表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
断罪の剣と、忘却の魔王 ―― 滅びゆく世界の終わりに君を想う  作者: 御子神 花姫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/10

9 裏切りの聖域


「――やめて。聞きたくない……!」


リーゼロッテの叫びは、結晶化し崩れゆく宿屋の轟音にかき消された。

視界に入るものすべてが、毒々しい紫の輝きを放つ鉱石へと変貌していく。かつて彼女に野菜を分けてくれた老婆も、共に笑った子どもたちも、今は物言わぬ美しい彫像と化し、エリオットの振るう聖剣の破片が放つ波動に共鳴して、微かな音を立てていた。


「素晴らしい。これこそが陛下が夢見た『聖魔融合』の極致。リーゼロッテ様、あなたは今、ご自身が最も愛したはずの日常を、ご自身の力で『永遠』に封印されたのですよ」


エリオットは、阿鼻叫喚の地獄絵図を、まるで名画を鑑賞するかのような陶酔した瞳で見つめていた。

「人間は死ねば腐り、記憶は薄れる。しかし、あなたの漆黒の光によって結晶化した彼らは、概念として永遠に固定される。これこそが救済。これこそが真の平穏だと思いませんか?」


「ふざけるな……ッ!」


ゼファードが地を這うような低音で吼えた。

彼の背後に広がる一枚の漆黒の翼が、怒りに呼応して巨大な影を地面に落とす。

「リゼの心を弄ぶのは、そこまでにしろ。……貴様ら人間は、どこまで強欲になれば気が済むのだ!」


ゼファードが指先を弾くと、漆黒の炎が槍となってエリオットを襲った。

しかし、エリオットは動かない。彼が掲げた聖剣の破片から放たれた「拒絶」の光が、魔王の炎をいとも容易く霧散させた。


「魔王陛下、忘れないでいただきたい。その破片には、リーゼロッテ様の『心の一部』が封じられている。……あなたが私を攻撃するということは、彼女の魂を直接切り裂くことと同義なのですよ」


「……っ、卑怯な……!」


ゼファードの動きが止まる。

その隙を見逃さず、エリオットは呪文を紡いだ。


「――虚空を裂き、因縁を呼び戻せ。裏切りの果てに待つは、忘れ去られた神の庭。転移門ゲート、開門!」


村の広場、結晶の棘が最も高くそびえ立つ場所の空間が、鏡が割れるように粉砕された。

そこから漏れ出してきたのは、かつて二人が過ごした「精霊の聖域」によく似た、けれど、より冷たく、淀んだ空気。


「さあ、お帰りなさい。あなたたちの本当の戦場へと」


逃れる間もなく、強力な重力波が二人を飲み込んだ。


再び目を開けたとき、そこには見覚えのある、紫色の花が咲き乱れる草原が広がっていた。

けれど、何かが違った。


空はどす黒い紫に染まり、かつて清らかだった小川は、淀んだ銀色の液体へと変わっている。

ここは、二人が過ごしたあの聖域ではなかった。

聖王がリーゼロッテの記憶を媒体にし、アスカロンの魔力で再構築した「偽りの聖域」――精神の牢獄だった。


「……あ、あぁ……」


リーゼロッテは地面に手をつき、嘔吐するように激しく咳き込んだ。

体内の「漆黒の光」が、この空間に満ちる歪んだマナに反応し、内側から彼女の血管を焼き切ろうとしている。


「リゼ! 意識を保つんだ、リゼ!」


ゼファードが彼女を抱き寄せるが、今の彼には彼女の苦痛を和らげる術がなかった。

この偽りの聖域では、彼の魔力は絶え間なく吸収され、周囲の結晶を育てる「肥料」へと変えられていく。


「ようこそ、我が娘よ。……そして、忌まわしき魔王よ」


空間の揺らめきの中から、一人の男が姿を現した。

アステール王国の支配者、聖王。

その顔には、父としての慈愛など微塵もなく、ただ「完成品」を眺める職人のような冷徹な満足感が浮かんでいた。


「お父様……なぜ……」


「なぜ、だと? 決まっている。千年前、エルシィが成し遂げられなかった『神への昇華』を、お前という完璧な器で完成させるためだ」


聖王はゆっくりと歩み寄る。

「お前が魔王を愛し、共に絶望を味わうこと。それこそが、アスカロンを修復し、この世から魔族も人間もいない『静止した神の世界』を創るための、最後の触媒だったのだよ」


「静止した、世界……?」


「そうだ。争いも、飢えも、悲しみもない。すべての命が結晶となり、永遠に美しく輝き続ける世界。……リーゼロッテ、お前はその世界の『中心コア』となるのだ。魔王の命を最後の一滴まで吸い上げ、完成したアスカロンをその胸に抱くことでな」


