやいやいや。どうしようこれ。えーとだな、とにかく僕はもうちょっと長く生きたいんだ。あと50年は生きるつもりだよ。僕が死期を迎えたらまた来てくれ」
「えー、なんでそんなに生きたいの?」
「生きてりゃいいことがあるからだよ!」
「なにを根拠のないことを言っているんですか」
「そりゃ……根拠なんかないさ。わからないから生きてみるんだろう」
そう怒鳴ると、まーぽんは腕を組んだ。
「なるほど……未来にあらぬ希望を持っているから生にしがみついているわけですね」
「ずいぶん嫌な言い方するな」
「それでは、その邪念を取り去ってあげましょう」
「なんだと?」
するとまーぽんは、みーぽんの両肩を掴んでずいとこちらに押し出した。
「みーぽんはこう見えても優秀で、天使見習いの免許皆伝なのです。彼女には特殊な能力があります」
「見習いの免許皆伝ってなんだ。ややこしいな」
「それじゃ、みーぽん」
「うん」
みーぽんは頷いて、両手を挙げた。
「じゃじゃーん。私の能力をお見せしましょー」
すっとんきょうな声をあげ、みーぽんがくるりと回った。そしてバランスを崩してこけた。
「いや、結構だ。すまんが、何一つ期待できそうにない」
「ちょっと待ってください。転んだくらいで評価を180度変えないで下さいよ」
「いや、評価は1度たりとも変わってないが……。初めから地に落ちていたからな。安心したまえ」
「今です! みーぽん、チャンスです」
何がチャンスなのかさっぱりわからなかったが、みーぽんが上空に手をかざしたまま、上を見あげたので何が起こるのか見守る。
「うー」
呻いている。彼女が何を始める気かわからないが、こっちに何かしようとしてきたら全力で逃げよう。
数十秒、みーぽんはその姿勢でじっとしていたが、やがて手を下ろして息を吐いた。
「よしっ。準備できたよ」
「……な、何が?」
「あなたの未来を見る準備」
「未来……?」
つぶやいた僕に、まーぽんが補足する。
「ええ、いまだ来ずと書いて、未来です」
いらぬ補足だった。
「ふゅーちゃーを訳して、未来か」
「そうです、明日と書いて、未来です」
「……それは……良かったな」
とりあえずほめておく。
「うん、苦労した。久しぶりだったし……。でもうまくいって良かった」
涙ぐむみーぽんに、まーぽんがジャケットをかけてあげながら肩をポンポンと叩いた。
「立派でしたよ、みーぽん」
「ああ、今日のこの感動を忘れないようにしよう」
三人で頷きあう。
「私、一生忘れません」
「わたしもっ!」
「俺たち3中ファイターズは、永遠に不滅だっ」
「「おーっ」」
こぶしを振り上げ、笑いあった。
「じゃあ、また明日、グラウンドでな」
「ええ、明日からまた特訓ですわ。それではごきげんよう」
「じゃあね、コウイチ君」
そして僕たちは三方向にそれぞれ歩いていくのだった。