「そんなの……誰も望んでいないわ!」


リーゼロッテは、震える足で立ち上がった。

手首の魔銀のブレスレットが、彼女の激昂に耐えきれず、パキリと音を立ててひび割れた。


「私は……私は、ただの女の子として生きたかった。彼と二人で、美味しいものを食べて、笑って、明日が来るのを怖がらずに眠りたかっただけなのに……!」


「明日などという不確かなものは、苦痛しか生まん」


聖王が冷酷に告げた瞬間、空間から無数の「光の鎖」が放たれた。

鎖はゼファードの四肢を貫き、彼を虚空へと吊り上げた。


「ぐああぁぁぁッ!!」


「ゼファード!!」


「触れるな、リゼ!」

ゼファードが、口から血を流しながら叫ぶ。

「鎖が君の魔力を吸い取ろうとしている……! 来てはいけない……逃げろ、ここから……!」


「逃がさぬよ。……さあ、見よ。これが、お前が愛した男の最期だ」


聖王が杖を振ると、鎖がさらに強くゼファードを締め上げる。

鎖が食い込むたびに、ゼファードの命の灯火である漆黒の魔力が、目に見えるほどの輝きとなって引きずり出され、リーゼロッテの胸の紋様へと流れ込んでいく。


(やめて……私のために、彼を壊さないで……!)


リーゼロッテの心の中で、何かが音を立てて崩れた。

愛すれば愛するほど、彼は傷つく。

彼を想えば想うほど、彼女の力が彼を殺していく。


エリオットの言った通りだった。

彼女の「愛」こそが、魔王を滅ぼし、世界を終わらせるための最悪の毒。


「……だったら……」


リーゼロッテの瞳から、光が消えた。

代わりに、彼女の全身から、これまでのどの瞬間よりも濃密で、冷たい「黒」が溢れ出した。


「私が……私を壊せば、いいのね」


「リゼ!? 何をする気だ、止めろ!」


ゼファードが絶叫するが、もはや彼女の決意は止まらなかった。

リーゼロッテは、自分の掌に「漆黒の光」を凝縮し、それを自らの心臓へと向けた。

外部からの侵食を拒むのではない。

自分という「器」そのものを破壊することで、聖王の計画を根本から打ち砕こうとしたのだ。


「馬鹿な! 自ら命を絶つか! 器を失えば、アスカロンは暴走し、この空間ごとすべてが消滅するぞ!」


聖王の顔に、初めて焦燥の色が走った。


「それでいい……。彼を傷つける私なんて……いらない……」


リーゼロッテがその手を胸に突き立てようとした、その時。


「――させるかよ」


低く、けれど絶対的な拒絶を含んだ声が、空間を震わせた。


吊るされていたはずのゼファードが、自らの四肢を貫く鎖を「自身の肉体ごと」引きちぎって着地した。

その姿は、もはや魔族ですらなかった。

右半身は完全に崩壊し、そこから溢れ出すのは魔力ではなく、生々しい「執念」そのもの。


「リゼ……。君が自分を壊すなら、俺は世界を壊す」


ゼファードは、血塗れの手でリーゼロッテの腕を掴んだ。

「死なせない。……君が神になるというなら、俺は神を殺す悪魔になる。……絶望しろ、人間ども。……俺たちの『愛』を、そんな安っぽい完成のために使わせてたまるか」


ゼファードが残った左の翼を羽ばたかせると、偽りの聖域の空が、彼の怒りに呼応して文字通り「剥がれ落ちた」。


「……ゼ、ファー……ド……」


「いいか、リゼ。……目を開けろ。……俺を見ろ。……絶望なんて、俺が全部食ってやる」


彼は、崩れ落ちるリーゼロッテを抱きしめ、その耳元で囁いた。


「千年前も、今も、俺が欲しいのは……君の笑顔だけだ。……それ以外、何もいらない」


ゼファードの全身から、漆黒の魔力を超えた「真紅の輝き」が溢れ出す。

それは、魔王としての命そのものを燃焼させる、最期の覚醒。


偽りの聖域が崩壊を開始し、聖王の悲鳴が遠ざかっていく。

次元の狭間に投げ出される二人を包むのは、もはや聖なる光でも、魔の闇でもない。

ただ、互いを離さないという、狂おしいまでの執着の熱。


「……行きましょう、ゼファード。……本当の、私たちの場所へ」


リーゼロッテは、彼の首に手を回した。

意識が遠のく中、彼女が見たのは、どす黒い紫の空でも、灰色の村でもない。

ただ、初めて出会ったあの日に見たような、どこまでも澄み渡る「青」だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